ストロングゼロを飲んでいる
ストロングゼロを飲んでいる。いわゆるやけ酒である。
割と酔っているので、誤字脱字があったら申し訳ない。
ストロングゼロ、虚無の酒、福祉、麻薬など言われているが、私にとってはやけ酒専用酒、それだけだ。
ただ酔いたい時に飲む酒。
タバコとストロングゼロの組み合わせ、最高に酔えて良い。
今日も恋人に嫌なことをしてしまった。
自己嫌悪に耐えきれず、酒を飲んでいる。
まだ機会飲酒だからアル中は大丈夫だと思うけど、昔は不味いと思ってた(サントリーさんごめんなさい)ストロングゼロがそれなりに美味く感じるあたりそれなりにやばいのかもしれない。
私は、恋人に離れられるのがとても怖い。
愛着障害とか、そういう類いなのかもしれない。
でも、とにかく1人の時間が怖い。ずっと恋人にそばにいてほしいと思ってしまう。
あまり健全な恋愛ではないのかもしれない。でも恋人には側にいてほしいと思ってしまう。
恋人はこのブログ見てないと思うけど、どうかこれからも側にいて。
酔いが回りすぎてまともな文章書けないのでこれくらいで。
おやすみなさい。
追記:結局ゲロ吐きました。
眠れないので
前回の記事で、看護師を辞めてから現在に至るまでの経緯書いてなかったですよね。今回はその辺でも書きましょうか。
まず、7月頭から休職、9月末で退職。ここまでは書きましたかね。
その後はというと、2017年いっぱいは廃人でした。いやもっとか。2018年の夏前くらいまでですかね。
'17年中は、本当に何もできず過ごしていました。気がついたら終わっていた。でも、昔の彼女とまた仲良くなり(復縁したとかではなく、あくまで友達として)、ちょいちょい会ったりはしてましたね。
で、'18年2月頃。突然ですが、僕は自殺未遂をします。
前々から準備はしてたんです、いつでも死ねるように。死ぬ時期までは決めてなかったけど。
方法は、塩化カリウムの注射。まあ一般の方には想像つかないでしょうが、1発で心臓を止めることができる薬品です。医薬品としても販売されていますが、実験用試薬として販売されているのでそれを手に入れて溶液を作ってありました。
で、いざ死のうとした私。ただまだ未練があったのか、静脈注射(ほぼ確実に死ぬ)ではなく、筋肉注射を選択します。
死ぬほど痛かったのを覚えてます。これはあかんやつやと。かといってしばらく経っても心臓が苦しい感覚もない。これは死に損ねたなと。
その日はそれで寝たんですが、翌日から高熱を出します。そして注射した部位がめっちゃ痛い。
まあ、感染したわけですよね。ばい菌に。で、自殺未遂であることはごまかしつつ入院。後にこの入院が僕にとってとてもつらい記憶になるんですが、それはまた今度。(お前そればっかやな)
で、注射した部位に膿がたまってどうしようもないということで膿溜まりを除去して徹底的に洗浄する手術を受け退院。その後しばらく入院のストレスで悪化した精神状態から自傷自傷&自傷の日々。でも、少し回復してきた頃に就活してみました。書類で落とされましたけど。
その間は例の元カノが心の支えでした。引きこもりがちな自分を定期的に外に連れ出してくれるし、美容院を紹介してくれて縮毛矯正かけたり(天パなんです)、いろいろ楽しいこともあった。
あと、10月ごろに大型自動二輪車免許を取りました。で、11月頃だったかな?元カノとプチ温泉旅行。そしてそのままグダグダと過ごして2018年は終わりました。
なんか、文章書くのしばらくやってなかったせいでなかなか長い文章書けないですね。
看護学生時代はこの3倍以上の量のレポートとか書いてた気がするんですが。
次回は2018年末〜現在まででも書きましょうか。余裕があれば自傷の話とかも。
それでは今日はここまでで。おやすみなさい。
はじめまして
はじめまして。以前ちょっとだけやっていたこのブログ、過去記事全て削除の上再スタートすることにしました。
飽き性の私のことだし、書くネタもそうそう転がってるかわからないので不定期更新になると思いますがどうぞよろしく。
さて、簡単に私のプロフィールを。もし関係者各位が見てたらバレそうだけど、まあ周りに拡散せずこっそり見てもらう分にはいいです。
現状どんな人間かと言うと
・何らかの精神疾患があり、精神科通院中
・主にその精神疾患の為無職(年末は短期バイト決まった)
・性別違和?のようなものあり。ただし性同一性障害の診断基準には当てはまらない。でも割とつらい。
まあとりあえずこんなとこにしときましょうか。他のことはおいおい。
さて、精神疾患で無職と書きましたがどうしてこうなったか。
その経緯も軽くご紹介しましょう。
幼少期(幼稚園〜小学校):終始いじめられる日々。まあ原因はいろいろあったんでしょうけど、これもそのうち別記事として書きます。
中学生:なんやかんやで私立中学へ、そして吹奏楽部に。しかしまた部活でもクラスでもいじめられ、夏休み途中から部活に行けなくなりそのまま不登校。数回保健室登校にトライするも無理でそのまま卒業。
高校生:某有名(?)通信制高校の週5日通うコースへ。最初から大学進学するつもりだったが、勉強したくないしそもそも学力で普通校に太刀打ちできるわけがないとAO・推薦に絞り、部活やら生徒会やらやりまくる。でもなんだかんだすごい楽しかった。今のところ人生のピーク。
大学生:勉強以外を死ぬ気でやったおかげで推薦を勝ち取り某大学の看護学科へ。晴れて看護学生になる。しかし徐々に精神状態が悪化。かといって忙しさ、金銭面、精神科の予約の取りづらさで精神科に通えず、3年生から個人輸入した(合法ですよ)エチゾラム(デパス)を睡眠薬として使うようになる。また、後期から臨床実習が始まると抗不安薬として使うことも出てくる。4年生後期に入ったあたりでエチゾラムが向精神薬指定され個人輸入ができなくなったことから、残りのストックをできるだけ少なく使うようになるが、なんとか実習・就活・卒論・国試すべてこなす。ただし卒論発表会はバックれた。
社会人:希望していたNICU病棟に配属される。しかし激務であることもさることながら、1年目指導担当の先輩がどうしても怖く、余計メンタルをやられる。不安症状なども出現しエチゾラムを飲んでも眠れず、近医で睡眠薬を処方してもらう。それでもダメで精神科を必死に探し回ったところ、自宅からは多少離れているが比較的すぐ診てもらえる精神科を発見。通うようになるが、弱い薬しか出されずまったく症状が改善せず結局7月頭から休職。休職したらそれなりに強い薬も出されるようになり、少なくとも眠れるようにはなった。しかし結局病院側から切られ9月末で退職。
まあざっくりこんなとこでしょうか。ちなみに退職したのは2017年です。なので2年ちょっとのブランク。ブランクの間にあったことまで書くとクソ長いんでまた今度にしますね。
まあこんな感じの人間です。興味を持っていただけましたら、次回からの記事も読んでいただけると幸いです。
では。