大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(28)・・・巻第20-4393~4394

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4393
大君(おほきみ)の命(みこと)にされば父母(ちちはは)を斎瓮(いはひへ)と置きて参(ま)ゐ出(で)来(き)にしを

4394
大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み弓の共(みた)さ寝(ね)かわたらむ長けこの夜(よ)を

 

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〈4393〉大君の恐れ多いご命令であるので、父上、母上を斎瓮とともに後に残して、家を出て来たことだ。

〈4394〉大君のご命令の恐れ多さに、弓を抱えたまま寝ることになるのだろうか。長いこの夜を。

 

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 下総国の防人の歌。4393「されば」は「しあれば」の約。「斎瓮と置きて」は、斎瓮のように残して。「斎瓮」は、神に供える酒を入れる器。4394の「弓のみた」の「みた」は「むた」の方言で、弓とともに。「さ寝」の「さ」は、接頭語。「長け」は「長き」の方言。家で抱いていた妻と別れ、これからは弓を抱いて寝るのかと嘆いています。故郷を出発したのは2月、東山道を行く冬の夜はさぞ寒かったことでしょう。

 

みもろの神の帯ばせる泊瀬川・・・巻第9-1770~1771

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1770
みもろの神の帯(お)ばせる泊瀬川(はつせがは)水脈(みを)し絶えずは我(わ)れ忘れめや

1771
後(おく)れ居(ゐ)て我(あ)れはや恋ひむ春霞(はるかすみ)たなびく山を君が越え去(い)なば

 

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〈1770〉みもろの神が帯となさっている泊瀬川、この水の流れが絶えない限り、私があなたを忘れることがあろうか。

〈1771〉後に残された私は恋い焦がれてばかりいるでしょう。春霞がたなびく山を、あなたが越えて行ってしまわれたなら。

 

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 神大(おおみわだいぶ)が長門守に任ぜられた時(702年)に三輪の川辺に集まって送別の宴をした歌。大神大夫は三輪高市麻呂(みわのたけちまろ)。壬申の乱の際。大海人皇子側について勝利に貢献。後に持統天皇の農事での行幸に自らの感触をかけて諫める等、天武・持統・文武の3天皇に仕えました。宴の場に三輪の川辺が選ばれたのは、大神氏が三輪山を奉斎する一族だったからです。

 1770の「みもろ」は神が降臨する場所。ここでは三輪山。「泊瀬川」は初瀬の渓谷に発し、三輪山をまわって佐保川に合流し、大和川となる川。「水脈」は水の流れる筋。「忘れめや」の「や」は反語。1770は本人、1771は妻の立場の歌。

 「みもろ」または「神なび」と呼ばれる山は、山容が秀麗なばかりでなく、その山裾を川が巡るように流れている必要がありました。その川を山が「帯」にしているという意味で、擬人化して「帯(お)ばせる」「帯にせる」などと表現されています。三輪山の山裾を流れる泊瀬川は、三輪山の霊威を下界に及ぼす川と信じられていました。

 

ひさかたの月夜を清み・・・巻第8-1661

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ひさかたの月夜(つくよ)を清(きよ)み梅の花(はな)心開けて我(あ)が思(も)へる君

 

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夜空の月が清らかです。その月光のなかで梅の花が開くように、私も心をすっかり開いてあなたのことをお慕いしています。

 

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 紀女郎(きのいらつめ)の歌。前夫の安貴王、そして今度は、年下の恋人?大伴家持の心変わりに出会った?紀女郎。しかし、この歌の相手が誰であるのかはわかりません。「ひさかたの」は「月」の枕詞。「月夜を清み」は、月の光がすがすがしいので。「心開けて」には、男のすべてを迎え入れようとする誘いかけの気持ちが表れています。『万葉集』屈指の妖艶な歌とされます。

 国文学者の中西進は、この歌を評し次のように述べています。「4516首の歌が収められている万葉集の中で10首を選びなさい、と言われても入る歌だと思います。梅の花が月光の中に開花するというだけでも素晴らしいイメージがあるのに、そのように私はあなたのことをお慕いしていると、恋心の比喩として詠んでいます。感性の繊細さ、的確な表現力。近代の詩人の作といってもおかしくない。月光が清らかだから梅の花が開くなんて、そんなことを詠った歌人や詩人は、全世界で何人いるだろうと思います」

 また、詩人の大岡信は、「女性の恋歌としては珍しいくらい、渋滞のない、ひたすらな喜びの表現となっている。たぶん彼女の歌才のゆえであり、美しい歌である」と評し、さらに作家の大嶽洋子は、「私が紀女郎に感心するのは、いつも諦め方が実に潔く美しいことだ」、「恋人に去られたあとで、いつまでもあなたを気高く、清らかに慕っていくという澄み切った境地の歌を残している。まるでこの一首のために恋をしたように」と述べています。

 

天にある日売菅原の・・・巻第7-1277

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天(あめ)にある日売菅原(ひめすがはら)の草な刈りそね 蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に芥(あくた)し付くも

 

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天にある日に因む、この日賣菅原の草を刈らないでくれ。せっかくの美しい黒髪にゴミが付いてしまうではないか。

 

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 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌形式(5・7・7・5・7・7)の歌。「天にある」は天上の日の意で、「日売菅原」の枕詞。「日売菅原」は地名か、あるいは姫菅(ひめすげ:カヤツリグサ科の多年草)の生える野原の意か。ここでは共寝をする場所として言っています。「草な刈りそね」の「な~そね」は禁止。「蜷の腸」は「か黒き」の枕詞。「か黒き」の「か」は接頭語。「芥」は、ごみ。「し」は強意。前句で「天にある日売菅原」といって天上世界の聖婚の場を想起させながら、後句では草を刈ってはならない理由を、共寝する女の髪に芥、すなわちゴミがつくからと卑俗的なことを言っており、前句と後句の落差に面白さのある歌となっています。

 

我が紐を妹が手もちて・・・巻第7-1114~1115

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1114
我(わ)が紐(ひも)を妹(いも)が手もちて結八川(ゆふやがは)またかへり見む万代(よろづよ)までに

1115
妹(いも)が紐(ひも)結八河内(ゆふやかふち)をいにしへのみな人(ひと)見きとここを誰(た)れ知る

 

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〈1114〉私の着物の下紐をあの子が結い固める、その”結う”の名がついた結八川、この川をまた訪ねて眺めよう、いついつまでも。

〈1115〉あの子が下紐を結うという名の結八川、その河内の景色を昔の人も眺めていたというが、それを誰が知ろう。

 

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 「河を詠む」歌。1114の上2句は「結八川」の「結」を導く序詞。男女が交わったあと、互いに相手の衣の紐を結んで再び逢うまで解かないと誓い合ったことを、序詞の形で言っています。「結八川」は、大和国内の川とみられるものの所在未詳。1115の「妹が紐」は「結八」の枕詞。「結八河内」は、結八河の河内で、「河内」は川の両岸一帯。前の歌と同じ作者が、女の家を出て、女の住む結八川の河内を眺め、しみじみと女を可愛く思う心から詠んだものです。

 

東歌(36)・・・巻第14-3465

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高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き放(さ)けて寝(ぬ)るがへに何(あ)どせろとかもあやに愛(かな)しき

 

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華麗な高麗錦の紐を解き放って共寝をしたけれど、この上どうしろというのだ。無性に可愛いくてたまらない。

 

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 国名のない東歌(未勘国歌)。「高麗錦」は、高麗から渡来した錦で、衣の紐としたことから「紐」の枕詞。「何どせろ」は「何とせよ」の東語で、どうしろというのか。「あやに」は、無性に。なお、高麗錦は在来の技術では作れない豪華な模様の織物であるため、東国でこのような高級品を知っていた、あるいは持っていたのは、一握りの豪族層であったと考えられます。それとも、恋を理想化した表現だったのかもしれません。

 

 

「東歌」の作者

 『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。全体が恋の歌であり、素朴で親しみやすい歌が多いことなどから、かつてこれらの歌は東国の民衆の生の声と見られていましたが、現在では疑問が持たれています。

 そもそも土地に密着したものであれば、民謡的要素に富む歌が多かったはずで、形式も多用な歌があったはずなのに、そうした歌は1首も採られていません。『万葉集』の東歌はすべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、民謡そのものでなく、中央側が何らかの手を加えた歌、あえていえば民謡らしさを残した歌として収録されたものと見られています。

 従って、もともとの作者は土着の豪族階級の人たちで、都の官人たちが歌を作っているのを模倣した、また彼らから手ほどきを受けたのが始まりだろうとされます。すなわち、郡司となった豪族たちと、中央から派遣された国司らとの交流の中で作られ、それらを中央に持ち帰ったのが東歌だと考えられています。

 なお、「都」と「鄙」という言葉があり、「都」は「宮処」すなわち皇宮の置かれる場所であり、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指します。「鄙」は畿外を意味しましたが、東国は含まれていません。『万葉集』でも東国は決して「鄙」とは呼ばれておらず、東国すなわち「東(あづま)」は、「都・鄙」の秩序から除外された、いわば第三の地域として認識されていたのです。東歌が特立した巻として存在する理由はそこにあります。

この小川霧ぞ結べる・・・巻第7-1113

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この小川(をがは)霧(きり)ぞ結べるたぎちゆく走井(はしりゐ)の上に言挙(ことあ)げせねど

 

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この小川に白い霧が立ち込めている。たぎり落ちる湧き水のところで、言挙げなどしていないのに。

 

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 「河を詠む」歌。「走井」は、勢いよく湧き出る泉。「言挙げ」は、言葉に出して言うこと。言挙げをすれば霧が立つという信仰を踏まえた歌とみられ、また、この歌から「井」が言挙げ、すなわち誓いの言葉を言う場であったことが窺えます。『古事記』『神代記』にも、天(あま)の真名井(まない)で天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)が誓約を行ったという記事があります。この歌は「井」を否定的に取り上げており、恋の不成就を歌ったものとみえます。