ゆんもブログ

子育てする中で感じたこと

みちるのさんすう教室

 長女のみちるは小学校1年生も終わりを迎え、もうすぐ2年生になろうとしている。今私が注目しているのが、シュタイナー教育を自宅でできるというコンセプトのさんすう教室だ。

 きっかけは、学校のさんすうの教え方に対する疑問からだった。このままではみちるはさんすうが嫌いになるのではないか、このまま放っておいたらダメだ!と思っていた矢先に出会ったのがこのさんすう教室だった。

 このさんすう教室は、一回一回が本当に丁寧で、数字を身体を使ってリズムで感じて、お話から数の足し算や引き算などを絵に描いていくことでイメージとして覚えていく。これがとってもみちるにはあっていたみたいで、毎回毎回本当に楽しみにしている。なぜ絵で教えるのかを先生に尋ねたところ、学校では本当に色のない教え方をしていると、でもそれは勿体無いことで、この時期の子供の頭は本当に発想豊かでイメージを膨らますのが得意。なのでそれを最大限引き伸ばして教えていく方法が絵を描くという作業なのだという。それを聞いてさらに納得でした。

 シュタイナー教育は、人の本質的な成長を大事にしている。子供のなぜ?どうして?にちゃんと答えようとしてくれる。個を大事にしてくれる。なんだか自分自身も大事にされてる気持ちになる。ということで、これからもそんなありがたい出会いを大切に続けていけたらなと思っている。

不器用な親子

長女と次女は全く違ったタイプの女の子だ。長女のみちるは私に似てとても不器用だなと思う。うまく自分の感情を伝えられないから、逆に変なことをして怒られて損するタイプ。わかっているんだけど、だからこそ私もそこを許せない。。だいたいどうしてあげればいいのかわからないのだ。

みちるの場合、そもそもそれ自体意識してやってるわけじゃないし無意識にそうしてるわけだから、本当はそう思ってないのに不器用だなと思っているのは私なわけで、みちるじゃない。だからみちるは困ってないのかもしれないなぁ、とも思う。要するに自分と似てる嫌な面が見えると嫌なのは、自分がそれを嫌なところだと思っているからで、みちるはまだそれを嫌なところだと思っていないのに、もしかしたら私が自分を責めているせいで、みちるにそれが悪いことなんだということを教え込ませてしまっているのかも。なんて頭でグルグル考えている私。

色々な疑問はあるけど、みちるにはきっと友達の存在が必要なんだろうな。早く幼稚園に行って色んな友達に助けられたり、助けたりいっぱい揉まれて感情をいっぱい揺り動かされることが彼女には必要なことなのかもしれないと改めて感じている母なのでした。

 

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ロバハウスに行ってきました♪

この前の日曜についに立川にあるロバハウスに行ってきました☆ロバートバーロー遊びの冒険という、ロバの音楽座のイベントではなく、ロバートバーローという5人組のやってるイベントなんだけど。

ロバートバーローははじめてだったけど、やっぱり思っていた通り自由な表現と自由な発想、心躍るリズムと音と自由なダンスとで私の五感を常に満たしてれたひとときで、心がほっこり温かくなりました。子供の心をギュッと掴んで引きつけ離さない彼らの表現力は決して派手ではなく、むしろ日常で私たちがふと何かの瞬間にそんな表情になるだろうと予測できるくらい自然な表情で、それをあえて表現として伝えようとするところにその魅力があるのだと私は思う。普段私たちはいっぱい笑ったり、驚いたり、悔しがったり、喧嘩したり、泣いたり、悲しんだり、楽しんだり、喜んだりいっぱい表現している。でもそれは日常すぎてそんなことはほとんど忘れてしまう。子供と過ごす日々で気づいたのは、その普段なら日常すぎて通り過ぎていってしまう一つ一つに名前をつけて、かけがえのない一日一日を生きていくことの大切さ。私たちは大人になるに従ってたぶん自分の一つ一つの感情にちゃんと向き合うことを忘れちゃったのかも。だから子供は私たち大人にとって日常の面白いことを発見して自由に表現できるという才能をもった先生なんだ。ロバートバーロー遊びの冒険を振り返ってみてそんなことを感じた。

ちなみに、ちあきはご覧の通り真冬の立川でノンスリーブ。ロバハウスに着くまでに何人の方々に元気だね〜などの驚きの声をかけられたか、ロバートバーローの方々からは元気っ子が来た!と喜ばれたか、母親の私もびっくりの次女なのでした☆

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私にとっては挑戦!

今日は竹林まつりというプレイパーク 主催のイベントに行ってきた。前の日から来てくれていたばあばと一緒に。駐車場から歩いて公園のそばまで来るとだんだんいい匂いがしてきた。お鍋で何か作っている匂いに、突然昔の記憶が蘇って懐かしさを覚え、足取りが早くなる。みちるもちあきも歩いたり走ったり、葉っぱを拾ったりしながら公園の入り口まで歩いた。

公園の木々はもう紅葉していて、イチョウの黄色もいい感じに色づいている。世間は秋だな〜としみじみと感じる。あのいい匂いの正体はすいとん汁だった。会場は混みすぎず、いい感じの賑わいだった。早速目をつけたのがシャボン玉、でもなかなか順番が来ず、隣の的あてをすることに。割り箸で作った鉄砲で大根の角切りを的にあてるのだか、みちるがハマり、2回的にあてることができた事をとても自慢そうに話す。そのあと松ぼっくりでクリスマスツリーを作ったり、風車をつくったり楽しんだ。ちあきは人見知りが激しくて、なかなかやろうとしなかったが、ツリーは頑張って最後まで自分のオリジナルを作ることができた。

お昼はすいとん汁と揚げパンを買って、持ってきたおにぎりと一緒に食べた。すいとん汁は本当に美味しかった!みちるは一杯をきれいに食べた。ちあきもばあばに口に入れてもらいながら、たくさん食べられた。

その後は、スライム作り、砂場遊び、ダンボール滑り台などなどしながら過ごした。都会の横浜でもこうやって幼稚園のママのつながりで誘ってもらって、子供と自然の遊びができることのありがたさを感じた。自然の中というのは結構不便なことが多い、その中で何かこういうイベントをしたりするというのは結構エネルギーのいることだと思う。炊き出しをするのも普段とは比べものにならない大変さがあると思う。でもだからこそ、みんなが協力し合うし、今の時代ちょっとぐらい不便さをみんなで共有するっていうのもたまには大事なのかもしれないと感じた。みんなの表情も自然とほぐれてくるし、私も最初に来た時とは違って帰る頃には気持ちもあったかくなった気がする。

こうやって野外のイベントに参加するのはまだまだ慣れてなくて戸惑う面もいっぱいあるけど、これから子供と参加していって、みんなで楽しむことを通して人間としていっぱい成長していきたいと思った今日一日でした!

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私の子育て、子供の幸せ♪

今年の4月以前は山口県下関市という場所に住んでいた。旦那の転勤で現在は横浜市で生活をしている。下関で子育てをしていた時とこっちの横浜での子育ての環境は少し違うのではないかと思う。薄々感じてきているのは、道を歩く時、公共の場所に行った時の注意の回数が増えたこと。おのずと迷惑をかけないようにということを考えることが増えてしまっている。下関にいた頃は、道でふらふら歩いていても、時には座ってもそこまで迷惑を気にしたりしなかった気がする。市街から少し離れれば人の手が入っていないような海や山があったりして大人も子供も自由に自然の遊びができる。だからあれしようかなとかこれしようかなというのが考えやすいし、行動に移しやすい。それに比べると横浜市は自由に遊べるといっても、限られた場所で限られた遊びしか許されないように感じる。よく言えばきれいにおさまっている、悪く言えばはみ出すことが出来ない、はみ出すといえば夜の暴走族だとか。だからたまにとにかく何かではみ出したくなる。既成概念から外れたくなる。求めるものが違う人は私のようには思わないし、ゲームやメディア、娯楽で紛らわしながらバランスをとって生きているのかもしれない。少なくとも子育て中の今の私には生きる意味とか命の尊さとか自然の偉大さとかを子供と分かち合いたいのだ。もしかしたら下関にいた頃のようにみちるやちあきと一緒に自然の中で遊ぶ機会が減ってしまったからそう思うのかもしれない。ただ山の中に行って葉っぱや枝を拾ったり、木苺たべたり、野草食べたり、地べたに寝そべってみたり、時には大声で叫んでみたり、木に登りたいだけ登ったり、自然の中で自由に伸び伸びとする体験は都会では難しいということを感じてしまう。周りには習い事を始める子も出てきている。色々悩んで当然の世の中だし、どんな選択肢を選ぶかは自分次第だけど、これから生きていく子供の幸せを考えたらどうしていくことが正解かをよく考えることが大事だなと改めて感じている。私自身も親の愛情が足りなかったとか、親にああして欲しかったとか、親のせいにしていた時もあったけど、今は親に感謝している。矛盾もいっぱい感じるし生きるのが大変だけど、私がこんなに自分の求めるものに従って生きていくことができるのはそこを否定せず私の大事にしているものを守って育ててくれたからなんだと思う。だから私も自分の子供の生まれながらにして持っているものを守ってあげたいと思う。そのためにどうしたらいいかとかんがえるのが親の私にできる唯一のことなのだと思う。親は子どもがどれだけ後でしてくれたことに対して自分に感謝してくれるかとか愛されたと思ってもらえたとかじゃなくて、どれだけこの先も迷ったり不安になった時に自分の子供を信じていくことができるかが大事なんだと思う。今日もちあきと公園で遊んだ。切り株に葉っぱの飾りの舞台を作って歌姫気分♪私はこんな事をしながらちあきの楽しいをいっぱい一緒に感じたいと思う。

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相模原公園

今日は家族4人で県立相模原公園に行ってきた。自宅横浜からは約1時間。車の運転は遠出の下道の場合はまずもって私に任せる旦那。渋滞に巻き込まれながら1時間10分、公園に到着。車から降りるなり、みちるははやる気持ちを抑えきれない様子で、まず落ち葉を拾っては『こんな形してるの珍しい!』と枯れて内側に丸まった葉っぱを私に目を輝かせ見せる。私が薔薇の花に興味を示すと、駆け寄り触ろうとする子供たち。薔薇はトゲがあるから危ないよと言いつつ薔薇を鑑賞し遊具のある方に向かう。犬の散歩をする人たちも多くいるのだが、犬に興味を持ちつつも、怖くて触れないちあき。みちるが駆け出すとちあきもそれに連れて走り出す。車の中でお腹すいたと言っていた子供達も遊具を発見すると嬉しくて早く遊びたいという気持ちが全開だ。おなじみのポップアップテント を広げて荷物を置くとすぐに遊びに出かける2人。みちるは家から持ってきたお砂場セットを持って砂遊びを始めた。砂遊びならどこでもできるじゃんと思いながらも、みちるの今やりたいことが大事と思って見守る。バケツに砂を入れること数分、遊んでくる!と言って滑り台の所へ。子供は一つのことをずっとしていることはないし、一つのところに止まっておくこともない、そういうもんだよな、と一人納得する私。その間ちあきはパパとあちこち遊び回る。ふと、周りを見回すと私と同世代のファミリーが沢山。子供の行く先々について回る親たち。私もそうだけど、どんな人でも親になったら同じことやってるんだよねって思う。私たち頑張ってるなっていう思いになる。子供のために計画を立ててわざわざ休日にお弁当作って。そんなことはお構いなしな子供はただ元気いっぱい遊ぶだけなんだけどね笑。色々観察して分析するのが好きな私はいつも色々な家族を見ると色々妄想してしまう。それはさておいて一言で言うと、こんな公園にわざわざ朝から子供を連れてきて遊ばせてあげようっていう親に悪い人はいない、むしろ偉いなと思うということだ。

お昼を食べて午後もまたみちると砂遊びをしていたらちあきも一緒にすることになった。ひたすら深い穴を掘り続けるみちる。ちあきがその穴に砂を入れ始めたとたんみちるの奇声が響く!ヤバイ!と思った私はちあきに違うところに穴を掘ろう作戦を思いつき、それで乗り切ることができた!子供のそういったちょっとしたいざこざはよくある。対処出来なくてひどいことになる時もあるし、このようなお膳立てでなんとかなる時もある。自分の子供同士ならまだしも他の子供とのいざこざは対処が難しい。しばらく砂遊びをしていたら、みちるより少し年上の男の子とその妹が一緒に遊びたいとやってきた。その妹がスコップを持つとちあきが私に目をやったので、私は貸してあげなと言う。ダメと言うだろうなと思ったら、今日はじっと我慢している。バケツに砂とどんぐりを入れてどんぐりご飯を作っているらしいのだが、入れたどんぐりをその妹が取ってしまった。ちあきの顔がだんだん不満そうになってくるのがわかる。そこで私がすかさずその妹にこっちにもドングリあるよ〜と促すとそっちに目をやったので一安心。それを見ていたお兄ちゃんが悪いと思ったのか見つけたどんぐりをちあきのどんぐりご飯の中にどんどん入れてくれる。そのお兄ちゃんのお兄ちゃんぶりになぜだか嬉しくなった。大きくなってもそのみでいて欲しいなと思う。

秋のコスモスを見て、葉っぱのパリパリを踏みながら秋の公園を家族4人で楽しんだ。

こうやって過ごす休日がいつまでも続きはしないからこそ、こんな風に過ごしたことを子供に覚えていて欲しいなと思う母なのでした。

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