”マララが見た世界”を読んだ感想
雨が強く降り続ける今日この頃
マララさんの本「WE ARE DISPLACED-マララが見た世界-私が出会った難民の少女たち」を読みました。
マララさんがパキスタンで襲撃を受けてからイギリスへ行くことになった経緯、
世界各国で「生まれ育った故郷」を離れ、全く知らない地で住むことになった女性たちの話。
悲しい辛い過去を抱えながら、前向いて生きていく彼女たちのストーリーを読む中で、いかに自分が恵まれて、安全で、平和な場所にいるのか、そしてそれを当たり前として過ごしていたのかを感じずにはいれませんでした。
綺麗なお水がいつでも手に入り、エアコンで温度調整が自由にできる快適な家に住み、
何食べようか、どこのカフェでなにしようかってことに頭を抱え、ニキビができたことでひどく落ち込み、まるでこの世の終わりかのように嘆いている自分。
そんな日常を持てることがいかに恵まれていることか、考えさせられる時間でした。
「今日を生きるのに必死な人がたくさんいるのに、自分はここで”普通”に生活してて良いのか?それもなんか違うのではないか?」
5年前ジンバブエから戻った直後にそのようなことを感じて、でも何もできずに苦しかったのを覚えています。
でも時間が経つと共にそんな気持ちも忘れてしまいます。
今この本を読んで
「世の中で何が起きているのかを知ることが大切」だと改めて思いました。
世界には難民で苦しんでいる人がいるから、じゃあ自分も今ここで今の生活を全て手放して、同じような生活をしろっていうのは違うし現実味がない。
もちろん現地に行って活動する人もたくさんいるし凄いことだと思う。
でも全員ができるわけじゃない。
じゃあ自分ができることは何だろうと考えたときに
自分の今の生活が決して世界では”当たり前ではない”ということ知ることではないのか。
それを知るだけでも大きな一歩になるになるのではないか、と思いました。
そしてそのことを忘れずに
「今目の前にあることに全力で立ち向かう」
それが仕事だったり、勉強だったり、家族との時間かもしれない。
人によって違うけれども、全力で目の前のことに臨むこと。
大きな世界に目を向けると、自分がちっぽけに感じて無気力になる時もあるけども、
自分がいる場所を覚えて、感謝して、前に進むことが「今ここで出来ることではないか」と励まされました。
もしかしたら、その姿が誰かの希望になるかもしれない。
その全力で進んでいるところから、広がりが増えて
何か違う形で世界で起きていることに携わることができるかもしれない。
自分が気づかないうちに誰かの助けになってるかもしれない。
今している仕事や、携わっているプロジェクト、学校の勉強、子供との時間、など
人によって違うけれども、みんながここにいる意味がある。
だからこそ自分のいる場所で今できること、するべきことをしていこう。
渡辺和子さんの
”置かれた場所で咲きなさい”
その言葉がしっくりきます。
そして”自分にとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前じゃない”
それを忘れずに、感謝しつつ、今を生きていきたいですね。
そんなことを感じた今日この頃でした。
:)