読書嫌いな友人に贈る本
今週のお題「プレゼントしたい本」
滑り込みギリギリアウト感がありますが書きます。
私がプレゼントしたい本は数多くありますし、贈りたいと思う人もたくさんいます。中でも、十年ほど付き合ってくれている友人(別名:悪友)に贈りたい本(というか贈った本です、テーマからそれてしまいますね、すみません...)を紹介します。
この友人、大の読書嫌いで文字の詰まった本はあまり読んでいる印象はありません。興味のある分野のものは多少読んでいるようですが、それでも純文学などは「字が詰まってる!」と言って拒否してしまうような子です。
「読書嫌いな人に本を贈るなんて鬼なのか?」と思われてしまいそうですが、ちょっと待ってください。
十年も誕生日などでプレゼントのやりとりをしていると、ネタが尽きてしまうのです。
その時に私が贈りたいと思う本はこちら。
そうです、カクテルの写真集です!
出来る限り文字が書かれていないような本を探した結果、写真集という結論にたどり着き、その上で友人が好きなお酒の本をプレゼントしたいと考えていた時に出会ったこの一冊。
大きなページいっぱいに映し出される美しい色とりどりのカクテルたち。
鮮やかなカクテルが宝石のようにちりばめられていて、この本を眺めているとついうっとりとしてしまいます。
隅っこにレシピも載っていましたので、自分で作ることも可能です。
もしも本嫌いな知人に本をプレゼントしたいと思ったら、ぜひこのような写真集をおすすめします。
最近の目標
久々の更新です。
最近、「人生に目標を持って生きていこう!」と思い立ったのでブログを更新した次第です。
私は20云年間、これといった目標を持った記憶があまりありません。
テストで何点とりたいとか、その程度の目標ならありますが、流されるままに日々を過ごしてきた感じがどうしてもぬぐいきれず、今さらながらこのように思い至ったのであります。
とりあえずTwitterかfacebookなんかのSNSに目標を掲げれば「言っちゃった手前、何もしなかったらカッコ悪いなー」と後戻りできなくなり、目標を達成するのではないかとか思ったのですが、SNSは身近な人々とつながっており、「うわー、20うん年経ってようやく目標持ったのかよ」とか思われると怖いので(自意識過剰おばけなのです...)、知人が存在を知らないこのブログでそっと公開しておこうとこそこそキーボードを打っているのです。(世界で1番どうでもいい涙ぐましい努力)
さて、「人生に目標を持って生きる」の第一歩として、私が今掲げている目標は次の通りです。
目標を持つことを目標にする
なんじゃそりゃ、という感じです。
だって今まで何の気なしに生きてきたんですもの、「目標って何ぞや...」という状態で大それた目標は持てませんでした。
これ自体目標なので、ある意味「人生に目標を持って生きる」ということは達成しているのですが、日々の中で継続的に目標を持ち続ける、あるいは日々の発見から新しく自己に課題を与えてクリアしていく程度の意味ですのでご容赦ください。
まず目標を達成するには小さなところから。
今のところなんとなく達成出来ているような気がします。
これでいいのか、と自問自答もしてしまいますが、これでいいのだ!
マイブームは”お人形さん遊び”を見ることです。
今日は調子が良いのでもう一本ブログを書きます。
タイトルから語弊があるといけないので、前置きしておきますね。
私はお人形さん遊びが大好きですし、マイブームの対象もCDとかDVD買っちゃうくらいにはハマっております! アンチではないです!
さて。
私の最近のマイブームは、Kis-My-Ft2さんの冠番組である『キスマイBUSAIKU!?』を観ることです。
知り合いに勧められて見始めたのですが、侮っていました。
この番組は非常に面白いです。
アイドルが「ブサイク」という言説を引っ提げてきたことにも驚きなのですが、個人的にはキスマイのみなさんが個人個人で思い描いたシチュエーションを彼女役のマイコさんに演じてもらうというシステムが大変興味深い。
このシステムを、勝手に「マイコシステム」と呼んでいます(笑)
知らない方のために説明すると、マイコシステムは以下の通りです。
①テーマが存在しており、そのテーマに沿った「女性がきゅんっ♡」とするシチュエーションを各メンバーが用意する。(テーマ例:「かっこいいキスの仕方」「彼女に送る水着選び」等々)
②メンバーが考えてきた「きゅんとするシチュエーション」のストーリーを、メンバー本人と彼女役であるマイコ(演じる女性は毎回変わる)に演じてもらう。
③メンバーが考えた構成、脚本、演出の「きゅんとするシチュエーション」の映像を見て、キスマイのファン以外が「かっこいい」か「ブサイク」かを評価する。
以上の三点が主な流れとなっています。
テーマによってはこの「マイコシステム」は無かったりするのですが、今回は「マイコシステム」がある場合についてのお話をしますね。
(「マイコシステム」のある回も、ない回も楽しく拝見していますよ!念のため)
さて、この「マイコシステム」の面白いと思っているところ。
1.マイコ役は、システム上メンバーの理想の行動しかとらない。
2.マイコ役は、メンバーの「女性はこうしたら喜ぶ」という意識を反映した存在。
3.このある種「理想の女性像」に対する行動を、現実の女性が評価する。
簡単に述べると以上の三点ですかね!
マイコはみんなが自分を投影できる可愛いお人形さんなのです。そこが良い。
そう、キスマイBUSAIKU!?は、アイドルを使ったお人形さん遊びでもあるのです。
メンバーが「女性に求める反応」と、一般女性が「男性に求める反応」が合致した際に上位に食い込めるこのマイコシステム。
何か論文が書けそうじゃないですか?(笑)
最近は、こういうところを密かに楽しみにしながら番組を見ています。
以上、マイブームのお話でした。
(ちなみに筆者の推しは舞祭組の師匠さんです)
『マジカル・ガール』
『マジカル・ガール』を鑑賞してきました。スペインのカルロス・ベルムトが監督・脚本をつとめた作品で、本作が監督にとって劇場デビュー作となります。
ネタバレをしない程度にあらすじを簡単に紹介しておきましょう。
あらすじ
12歳の少女・アリシアは魔法少女に憧れるどこにでもいる少女です。彼女が白血病に侵されており、余命がわずかであることをのぞけば……。そんな彼女の願い事は三つ。「誰にでもなれる」「魔法少女ユキコのコスチューム」「13歳になること」。アリシアの父・ルイスは、娘のためにできることをしてやりたい一心で、魔法少女ユキコのコスチュームがいくらかとネット検索しますが、なんとコスチュームは7千ユーロ(日本円にして90万円!)。失業中の彼にそんな大金はありません。しかし余命いくばくかの娘のためです。大切な本を売ります。しかしお金が足りない。知人に働き口を紹介してもらいに行きます。不景気なので雇われません。宝石泥棒でもしなければ、娘のために魔法少女ユキコのコスチュームを買ってやれない。そんな閉塞感にルイスがさいなまれていた時に出会ったのが、陰のある病んだ美女・バルバラでした。ルイスは彼女とひょんなことから関係を持ち、そのことをネタにバルバラを恐喝します。バルバラは既婚者であり、夫に浮気をばらされたくなければ7千ユーロ用意しろ、と……。
12歳の少女の無垢で残酷な願い事、父の真摯な、それでいてエゴイスティックな愛情、バルバラの抱えた闇、そしてバルバラの元教師・ダミアンのバルバラへの想いも加わり、物語は救いのない絶望の深淵へと堕ちていく――。
このようなあらすじなのですが、『マジカル・ガール』の感想を一言で述べると、「救いはどこに……」といったところでしょうか。
「誰かのために何かをなそうとすると、別の誰かが傷つく」という物語構造であり、『魔法少女まどか☆マギカ』(以下『まどマギ』と略)を彷彿とさせるダークトーンな物語でした。監督は日本の漫画やアニメ文化が大好きだということなので、おそらく『まどマギ』も御覧になっていたことでしょう。
『まどマギ』をご存じの方には「あぁ……」と察していただけるでしょうが、未鑑賞の方に向けて忠告しておきましょう。この作品を観賞する上で「マジカル」「魔法少女」「親子愛」という言葉に騙されてはいけません。軽い気持ちで彼氏、彼女とのデートにこの作品を選んじゃダメよ!
テイストとしては、『鑑定士と顔の無い依頼人』のような感じですね。
『パンズ・ラビリンス』、『魔法少女まどか☆マギカ』、『鑑定士と顔の無い依頼人』……(これだけでなんとなく話の内容を察していただきたい)。
愛とは何か。魔法とは何か。
『マジカル・ガール』は冷ややかに、そしてシニカルにこれらの答えを示してくれることでしょう。
以下、ネタバレありの感想
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『博士の愛した数式』を読んだ感想のようなもの
つい先日、『博士の愛した数式』を読了しました。映画の方は何年も前に見ていたのですが、原作に触れるのは今回が初めてでした。
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小川洋子さんの文章は、なんといいますか、育ちと品の良さが伝わるような文章だと感じます。『薬指の標本』を読んだ時にも感じた、物静かで洗練された美しい文章です。
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こちらもフランスで映画化されているそうですね。みっ、観たい……!!
映画化でバッシングされてしまうような作品は数多くありますよね。原作にこんなシーンなんてなかった、というようなオリジナルシーンの追加などなど。
私はそのような原作と違うシーンを見て、そこにどのような意味が込められているのか考える(あるいは妄想する)ことが結構好きだったりします。たとえば、『容疑者xの献身』の雪山のシーンとか。視界の悪い雪山の中、口封じの為に湯浅が石神に殺されるかという緊張感を残しながら、石神が湯浅の手を引いて雪山に登るのは、二人の友情が確かにそこにあるという象徴のようで好きです。
さて、『博士の愛した数式』の話に戻ります。まずはあらすじ紹介。
家政婦紹介組合から『私』が派遣された先は、80分しか記憶が持たない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛し、他に全く興味を示さない博士に、「私」は少なからず困惑する。ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることに居たたまれなくなり、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。次の日連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、その日から3人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。(wikipediaより)
wikiから引っ張ってきたあらすじで申し訳ないですが、有名な作品なのでご存知の方も多いかと思われる一冊です。
元数学者の博士による数学の定理や数式の解説の美しさは、まるでピアノで旋律が奏でられているようなものです。しん、と静まり返っている中、変わらずそこにある、という暗い森の中にさす一筋の木漏れ日のような温かさのある安心感。
主要な5教科の中で数学が最も苦手だったのですが、博士や「私」、そしてルートによって紡がれていく数字という絆には、私が中高時代におそれていた数学の孤高さや傲慢さはありませんでした。
未読の方にはネタバレです↓
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強い女性とは?〜個人的な女性の趣味趣向〜
突然ですが、私は強い女性が好きです。大好きです。愛しているといっても過言ではないです。そのぐらいに"強い女性"に恋慕のような感情と、自分にはない強さを内包している彼女たちへ畏敬の念を抱いているわけです。
突然ですが、私はココ・シャネルについての知識が全くありませんでした。ココマークですら危ういものです。コスメのシャネルと洋服のシャネルは別物であるとすら思っていました。
ご存知の通り、ココ・シャネルという名を持つ彼女はモード界に革命を起こしました。その革命方法が最高にクールなんです。映画にも取り上げられていますが、彼女は父に捨てられ孤児院で育ち、服飾の店でお針子として働きます。映画内では「パリの最新ファッションだ」という酷いドレスを、ドレスを纏うお客様に似合うよう軽く仕立て直し「着ている人がハッピーでなければならない」と言います。
また、ココ・シャネルは当時労働階級の者が身につけていたジャージー素材にも目をつけました。戦時中は男性が徴兵されるので、当然女性も働かねばならない事態に陥ります。働く際に履くヒール靴は、一種の拘束具です。つまり非常に動きにくい。服だってコルセットをギュギュギュッとしめつけるような時代です。拘束具から解放しようとしたのかもしれません。その拘束具を外す鍵が、動きやすく柔らかい、カシミアに近い手触りのジャージーの服でした。今は当たり前のように溢れかえっている女性のパンツスタイルも、彼女から始まったように記憶しています(合ってるか心配なので、各自で調べてみてください)。
このように、周囲に流されることなく自分の感覚を信じて道を切り開いていくココ・シャネルは、私好みの非常に強い女性なのです。
しかし、ただ強いだけの人間などいません。強さの裏側には弱さが潜んでいます。
フュリオサは、希望を託していた緑の地がとうの昔に枯れ果てたことを知り、慟哭します(その姿すら美しい)。
ココ・シャネルも苦難を何度も味わった人物です。愛した人はいたけれど、結局その恋愛は叶わず、生涯を仕事に捧げます。映画では涙を流すことはなかったのですが、現実では悔しさと怒りで涙を流していたことでしょう。
『プラダを着た悪魔』にも少しだけ触れておきましょう。
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この映画にも、"強い女性"が登場します。それはアンハサウェイ演じるアンディーことアンドレアと、悪魔と称されるランウェイの鬼編集長・ミランダ・プリーストリーです。
この物語のあらすじをさくっと紹介すると、アンディーが自分の夢を叶えるための「どこでもドア」になり得るランウェイの鬼編集長・ミランダのアシスタントという称号を手に入れ、ミランダによる無理難題に立ち向かうというある種の成長物語です。
ミランダの無理難題というのは、無茶振りも無茶振り。まだ開店時間前のステーキ店のステーキを用意しろ、ハリーポッターの新作(未発表のもの)を自分の娘のためにわずか数時間で用意しろ、などなど。
こんな無茶振りにも、アンディーはへこたれずに立ち向かい、遂には鬼編集長のミランダからみとめられていきます。(このツンデレおばさんっぷりが萌えるんです!)
ある日アンディーはミランダの弱い部分を見てしまいます。度重なる離婚、経営不振、自分の子どもへの憐憫...世間は彼女を「鬼編集長」と揶揄しますが、彼女はただ仕事をしているだけなのです。
アンディーのせりふに、次のようなものがあります。(こちらもうろ覚えです。後ほど確認して正しいものに変えますね)
"彼女(ミランダ)が男だったら?"
鬼編集長・ミランダの元でよく働けるな。仕事人間だろう。そんな感じの言葉に、アンディーはこう返すのです。
もしも男性だったのならば、ミランダは凄腕編集長です。しかしミランダは女性です。女性であるが故に色眼鏡で見られてしまいます。
女性から憧れられる仕事を守る女性。ミランダもまた、守る強い女性なのです。
アンディーの強さが現状打破に向けての強さであれば、ミランダの強さは守り続ける強さであるといえます。その裏返しが、アンディーに見せた弱い部分なのでしょう。
何が言いたいかわからなくなってきたあたりで締めます。
つまり、周囲に流されることなく自分の意見を通すけれど、社会情勢や時代がそれを許さずに無情にも彼女たちを叩きのめしてしまいます。しかし、彼女らは弱音を吐きながら、涙を流しながらも真には屈することなく何度でも立ち上がるのです。
内側から鋭利に光る"強さ"。
今はまだ、フェミニズムなどの運動が起こるように女性の立場が弱い場所にあります。そんな時代だからこそ、フュリオサやココ、ミランダたちのような強さを持てるようになりたいと思う、そんな今日この頃です。
ブログをはじめました
インプットをしたらアウトプットをする。そうしていかないと、自分の中の何かを感じ取る部分が錆びついてしまう気がします。身体と精神で目の前にあるものを滑らかに感じ取るために、感受性の循環を整えてやろうと考えてます。あと、レポートや論文を書くために文章を書く練習もしておきたい。
以上の言い訳のような理由からブログを始めました。
書き手をはじめ、読み手の毒にも薬にもならない平々凡々な日常を綴ったり、時には読んだ本、観た映画のことを綴ることもあるでしょう。
気楽に肩の力をぬいて更新していくので、よろしくお願いします。