3月7日
【これ書いた流れ】
↓
いきたいところリスト作り出す
↓
場所洗い出すandまた行きたいところ思い出す
↓
ちょっと昔にトリップしちゃう
※昨年11月にコロナにり患したあたりから短期記憶があやふやすぎて、覚えておきたいことも覚えていられなさそう・・・という懸念からつらつら書き連ねることにします。
【思い出したことリスト】
13年はお寺に行き始めた年になった。
15年ウクレレ始めるし、スーツを初めて作ってもらった。
15年の夏は初めて横須賀に行った夏になった。
13年の冬にガールズ&パンツァーを見てからミリタリーものに興味を持ち、14年の夏、早稲田アカデミーの夏期講習あたりの時期に艦これのコミックアンソロジーを購入してからかなり軍事モノにのめりこんだ。
翌2015年は、年始あたりにパソコンを買ってもらい、夏ごろ初めてブラウザゲームの艦隊これくしょんを始めた。(DMMの利用規約的にはアウトなのだが・・・)
(それまでも「あとひとつ」と嵐の「ガッツ」が思い出に残ってる運動会楽しかっただの、あの初夏にあった全校遠足で縦割り班の担当だった1年生の子が、当時好きだった女の子の担当の子と仲が良くて、結果的に縦割り班の活動の時は好きな子と一緒にいられただの、「ようこそわが家へ」というドラマが面白かっただの、SONYのブラウン管テレビを東芝のデカめのテレビに買い替えて、アニメの録画ができるようになったり、ニセコイ、GATE、レーカン!、高宮なすののアニメなりをたくさん見てただの、俺妹のアニメ見てただの、鼓笛隊でスネアドラムやることになってヤマトの練習してただの、初めてAmazonでポチって、校外学習で劇団四季見た日に届いたアルペジオのDCはアニメ総集編+αだっただの、前半は色々あった。)
つまりどうしようもなく楽しくてすごい思い出に残ってる年が2015年だったというわけです。
その夏は朝起きて小学校のラジオ体操に参加し、帰宅して朝食をとりすぐにパソコンでネットサーフィンと艦これをやる毎日だった。健康なのか不健康なのか・・・
はじめて見るYouTubeの刺激は小学生を簡単に中毒にしたのだ。
Minecraftの世界に初めて触れたし、ホラーゲームなんかもこの時知ったし、ゆっくり実況動画もここで知った。
(マエスケチャンネル、ぽこにゃん(ミステリーハウスシリーズ)、妖魔夜行のピアノアレンジ(URL参照)をOPに使っているフワッティー登場するver.の青鬼実況だったり(確かYukkurenって方だったかな?)、よくわからない小学校の中で怪異解決するホラゲ、プラモデルの翔鶴、大和をRC化する動画も見た。)
本当にいろんなものを見た夏休みだった。
なかでも二次元大好きな私は艦これが大好きで、その年には艦これ2周年を祝う感じの動画が多く、2周年記念動画のようなものを何度も見ていた気がする。(URL)
(まぁMADのかんこれふぁんくらぶもたくさん見てたような・・・)
その年は鼓笛隊コンクールで初めて大型楽器を担当させてもらえた。
スネアドラムだった。バスドラムもやったことない素人小学生がやるにはあまりにもやばすぎる。ほんとにやばい。
課題曲はリコーダー、自由曲はスネアドラムを担当していたためまぁ、かなり負担になりそうなものだが、スネアドラムの方は当時通っていたヤマハ音楽教室(@近くのジャスコ4階)の講習を取ることで解決、リコーダーは入隊したころに泣くほど練習した下積みでなんとかなった。
その年は責任者が変わり(3年連続)、かなりごたごたしていたような気もする。当時のスタッフの方の心労たるや・・・
そんなこんなで鼓笛隊コンクールでは銀賞をいただけた。まじでうれしかった。
因みにこのころから家の練習をサボるようになった。悪い子。
そしてコンクールから帰ってきて、初めて経験することがあった。
人生初の横須賀だ。
鼓笛隊コンクールや同級生とバスツアー行ったり、なかでも軍艦が大好きな私にとって、初めて横須賀で護衛艦を見たときはまぁかなりうれしかった。
たしかその年に就役した(はず)のヘリコプター搭載護衛艦のいずもは、昭和の大戦艦大和と大きさがかなり近い護衛艦であり、人生の経験に乏しいながらもその目でみたものと、写真で見たものをすり合わせて想像を膨らませていたような気もする。
お昼に訪れた海鮮のお店は数年後に訪れたときにはすでになくなっていた。
キツめの陽ざしの中で見つけた、木の柱がちらほら見えたそのお店、もう一回入りたかったかもしれない・・・
さてクソでかい軍艦をみたわたし、World of Warships(Battleshipsの方の表記ゆれもあった気がする)に出会う。ゲームを始める前にどんなゲームなのかを見る気がまだあった頃だったので、ちらりと説明を読むとそこには「破産」の二文字。ビビり散らかしたのを覚えている。
それでもランチャーをDL、インストールし起動してみる小学生ワイ。怖いもの知らずだね。
(キレてる母親と、Hなサイトでやらかした友人の顛末の方が怖かった)
(そういえばその子と猥談を家の前でよくしてたっけ。マンションの前なのにやるなぁ。)
日本海軍ツリーで遊ぶプレイヤーは、DDHくんとくらべるとそれはそれは小さい砲艦の「橋立」からプレイすることになる。いわゆる吹雪ポジの艦。
はじめてのオンライン対戦ゲーム、楽しい。今となっては物足りなく感じるCo-op戦でもとっても楽しかった。
(当時はCo-opがどんなものなのかわからなかっただけ。知らぬが仏なのかもしれない。)
当時はまだ社交的な人間だったので、自室に友人を招き入れゲームをすることもあった。
起動したWoWsを見てもらうためにリビングから自室までラップトップを移動させるときに壁に激突。HDDは壊れてしまったのだった。
この時壊れた原因を考え、どの部品が逝ってるのかを考え、調べ上げたことが今のパソコンの自作とKazuChannelを知るきっかけになったと思う。
パソコンが不調の時の原因の推測だったり、切り分け方の考え方もここでなんとなくわかったのだと思う。
時期は覚えていないが、確かバスツアーによくい一緒に行っていた同級生とアメリカ海軍横須賀基地の見学をした。艦これをプレイしていた私にとって横須賀鎮守府サーバーはちょっとした憧れであり、まして日本海軍とダイレクトにつながった歴史のある横須賀鎮守府庁舎を見られたことはまじでうれしかった。ホント語彙力ないね・・・
15年の秋は人生で初めてゲーム機を買ってもらった。PSVitaだったのだ。
当時の小学生にゲーム機について尋ねてみれば、きっとニンテンドー3DSを知っている前提で話が始まるくらいにはPSVitaの小学生ユーザーは少なかった気がする。
Minecraftを毎日プレイする日々、parentのpの字も知らない癖にペアレンタルコントロールのパスワードを破って1時間以上プレイした日々があった。
不思議の幻想郷というゲームの体験版は、ゲームで攻略できるステージの制限が緩い代わりにゲームデータのセーブができず、セーブデータなしのレギュレーションでプレイを続けてたっけ・・・
16年の年明けにはCERO判定ゼッタイZのバレットガールズというゲームをアマゾンでポチった。私をのぞく家族全員昭和世代のおかげで自ら平成インターネット的英才教育をすることに。
当時自慰行為なんて知らない男子小学生ワイは、女の子が感じてHな声を出すことがあまりわかっておらず、なんとなくアレが固くなるなー程度の事しか感じていなかった。
そしてこのころ、キッズ右翼として覚醒することに・・・
鋼鉄ノ城、鋼鉄ノ鳥を用いたMADをよく見ていた。うわああああああ....
ときを同じくして小学校の最終学年には6年間のご褒美的立ち位置の4泊5日ウィンタースクールとして妙高高原でスキーをすることに。
人生で初めての4泊5日、成長とともにかさをとるようになった衣類を全部入れられるバックを買ってもらったのだった。
(実は14年に家族の沖縄旅行でかなり大きめのキャリーバックを用意してもらったので、そっちでも良かったが確かキャリーバックはアウトだったような。雪降るのにキャリーバックは無理そうだしね)
KONAMIのスキー合宿ではステッキを持てなかったワイは、ステッキありのスキーに大喜び。クロスカントリースキーめっちゃ楽しかった。本当に楽しかった。
ちなみにこの合宿では前半2日がクロカンスキー、後半が普通のスキーをするような日程だった。
合宿所は5人一部屋で、大きな間取りの部屋に小部屋が多く入っているような形で、ロビーがあるような感じの部屋だった(語彙)
まぁ人狼とかやりやすそうな感じ。
同室の面々はみんな「コンギョ」「超越人力車」を知っている小学生であり、消灯時間を過ぎると部屋の中は38度線を越えてしまったのか、はたまたサティアンで寝泊まりしているのかわからなくなる環境であった。
ちなみに自分のベットからは外が見え、初日の夜は何か見えるんじゃないかと思ってたが、何も見えたかった。(最終日を迎えるまで夜の風景と朝の風景をまじまじと見て、どうせ終わるんや・・・と哀愁していた)
(まぁあとは朝起きたらシーツの係だったワイはリネン室まで同室のシーツをかき集めて持って行ってたとか、スキー板取りに行く場所まで遠くてなんとなくウキウキしたとかあった。あと合宿所広かった。合宿所からクロスカントリースキーのポイントまで出られて、クロカンスキーの道具で普通のスキーをするゲレンデまで行ったりと、かなり大冒険をした。移動する際に見た雪の降り積もった林と広い雪原とその向こうに臨む山脈はまぁいい思い出。)
(宿泊してた場所のリンク見つけたんで貼っときます)
このころ、WarThunderに出会います。
妙高高原の銀世界から東京のコンクリートジャングルに戻ると、卒業式の練習が始まった。
外に遊びに行き、友人の家でYouTube見たり、家ではYouTubeかバレットガールズをやっているうちに中学の入学前小テストが終わり、卒業式が終わり、謝恩会も終わり、中学の制服の採寸もいつの間にか終わっていた。
卒業式は5年生の頃付き合わされた感覚でやっていたような気もする。でもそのころ艦これ、アニメの話をする先輩がいたので、どことなく寂しさを感じていた。
そして自分が卒業するとなり、何度も練習を重ねてきた日々が終わるとなると寂しくも感じた。
私の小学校はその年度で閉校してしまうため、私の代の卒業生が最後の卒業生となったため、小学校の校歌が最後に歌われたのもその卒業式が最後だったようだ。
前年度には開校30周年式典とかやってた。トイレが綺麗になったよ。
近所の小学校と合併、校舎はそのまま使われるが、名称と校歌が変わった。さみし~。
このころアメリカ空軍横田基地の見学にバスツアーの子と一緒に行った。確か中学の入学式の直前の頃だったと思う。
当時日本国内では販売されていなかった白いモンスターを買ってもらい、家で飲んだり、升酒についてきた升に横田空軍基地のシンボルが入っていたりとあった。楽しかったのだ。
このころマスターベーションを覚えた。
とりあえずここまで。
13,14年は覚えてたら書きます。
自分の人生のアーカイブをオンライン上に保存するのはリテラシー的にどうなんでしょうね。
とりあえず10代が終わるまでには書き終わろうと思います。
ではまたまた~
2017年の1月あたり、鬼籍に入った祖父と今はあまり関りのない親戚と一緒に仙台を旅行したこともあった。
土佐日記は何度こすられたんでしょうね・・・
日記みたいな立ち位置でブログをはじめました
大学に入ってから、直近1~2週間の出来事を思い出せないとか、自分がやってきたことを思い出すことが難しくなってきたので、オンライン上に記事として残しておけばいつでも振り返れるかな~って思ったことがきっかけです。
写真はGoogleフォトで見ればなんとなく思い出すんですけど、脈絡なく写真撮ったりするんで文脈がわからないんですね。
幸せの反対は執着なんて言いますけど、過去の自分が何頑張ってたとか何考えて生活してたとか気になる瞬間が多くなったりすることもあるんでね・・・
あと10年来の友人が日記をはてなブログでつけてたこともきっかけのひとつです。
夏休みは初めの方に大学の友達5人で横浜中華街~横須賀~品川~吹上トンネルの旅行行った
日が強すぎてサングラスかった。なんだかんだ満足。
途中スーパー銭湯いったりでなんだかんだ楽しかった。
横須賀のダイナーに入ったけど日本って感じが全くしなかった。カウンターの感じとか店内のジュークボックスとか。
(今度は宿泊計画たてようね?)
東京湾観音到着した時だけ雨凄かったのはすごい印象深い
あと銭湯行ったけど推しの子コラボしてた。
11日は初心者マークつけてぬるぽが運転したり。
運転席の後ろに座ってたやつが急ブレーキで前にすっ飛んできたり・・・
14日は終電無くした奴拾いに行った。
海ほたる行ったことないっていうから海ほたる一緒に行ったりした
(雨だったので相合傘したけど...)
次の日は中学の友達と飯行ったり。
小学生の頃遊んでたやつも一緒だったけど、その日に会う前は共通テストの日に教室が一緒で帰りに話して帰った。
なんか知らないけどその日謎にマウント取られた。しょうもな
カラオケで学生証見せるタイミングで俺の大学見られたけどそのあとから露骨に態度変わってなんだか嫌だったな。
だんだんこういった事も増えてくんだろうか。
鍾乳洞の中意外と寒くてね・・・
八重洲からレンタカーで出たから帰りは大手町から電車で最寄り駅まで。
めちゃんこ疲れてたくせに楽しみたいからってみんなで飯食ってそのあとみんなの事家まで送って・・・若さにかまけた楽しみ方・・・
23日は午前中栃木にいる医学部生(マジ優秀。すげぇ)と理系大学行ってるやつと飯行った。
3人とも小学校は同じでぽっちゃり3人組みたいな感じだったけどいつの間にか2人はやせてぽっちゃりは俺だけだった。かなしい
医学部生くん同窓会の幹事に放り込まれてて、本人もなにがなんだかよくわからない状態みたいで可哀想だった。
曰く「これも何かの縁」とのこと。余裕だねぇ。
夜はバイトの後に委員長とぬるぽと奥米隧道へ。
割と楽しかった。
あと途中畑のあたりで見た星がチョー綺麗だった。
カメラに収めることはできなかったけど・・・
26日は青年部の長野研修。
常楽寺様でお世話になる。
宿泊は駅近くの宿。これがまた雰囲気あった・・・
研修ってことでご住職からご法話頂いたりしたけど、どちらかというとみんなそのあとの夕飯と花火とかで楽しんでた。実際楽しかった。
ワイ体験発表したりしたけど、うん。
弁当とオードブルとフランクフルトにかき氷と・・・すごいもてなして下さってありがたかった。。。
あとご住職様すごいパタパタ動いていらっしゃってなんだか申し訳なかった・・・
高校二年生以来の合宿ってこともあって凄い楽しかったのだ
夜コンビニ行ったりね。。。なんだか特別感あった
途中大学1年の後輩ちゃんが常楽寺の仲良くなった子と散歩行くって言って不安だったりした。宿の周りは暗いうえに何がいるかわからないのだ。
あとコンサルしてる青年部長は合宿先でもPPTとにらめっこしてた。激務。
翌日は白馬のあたりへ。ゴンドラ乗ったりして標高の高いところでご飯広げて食べたり。
すっげぇ快晴で青空が綺麗だったし、日も強かった。めっちゃ焼けた。
みんなサングラス持ってきてたな~。おうちに忘れちゃったからかけられなかった・・・
やったことは忘れてもしてもらったことは忘れちゃいけないってのあるけど、かき氷買ったり、参加してた子にお金渡してアイス食べてきな~っておじさんムーブした。
ちょっとは楽しんでくれたかな。。。
学生部長くん、めちゃんこ跳ねるトランポリンやってた。
あとなんか知らないけどうちの青年部クッソ美人多すぎ。
なんだその顔面偏差値は。。。
28日はバ先の先輩にご飯おごってもらった。
そのあと流れでバ先で働いてる後輩のっけて家に送ったり。
そのあと小学校の同級生と軽くドライブに。
公認会計士試験受けるらしい。がんばれイケメン。
(身の回りの人たちみんなイケメンだったり美人なんだけどワイだけなんか異質感だしてる。すまん)
29日は先日乗っけたバ先の後輩とドライブに。
なんか初めからテンション高かった。低いよりはいいね。
でもガム嚙んでるのにキャラメルいります?って聞いてくるのやばいよ
海ほたるでラーメン食べたり。
箸使う前に取り分けたけど、使った箸で取り分けたとか思われたりしてないといいな
隧道のあと人がいたからノリで「手振ってみたら?」って言ったらダブルピースしてた。意外と頭のねじ飛んでるのかも。
30日は高校の友達と小旅行。
昨日と同じルートでドイツ村行って最後ご飯食べて解散。
道中、ICTインターンシップES書いたりした。
あと1人が創価ってことがわかった。なんでだよ
9月に入ってからは忙しすぎたのだ。
5日に代表登山した
12日はrsと変人とゲーセンと飯行った
19日は寛師会に。
初めて本山まで1人で運転して帰ってきた。
正直話し相手のいない運転は心身ともにくる。
すっげーキツかったゾ~
21日から後期が始まったりした。
その日にゼミの新人歓迎会あったりで割と怒涛。
直近で何があったかといえばなんでしょうね
10/7に弾丸で名古屋行ったくらい・・・?
同乗してた人と交代しながら運転したんで正直寛師会の帰りよりは全然楽だった。
あと名古屋商科大学のキャンパス入ったりしたけど、おしゃれだった。
頭の中に真っ先に浮かんだのは「アメリカの大学ってこんな感じなのかな」。
小並感しか言わねぇなこいつ。
夏休みの始めの方にドライバー俺一人で小旅行行ったのは正気の沙汰じゃない。
(ちなみにこの時職質も受けた。なんで交差点ですれ違っただけでついてくる判断するんだ行政機関よ)
あとは人生で初めて車の修理だしました。
10日とかそこらで帰ってくるみたいなのでそれまでは愛車とはおさらばです。
愛車くんが帰ってきた次の日から1か月の朝参り開始です。
頑張ってほしいね
代車借りるのも手ではあったけど、保険の点数に関係ないとはいえレンタカー特約使うのは気が引けたからクレカを作成してTimesCarシェアを申請。
記事を書いている時点ではまだメンバーカードは届いてない・・・
到着通知が来たら郵便局にハンコ持っていくんだってさ
あとさっきメジロアルダンの新衣装をチケットで交換しました。
正直自慢してくる友人に「なめんな!!!」みたいな感じで同じ土俵に上ったかんじなのでみっともない。
それに本当に好きなら自分の見栄のためにそういうことしちゃいかんでしょ・・・
反省はするにしろ後悔はしてない。
だって後悔打ち消すくらいこの娘可愛いんだもん・・・
チャンミは明日の朝12:00からラウンド2開始です。育成間に合うといいね。
サポカから金スキル回収できるかな?
ということで暇と気力があれば1週間とかそこらでまた上書きします。
頑張ってください。
備忘録というか、日記というか、感情も考えてたことも全部ひっくるめた記録みたいなこと書くんで包み隠しても面白くないし、なによりありのまま記述しておくことに意味があると思うんで、未来の自分が見て恥ずか死ぬことは一番最後に書いておきます。
色恋沙汰です。見たくない人はブラウザバックを・・・
夏休み中に何度か会ったり一緒にゲームしたりしたバ先の後輩が気になってる
正直一緒にいて楽しかったし、付き合ってみたいってのはある。
でも6月のドライブから色々あったのを振り返るとなんだかんだでまた敗戦しそう
(小学生の時から数えて6戦0勝6敗)
7月くらいに「マジで嫌い」みたいなこと言っても夏休みのドライブはなぜか来た。謎
それにドライブの日に色々聞いたら俺が色々「あいつやばい」とか言ってたってことを人づてに聞いてたみたいだし。本当に謎。
童貞はすぐに気持ち悪い勘違いをするし、その気は一切抜けてないから色々注意しながら行動しなきゃ死ぬ気がしてならない。
こんなの始めなきゃよかったとも思ってる。
でも29日のとき(こすりすぎ)はなんだか距離近かった気もする。そんな近くなくてよくない?相合傘してるわけじゃないんだしって感じの距離だった。
色々書いたけどなんで好きなのかもわからない。見仏寺のご住職曰く「女の子は色々な目的で男から言い寄られる」ってことだから、多分自分もそういった感じで言い寄ってるだけだと思う。軽率だし、考え無しだし、アホくさい。バカみたい。
色々あるけど、最後までちゃんとやり切らないと多分後腐れするから、今のところ行く予定の11月末の江の島に出掛けるタイミングで告白だけしてみる。
多分学生というか若者らしい、青臭くて気持ち悪い恋愛ができる最後のチャンスだと思うし、そうしたいし、そうしなきゃ20越えてからこんな事してるんじゃ目も当てられない。
多分気持ちの告白というよりは、切り捨てというか、決別みたいな感じになりそ~
嫌な気持ちでも恋してるってのは色々ありそうだからってのもある
最近のニュースなりOSINTアカウントから流れてくる情報は目を覆いたくなるようなもんばっかだし、わーくにも自衛隊が血液製剤を自分で作成できるようにするみたいだし、なにより装備品を前倒しで準備してるとか不穏でしかない。
これからはアメリカ軍の助力がないことを前提に防衛力整備をしていくみたいだし
防衛白書なりどっかのおっさんの記事に出て来た「強靭な防衛力の整備」って言葉を見るとなんだか不安になるね。不安になったところでXデーってのは決まった日にやってくるんだけども・・・
そういったこととか、将来の自分のために今のうちに若い時期にしか許されない、歳を取ってからやったら年不相応のこととかをしないようにするために、やりたいことをやるってのは、贅沢だけどやらせてもらえたらなって思う。
多分色々やりたいことが出てきても、人生生きていくうえで感じる苦しみ以上につらい事とかありそうだし。戦争とか。
恋して、バイト代でデートしたり旅行したりとか超贅沢。大学も行かせてもらってるし。
1920年代にも同じようなことしてた若者いるのかな~って考えると何とも言えない気持ちになる
その時代を生きていた彼らは20年そこらで第二次世界大戦に巻き込まれていくわけだし、もしかすると自分もこれからそういった環境に身を置くことになるかもだし。
戦争はこりごりというか、戦後絶対に「戦争はダメだ」みたいなこと思った人多かったはずなんだけど、戦争始まったし、わーくにの周辺も緊張度上がってるし、みんなどんな思いをして戦争が終わったのかとか考えたりしないのかな。
中学の先生が「今は戦間期を生きているんだ」みたいなこと言ってたけどまぁその通りかもね。
90歳ぐらいまで生きられるかな~
できればうちのじいちゃんみたいに病床で穏やかに終わりたいけど、そうならないかもってのがあるから悲しいかも~。あれ幸せな死に方だったんだな。
まぁとりあえず11月の江の島楽しみってのと、がんばって朝参り一か月やってみる。
11月・・・頑張りますね・・・?