ズートホーン00のこれからどうスラッヂ

「これからどうする?」の土佐弁「これからどうすらぁ?」とMy Favoriteロックンロールバンド「ザ★スラッヂ」をかけて、一時どこかで流行った言葉。そんな、将来への不安をこじらせたような物言いをいまも引きずる、たっすい(頼りない)ブログ。

取りかへせない投函ひとつ春の宵

直筆の行き交ふ時代うららけし
取りかへせない投函ひとつ春の宵
立春やズレて固まる切手かな
左四つ全盛時代冴返る
下級生来て卒業の羽根胸元に
バレンタインデー先に舟唄歌はれる
ビー玉の溜まる窪みや春浅し
下請けの下請け直に梅の花
濃密なとき経て疎遠朧かな
(自由俳句風薫2024.2月)

 

手紙を投函することと結婚することは、完全にロマンティックな事柄として、今残された数少ないものである。ある物が完全にロマンティックであるためには、取り返しがつかないということがどうしても必要なのだ。
(G.K.チェスタトン「異端者の群れ-HERETICS」)

─この原題のHERETICの字面ですぐ浮かぶのは「エクソシスト2─HERETIC」。ジョン・ブアマン監督でした。ウィリアム・フリードキンの「エクソシスト1」、そしてそもそもの原作者でもあるウィリアム・ピーター・ブラッティ監督「エクソシスト3」。パットン将軍でおなじみジョージ・C・スコットが最後を締めました。この3作はどれも必見。なかでも2は賛否両論あった問題作ですが、まさに異端者=ジョン・ブアマンを愛する方ならこの独特のB級テイストがたまらない。ワケですね。

つか、脱線しましたがチェスタトンです。チェスタトン西部邁MXTVの番組などでよく引用してたけど真理を突く言葉が多い。前述の引用は、昔小さな冊子で見つけて長らく気になっていた。カルビーのPR誌「Harvester」だったかも。で、ネットで探してたら、Xに上がってました。「異端者の群れ」が出版されたのは1905年。およそ120年前に書かれた言葉だが不思議に今でも通じる。いや今こそ通じるのかも知れない。たまたま句会の前の風薫メンバー白石洋一氏からのメールに「年賀状とか廃れつつあるけど、どういう形であれ手書きの文が行き交うのは意味のある事だと思います」とあった。今回はこれに誘発された。きしくも句会では小林泰子さんが、友人との文通のことを詠んだ句「友のふみ文字なぞり笑む春の星」も発表された。こういうシンクロニシティも句会の面白さだ。

 

戦火と消へし映画フイルムや年忘れ


戦火と消へし映画フイルムや年忘れ
寒椿庭師の大家また庭に
レコードの針飛ぶ海や千鳥来る
子より孫少なき父や寒卵
雪だるまひと文字直し入れ脱稿
探梅や面影なにもない戸塚
冬菫郵便受けに指伸びる
山眠る畳みしままの卓球台
自分を出しすぎて海鼠横たはる

(自由俳句風薫2023年12月分+α)


私は20代後半位から、川島雄三にハマって上映のうわさがあれば可能な限り見に行き、映画専門チャンネルなどで放映されればすべて録画…みたいな状況が続いてました。でも40代位からぽつぽつと清水宏を見始めて、いつのまにか完全にあっさり清水宏に鞍替えしました笑。小津が、溝口が、山中貞雄が天才と呼んだ男、清水宏。セットを飛び出し、「按摩と女」とスタッフと、東海道を旅するようにロケ。戦災孤児たちと一緒に風呂に入り、子供の背中を流し、ついでのように撮影もして。詩情にあふれた瑞々しい作品の数々。いや、誰にでもわかるこの素晴らしさ、でも他の誰にもできなかったその映像の素晴らしさ。約35年間で164本の作品を監督したそうですが、そのうち現存するのは色々な資料から察するとおそらく半分もないよう。あまりにも大きな損失にゾッとするしかないですが、まだ現存するすべての清水作品を見てるわけではありません。また機会があれば心して鑑賞したいと思います。

地下のミラノ二階のロマン淑気満つ

一柳慧の旋律千鳥来る
活版の文字をなでゐし去年今年
元旦の炭酸水の蓋固し
元旦や揃はぬ人を思はるる
松過ぎて集金はじむ組合費
松過ぎのワインに浮かぶコルク屑
松過ぎてごはん食べなと猫に声
地下のミラノ二階のロマン淑気満つ
脱稿やラスト一行淑気満つ

(自由俳句風薫1月投句分)


二階のロマンは、昔あった大井町武蔵野館2階のロマン劇場のこと。最初は日活ロマンポルノの上映を目的としたそうだが、行政の認可がおりなかったため普通の洋画上映館になり名前はそのまま残った。私が見に行って印象に残ってるのは確かヴィム・ヴェンダース「ことの次第」、ロバート・アルトマン「三人の女」の二本立で、見終わって外に出ると、洞口依子が一緒に出てきたのでびっくり。一人で颯爽と映画館を去っていった。伊丹十三ドレミファ娘の血は騒ぐ」や、山田太一ドラマ「時にはいっしょに」などでひそかに注目してた頃。アルトマンを一人で見に来るなんてかっこいいなと思ったのだった。地下のミラノはフィクションですが、イメージとしては池袋の文芸座。オールナイトといえばここでした。
そして、とくに少年の頃、正月映画を見に行くときの高揚感は忘れられない。それはでも、大人になっても大して変わらない。「二階のロマン」になにかしらを期待して、階段を上るとき。その足取りは何にも増して軽かったのでした。。。

笹鳴きやひらがなツメるピンセツト(自由俳句風薫11月まとめ)

笹鳴きやひらがなツメるピンセツト
かわらぬ顔とわからぬ顔や石蕗の花
綿虫や喪主自転車で来てゐたり
白髭の左右均等桃青忌
十一月屋根づれてると若ひ人
席立てぬラストシーンや返り花
湯冷めせり廊下のスタア写真展
読まぬまゝ回す回覧日短


確か写植屋さんで版下待ちみたいな状況だった…。熟練工のような風情の男性のオペレーターがカッターとピンセットを手慣れた手つきで器用に持ちかえては、版下のひらがなを切っては寄せ、切っては寄せ、文字詰めをしてるのをまんじりともせず見ていた。例えば明朝の、し、のハネの上に、つ、が食い込んだり、なんだか美しい作業を経て、素晴らしい版下が出来上がるのだった。あの風景はもう見れない。文字詰めなどは画面上で瞬時にできる時代となり、版下の待ち時間などは解消された。何もかもが一見便利になったかにみえる。しかし実際は、無個性な作品が大量生産され、無味乾燥な時間だけがむしろ増え続けているのだった。

妻、そして母の境地に…

 

妻、そして母の境地に…
                                 刈谷見南國

 

 新参者ですので、俳句との出会いなど─。10年ほど前、妻が高校時代の同級生と小さな句会を結成した。もともと妻は栃木県芸術祭や宇都宮市民文芸などの創作(小説)・随筆の分野では一席の常連。県の文壇ではかなり知られた存在で、いまは審査員という立場だ。そんな妻が、文芸の出発点だったという「俳句」に原点回帰するかのように始めた句会だった。あるときメンバーが少なくなったからと初めて私に声がかかり、なかば数合わせ的に月1度の句会に参加することになる。
 一方私のキャリアはと言えば、都内(主に単身)で広告コピーライターを生業として約30年。一応文案・文章づくりには長年親しんできたが俳句との接点はほぼゼロだった。妻の句会は少人数のため互選や披講はなし。持ち寄った句を発表して意見を述べ合うシンプルなスタイルだったこともあってか、付き合い気分が抜けず数年間は句会の醍醐味を今ほど知らぬままだったから勿体なかった。コピーライターといっても私の場合その程度で、多くの新人ライターの教育係だった時期もあるが、俳句は使う筋肉も勝手も別物。一皮むけぬままの新人状態が続く。
 転機は約5年前に所謂脱サラをして、宇都宮で妻の念願だった飲食店を二人で開業した頃。お店で開催する句会のうわさがお客さんの口コミなどでひろがり、句歴60年の大先輩をはじめ一癖も二癖もあるアマ俳人が自然集う。句会や吟行も俄然厚みを増し、まわりの俳句熱に感化されるように俳句、句会の楽しさをようやく理解できるようになる。そんな折、私の心境の変化が伝わったか、ある種のGOサインだったのか先生(妻)から俳号を頂戴した。刈谷見南國(かりやみなこく)。刈谷は私の旧姓。「見」は私の名前「吉見」から。「南國」は私の出身地、高知県南国市からとった。私は父母をすでに亡くし、高知の親類にも刈谷姓がいないため、実質消滅した刈谷を復活させようと。ちなみに店の名前も妻が「おかりや」と命名した。それまで俳号などという大層なものとは無縁と思っていたが、おかげでモチベーションはあがったもののプレッシャーも倍増した。それもすべて妻の目論見だったか…。それにしてもここ2~3年の俳句への傾倒は我ながら不思議。例えば休肝日は今まで憂鬱だったが、アルコールのせいで酩酊しない分、俳句に思いを巡らせる時間がふえるから却ってうれしい。
 某俳人の著書に、大学時代の句会の描写がある。留年生ばかりの将来の見えぬ俳句部員たちが屈託に満ちた句を作る。俳句合宿のため東京から電車に乗ると、乗った瞬間から句会がはじまる。一分一秒を惜しむように(以上要約)。こんな状況になぜか今頃憧れる。
 さしあたって今の目標は句が降りてくるという妻の境地にたどり着くことか。もうひとつ。母も生前高知の結社に所属し、句誌にたくさんの句を残していた。ようやく多少は読み解けるようになった今、当時の母の息づかいもわかるよう。あらためて「俳句やりゆうぜよ」と伝えたい(笑)。
 帰省子やズック姿の身軽さに 刈谷益子
 母の句に吾のズックあり春隣  見南國

 

(俳句雑誌「藍」令和4年8月号)

 

休暇明 刈谷見南國

■小3位の時に親が買った小学館「世界原色百科事典」全8巻をいまだに所有してる。まだ30歳位の頃か、帰省中に本を整理してると不意に母が「百科事典結局読まんかったね…」とつぶやいた。そのときは、ギクッとしたが、いやいや、まだまだこれから読む機会もあるわぇ、などと思ってもみないことも言ったような気もする。親としてはこの百科が教養人の契機となり、いずれは「エラい人」に、などと夢想したのかも…と考えるとやはり感慨深いわけで。そんな無意識的な罪悪感も手伝ってか、あ、そういや兼題で出た天体、とりあえず「月」の項を百科で勉強してみようと頁を繰る。面白かったのは、このころソ連のボストーク、ルナなどの月探査船が次々と月面軟着陸に成功し、月の項の最後は「人類の月面着陸も夢でなくなった」と結ばれていたこと。なんだアポロ前夜だったのか、とこれも感慨。思い出したのは最近読んだ藤原月彦の句「月面軟着陸の昔の月光が」。句末を「が」と寸止めすることで、その光が今も存在するわけなどないのに、俳句では読み手に届くわけだし且つ疑似的に体感することすら可能。着陸より軟着陸としたのも、はるかにリアリティがあり、説得力の高い句として文字通り着地できるからだと見た。と、そんなわけで最後は俳句鑑賞になってしまいました汗。俳句はいかに個人的に鑑賞できたかが結局面白い。
■今回の10句は「自由俳句風薫」2021年9月句会(通信句会)の発表句です。兼題は「秋の天体を詠んだ句を1句は入れる」でした。

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凍蝶の筆致 刈谷見南國

■師匠から俳号をいただいたので何故かここで発表。
■ズバリ、刈谷見南國(かりやみなこく)といいます。本名の刈谷吉見(刈谷は旧姓だが)の3文字を生かして、私の出身地高知県南国市からとっていただきました。やられました。
■「自由俳句風薫」オフィシャルページ2021年2月句会分はこちら。 兼題は「バレンタインデーを詠んだ句を1句は入れる」です。
https://ameblo.jp/haiku-fuukun/entry-12657466470.html?fbclid=IwAR2vKWt6N6GCczFO0H3jc0XSJT46DsfxPAmCb1533KuQNa8I9_mSubPzVwQ

 

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