青柳大師ホームページ開設おめでとう御座います!
「おはようございます。窓は開いていますか?」
現在コロナウイルスの影響で明日にでも非常事態宣言が出るかも?です。
私の仕事は中国材を使うことが多くなってしまったので、ずっと入ってこなくてもう、大変な状態でした。
今回のコロナウィルスに感染しないためには三密を避けるのが良いらしい・・・。
三密の一つに「閉切られた空間」がありますが、学校の教室もその一つですね。
そういえば、自分らが小学生の頃朝の清掃の時間になると
「おはようございます。窓は開いていますか?」
と、校内放送が有ったのを思い出しました。
コロナ対策ではなくて、埃対策だったのだと思います(-.-)
昭和初期の虎が淵(前橋市)
ネットで日本の古地図を発見出来ました。昭和初期頃です。
https://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41
スタンフォード大学所有です。
昭和初期の前橋市の地図↓
https://purl.stanford.edu/pc043ys3215
桑畑ばかりですね(^^;)
自分としては先日来より調べている虎が淵の堤防を良く知る事が出来ました。
古地図↓
現在の地図↓(少し重ねあわせました。上の写真と同じ場所です。)
前橋公園付近は全て川原?だった事がうかがわれます。
利根川の流れが堤防によって見事に流れが変わっています。
これが「安井与左衛門氏(安井 政章氏)」の功績によるものだと思われます。
群馬県前橋市|地域再発見 安井与左衛門効績碑(大手町三丁目)
古地図を見ると当時中央大橋も群馬大橋もまだ建設されて居なかった事が判ります。
無理矢理?流路を変えている堤防は中央大橋の下に有ります。
その堤防の東に有る神社は前橋の東照宮。
その北にあるのは、「臨江閣」だと思います。正に入り江を臨む建物だった事と思います。
自家製自己流ジンジャエール
ジンジャエールは作れるということで、作ってしまいました。
ネットでレシピが沢山載っているので有り難いデス(^^)
自分が作ったのは、
・厚めに根生姜をスライスする
・それを広口のビンに入れヒタヒタになるくらいハチミツを入れる
・そうすると生姜のエキスが染み出してくる(三時間ぐらい?)
・その液にクローブとシナモンスティックを入れて少々寝かせる
・(レモンの絞り汁を加える)
・その液を三倍程度の炭酸で割って出来上がり
とても上品であまり辛くないジンジャエールが出来ました(^_^)v
でも。薬用効果はスゴイと思います。
夏ばてにはとても効果が有ると思います。
冬場には炭酸水の代わりにお湯で、とても身体が温まると思います(^^)
残った生姜はウイスキーにそのまま入れ少々時間を置くと、とても美味しい生姜酒になりました(^_^)v
姫路城由来の前橋の長壁様
現在。ネットで色々な事を調べられる様になりました。
調べたことを少々まとめてみたいと思います。
下の写真はロイヤルホテル駐車場より
群馬県庁からみると北西の位置に長壁神社が建っております。
明治31年に前橋東照宮に合祀されたそうですが、跡宮としてもかなりのパワーを持っておいでの様です。
この長壁様は1749年に姫路から入場した松平のお殿様が、「姫路の長壁神社の分霊を前橋城三の丸に祀った」と伝えられています。
姫路といえばあの白鷺城ともいわれる「姫路城」で有名ですね。平成の改修も終わり今は白く輝いています。
そのお城の一番上の階の天守閣に今でも祭られているのが「長壁様」で有ります。
姫路での歴史
刑部親王は藤原百川の讒言によりその地位を追われると、親王の王女であるという富姫も幼い頃より住んでいた姫山の地で薨去。国司の角野氏がこの2人を守護神として姫山に祀って以来、代々の国司や守護職からの厚い保護と庶民からも厚い尊敬を受けました。
江戸時代の前には姫路城に妖怪が住んでいるということで、あの宮本武蔵が退治に行ったそうです。階段を登るにつれ怪現象が有りましたが刀を抜くそぶりを見せるとそれも無くなり、そのまま朝を迎えたそうです。そして気がつくと目の前に居た長壁様から妖怪を追い払ってくれた御礼として名刀を頂いたとか。
長壁様も妖怪は恐かった様ですね。
- 江戸時代のチョット前に、羽柴秀吉公に城下の町外れの播磨総社に降ろされました。
- 16012年 天守閣に祭られる。池田輝政公の病気の原因と対策として。
- 1639年 松平忠明公に城下の播磨総社に移されました。
- 1649年 榊原忠次公に変わると又城内へ。この後二社併存
- 1704年 榊原政邦公により竪町のお寺にも長壁様が祭られる
- 1742年 榊原政岑公により竪町の長壁神社で「ゆかた祭り」が開催され現在でも賑わう
- 1748年 松平明矩公により 長壁神社を正一位に。
- 1749年 松平朝矩公が前橋城転封に伴い姫路の長壁様の分霊を現在地天神山にお祀りする。
- 1749年 姫路城へ前橋より酒井公が入城する
歴史をみると松平氏の時代に姫路城下にも祭られた事が判ります。かといって粗末に扱った訳ではなく、もしかしたら一般の民にもお参りして欲しかったのだと思います。
それと姫路市で現在開かれている「ゆかた祭り」は、西日本最大のお祭りといわれてます。これも長壁様のお力だと考えられます。
前橋での長壁神社
1749年 長壁様が松平のお殿様と前橋にお越しになりました。お社は本丸の南西部(裏鬼門)に置かれました。松平公はお城の外に祭るのが流儀らしい。
1767年 利根川の流れでお城の土台が流され続けお城に住んで居られなくなり、川越へお殿様は引っ越ししてしまいますが、長壁神社はそのまま残されたそうです。
その際長壁様がお殿様の夢枕に立ち「川越に一緒に連れて行って欲しい」といわれたそうですが、お殿様は城を守れなかったということで断ったという話も残っています。
その後前橋は99年間陣屋支配になったそうですが、長壁神社を参拝する人は多かった様です。
お殿様が居なくなってからの99年間、最後には生糸の輸出で儲けた商人達が協力しお金を出し合いお殿様を呼び戻しますが、長壁様の御利益だとも感じます。
明治31年1月21日に前橋東照宮に合祀されますが、その後も地元の人からその祠を大切に守られています。