どんな道でも道は道
心臓が苦しいほど跳ねまわる。
お腹の底には泥にも似たもやもやがうずめいて、気持ち悪くて何故だかくすぐったい。
大きな大きな深呼吸を、何度も繰り返す。
鼓動はまだおとなしくなる様子がない。
ああ、そうか
怒っているんだな、私
地元の幼稚園に通いました。
優しい両親に囲まれて、お友達も好きな人も沢山できました。大好きなおともだちと遊ぶことも、母が毎日両手に提げた袋いっぱいに借りてきてくれる図書館の本を読むのも、大好きな子供でした。
好きになれなかったのは絵本の類。だって、絵ばかりで文字が少ないから。
活字であれば牛乳パックの説明書きでもドレッシングの成分表示でも、飽きずにずっと読んでいられる子供でした。
小学校からは母方の祖父母が住む町で暮らしました。
一族何世代にもわたって通うことが当たり前にあった、いわゆる地元の私立校。途中いじめられていた年もあったけど、概ね楽しい六年間。
特に好きだったのは図書室を管理していた先生。透き通るような白い肌に端正でどこか薄い顔立ち、陽だまりに落ちた影を揺らすみたいな儚い声。入学してから卒業のその日まで、ついぞ容姿に変化がなかった不思議なひと。つい最近見かけたときも遠い子供時代のままの姿をしていましたっけ。
あの図書室は時間の流れが不思議と遅かったので、そういうことも起こりうるのかもしれないと、不思議と納得できました。
中学、高校は6年間同じ女子校。
とある漫画のモデルにもなった、時代が時代であれば良妻賢母を育てるためと謳われる規律厳しい中高一貫のお嬢様学校。まあ実際の女子校は、到底そんな一昔前の修道院みたいではありませんでしたが。
昔から文章を書くのが好きだったから、同学年で他に誰も入る人のいなかった文芸部に入って。最初の一年はやっぱり孤立していたこともあったけれど、終わる頃には多くの友達に恵まれました。忘れられない初恋を味わったのも、その頃のこと。青春の大部分を過ごした、間違いなく自我の下地を育ててくれた6年間です。
大学は芸術系を掲げる学部に入学。文章で身を立てたい夢見がちな若者たちの中に身を置いて、四年。
これと言った文学賞に引っかかることはなかったけれど、かけがえのない友達と強烈な恩師に出会いました。卒業制作はとある超有名文学作品のオマージュ小説でしたっけ。
地元の市役所職員を目指していた就職活動は最終面接であっさり落ちて、他にもなにひとつひっかからず、一年半の調理師専門学校通い。
卒業と同時に今の職場の募集を見つけて、アルバイトから就職されて現在扱いはパート、一年目がようやくすぎたとこ。あっ、年齢が分かってしまう。
今の職場ですか?
とある霊園に勤めています。
主な業務は事務処理と受付、意識としては接客業に近いです。
母方の祖父母と父方の祖父は既に他界しましたが、両親、兄、父方の祖母とも仲は良好。都合により実家を出たあとも、ひと月からふた月に1回のペースで帰る程度には両親を大事に思っています。大切に育てられた自覚?もちろんありますとも。
私、平凡だと思いますか?
なんかちょっと待てやと思った人もいそうなので言っておきますと。
私の初恋は同級生の女の子です。
憧れた男の子も、胸ときめかせる男性との出会いもそれなりにありましたが、強い情念を抱いたのも女子なら初めて明確な劣情を抱いたのも女性です。
それがなんだというのでしょう。
ああ、職場? 市役所業務とたぶんほとんど変わりませんよ。担当している住人が生きているか死んでいるかの違いくらいなものでしょう。我ながらすっごい暴論ですが
就職活動失敗して調理師専門学校に通った件についてはここでは割愛させていただきます。ちょっとめんどくさい長くなるので
閑話休題。
平凡な人生、そう思うのはおおいに結構。私だって自分の人生平凡だと思いますよ。いやそんなことないだろう特に後半、なんて思う人もいてくれるでしょうか。
でもだって、平凡ってつまり、あたりまえってことでしょう?
それならば私の人生は平々凡々、一篇の物語にすらならないような人生です。
たとえば世界的に有名なスケート選手だとか将棋の名手だとかそういう人たちの方が、客観的には山あり谷ありの人生を送っているんじゃないでしょうかねえ。
まあその人たちも口をそろえて言うでしょうけれど
「わたしは至って平凡な人生を送っていますよ」
だってそれがあたりまえだから。
もちろん平凡=あたりまえ、と定義したらの話ですが。
地元の小学校に通うことは、活字が大好きな子供であったことは、毎日スケートの、将棋の練習に明け暮れることは。全部、全部、当然で、あたりまえの日常のこと。
同性を好きだろうと、異性を好きだろうと、そもそも誰を好きになることもなかろうと、そんなことはあたりまえなんですよ。たとえ世間が否定したとしても。
客観的な話なんていくらしたって不毛もいいところでしょう。
突き詰めて考えてみれば、あなたも私も彼も彼女もお父さんもお母さんも道歩いてるスーツ姿の田中(仮)さんも自転車で横を走り抜けていったひろし(仮)もみいんな平凡で、みんなその人だけの人生を抱えて生きているんですから。ひろしって誰よ
それにしても人生って、人が生きるってたった二文字なのにずいぶんと重くて暴力的な色が含まれていますね。生きているのが人だからかな。だとしたら人が重くて暴力的なのか、生きているのが重くて暴力的なのか。それともどちらもそうなのか。
また話が逸れましたね。
自分の生きた道を平坦な人生と評しようと、誰かの生きた道を山あり谷ありの人生だと判断しようと、それは個人の自由です。そこには別に怒りもなにもないんですけれど。
けど、けどね。
ないものねだりはやっぱり腹が立つなあ。
だって平坦だというあなたのその人生、本当に面白いものはなにひとつ埋まっていなかったんですか? そんなに少ない数しかなかったんですか? 本当に?
すべてにイエスと答えるのならそれはそれでいいけれど。だったら旅をしたら、会社をやめたら、夜の街で仕事を求めたら、あなたの求める面白いものに出会えるかもなんてまさか本気で思っているんでしょうか。
しかし夜職が普通を外れてるってなにそれ偏見か?
それに同性を好きになったことが、平坦な人生の中たったひとつ現れた普通でないことだなんて、よくもまあ言えたよなあと思うけれど。
生きてりゃ誰を好きになったって大事件だし、そこに性別の違いなんてありませんよ。たぶん種族の違いすらも。
でも、それもまたひとつの考え方です。腹は立つけど否定する気はありません。
もう一度言いますよ、否定する気は毛頭ありません。(腹は立つけどね)
と、いうわけで改めて問いかけてみましょうか。
あなた、本当に平凡ですか?
勝手ながらこちらのアンサーソングとして、書かせていただきました。
↓↓↓↓
同じ事書いてますが微妙に違う。最後に余談を付け加えたnote版です。よろしければ
https://note.com/yuzukichi_/n/n551908e54c60
扉のさきにあるはなし(後編)
昔から、演じることが好きだ。
自分でない自分を、皆から愛される自分を
周囲から笑って受け入れられる自分を
可愛らしく、愛嬌があって、良い子で、愛される。
多かれ少なかれみんながやっていることだろう。
先生の前と友達の前でまったく同じ顔を見せる人間の方が少ない、と、思う。
そうして幾重にも巡らせた仮面の内側に、傷つきやすい自分を大事に大事に隠してきた
それが「生きる」術だと信じて。
まあ、それはそれとして
私は、「演劇」自体も好きなのだ
舞台の上できらめく物語、輝く人たちが魅せるひとときの、夢
舞台の下で膝を抱えて、驚きに目を丸くしていたあの日の少女は、一瞬で魅了され夢を作り上げる側に憧れて、憧れて憧れて…………
今もなお、憧れたまま舞台の下を歩き続けている。
【前回のあらすじ】 方向音痴、スタート地点から間違える。
時間は12時20分過ぎ
公演までまだ間があるとはいえ、あまり遅くなるのは好ましくない。
土地勘もない駅の改札前、どうしよう、どうする?
考えるまでもなく私は地図アプリに頼った。
ありがとうGoog○e、ありがとう経路案内機能。方向音痴の強い味方は手の中にある。時々、いや度々裏切られ迷うこともあるが今回は駅から徒歩数分の場所、迷いようがない、はずだ。
(地図アプリを見ながら堂々と真逆に歩き出しかけはしたが)
そうだ、差し入れも買っていこう。近くにお菓子屋さんくらいあるはずだ。
公演開始まで30分もあるんだから大丈夫、なんだかんだと成人を果たし早数年、その程度の気遣いはあるべきだろう
もう一度言おう、私に荻窪駅周辺の土地勘はない
慣れない都会の路地裏に翻弄されまくった私は、結果的に公演開始時間の10分前という大迷惑にもほどがある時間帯に到着を果たした。
当然、差し入れを買う余裕なんてあるはずもない。
公演会場は何かの箱でもなんでもなく、飲食店の合間に立つ小さなビルの二階だった。恐らくは、雑居ビルと呼ばれるような類の建物。
すれ違うのが難しそうな細い階段を上り、木製の扉に掛かる、『公演中』の札。
おそるおそる扉を開けたとき、まず目に飛び込んだのは「黒」だった。
たぶん演出の関係なのだろう
外光なんて隙間たりとも許さないような、ぴたりとした黒。
私が開けた扉からの灯りで、かろうじて入口近くは明るさがあるものの、奥に目をやればもう、何かしらがおこなわれている舞台と、薄暗い観客席。
何かを焚いているのか、どこか妖しい香り、絞られた照明
迎え入れるためにこちらを覗く、異様に背の高い男性と妖しい服をまとった美人
奥の暗闇で道化師の紅い唇が手招いたような気すら、して
ああ、 ここはサーカスのテントなん、だ
まるで操られてでもいるようにふらりふらりと足を踏み入れた私を呼び戻したのは、出迎えてくれた劇団の人たち総出で引き留められる声だった。
見れば、入り口近くに貼られている『土足御遠慮ください』の紙
つまりはそういうことである
現実に引き戻されてみれば、異様に背の高い男性はただちょっと平均より高身長なだけの穏やかそうな人だったし、妖しい服をまとった美人は友人Tだった。数分は気づかなかったのでものすごく笑われたし、ものすごく喜んでもらえた。差し入れ、持っていきたかったな……
舞台の大きさは学校の教室と同じか、もしかしたら半分くらい。入ったときには既に男性2人が漫才のような緩い掛け合いをしているところだった。
「各劇団員、8分の持ち時間を使って色々なことをします。それはもうね、色々なことを。モノローグから朗読劇からコントから怪談話まで。我々は合間にふらーっと現れて、前の話の余韻をぶちこわ……クラッシャーして次の話に備えていただき、準備の合間の時間稼ぎをやらせていただきまーす」
「よろしくおねがいしまーす」
壊すのか。
「時間稼ぎに君の面白い話なんかしてよ」
「ええー、急ですね。そうだな……僕がアルバイトしている漫画喫茶にいつも来る血まみれのお客さんの話なんですけど―――」
「ちょっと待ってそれは話していいの?!」
「店員の間でついたあだ名がロロノア・ゾ………」
「はい! これ以上はやめよう今すぐやめよう」
なんだなんだ???????
彼らが名乗るに余韻クラッシャー。片方は漫画喫茶でアルバイトをしている男性で、もう片方はなんと団長だという。緩い掛け合いが面白く、笑っているうちに気がついたら公演が始まっていた。
そこからはもう、夢でも見ているようだった。
最初に現れたのは、きりりとした格好のご婦人。暗闇から浮かんできた彼女の演目は、朗読劇。運命の少女に浮足立つ少年の、一夜限りの逢瀬を語る彼女は、ただ座っているだけなのに声で観客を夜の甘く冷えた空気の中へ連れていくようだった。
次に現れたのは、スーツ姿の男性、と、誰も座っていない椅子がいくつか。演目はモノローグ。モノローグってなんだ。
観客の些細な疑問などお構いなしに、男性はひとりで会議を始めた。女性蔑視を許さないフェミニストを気取りながら言葉の端々に弱者への嘲りをにじませる、まとわりついてくるような偽の正義感。いないはずの上司の苦笑いまで見えてくるような、確かな不快感と強烈な既視感。小さな公演会場が、会議室になり替わった瞬間だった。
(なるほど、モノローグってつまり一人芝居のことか)
三番目が友人Tの創作怪談だった。
最初に現れたご婦人同様、椅子に座った姿が暗闇から浮かび上がる。落ち着いた語り口で滑り出す話は、練習と称して通話で聞いた内容と同じだ。同じ、なのだけれど。
語り手のTの友人である大学生が遭遇した、とある怪奇現象。最初は友人同士の悪趣味ないたずらだったはずが、本当にこの世ならざるものを呼び寄せてしまう―――
演目のタイトルは「ドドモダダ」、一見意味を成さない言葉でも、もしかしたら、知らないだけで意味があるのかもしれないと友人Tは語る。
たとえば、 呼んではいけない“なにか”の呼び名であったり、だとか
……ものすごく怖かったのは言うまでもない
余談だが、劇団では各劇団員の演目内容を客観的に見て復習するために全員分を録画しているらしい。ただ、友人Tの録画画像だけ音も画像も乱れに乱れて復習どころの話ではなかったそうだ。ガチな奴やんけ
その後も、緊張しがちな営業が頑張って取引先の趣味に合わせようとした結果のすれ違いコントやら、学校内で没収したバレンタインチョコレートにほとんどまともなものが入っていないうえにオチがとんでもなかったコントやら、上司に対する強気な派遣社員の語り口に引き込まれるモノローグ。そうして太宰治の「灯籠」から抜粋された、世界観の作りこまれた朗読劇。
高等学校に通う良家の男子のため、たった一度盗みを働いてしまった哀れで愚かなかわいい乙女。家族で平凡に暮らせればそれでいいのにと、悲しみに暮れる少女の行く末をかたずをのんで見守っているうち、全6名、48分の公演は終了していた。
8分は長い
8分間人の集中を保たせるのは並大抵のことではないというのに
合間に現れた余韻クラッシャーのお二人によって切り替えが上手くいっていたとはいえ、最後まで飽きることがないのは純粋に、すごい
当たり前のことだが、人を魅了する術を、引き込む術を知っている人たちなのだ。
心地よい疲労感に包まれて拍手をおくる。来てよかったと、心から思った。
そうして、始まった第二部。そう、朗読劇バトル。
「劇団員の朗読劇バトルに、お客さんの中からも2人ほど!参戦していただく予定です!」
全員でやるんじゃないんかい!!!!!!!!!!!
大変身勝手な思い込みを置き去りに、朗読劇バトルは進む。
ルールは簡単。事前に配られていたパンフと一緒に入っている一篇の詩を、舞台上で朗読することと、以下四つ。
- 文章の前後に言葉を付け足してもOK
- 人称と語尾以外の改変はNG
- 1人の持ち時間は1分。1分経ったらベルが鳴って強制終了。
- 勝ち抜いた場合は、別の表現で読むこと。
勝ち抜き戦なのかとか、別の表現ってなんだとか、ぐるぐる脳内で考えているうちにも時間は進んでいく。観客から参加できるのは2人。対して観客の数は少なく見積もっても10人程度。
わたしが、出ていいのか……?
迷っているうちに一人の男性が名乗りをあげた。残り1人。やらない後悔よりやらかして公開(誤字じゃないよ)だとばかりに名乗りをあげた私に待ち受けていたのは
初戦で友人Tとバトルをするという未来だった
なんで????????????????
わざとかと思ったらどうもそうではないらしい
「へえ、Tさんの友達! そしたらぜひバトルで負かして勝ち上がってほしいね、ドラマチックだからね!」
なんだこの愉快すぎる団長は
1分間のゴングは劇団員が持ち込んだというボクシングの試合でも使われるという本物のゴングだった。
愉快な劇団員が多すぎでは
試しに鳴らされた良い音を合図に、まずは出演者の朗読。
そうはいっても朗読劇である。そんなに個性の違いなんて出せるものなのだろうか
……なんて、思ったのもつかの間。
詩の内容が書かれた紙は舞台の端に、現れた団員は小芝居をしながら詩の内容を朗読しながら、アドリブの芝居を差し挟んでいく。
たった60秒の中で作り上げられる世界観と、詩の内容が共鳴していって。
……ただし、60秒内に綺麗に収める人は少なかった。むべなるかな
つまり朗読を差し挟んだ一人芝居をしていいわけだ
なにこれめっちゃ楽しそう
私が興奮したのは言うまでもない。
結論から言うと、準優勝までこぎつけることはできた。
人生初の準優勝。ほんと行ってよかった……また行けるかな、また行きたいな #CCカオス #劇団Clowncrown #扉を開けるのはいつも pic.twitter.com/vtM0iNRKMk
— ゆずきち (@yuzukichimikan) 2020年1月29日
直視したら目がつぶれそうな強い光に照らされた舞台は、観客側から見たよりも広く思える
反対に観客側は暗く抑えられ、手前のお客さんほど逆光で顔があまり見えない
その代わりのように、奥に座るお客さんの顔はよく見える。
たぶん客観視したら、とてもとても小さな世界の中で、即興で作るものがたり。
すごく、すごく楽しかった。
団長さんから「経験者?」と聞かれたときが、あさましいがその日一番興奮したかもしれない
……なんて、強がってみせはしたが
勝ち抜けば勝ち抜くほど同じ表現を使ってはいけないとされ、最初の小芝居は使えない
もっとこうすればよかった、ああすればよかったの気持ちは終わったあとに泡のように湧いてくるもので
やっぱり私は、どうあがいても天才ではないのだから
なによりの後悔は、せっかく友人Tとバトルをするなら最終決戦にしたかったということだろうか
そうすれば、Tの表現方法も最大限見ることができるうえ、私も長く楽しめるのだから。
飛び入りのぽっと出に劇団員さんも他の観客もあくまで優しく、準優勝をいただいた私に温かい拍手をくれた
その後の懇親会には用事があって参加できなかったというのに、賞状を持ち帰るためのビニール袋までくれた。
楽しくて楽しくて、浮足立った気分で帰路についた私は、人気の少ない駅前の道を踊りながら歩いていた、と思う
偶然たどり着けた地下改札の入り口が
ルミネのすぐ隣で簡単に差し入れを買える環境にあると気づくまで、残り数分
ところで、最終決戦前、あまりに考える時間が少なくてタイムを要請した私に団長さんは70秒くらいの時間をくれた。
舞台袖で回らない頭を抱える私をしり目に、団長さんは時間稼ぎのために軽快に話を始めてくれた。
いわく演劇で一番面白いのは、こうして追い詰められているときだと。追い詰められて出た表現には、その人の本気が、本質が出るから。言葉を変えていうならば、その人の核となる部分があらわれるから。
頭を抱えていた私は、いつしか団長さんの話に聞き入っていたのだ
そうか、演技は、演劇は、人の本質を隠してくれる仮面ばかりではないんだな
面白い、もっと知りたい、叶うなら、もっと世界に入ってみたい
目の前に現れた扉は、強い照明と小さな舞台の形をしていた
扉のさきにあるはなし (前編)
「練習に付き合ってほしいんだよね」
「練習? なんの?」
「怪談の語り」
友だちのTさんとそんな会話をしたのが、二週間ほど前。 通話を利用して8分弱の創作怪談を聞かせてもらったのが、 その数日後。いつどこで発表するのか詳細を聞いて、それから、 それから。
とある日曜日の昼下がり、私は荻窪へ向かう電車に揺られていた。
のっぴきならない事情で余裕もなかったから、 眉も描かないすっぴんを黒マスクで隠して。 ぼさぼさの髪をどうにか見られるように整えて。 電車内でうとうとしている私は本来とても出不精だ。 用事がなければ最悪夕方まで寝ている。 用事があっても出来ればぎりぎりまで寝ていたい。
我ながらちょっとどうかと思う程度に腰が重い、 うえに体力がない。書いてて悲しくなってきた。
それでも行きたいと思ったのは、 だいすきな友達が演じるところを見てみたいというのはもちろん、 彼女が出演する公演があまりに面白そうだったからだった
公演の名は「clown crown CHAOS♯5」
劇団ClownCrownが主宰する定期公演だ
演劇を活用して日常を面白くする劇団、 演劇とボードゲームを楽しむ社会人劇団。
1人8分、二人なら約16分。与えられた時間の中で、 舞台を使った表現を行うことだけが、約束事。 それさえ守れば一人芝居でもコントでも、 朗読劇を演っても構わない……
数日前、Tさんから送ってもらった公演ページを読んでいた私は、 とある一文に目を留める
――――公演第二部では観客参加型の朗読バトルを行います――― ―
なんだそれめっっちゃ楽しそう
そうして私は、 七歳男児みたいな情動に身を任せて電車に飛び乗ったのだった。
13時からの公演チケットを公演日当日の10時すぎに申し込むというたいそう迷惑な客に、 劇団は丁寧に道筋をメールで教えてくれた。
なんでも、地下南口改札から出れば徒歩一分で到着できるそうだ。 なるほど分かりやすい。
私は、地上西口改札から外に出ていた。
………(´・ω・`)?
筋金入りの方向音痴、出足で躓く
~続~
綴る言葉は恋文に似て
「第二の実家みたいに思ってほしいからさ」
最初に泊まった翌日の朝、彼女はそういって笑っていた
「シェルターになれたらと思ってるから、嬉しい」
二度目に泊まった日の夜、そういって笑った彼女は少しだけ遠くを見て、付け足した
「なにより私が欲しかったんだよね、そういう場所」
実家は休まるところじゃなかったから。ぽつり部屋に言葉を転がした彼女は、笑ってはいなかった、ような気がする
どうして私は、もっと早くに彼女と出会わなかったんだろう
ここまで書いて、実に一週間がすぎた。
いやかっこつけとる場合ちゃうわ
思わず心の関西人が出てきたが、私は残念ながら関東生まれ関東育ちである。祖母は関西の出身だったらしい。どうでもいい。ちなみに自分の出身にまったく残念などと思ってはいない、言葉の綾である。これもまたどうでもいい。
閑話休題。
そもそも中学でやめたはずのブログにもう一度手を出してみようと思った理由は、ひとえに「他人様に見せる文章を書くことにもう一度慣れるため」だ。だというのに、こねくり回して完成が遠のき続けていたら世話ないのである。まさに本末転倒。
なら最初に何について書こうと思ったのか。
冒頭の彼女こと、Mさんと彼女の住む部屋についてだった
Mさんと出会った場所はSNSである。知り合った当初、私は彼女の顔も名前も住んでいる場所も、声すらも知らなかった。それは相手も同じことで、このご時世には珍しい話でもない。
インターネット上で知り合った人と会うときは警戒しすぎるくらいでちょうどいい、と、思う。私はわりと気軽に会ってしまっているが、今まで嫌な思いも怖い目にもあってこなかったのは幸運なことだったとしか思えない。
じゃあMさんはなんだったのか。なんだったんでしょうね。
ともかくきっかけやら紆余曲折を置いておいて、私はMさんをアスレチックに誘うまで気を許すようになっていた。ちょうど一週間前のことだ。
普段だったらそこまで気を許さない、気がする。彼女が気軽に屈託なく、住む家に招き入れてくれたことも大きい。私が悪い人だったらどうするつもりだったんだろうか。それでも彼女は屈託なく笑うんだろう、私がそんな人でないことくらいは分かると。
もしかしたら彼女の部屋がとても居心地が良いのも、そんなところに由来しているのかもしれない。
暖かくて、静かで、座り心地の良いソファがあって、ご飯が美味しい。
住んでいる人は優しくて、Mさんも彼女の恋人さんも、決して他人を否定しない、馬鹿にしない。少なくとも私は、彼女たちに馬鹿にされた覚えはない
からかわれたことは大いにあるが
これってかなり凄いことだ。
世間は、特に大人になれば何者かでいることを強要してくるものだから。
大人でなくてもそうかもしれない。良い子であるとか、勤勉であるとか、快活であれ明るくあれ、優しくあれ思いやりをもってあれ……
それが、Mさんたちの住む部屋では何者である必要もないのだ。自分が一番楽な顔ができる。それは居心地もいいはずだ。
目が覚めてしまった昼間、誰も相手がいない他人の家で放置されても、なんとも言えず快適だった。静かな空気の中にすっぽりと埋まっているような、まさにシェルターの中に入り込んでいるような、永遠にこのままでいたいような。
ここでは誰もあなたを追い詰めないよと言ってくれるような場所って、貴重だと思う
そんなこんなで、(紆余曲折の話はまたいつかできたらいいな)ちょうど一週間前。
私はMさんと立体型アスレチックで存分に遊び、帰りにカルディでお酒とおつまみを買ってスーパーでひき肉とさらにお酒を買い、彼女の恋人さん(仕事中)が残してくれたレシピをもとに餃子をしこたま作って焼いて、呑んだ。色々な話をした、ほんとうに色々な話を。
全部は覚えていない、全部書くつもりもない。
Mさんにもらった言葉も、流れる空気も、甘いお酒の味も、やわく淡く光って宝物みたいに思えるから。全部事細かに書いたらもったいないじゃないか。
ただ、Mさんのことを本当に何も知らなかったんだなということは何度も実感させられた夜だった。
Mさんは私好みの顔立ちをしていて、少しドジで明け透けない物言いをして、恋人さんへのじゃれつき方甘え方が可愛らしくて、珈琲を豆から淹れる。あと喫煙者でそこそこお酒に強くて呑み慣れている。……なんて、たくさん知っているようで何も知らなかったのだ。
文を書く人であること。
「自分の言葉」でお金をもらったことがある人だということ。(たぶん、何度も)
色々な恋をしてきた人だということ、テレビを部屋に置いていない理由も。
そうしてたぶん、実家が厳しく過保護な場所であるということ。
自分の書いた記事を検索してさらっと見せてきた。流れで知らなかったツイッターアカウントも知った。
そこには知らない肩書きを持つ彼女がいて、知らない顔で笑っていた。
そもそも、知っていると思っていた部分のなんと一面的なことか。
「あなたのことを何も知らなかったんだね」
なんどもなんども口にした私に彼女はとろけるように優しい声で答えてくれた
「知らなくたってともだちにはなれるんだよ」
私が作りすぎたカクテルもどきの入ったグラスを傾けて笑うMさんの横顔に、胸が詰まったのを覚えている。
ああ、この人にとって今、私が知った内容は、私が知ったということそれ自体も、さして重要なことじゃないんだ
寂しかったわけじゃない、当然だよなと思ったし、知らなくても友達だと言ってくれたのは、単純に嬉しかった。ただ、Mさんのどこかに跡を残したいと思ったのも、否めない
彼女があのシェルターのような優しい場所と一緒に暮らす優しい恋人さんから離れて新しい環境に行こうと思っていることも、そのとき初めて聞いた。本当は寂しかったし、行かないでと言いたかった。
このままでもいいじゃない、今は充分幸せじゃないの?
それがあまりに甘ったれた理屈であることがわかるから、そんなことを言ったらMさんを失望させることも痛いほどわかるから。そうして、彼女に失望されるのが痛いことも嫌というほど分かってしまったから、決して口には出せなかったけれど。
それに、彼女自身怖いことだって、痛くないわけがないことだって、分かるから
だから、ますます、私は彼女に跡を残したかったのかもしれない
朝まで話して、くっついてフローリングで寝落ちして、仕事に出かける恋人さんを見送って寝直したあとの、目が覚めた昼下がり
まだ眠っている彼女を置いてMさんの書いた文章を読み漁った。数は多くない、いくつかの記事といくつかのつぶやきと。そうして、昨晩に彼女が言っていたことを思い出して。
だからこそ言っておきたいと、聞いてほしいと思ったのは、なんでだったんだろうか
「本当は、ずっと作家になりたかったんだ」
寝室に入ってくる私の気配に目を覚ましたMさんは、傍らにもぐりこむ客人の頭を撫でてながら寝起き特有のとろけた声で、それでもしっかりと、応えてくれた。
「“かった”なんだ?」
「今もなりたい!」
なりたいんだ、と、枕元に座って泣き出してしまった私の手を、彼女はずっと握ってくれていた。馬鹿にするでもなく、過剰に尊敬するでもなく、いいなあ、そういうの、とやっぱり寝起き特有の声で繰り返しながら。
なんで泣いてるんだ、ごめん、としゃくりあげる私に、
「それだけ大事なことなんだよ」
と答えてくれたMさんは、同じような経験をしたことがあったのだろうか
柔らかな布団の匂いだとか、人肌で生ぬるい空気だとか。寝ぼけて少しだけまろく溶けたMさんの声だとか、ずっと泣きじゃくる私の手を握ってくれていた、彼女の温かくてなめらかな手のひらだとか
人の記憶は曖昧で、ずっと残しておくのは不可能に近いという
それでも、ずっと忘れたくないし、忘れないだろう
あのあたたかな部屋の中で、私の一部は確かに息を吹き返したのだから
それから、Mさんが手ずから豆から挽いてくれた珈琲を飲みながらやっぱり色々な話をした。彼女の友達の話だとか、恋人さんもやっぱり夢を追っている話だとか。夢をこの部屋であたためて、動き出した友達の話だとか
「一円でもいいから自分の書いた文章を売ってみな」
手っ取り早いのは路上販売かな、なんてさらっと言ってのけた彼女が、夢を追う人みんなに同じことを言っているのだと屈託なく笑っていたのも面白かったし、饒舌にかつ具体的にアドバイスを出してくれたのも面白く、ただただありがたかった
「まずはこの部屋について書くと思うんだ」
「最高じゃん」
向かい合って珈琲をすすりながら笑い合ったあのときのMさんの顔も、私は一生忘れられないかもしれない
ひとつだけ、彼女に言ってないことがある
今年新しいことを始めるのだと、目標は誰かと叶えた方が叶いやすいから巻き込んでいるのだと言っていたMさんを、私は曖昧に笑って聞き流してしまった。
こんなものは自己満足で、彼女には何の関係もないけれど
あの人が環境を変えて、色々と変えていくというなら
私は一円でもいいから、私の物語を売ってみせよう
私の文章のファンを、増やしてみせよう
最初の記事だけ教えるから読んで。面白いと思ったら続けて読んでほしいなんて余計なお世話も甚だしいことを言った私にも、分かったと言ってくれた彼女はたぶん、この記事も読んでくれるだろう
綴る言葉は恋文に似て、けれど決して恋とは言えず
それでも確かに、私はあなたが、あなたとの出会いが愛おしいんですよ
たとえあなたが、世界のどこにいようとも
来月も彼女と会う約束をしている。
できるなら笑わないでいてほしいが、果たして