HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

* トルストイ「アンナ・カレーニナ」: より

 幸福な家庭は似通っているが、そうでない家庭の様相はさまざまである。:  

アンナ・カレーニナ」のこの冒頭部。

  よく知られた一節で、この長編の第一部の11には、ハイネの詩の一節も挿入されている。: 

  抑えがたき この世の欲情に 

       打ち勝てば この世は わが春だ 

    たとえ 叶わぬとも

 燃えた心に 歓びが のこっているなら・・ 

                         *- *- *1 )*

       この詩の一節はヨハン・シュトラウスオペレッタ「蝙蝠」でも使われている。

Himmlisch ist's ,  wenn ich bezwungen 

Meine irdische  Begier ; 

 Aber noch wenn's nicht gelungen,

  Hatt' ich auch  recht hubsch Plaisir !.                         

*1: ( *       

「だけど、どういうことだね」オブロンスキーは苦笑した。

レーヴィンの心の中は分っていた。 

「つまり、こうだ。結婚していても、きみはもちろん、妻を愛している。 が、ほかの女に惹かれることも ないとはいえない」 

「分からぬ。満腹のときに、パン屋の前を通りかかり、ひとつ失敬するようなものじゃないか・・」

オブロンスキーの目が、いつもより輝いていた。   

「だが、いい香りがしてくると、つい 手に取ってみたくなるものだ・・」

     ***

*囚われの男: 2: 承前 

夫人のマーティルデさんは庭先で洗濯物を干し訊ねてきた。                その間、青い顔のアルバーンは、話に耳を凝らしていた。                     本当に、いいことなど ありませんでしたわ、夫人は云った。すると               悪いのは、この俺のせいだ。Ich bin schuld daruber....                                                         アルバーンは  いきなり、口を挟んできた。

「空襲は日毎に、ひどくなっていくばかりで」                        それも悪いのは、この俺のせいだ。                            「みな、すっからかんになって・・財産も、名誉も、血族も・・」                悪いのは、この俺のせいだ。 Ich bin schuld daruber.                                                       「婿も行方不明ですし、息子も出征し、いつ戻ってくるか」                                          悪いのはこの俺のせいだ。アルバーンは繰り返した。

「悪い悪いと仰いますけれど、何故、あなたが・・ 自分一人が悪いなんて」        すると、マーティルデは溜息をつき、首を横に振り云った。                   「主人は選択を誤ったからなんです・・10年余り前でしたが、選択を誤ったからなのです。それを克服できないまま・・」

「でも、大方でしたら、それは・・」                         と、その時、サイレンの音が鳴り響いた。骨の髄まで染みわたるほどに。飛行機が飛んでくるや、騒音を響かせ、完璧な編隊で跡を残し去っていく。渡り鳥が南へ渡っていくように、翼をキラリと輝かせて。どんな弾薬を積んでいるのか忘れてしまうほど、驚き嘆息をつき。が、そのとき アルバーンは両腕を伸ばしたかと思うや頭を反らし、訴えるように叫んだ。

頼む。俺の言い分を受け入れ そして、裁いてくれ・・嘘じゃない。悪いのは俺一人だ                               アルバーンは叫び、胸の奥を裁きに差し出すように激しく打った。             「嘘じゃない、悪いのは俺一人だ」Ich bin schuld daruber...

      **  *))) *

E.Langgasser; Die Sippe auf dem Berg und im Tal

 Gesammelte Werke  Claassen Verlag 1964  S.323ff...

Aus: dem Torso  「囚われの男」

Erste Ubersetzung von :Masahiro Natsume  1980 10.

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*囚われの男: Die Sippe auf dem Berg und im Tal:

 いとこのアルバーンは、今、どうしているのだろう。噂を聞かなくなってから久しい。それほど親しく付き合ってきたわけでもない。

      彼の一族は大家系で、関心を寄せたことがあった。                     それはアルバーンが特有の主張、「嘘じゃない。悪いのは、俺ひとりなのだ!」と云い続け精神病院に収容されていたのだ。

 こういう人間は言い出すと、引き下がらないのだ。

アルバーンも、もともと精神異常者ではなかった。が、内なる秩序が錯乱し始めると、平常さが維持できなくなり、人から理解されない観念に取りつかれていたのだ。        そういう場合、人は自衛策を講じる。例えば、あの人はシナの大皇帝なのだ とか、大発明家だとさ とか、復活なさったイエスさま ね などと。それで片をつけているのだ。 即ち、あの人は気が狂ってしまったのだ と。こうして誰もが、わが身は平常とホッとしていたのだ。

アルバーンの奥さんマーティルデも、お嫁さんや一族の方も、彼は気が違ってしまったと決め済ましていたのだ。  

Elisabeth Langgasser : aus; dem Torso

  Der Titel heisst; Die Sippe auf dem Berg und im Tal.

  Gesammelte Werke   Classen Verlag  1964     S. 323--330.. 

      f:id:zkttne38737:20160906181312g:plain

         この一族は食料品を扱う物産店をもっていた。そこへ行けば何でも手に入るほどだった。だが、マーティルデさんの息子はスターリングラードに出征し、いつまた会えるかと心配は尽きなかった。

 一族は誰もが如才なく、絶えず世界各地へ飛び回っているところがあった。        音楽家の叔父は毎年バイロイトザルツブルクへ出かける、他の叔父はアメリカへでかける、そのように外国へ行くものも多かった。

一族を初めて知ったのは、あの大空襲があった夏、子供たちを疎開させるためヘッセン州へ移った時で、それはハンブルグ崩壊の後のこと、ベルリンにいた私たちは、コヴェントリズィーレンだの、アウスラズィーレンという言葉を耳にし恐ろしくなったものだ。が、この言葉からはまた、シラーのバラード「イービクスの鶴」を思い浮かべてもいたのだ。

 ヘッセン州疎開した折り、小都市アメーネブルクを訪れたことがあった。そこは今では一角に 僅かに家屋があり、慈善施設や城址が残されていた。平野の真っただ中の円錐形の山の上には、中世の遺物に似た崩壊した遺跡が風雨に晒されていた。 だが、その上空に雲が棚引き、胡桃の大木が立ち、どの木にも倒れんばかりに実がなっている光景は美しく、こんな光景を記憶にとどめているのは、二人の縁戚者に結びついていたからで、彼らはカリエスに侵され、舅で船医のメアンダーも病にかかっていて、セイロンからボルネオに航海する途上で よくなっていたのだが、メアンダーの子供の頃のダジュール(金属板)写真を見て アメーネブルクへ出かけてみようと決心したのだ。      写真には黒い服を着てママの膝に凭れ、ちょっぴり頑固そうな眼付をしたメアンダーが映っていた。出かけてみると、いとこは一様に、フルダに棲むアルバーンとマーティルデ夫妻を訪れるよう勧めた。しかし、フルダに舅のいとこの牧師ヨーゼフさんが棲んでいると聞くと、先にそちらに回り道をした。貴族の邸宅であった館に棲んでいる牧師は歓待してくれ、地下蔵からワインを持ってきて、ローソクの明かりの下で飲んだのだが、その間中も 英空軍のプロペラ機がフルダやカッセルから東方へと飛んでいった。

あれこれ語り合ったが、話によると牧師は以前、世界周遊し、メアンダーともシカゴへ行ったことがあると云い、色々な絵葉書をみせ罪とか希望、贖罪や審判について語るのであった。今では覚えていないが、その際、蝋燭の炎から脳裏に小都市アメーネブルクの光景が浮かんでくるや、メアンダーの幼いころの写真姿も浮かんでくるのであった。

 「さあ、話はこれくらいに」牧師は云うや、「悪事をなす者はいくつもの罰を受けますからな」とわからない言葉を付け加えた。が、マイネ・トホター Meine Tochterわが娘と呼んだかと思うと、「メアンダーさんのことなら、アルバーンから聞かせてもらうがよい」といった。

 フルダに行ってみると、アルバーンの家の近くにも胡桃の大木があり、白い雲が浮かび、そのもとでアルバーンは庭先を行きつ戻りつ。傍らでは、子供たちが胡桃の実に石を投げ落ちてくるのを楽しんでいた。 Fortsetzung... つづく

   Ubersetzung von; Ma. Natsume  ,HERRN SOMMER

*ブナの森?..ダッハウ?..それとも、:

「それにしても、あそこの老紳士は何を話しているのだろう。誰かが処刑されたとか」

   ベルリンを貫流しているシュプレートンネルは占領された折り、一部の狂信者により、2,3週間ほど前、水浸しにされてしまったのだが、いまだ地下鉄は寸断され、乗客は歩くほかはなかった。狭い木橋を騒々しい音をたてながら乗客は、みな小走りに渡っていた。その中にひとり、厳めしい立て襟の黒いフロックコートを着た齢のいった紳士が、左右から押されながら渡っていたが、左側の男は知り合いらしかった。そして、その傍らにいた男は、色の褪せたユニフォーム姿からして除隊兵らしかった。

「それはだね、当り前のことだったのだよ。まず、訊問があってだね、次には拷問が待っていたのだが、そういうものだったのだ」

 しかし、この太ったおとこときたら、どうして私を向こうへと押しやろうとするのだろう。・・いま、確か訊問とか云っていたようだが。・・ブナの森のことだろうか、いやそれとも、・・だが、いったい何が起こっているというのだろう。橋を渡っている乗客はみな、立ち止まってしまっている。・・が、それよりか、あの老紳士の話はどうなっているのだろう。」

 「それがあったのは43年のことでね。審理のほうは以前から始まってはいたのだが、2年ほど続いていてだね、裁判官が考えていたことは最初が肝心だということなのさ」

いや、やはり、あの紳士の言っていることはブーヘンヴァルトのことではない。

「この訊問に関する記録は今も残されていてね、・・<迫害の日記>というのだが、一語一語きちんと残されている。ヨハネス・パクによれば、彼の父親も打ち首の刑にあっていたのだ。そして、刑務所ときたら、それは荒んだものだったという。鼠はうろつき回っていたし、蚤はいる、布団といえば汚れた藁布団で、飲み水なんてありはしない。だから、喉が渇いて変になってしまうし、ばかりか、毎日のようにぶち込まれてくる人が後を絶たない。男ばかりじゃない、女も子供もみな、一緒で。居場所もないくらい、それは眼も当てられなかったという。そのうち、伝染病が発生する、死者が出ても放置したまま、だから、悪臭が漂って、・・なんという地獄の有様だったか。」   

   Aus: E.Langgasser , "Nichts Neues"  ,

   Gesammelte Werke  Claassen Vlg. 1964..  S. 357ff.....

                   ( Erste  Ubersetzung, 1976.5.26.....)      

 アウシュビッツ!?...アウシュビッツ強制収容所のことだろうか。

 「しかし誰ひとり、この件について秘密を漏らす者はなかった。信頼感は揺らぐことなく、みな強く希望を抱き、互いの愛も深いものだった。だから誰かが秘密を漏らすかなどと恐れ戦くこともなかった。甘い誘惑に乗る人も、固より皆無だった・・」

「勿論、行きつくところは畢竟、死と定まっていた。それも想像を絶する苦渋の後と決まっていたのだ。飢餓攻めにはあう、逆さづりにはされる、牛革の鞭で叩かれる、そんなあんなの虐殺がなされていたのだ。生き地獄とはよく言ったものなのさ。にもかかわらず、断じていうが、これは敗北ではなかった。寧ろ、勝利であったのだ・・」

あの老紳士の言っていることは間違ってはいない。そして確かに、その通りであったろう。が、しかし、そもそも勝利とは何を意味するのであろうか。・・そして敗北とは。おそらく、その意味するところは それほど変わらぬに違いない。

  いま橋を渡ったばかりの群衆の流れは、ようやく押し合いへし合いから解放され、拡散しはじめて、右へ行くもの、左へ急ぎ去る者ありしたが、それとは別に急いで地下鉄の構内に走りこんでくる者も多かった。・・そして細い通路を肩をぶっつけ合いながら駆け上がってくるのである。先ほどの、老紳士と一緒にいた除隊兵らしき人は、地下鉄の入り口に来るとたちどまり、帽子を取ると、別れを告げ挨拶をしていた。

   「だから、そういうものなのじゃよ。当時も、なんら変わるところはなかった。やはり、おなじ。結果も同じでね。主任司祭は囚われの身になる。人間というものは何ら、変わってはいないのだ。人間はやはり、変わらないものなのだ。噫、すべては百年前と、いや、千年前となんら変わってはいないのだよ。韓国における殉教者記録にも残されていることだし。このようなことは お日さまの下では、何も変わってはいない。百年前にも起こっていたのだからねえ・・」

     *****   ))))   **

 

 

*ランゲッサーの異世界:異教的な神話の試み

   Sonntag Quinqua-gesima :

人は同朋(はらから) ともに生き 傷(いた)みも情熱も 分かちあひ

さながら 灼熱の地獄のなか 泪して 熱く たゆまず こころを ひとつにと願ふ

されど 悲しきかな!.. 

鷲のように 飛翔しても 憧憬は世の園に とどまり・・

 神から離れ 流浪し 留まりしところ : 

 おお なんと 無慈悲なこと !. .みずからを 憎まねばならぬとは

  主は おはします されど 遠く遙か・・

 嗚呼 いつの日か 罪に気づき 悔悛するまではと )) ) --

* E. ランゲッサー 「仔羊の回帰線」 M. Natsume 訳より

 E. Langgasser: Gedichte  ebd. S.44f.. Claassen Vlg. 1959...

      ***   ))) ))*

     ランゲッサーの長編詩「光のミサ聖祭」について:Lichtmess in Februar

  ランゲッサーの長編詩「光のミサ聖祭」は、そのタイトルからも想像できるように、宗教的なテーマを扱った作品で、この詩は、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの三部構成からなり、異世界を舞台にした内容が展開される。

しかし、これは単なる魔術界の物語ではなく、聖なる世界を描いているのが特徴である

・ところで、ラテン語古代ローマで使用されていた言語であり、現在でもカトリック典礼などで使われ、その古典的な美しさと歴史的重要性は多くの有名なフレーズによって なお 語り継がれている。例えば、zB./--

*「Carpe Diem」(今この瞬間を最大限に楽しめ)、

Veni, Vidi, Vici」(来て、見て、勝った)などのフレーズは、ラテン語の遺産の一部として知られている。

        ランゲッサーの「光のミサ聖祭」Lichtmess in Februar は、このようなラテン語のフレーズを通じて深いメッセージを伝え、この詩がどのように響くか、その解釈はそれぞれの心に委ねられ、それが文学の魅力の一つとなっているのだ。。。

  * ランゲッサーの作品とその影響:

 ランゲッサーは、20世紀の戦後ドイツ文学を代表する閨秀作家で、作品は自然叙情詩から始まり、ナチス時代の苦難を経て、戦後のキリスト教文学の可能性を追求するものへと進化した。

 ランゲッサーの詩集『仔羊の回帰線』Der Wende-kreis des Lammes(1924)や小説『プロゼルピナ』Proserpina(1932)は初期の作品であり、自然との深いつながりや宗教的なテーマを探求している。

 ナチス政権下でのランゲッサーの生活は困窮を極め「半ユダヤ人」として執筆禁止の処分を受け、強制労働に従事させられるなど多くの試練に直面した。しかし、この時期にも彼女は創作活動を続け、短篇集『トルソ』Torso(1947)を発表。

この20数編の短篇と詩篇からなる作品は、戦時中のドイツ人の苦悩と悲惨を描いたもので、ランゲッサーの深い心の痛みが表現された。

 戦後、ランゲッサーは詩集『葉男とバラ』Der Laubmann und die Rose(1947)や、『変容詩集』Metamorphose(1951)などを発表し、新しいキリスト教文学の可能性を模索した。

また、代表作である小説『消えない印』Das unausloschliche Siegel(1946)は、主人公の運命を追いながら、洗礼の秘蹟、罪と恩寵、神とサタンの対立など、深い神学的テーマを扱い、『マルク地方のアルゴ船巡礼』Markische Argonauten-Fahrt(1950)では、異教的、古典古代的神話の形象とキリスト教歴史観の融合を試みている。。。

 

 ランゲッサーの作品は個人的な経験と深い信仰に根ざしており 多くの示唆を与え、時代を超え 人間の内面と外界との関係を探るものとして、今でも評価されている。

*:幻想と現実の交錯: ラーベ「フォーゲルザングの記録」 より : (* - 10 )

  ラーベは結婚したのが31歳、四人の娘がいた。長女が誕生したのが32歳のとき、また、次女は37歳のとき、三女は41歳、そして四女は 45歳の時の子である。が、末娘ゲルトルートには悲しい思い出があり、というのも、16歳の若さで病死していたからである。この時ラーベは61歳。愛娘(まなむすめ)に先立たれた悲しみに、以後、書くものからユーモアが消えていく。そして、それから4年後に書いたのが「フォーゲルザングの記録」。そこでは主人公のフェルテン・アンドレースが幼い日の夢をいつまでも追い続け放浪し、その挙句、幻滅、果てには 大都会ベルリーンの片隅で ひっそり死んでゆくさまが描かれた。そこに引用されたこんな一節。:    

    "無心になるがいい !.. 世の中は 揺れてやまぬ  それゆえ                       心は強く持ちつづけるがいいのだ :

 これは文豪ゲーテが若き頃、友人ベーリッシュに贈ったオーデ(頌詩)の一節で、ラーベはこれを「フォーゲルザングの記録」のなかで 幾度も繰り返す。

こうして「シュトップフ・クーヘン」(饅頭男)と この二作品に於いては、新しい時代に順応できず、みずからに忠実に生きようとする人間を扱っているのである。 

・「フォーゲルザングの記録」 Die Akten des Vogelsangs. 65歳の作

Sei gefuhllos, /  Ein leicht-bewegtes Herz / Ist ein elend Gut /  Auf der wankenden Erde....

   **  )))  ==  

Die Akten des Vogelsangs:---語り手、カール・クルムハルトの回想。         主人公はフェルテン・アンドレース。

 Am Anfang dieses Romans; 冒頭より:

An einem November-abend bekam ich , Ober-regierungsrat Dr. jur.K. Krumhardt, unter meinen ubrigen Post-sachen folgenden Brief in einer schonen, festen Handschrift , von der man es kaum fur moglich halten sollte, dass sie einem Weibe zugehore.;                          Lieber Karl !        Velten lasst Dich noch einmal grussen. Er ist nun tot, und wir haben beide unseren Willen bekommen.---Er ist allein geblieben bis zuletst ,mit sich selber allein. Dass ich mich als seine Erb-nehmerin aufgeworfen habe, kann er freilich nicht hindern; das liegt in meinem Willen ,und aus dem heraus schreibe ich Dir heute und gebe Dir die Nachricht von seinem Tode und seinem Begrabnis . Dieser Brief gehort, meines Erachhtens, zu der  in seinen Angelegen-heiten (wie lachelich dieses Wort hier klingt) noch notigen Korrespondenz....>.

--> Wenn wir nun zusammen-sassen  ,so konnte ich Dir wohl noch vieles sagen. Zu schreiben weiss ich nichts mehr; ich bin auch sehr mude.                                                         Mit den besten Wunschen fur Dich und Dein Haus ,                                                             Helene Trotzendorff ,Widow Mungo                                                                                    ヘレーネ・トゥロッツェンドルフ、未亡人ムンゴ より 。。。

   *この「フォーゲルザングの記録」では、主人公の行動を 身近な人物が一人称の語りによって描き、語り手と主人公との考えや立場の対置、現在と過去との行き来といった方法で描き出している。--  この作品はラーベの後期の作品群に属し彼の文学的な成熟を示した一つである。   

ラーベは「フォーゲルザングの記録」で描くのは、社会的な変化に適応できない個人の孤独と疎外感であり、時代の流れの中での人間の洞察である。。。--                             主人公は、社会の期待とは異なる価値観を持っているがゆえに、周囲との葛藤が絶えず付きまとっている。これは、ラーベがしばしば取り上げるテーマで、彼の作品には個人の内面世界と外部世界との間の緊張が描かれ、また、社会的な地位や成功を追求することの虚しさを示唆し、人間性とは何か、幸福とは何かという問いを投げかけている。--  *zkttne38737.hatenablog.com/ 2023/11/07 ""                                                              ラーベの「フォーゲルザングの記録」は複雑な人物造形で知られ、この作品には主人公フェルテン・アンドレースをはじめ、彼の人生と交錯する多くの人物が登場する。--まず、主人公のフェルテンは幼い日の夢を追い続けたため放浪者となり、竟には大都会ベルリンの片隅で ひっそりと死んでいく。社会の変化に適応できない彼は疎外感を抱えながら生きる人の象徴でもあるのだ。--                                                                           ラーベはこうして、登場人物を通じ個人の内面と外界との葛藤、社会的地位や成功の追求の虚しさ、そして人間の幸福についての普遍的な問いを探求しているのである。----  

 

* 懐かしき夢: ハイネ より

懐かしき夢をみた: 五月の夜のこと
ぼくたちは 菩提樹の木蔭(こかげ)で
永久(とわ)の愛を誓って いた  それは新たな誓い
くすくす笑ひ 愛撫し接吻を交わし 
ぼくは誓いを こころに留めた
けれども ぼくを苦しめていたとは
おお 恋人よ!... きみの誓いは美しくも
辛辣だったね   誓いに嘘はなかったのに
きみの辛辣さは  超過激だったとは!..             
H.Heine : Der alte  Traum 
Aus : Dt. Liebesgedichte Reclam  ebd.  S. 33f.
  * Heinrich Heine :         
  Mir traumte wieder der alte Traum:
Es war eine Nacht im Mai,
Wir sassen unter dem Linden-Baum,
Und schwuren uns ewige Treue.
Das war ein Schworen und Schworen aufs Neu,
Ein Kichern, ein Kosen, ein Kussen;
Dass ich gedenk des Scwures sei,
Hast du in die Hand mich gebissen. 
 O Liebchen mit den Auglein klar !..
   O Liebchen, schon und bissig !..
   Das Schworen in der Ordnung war,
   Das Beissen war uberflussig .
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*ニーチェと学者詩人:Philologen Poeten

   学問と芸術とに心砕いた哲学者 ニーチェ:Nietzsche

彼は「偶像の黄昏」で ブルクハルトを尊敬すべき友人と述べ

彼の「イタリア ルネッサンス」に 学問と芸術の美しい融和を みとめていた 

ルネッサンスの詩人は また学者でもあった:

彼らは古典古代の再発見をしたのだが

その一人にペトラルカがいた また 別の一人にボッカチオがいた

国も時代も異なるが 詩人で学者にはゲーテGoethe がいた

そしてまた 東方の言語と文化に造詣が深いリュッケルト Ruckert がいた

彼らは ニーチェのいう典型的な学者詩人であった: 

フィロローゲン・ポエッテンであった>>---

 

*::スタンダール より

  'おお 春! 四月は 定かならぬ輝きに満ち!.. 

  恋愛も 陽の輝きに あふるる

が やがて 雲は すべてを覆い隠しおり  

          シェイクスピア --

  「赤と黒」第一部 第十九章 導入部より 

   *

 

* プルースト より ⑵

17世紀オランダの画家フェルメールについてオデットはスワンに訊ねた。

この画家は女性のために苦しんだことがあるのかしら、女性からインスピレーションを与えられたことがあって?...

スワンが、実は、わかっていないというと、彼女はフェルメールに興味を失っていた。

オデットはよく、こんなことを云ったものだ。

詩より美しいものはないかもしれない。でも、詩が真実で書いてあればの話。詩人というのは欲の突っ張ったひとが多いのよ。・・詩の中で愛だの星だの書いていると、其れに騙され30万フランものお金を取られてしまったお友達もいるわ。

 スワンが芸術の美しさと、詩や絵画をどう鑑賞すべきか云おうとすると、オデットは芸術に幻滅したように云った。

そう。思ってもみなかったわ。あなたは いつも冷静ね。 

   オデットは気付いたのだ。スワンはお金には恬淡で愛想もよく、優しい心遣いをする人だと。

      プルースト失われた時を求めて」より