縁
「そうだ、この一連の流れを総称して“縁”と呼んでいる。まあ一般的には運と呼ばれているので、そちらのほうがイメージが湧くだろう」
私は少なからずこの運に関しての話に興味がでたので質問をしてみた。
「この“縁”というものは“情け"と”感謝”のふたつが行われないと発生しないのですか?」
「その通り。例えば“情け"を与える相手が拒否したらそこで“縁”は成立しない。また“情け”を与えた人間が自分のところにきた“感謝"を受け取らない場合も縁にはならない」
「なるほど。“縁”が成立しない場合は当然のことながら他人にも連鎖しないですよね。」
フリィップ氏はさも当然という風にかぶりをふった。考えてみれば、条件を満たしていないので当然のことだ。
「また“縁”の力は介在する人間が多ければ多いほど、その力は増長する。そしてスピードも早まる」
能力
「君とある取引がしたい」
ひとしきりの雑談を終えたあと、フリィップ氏はこう持ちかけてきた。
雑談の内容は家族関係のことから、友人関係の話、そしてとりわけ突っ込まれたのは、私の病気に関する話だ。
「今まで過去に重大な病を患ったことがあるか?」
「手術の経験はあるか?」
「家族でうつ病や統合失調症等の精神疾患にかかったことがある人がいるか?」
これらはほんの一部だが、概ねそういった類の質問をされた。
私は健康だけが取り柄といってよいほど病気とは無縁の人間だ。健康診断では常に問題なし。虫歯の一本すらない。もちろん答えはすべて、いいえ。
フリィップ氏は隣にいる例の美人と目配せし、その美人はなにやら一心不乱にパソコンに入力している。
また例のハンサムもこちらを見ながら微笑をたたえ直立不動を維持している。
「取引ですか?」
「そう、取引だ。それも君との個人的な取引」
「つまりビジネスではないと、フリィップさんと私の直接取引ですか?」
「いかにも。君は運についてどれくらい信じているか?」
「運ですか?それは運の存在は否定してはいませんが、運の良し悪しは解釈によるのでは?」
「そう、運とは不確実性が伴うものでコントロール出来ないもの、また天から降ってくるようなもので非常に曖昧なもの。一般的にはそういう解釈だろう」
フリィップ氏は碧眼を光らせながら静かな口調でそういった。
「ええ、私もそう思います」
「これから話す内容はやや荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、よく聞いてくれ」
そしてフリィップ氏は紙とペンを持ち出しなにやら書き始めた。
「日本では古くからの諺に“情けは人のためならず”という諺があるね?」
「ええ、他人にいい行ないをすれば巡り巡って、自分にいいことが返ってくる、そういう意味でしたね」
フリィップ氏は紙に自分と書きその周りに円を書いた。そして同じく他人と書きその周りに円を書いた。
そして自分から他人の間に矢印を書きその上に“情け”書いた。
「この一方向の流れを“情け”と呼ぶ」
私はとりあえずフリィップ氏の話を全部聞こうと集中していた。
フリィップ氏はふたたび円をランダムを書き始め、その円の中に他者と書き始めた。そして今度はビリヤードが玉突きを起こすように直接を書きそれらを連鎖させるように繋げていった。
「こういう一連の流れで“情け”は連鎖する」
そして今度は始めの自分というところに直接を繋げた。その直接の上に今度は“感謝”と書いた。
「そして最終的には自分に帰ってくる。これが運のシステムなのだが、ここでは“縁”と呼ぶ」
取引
気づいたら自室のベッドの上にいた。部屋の明かりは全くなく、エアコンすら点いてない。真っ暗の自室は静寂に包まれている。
「あれ?何故ウチにいるんだ? 」
いったいどうなってるんだ?
慌てて、携帯に手を伸ばす。
ディスプレイをみた瞬間、あっと声をあげそうになった。
携帯のディスプレイには日曜日、二十二時と表示されていた。金曜日から丸二日経っている。
混乱の渦に巻き込まれた。
なんとか金曜日からの記憶を思い出す必要がある。しかし、頭を働かせても全く思い出せない。
おもむろに立ち上がり、自室の中をウロウロウロウロして頭を抱えながら歩き回った。何かめぼしいメモでもないかと鞄の中を漁ったり、机の引き出しを開けたりだしたりした。
しかし、肝心の金曜日の情報は見つからなかった。そこでスケジュール帳を開き予定を確認した。
「そうだ、フリィップス氏と面談した、それは覚えてる。フリィップス氏との会話の内容が思い出せない。
何故だ?」
こんな時に身体全体から空腹欲求のサインが送られてきた。それもとてつもない食欲が。
「とりあえず腹ごしらえしよう」
カップ麺の包装紙を剥がし、熱湯を入れようとしたが、やかんが見当たらない。棚をいろいろと漁り探しまわっているその時、棚に思い切り頭をぶつけた。
「いってぇー」
次の瞬間、まるでフラッシュバックのように金曜日の面談を思い出した。それはまるでPCの電源がオンになるかのように。
「思い出した、私は取引をしたのだった」
そう、取引である。それはまさに悪魔の取引だ。
私は取引で、ある能力を手に入れた。ただし病気を処方されることと引き換えに……
いざ、ゆかん。
接点
確認
現状
「水曜日はノー残業デー!なんという素晴らしきひびき!」
そう、今日は水曜日だ。
ウチの会社では運がいいことに水曜日はノー残業デーである。
個人的には金曜日の夜よりも水曜日の方が大事だ。だって中日はダレる。これがなかったら金曜までもたない。
ウチの会社は港区にある機械メーカーだ。一応BtoBで手堅く稼いでる老舗中堅企業である。
そこの法人営業を担当してる。仕事はそこそこ。稼ぎもそこそこ。
大学新卒時にあの大変な就職活動をくぐり抜けなんとか潜りこんだ。
たまたま好景気だったこともあり、講義にもめったにでない留年スレスレの不良学生だったが、運良く入ることが出来た。
新卒で入社し、今年で八年になる。
人生逃げ切りタイプの私にはうってつけ。なんとなあく、ぼんやりとした社風が私にマッチしてる。
九時十七時というわけにはいかないけれど、二十二時までには帰れる。
帰ったら私の至高の時間、ネットサーフィンやりながらダラダラダラダラ。
これでいいんだ。まさに王道スタイル。お布団万歳、スウェット万歳、ビール万歳である。
独身男の一人暮らし、笑うんなら笑ってくれ。
なんとなあく先延ばし、考えてるのは今日が早く終わること。つまり生きるってこういうことだろ?
貴重な水曜日が終わり、憂鬱な木曜日がやってくる。
乗車率二百パーセントの田園都市線に乗り、渋谷から銀座線へ、新橋まで憂鬱な密室。考えてるのは今日の布団のこと。それとルート営業も少し。
「先輩!おはようございます!」
「ああ、おはよう、いつも元気だなー。」
この至って元気のいい私の後輩、自分と真逆にいるから何かと気が合う。自分にもってないもの持ってるからかもしれない。とにかく気を使って何でも話してくれる。いいやつには違いない。
「そういえば昨日課長が先輩探してましたよ、先輩が帰ったあとに尋ねてきました。」
「課長が?何だろう?要件は聞いてないよね?」
「聞いてませんよ。直接確認したらどうですか?」
「うん、そうだね…」
この時頭を巡っていたのは、めんどくさい。またよくわからない新規事業を任せられるのだろうか、もしくはダメだしだろうか。とにかく憂鬱にうなだれそうになりながらも課長に聞かなければと一応理性を働かせる。
「あるパーティに行ってこい、そしてこの人物に近づけ」
ああ、なるほど、営業ですか。
「何故私にいかせるんですか?ウチにはエースがいるじゃないですか?」
「ん、ああ、それはだな、えーと」
要するにエースはこの仕事やる暇がないと、で、暇そうな私に巡って来たとそういうことだ。
課長から渡されたファイルを押し戻し断われたらどんなに楽か、この時ばかりはサラリーマンの宿命を呪った。