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ペンミ、なんだかんだ日にちが近づいてくれば楽しみ。
自分から負の要素を集めないことで折り合いをつけつつ・・・
撮影解禁とかされているみたいだし、トロッコからのお土産もあるみたいだし
楽しみだなぁ。席はいい席だと確信している。(願望は積極的に口に出す)
コロナ明け、前回のようなほぼライブみたいな構成ではなくなってしまったようだけど、まぁそれはそれでよいか。
2時間くらい、楽しもう。
しかし定番会場が幕張って・・・なんとかならないかなぁ・・・
横アリとかぴあアリーナではもうやってくれないのかなぁ。
当日は4年ぶりくらいの?!お友達と連番で行くから、それはそれで楽しみだ♪
直前の京都旅行でお土産買っていこっと。
何がいいかなぁ・・・リクエスト聞いちゃうのもアリだよな。
きいてみよっと。
動力源
ひっさびさに打ち込む内容がこんなことでいいのかと思いながら。
推しグループの周年記念について、推しの素行不良で完全に萎えている。
違うんだよ…SNSで見たいのは、あなたのプライベートな交友関係じゃなく、
”プライベートのような”あなたの姿が見たいだけ。
恋人でなければ、男女問わず楽しそうにお泊り旅行いってその様子を仲間が
SNSにアップしても問題がないと思っているのかい?
むしろ”本当の俺の姿を見てほしい”とでも?
インスタでそれぞれ個人アカウントが作られたときは、すごくうれしかった。
バクステや仕事の様子とか、その合間のお互いの姿とかがみられるのかと心躍った。
ステージ上では間違いなくかっこいいんだ。
私の一番。
たとえペンサが偏ろうが、いっさい視線が飛んでこなかろうが、
ライブパフォーマンスを見に行っているんだから、と思えた。
いやーでもやっぱ、「え?」ってなるじゃん・・・
お仕事なんだからさ…って。
相棒は、担当じゃなくてもわかるような匂わせだったり、プラベの発信しているかい?
してないよね?(多分)
指輪つけてたのも、その後絶対見せなくなったよね。
そういうもんだよね。
商品だもん、お仕事だもん。
しかも20周年で、正規アルバムだすよ!!って告知でて、
ひゃっほー!!!!ってなるはずが、楽しそうなプライベート写真で台無し。
プライベートの自分が大事なのも結構だけど。
そういう優先順位だってことなのね。
残念だよ・・・ほんとに残念。
応援したいのに、ばかばかしいと思ってしまう自分にも残念。
今日はペンミの当落だけど…なんだろ、微妙。
自分が自分を進めていく
お仕事、決まりそうです。(2/18の出来事)
というのも、インターンを終え最終の回答待ちだからまだ未確定。
まだ予定は未定、と自分に言い聞かせている。
さて、その経緯を振り返る。
それにはいくつか振り返ったことがあるんだけれど、それを整理しておこうと思う。
心と思考のズレ
ひたすら事務系求人を大手求人誌やハローワークを眺める日々。
給与、休日、残業時間。
応募に必要な志望動機と履歴書と職務経歴書。
すべてが苦痛。
気乗りしない。
でも、働かなきゃ。
”ちゃんと”働かなきゃ。
焦りや後ろめたさ、なんでちゃんとできないのか。
自分の価値がわからない、そもそも価値があるのかないのか。
私って…わたしって…?!みたいになっていた。
そんな時、ツイッターで”インナーチャイルド””解放””癒し”という言葉を発信していた一つのアカウントがたまたま目に留まった。
(そういやてての曲名にもあったな…)
そんな程度の認識でそのアカウントのツイをさかのぼっていくうちに、どんどん自分の心がザワザワし始めて、涙が出たのよ。
つらい悲しいとか、そういう感情がどばーっと堰を切るようなとでも言ったらいいのか。
自分が意識できている部分以外にも溜めにためていたものたち。
それに、気づいた。
インナーチャイルドは、読んで字のごとく
”自分の中の子ども”
幼少期に両親や周りの環境に触れ形成された思考パターンのこと。
本来は自由なはずのインナーチャイルド。
だけど、成長するにつれ、その魂を閉じ込めてしまったり忘れてしまったり。
これを取り戻すことで、抑圧や否定から解放され、自分にとって良いこと、自分の望みをしっかりキャッチできる…らしい!!
縮こまってしまったインナーチャイルドを癒してあげる。
抱きしめてあげる。
認めてあげる。
ゆるしてあげる。
…ここから4月17日に至ったわけだけれども(笑)
現在私は、仕事をしている。
もう一か月が過ぎて、初のお給料も手にした。
手取り8万円…最低賃金の週四の六時間で控除もろもろと思えば妥当。
しかしこれでは生活が・・・・・・
できなくは、ないけど、今までのことを見直して変えていく必要はあるか。
ワクワクに飛びついて飛び込んだ業界。
優秀な先輩、かっこいいボス。
あれだけ避けようとしていた少数精鋭企業だけど、
楽しい。
歯車に変わりはないけど、より動力に近い部分な気がする。
外向けの対応などの指導があまりにも…やってみろ的な感じで、
なんもわからないし、すごいプレッシャー。
「できるだけ性格悪い人間になれ」って言われているけど、
すぐ謝っちゃうし、嫌味言えない。
でも、ちゃんとしてもらわないと困るのはこちらだから、
何がどうしてどうだからどうしてほしいっていう要求ははっきり主張しないといけないんだというのはわかり始めた。
あとはモノを売る商売なので、その商品のことや、販売システムをしっかり頭に入れなくては。
これは教えてもらうもんじゃない。自分から学習していく必要がある。
あとは…ここはボスのものだから、独創性を求められてもあくまでボスの好みに適う必要がある。
私はここで、知識と技術を身に着けて、
50歳くらいになったら海と温泉の町に移住して、そこで暮らしていきたいな。
その時、身に着けたノウハウや、見つけた商品で商売ができたらいいし、
そうじゃなくて、その町で働き口を見つけるのもいいかもしれない。
仕事決まる前までは、自分の価値だの自信だのゼロで怖かった。
でも、いざ未経験の未知の業界に飛び込んで、なんとか一か月、形になってきてた今を思うと、これから先も、ポーンっとどこかに飛んで行っても、何とかなるだろう。
そんな、予感がした(笑)
しかしそうはいってもまだたったの一か月。
でっかいしくじりもしていない。
できれば一生したくない(笑)
成長の仕方は人それぞれ。
私は不安や怖れに躓いて立ち止まってしまうから、それを避けていくのだって一つの作戦だし努力だわ。
でも何かあったら、きっとボスが助けてくれる。
最後は自分の責任だからといいきるボスに、惚れている。
そりゃ自分の会社だし、バイトの分際の私がどうこうってもんじゃないのはわかっているけど、それをあえて宣言してくれるのは心強い。
同時に、面倒だから自分の出番は作るなよっていうプレッシャー(笑)
でもほんと、今まで、何か起きたら全部自分のせいだって抱え込もうとしていたから、ほんと、ありがたいんだ。
って感じで、日々、ギリ、ビクビクよりもワクワクが勝って
毎日をやりくりしている。
ちょうど、適応障害発症してから一年。
三か月前までは想像もできなかった。
でも今、私は派手髪ピアス姿のまま仕事ができている。
漠然とした将来のイメージを、より少し具体的にできた。
自分は、どうしたいのか。
心地よいこと、ワクワクすることを、
誰のためでもなく、自分のために選んだから掴めた。
そう思ってる。
これからも、つらくなった時は何がつらい原因か、
そこから自分がどうしたいのか、どう思っているのか。
しっかり自分と話し合いながら、ワクワクする方向に進んでいくぞ!
新年だ!一粒万倍日と天赦日らしい
1月11日
ぞろ目の日。
そして一粒万倍の天赦日とかいうとても良い日らしい。
物事を始めるのにはとても良い、オールオッケーな日。
なんとなく正月あたりにそんな日どりがあるのねって流し見をして、
今日も半分を終えたところで何かの記事を目にして思い出した。
そして今日は私の愛しい友人の入籍日。
生憎のお天気だけど、彼女の新しい出発を祝い、幸せを願う。
さて、新年あけました。おめでとうございました。
前回日記の考えとかもすべて忘れて今。
面接は行ったけど結果残念で、年の瀬という謎の空気に飲まれて、根拠というかアドレスのない不安に飲まれ悶々も最高潮。
年末のああいう気持ちが爆発して犯罪が増えるのかななんて思ってみたり。
そんなある日、見かねたのであろう妹、近所スーパーの年末バイトを勧めてくれた。
「社会復帰第一弾にしてみれば?」
この一言に救われた。
早く定職につけとか、そういうんじゃなくてやってみれば?って言ってくれたのがあの時の私にとって、何よりも救いになった。
さっそく私は応募、面接を経て一か月バイトが決まった。
なんと、水産部門!
面接のときに、レジ希望ですか?って聞かれたときに品出しがいいと答えたら、
すごい前のめり気味に水産を勧められ、面白そうだったので即決した。
履歴書を見て私の現状を把握したのか、社員雇用までのプロセスも説明された。
まぁ結果、年末だけで契約終了にしたんだけど、やってみた感想はめちゃくちゃ楽しかった。
刺身のトレイをラップする機械にひたすらトレイを流したり、シールを貼ったり、調理にはならない程度の量り詰めや、魚を洗ったり…ひたすら作業をして、たまに店頭でお客さんの問合せ対応して…楽しかった。また短期の使い捨てバイトだからそれ以上のことを考えなくてよいし、相手も教える必要がないから気楽だったのだろう。
こんなに楽しかったのに、続けなかった理由は勤務体系。
することもないし別にいつ休みでもいいやって思ってシフト入れていたけれど、やっぱり土日休みのありがたみを感じた。
それから、社員の残業時間の多さ…基本7時間勤務だった私よりも全然早く来て遅く帰る彼ら。休みはちゃんとあるけど、それ以外の部分で私は同じように働くのは考えられなかったなー!年末年始なんてめんどくさいから泊まりたいとか朝と夜の区別がつかないとか笑ってたけど、あきらか顔死んでたし(笑)
最初の面接時、年収の説明もあったけどそりゃあんだけ残業してれば出るわなっていう結果だった。休憩時にバックヤードでは別部門のワイルドすぎる大声聞こえてきたり、まぁ業界的に荒いのは想像してたしそれが私に降りかかることはなかったけど、使い方が徹底的に荒い、事務のお局連中がやばい、なかなかに殺伐としたところだったので長居は無用だった。
しかし、いい体験ができた。とても感謝している。
年末31日でシフト終了し、無職に戻った。
でも去年末の状況とは少し違う。
一か月働いて、それなりに動けて、自分への自信を少しだけど取り戻すことができた。
”何もできない役立たず”という思いが、軽くなった。私でもちゃんと役に立った。
少なからず自信がついた。
あとは、次はどんな仕事をするか、だ。社会復帰第二弾。
今回のバイトを通して、現場仕事は楽しいし接客も嫌いじゃないから仕事として苦ではない。が、生活のリズムとして土日休みがいかに自分にとってウエイトを占めているかが分かった。っていうかできるだけ自分の都合一番でやりくりしたい(笑)
クラウドワークスでちょこちょこ在宅の仕事みているけれど、メインの収入にはならないだろうし、サブサブの組み合わせで月25万くらい作れたらいいか…社保も入れればなお良い。
めっちゃ都合よく考えているけれど、それを叶えるかどうかは誰かが叶えてくれるんじゃなくて自分で叶えれば何とでもなるはず!
誰かの生き方と同じに生きるのは難しい。。。ならば早く自分の生き方を見つけるんだ。まずは収入と生活…それは変わらないけどな…!!!
私の選択肢
ハロワの失業給付の期限を迎えたけれど、コロナ関連での延長措置があり、年内は完全な無収入になることは免れたようだ。
金曜に盛り上がった考え事はもうちょっと熱が冷めてしまって、続きの考えを忘れてしまった(笑)
それでもずっと、頭の片隅でふんわり考え続けているのは仕事の仕方について…
私は所属するより、自分で何かしたほうが向いているんじゃなかろうか。
このまま年内、どこにも就けなければ確定申告とか自分でするわけでしょ?
そうすると、あのくそめんどくさい年末調整の個人バージョンを経験できるわけで…そこで収入の申告の仕方とか覚えれば、あとは自分で稼ぐことを繰り返す…
まぁ、こういうのって働きながら考えて準備して満を持してやることなんだろうけど(笑)
仕事というプレッシャーがきっと何よりも嫌いだよ私。
働く=会社に所属してお給料をもらう=働きが悪いといけない=努力しないといけない=成長しなければいけない
こんな感じの考え方に囚われて自分で首絞めてしまう。
でもお給料をもらう以上は、そうあるべきという考えが強く、なんとなくやり過ごすとか、そういうことはできないんだ…。
でも何のためにそうするんだろう。
私は心のままに自由に生きたい。幸せ~って胸張ってたい。
そのために必要なことを手に入れる対価として苦しい思いやつらい思いをしなければいけないなんてことはないだろう。
会社に行ってないから何?結婚してないから何?
家族に心配かけているのは申し訳ないけれど…そのために自分を苦しめる選択をしないといけないの??
思春期全開!みたいな内容になってきているけど…年齢なんて関係なくて、そうあるかないかで常に付きまとい向き合うべき考えなんだよね…。
自分のすすみたい方向とか、心地よいことの追求。
自分で作って、自分で叶えて、手に入れるんだ~。
といいつつその一方で、会社員という形に縛られてもいるので、就活している。
すごく矛盾を感じるけれど、先立つものは…。
徒歩圏内で、給与は前職よりも少し増えるかもしれない企業の面接がさっき決まった。
いや、スタートが低くても昇給制度と賞与実績が大いにある。早くも不安と緊張のあまり落ち着かなくなってPCに向かっているわけだが…こういう気持ちになるのがそもそも嫌なのよ(笑)
誰でもそうかもしれないけど、他人のことはしったこっちゃない。
相手の期待通りに見せたい、見られたい、そんな気持ちが働いてしまう。
でもそれやると結局自分の中で壁にぶつかってしまうんだ。
面接が終われば一生関わることもないかもしれない相手に、そこまで自分をよく見せる必要もないはずなのに。
ありのままで受からないならそれでいいのに。いいのによくない(笑)
考えても仕方ないか…。
とりあえず…面接に着ていくジャケット用意しなきゃだな…ズボンも…ヒールは…磨けば何とかなるか。いや、ぺったんこパンプスにしよう。
募集の年齢制限超えているけど、まぁ検討しましょうって感じで履歴書受け取ってもらったから正直面接進んだことに驚いた…。またタダだしね、とりあえず見とくかって感じかな。私もそんな感じで、気楽にね…性質的に無理だろうけど(笑)
個人事業主の考えはもう少し深めていこう…まず生活できるまでの収入見込みをどうやってたてるのかとか、ね。
でも、そうやって自分で稼ぎたいな。
自由にあっちこっちふらふらしながら仕事して、ネイルも髪もいつも好きな色にしていたい。
関心と気力、継続力。へぇ、はぁ。
部屋の模様替えは終わったようで終わっていない…
位置は決まった。あとは一時的に詰め込んだ荷物を元に戻すのだが、
それが終わらない(笑)
いっそ、捨ててしまっても問題ないモノたちばかりかもしれない。
いや、困るものもあるからちゃんと確認しないと…と、数日経過。
まぁ、ぼちぼちやろうね。それか次の波を待とう。
どっちでもいい。
さて、小さなバネ効果はまだ少し残っているようで、考え事をする余地があるらしい。
ただ、行動を起こすことに、継続できるかがわからないし、できなくなった・ダメだったという結果を作ることに対しての躊躇もある。
もともとミーハー心、一瞬で爆発してそのまま燃え尽きるかエネルギーに耐えられなくて消失するか、その中でダイアモンドができるか。って感じ。
できるのよ、奇跡的に。
そのダイアモンドは、友達だったり自分の感覚だな、と考える。
具体的な、「〇〇が好きで〇資格を取りました」とか「好きすぎて〇しました」みたいな目に見える、もしくは見せられる成果というものはな…い、か?
本当に?
私の頭の中、コロコロと転がる石たちはこれまでの私の、紛れもない成果じゃないか。
今継続していないことは、できなかったんじゃなくて終了もしくは修了したと自分を評価すべきではないか?
または中断。
よくあるじゃん、「無期限活動休止します」みたいなやつ。
いつでも再開できる。
全部原石。
誰かの評価を求め恐れるあまり、先に自分で切り捨てて蓋をしてしまう。
そもそも誰かに、みんなに見せびらかしたいものなのか?
私自身が身に着けて、眺めてウフフってして、キラキラできたらよいのでは。
でもやっぱ、どう見られるかとか、よく見せたいとか思ってしまうのよね。
見せ方は、少し考えるほうがいいのかもしれない。
あともう少し、ぐつぐつが足りないな…また後で読み返して考えてみよう。
ひとまず、今日はハロワ認定日。
どっこらっしょっと行ってきますかね。
お部屋を模様替え
おとといの吐き出しからどうやらバネを得たようで…
昨日は一日自分の部屋の模様替えをおこなった。
一番の目的は、PC周りを快適にすること。
どうしても限りある部屋面積にがちがちにはめ殺された家具類はおそらく、もっともデッドスペースをなくした形で、我ながら最高傑作だと引っ越し当初は思っていた。
しかし日々状況は変わっていくもので、当初部屋には置く予定がなかったキャットタワーがそびえ立っていたり、仕事を辞めて家にいることがメインとなったりしている。
とくに問題なのがキャッタワとPC机が異常に近くなってしまい、私はいつも肩をすくめ椅子を引き、ぎゅっとした態勢でいなければならないことだった。
その不満が、先日の1,700文字中に沸々とモクモクとメラメラしてバーンしたようだ。
はめ殺しレイアウトの解体は厄介だ…一つだけを動かすことができないし、今回やろうとしたのは一番でかいやつを窓際でなく壁際に動かそうとしたのだから。
まず、部屋の中身を全部廊下や別室にだす。
タンスは引き出しを引っこ抜き、そのまま運べるチェストは引き出しをテープで固定、散らかった服やらなにやらは大きな袋にボンボン入れて別室に。
寝具すなわち睡眠は人生…
ということで奮発して買ったドデカ分厚いマットレスもぐいぐい引きずってベランダで日光浴。いいの、直置きでも。太陽光殺菌だから。
最大の敵、窓際の壁と壁にきっちりはめ込まれたベッドフレームはもちろん一人では持ち上げられるわけもなく、心の中で階下住人に謝りながらズズズ…ゴゴゴゴゴゴ…ギギギギギ…
隙間に余裕ができたら6本の脚すべてにそのへんのものを噛ませた。ふと気づいたけど…どうせまた大規模改修とかするんだろうからもう足に靴下はかせればよかったか?
…いや、見えない部分が増えるのは好きじゃない…だってこまめに管理なんてしないから。
汗を垂らし時に鼻水も垂らし、うちにいる猫の手は邪魔ばかり…
ベッドの露出したすのこ部分に興奮したのか、ダッシュで飛び乗るけど踏みぬけてこけてたり…肉球とれるんじゃないかとヒヤヒヤした。作業中心配なのはそれだけではない。ひとりでやっているもんだから、うっかりケガをするわけにもいかない。
大体こういう場面で想像できるのは、家具の下敷きで足の爪割るとか剝がすとか、足元のごちゃごちゃに引っかかってコケるとか、とか。
幸い誰もどこも負傷することなくPC机の移動をメインとした配置換えが完了した。
窓際に机を持っていき、のびのびとPCに向かうことができるようになった。
部屋の見た目が変わると、それがなんだか日々の免罪符のような気もしてくる。
漠然とした、何かしなきゃって気持ちや、何もしていないという自分から自分への非難を少しは和らげられる気がした。