ただただ進む怖さ
久しぶりの投稿です。
勉強が忙しく、毎日毎日この脳みそを使って一生懸命考えながら生きてる次第です。
さて、今回はただただ進む怖さを感じたので、それについて。
今現在、目標を持って勉強をしているが、その方向が本当に自分にとって良いのか悪いのかを悩んでしまう人は多いのではないだろうか。
それが、とてもたくさんの勉強を要するものであればあるほどそう感じる人が多いのではないだろうか・・・
そう、もともと人間は大自然で生きていた動物であり、一つのことに集中しすぎるのは危ないと感じたりしてしまうもの。
その大自然で生きていた時の性質が今の社会では生きづらさを生み出してしまう気がする。
今は、自分が一生をかけて取り組みたいことや、一生かけて仕事としてしたいこと。そんなことを決めてまずはただただ集中して取り組み続けること、自分が満足するレベルまで極めることがやっぱり大切な気がする。
ずーっとそれをやり続ける必要もなく、ある程度極めて、次の道が見えたのならそっちに進むのもアリだし、そこは人生として自分が幸せで豊かだと思う方で良いのではとも考える。
僕は若い頃、一生かけて取り組みたいと思うことに出会えず、その時に楽しいこと(すぐに飽きがきてしまうようなゲーム)心地よいこと、ストレスのないことを選んで過ごしてきた。
そのせいで、社会に出るとやれ何ができるのかとせっつかれる毎日に耐えられない。
最低限ができないと、できるように矯正され続けつ毎日に耐えられない。
様々なことを気にかけていかなければならない人間関係に耐えられない。
耐えられない毎日になってしまった。
これを読んだ皆様は、僕みたいな辛い人生にならないようになってほしいです。
ただただ進む怖さに負けず、自分が信じる道。自分が成し遂げたいことや実現させたい現実をしっかり捉えて、突き進んでください。
僕は現在進行形でそんな感じに生きています。
なぜ本を読むの?
なぜ学校の先生や、成功者は本を読めというのでしょうか?
たくさんのお金がかかり、完成したものであるから信頼できる
ということだと僕は思ってます!
情報集めに関しては、
SNS、ツイッター、ネットの無料書籍、今は文章を読む媒体はたくさんあります。
別に、新聞紙読むより、スマートニュースでしょ!
それで正解だとたぶん思います。
そうなんです、たぶん。たぶん。たぶん。。。。。
本だろうが、ネット媒体だろうが、なんだろうが、完璧に絶対に、信頼できるものというものは限りなく少ないのです。
スマートニュースや、ライフハック、いろいろな記事を見ているだけで、「私はいろいろ知ってるわ!」「僕は能力アップをできているぞ!」と思うかもしれません。
確かに、ある程度はそうだと思います。
ですが、自分が専門の分野に関して詳しく学ぶためには、お金と労力がかかった本!が必要になります。
ネットで書籍を買って、タブレットで読むのが今は一番だと私は思います。
マーカーなどを指一本で引けてしまうし、後でリストアップしたところを一瞬で見直せます。
小説でいうと話は変わってきます。
僕は、小説こそ、平凡な毎日を暮らす平和な国に住む人たちに、
想像力と心の豊かさを与えると思っています。
僕は、本は大人になるまで苦手で嫌いでした。ですが、今では本ばかり読んでます。
生きるのが辛くなったら、まずは本!
お勧めします。
一緒に、頑張って生きてみましょう!
人生を変えたい? この文を読んでみて。
私はある時まで死んだように生きていました。ですが、今では悩みはあるにしてもとても幸せな毎日を送ることができています。
簡潔に言わせてもらいます。
人生を変えたいと思っているあなた。人生が変わらないということは、
死ぬ覚悟を持って、人生変えてやる。
と思っていないからです。
人生が変わっていない方は、残念ながら完全にそうです。
今のままの人生が以外と好きで、居心地よくて、抜け出せないのです。
どんなに辛い状況にある人でも、そうです。
ですが、人生を変えることは、本当に死んでしまう可能性があるのでご注意を。
ただただ生きよう。
最近、自分自身の環境をいろいろ変えることによって、人生のペースがだいぶ変わった。
生きる意味なんて、生まれた時からないのだから、心配せずに好きな人生を歩むことが大切だと、しっかり気づかせてもらった。この世界に。
犯罪など、人に迷惑を掛けないことは前提条件。
人がして欲しいと思うことは、最終的にビジネスになる可能性もあり。
人生、一生懸命サラリーマンやるだけじゃ損かもしれない。
自分は何がしたい? その問いにしっかり向き合うことが大切。
その問いに向き合った時、サラリーマンをやめた時の経済的リスクを取れるのかどうか。そこはとても重要。
そこに問題がなければ、何を躊躇するの?って感じ。
経済的リスクの回避は、だいたいやることは決まっている。
自分がやりたいことをビジネスと結びつける。
または、自分が最高に向いているビジネスでしっかり稼いで、好きなことをする。
もともと、生き物ってただただ生きてるだけ。
人間=生き物
ただただ生きるだけで良いのに、こんなに大きな頭脳がついているから、なんだかよくわからなくなってくる。
「生きる意味」「年上は敬え」「偉い人」「頭のいい人」「才能のある人」
「これは絶対にあなたには無理」「絶対しちゃダメ」「そんなことに意味はない」
「みんなに合わせなきゃ」「自分だけ違うのかな」「自分は才能がない」
人は、「ないもの」を「ある」ように見せるプロだ。
生きてきて気づいたことが、人はないものをあるように見せている。
「生きる意味はある。」という人がいる。 それは、自分で生きる意味を見出し、信じることで形あるものになる。もともと、存在しなかったものを自ら作り出し、信じさせることによって生まれるのだ。ということは、信じる人にとっては「ある」ということだ。
「年上は敬え」という人がいる。それは、なんの物差しだろう。長く生きている人は人生経験が豊富でいろいろ知っている?年上は偉い?
なんて勘違いなんだろう。。。 人間社会以外をしっかりと見開いた目でみれば偉い偉くないなんて、とても曖昧なことだってすぐに気づけるはず。
確かに、自分にとっていい人で尊敬できて、助けれくれる人は、自分にとって偉い人として認識されると思う。
国が認めたから、何か資格があるから、役職があるから、偉そうだから
「偉い」 という勘違いをいますぐ取っ払おう。
そして、自分が尊敬できる年上は敬ったほうがいいが、尊敬できない社会悪を生んでいるような人は、尊敬する必要はないだろう。
そんなこんなで、人間は思い込むプロだ。
他にも挙げた事例について、よーく考えてみると、思い込みだってことに気づくし、だいたいは相手がそうなって欲しいと思っていることだったりする。
ここは重要だ。
自分の言ったことが。人間は思い通りになって欲しくてたまらない。
そして、一旦頭の中で「そうなのかも」と思ったらなかなかその考えが頭から離れない。
散歩でも行って、本でも読んでみればいい。人の話なんて、大概テキトーなもんだ。
だから、これを読んだ方はただただ生きて欲しい。
自分のやりたいことや知りたいこと、世の中にどう貢献したいかをよく考えてだ。
好きなことをして生きよう!ってよく耳にするけれど、こういうことだと思う。
お金を得る手段として、世の中への貢献の仕方を考える。
そのお金は、社会へ世間へ貢献したご褒美なのだから、自由に使えることになってると思う。
人生は自由だ。(という思い込み)
さあ、自由なだけ、自由に動き回ろう!
ただただ生きよう。
最近、自分自身の環境をいろいろ変えることによって、人生のペースがだいぶ変わった。
生きる意味なんて、生まれた時からないのだから、心配せずに好きな人生を歩むことが大切だと、しっかり気づかせてもらった。この世界に。
犯罪など、人に迷惑を掛けないことは前提条件。
人がして欲しいと思うことは、最終的にビジネスになる可能性もあり。
人生、一生懸命サラリーマンやるだけじゃ損かもしれない。
自分は何がしたい? その問いにしっかり向き合うことが大切。
その問いに向き合った時、サラリーマンをやめた時の経済的リスクを取れるのかどうか。そこはとても重要。
そこに問題がなければ、何を躊躇するの?って感じ。
経済的リスクの回避は、だいたいやることは決まっている。
自分がやりたいことをビジネスと結びつける。
または、自分が最高に向いているビジネスでしっかり稼いで、好きなことをする。
もともと、生き物ってただただ生きてるだけ。
人間=生き物
ただただ生きるだけで良いのに、こんなに大きな頭脳がついているから、なんだかよくわからなくなってくる。
「生きる意味」「年上は敬え」「偉い人」「頭のいい人」「才能のある人」
「これは絶対にあなたには無理」「絶対しちゃダメ」「そんなことに意味はない」
「みんなに合わせなきゃ」「自分だけ違うのかな」「自分は才能がない」
人は、「ないもの」を「ある」ように見せるプロだ。
生きてきて気づいたことが、人はないものをあるように見せている。
「生きる意味はある。」という人がいる。 それは、自分で生きる意味を見出し、信じることで形あるものになる。もともと、存在しなかったものを自ら作り出し、信じさせることによって生まれるのだ。ということは、信じる人にとっては「ある」ということだ。
「年上は敬え」という人がいる。それは、なんの物差しだろう。長く生きている人は人生経験が豊富でいろいろ知っている?年上は偉い?
なんて勘違いなんだろう。。。 人間社会以外をしっかりと見開いた目でみれば偉い偉くないなんて、とても曖昧なことだってすぐに気づけるはず。
確かに、自分にとっていい人で尊敬できて、助けれくれる人は、自分にとって偉い人として認識されると思う。
国が認めたから、何か資格があるから、役職があるから、偉そうだから
「偉い」 という勘違いをいますぐ取っ払おう。
そして、自分が尊敬できる年上は敬ったほうがいいが、尊敬できない社会悪を生んでいるような人は、尊敬する必要はないだろう。
そんなこんなで、人間は思い込むプロだ。
他にも挙げた事例について、よーく考えてみると、思い込みだってことに気づくし、だいたいは相手がそうなって欲しいと思っていることだったりする。
ここは重要だ。
自分の言ったことが。人間は思い通りになって欲しくてたまらない。
そして、一旦頭の中で「そうなのかも」と思ったらなかなかその考えが頭から離れない。
散歩でも行って、本でも読んでみればいい。人の話なんて、大概テキトーなもんだ。
だから、これを読んだ方はただただ生きて欲しい。
自分のやりたいことや知りたいこと、世の中にどう貢献したいかをよく考えてだ。
好きなことをして生きよう!ってよく耳にするけれど、こういうことだと思う。
お金を得る手段として、世の中への貢献の仕方を考える。
そのお金は、社会へ世間へ貢献したご褒美なのだから、自由に使えることになってると思う。
人生は自由だ。(という思い込み)
さあ、自由なだけ、自由に動き回ろう!
意見とはなんなのだろう
意見・・ある問題に対する主張や考え。
意見とはなんだろう。
意見とはその人自身を表しているのではないか?
育てられた環境、してきた経験、自分の体、それらがある問題に対して、言葉という形になる。
それはまさに、生きてきたあなた自身。
人は「意見をください」「アンケートをください」「あなたはどう思いますか?」
など、言葉を用いて相手に問いかける。
その投げかけによっても回答が変わりそうだ。
威圧的に意見を求められれば、相手に合わせた意見を言おうとするだろう。
また、頼られる様な感じで意見を求められれば、自分の経験や知識を元に相手のためになるアドバイスの様な意見になるだろう。
意見の求められた時の反応は、その人自身を表している。
私は意見をくださいと言われると、まず戸惑う。
知らない人ならなおさらだ。
なぜなら、私の意見によっては、その相手に悪い印象を持たれたりしてしまうからだ。
そうなると、
悪い印象を持たれることが嫌という気持ちが自分の中にあるということがわかる。
そして、そのせいで意見を発することが億劫になることがわかる。
これは、日本人特有のことなのだろうか?
少し記事を調べてみたら、日本人には多い傾向があるらしい。
昔は農村社会が大半で、村八分にされることを回避することを優先するため、その様な文化的行動が未だ残っているためなのかな?と思った。
また、意見を求められるのは、自分の手の内を見せろと言われている様に感じて仕方がない。から嫌だ。
だから、意見を求める時に、「私はこう思うのですが、あなたはどうですか?」の様に、クッション言葉の様に自分の意見を入れる喋り方があると気づく。
これまで、意見のことを考えてきた。
意見とは、その人の歩んできた人生であったり、経験、性質。その様なことが局所的にわかってしまうことだと感じた。
ただ、意見や主張を堂々と答えられる必要がある世の中になっていると思うので、自分の意見をしっかりと言いつつ、相手のことも思いやる言葉使いができるようにしていきたいと考えた。
頑張って生きていこう。
どうしてもいいたい!
これからは、文章作成練習として、お題スロットで一生懸命文章を作っていきたいと思います。
まずは、1つめ。
「社会に問題が多すぎる。
今の社会では、責任問題が多く取り上げられますが、今まで責任を取るべき人間がうまく回避して、弱者に責任を押し付けていたのではないかと想像が膨らむようなニュースばかりです。
このようなことが、以前はまかり通っていた事実があるように思えて仕方がありません。
これからは、しっかり責任を取って行動をすることが大切になってくると思います。逃げたくなるようなことも多くあるとは思いますが、それらに立ち向かっていく力がなければ現在の社会を維持することは難しいのでしょう。
これから私は、社会問題に積極的なアプローチをかける存在になり、息子、孫の世代までには問題が少なくなっているように生きていきたいと心から思います。」
今回はどうしても言いたいこと、最近感じる憤りを表現してみました。
得をするのは権力があってずるをする人、損をするのは弱くて権力のない人。
そんなような社会の裏側を感じる自分を表現してみました。
これからも頑張ります。