【感想】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q / EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.』―セカイを滅ぼしかける体験

公開当時のことは何となく覚えている。見る感想見る感想すべて大混乱。一体何が起きているんだ…と思ったのを覚えている。当時地上波放映で『破』を見ているので見に行く気はあったのだろうが、映画館で映画を見始めるようになったころくらいだったからか、なぜか必死には見に行かなかったようだ。あのころとは映画館に行きたい欲が段違いな上、旧作も見終わっている今の自分にとっては、『シン』は絶対見に行きたい。ありがたい無料配信で見ることに。正直、確かに困惑したが、楽しく見られた面の方が大きかった。『シン』を見るときのための自分用、という意味合い強めでまとめておきたい。


Shiro SAGISU Music from“EVANGELION 3.0"YOU CAN(NOT)REDO.


以下、内容に触れて

ここまでガラッと変えてきたことは正直、個人的にはとても面白かった。序であえて旧作と同じことをやり、予告から崩すことを仄めかし、破の途中から変わったものをQで冒頭から完全に変える。地上を走り回る印象の大きいEVAが宇宙に突如として現れるはじまり。使途はEVAシリーズでしか倒せない、という前提をヴィジュアル的にひっくり返すヴンダーの存在。そして2人乗りのEVA。シナリオ的な衝撃度も高いが、シリーズものとしての新鮮さがずっと続くので、好むと好まざると、どんな展開になるのか目が離せなくなる。広々とした空間を見せるカットの多さや、色の少ない中盤と多すぎるくらいの終盤などの色彩感覚もふくめて、「映像体験としての面白さ」を追い求めたものになっているように感じた。シナリオを置いて、絵としてもう一回見てみたくもなる。



この作品で得られる「体験」は映像体験だけではない。この作品はほぼ「碇シンジの体験」だからだ。そこが賛否両論を生む原因でもあるのだが、この作品ならではの魅力としてまずは受け取りたい。正直な話、この「挑戦的な続編」はもしこの構成じゃなかったとしたら、なおさら視聴者としてきつかったとさえ思う。どうしたって困惑する世界の変貌に、困惑するに決まっている。その中で複雑なヱヴァのシナリオの中、様々な思惑を持つキャラクターの心情をたくさん考えようとしたら、まず処理できないだろう。そこで、目覚めたシンジが見た世界としての困惑に共感させてしまう。他のキャラクターの行動は、「困惑している範囲」で考えればよくなる。シンジとほぼ同じように、「なんでだよ!」という気持ちを中心に、ちょっとだけ余裕をもってその「どうして」を考えればいい。そうすればシンジと比較的距離の近い、カヲルやレイ(09)のことを考えるのに集中できる。


碇シンジ体験」ではなければならなかった理由はもう一つある。視聴者が「ヴィレ視点」になることを避けるためだ。要素だけを取り出して書けば、本作のシンジは「世界を滅ぼしかけるきっかけを作り、再びそれを起こす可能性のある人物」でしかない。そして終盤の行動は「まさに再び起こそうとしている」シーンでしかない。字面だけで見れば本当に危険なのだ。つまり、普通に見れば視聴者も思う。「あなたは何もしないで。」と。むしろ旧作の結果を知っているだけに、ロクな結果にはならないと思うのでミサトさんより厳しい目で見てしまう可能性すらある。彼の終盤の…カヲル君が途中で止めようとしたにも関わらず続けてしまうほどの「やり直したい」という衝動を受け止めるためには、シンジの現状への絶望を知る…いや、体験しておくしかないのだ。それでも正直、「カヲル君の言うことを聞きなさいよ!」と思ってしまったもの…。彼の方が詳しいんだから…。


それでもやはり描写されていない他キャラクターの心情や、出てこなかったキャラクターは気になるもので。そこが分かるように『シン』を作ってくれていると嬉しいのだが…まぁ、また大きくひっくり返る気もするのであまり過度な期待はしないでおこう。ヱヴァシリーズは期待通りいかないと思っておいた方が、きっといいはずだ…。「なぜそうなったか」とか「真実」はたとえ描いてくれるとしても、正直作品を見ているだけではわからないような難解さ抜群の単語で満ち溢れた設定がどんどん出てきて、キャラクターの「衝動」メインで描くだろうから、何が描かれるか身構えておけば混乱せず受け止められる可能性もあるし…。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で注目したいこと

とはいえ、せっかくなので期待も込めつつ、『シン』で見たいものを考えておく。一度目の混乱をなるべく少なくできるとのめり込めるかもしれない。小難しい考察をするには資料が足りないし専門家も多数いるだろうので、直感的に思ったことだけ。

旧劇をも昇華するシンジの望む幸せな世界になるのか

とても気になるのが、「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というコピーだ。ヱヴァではない上に「全て」と来た。これは期待していいんじゃないか?TVシリーズと旧劇場版から引き続く作品であり、そのすべての完結が描かれるのだと。そもそも『序』においてカヲルくんが「また3番目」とコメントしたところからリメイクではなく続編なのでは…と思っていた。この一言だけならファンサービスの可能性もあったが、『破』では「今度こそ幸せにする」との発言があり、『Q』においてはそのための行動を本編中で取る。『Q』においてはうまくいかなかった、という結末だが、あれだけカヲルが頑張って関係性をつないだのだ、シンジがもう一度立ちあがる時には、カヲル君の後押しを受けて幸せな世界をつかみ取ってほしい…。


しかし、もしこのシリーズ構成だとしたら、やはり「みんなともう一度会いたい」と言って肉体を取り戻した旧劇場版の結末はシンジにとって幸せなものではなかったということで、それを制作側も認めての作劇になるが…。あれだけおめでとうと言わせておいてまったく…。でもシンジは「みんなともう一度会いたい」って言いましたからね。アスカだけが隣にいればいいってわけじゃないのよね。


幸せな世界をつかむとしたら例えばどんな方法があるんだろうか。
①カヲルの言う通り2本の槍を手にして世界を変える … カシウスの槍、いまだ謎ですしね。
② EVAなどが槍の代わりの役割を果たす―なんかね、人の思い色々変えたりするし、シンジの思いにシンジだけじゃなくて誰かが…レイとかが絡んだらうまくいきそうでは?
③ゲンドウの補完計画の中で中核になっているシンジがゲンドウの思惑を超えた働きを見せる―こういうのもありそう。『破』でTVシリーズよりは近づけたんですし、新劇シリーズ全体では何かそういう影響が出てもいいですよね。

アスカの思惑と作品中の役割

『Q』で犠牲になったシンジ以外の描写において一番割を食っているのはアスカだと思っている。序盤はわかりやすい。シンジに対する否定的な目線の一部を構成しているにすぎないからだ。しかし、終盤にガラッとその態度は変わる。最後のシーンのアスカは異様にカラッとしている。怒りも恨みもなく、シンジに対しては「放っておけない」という雰囲気。レイに対しては知っているレイとは違う別人として(以前のアスカなら、いけすかないあのレイと同じ顔、というだけでもイラつく気がするよ…)『Q』の気持ちはともかく、『破』で「一人で強がる」ではなく「誰かと一緒」を意識して大きく成長したシーンを描いているわけだ。あれを単なる死亡フラグ的な意味しか持たない描写だとは思いたくない。思春期ならでは増大される悩みや衝動がセカイに影響を与えるのが旧エヴァだ。そことは違う+の成長を『破』でわざわざ描いたならば、今度はそこがセカイに影響を与えるようになってくれれば、『破』の違いの意味が際立ってくれる。その意味で、アスカが『シン』でテーマに対して果たす役割が何か、ということが一番期待したい点かもしれない。

レイと初号機とヴンダーと

アスカと同じように、レイも『破』においてそれまでとは全く異なる振る舞いをしたキャラクターだ。「わたしも、碇君に、ぽかぽかしてほしい。」うん、とてもよい。巷でよく聞くレイ派かアスカ派か…みたいな問いに対してとくにどちらでもなかったのだがこれで一気にレイ派になったほどに。あざとい、とまで言える振る舞いなのにたまらない。王道だよ。そんなレイの『破』で果たせなかった思いは、救出されてすぐのシンジに対する謝罪しか描かれていない…というか描きようがない。『Q』の最後の様子から言って、「09」のレイの思いもしっかり描きそうな気はするが、初号機に取り残されているレイも、やはりそのままということはないだろう。そんなレイとともに、ヴンダーの核になっているのが初号機だ。しかも旧作以上に明確に「碇ユイ」は初号機の中にいるときた。やはりそんなEVA初号機が中心に来ないとは思えない。カヲルのことから立ち直れたらシンジはきっとレイのいる初号機を目指すだろう。『Q』ではそう見えなかったが、ゲンドウにも恐らくこの後は初号機が大事だろう。ヴンダーの神殺しの力もきっと初号機に依拠しているだろうから、ヴィレにとっても肝だ。
シンジが再び初号機に帰ることで『破』でのエネルギーが良い方向に働いたりするのか。ヴンダーの力によって、ゲンドウの企みをくじくことにつながるのか。一番派手な展開につながりそうな要素なのでつい期待してしまう。

雑多に色々

〇 鈴原サクラの活躍
 せっかくちゃんとした登場がはじめてだ。しかもヴィレメンバーの中では、かつて守ってくれた、という意識が強いからか比較的シンジにやさしい。せっかくだから『シン』では大きく活躍してほしい。

〇 登場しなかった人々
 正直な話、絶望的な可能性もあると思っている。死んでいるのか、「インフィニティのなりそこない」とやらなのか…。どうなっていたとしても覚悟はできている。「こうだったんだ」と言ってくれ。(読み取ってね…で終わること、普通にあるからな…)

〇 EVAシリーズの欠番たち
 当然『シン』でも新たな機体が色々出てくるのだろが、突然飛び出してきた9とか13とかに抜かされた奴らが何かしらの形で登場してくれるととても嬉しい。『Q』を見ても相変わらず仮設5号機が好き。仮設だからこその多脚なのだろうが、ああいう変態的な奴がまた出てきてほしい…。、13号機で手も増えたし、なんならヒト型ですらないやつも出てきたし、期待できるんじゃないか?


『シン』の公開は一体いつまで伸びるやらわからないご時世だが、それまでに何度かまた再放送の機会もあるだろうし、その度にちょっとずつ「わたしの見たいエヴァ」を想像して、盛大に裏切られようじゃないか。

【レビュー】「ミニプラ 魔進合体シリーズ02 キングエクスプレス」

「もう ひらめいてた キーング!」

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『魔進戦隊キラメイジャー』ミニプラ第2弾、キングエクスプレス!本編登場から2回分ですぐ発売してくれるの、とてもありがたいですね。原作再現がはかどるわ

バリ取りはしましたが基本素組みです。

 

 

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魔進ジョーキーは4つ分、魔進エクスプレスは2つ分の計6つ分で完成。ジョーキーは1両1箱の4両編成なのでなんか1箱作り終わる度にちょっと仕上がった感があって飽きずに作れましたね。

 

魔進ジョーキー/スモッグジョーキー

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キラメイストーンモード。最初に登場したシーンではこの形で…この写真(ミニプラパッケージ通り)とは上下逆でした紫のクリアパーツがもうきれい。魔進ファイヤよりやや小さいかな?くらいですね。

 

 

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この4両が…

 

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こう。長い!!

1両目と4両目は腕になる部分なので肘関節に当たる部分が曲がるのと、2両目3両目が脚部なので片側にはいくらでも曲がります。右カーブは少々苦手ですが、左カーブならばかなり曲がります。

 

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初登場時の魔進対決を再現してみるとキラキラしてて良いですね。

 

 

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「変形だ!ジョーキー!」

 

 

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1両目と4両目がつながって首からしっぽまでを構成してるんだなあと思いつつ。1両目と4両目のジョイントがやや心もとないように見えますが、案外動かしていてもそこは取れません。魔進ジョーキー状態のときのジョイントの方が曲がる方向が一定なので違う方向に曲げてしまうとぽろぽろとれます。

 

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ミニプラ定番、変形直後スタイルとアクションモード。向かって右がアクションモード。腕も足も大分位置が変わるので、アクションというよりプロポーション重視な感じかな、と。腕の開き幅が減り、高さが大分減るので、再現度を重視しない場合は通常状態もアリ。

 

 

 

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なんかよちよち歩きそうでちょっとかわいく見えてくるね。

 

魔進エクスプレス/キングエクスプレス

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ジョーキーと違って全く記憶にないキラメイストーンモード。映像確認したら最初の一瞬これだったけどこの向きでは一切出てきてないですね。すぐくっついてエクスプレスになってました。

 

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白ベースに赤ラインと青のカラーリングがマシンとして良い。ジョーキーを乗っ取るとさらに長い!

 

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顔は変形用は小さくて味気ないので差し替え。サングラス風のファンキーな感じがオラディン王の素が出ちゃってる感じでいいよね。改めてみても白と黒がはっきり分かれる色合いがたまらん。

 

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向かって右、腰アーマーを上にあげるのと、つま先を前に出せるのがアクションモード。腰はかなり可動域が広がります。つま先はプロポーションが良くなりますが、接地があまり良くならないのが惜しい。足首可動がないのでちょっとコツがいるものの、ハイキックの再現も出来ました。

 

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「クリスタリアに伝わる伝説の四巨神の一角、音速の巨神…もう一度味わおう」

 

 

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「バーンブラッカー!!」「それいただき!」

 

 

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「キングエクスプレス・バーンプラスター!」

 

 

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すでに魔進も7色で、クリアパーツも合わせてとてもきれいなので、今後の魔進も期待しちゃいます。「伝説の四巨神」ということであと2体は出ますよね。次は何色かな…。

 

 

【感想】『行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号』―今の自分はちゃんとかつての自分の先にいるのか

イマジネーション、という言葉が好きだ。想像力があればつまらない、なんて日々は存在しない。昨今の状況でスーパーに買い物に行くときだって、スーパー内の誰であっても接触が危険だと想像して回避していれば、身も守れるしFPSっぽい楽しみもできる。一石二鳥ではないか。


そんな「イマジネーション」を戦う力としたヒーローがいた。トッキュウジャーである。(彼らはそんなに世知辛い創造はしないだろうが…)だから、彼らが帰ってきた続編を見てみれば、それはそれは素晴らしいものに仕上がっていた。他シリーズの気軽に見られる感覚で見始めたらもう涙腺が刺激されるのなんのですよ。


そもそも『烈車戦隊トッキュウジャー』は、ほとんどの回が明るく楽しい雰囲気で包まれている。ゴレンジャーハリケーンを彷彿とさせる、コミカルな必殺技に象徴されるギャグテイスト。しかしその雰囲気が覆い隠すほど重い宿命を背負っているのが魅力だ。だから、そもそもその作中の雰囲気自体が、本編終了後のVシネマ展開に見事にマッチしているようにも思える。重たい展開の続きをやりつつも、カラッとした笑いに包んでくれる。感じ方はそれぞれあるだろうが、本編を見た人は、見ておいて損はしないのではないだろうか。


行って帰ってきた烈車戦隊トッキュウジャー 夢の超トッキュウ7号



以下内容に触れて


冒頭から見知った声が話す、公務員試験の話。本当に店を継いでいいのか…という悩み。最初からできれば聞きたくなかったと思えるような会話が繰り広げられる。案の定、本用に大人になった彼らからはイマジネーションが失われている…。やってほしくはないけれど、やるならこれしかないよな…という展開から始まる。しかも、こういう時大体は「力を取り戻す」ことを行動目標とすることが多いが、それすらもしようとしない。「今の私たちには無理」…そこまで落として来るか!という辛さが冒頭から押し寄せる。


完全に「大人になってしまった」彼らを動かすきっかけに、本編のイマジネーションに満ちていたころ、小学生時代と対面させる。これだけならよくある展開だろうが、彼ら小学生時代は、ゲストではない。「本編の主人公」だ。だから「大人時代の彼ら」のシナリオ展開に合わせた行動を取るだけにとどまらない。卒業式前日を控える中で、ライトが果たそうとする約束という子どもらしいドラマが展開されていく。二本の軸を持ったシナリオが、タイムスリップ展開で絡みあう。


イマジネーションにあふれる子ども時代を見る、というだけでもシナリオは動かせそうな所だ。しかし、仮に未来の自分であっても、言うとおりにするのではなく自分の思うように行動する姿。自分の大人時代が信じられないというライトの思い。完全にあきらめ、「大人」になってしまった彼らがイマジネーションは取り戻せると気が付く瞬間。心から良かった…と目頭を熱くする。イマジネーションを失ってはいけないという思いを、大人として新たに持つ。


もう十分に満足できそうな所に追い打ちをかけるのが、まだ中盤。小学生時代の5人が約束を果たすために会う相手がトッキュウ6号―明であり、そこを媒介に小学生時代の5人と、敵の関係性がつながる。




虹野明は、追加戦士らしく、シャドーラインとの関連性が深いキャラクターだった。正直、もう本編で彼については語りつくしているのではないかとさえ思っていた。いつもの頼れるお兄さんポジションで、神出鬼没に出てきてくれるだけでも、続編としては申し分ない。そのうえで、むしろ彼の出自、シャドーラインの怪人に戻そうとされる。またやるのか?と思いつつも、そこから自分を取り戻す過程だけでも泣きそうになった。♪雨のちレインボーのアレンジが流れてくるし…。そうして迎えたクライマックス直前、「またやった」意味を知る。もう一度大人時代の彼らと明をつなぐ。子ども時代の、お互いに忘れない、そばにいるという誓いが未来で果たされているという素晴らしさ。無駄なくいろいろな要素が連結していくシナリオの中、最後に明るさ満点で送られる戦闘シーンの中、最後に二つの時代の5人の動きがマッチする。かつてのイマジネーションを取り戻した大人。思いを託され、身体的な力が足りなくてもヒーローになった子ども。どう見てもコミカルに描かれている(決着はもう「明らかですよね?」というスタイルだし…)最後の戦闘シーンに、このVシネマ全体のシナリオの終着点がこもっている。


単純なサービス要素もたくさんあるから、最後まで楽しい。
大人の気持ちを明るく戻してくれる「キラキラ」したこの作品を、また「帰ってきて」見ることもありそうだ。

【総評】『仮面ライダー剣』―本能ではなく、意思を持って闘争したからこその結末の「エモさ」

特撮ファンとしての最大の悔いがやっと晴れた。『仮面ライダー剣』の再視聴を終えたことによって。


放映当時、序盤は毎週楽しみにしながら見ていた。面白くないと思ったことなど全くない。それなのに、受験期の忙しさから、意図せずいつの間にか見なくなってしまっていた(しかも最終話だけは家族がつけていたので見ている)。後年、『電王』でも同じことをやってしまっていた。悔やんでも悔やみきれない。しかも『剣』に関しては、まだ順番に見ないと気が済まない!という気持ちが弱かったために、のちに弟がDVDで視聴する際に中盤の数話を除いて半端に一度見てしまった。10数年の間、「俺はまだ真の平成ライダーファンではない…」という思いが所々顔を出してきた。だが、もう恐れることはない。私は平成ライダーファンだ。


後に続く者たちが同じ目に合わないよう切に願う。どんなに忙しくても、リアルタイムで追いかけないことは悔いが残る。鉄則だ。ゆっくりでも追いかけていこう。接触をゼロにしてはならない。戦わなければ生き残れない。


『剣』は最終回がとても評判の高い作品だ。話題になる度に「終わり方がすごい」などと言われる。確かに、放映当時にそれまでの流れを全く見ていなかった状態で見た最終回にもパワーを感じていた。「これはここだけ見てはいけなかった」と。終盤の展開については様々な人が繰り返し語っている通りで、改めて見ても素晴らしい。人間みんなを守ると言っていた剣崎一真がそれを実現するのみならず、人間の中で生きようとするジョーカーも守る。「運命と戦い続ける」ことを選択するという自己犠牲のもとで。


一方で、序盤はあまり評判がよくない印象がある。ダラダラとライダー同士の戦いが続く、といった評価を目にしたことも多い。しかし、本当にそうだろうか。『剣』の最終回があれほど「エモく」なったのは、序盤から引き続く「ライダー同士の戦い」あってこそではないか。


仮面ライダー剣 (ブレイド)VOL.5 [DVD]


『剣』に登場する仮面ライダーは、TV本編では4人に絞られる。最初期から出ている3人も、追加されるレンゲルも、ことごとく「ライダー同士の戦い」を繰り広げる。『龍騎』のように戦いをゲームとして強いられているわけではないが、共闘すらしないのが最初期だ。敵対関係ともいえる闘争を続け、味方には決してならずに戦いを繰り広げるさまは確かに序盤のフラストレーションの要因だったかもしれない。しかし、それ以降、この闘争こそがむしろ『剣』全体の魅力を引き上げていくと言えるのではないか。当然、段々4人のライダーは戦いの中で交友を深めていく。普通ならそれは、仲間になり、黒幕的な敵との闘いに向かっていくことだろう。しかし、『剣』において完璧にそうだ、と言える展開になるのは終盤の数話にすぎない。交友を深める中でも、手を変え品を変え闘争の構造を巧妙に続けていく。それどころか、一度4人の共闘になっても、最後までそれを続けることは許してくれないのだ。


第44話

第44話

  • 発売日: 2015/08/27
  • メディア: Prime Video


当初は自分本位な争いが多い。始はアンデッドの本能のままに襲い掛かり、橘はライダーシステムに増幅された恐怖心を払うためには何でもやる。そんな2人のライダーの振る舞いに対し、当初は説得するも、徐々に打倒してでも人々を守ろうとする剣崎。(まぁ、もう少し相手の話も聞いてあげて…と思うこともあったが。)人に害なすアンデッドを、それぞれの理由で封印しながら3人はお互いに闘争する。そこに睦月が、カテゴリーAの邪悪な意思に徐々に呑み込まれる、敵対しやすいライダーとして参入すれば、橘は自分の過ちを繰り返さないよう、彼を救おうとする立場におさまる。そして、敵のような振る舞いをするライダーという立場が入れ替わるかのように、天音以外の人間を守る始の善性が見え始め、剣崎がそれを守ろうとする。


睦月が強さだけを求めてさまよってしまう間は、橘が救おうとする相手が剣崎に変わる。今度こそ、と。ライダーシステムのせいで恐ろしいことにはさせないと(こう書いたとき、キングフォームの「リスク」は序盤の「体がボロボロ」が実際には問題なかったことの逆なのだと気づく。融合係数が低いから問題を生じた橘と全くの逆)。救うためには剣崎の思いとぶつかることも辞さない。中盤以降、睦月以外は「守るためには戦うしかない」状況が、序盤から引き続く思いから自然に紡ぎだされていく。そして最後にはすべてを乗り越えた睦月が、世界を平和にするために考えた結論として戦う。彼もまた、邪悪な意思に取りつかれていたころとは異なる理由で信じたいと思っていた始と闘うことを選択しなくてはならない。


その闘争を引き起こすためのアンデッドと世界観の構成もたまらない。シナリオが常に闘争を強いてくる。序盤こそ単に人類の敵でしかなかったアンデッドが、キャラクター性をもって絡みはじめることで彼らとの接し方でまた衝突する。全部で53体しかいない設定を乗り越えるために、人造アンデッドであるトライアルシリーズを出すタイミングも絶妙だ。そしてアンデッド以外の悪を出すことによって完全な共闘を描いてからの、運命そのものとも言えるジョーカー勝利を描く流れ。安易に共闘できない仕組みが闘争を生む。


終盤において、ライダー同士の関係があれだけドラマチックになったのは、様々な闘争を経たが故なのだ。つい目を引く剣崎と始の関係だけではない。人類を守ろうとするために合理的な選択を取ろうとしてきた橘が、始を失いたくない仲間として守ることを選ぶのも。始が剣崎以外にもメールを送りティターンをだますのも。睦月がジョーカーの封印を最後の最後まで選ばなかったのも。すべては彼らが闘争をし続けた結果として現れる。本能で争うアンデッドとは違う、運命を切り拓く意思が起こした闘争の結果として。だからこそそれぞれの選択が、結末が、胸を打つのだ。


今もきっと、彼らは―剣崎以外も―戦い続けているだろう。例えアンデッドがいなくとも、平和を守り、仲間のためならどんな相手とも戦う覚悟がある彼らだから。

【プレイ感想】ボードゲーム「東海道」―一番良い旅行体験をするのは、私だ

ここ2週間くらい色々な人から同じ話を聞く。「家から出られなくてつらい」
ちゃんと自粛している人ばかりで大変結構なのだが、理解はできかねる。旅以外は基本インドア趣味な自分にとっては全く辛さはない。家での楽しみ方なんていくらでもあるのに…。映像作品を見まくっているだけで休みの日は十分に時間が過ぎていく。


でもそういう仲間がいるなら、と思い旅に出ることにした。



もちろん在宅で。

東海道 ボードゲーム 5周年記念版 Tokaido 5th Anniversary Edition [並行輸入品]

『Tokaido』へ。


ボードゲームだ。実際にはもちろん対面は不可能なので、ボードゲームアリーナ、というブラウザで楽しめるサイトを活用させてもらった。Twitterはこういう情報が流れてくるからありがたい。

ja.boardgamearena.com


何の気なしに選んだこのTokaido、戦略的に頭を使えて脳内物質がドバドバ出るし、キャラクター性もあって想像力も掻き立てられて大変好みだった。

こんな興奮を詳細に記しておきたいと思う。
どんなゲームかを端的に表すと、「東海道を旅する中で一番良い旅できるのだ~れだ」というもの。止まったマスで行うことで良い旅の度合いを表す旅行点を得ていく。
詳しいルールはボードゲームアリーナからも公式で説明に飛べるwikiを見てもらうとして、何がそんなに興奮できたのか、という話だ。

東海道 - BGAうぃき【4/16更新】 - アットウィキ


良い旅をするのは、私だけでいい…

ボードゲーム経験の浅い自分にとって、数多く並んだマスはすごろく的なものを想像させる。しかし、このマス、チェックポイント的な「宿場」までの間はどのマスを選んでもいいのだ。飛脚か?というレベルで次の宿場に急ぐこともできれば、すべての景色を楽しむ各駅停車的な旅もできる。なるほど、旅の楽しみ方はそれぞれだ。そういったことも再現されるのだな…と思いきや。移動に関してもう二つのルールがある。「同じマスにとまれない」は一般的だが、そこに「一番後ろのマスにいる人から順番が回ってくる」というルールが加わったとき、途端に旅は殺伐とした試合になる。お分かりだろうか?とまりたいマスに誰かが居座ったとしよう。ぜひともどかしたい。どいてほしい。だがそのプレイヤーがどいてくれるのはいつだ?「一番後ろのマスにいる」状態になったときだ。一番後ろになるまで、どかない。つまり、誰かがとまった所はたとえどんなに魅力的な旅スポットであったとしても泣く泣く見送るしかないのだ。その気分たるや、間違えて乗ってしまった快速電車。事前チェックした観光地の謎の休業。満席で入れない飲食店を通り過ぎるあの感覚が押し寄せる。そして思うのだ。あいつはどうやって良い旅にするつもりだ?そうはさせない、と。

個性に合わせた「良い旅」戦略

戦略的な部分はそれだけではない。個性の異なる「旅人」を選ぶシステムがまた飽きさせない。「芸者」「役人」など、江戸時代の旅行ブーム(東海道ではお伊勢参りはできないが…)さながら様々な人物が往来する。職業ごとにことなる特性によって、「良い旅」にする方法に向き不向きが生じる。お土産を買いやすくなるもの、景色を見ることを制覇しやすいもの…自分も相手も、得点を稼ぐ戦略、妨害する戦略を変更する必要があるのだ…。


なかでも昨日猛威を振るったのは「宮司・寛忠」。寺社仏閣への寄付が最も多い旅人には最後に大きな得点が追加されるのだが、さすが神社のもの。寄付すると他の旅人よりも霊験あらたかだ。
そんな戦略面でも楽しい旅人システムだが、名前もついているから何度も使われているとなんだか愛着がわく。様々なドラマを生んでくれたのが「孤児・五月」だ。彼女は宿場でお金を払うことなく割と高得点になる食事をいただくことができる。その能力の時点で助けてあげたいビジュアルが想像されてドラマチックなのだが、システムのせいで様々なドラマを生む。


宿場には全員とまるため、食事点は得やすいように思えるが、お金を他のことに使ってしまうと食べられないケースが頻発する。そうして何も食べずに東海道を駆け抜ける修験者のような旅人たちをわき目に、彼女はすべての職場で無料で食べ続ける。そして、最後にその旅はこう評価されるのだ。「最も高額な食べ物を得た者―美食家」と。まかないレベルじゃないものを無料で食べ続けるわけだ。なんとうらやましい。


一転、五月は自分で食べたいものを選ぶことはできない。ランダムで1つもらえるにすぎないのだ。だが宿場での食事は、いい旅のための食事。全プレイヤー共通して「二度同じものは食べられない」。だから五月は無料で与えられた食事に対してこういうのだ。「前の宿場で食べたものを食べるなんて、旅にはもったいない話です」。おなかをすかせているはずなのに。そんなことを言っている場合か!いや、幼いながらに持っているのだ。旅人の矜持というものを。


みなさんも五月ちゃんに色々な美味しいものを食べさせてあげてください。

『海賊戦隊ゴーカイジャー』に見た大勢を特撮に引きこんでくれる可能性の話

緊急事態宣言で在宅を基本とする最中、こんな発表があった。

www.toei.co.jp

どうやら無料配信は初とのことで、この機会にぜひ見てほしい…と特撮勢が沸き立った。
ほかの作品に対してもそういう布教活動は見られるが、昨日の発表時の色めき立つ様子は異様だったように思う。
そして、私も鼻息を荒くする一人だ。なにせ、『海賊戦隊ゴーカイジャー』の布教は、『ゴーカイジャー』だけを広めるにとどまらない。『スーパー戦隊シリーズ』全体のファンを増やしてくれる作品に違いないからだ。
未来のために、『ゴーカイジャー』を広めよう。ぜひ賛同してほしい。


ゴーカイジャー』はそれまでの34戦隊すべての姿に変身することが出き、時にはかつての作品でメンバーを演じたいわゆる「レジェンド」の出演もある。それまで何か1つでも戦隊シリーズを見ていた人にはその要素だけでも刺さる。かつて応援していた戦隊が、何かの形で顔を出す。かつての応援したヒーローとの期待された再会とその懐かしさ。
だがそれはあくまで1つでも見ていた人の話。私は「ゴーカイジャーファン」ではなく「シリーズファン」を増やせると書いた。


2011年放送当時、私が見ていたスーパー戦隊はリアルタイムで見ていた平成のものだけだ。『侍戦隊シンケンジャー』以降は毎年見ているが、それ以前には数年のブランクもある。放送開始前に期待していたのは、幼少期に見ていた作品群の活躍が中心であり、その他の作品は興味を持つきっかけになってくれるだろう、という程度だ。

しかし、そうして迎えた第1話。全く予想していないことが起きた。

初変身からの戦闘開始。事前情報であった他の戦隊の姿にはなかなかならず、「ゴーカイジャー」としての戦闘スタイルをしっかりと見せていく。共通する武器の使い方が個性によって違う、と1人ずつのアクションをていねいに描くカットが続く。そして満を持して歴代の姿に変わる。変身アイテムから響く声。


「ゴォォォレンジャー!!」


並び立つ「秘密戦隊ゴレンジャー」の姿を見た、そのときだ。
なぜか目頭が熱くなった。
そして再現される必殺技ゴレンジャーハリケーン。涙をこらえながら見る。
―繰り返すが、ゴレンジャーは当時見ていない。思い入れがあるわけでもない。
にもかかわらず、何か魂が震えたらしい。正直今でも理由はわからない。脳がバグったかと思った。
1話において元祖を、必殺技まで再現しようとするあのシーンに、感じるはずがないのに感じた懐かしさ。
なお、これを書きながら試しにもう一回見てみたがやはり同じシーンでクる。この年からの公式配信で『ゴレンジャー』を見終わった今、二度目であっても強く響く。


一応、子どものころからずっと読んでいた全戦隊が載っている超全集なんかは何度も読んでいたし、全主題歌の入ったCDは何度も聞いていたなど、『ゴレンジャー』に対して全く何も知識がなかったわけではない。

だから、万人にこのシーンが刺さる、とは思わない。しかし、あの俳優が出ているらしい、とか、なんか子どものころに少し見たことがある気がする、とか、その程度のかすかな『戦隊シリーズ』とのつながりでも、きっと『ゴーカイジャー』なら、きっとどこかのシーンでそこに錨をおろして、太い鎖で引きこんでくれる。そんなことを期待してしまうのだ。


過去戦隊に全く興味がなくても、『ゴーカイジャー』は単体での魅力がちゃんとしているから安心して見始めてほしい。ほんの少しでも特撮に興味を持てる可能性があるなら、今こそ、自分の中にある思いがけない宝物を探しに行こう。

宇宙海賊現る

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