霧と森と残骸(抄)#3イリュノー

男の子はさ迷いました。深い森の中で、ひかりは届きませんでした。あらゆるものに声をかけましたが、誰も応えてくれませんでした。どこからか、水の音が聞こえてきます。とても悲しい音でした。

谷の間から細く流れる水に根をおろし、水の精の樹がありました。それは彼女の声でした。彼女の葉は、すべて枯れ落ち、枝は折られ、幹の皮は剥がされていました。彼女の足もとには、今にも倒れそうな、幼い木がありました。

その時、ものすごい音を立てて、水の精の樹が倒れました。いつの間にか、腰の曲がった老婆の木が横にいて、男の子に話し始めました。「彼女は、私と契約を交わしたのだよ。」「自分の命と引き換えに、根本の幼い木を救ったのだよ。」「私は1つを救うことができるが、それには代価が必要なのさ。」言葉とともに老婆の木はきえました。幼い木は息を吹き返しました。そして倒れている母の樹を見て泣きました。幼い木は悲しみに飲み込まれてしまいました。幼い木泣き続け、小さい体の水分を、すべて流してしまいました。幼い木は枯れてしまい、母と同じように根本から抜けてしまいました。どこかの梢から、老婆の声が響きました。「まったく、存在とは理不尽だね。これさえ変えるこ事ができないのに。ましてや、世界なんて……」

 男の子は、崩れ落ちた母と、幼い木から、枯れた芽を摘んで来て、草で作った舟にのせて、水の流れに送りました。彼は水に手をつき祈りました。「彼らをお願いします。その記憶を花咲ける場所まで届けてください。」

男の子は草の舟を見送り、その場所を去りました。


霧と森と残骸(抄)#2 イリュノー

霞んだ空気と、薄暗い光の中で、男の子は目覚めました。あたりでは、何ひとつ身動きをせず、音はその力を、失っていました。

男の子は、森の中に入りました。森の中では、ひんやりとした静けさが、森の時間を、ゆっくりと動かしています。幾重にも織り成す枝や葉が、生命をひろげ、時を満たしています。次第に、男の子は森に、森は男の子に織り込まれてゆきます。

 整然とならんだ、背の高い針葉樹の森につきました。大地には、葉の絨毯がしきつめられ、今もその葉、を降らせています。しかし、この森は病んでいました。葉が彼らを苦しめています。

目の前にひと際は大きい、一本の老樹がありました。男の子は彼の言葉を拾いました。

「私たちは、長い間、細い糸を、紡いできました。そして、いくつもの、生命が、それらを、体に、取り込み、次の者に、伝えました。紡がれた、糸は、縦と、横に、織られ、世界に、模様が、できました。私たちから、溢れ出た、生命は、糧となり、生きて、いきます。……………私たち………長いあい………細い…………糸を、紡むい………… 」


  男の子は老樹から降ってくる「コトバ」を集め、新しい場所に蒔きました。

霧と森と残骸(抄)#1 イリュノー

昔、男と言う名の森がありました。世界の始まりから終わりまで、森には誰もいませんでした。淡い光は戯れ、ゆっくりと、森を包み、霧は静かに揺れていました。とても気持ちの良い昼下がりでした。

突然、世界は砕けました。膨らみすぎた自分の体に堪えきれずに、最後に、「さよなら」と、すまなそうにいました。


森へいたる、イラクサの道が、男の子を連れてきました。彼は、 道で作った冠をかぶって、森の入り口に、ぽつんと、立っていました。風が吹き、森の枝が揺れました。そうすると、男の子が応えました。「世界が終わりを告げました。僕は、始まりの言葉を探しに、ここまで来ました。」

風が止み、森の葉が 1枚落ちました。男の子は、しゃがんで、その葉を拾い、大事にポケットにしまいました。「僕に、あなたの話を、聞かせてください。」

薄い闇が、葉を濡らしはじめ、森は息を潜めています。いちにちが終わろうとしています。

霧と森と残骸(抄)1

そこにある光の束がまるで生き物のようにうごめく。水面に浮かぶ君の亡骸。その黒髪の漂いに、ひとつの可能性がからみつく。なかば生まれかけた存在が声を殺してしゃくりあげる。丘の上のものが、光の束をほどく。爛れた光は男の足元にこぼれる。かすんだ暗闇のあはい。ゆるい振幅の輪郭。私は、始まりの終焉。彼らより先にはもう戻れない。
薄闇がゆっくりとあがる。大気はじっとしている。風は止んでいる。森の中の茂みが揺れる。ゆっくりと茂みは揺れる。