近況報告…というか、この10年間、いったいどこで何をしておったのか

Twitterのほう、有料にしたらタイムラインは普通に見られるようになったので、しばらく様子を見ます。あと、Blueskyは初期のTwitterに雰囲気が似ているということなので、招待コードを申請しました。全部英語なので、昔Twitterを始めたときみたいで、少しどきどきしています。

 

さて、このおよそ10年間の動きですが、

仕事:いまだに同じ養鶏場で働いております。ただし、数年前に正規雇用に昇格しました。職場の環境としては、人がだいぶ入れ替わり、スマホ・メール・オンライン会議(これはご多分にもれずコロナ禍のころから一気に)が広く使われるようになりました。

趣味:艦これ、続けてます。それとその関連で、あちこち旅行に行くようになりました。覚えているだけで、佐世保が2回、呉に1回、あとは富士スピードウェイにも。色々きっかけはあったとはいえ、10年前の自分に行っても多分信じないだろうな。

 

さしあたりそんなところです、ではまた。

生存報告と避難用テント開設のお知らせ(2023年7月3日)

ご無沙汰しております。

長らくTwitterにこもっておりましたが、あちらの情勢がだいぶ不安定になってきましたので、こちらの更新を再開します。期間としては、差し当たり、イーロン氏言うところの「temporary(当面の間)」を予定しておりますが、もしTwitterが寂れていくようでしたら、そのままこちらを続けていくかもしれません。

また、並行して別のSNSも探しております。現在、Pawoo・Misky・Blueskyなど検討していますが、もし決まりましたらこちらでもお知らせします。

ずっと放置状態でした当ブログですが、情勢が落ち着くまではまめにチェックしていきます。もし急ぎの連絡などある方がおられましたら、お手数ですがこの記事のコメント欄などに書き込んでいただければ返信いたします。

 

しかしこんな形で戻ってくることになるとは思わなかった。ずっと放置していた物置部屋の中を整理して、埃をはらっている気分。

 

 

「帝国の『辺境』にて ー西アフリカの第1次世界大戦 1914〜16ー 」
(RNVR花組・こんぱすろーず)

以前から面白いという噂を聞いていた本を、コミックマーケット83でようやく入手。第1次世界大戦の中でも、それほど顧みられることのなかった戦いだろうが、戦いの推移だけでなく、当時の植民地が抱えていた事情や、関わった人々それぞれの思惑なども書き込まれた、読みごたえのある一冊である。
 まず印象に残ったのが、第1次世界大戦というものが、この辺りの植民地にとっては(欧州でもその傾向はあったろうが)、「訳がわからないうちに始まって、否応なく巻き込まれてしまった戦争」だったということ。それぞれの植民地は、本国とのつながりはあるとは言っても、隣接する他国の植民地ともまた貿易しており、治安維持などの面で、協力しあうことも多かった(この辺りは、「未開の地を教化する」同志としての連帯感のようなものがあったもかもしれない)。降ってわいた戦争が数年に渡る大戦争になると予想するものは誰もおらず、これまで築いてきたインフラを守ろうと、あくまで小規模な戦いで終わらせようとするも、戦いに積極的な現場指揮官に引きずられる形で、事前の計画を越えて戦火が広がっていく*1。それでも、ドイツの無線局を確保するという明確な目標があったトーゴランドの場合には、ひと月足らずのうちに戦争は終わったが、「あんまり関心ないけどドイツ領だから攻撃するか」的なノリで始まったカメルーンの場合には、「港だけは確保して、ドイツ海軍が使えないようにすっか」と考えるイギリスと、「この際全土を占領して、ウチの領土を広げてやるぜ!」と張り切るフランス(というか植民地担当の大臣と現地の総督)との間で目的が食い違ったまま、戦争がだらだらと続き、やがては欧州の戦争ともあまり関わりを持たなくなってゆく。
 そしてもう一つの特徴が、現地の自然の過酷さ。軍隊がまとまって行動できるのは、河川とわずかに存在する鉄道に沿った細長い地域のみで、そこから外れた部隊はたちまち道に迷い、弾薬や食料を運ぶ家畜もツェツェバエにやられて斃れていく。それを補うためにかき集めた現地人のポーターもとても数が足らず、敵と戦う前に、まず自分たちが生存するだけで精一杯の有様*2。そういった中で、ある者はあくまで本国の命令に忠実であろうとし、またある者は帝国の中で有利な地位を得るために激しく戦い、さらにある者は勝ち馬に乗ることで、自らの保身を図る。
 しかしそうまでして手にいれた領土もまた、本国の人間にとってはあくまで取るに足らないものでしかない。カメルーンの章の終盤、イギリスとフランスとで領土の分割を相談する場面で、イギリス側の担当者が無造作に1本の線を引き、その結果、ドイツ領カメルーンのほぼ9割が、フランスの領土に編入される。この呆気無い終わりこそが、帝国の辺境であるとはどういうことであるかを、実にわかりやすく示しているように感じた。
 

*1:何やら満州事変を彷彿とさせる。もっともこちらの場合には、独断専行した指揮官がそのまま野放しにされることはなかったが

*2:これまたニューギニアインパールを連想させる話ではある

大画面狭しと飛び回る爽快感

 うまい具合に休みが合ったので、この前の土曜日に公開された「魔法少女リリカルなのはA's The Movie 2nd」を観に劇場へ。最近はなのは関係はあまり追いかけてなかったのですが、始まった途端にそんなことは忘れて、見入ってしまいました。
 とりあえず、気づいた点を箇条書きで。

  • 空中戦シーンすげえ。登場人物の視点に合わせて、視界がぐるぐる大画面で回るのは、TV版にはなかった面白さ。
  • なのはの動きは、砲撃撃つシーンでは必ず止まるので、やっぱり「空飛ぶ重戦車」のイメージ。特にカートリッジ積んでからは、ヴィータでも簡単に抜けないほど防御が固くなったので、ますますそのイメージが強く。
  • 初っ端の戦闘シーンで、なのはとフェイトの二人とも完敗するのは、やや性急な感じ。しかし、フェイトが傷つきながら、這ってでもなのはに近づこうとするのは、思いの強さが感じられて良かった。
  • リンディ提督は何気に無茶してるような。襲われるかもしれないと警告を受けながら、さりげなくデバイスを用意して、いざ結界に囚われたら、真っ先にシグナムと話そうとするとか、もしかして、自分がおとりになってでもおびき出すつもりだったのでは。
  • 一方で、自分の夫のことを持ちだして、シグナムに揺さぶりをかけるあたりは、さすがにしたたか。過去に対する思いはありつつも、任務のためにはある程度割り切ってそれを利用する冷静さがうかがえます。
  • シャマルはTV版の「手をぐりぐり突っ込んでリンカーコア抜き出し」シーンがなくなりました。でも、ラストの戦闘シーンでは「旅の扉」使ってたから、こう、画面に映ってないところでは、しっかり抜いていたのかも。
  • 闇の書の防衛システムには「ナハトヴァール」という名前が付きました。でも、名前を呼んで友達になってくれたり、主として祝福してくれる人は、残念ながらいなかった模様。
  • そして今回のリインフォースは、戦闘シーンでは動く動く。手にデバイスを持ち、涙を流しながらも、画面狭しと飛び回って、より人間っぽさが増しました。
  • ちなみにグレアム提督と使い魔たちは、多分物語をすっきりさせるためでしょうが、最初からいなかったことになりました。以前、彼らが現役だったころの話を妄想したこともあったので、ちょっと残念。*1

 全体としては、管理局内部の話を削って、主役3人組の戦いと友情の物語に絞ったおかげで、展開がスピーディーになったと思います。空中戦シーンの動きと相まって、非常に爽快感のある映画でした。

*1:第二次大戦中に、若き日のグレアム提督が、イギリス情報部の陰ながらのバックアップを受けつつ、インド洋あたりで、ナチスドイツに協力する敵の魔導師と渡り合い、さらに高町家のご先祖さまもそれにからむ…というストーリー。しかし、この時代に二十歳前後だったとすると、本編の時代には高齢になりすぎてしまうため、断念した。

戦間期から戦後にかけて、都市が受けた影響に関すると思われる、いくつかの事柄(特に交通を中心として)

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%82%BA%E5%AF%BE%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%82%B9-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E9%83%BD%E5%B8%82%E8%A8%88%E7%94%BB%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E9%97%98%E3%81%84-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC-%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88/dp/4306072894
 第一次大戦から第二次大戦の頃とは、車の発達によって、交通のあり方が大きく変化していった時代だった。

  • 第一次大戦の頃までは、鉄道はアメリカにおける陸上交通の王者の位置にあった。しかしそれは、鉄道会社が時に独占的な立場を占めることができたということでもあり、社会から必ずしも好意的な視線で見られていたわけではない(これは他の巨大企業にも言えることではあるが)。こうした状況下では、自動車の登場は、道路さえあればどこへでも行けるという点で、この独占を打ち破ることができると、期待されたのではないだろうか。
  • 第一次大戦によって、自動車が戦争に大いに役立つとわかったため、1919年に米軍は軍用車を使って、アメリカ大陸を横断するという実験を行った。この実験には、後に大統領として、州間高速道路網の成立を後押ししたアイゼンハワーも参加していた。
  • この実験当時、アメリカの道路網はまだまだ未発達だったが、自動車の普及と前後して、改良されていった。こうした改良は、トラックやバスによる輸送業の発展も促し、1927年には、当時急速に発展していたグレイハウンドのバス路線を使って、大陸横断旅行が可能になっている。
  • 自動車、とりわけ自家用車の普及によって、郊外の一戸建てに住み、都心の職場まで車で通勤する生活スタイルも現れてきた。しかしこれは次第に、買い物の場所(後には職場も)が郊外に移る傾向を生み、1922年には、アメリカ最初のショッピングモールと言われるカントリー・クラブ・プラザが、カンザスシティに開業している。
  • 本書の中でも、ニューヨーク市は、1940年代ころから、中産階級を街中に留まらせるために、私有地を市の権限で収容して、その土地に民間の開発会社を使って大規模な住宅プロジェクトを行う事業を始めている。この頃からすでに、中産階級という安定した税収源を失うことを、行政当局が問題視していたということだろう。
  • 第二次大戦が始まると、軍需物資の輸送や、軍需工場への通勤輸送のために、鉄道は再び混雑するようになった。しかしこれは一時的なものであり、戦争が終わるとともに、特に旅客輸送の分野において、鉄道は衰退していく。
  • 戦後、復員してきた軍人たちは、続々と郊外に家を求めた。「ザ・フィフティーズ」で取り上げられたレヴィットタウンの登場も1950年代であり、都市の行政当局にとっては、こういった動きに対抗し、都市をより魅力的に作りなおすことが、よりさし迫った課題として認識されるようになる。

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

ザ・フィフティーズ〈第1部〉1950年代アメリカの光と影 (新潮OH!文庫)

アメリカ道路史

アメリカ道路史

「マスター・ビルダー」の栄光と没落

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 第二次大戦後、ニューヨーク市内における都市計画を巡って、そこに住む住民の立場から、都市を生態系のようなものと捉え、住民が主導権を持って開発を進めることを主張したジェイン・ジェイコブズと、都市計画を策定する高級官僚の立場から、都市をある種の機械のようなものと捉え、行政当局が主導権を持って、能率的に、大規模に開発を進めることを主張したロバート・モーゼス、両者の長年に渡る対決を扱った本。都市計画という分野では、現在では前者の立場が主流となっており、この本にも、主にジェイコブズの側から、彼女たちが行政を相手取り、時にしたたかに渡り合ったことが描かれている。それは確かに面白いし、学ぶべきところも多いのだが、この文章を書くために読み直して感じたのは、モーゼスもまた、ある種の魅力ある人物として描写されていることだ。
 上流階級の白人層に属しながらも、頑固で上昇志向が強く、自らの能力を頼みとして働きはじめたこと、行政のあり方を合理的にすること目指して、改革派の政治家に取り立てられながらも、選挙で政治家が入れ替わるたびに失業するようなことを繰り返すうちに、次第に権力に執着するようになっていったこと、大恐慌の前後から、ニューヨーク周辺の公園・道路整備に手を伸ばし、当時まだ富裕層のものだった郊外の土地に、市民の支持を頼みとして、大規模な公園とそこへアクセスする道路を整備していったこと、計画の隅々にまで目を配り、公園のシステムを一つの統一された作品のように仕上げていったこと、長年に渡る計画が、知事や市長の代替わりによって簡単に変更されることのないよう、法律を駆使して、自らの地位が簡単には揺るがないような仕組みを作り上げたこと、言動は時に攻撃的であり、敵と見れば容赦はなく、気まぐれな一方で、友人とみた人物への恩義は忘れず、手厚く遇したこと、などなど、少なくともその前半生を見る限り、彼の姿は偏狭でありながらも、時に、慈悲深い帝王のようにも見える。
 もちろん、彼のこうした性格には欠点もあったし、歳を経るに従って変化していった。例えば、公園内におむつ交換用の棚板を設置するよう提案するといった、細部に至るこだわりは、後年になると失われ、この時期に造られた高速道路や高層住宅は、車をより多く通せること、住民をより多く住まわせることなど、数字で表されるような性能のみを重視するようになっていったという。また、対立相手に容赦しない性格は、特に住民グループと対立した時には、その対立をより一層激しくし、計画の存続を危うくしていったように思われる。本書のクライマックスとなっている、「ローワーマンハッタン・エクスプレスウェイ」(マンハッタン島の南端付近を横切る高速道路計画)を巡る対立においては、当初の、ルート上の建物を大規模に取り壊して、高架道路を作る案に固執して、高速道路を半地下に潜らせ、その上に新しく住宅を建てるという提案については、コストを理由に即座に否定している(この案については、ジェイコブズの側もやはり否定しているので、彼の性格だけが問題というわけではないが)。最終的にこの計画は中止となり、長期的な計画からも削除されることになったが、他の都市を見ると、例えばボストンにおいては、「ビッグ・ディグ」と呼ばれる、市の中心部を通過する高速道路を地下に潜らせる計画が、多くの年月と費用をかけながらも、曲がりなりにも完成していることを考えれば、この提案も、それなりに実現の可能性はあったのではないだろうか。
 現在の視点から見るなら、彼の没落は、彼の仕事のやり方そのものがそもそもの原因となったとも言える。猛烈に働き、細部に至るまで目を配る仕事スタイルは、体力のあるうちはともかく、老人となっても維持可能なものではなかったろうし、扱うプロジェクトが大規模になり、さらに、住民の要求が複雑化していくに従って、次第に破綻していっただろう。また、法律を自分に都合のよいものに変え、政治家の(間接的には市民の)信任を得ずして地位を確保し続けたことは、例え彼自身が財産よりも計画の遂行それ自体を追い求めていたのだとしても、市民の疑いを招かずにはおかなかった。さらに、都市を再開発するにあたって、大規模な高層住宅と高速道路に頼る自身の案に固執し、より歩行者の視点にたち、それぞれの建物の歴史的価値を重視するという新たな潮流に乗り遅れたことが、その没落を決定的な物にした。
 にもかかわらず、この本の最後の章では、大都市には堅固で大規模なインフラストラクチャーが必要でありながら、彼以降そうしたプロジェクトは行われなくなってしまった、また、新しい高層住宅の建築ではなく今ある住宅の保全が重視された結果、歴史的価値は保たれたものの、そうした住宅の価値が上がった結果としてより富裕な住民だけが住めるようになり、それまで住んでいた普通の市民が出ていくことになってしまったことも、指摘されている。こうした評価を見ると、やはり彼もまた、統一的な計画への情熱とそれを遂行する意思という、都市計画を実現するために必要な資質の持ち主だったのだと、思わずにはいられない。

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

ジェイコブズ対モーゼス: ニューヨーク都市計画をめぐる闘い

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

都市再生

都市再生

ごりごりと、あちこち引っ掛かりながら前進中

 最近すっかり、TwitterTumblrにかまけていたことに改めて気がつく。相変わらず、散らかった部屋と格闘しながらも、色々サービスを探したり、時間の算段をつけたりしながら、少しづつ前進中。とりあえずは、有料サービスを使って、本やらビデオテープやらの山を片付けようかと考えていたり。
 しかし改めて思い返してみると、この山を集め始めたころは、とんでもなく不遜なことを考えていた気がする。そう、「バベルの図書館」とか、そんなキーワードが思い浮かぶようなことを…いやいやいや(汗。きっとそれだけ、気持に余裕がなかったのだなあ。