Sunny Record

アニメラブライブ!の、私見会場です。

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第13話「みんなの夢を叶える場所」感想 〜世界はアイで動いてる〜

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ありがとう、君とラブライブ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後、お見知り置きを。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよこれが最終話!アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第13話の感想と解説を書きたいと思います。サブタイトル「みんなの夢を叶える場所」はこれで「スクールアイドルフェスティバル」と読みが振ってあります。もうこれスタンド名やん。読みまで書いてるとブログタイトルが長くなるので申し訳ありませんが割愛させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さて、記念すべき最終話である第13話侑ちゃんが音楽科への転科試験を受けることを同好会メンバーに打ち明けるところから始まります。これまでの計12話で、侑ちゃんは単に「スクールアイドル同好会に所属しているサポーター(ファン一号)」に徹しているだけではありませんでした。特に終盤、ソロ回が終わってからの10話、11話、12話でかなり顕著に変化しましたが、高咲侑という女の子の心の中は確実に1話のそれとは違う着地点を目指し、動き始めています。

 

 

 

高咲侑という女の子は実に好奇心旺盛な女の子で、とても素直に、真っ直ぐに、時に冷静に、しかし熱心に大好きなもの・ことを追いかける娘なんだと、これまでのエピソードで我々は認識したと思います。それが今までのラブライブ!との特異点になる「あなた」としての認識とどう合致するのか、彼女が先陣を切って何を代弁するのか気になっていた方も多いでしょう。

侑ちゃんはそもそも音楽に特別傾倒していた女の子だったわけじゃないはずです。穂乃果ちゃんのように突然ミュージカルで歌い出すほど歌うことが好きだったり、千歌ちゃんのようにスクールアイドルという輝き方にこだわっていたわけではない。なのにこうして明確に音楽という道を選択する意思を固めたのは、もちろん「自分のやりたいことに直向きな人を応援すれば、きっと自分にも何かが始まる」という1話からの地続きのアンサーになってるんですよね。そして同好会という居場所や人に触れ、より深く好きなものに関わっていった。

 

かといって、自分もスクールアイドルになる!という安直な真似事には徹しない。ここに自分はもう、万巻の思いを抱きましたね。最初から100点をあげるな。ファンの方々の中には「どうせ最終話で高咲侑もステージに上がるんだろ?」という嫌な想像をしていた方もいたのでは?それをのっけから否定し、大好きなものに一生懸命前のめりになって関わって沢山の経験と感情を覚えたからこそ、スクールアイドルそのものではなく自分の内なる「やりたいこと」に向き合い、結論を出したという事実が既にこのAパートで叩き出されたわけですよ。侑ちゃんという存在はここでは同好会のサポーターという従来のポジションではなく、「いちファンの代表」として自己発露に至ったんです。素晴らしい。

 

正直音楽とスクールアイドルって親和性や関連性が高いっちゃ高いですけどね。ラブライブ!の歴史的な観点でのメタな話でいうと、音楽に携わってる人がいないとグループ活動が仮死状態になるところがありますし。

それで歩夢ちゃんも余計に寂しい思いをしたところもあるんでしょうね。けどこの侑ちゃんの良い所というのは音楽コースに転科して何かがしたいとまでは明言しないということです。具体的にスクールアイドルを作詞・作曲面でサポートしたいという予想がスジではあるんでしょうけど、そこはこちら側の想像の余地を残す。

 

好きなものにのめり込んだから、自分も思考停止で真似っこするんじゃなくて、まず何がしたくなったかを正しく向き合う。既に、厳密に言うと10話でフェスを発案したあの日からこの姿勢が出来上がっているから素晴らしいんですよ。アニメ虹ヶ咲同好会メンバー全員のパーソナリティの掘り下げが繊細で丁寧という賛辞をこれまで幾度となく述べてきましたが、それは侑ちゃんも例外ではありません。彼女がスクールアイドルというものに何の抵抗も無く受け入れ没入したように、彼女の内なる自分に対しても正しく向き合い、模倣をせず、されど何の迷走や葛藤も無く直情的に「やってみる」。ラブライブ!ファンが一番望んでいたファンの姿ではないでしょうか。

実は13話はこの「想像の余地を残したままにする」という締め方を他にもしていて、そこが自分は大いに気に入りましたね。この辺は後で。

 

Aパートで既にこの文量ですし、13話いかに優れた集大成として凄まじい出来栄えだったかが見て取れます。アニメ虹ヶ咲、ありがとう。

 

 

そんな気持ちをキャッチした同好会メンバーもまた心を引き締め、全力で楽しむ準備をします。何がって勿論、これから始まるスクールアイドルフェスティバルに向けて。各々が自分の信じた「色」を際立たせたステージで表現することをコンセプトとしてきた虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、今までのμ’sAqoursのように円陣も組まず、点呼も取りません。それぞれがそれぞれの「1」つの色であることを目標に、高らかに。

 

「私たちの虹を咲かせに!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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良い・・・‼︎(思考停止)

 

 

 

 

 

この第13話、多くの方が受け取ったように、アニメ虹ヶ咲集大成と呼べる、所謂総まとめとして機能しており、それぞれのステージライブシーンが止め絵であっても既に色濃く彩られたソロ回を彷彿とさせることで120%の良い余韻が味わえるんですよ・・・ほんとに。何か特別な命題を与えられずとも、アニメラブライブ!は「ラブライブ!」が出来る。

何が言いたいかって、例えばこの歩夢ちゃん。もうステージに立つ、立って新しい景色で成長してしまうことに怯えていた彼女ではありません。後のシーンで判明しますが、この歩夢ちゃんのステージは侑ちゃんは見てないんですね。ビラ配りで忙しくて。ですが彼女は臆病なんてどこ吹く風、ファンサービスも余裕綽々で伸び伸びとステージを披露できています。「始まったのなら、貫くのみ」という後押しの下、歩夢ちゃん自身がまさに一歩一歩を踏み締め、進んでいった彼女にとってのチャプターエンドに他なりません。「みんなのために歌うよ」開花宣言をした彼女が表現するステージには、鮮やかで和やかなピンクのローダンセが咲き誇る世界が広がっています。これは・・・10話11話12話と計3話も使ってソロ曲優遇された正ヒロインの底力ですね。どんなもんじゃい。

 

 

 

 

 

 

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マジでやんのかよ。

 

遥ちゃんに努力熱心と妹想いが故の日頃の睡眠不足を見抜かれてから何か一周回って開き直り始めたのか、スリーピングステージ遥ちゃんの前で堂々披露・・・というか休眠する彼方ちゃん7話「Butterfly」を客観的に見れば眠り姫系スクールアイドルとは無縁の、良いとこゆるふわお姉さん系スローダンススクールアイドルという印象なので流石に歌って踊るだろと思ってましたが・・・舌をペロッと出してひとつ出し抜いたような表情で(かわいい)彼女は言います。「お祭りだから、アリなのです」って。ということは・・・

 

 

 

 

 

 

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コ  ロ  ン  ビ  ア

 

 

ウメハラ  璃奈ちゃん爆誕です。小足見てから昇竜しそう。ガチ格ゲーマー系スクールアイドルとして名を馳せて、あんたそれでええんかとも思いますがやはりこの璃奈ちゃんに愛おしい気持ちを抱いてしまうのは人とのコミュニケーションにコンプレックスを抱いていた彼女が、その不得手を魅力として、パーソナリティの一つとして捉えて璃奈ちゃんボード文字通り対面することが出来ているという内面の優しく逞しい成長が見えるのがほんと、良い。アーケードなのも同じ画面を共有して対戦するのでなく、2つの画面で「対面」するという彼女の描き方を意識してのことかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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「やりたいと思った時から、きっともう始まってるのよ。」

 

 

まんま受け売りじゃねえか。

 

ここ笑ってしまった。そっくりそのまま自分が名言言ってやったぜみたいにドヤ顔するな。果林さんがフェスに来場していた女子中学生(?)に熱い激励をサプライズ、という嬉しいシーンなのですが流石に一字一句親友の言葉の受け売りなのは流石に、こう、もっと我流見せてくれよ。自分なりの言葉で語ってくれよ。

 

ここのドヤ顔もそうなんですが果林さん、相変わらず方向音痴抜けておらず、スタッフの下級生?に案内されてましたね。この辺りのシーンで思うのは果林さんの長所ってそういう自分の瑕疵に対して恥じず媚びず堂々としているんですよね。それが出来るようになったのも、ご存知9話「求められる自分」に意固地にならずに、不得意な分野を誰かがカバーし合うということを受け入れられたからに他なりません。まぁ自分流の言葉でかわいい後輩たちに後押しが出来るようになった暁には、同好会内のトップの座に君臨していることでしょう。

 

 

 

 

 

 

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おいおい・・・

 

 

 

 

 

視聴直後はTwitterでこういう感想を書いてて、今見直しても結構寒々しいど迫力寸劇だとは思うのですが、この3人がチョイスされたステージということを認識した上で少し真剣に考えてみると。

 

 

このせつ菜ちゃん、かすみちゃん、しずくちゃんの3人きってのヒーローステージはそれぞれがそれぞれ「大好きな自分」「それを受け取る他者」との差に対して自分はどう向き合うべきかがとても情熱的にフォーカスされたソロ回を持ったメンバーなんですね。3人それぞれ自分らしくヒーローショーの主役を席巻していきますが、ヒーローショーだけあってやはりそこに「心の強さ」や「直向きさ」があって。ただ単に自分だけのステージを好き放題に荒らし回ってるわけでは無く、芯の部分がみんな、共通して通っているはずですよね。

後にかすみちゃんがこれは即興劇だったと明かしますけど、にもかかわらずかすみちゃんファンガチ勢だったり、生徒会副会長によるスイッチャー協力だったり、沢山の人が協力してくれて、1つの「自分」というパフォーマンスを作り上げようとしている。ルールに囚われない自由な発想、だけど伝えたい自分の中の強い意志を中核の部分に凝縮して、一生懸命準備して、

汗だくになるくらいど迫力でアピールする。

彼女らにとってヒーローショーが本意のステージだったのかは正直微妙なところですけど、少なくとも煙幕を観客席にまで巻いたり世界を救ってしまうほどのシャウトをしたり、観る側の者を圧倒してしまうほどの熱い「自分」、自己表現がそこにあれば、その姿に惹かれて協力してくれる人は必ず付いてくるんだという証明みたいなものなのかなと捉えました。ついでに言うと、しずくちゃんだけが「仮面を被る姿が真の自分(のひとつ)である」という8話の部分も踏襲していて、ただのタキシード仮面になり得ないのも巧いと思いましたね。

 

 

 

 

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良い・・・‼︎(思考停止)(2回目)

 

 

 

 

 

いやもうほんとに頼むわ。涙ちょちょ切れまっせ。

でね。さっきのヒーローショーのステージの話の続きにもなるんですけど、このフェスの何よりの魅力って「全力でやり切る」ことなんだと思うんですよ。たとえ一見ふざけ倒したものでも吹っ切れたのなら最後まで、まさに「始まったのなら貫くのみ」の意向に沿ってるんですね。この言葉大好き。

とすれば、同好会のメンバー同士でも「各々が各々のステージで表現しようと、全力で頑張ってるんだ」と皆がそれぞれのことを親身になって考えられるんですよね。やりたいことは全然違うけど、やりたいと思う意志は同じなんです。だからこそ、ここの璃奈ちゃん愛さんシーンはグッとくるものがあるんです。それにこの二人でいえば、今までいつも学園内の人気者だった愛さんが先立って璃奈ちゃんの手を引いて導いてくれていたバックグラウンドを鑑みたら、「初めて」「愛さんの役に立てた?」と尋ねる璃奈ちゃんのまごころが何より光るシーンではないですか。璃奈ちゃんが今まで愛さんのことをどう受け止め、そして親身に考えてきた「恩人」であるかがこの「初めて」「役に立てた」なんですよ。

 

それに対して愛さんも、ニパッと笑い飛ばして「そんなの今まで気にしたことない」という意思を表明するんですよね。彼女にとって自分たち二人の関係は、恩情や義理で結ばれた堅苦しいものじゃないんです。ただの、本当に純粋で平等な、そこに損得も上下も介在しない、しかし璃奈ちゃんが最も欲した形での「友達」なんです。人との友好や運動神経、出来ることの差は数あれど、困った時は助け合う。人に親切にすること一つ取っても責任云々でガチガチに固まってなかなか行動できない世の中で、これ程シンプルなのに美しい関係性って他に無いでしょう。璃奈ちゃんも、普通は隠すべき「照れ」の感情をきちんと璃奈ちゃんボードで表出しているのも、そこに深い肯定と信頼が通っているんですなぁ。

 

 

 

 

 

 

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友情というのならここにも。

 

まさかここで伏線回収するとは。

 

しずくちゃんの髪留めが今まで付いてなかったのは何話だったかな、多分クール前半辺りで「あーそういえばいつものじゃないなぁ」みたいにうっすら気づいてはいたんですよ。何がアレって自分、スクスタのアプデ中画面に散々見てきたからデフォ絵の細部まで覚えちゃったファンの一人ですから。でもそこはそれ深夜アニメ視聴者の年数がそれなりにあるだけあって作画負担軽減なぁくらいに分析してて、特に重要視してなかったんですよ。それでいうといきなり夏服制服から始まってた方が気になってましたし。愛さんとか果林さんみたいな都会のオシャレ女子ならサクサク髪型とかメイクとか変えるんだろうし、そんなんいちいち作画に反映させてたらスタッフ即業務上過失致死ですし。

みたいな感じで、メタ視点でかすみちゃんの髪留めのことは全く不問というかノーマークだったんですけど、ここにきてこんなエピソードで伏線回収するなんて、目からウロコでした。マジで。

 

勿論しずくちゃん本人が言うように、この髪留めのプレゼントは8話かすみちゃん「自分を晒すことから逃げるな甘ったれ!」と叱咤激励を飛ばしたことで吹っ切れた舞台のオーディション・・・の時の「お礼」ではあるんですが、個人的に気に入ったのはこの「お礼」をプレゼントで返すというやり方なんですよね。かすみちゃんは何も形を持たない、力強い言葉のみでしずくちゃんの中の"獣"の目を覚ましてくれました。ですがしずくちゃんにとってかすみちゃんにいくらそのお礼を言葉で尽くしても、それはかすみちゃんが本当に欲している賛辞にはなり得ないわけですよ。かすみちゃん世界で一番かわいい自分を心の底から信じる無敵級ビリーバーなわけですから、そう簡単に強い言葉を投げかけて揺さぶってくれる女の子じゃないことくらい、しずくちゃんは分かっている。

だからフェスが始まる前、「かわいいよ」と素直に褒めてあげる「だけ」じゃなくて、自分がかけてもらった言葉に対して、言葉で返すでなく自分なりの形できっちり恩返しする。

それがしずくちゃんが思う、かすみちゃんへの恩返しにピッタリな方法が髪飾りのプレゼントなわけです。これは実は果林さんも同じやり方を9話で取ってるんですね。自分の弱い部分を受け入れて、補ってくれた仲間の暖かく心強い声援をもらったから、そのお礼はパフォーマンスで返す。「あの時はありがとう」その一言や挨拶が言えるだけでも勿論厚い友情ではありますが、我流で相手にとっての「最高」を考えて、形に残す。果林さんならパフォーマンスで、観る人全てに熱狂という気持ちを残す。そしてこのしずくちゃんなら、かすみちゃんが着飾り上手なのを知ってるから、形に残る髪飾りという形で。

何かの形に残してさえいれば、確かめるたびこにある"自分のことを思ってくれた気持ち"を思い出す。かすみちゃんにとっては「かわいい」と思って選んでくれたことという事実が、何より嬉しいんですよ。人の機微汲み取るのほんっっと巧いなぁアニメ虹ヶ咲。

 

そういうちょっぴり搦め手でかすみちゃんしずくちゃん「仲間で、ライバル」を証明してくれたのが、もうね、すごく鮮やか。VIVIDです。璃奈ちゃん愛さんがお互いを助け合う純然たる「友だち」ならば、このしずくちゃんかすみちゃんの二人はお互い素直に信頼して友情のキャッチボールが出来る「バッテリー」みたいな関係なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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アニメ制作:サンライズ

 

 

これでまたひとつ、新たなアニメラブライブ!ヒストリーが生まれた(トリビアの種風)

 

ガノタニキたちがリアルタイム視聴で「んぉえええガンダムUC(ユニコーン)!!!???」と突然の登場に鼻血出しながら興奮してました。というわけでまさかのガンダムUC友情出演です。アニメ制作会社が同じな割に作中コラボは初。現実のダイバーシティでもUCではないらしいですがモビルスーツ巨像が展示されてるみたいですね。1話から出しとけや。ガノタニキ、さぞかし僥倖だったでしょうね。どうやら形態がシーンに沿って進化しているみたいで芸が細けえ。

 

いやそこもそうなんですけど、突然の雨で屋外ステージが中止になるシーンってとこですね。

何で雨天の場合のステージ案(屋内)を全く企画してないねんって誰しもがツッコミ入れたと思うんですが、そのツッコミも含めて「最終話にして一気にアニメラブライブ!っぽくなったな」と思いましたね。皆さんはいかがでしょうか。「あーそうそうこれこれ、この取ってつけたような悪天候展開ね」って、ある種「いつものアニメラブライブ!らしさ」を感じたのでは。今までアニメ虹ヶ咲アニメラブライブ!シリーズの様式美を敢えて避けて通ってきた節がありましたから、このストーリーラインが寧ろ新鮮ともいえます。

 

 

ただこのシナリオ展開においてやはり侑ちゃんという視点を重きに置くと色々気付くこともあって。このスクールアイドルフェスティバルというのはあくまで非公式のスクールアイドルイベントであって、作中でも似たようなこと言ってますけど地元のスクールアイドル合同のお祭りなんですよね、あくまで。

どれだけ巨大な校舎と生徒数を誇るマンモス校であったとしても、この作品で描かれている女子高生は等身大の女子高生そのものです。寧ろアニメ虹ヶ咲はそこを重視して、10代半ばのリアルな高校生の思春期で多感なパーソナリティを描いてきました。勿論、侑ちゃんも例に漏れず、いち高校生として自分がしたいこと・出来ることを探しながら生きる様をこれまで大切に描いていましたよね。

 

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や一人一人が出来ることってかなり少なくて、限られると思うんですよ。侑ちゃんが通行人に草の根運動でビラ配りしてたみたいに。最終的に自分を決めるのは自分だけど、それまでは色んな人と関わって、出来ることを繋げて、その中で気付いていく必要がある。 まぁこれは高校生に限った話ではなく、大人になっても日々痛感することです。

でもそうやって誰かの、あるいは自分の大切な時間を犠牲にしてでも叶えたいことって、どうしても最後までやり切りたいって思うじゃないですか。思い描いたビジョンを恙なく、全力で。「これで、終わり・・・?」と喪失感に溢れた言葉が溢れるのも無理ありません。

 

全力でやりたい。全力で追いかけたい。

 

そう心の底から思ったのは初めてだ、といえるものが侑ちゃんにできたから、この時の侑ちゃんは悲しい顔をするんです。でもそれは侑ちゃんだけではありません。どうにもならない自然の力に立ち往生するのはイベント参加者全員のはず。

確かにこのフェスの発案や企画・監修は彼女が先導してきた部分が多いですが、フェスを通じて繋がった思いという面ではみんな、共通していると思います。ステージに上がる者も、ステージを観る者も、それぞれ全てが大好きなものに全力で追いかけている。

そしてそうやって、互いが互いの「大好き」を追う姿を見て、何か自分にも、という力をもらって、今度は自分が「大好き」を追いかけていく。このイベント、スクールアイドルフェスティバルは、そうやってお互いの大好きを繋げ合って一つの虹の橋をかけるビジョンがあったんじゃないかなと思いました。高校生というか、学生の青臭い部分を感じずにはいられませんね。

 

 

 

 

 

 

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だから歩夢ちゃんは、侑ちゃん「大好き」を受け取って、「最後のステージ」へと手を取って連れて行きます。

 

 

雨上がりの夕焼けをバックに駆け出していくこのシーン、見事でした。いやここまででもう十二分に見事なんですけど。

侑ちゃんって自分のやりたいことに対して自分じゃ太刀打ちできない大きな力が立ちはだかった時、案外諦めが早いんですよね。第1話同好会が廃部だと告げられた時でも、少し物寂しさを残したまま、悔しい顔をしたまま、現実を飲み込もうとしています。

 

アニメラブライブ!というシリーズにとって高咲侑という存在は確かに特異です。スクフェススクスタにあった「あなた」という存在の延長線上の、しかしどこの誰でもない誰かという存在を、ましてや作品全体の一番大きな機動力となる媒体であるアニメラブライブ!に登場させるということを知った時、かなり懐疑的な感情が渦巻いていたことを記憶しています。

ですがこの作品はあくまで彼女のことをいち高校生高咲侑という女の子そのもの、至って普通の、好奇心旺盛な女の子として描いてきました。スクールアイドル、というより「夢を追いかけること」を知った時の喜びを具現化したような女の子。それが、たまたま「特等席」で構えている、そのようなものでした。そしてだからこそ、全く特別な存在でない彼女が純粋な想いで関わっていく中で知り合う娘たちもまた、その本気の思いをそれぞれの形でキャッチし、意味を持ち、熱を持ち、自分に対する「解」と成し、「あなた」に捧げる「侑(たすく)」たり得ていくのです。そのたった一つの思い、願いのみで人はアイドルたり得る。

こうして論考しながら侑ちゃんを捉えていくと、本当にこのアニメにすっかり溶け込んだというか、このアニメになくてはならない存在とまで思えてきますね。よく侑ちゃんのことをハーレム主人公だとか「なろう」系主人公みたいな感じで揶揄していますがそのどちらとも違いますし何なら「主人公としても怪しいですよね。

 

 

 

 

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虹ヶ咲のアニメってEDの入りが毎話素晴らしいってリアルタイム視聴勢からはかなり評判だった(11話本放送はそれどころじゃなかったけど)んですが、何でこんなにまとめ方、お話の切り方が素晴らしいのかって結局「誰に、どんな私を見せるか」の主眼が一貫してまとめられていたってことなんでしょう。この「誰に」は勿論侑ちゃんのことですよね。でも先述したようにこの伝えたい相手というのは侑ちゃんに限った話じゃなく、スクールアイドルというものが大好きで、侑ちゃんのように追いかけてくれる全てのファンにも当てはまります。

 

 

そしてアニメ虹ヶ咲「アイドル」と「ファン」という本来持つべきアイドルアニメの距離感がめちゃくちゃ近いんですよね。被服研究会だってごっついカメラ持った写真部だって、あれだけ真面目そうだった生徒会副会長でさえ、みんな全然スクールアイドルに興味関心の無いひとたちが、正しくスクールアイドルの魅力を理解し、協力し合っている。

この下積みが侑ちゃんを通してしっかり出来ているから、お話が組みやすいんじゃないかなと思ったりもしました。

聞いてる?スクスタさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大切な夢を追いかける全ての「あなた」に捧げる歌、「夢がここからはじまるよ」。

 

 

 

アニメ虹ヶ咲、最後の新曲はOP・EDを除いて初となる9人歌唱曲。

まぁ最後にお約束として9人で歌う曲は来るだろう、とメタな予想は流石にしてましたけど、いやぁそれにしたってこの収束の仕方が巧すぎて。

この曲の前、というかステージの前、同好会9人がステージの上で前口上をしています。その言から分かるように、そして今まで書いてきたように、彼女ら9人、ステージに上がった者が必ずしもスゴくてエラいわけではないんですよね。一人一人全然夢の形も目標も違っている普通の高校生で、しかしそれでも先の明るい未来に向かって懸命に頑張る想いが一際強い女の子たちだから、辛い時にお互いを支え合える居場所ができた。

 

一人だけど、独りじゃない。

 

そう思えたきっかけを作ってくれた人というのはつまり侑ちゃんが筆頭に挙がるんですが、侑ちゃんだけではなく。自分の夢を追うのを支えてくれた全ての「あなた」たちみんなに捧げる、感謝と祝福の想い9人一致した時に繋がる歌、それがこの歌なんですなぁ。そしてまたこの歌を聴いた誰かにとって、今度は「わたしたち」スクールアイドルが「あなた」の夢を後押ししたい。そういう沢山の、しかし一致した願いが含まれた歌だからこそ、この歌は9人一緒で歌う必要がある歌。

正直この「あなた」という対象の明示と、虹ヶ咲の目的意識ここまで美しく繋げてくれるとは全く思っておらず、この最後のステージを初めて観た時は最早一人の思考停止ファンになるくらいガラにもなく感動した、とだけ言っておきます。ここまで、ここまで美しく仕上がったアイドルアニメになったんか。

 

 

 

 

 

で、この曲にまつわるちらほら。多くの方がお気付きでしょうが、この「夢がここからはじまるよ」という曲の前奏は、第12話侑ちゃんが演奏した名もなき曲と一致します。またこの第13話でちらほら挿入された、同好会メンバー9人が一つのノートにリレー方式で何か侑ちゃんに内緒で書いていくというシーンは、誰の為の何を書いていたか描写で明言されないまま終わってしまうことも一辺の考察の余地を残しています。

序盤で想像の余地を残したままにして終わると書いたもう一つの締め方がここです。この辺りの証拠から類推して、ファンの方々は「この曲を作曲したのは侑ちゃんで、作詞は同好会メンバー9人なのでは?」と考察されてる方がかなりいらっしゃいますね。作詞のノートの方はこれといった確たる証拠は無くて、もう一つの可能性であるアニメ2期で回収される伏線の何かにも考えられますが、少なくとも侑ちゃんの演奏曲が一致しているのは事実なので侑ちゃんが音楽を志すと同時にそのきっかけを与えてくれたスクールアイドルへの感謝を込めて、毎日少しずつ練習して作曲したのでは・・・という推察の可能性はかなり高めです。

 

どうなんでしょうねぇ。自分は真相はどんな形であれもうこの13話には何も文句無しの出来栄えだという評価は既に不動ですが、どちらかといえば謎を謎のままにしてもなお素晴らしい最終話であったことに深く深く感謝しているので。ここまで滑らかで鮮やかで優しいアニメ脚本を作ってくださる方ですもの、まさか「回収するの忘れてた!」なんてことは絶対無いでしょうし、敢えて謎を残したままこの最終話を仕上げたのであれば、そこに真相や真偽を自分流で貼り付ける行為は野暮なのではないかと思ったりもします。

それに作曲に関して言えば、ソロ9人分の曲はどうやって仕上げたんだという作中のメタ的疑問にも触れることになるんですよね。メンバーの半分くらいは自分の表現したいイメージの世界で披露するステージがPVの舞台であり、作詞は各々が手探りでしたとしても曲はみんな未経験者だしな・・・という疑問にぶち当たります。その疑問を説明するとすればまた後付けの説明シーンを増やすことになりますし、このアニメがいかに洗練された構成に仕上がっているかを鑑みれば、余分なことは敢えて掘り下げないのが一番なのかもしれませんな。しずくちゃんの大好きなオフィーリア(犬)が出てこなかったり、せつ菜ちゃん何故生徒会を志していたのかという人物像の更なる理解が無かったりしましたけど、それを差し引いても各回は素晴らしい高得点を獲得してましたから、これ以上考えるのは無粋な気もしますね。

なのでこれ以上の言及は差し控えます。30分のアニメの中でこれだけメッセージ性を強く残してくれた第13話に、最早何の思い残すこともありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そんな訳で、お疲れ様でした。無事にアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 全13話を繙き、感想を書き上げました。

 

まずは第13話の総評から。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第13話、総評は文句無しの100点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

文句の付けようが無い、とても鮮やかな集大成として最後まできれいに突っ走ってくれました。お話の大筋としては10話〜12話で企画・準備を行ってきたスクールアイドルフェスティバル本番が開催されたということのみで進展したことはほとんど無かったのですが、ここまでの12話で細やかに掘り下げられた同好会メンバー9人、だけでなく侑ちゃんもまた彼女らがお互いに関わり合い色んな世界を知った結果得られた変化や内面の成長がしっかりとステージ上で溢れ出ていました。

 

13話においては、やはり特に侑ちゃんですよね。彼女がこの物語を締めくくる上で虹ヶ咲スクールアイドル同好会という集まりとの、今までのアニメラブライブ!シリーズとは一線を画した関係性に相互で前向きな変化をもたらしたこと、しかしその上で侑ちゃん一緒にステージに立つなんていう野暮この上ない展開にはならずあくまで「あなた」の延長線上にいるファン一号に徹したこと、フェス通してスクールアイドルを応援する、夢を追いかけるという青春まっしぐらな熱情にどんな歌とエールを届けていくのかがギュッと凝縮された締めくくりに相応しい総まとめ回でした。

 

地味にスクフェス組スクールアイドル(転入生)が勢揃いというシーンカットもファン垂涎ものだったのでは。まぁ全校ではないですしCVも吹き込まれていませんでしたが、ただの地元のイベントにしては郡を抜いて高いクオリティの、「スクールアイドルフェスティバル」の名を冠するに相応しい時間と空間を作り上げた回だったのではと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、ではこれが最後の最後。

 

アニメ虹ヶ咲、全13話の総括と参りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会 全13話総括。

 

 

 

 

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さて、このアニメ虹ヶ咲、皆さんいかがだったでしょうか。

正直、自分もブログを新たに書き始めた頃はかなり精神的に不安定な時期まっしぐらでした。まぁそれは置いとくにしても、このアニメ虹ヶ咲はアニメ化決定から放送前情報の解禁までが今までのアニメラブライブ!シリーズと比べてやや控えめにされてたのでは?(この辺は個人差あります)と感じていた矢先、いきなり「2020年10月放送スタート!」という報せを受けて、率直に「制作間に合うんか・・・?」とかなり懸念していました。世間の事情的にもアニメ制作進行がかなり滞った時期での一報でしたしね。

それにその放送前情報で今回のアニメ虹ヶ咲は制作スタッフが一新されたということを知り、更に不安な気持ちがありました。キャラデザは室田雄平氏でなくなり、当然監督やシリーズ構成(脚本)、総作監、音楽全て入れ替わり、内容についても高咲侑という今までのアニメラブライブ!シリーズには無かった「10人目の女の子」という存在が一際目立って訝しげに視線を送っていました。これまたメタな話ではありますが放送前はAqoursの時代の熱がまだまだ絶頂期でしたし(今も全然現役ですけど)、その中で個人的にも「10人目」というワードや存在について不肖私も色々と否定的に思うことがあったりして、正直かなーり懐疑的に、慎重にアニメ視聴に臨みました。やはりそこはそれSunny Road、数あるラブライブ!の媒体の中でもやはりアニメラブライブ!がダントツで好いていて不動なのです。人生救われたといっても過言でないからね。冗談抜きで恩人です。

後はまぁ、ソロ活動中心とする同好会であるというところも話の構成や展開に期待値は高まっていましたね。

 

 

 

 

で、そんな懸案事項MAXで視聴していたのですが、まるで凍てついた心を溶かすかのように、ヒリついた心を優しく宥めるかのように、

 

アニメ虹ヶ咲は全力で正しくアニメラブライブ!をしていた。

 

 

このブログで書いたことは100%本心なので、その時その時の話数で書き殴った思いの丈は紛うことなき批評となるのですが、批評らしい批評は果たしてあったでしょうか。いえ、無い(反語)

と、言えるべき本当に、本当に素晴らしい出来栄えとして全13話を駆け抜けてくれた、オタクに優しいガチの神アニメでした。最後で語彙力崩壊するな。

 

 

 

 

 

ラブライブ!公式様がこのアニメ虹ヶ咲を「スクールアイドルアニメ 外伝」と捉えているかどうかは定かじゃありません。ですが個人的にあのラブライブ!という特徴的なフォントのロゴが失われてアニメが封切った際、正直自分は虹ヶ咲場繋ぎ2.5世代目なんだとばかり捉えてしまっていました。それくらい、何となく落胆した気持ちでアニメ虹ヶ咲を出迎えてしまっていました。ここに白状します。

 

 

ところが何を言わせるものか、実際にアニメ虹ヶ咲を毎週土曜日23:30からTVにかじりつくたびに、たった30分で万感の思いに胸高鳴りっぱなしでしたよ。高咲侑という普通の放課後を消費するだけの女子高生が、「あなた」の延長線上の存在としてスクールアイドルという「夢」に焦がれ、追いかけ、最後にはそんな自分自身とも向き合って成長していく様、

同好会メンバー9人、

上原 歩夢ちゃん、

中須 かすみちゃん、

優木 せつ菜ちゃん、

宮下 愛ちゃん、

エマ・ヴェルデちゃん、

天王寺 璃奈ちゃん、

近江 彼方ちゃん、

桜坂 しずくちゃん

朝香 果林ちゃん、

それぞれがそれぞれの「虹」の橋を色濃く掛けていくかのようにキャラクターへの愛と慈しみを感じずにはいられないほど丁寧に掘り下げ、繊細に彩られ、個性豊かに逞しく成長するソロ回9人分心のスキマを瞬く間に埋めてくれました。

後これは皆さんは当然のように受け入れていますけど、ソロ曲PVを毎回9人分、制作に間に合わせたのって相当な快挙だと思いますよ。カメラワークやアングルも拘って、当然サウンドやリリックもキャラの個性にピッタリ合っていていましたし、どのメンバーPVもお世辞抜きにして非常にクオリティの高い仕上がりだと思っています。アイドル3DCGアニメーションとしてトップクラスの質の高さなんじゃないでしょうか。

 

特に革命的だと感じたのはやはり6話、天王寺 璃奈ちゃんという女の子をあれ程までに美しく掘り下げるとは思わず、「ツナガルコネクト」を聴くたびに心がキュッと、引き締まります。丁度13話の折り返しのところですけど、あれ以来アニメ虹ヶ咲には全幅の信頼を置いて視聴していました。

 

具体的には、それぞれの話数のブログ記事をご一読くださると幸いです。

 

 

 

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実際、作中の時間経過は夏服制服衣替えからこのフェス開催までとするとわずか2〜3ヶ月というかなり短い期間だったと推測できますが、そんな中でも彼女ら10人はしっかりと自分の叶えたい夢に向かって走り出すこと、その過程で誰の何に気付き、何に別れを告げたのかをしっかりと見出す構成能力の高さに脱帽しっぱなしでした。

 

 

 

 

 

 

唯一気になったところといえば、「生徒会」悪天候というアニメラブライブ!シリーズ伝統の要素が加わるとやはり途端にキャラやシナリオの描き方・行動理念の一貫性が不安定になりがちというのは少し目につきましたね。具体的には第3話せつ菜ちゃん廃部ムーブや、最終13話での雨天展開でしょうか。せつ菜ちゃんを描くにあたって生徒会長での立ち振る舞いは切っても切り離せない重要な要素ではあったので致し方ないのですが、後から思い出してみれば第3話だけは結構勢い任せな展開ではありましたね。そこはやっぱりどれだけ革新してもアニメラブライブ!の系譜なんだなと、後から思い出して実感しましたまぁせつ菜ちゃん自体、これまでのアニメラブライブ!のお話を体現したかのような女の子なんでね。

3話ブログ記事では概ね好評書いちゃったけど・・・

 

 

 

 

でも本当に、それ以外はほぼ何の欠点も無い、素晴らしいアニメでした。

 

この場でお礼を言わせて頂きます。

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会に携わってくださったアニメ制作スタッフの皆様各位全てに、心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました!お疲れ様でした。素晴らしい作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アニメ虹ヶ咲では、アニメのタイトルであるラブライブ大会というものを目指さない舵取りをして突き進みました。それだと一見タイトル詐欺じゃないか、それで大丈夫かラブライブ!はと思うかもしれません。

ですがそうお思いの方こそ、ぜひこのアニメ虹ヶ咲を一度でいいからご覧くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

アニメラブライブ!は、ラブライブ大会を目指さなくても「スクールアイドル」を描ける。

 

 

 

 

 

そう確信出来るアニメです。夢への一歩を踏み出すスクールアイドルと、それを応援するファン。その二つが手を取り合って素敵な関係を引き出せる、素敵な関係がそこにある神アニメでした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、自分はラブライブ!においては隠居老人みたいなもので、スクスタや他の媒体、運営様に関しても文句をああだこうだ言える程熱量とこだわりを持ったファン(オタク)とは到底言えません全然グッズだって買えてないし、時代の潮流真っ只中の声優ライブにすら足を運ばなくなりまひた。

 

ですがただ一つ、本当にただ一つ言えるのは、アニメラブライブ!に自分は、俺は、現実を生きる活力をもらいました。それがどんなに酷い出来だろうと、あるいは拍手喝采の120点満点だろうと、彼女らに救われてきたんです。それだけが、俺が唯一ラブライブ!に持ち得る特別な感情です。

 

 

μ’sAqours虹ヶ咲世代を追うごとに「スクールアイドル」というものの在り方や価値観は変わっていって、時に自分がついていけず置いてけぼりになっていっても、

 

これがもし最後の言葉になるんだとしても、

 

 

それでも声を大にして言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

アニメラブライブ!は素晴らしいアニメです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ありがとう。本当に、今まで本当に、ありがとうね。

俺も「始めて、よかった」と言えるような、良い人生を歩めるように頑張るよ。

 

 

 

 

 

それでは、ここで筆を置かせて頂きます。再び筆を取る時は、恐らく「アニメ2期」と冠したブログタイトルであることでしょう。

最後になりましたが、ここまで長々と駄文をご覧頂き、ありがとうございました。数少ない読者様にも、最大級の感謝を。

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

 

      

                                 (17330文字)

 

 

 

 

 

                            written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

 

前回、第12話の感想記事はこちら↓

 

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/12/26/130520

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第12話感想 〜世界で一番優しい銃弾〜

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今この時から、最後まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、相も変わらず今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第12話の感想や解説をざっくり書いていきたいと思います。

今回は第12話、第11話で遂にはち切れてしまった歩夢ちゃんの巨大な想い、そしてスクールアイドルフェスティバルという壮大な計画は、一体何処へ向かうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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第11話の最後で遂に侑ちゃんへ募った、いや募ってしまった思いを爆発させてしまい、彼女を押し倒してしまった歩夢ちゃん。メールの着信音でハッと我に返りその日は帰ってしまいますが、翌朝顔を合わせづらい様子の侑ちゃんが見たものは、いつもの様子で出迎える歩夢ちゃんでした。

 

思いを募らせた、なんて書くとまぁ百合がどうのという捉え方されかねないので最初に確認しておくと、歩夢ちゃんが堰を切らせたのは侑ちゃん自分のやりたいこと、夢を見つけて急ピッチで邁進する姿に自分がどんどんと置いてけぼりになるのを感じ寂しいと思う気持ちであると、自分は第11話感想ブログで書きました。

しかし翌朝になってみると昨晩の感情的な彼女はどこへやら、いつもの様子で「おはよう」と気さくに声をかけて待ち合わせ、スクールアイドルフェスティバルの進捗に話を弾ませています。

 

ただ一つ違うのは、歩夢ちゃん自分からガッチリとホールドするように侑ちゃんと腕を組んでいるということで、やはり上っ面では何も無かったように振る舞ってはいつつも、さりげなく、しかし確実に昨晩の出来事で歩夢ちゃんの心情は非常に不安定に波立っているというのが読み取れます。「離れたくなんて、ない」とモノローグがあるように、昨晩自分の思いをかなりぎこちない形で激しく吐露したことで思いが確固として強まったのか、口には出しませんが自分の意思を行動に移しています。

自分がほほうと唸ったのは、このシーンで「離したくない」とは言わなかったところですね。自分から腕を組みにいってるのに、「もう離さない、離したくなない」という独占欲とは違う。つまりこれはどういうことかというと、離れてほしくないと願いつつも、侑ちゃんのやりたいことは妨げてはいけないと、二律背反のような気持ちに立っているんですよね。昨晩の気持ちを強く持ったまま引きずっているのであればそれについて歩夢ちゃんは開口一番何かしら言及するはずですし、それをしないのは彼女が昨晩の出来事に後ろめたい気持ちが生まれたということ。後ろめたいと思えたのは、自分の行いを正しく顧みる、客観視ができているということなんですね。

ほんの数時間前の出来事かもしれないのに、もうそんな感情の爆発はおくびにも見せず、自分を引っ込めてしまっている。そういう不安定な気持ちの揺れ動きの描写として、このシーンはかなり繊細で丁寧だと思います。寝れば翌朝元通り、ではなくて寝ても振り子は揺れたまま、というのがノローグの表現一つでコントロールしているのが恋愛小説のようで唸ってしまいました。

 

 

 

 

 

そんな揺れ動く彼女の胸中を描く一方で、スクールアイドルとしての物語としてはかなり順調なペースで進行します。無論、スクールアイドルフェスティバルの開催計画ですね。東雲学園藤黄学園から正式に出演と企画の協力の意を表明され、スクールアイドル同好会についても、各々のステージ案についてどんどん地盤が固まっていってステージが構築されていきます。もう何でもありの一言に尽きる巨大マンモス校のこと、学内の校舎をフル活用し他の部の協力も手伝って大人顔負けの企画力の元計画が進んでいきます。

 

 

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顔芸の女。

 

・・・だけの女にさせないのが虹ヶ咲流なんですねぇ。このシーンめちゃくちゃかわいくて面白かったです。皆さんご存知の通りかすみちゃんは所謂にこちゃんヨハネちゃんよろしくネタイジられ枠として扱われ、ぶっちゃけ視聴者の大体は彼女がこのシーンのオチ担当として「ぬゎんでですかー‼︎」人望ゼロの不遇なオチを予想してたのでは。自分も例に漏れずよしよしスクスタのホーム画面でいっぱい頭撫でてあげるよと構えていたのですが、何だか純朴そうなファン(?)が最後にキチンと顔を覗かせたのが「救われたー!」かわいいオチを用意してあげていたのが意外で良かったです。

 

まぁ虹ヶ咲アニメ、全体的にファンや推しのいる人から叩かれるであろうトゲを先行して徹底的に抜いて回ってるところはこれまでに散見されてたのでかすみん推しの人への配慮もあるのだろうとは思いましたが、個人的にこのシーンで描きたかったのは「璃奈いるー?」「かすみん、いる?」といった、同好会の外にも慕ってくれる友達ができているという点なのかなと思います。璃奈ちゃんは第11話ですっかり懇ろになっていた焼き菓子研究会のクラスメイト達、しずくちゃんは1話からずっと気に入られてるのか演劇部部長、愛さんは最早外部に友達いないとおかしいですし、果林さんエマちゃん彼方ちゃんにも服飾同好会や懇意な人が呼びにきてくれました。

このように、虹ヶ咲スクールアイドル同好会メンバーには部外で仲の良い友達や先輩・後輩がちゃんといて、そして彼女らのスクールアイドルファンとして積極的に慕ってくれてきているというのが、スクールアイドルフェスティバルを企画進行するにあたって明確に現れた変化です。今までアニメラブライブ!では通称神モブと呼ばれるサポート三人組が傍立ってスクールアイドルのライブを献身的に支えている場面がありましたが、このアニメ虹ヶ咲のコンセプトがソロ活動なのもあってかグループ1つではなく一人一人に支えてくれるスクールメイト(ファン)が存在しているというのを明確に表してくれています。学内でそれほど知名度の大きくなかった、話題の中心に無かったであろういち同好会が、壮大な計画を、この学園内で開催するというのが現実的になるにつれ彼女ら生徒全体にも現実味のある空気と繋がりが広がっていくのが読み取れます。

同じ学内にいるクラスメイトやクラブメイトが、実はスクールアイドル。そういう身近でありながら一枚違うステージに立つキラキラしたスクールメイトの絶妙な関係性をアイドルとファン目線の繋がりを持たせつつ描くというのを目立たせる手法はキチンとアイドルアニメやってんなぁと感心しました。そしてこの学内にファンがいるというのは、今回の陰の立役者となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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侑ちゃんは改めて面と向かって歩夢ちゃん自分に夢ができたという本音を打ち明けます。ですがその内容に触れようとする前に歩夢ちゃんはそれを拒むんですね。

 

この本音曝露シーンの前に歩夢ちゃんが自分の直近の振る舞いを「恥ずかしい」と自省するところがあるのですが、自分はここにグッときました。「何であんなこと言っちゃったんだろう、私のバカ」という自身への否定はしてないんですよ。だけど恥ずかしい。学舎内で既に様々なステージや出店ブースができてきて、侑ちゃんのやりたいことがいよいよ現実になろうとしているのに、自分は何で駄々をこねたんだろう。そういう客観視をここでもできているのが歩夢ちゃんの良いところでもあり、また多感な10代の女の子の心のすり替えとしても非常に色濃く、彫りが深い。良いなぁこのシーン。

 

けど実際侑ちゃんに面と向かって打ち明けられると、やっぱり自分の気持ちは止められない。「私のスクールアイドルの夢はこれからなのに!」というように、歩夢ちゃんの夢の歩を進めるペースと侑ちゃんが夢を手に取るように叶えていくスピードが、あまりにも乖離してしまっている。そのことに気付いて、それを邪魔することがいけないことだとも分かっているのに、でもやっぱりそのどんどん開いていく夢を追う距離感に不安と焦りを感じて、怖い

既に同好会メンバーの半数くらいが正式なイベントでステージを披露しています。侑ちゃんはそれら全て、ステージの上のスクールアイドルの内外を間近で支え、見守り、見届けて、また更に応援してきています。だからこのまま歩夢ちゃんも、順番待ちとまでは言わないけども自分だけのステージを作ることに侑ちゃんが注力してくれる日がくると信じて頑張っていた。ですが当の彼女はいきなり視野を大きく広げ、全てのスクールアイドルLOVERにとっての最高のステージへと熱意を注いでいます。

 

歩夢ちゃんにとって、侑ちゃんせつ菜ちゃんとグッと距離が縮まったなんていう陳腐な百合嫉妬は最早眼中じゃないんですね。いや多少は・・・あるんでしょうけどせつ菜ちゃんが主眼ではなくて、やはり彼女自身が1話の「約束」を反芻したように「ずっと歩夢の隣にいるよ」という約束が反故にされかけてしまうかもしれないという侑ちゃんへの不安が拭いきれずこうして悲しい顔をしているわけです。

例えばこれを中立的に見るならば、「ほんまやんけ侑ちゃんよぉ、フェス開催する前に彼女はんのステージ1つくらい設けたれや」という感じに侑ちゃんにも責められる部分があるというように指摘するんですが、仮にそうやって気休めでステージを設けたにしても、既に歩夢ちゃんは自分たち二人の夢が枝分かれしていることに気付いていて、夢を追うことを邪魔しちゃいけないことも理解しているんですなぁ。

 

理解してるけど、受け止めきれない。

 

これがこの歩夢ちゃんの胸中に取り巻く思いの正体です。"あなた"を責めようとも、結末が分かってしまっている。侑ちゃんが初めて抱く夢への思いがとても清らかで貴きものであり、その純粋な気持ちがひた走っていくのを誰よりも一番否定したくないのは他の誰でもない彼女です。分かってる、分かってるはずなのに、心が許容しきれない。だからこのシーンの彼女は「ゃ・・・」弱々しく震えて、しかし強い意思のある発露への拒否をしてしまうんです。この「ゃ・・・」の演技、リアルで感情がフルに込められててめっちゃ良かったですね。でも何かこっちまで悪いことしてる気になっちゃうのであまり何回も見直したくはないです。女の子には優しくしようね。

 

このシーン、侑ちゃんがかなりショッキングな表情をするのも高咲侑という人物像にかなり息が吹き込まれているというか、「あなた」の延長線上の存在でなくなってきているのが読み取れます。歩夢ちゃんにとって一番大切に取っておいていた動機と感情がここまで同じだったように、侑ちゃんにとっても一番大切なものは1話から変わりません。「スクールアイドルという憧れを追うことで、自分も何か夢を見つけること」です。何か憧れている人を追っていけば、大事な夢が見つかる。

おや、似たような歌詞が思い浮かびませんか?そう、「大事な夢追う時、大事な人が分かる」と解いたスクールアイドルがかつていましたね。平凡でどこかだらけたスクールライフに突如雷鳴のごとく現れた非日常。それを魅せてくれた人を追っていって、最初は立ちはだかる壁に「自分では無理なのかな」と思ったその時に、支えてくれた人がいる。支えてくれた歌がある。その恩人を蔑ろに扱うわけがないんですよ。真心で支えてくれたから、真心の恩返しをしたい。侑ちゃんはそう常に願っていたはずなんです。そしてそれをようやく少しずつ恩返しできる自分になってきたことを打ち明けようとしたのに、言わせてもらえなかった。それは・・・ショックでしょう。でもその人がそれを望むのなら、目を閉じて先の世界を拒むなら、今は、まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ではスクールアイドルをするということは、後ろめたいものなのでしょうか。夢を追うということは、一緒のペースで走れない人のことを後ろめたく思うことなのでしょうか。

それは違うんですよね。現に、それはせつ菜ちゃんが証明してくれています。歩夢ちゃん侑ちゃん、彼女ら二人が共通して憧れ、スクールアイドルを(違う形ではあれど)始めた原初のきっかけである彼女がね。

このシーン、せつ菜ちゃんゲリラ公演の打ち合わせにどこか気まずそうに登壇しているのが芸が細かくて面白いなと思ったのですが、少し考えてみましょう。すぐ傍に立っている生徒会副会長が実はせつ菜ちゃんのファンだったと分かったわけですが、それを打ち明けることもできず中川菜々=優木せつ菜であることを隠してこうしてソワソワしています。かなり言い方は悪いですけど、事実上副会長を半分騙したままなんですよね。今後どうなるか分かりませんけど。

せつ菜ちゃんである時の彼女は以前「このまま謎のスクールアイドルとして〜」なんて属性強化みたいに言って喜んでる節はありましたけど、さぁ中川菜々として立ってみて自分を見直してみると、そんな自分は許せるでしょうか。答えはNOではないでしょうか。真面目で責任感の強い彼女のことだ、本来は自分を騙ることは許せない行為だと思っているはずなんですよ。ましてや生徒会のまさに右腕である人です。今まで生徒会を運営していく上で時に支えたり、また支えられたりした場面もあったはず。この辺は想像ですけどね。だけどそれでも彼女は優木せつ菜であることを、謎のスクールアイドルであることをやめてないんですよ。学内でこれ程人気の出るようになっても、自分の好きな自分をやめていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何故それが出来るのか。もうこれはシンプルなたったひとつの思想だけです。たったひとつ。

 

「好きだから」です。

 

もう大好きなんですよ。自分で、自分がスクールアイドルでいられる自分が。それだけじゃありません。そんな自分を応援してくれるファンとの関係と空間全てが。

 

優木せつ菜という女の子は、かつてそれが「行き過ぎた」経験を持っています。自分の中の熱い思いが先走り過ぎたあまりに、周りを傷つけてしまった。その結果勢い任せで同好会という部を、部室を無くしてしまった。それが正しいか正しくないかは今はさておいてですよ。それでも、やり方を変えてでも彼女はまた気持ち新たにここにいるんです。神経図太いなぁなんて思わないでね。

 

自分の気持ちに正直になりすぎることが不安で、ステージを目指す自分が、いつしか今までの自分じゃなくなっていく。

 

どんどん熱く、激しくなっていく。

 

アイドルって、そこが怖いんですよ。何かとてつもない引力のようなものにアイドル自身が引っ張られ、熱中し、そんなアイドルを見たファンもまた、同じ力に吸い寄せられる。膨大なエネルギーがある存在だと思います。

 

せつ菜ちゃんはそれを他の同好会メンバーがいることで思い知っています。そう、自分じゃ気付かない自分を他の誰かが教えてくれる。

 

今の歩夢ちゃんに対してそれが出来るのは、せつ菜ちゃんだけです。

 

 

 

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このシーン、

 

ほんっとうに熱くて良かった。

 

いやぁほんっとに。これが虹ヶ咲なりのスポ根なんだなと堪んなくなりましたよ。

 

歩夢ちゃんの背中を押してくれるのは、本来は侑ちゃんなはずでした。少なくとも1話ではそうだったはずです。

ですが先述の通り彼女では、本音をぶつけ合うたびにお互いの夢を尊重し合うが故に引け目を感じてしまうんでしたよね。では誰が歩夢ちゃんを支えてあげられるかというと、やはりスクールアイドルになることそのものに強い憧れと意思を持った人でなければいけません。

歩夢ちゃんはここまでに、自分なりに一生懸命活動していく中で自分を応援してくれるファンがいることをハッキリと認識して、嬉しく思っていました。今日子ちゃんらだけではありません。伏線は実はその前からあって、例えば第6話なんかでもゲームセンターで下級生から声をかけられていましたし、自己紹介PVのコメント越しにでも好評してくれる人がいることがちゃんと描かれているんですね。虹ヶ咲学園普通科2年上原歩ではなく、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会上原歩としてちゃんと認識してくれて、そのファンとして積極的に接近してくれる人がいる。その中で彼女自身このシーンで明言していますが、自分が以前までの自分じゃなくなってきていると、しかと感じているのです。

 

 

もう、自分はスクールアイドルとして歩み始めている。

 

 

 

 

本当は、歩夢ちゃんはそのことに自信を持ちたいんです。胸を張ってスクールアイドルだと、スクールアイドルが好きで追いかけているんだと。

だけどそこに自信を持って一歩を踏み出した瞬間、自分が侑ちゃんとの夢の道を違えることを認めてしまうことになる。

 

そのことに真正面から向き合う、「勇気」が足りない。

 

何?ゆうきが足りない?じゃあ「優木」が励ませばいいじゃないの。なんて愛さんギャグはその辺に置いておいて。その「夢への一歩」を後押し出来るのは、この一言が言える、彼女だけなんですよね。

 

 

 

 

 

「(大好きが)始まったのなら、貫くのみです‼︎」

 

 

 

 

何かめちゃくちゃ月並みですけど、この言葉、額縁に入れて飾りたいほど好きです。シンプルだけど力強い純粋な意志。これほどラブライブ!を表した一言って他に無いでしょう。アニメラブライブ!名言集の1ページ目に堂々ランクインですよ。突如同好会と部の二つに分派してメンバーを派閥争いさせた同人ゲームはこの言葉を書いた紙を毎朝起きてすぐ100回は朗読してもらいたいものです。

 

いやぁ、ほんとここのせつ菜ちゃんは最高にスクールアイドルしてた。

考えてみれば、今まで歩夢ちゃんせつ菜ちゃんは同学年でありながら、描写的にもかなり仲間的繋がりや絡みがあまり顕著でないように置かれていました。それもそのはず、これは侑ちゃんにとってもそうなのですが歩夢ちゃんにとって優木せつ菜という女の子はやはり自分がスクールアイドルを始めたきっかけになった女の子であり、一番身近で一番遠い憧れでもあるんですよね。だからこそ歩夢ちゃんの心情が揺れるこのシーンで、性格的にもあまり似通った部分の無い者同士にも関わらず「たったひとつの共通点」だけでここまで熱いシーンを作れるものか。だからといって熱い抱擁みたいな力技のシーンは交わさず、拳と拳を突き合わせるだけ、というのが何だか等身大の女子高生らしさも溢れ出ててとても素晴らしかったですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歩夢ちゃんが走り出すシーンの道路標識や信号が暗喩的だと指摘してらっしゃる方が多くいました。実は第11話でもどこか意味深に非常口のマークだったり赤信号を映したりしてましたね。

こういう無機物に何らかのメッセージ性を込める、みたいな細かい芸当をするアニメは少なくともアニメラブライブ!シリーズでは珍しいですよね。京アニとかやとお得意様なんやけど・・・制作各位様がそういう性癖チックなものをお持ちなんでしょう。

 

 

自分は全然スクスタという同人ゲームを進めていないので把握してなかったのですが、どうやら歩夢ちゃんキズナエピソードガーベラをファンと植える類のお話があるようですね。その辺になぞらえてるのを予め知っておくとこのシーンのガーベラは更にセンセーショナルで心に深く突き刺さったと思います。多くの視聴者ラブライブ!ファン様は感激してましたね。ぐぬぬ、後悔。

まぁそれはいいんですがこの場面・・・個人的に何となく惜しいなぁと思ったのは侑ちゃん花言葉を堂々と伝えちゃったというのが無粋というか、奥ゆかしさに欠けるなぁと思っちゃいましたね。視聴者の考察の余地残せ!という言い分も半分あるにはあるんですが、花言葉って花を捧げる側の人が堂々と告げるんじゃなく、授かった側の人が心中で気付いて二重の喜びを得るってのが嗜みなんじゃないかなと、個人的には思います。いや勿論、高校生だしそういう大人びた形式ばったやり方じゃなくてもいいんですよ。

 

そう思って少し推測したのですが、自分たちラブライブ!ファンは既に開花宣言だったりの曲や衣装のイメージで既に歩夢ちゃん「花(ピンク)」というイメージを既に当然のように持っていますけど、作中の彼女はそういうモチーフはまだ無いわけでね。ですが侑ちゃんだけは歩夢ちゃんが歌った「Dreamin' with YOU」のイメージの世界で、彼女が表現する世界が「色づいていること」を知っているから、それに合ったステージと花を用意して、侑ちゃん自身が面と向かって「自分が見たあなたというスクールアイドルはこんな表現の世界に生きているんだよ」という、""自分は歩夢のことを花に具現化出来るくらい見ているよ"という誠意と意思表示で、敢えて花の種類と花言葉を明言したのかなぁと。

そもそも花や花言葉に関わらず、花が満開に咲き誇っているということは、今まで足踏み状態だったと焦りを感じていた歩夢ちゃんにも、侑ちゃん今日子ちゃんらというファンあなたのことをちゃんと大切に見守っているよという祝福のエールであるとも受け取れます。ファンという存在がいるからこそ、アイドルは成長出来るものですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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始まったのなら、貫かなきゃいけない。

別に難しいことではないんです。体力や精神力の要ることでもありません。

一つ信じたもの・ことに、自分が思う「前向き」であればそれでいい。

いつも心に太陽を称えて、同時にほんのちょっぴり弱気だけど、だけどそれすらも楽しめたら、きっともっと、昨日の自分を、今のあなたを、明日の誰かを信じてあげられる。

たとえ綺麗事でも、それがとあなたが繋がったときめきであるのなら。

 

 

侑ちゃん音楽の道に転向する。

歩夢ちゃん自分を支えてくれる大切な人たちの為に歌うスクールアイドルになる。

 

侑ちゃんという人物が"あなた"の垣根を超えて明確化してきたとは上述しましたけど、現実的に進路を変えるという意を示したのは第1話の踏襲でもありますね。第1話ではいつもと変わらない凡庸な日常を恣にしていた彼女が、特にやりたい目標も無く日々の生活流されるがままに予備校に通おう、なんてぼんやりと見積もっていましたが、そんな彼女はもういません。明確に進路が定まりました。と同時に、今まで一緒だった歩夢ちゃんとは違う方向です。

だけど、どうしようもなく始まって、どうしようもなくやめられなくて、好きが止まらないのが夢だから。「止めちゃいけない」と、その時初めて真剣な表情でを語り合った第1話の歩夢ちゃんのステージと同じ場所で、今度は違う、自信を持った表情で向き合います。

 

 

 

 

 

 

大好きな夢と、夢を追いかけるのを支えてくれる人みんなに、せめてもの契りと花束を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歩夢ちゃん(改)のソロ曲は、「Awakening Promise」

いやぁ素晴らしい。ピンク色満開で花開くステージは第1話ステージに被せつつも、さらに自信の表れかのように溢れんばかりにファンシーでファンタジックな不思議の国のアリスの世界観を彷彿とさせるイメージ群。

ああ上手く明文化出来ん。こうして今回の新曲と見比べてみると第1話「Dreamin' with YOU」ではどこかこう、「駆け出してみるよ!という精一杯の第一歩めいた、誰かに誘われてぎこちなく振り絞った挙句披露したかのような感触も伝わってくるのですが、こちらはこう、のびのび歌ってる感じが四肢に感じます。満面の笑みで、軽やかに。

ステージの上の時計が第1話では止まっていますが、この新曲ステージでは針は回っています。彼女にとって夢を志すことと、夢に向かって駆け出すことは2ステップ必要であったのが見て取れますね。

 

後これは余談ですが、正直まさか曲のタイトルに「Promise」と付くとは思ってなくて、第1話の表題を「彼我に契りを仰ぎ見て」にしたもんだからEDクレジット見てギョッとしました。

歩夢ちゃんせつ菜ちゃんと拳を突き合わせる友情のシーンも、せつ菜ちゃん回である第3話の表題を「拳と掌」にしていたのでこれまた少しびっくり。まぁこれに関しては、元々せつ菜ちゃんのPVなんかで彼女には「拳を握る」というイメージの共通認識があると思われるので自分だけの合致ではないかもですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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先に総評書きましょうかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第12話、総評は第10話第11話合わせて120点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラボー。もう何も言うこと無しです。おめでとう。第10話、第11話、第12話、このめちゃくちゃ丁寧に構成された起承転結の三部作が素晴らしかった。まごころ系スクールアイドルと前評判のあった歩夢ちゃんを、これ程までに丁寧にキャラを掘り下げ、しかし10代の乙女チックな少女らしい一人の女の子としてリアルに描写する技巧が冴え渡っていました。

メタな話ではありますが、ここまで百合百合しい友情がすれ違う展開を持ってきたのも斬新といえますね。一歩違えばSSや二次創作に負けずとも劣らないほどのチープな百合群像劇の出来上がりでしたが、侑ちゃんの扱い方、せつ菜ちゃんの立ち位置なんかにもかなり繊細に気を配って、歩夢ちゃんが本来持ち得る純朴で奥ゆかしい女の子らしさを揺れ動く感情として美しく描いていて、虹ヶ咲がソロ活動というコンセプトでどうしても生じてしまう「私ひとりを見ててほしい」というメタフィクション的訴求個人の心の成長というすっぽり収まる形で収束させていました。

 

 

といっても、侑ちゃんも最後でしっかり今の歩夢ちゃんが特別な存在であることをちゃっかり吐露するんですけどね。「最初にかわいいと思っていたのは私なんだからね」ってイケメンなこと言ってますけど、これはやっぱり今の自分も否定しないまま二人のこの先の関係を始めようという意思表示、なんですなぁ。

 

 

 

 

 

 

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そうそう、重要なことを補足し忘れてたのですが、

 

今回の二人は本質的な部分で解決していません。

自分はそこも踏まえて良かったと評価しておきます。

 

この12話、第11話がかなり大きな感情が入り乱れたのもあって、何か釈然としない、スッキリしない収束だったとお思いの方がTwitterでちらほらいらっしゃいました。辛口ではありますが、確かにこの第12話「問題」と捉えるのであれば正直、歩夢ちゃんがほとんど一人で大きな感情を抱え込んで、ほとんど一人で漠然とした言葉に励まされて、ほとんど一人で勝手に解決したと受け取ることもできます。

 

 

これまたメタい話になってしまいますが、今までアニメラブライブ!では、こういった番いの者同士の友情話は必ず大きな感情には、大きな感情で必ずぶつかり合って和解するというやり方が取られてきました。絵里ちゃん希ちゃん然り、花丸ちゃんルビィちゃん然り、果南ちゃん鞠莉ちゃん然り。それが従来のアニメラブライブ!流スポ根術です。そしてその感情のぶつけ合いが結果的にスクールアイドルグループとして欠けたピースを埋める為のエピソードに収束していたんですよね。

ですが今回のアニメ虹ヶ咲という作品は、スクールアイドルグループではありません。再三再四書いたように、あくまでソロ活動がコンセプトです。ということはつまり、一人一人のエピソードがグループ全体のシナリオ展開にほぼ起因していないんです。この12話でもスクールアイドルフェスティバル開催のお話を実際に動かしていったのはほとんど侑ちゃんただ一人ですし、歩夢ちゃんはあくまで上原歩という女の子、自分に向き合うエピソードだったに過ぎません。第3話では少し直接的に侑ちゃんが関わって熱い感情のやり取りをするシーンも見受けられましたが、今までのソロ回を見直してみるとやはり大元の部分は「自分に向き合う」ことの必要性や大切さを説いていたんじゃないかなと思います。ですので収束という意味では、一人で勝手に納得して解決したという感触があるのは当然といえば当然なんですよね。

 

 

自分は、「Awakening Promise」歌った夢ちゃんにはもう侑ちゃん「私だけを見守っていてほしい」という気持ちが全く残ってないかと言われれば、それは嘘だと思います。

侑ちゃん歩夢ちゃんが夢を追うペースが違うのは、お互い道が違えども変わらないことだと思いますしまた歩夢ちゃんが侑ちゃんとの夢の距離感でモヤモヤした感情を抱くこともこの先あるんじゃないかとも思います。まぁこの辺はただの妄想ですけどね。

 

やっぱりみんな誰しも嫉妬というか、自分の持ってないもの羨む生き物ですからね、それを言っちゃおしまいなんですけど。逆に言えば、人がそういう存在であるからこそ一つの集団として足並みを揃えて成長するためにアイドルはグループとしてまとまるという側面があるのではないかと思ったり。ということは、ソロ活動で違う夢を追い始めた侑ちゃん歩夢ちゃんが交わした約束一時しのぎのものであり、この先また歩夢ちゃんの気持ちが揺れ動いたり、あるいは侑ちゃん自分の力不足に悩んだりなんてことも起こり得るんだと捉えています。

それじゃあこの12話で気持ち新たに交わした約束なんて何の意味も無くて、解決してないじゃないか・・・。

 

 

 

 

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でも、それでいいんですよ。

今はそれでいいんです。

今はその場凌ぎの約束だけでもいい、誰かの為に成長したい、自分なりに前に進みたい。そう信じて突き進んだスクールアイドルが未熟Dreamerという曲を歌いました。

たとえ離れていても、その先でまた不安に目を瞑ってしまうようなことがあったとしても、今はそれが精一杯を重ねていくことが、10代の学生らしい歩み方なのではないでしょうか。

 

 

あんまり友情のすれ違いだったり自分との向き合いを「問題」として、正しいか正しくないかで捉えるのは好きじゃないので、上手く言えませんけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今までアニメラブライブ!では、スクールアイドルとして活動するうちに成長していくことについて、何の躊躇いもありませんでした。ところが今回の三部作では、自分や誰かがスクールアイドルとして成長してしまうことに戸惑いと不安が募ってしまいました。

だからとて、アニメ虹ヶ咲が特異な作品というわけではありません。寧ろ、高校生という多感な年頃の感情の揺れ動き話を非常に丁寧に、時に激しく、しかし軽やかに描く所謂「大人の階段」としての一歩をスクールアイドルという題材で表現したエピソードだったと思います。

 

 

自分自身と夢を見つめ直し、また歩き出す。シンプルなのに奥深い、アニメ虹ヶ咲流スクールアイドルアプローチとして申し分ない第12話でした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さあ、グランドフィナーレだ。

史上最大の夢の祭典を、雨上がりの空に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

  

 

 

                                     (12720文字)

 

 

                                   written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回、第11話の感想記事はこちら↓

 

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/12/19/121524

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第11話「みんなの夢、私の夢」感想〜釵は鈍〜

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鴛鴦は瓶の中に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。

 

 

それでは、今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第11話の感想をサクッと書いていきたいと思います。

本来は今までと同じく一日かけて(徹夜もして)ブログを拵えるつもりだったのですが、今このブログを書いてるほんの少し前にかなり予定外の出来事があって大幅に書く時間をロスしてしまったので、今回は要点を抑えつつサクッと!書き上げられたらいいなと思います。どうせ嘘になるだろうけど。稚拙な奴ほどよく喋る。はっきり分かんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadが自分の力の限りを尽くしてアニメラブライブ!を徹底的に私的に解説するだけの100%個人的見解記事です。本文全てにおいて一切の説得力および責任を有しないことを同意の上、斜め読み程度にご覧くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さて、今回の11話では前回10話に引き続き、侑ちゃんが打ち立てた新たな目標であるスクールアイドルフェスティバルの開催に向けて準備や交渉を進めるといった回でした。10話の時点の侑ちゃんの構想では「スクールアイドルを愛する人全てが楽しめるステージを作りたい」と述べ、まだ漠然とはしていますがこれだけでもかなり壮大な計画なのが目に見えて分かります。

このアニメ虹ヶ咲の世界観設定でいうところのスクールアイドルというものが一体どれほどの規模で流行っているのかはほぼ明言されてないというか、このアニメのシナリオを動かす為の明確な指標とはあまりなってないようで。強いて言えばせつ奈ちゃん知名度だったりかすみちゃん知名度だったり動画サイトでのPV再生回数だったりが判断材料になるのですが、そんな外部からの評判よりももっと近くに突破しなければいけない関門があるんですね。それが・・・

 

 

 

 

 

 

 

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内心ノリノリの碇ゲンドウやめろ。

 

ま、生徒会ですわな。巨大マンモス校である虹ヶ咲の何百もある部や同好会の中の一つとはいえ、スクールアイドル同好会も例外ではなく大規模フェスの企画・開催ともなれば当然お上の許可が要るわけですわな。まぁ企画書みたら学生レベルここに極まれりと言わんばかりのふわふわ文体企画概要で苦笑いしちゃったけど・・・

ご存知の通りここの生徒会長は中川菜々=優木せつ菜であり、事実上スクールアイドル同好会の内通者でもあるわけですからどうひっくり返っても承認できるじゃーん!・・・というわけにはいかないんですね。中川菜々=優木せつ菜であるということは(何でバレてないか不思議レベルの変装だけど)一応秘密ですから、こと生徒会室での企画交渉の場ではあくまで中川菜々として中立の立場を貫かなければいけない身・・・なはずなんですけどせつ菜ちゃんあんた全肯定する気満々だな。なーにが「それは面白そうですねぇ」だよ。あのフワフワ企画書のどこに前向きに検討出来るだけの信頼感があんだよ。そんなんだからラブライブ!のシナリオは安っぽいシナリオだとかたった一章更新されただけで今までの全てがクソゲーになったとか揶揄されるんだよ。いや僕は・・・何のことか分かりかねますけど。

 

まぁ彼女のウキウキはさておき、かすみちゃんが自分のスクールアイドルとしての知名度に全幅の信頼を置いて交渉に差し掛かるの、人選の悪いこと悪いこと。これ実は地頭も良いと噂されてる愛さんとかの方がフレンドリーなコミュニケーション能力も加味して妥当な人選だったんじゃねぇの。いやでもダジャレとかかましたらふざけてると捉えられかねいかなぁ。

そもそもかすみちゃんが選ばれた理由・・・は同好会部長(自称)だからでしょうか。せつ菜ちゃんが事実上同好会活動としてのまとめ役を担ってきていたのがこういう場面で裏目に出るとはね。侑ちゃんも困った顔してたのは珍しく手面白かったですね。生徒会メンバーがこんなトンチンカンなネゴシエーションでよくもまあ「話にならねえ出てけ!」と全否定しなかったもんだ・・・楽しそうでとても良い、だけど企画概要に改善の余地ありとして一度は穏便に引き下がってもらうという大人すぎる対応ができているのはすごい。ただ全否定をしない生徒会というのは今までのアニメラブライブ!シリーズとして新しい存在感を引き出したかったのかもしれませんね。今までのラブライブ!の生徒会、大体私情でスクールアイドル否定してきたから・・・

 

 

 

 

 

 

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何だっけこれ・・・こんなん家にあったな・・・何だったっけ・・・

 

って本放送視聴後ずーっとぼんやり考えながら部屋ゴソゴソしてたら、思い出したそうだこれグラフィグだ。

キルミーベイベーのDVDの特典で付いてたやつだ。素材は段ボールじゃないですけどね。ふふん、後に発売されたBOXじゃなくてバラ売りの方ですよ。再放送、いつか出来たらいいですね。さすがにコ、、ンは無理か・・・

 

 

 

 

かすみんBOX、ですっけ?今までのアニメラブライブ!シリーズのリクエストBOXの継承も踏まえながら今回の「表向き」の展開に大事なポイント、みんなの意見を取り入れて一つのステージを作るということですね。侑ちゃんはここにかなり注力するわけですが、今までの9話分での侑ちゃんメンバー一人一人、各々のスクールアイドルひとりひとりがそれぞれ違った特長や表現を持っていて、それら全てを叶えてあげられるような一つのステージを作りたいと、侑ちゃんは願っているわけです。かすみんBOXは最初すっからかんですけど。

このアニメラブライブ!というセカイにいる全てのスクールアイドルとそのファン全ての持つ十人十色・千差万別の違いを願いに変えて、一つのステージに込める。一人一人違くて、それを否定したくないのに、一つのステージに集める必要があるという考えの元企画を進める為には、そのステージを行う為の会場が非常に重要な案件になってきます。今回の11話ではその辺りにかなり難儀してて、スクスタのメインストーリー「スクールアイドルフェスティバルを自分たちの手で実現させてみせる」というストーリーラインにも被せてきているんじゃないかとも感じました。

勿論これは初見さんには伝わらないオマージュでもありますが、アニメラブライブ!シリーズを追ってくださっていた方々はほんの少し理解が深まったのではないでしょうか。

までアニメ作中で誰がどんな主導を持って開催されていたか分からないラブライブ大会の開催・運営の部分がありましたし、スクールアイドルの大会を主催する側となる時に立ちはだかる関門や苦難がこういう形で描写されるというのは斬新だと思います。やはり侑ちゃんという今までのアニメラブライブ!の中では異質な存在が参入してきているのがシナリオ全体を通して影響しているんでしょうね。

 

 

 

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任侠かな?

 

これ初見さんにヤ○ザの事務所シーンだって見せても納得されるでしょ。

 

Twitterでは他にも雀卓、丁半、羽生善治、警察モノドラマなどなど、侑ちゃん愛さんのしかめ面とボーイッシュ(というかちょっとオッサンくさい)なポージングや熟考がウケてましたね。どうせ侑ちゃんLARKかアメスピ咥えたコラ画像とかすーぐ出回るんだろ・・・と思ってたら流石にそこはアイドルアニメなのか、なかなか見かけなくて何となくホッとしました。いやいや、実際は先述の会場決めに悩むシーンですよ。

 

 

 

 

 

 

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堕ちたな(確信)

 

いや元々堕ちてたんやけど。

前回のブログでもチラッと書きましたが、自分は軽率な百合カップリング描写は、何というかキャラを軽んじてるなぁと思っちゃってあまり良しとしない意向だと述べました。

が、まぁ今回に限ってはこれくらいの描写程度ならかなりソフトに見えてくるのでぎゃあぎゃあ騒ぎませんとも。後にもっと巨大な感情で迫ってくる女の子がスタンバイしてるんで。

周辺のスクールアイドルにフェス開催に向けての協力を仰ぐ、という場面でしたね。もうすっかり懇意となっている藤黄学園の姫乃ちゃんですけど、これに限っては人選が的確すぎる。何この差。もしかして姫乃ちゃん果林さんガチ恋強火勢だったの、周知の事実だったからなの・・・?めちゃくちゃ虚勢張って対等なライバル演じてた9話の彼女が後で布団に顔うずめて発狂するやつじゃん。

 

 

 

 

 

 

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しかしまぁ璃奈ちゃんの成長はオタク心をくすぐるなぁ。まさか初期からこんなに奇抜な色物キャラの見た目だった女の子が、実はオタク陰キャの人付き合いに敏感な機微をこうも鷲掴みにしてくるなんて、思いもしなかったでしょう。

すっかり打ち解けるようになったクラスメイト、でもあり焼き菓子研究会の部員でもあった色葉ちゃん今日子ちゃん、浅希ちゃん

モブクラスメイトは数字の入った名前が三人、というアニメラブライブ!シリーズの隠れた伝統は少し体系が変わり、今回はいろは歌が名前の由来。何てったってアイドル(アニメ)ですからね。というか焼き菓子研究会って・・・お菓子研究会とは別なんですかね。どういう派閥分けがされてるか謎ですが、生徒会はこんなに細分化された部や同好会を認可してナンバリングしていると思うとスクールアイドル同好会があっさりと廃部になって新規同好会が部室をリユースしていった理由が何となく分かる気がします。

 

それはそれとしてここの璃奈ちゃん、相手の目を見て感情が顔に表せない分人一倍努力して真摯にコミュニケーション取ろうとしている描写が凄まじくグッとくるよね。シーン描写としてはフェス開催の宣伝に向けてせっせこ頑張る璃奈ちゃんに3人が差し入れを持ってくる、というものですが、こういう何気ない描写に大いに意味を持たせることができるというのはやはり6話キャラの特徴の理由付けやそれに伴う心情描写を丁寧に掘り下げているからなんですよ。各々が各々の方法で一つの大きな目的に向けて活動していくシーンを設けているだけでなく、それまでの1〜9話までで散りばめたメンバー一人一人の「気付き」や「成長」を10話以降でさりげなく、しかし着実に結実している描写に変換されていくという流れが、もう心鷲掴みにされちゃいますね。スクールアイドルである前に、一人の女の子として日々頑張ってんだなぁ。ニコッと笑えなくても、伝わる。それが出来たら、何だって叶えられるくらいの力が湧いてきちゃいますよね。

 

 

 

 

 

 

 

さて・・・。いよいよメインディッシュに取り掛かりましょうか。別に目を逸らして、敢えて書こうとしなかったわけじゃないですよ。しっかり前座で暖めてからにしよっかなって。

 

 

 

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今回11話のサブタイは「みんなの夢、私の夢です。珍しくアニメのサブタイ表記に↑のように丁寧に色分けされてまで今回のお話の側面の部分を二分割していました。さっきまで自分が書いたのは「みんなの夢」の部分です。それではここからはいよいよ「私の夢」の方について、サラッと書こうかなと。勿論、この「私」とは今回かなり巨大な感情で文字通り侑ちゃんに覆い被さった張本人、上原歩夢ちゃんのことです。

 

 

 

 

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侑ちゃんがみんなの願いを叶えるステージに向けて試行錯誤していく様を、他の同好会メンバーとはかなり違った温度差で静かに見守っていた歩夢ちゃん。会場決めの際、侑ちゃん歩夢ちゃんにアイディアを振った問いかけにも、主体性のある答えは濁したまま、困った顔をするだけ。

 

それもその筈、歩夢ちゃんは前回10話で侑ちゃんせつ菜ちゃんとかなり(物理的にも)距離が縮まっていたのを見て非常にショッキングな面持ちをしていました。そして自分は前回のブログでその描写について、「一緒にスクールアイドルを追いかけるきっかけとなった"憧れ"である女の子とも急激に距離が接近していて、置いてけぼりのように感じてしまった」という旨を書きました。

 

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ですがまぁ・・・今回、侑ちゃんが泣きつくかすみちゃんの頭を撫でる姿をピント外から呆然と眺めてたり、バス停で侑ちゃんだけが別の場所へ向かって一人になるシーンだったり、今回のラストのシーンとかをかなり表面的に、露骨に押し出して描写しているのを見て、

 

「ああもうこれは、歩夢ちゃんは侑ちゃんに友達や幼馴染以上の感情を持っているんだな」と判断せざるを得ませんでした。

 

ただし、これを百合かどうかと問われればかなり首を捻るところです。勘違いしないでほしいんですが、別に頑なに百合を認めたくないわけではないんですよ。その辺りも踏まえて、ざっくり書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そもそも、自分は百合が嫌いなわけではありません。女の子が女の子を好きになる、それが片思いであれ両思いであれ男がほぼ存在しないアニメの世界観としてはうってつけで、女の子が女の子同士でキャッキャウフフするというのは男の自分からしてもとても心身に優しく、心安らかに喜ばしい気持ちになりますよ。それは正直に認めます。

でも唯一自分が嫌なのは、キャラ同士を安易にくっつけて、抱き合わせにして観てる側に媚びを売ってるのが露骨なのが嫌なんですね。めんどくせーな、と間違いなく思われるでしょうけど、これは百合に限ったことじゃなく、BLに関しても同じ印象を抱いています。だから恐らく自分は理解の無い腐女子様とは一生分かり合えないでしょう。姉曰く特に女オタクに言えることだがキャラ同士をくっつけて絡ませるのがとにかく好きとのことですが、人間ってそんな軽々しい人形じゃないんですよ。

自分は画面の中のキャラクターを、一人一人芯のある人間だとかなり意識して想っています。自分自身SS書きをしていたりしたので別に二次創作にまでそれを持ち込んだりはしないですが、「公式」と呼ばれる母体がそういうファン同士で楽しむ為のお人形遊びを軽々しく露呈してしまうと、キャラクターを蔑ろにされてる気分になるんですよ。感情論みたいになってますけど、人と人との気持ちの交わりって、そういう簡単なもんじゃないやろと。

 

 

 

 

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で、そういう目線でアニメを観続けてきた自分から言わせてもらえれば、今回の歩夢ちゃんは今までのアニメラブライブ!の軽率な百合描写とは一線を画して、飛び越えてきています。

端的に言うと、この11話までポツポツと些細なシーンで散りばめてきていた「侑ちゃんだけを見て歩を進めていた」という巨大な感情が爆発するにふさわしい描写だったと評しておきます。百合ソムリエみたいで気取ってるんじゃなく、純然たる評価です。

 

今回の歩夢ちゃんは、所謂アニメラブライブ!幼馴染友情すれ違いシリーズの後継です。1期10〜11話にかけて丁寧に描写されているのが一致している辺り、恒例というかお約束というか、様式美みたいな感じでファン共々理解してイジってきました。穂乃果ちゃん・ことりちゃん・海未ちゃん幼馴染三人組しかり、千歌ちゃん・曜ちゃん・梨子ちゃん新旧ソウルメイトしかり。

 

しかし今回の歩夢ちゃん侑ちゃんのお二人の幼馴染の関係は、この11話では特に歩夢ちゃんが侑ちゃんと同好会に入って以降巨大な感情を募らせながら持ち合わせていたのが確認できます。それが「私だけの侑ちゃん」です。これに関してはぶっちゃけ自分もかなり驚きました。はっきりと、口に出して、自分の中の幼馴染への気持ちの大きさ捉え方を独占欲にして伝える行為をやってのけたというのは幼馴染シリーズとしては初です。今まではアニメ作中での描写は主に「近しい関係であるからこそ、素直な思いを口に出せない」というのが常で、その都度視聴者ファンが思いを汲み取って補完している部分が大きかったように思えますからね。

 

 

 

 

 

歩夢ちゃんは、侑ちゃんを独占したい。幼馴染としての特別な想いが侑ちゃんに対して明確にあると、面と向かって伝えた。ことりちゃんにも、曜ちゃんにも出来なかったことが、遂に第3世代の歩夢ちゃんがやってのけた。ではこれはもう間違いなく百合なんでしょうか。幼馴染でいつも一緒にいるから、女の子だけの世界だから、歩夢ちゃんは侑ちゃんのことが好きなのか。

 

 

 

 

 

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自分は違うと思います。少なくとも、女の子と女の子をくっつけてキャイキャイさせるだけの軽いものじゃない、もしそれを百合と形容し定義するのであれば、歩夢ちゃん侑ちゃんに抱く感情は百合なんかよりももっと巨大な感情です。今回、視聴者さんの多くが「歩夢ちゃんの愛が重すぎる」とか「メンヘラ幼馴染」とか、かなり重めの表現で端的に言い表してる方が非常に多い印象を受けたんですが、巨大な感情を持つこと自体はそこまで特異ないものではないと思うんです。人が人を思う、と捉えれば誰しも一度は経験したことのあるのでは。

 

例えば仕事場に目上の人がいて、別にその人としょっちゅう揉めてるわけでもないけど、何となくその人に一日中気を遣いながら仕事する。あの人を怒らせないように自分はどう振舞って、どこで何をいち早く用意してあげて・・・みたいにずーっと考えっぱなし。これもまた巨大な感情のひとつとも言えましょう。この場合、要は考えすぎってことなんですけどね。

 

上のはあくまで一例ですが、例えばこの場合何故こんな「人が人を想う」ことが起こり得るのかというと、引け目を感じていることから「自己認識の低さ」というのが根底にあると睨んでいます。つまり、「自分や相手が平凡か、特別かを意識すると人は人を想うようになる」ということ。ここまで突き詰めると最早「何故人は人を想うのか」みたいな哲学めいた思想になってきますが、そんな深層心理的なとこにはいかず、かつかなり分かりやすく、今回と同じように百合をテーマにして繙いた作品を自分はアニメで以前知りました。

 

それがやがて君になるという作品です。

 

今回の歩夢ちゃんの心中を正しく視るにあたって、この作品には助けられた部分があります。そういえばこの作品の主人公も「侑ちゃん」ですね。おやおや〜?これはかなり意識して作られたのでは・・・なんて。そういえばアニメ版の脚本は花田十輝さんですねぇ。この作品では誰かを「特別」に見られない小糸侑ちゃんと、自身に嘘を塗り固めた挙句嫌いになった自分が他者の好意を認められないコンプレックスを抱えた二人の女の子のお話です。二人を渦巻いていく感情の分析の描写がすごく丁寧で、これこそが正しく百合を描いた作品の正統なんじゃないかなと思える素晴らしい作品です。興味がそそられた方はぜひ。

 

 

 

 

 

 

 

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誰かを特別に想う。好意というのはかなりカロリーの使う行為だと思います。愛さんギャグ。だからこそ人は今までそれを特別に、色んな形で表現してきました。対等でも不平等でも、どんな意味であっても。

こうやって重く受け止めて考えすぎるから陰キャは奥手なんだとツッコまれがちですが、そのくせ作品の中の感情はすぐメンヘラと揶揄するってもんだ。

まぁそれはさておき、誰かを特別に想うということは上述の通り、恋愛や百合に限ったことではありません。歩夢ちゃんが今回抱いたその感情が恋愛感情かどうかはさておき、何故彼女が11話にしていきなり、しかし着実なまでに・・・彼女の普段の様子とは考えられない程激しく感情を爆発させたのでしょうか。何故11話の今になって。

 

 

 

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「せつ菜ちゃんの方が大事なの⁉︎」と彼女は強く訴えました。この言葉に裏付けられる意味合いは勿論「もっと私のことも見てほしい」です。これをどう受け取るかはともかく、重要なのは彼女にとってもせつ菜ちゃんが特別な存在であることが裏付けられているからです。

 

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侑ちゃんに訴えかける直前のシーンで、せつ菜ちゃん歩夢ちゃんがそぞろ歩くシーンがありました。11話を見直せば見直すほど、これまたシナリオの人性格悪いなぁと思っちゃうくらい露骨に二人を当てがってますよね。10話で侑ちゃんせつ菜ちゃんとより懇ろになってるのもそうですが、侑ちゃんに関わらず歩夢ちゃん自身にとってもせつ菜ちゃんは自分がスクールアイドルを始めるきっかけとなったスクールアイドルです。歩夢ちゃんだけがせつ菜ちゃんのことを一定期間までせつ菜さんとさん付けして呼んでいたのがその証拠で、侑ちゃんが隣にいるというのもさることながら彼女にとってやはりせつ菜ちゃんはスクールアイドルをやっていく上での一番身近で、されどまだ遥か遠い憧れです。

にもかかわらず、侑ちゃんも同じく彼女のステージに魅了されたにもかかわらず、侑ちゃん優木せつ菜という女の子はもう「特別」でないかのように笑い合っている。歩夢ちゃんの心に渦巻く気持ちは、スクールアイドルファン初心者同士としての疎外感です。そう、歩夢ちゃんにとってステージを観る時間や空間というものは、あの1話以来それ程までに特別な意味を持っていたはずなんです。なので歩夢ちゃんせつ菜ちゃん嫉妬していたかと言われれば微妙に違います。寧ろこの時の彼女にとって重要なのは侑ちゃんと仲良くしてるのが誰なのかではなく、やはり侑ちゃんがどんどん交友を深めていっている事実そのものに焦りを感じている。何度も書きますが、自信の無い嫉妬は嫉妬とはいえません。

 

侑ちゃんは、自分のステージでさえ正式に彼女に披露できていないのに、せつ菜ちゃんどころか全スクールアイドルとそのファンが織り成すステージのことを考えてしまっている。

 

10話でも書きましたが、侑ちゃん歩夢ちゃんが思っている以上に一足飛びでスクールアイドルにのめり込んでいる。それどころか今まで「観る側」に徹していた高咲侑は、いよいよステージを「作る側」にまで手を出し始めた。

それが歩夢ちゃんの誤算です。

これに関しては別に特別な感情無しでも疎外感は抱くでしょう。今まで一緒に仲良くやっていた友達がいきなり今までと全然違うことをやり始めて、それが軌道に乗って大活躍・・・「お前、一体どうしちまったんだよ?」と問いかけるのは、映画なんかでも見かけることあると思います。

 

自分が一番よく知っていたはずの知己が、急激な勢いで変わって、先んじてしまう。

 

 

 

 

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このシチュエーション自体がよく見かけられるのであれば。その時自分は友人に対してどうしたらいいかを、自分にとって正しく選べるか。それが幼馴染シリーズを分ける材料だと思います。

だから歩夢ちゃん一気に膨れ上がった巨大な感情を少しずつ処理するために、侑ちゃんに停滞を求めました。

 

先に行かないでほしい。

もっとゆっくり歩いてほしい。

もっと、自分の身の周りにいる人をじっくり見てほしい。

 

私を見てほしい。

 

 

1話の最後で、歩夢ちゃん「私の夢を、一緒に見てくれる?」侑ちゃんに問いました。揚げ足取りみたいですが、彼女は「夢を、一緒に叶えてくれる?」とは問うていません。彼女にとって「夢」とは侑ちゃんと共に「見る」ものであって、「叶える」ものではない。もっと正確に言えば、まだそこまで達していない。

10話で言った「ステージに立つだけで胸がいっぱいになる」のが彼女なら、「勇気も自信もまだ全然な自分がステージに立つのを、観客の侑ちゃんが見ているだけでいい」んですね。

 

今はまだ、歩夢ちゃんにとってのスクールアイドルはそれで十分なんです。彼女の夢は、歩いて踏みしめて叶えるものだから。そしてその願いを歩夢ちゃんは、侑ちゃんが受け入れてくれたとばかり思っていた。1話の「約束」からずっと。では何故そんな風に信じ続けていたかというと、

 

 

 

なんですよ。

 

歩夢ちゃんにとっての侑ちゃんは、「スクールアイドルのサポーター高咲侑」ではなく「幼馴染の高咲侑」であり続けているから。

 

まさか、放課後に何の目的も無くブラブラ寄り道するだけの幼馴染が、まさか「スクールアイドルにとっての"特別"」たる人になるかもしれないとは思っていなかった。今まで特に何も特別性を感じなかった二人で帰る帰り道が、急に価値を変えて実感できるわけです。だから日が暮れてもなお部室に残って侑ちゃんを待ってたり、バス停のシーンが妙に取り残されたのを強調させられていたんだなと。

 

 

 

 

 

 

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相変わらず冗長になってしまいましたが、歩夢ちゃん侑ちゃんに抱く感情が百合なのか、そして今回はそれによる嫉妬「せつ菜ちゃんの方が大事なの⁉︎」と言わしめたのかといわれれば、それだけでは説明できない積もり積もった巨大な感情群と言えましょう。

 

誰かを特別に想う。その感情が歩夢ちゃんにとって、1話ではごく当たり前に、「かわいいよ」という褒め言葉さえ冗談めかして受け入れて生きてきた女の子にとって、著しく価値を持つことになった末での爆発です。侑ちゃんが電子ピアノをこっそり買って練習していた、という事実がまさか着火点になるとは、と驚いてる視聴者も多かったでしょうけど、多分歩夢ちゃん自身もそこで堰が切れるとは思ってなかったでしょう。

 

どう形容していいのか分からない、辻褄さえ合ってないかもしれない。

 

だけど、それでも一人にしないでほしい。いつまでも隣で、以前までの高咲侑でいてほしい。

私の中の、

夢にまで思い描いた、

夢の中で内心ずっと閉じ込めてきた、

今まで甘んじて受け入れてきた、

ずっと続くかと思われてきた日常の中の高咲侑。

 

アニメラブライブ!がここまで突き詰めて、かなり踏み込んで特別な感情を描くアニメになるとは思いもよりませんでしたね。ですが不思議ながら、自分は今回歩夢ちゃんを「重い」とはそれほど思わなくて。

 

 

 

これは何故かというと、上述した通りそもそも「人が人に特別な感情を抱く事」に関して自分は普段からかなり意識的に、深々と論考してきたからというのが大きいです。

そして今回の歩夢ちゃんにまつわる幼馴染の描き方というのがかなりライトに抑えられているから、というのもあるんですよ。前回書きましたが、自分は「幼馴染」という関係は"結果"であると思っていて。まぁそれは神に〜さまの受け売りなんですけどね。

それを証明する為のバックグラウンドとして、例えばとても丁寧に練り上げられた幼少期のエピソード描写があったり、歩夢ちゃんと侑ちゃんという人物をもう少し色濃く描くのであれば「幼馴染」としての関係と感情をどっしりとした大きなものに捉えられたと思います。

ですがそれをしないままに11話で爆発させたのは、歩夢ちゃんこのアニメの顔でありながら主人公ではないという、アニメ虹ヶ咲の特長浮き彫りになった展開の裁量なのではと思います。要は一人にそこまで時間割いてられねぇ!ということですね。その実、もし歩夢ちゃんをこのアニメの正式な主人公とするならば、最低2話は使って彼女を描くというのが今までのやり方だったはずです。しかし今回そういう「幼馴染としての説得力」に値する説明付けはほとんどされていません。歩夢ちゃんと侑ちゃんは幼馴染なんだ、という前提から始まってしまっています。

あるいは、この鬱屈とした感情の決着となるであろう次回12話過去の裏付けが付け足されるのか。幼少期を映したであろう意味深な写真立てが飾られていましたし、その辺りかなと。

 

 

 

 

 

 

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まぁ↑はかなり邪推しましたし、視聴後の妙なテンションで少し気が動転してたと思わなくもないですが、

「侑ちゃんの即答に怖いものを感じた」というのは本当で。即答って基本的に問いかけた方の気持ちを軽んじてるみたいであまり好きではないのですが、この場合

 

「せつ菜ちゃんの方が大事なの⁉︎」

 

「違うよ。」

 

となり、額面通りに受け取れば「歩夢のこともちゃんと大事に想ってる」という意図になりとってもイケメン高咲侑なわけですが、この後に

 

「もっと先のこと・・・」

 

と付け足して打ち明けようとしているのが違う意図の想像を掻き立てられますねぇ。寧ろ逆で、「歩夢が云々どころの話じゃない、私が伝えたいのはそんな話じゃなくて…」という意味合いがあって、そうすると実はこの会話は本質的に噛み合ってない説が提唱されるわけです。それくらい即答というのは自分の意志の力強さを感じさせるものであり、そういう会話劇からも高咲侑が著しい速度で変わり始めていると読み取れます。歩夢ちゃんがこの返答を額面通りに受け取ったのか、一瞬ホッとして柔和な笑みを浮かべるのが残酷ですよね。そのすぐ後に、歩夢ちゃんが一番恐れていた未来の話をされるわけですから。

 

歩夢ちゃんはそういう形で、侑ちゃんを通して「いまのなかで」生きるスクールアイドルたりえているんですよ。今見ている夢の中の新雪に、一つずつ足跡をつけている。

それを侑ちゃんは果たして、どこまで慮れているのか。押し倒されてまで"停滞"を求められた高咲侑は、上原歩という大きな感情に何を差し出せるのか。差し伸べられるのか。

 

 

 

 

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多くのラブライブ!ファンの間の考察では、侑ちゃんはピアノを猛練習して歩夢ちゃんへのオリジナルソングをプレゼントしようとしていることを伝えたかったのでは、と推察されています。

 

もし侑ちゃんが、歩夢ちゃんこれ程まで大きな感情を抱いていた幼馴染であることをきっちり認識できているのであれば、この推察はとても素敵なものになるでしょうね。

高咲侑という人物はこの10数話で既に「視聴者ラブライブ!ファンに限りなく近い派生像」という認識はかなり薄れ忘れ去られ、「みんなにとってのスクールアイドルファン第一号」としてエッジを利かせてきていますが、そんな中での上原歩夢の幼馴染、高咲侑の部分は果たしてどこに着地するのか。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

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この足で挟む描写は天才とは紙一重の変態の発想だとガチで思った。

 

いや今回絵コンテの人女性なんですよね・・・マジでこんな発想出たの?スマホが覆い被さるシーンカットも何か遠回し過ぎて微妙に気持ち悪いと直感で思っちゃったのは俺だけか・・・?変に(意味深)みたいな表現するから百合カップリングがオタクへのファンサ、軽率な媚び売りだと思われるので、その辺ご留意ください。

そういえば今回は特にカメラワークもかなり凝ってましたね。f:id:Elysia_Sunny:20201219080810j:image

こことか。いやまぁこれだけ見ると普通なんですけど、二度にわたる生徒会との交渉シーン、随所随所でカメラ妙にグリグリ動かしてた。別に全く悪いことはないですし見せ方に工夫入れてくれるのは深夜アニメファンとしてヒャッホウですけど、純粋に謎でね。

 

 

 

はー書いた書いた。ん?ササッと書くのではなかったのか?12800文字、既に書いております。まぁでも徹夜した割にはかなり勢い付いて手早く書けた方なので(夜通し5時間)

 

 

 

 

 

という訳で11話でした。

 

んーこれどうしようかな。10話で敢えて総評の点数書かなかったんですけど、それ即ち実は12話まで歩夢ちゃんのお話引っ張ると思ってなくてですよ。10話、11話で二つまとめて総評点書くつもりだったんですが・・・どうしよう。

 

 

 

 

 

12話まで総評(点数評価)は後回しにします。

 

 

 

10話、11話、12話三話を「私の幼馴染三部作」として、ひとまとめの物語として判断し点数を付けさせて頂きます。前、中、後編みたいな。序・破・急みたいなね。

 

 

 

 

 

11話自体はまとめます。今回はスクールアイドルフェスティバル開催に向けて侑ちゃんが猛進する傍ら、歩夢ちゃんはその様子を前半から後半に進むにつれ鬱々とした面持ちで傍観していました。その歩夢ちゃんが抱く思いというのは、幼馴染の侑ちゃんという1話から変わることのなかった特別で巨大な想いです。

こっそり買った電子ピアノが爆発点ではありますが、どこが着火点だったのかは既にここまでのお話の各所に少しずつ散りばめられていて、前回10話からお話の流れが同好会全体として急ピッチで進むにつれ加速度的に想いが増幅していきました。

 

歩夢ちゃんの想いというのはどこか浮世離れした重苦しいものではなく、まだしっかりとした自他との棲み分けが未熟であるティーネイジャーの多感な気持ちがかなり色濃く、如実に引き出されていたといえます。

そこに理路整然とした気持ちの整理の余地なぞあろうものか、特別な感情というものに彼女自身振り回され引き合いにせつ菜ちゃんの名を出してしまったに過ぎず、冷静に分析するのであればそこにあるのは三者への嫉妬ではなくただひたすらに侑ちゃんに対しての疎外感や孤独感が彼女の胸にわだかまってしまったのではないかと解釈しました。

ここまで切迫した雰囲気とはっきりとした言葉で幼馴染に想いの強さをぶつけるというのはアニメラブライブ!としてはかなり思い切ったというか、切り込んだ回だったのではないでしょうか。そういった意味では意欲作(回)で、この11話までに布石を散りばめていたのは読み取れていたものの、勢いよくシフト転換したなぁと強いインパクトを受けました。

 

 

 

 

 

 

 

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上原歩は他の同好会メンバーとは違い、高咲侑という"10人目"に救われたがっています。

 

 

 

果たして、彼女にとって何が「救い」となり、「エンディング」となるのでしょうか。

 

 

 

歩夢ちゃんを粧す簪は、まだ鈍いまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

 

                              (14140文字)

 

 

                               written by Sunny Road

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第10話「夏、はじまる。」感想 〜Stand by STAR〜

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魂はシンデレラのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。

 

さて、毎度ながらに今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第10話の感想をこちゃこちゃ書いていこうと思います。ここまでの全9話でニジガクメンバー9人を一人ずつスポット回として掘り下げ、ここからいよいよストーリーラインが本筋へと移行していきますね。メンバー掘り下げと並行して自己紹介PVを撮ったり、校内新聞部から取材を受けたりと、同好会全体としてちまちま草の根運動みたく活動はしていたんですが今回からはガッツリ9人同時活動をしていきます。

 

何てったって、「夏、はじまる」からですね。「高校生」、「部活」、「夏」。3つのキーワードが重なって連想されるイベントなど一つに決まっているでしょう、せーの。

 

合宿だー‼︎

 

ってなわけで今週は合宿回です。やったー!学園・部活アニメとしてはド定番、深夜アニメとしてはサービス息抜き回、ソロライブPVをマジのマジで9人分用意しやがった制作スタッフ各位の猛者たちにとってはお疲れ様回となりますね。いやほんま、頭が上がりませんわ・・・それもあってか、今週はちょっぴり作画が不安定なシーンもありましたねぇ。

 

自分も深夜アニメをそれなりに観てきたから言える内部事情ですが、キャラデザ変えて良かったよね。いや結果論かもしれませんけど、ここまでラブライブ!特有のこう、こってりしたキャラデザを継いで今作も作画してたらソロPV9人分なんていう割と前代未聞の所業だと思います。PV制作班と作画班は別だとは思いますが、作画の時点で詰まってたら後の美術班・動画班・効果班・音響班PVとアニメーションを繋げる技術班などなどその他諸々ぜーんぶ後がつっかえてもう血眼の戦場になること必至だと思いますよ。そう考えたらキャラデザをライトに仕上げて少しでも作画班の負担を少なくするという効果がもしあるのなら、このラブライブ!史にとって意外と大きなキャラデザ改革はWin-Winとも言えるでしょう。

というか具体的には、前々作、前作室田雄平様のデザインを基にしたキャラデザは目の大きさ・線の太さ、目の輝き(白くり抜き)の大きさ、陰影の濃さなんかがかなり特徴的でした。別にこき下ろしてる訳じゃないですよ。ただそれを実際にアニメーションするにあたって、描く側も観る側もそれなりに高カロリーに感じてたようにも思えます。「あ、これアニメラブライブ!だわ」って深夜アニメファンならぱっと見で一発で気付く作画、ですよね?それがアニメラブライブ!ブランドとして機能してる部分もあったのですが。

 

実際ここまでの9話で、キャラデザの可愛らしさやボディのエッチさに頼らずとも「キャラ」を彫り深く、愛らしく描くことはできると、視聴者側も確信出来る程の出来映えでしたよね。何を隠そう、璃奈ちゃんいうキャラクターが全てを証明しています。表情は変わらないし璃奈ちゃんボードで顔は隠すしボディラインは貧s

 

 

いや何の話しとんねん。合宿はよせえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あぁ、まぁ・・・はは・・・(苦笑)

 

 

開始10秒で安売り媚び百合営業を見せられて困惑しましたね。これ普通に初見さんどう思っただろうか。絶対「ああこの2人がニジガクの固定百合カップリングなのね」みたいに受け取ったでしょ。そういう安売りするから嫌なんですよ。これについてはまた後で書きます。

別に否定もしないし今回の総評での減点対象ではないですけど・・・悪い部分でのラブライブ!過去作オマージュも取り入れていく10話、でもあったなぁと感じましたね。

 

このシーン、かすみちゃんがテストで酷い点数を取った・・・と捉えられますが、さりげなく不要な情報を削ぎ落としてますね。

夏合宿が間近に控えられていて、制服も夏服半袖、それでいてテストの結果が返却されるとなると、普通に考えて作中の時間は1学期末という時期になると推察できますが、ここでのシーンは「夏休み」という単語のみしか使ってません。

しかしこのシーン描写と「いよいよ夏休みだ!」と言わせるだけで視聴者側は「ああ、今作中では7月末ごろくらいかな」と勝手に想像してくれ、今まで季節感の無かったソロ担当回から急に「限りある時間の中で生きるスクールアイドル」としての時間が熱を帯びてくるという、必要最低限の情報だけ観せることで後から視聴者の想像で補完させる手法がなされています。そういうさりげないのはオタクは大好きなんよね。

 

後この場面の何が好きかって、サラッと流されてるとこ。いつものアニメラブライブ!ならかすみちゃんおバカイジが待ってましたと言わんばかりになされ、補習だの他の娘の学力はどうの何だのとキャラを使い潰すまでグリグリ弄り倒すのが主流で、これに乗じて2次創作もどんどん捗るまでが様式美みたいなものと思うんですが、過度にキャラの弱い部分をイジり過ぎないというのはアニメニジガクがかなり気を遣っているところなのかな、というのを如実に感じますね。このことは後のせつ菜ちゃんのシーンでも書きますね。

まぁ自分みたいな画面の中の女の子の掘り下げは生身の生きてる女の子のように丁重に扱ってほしいとアニメラブライブ!で常々願っていた繊細厄介視聴者勢はどマイナーだとは思いますが・・・アニメニジガクはそういう細かいシーンの処理まで気を配ってくれているから好評に繋がるんでしょうね。ちりつも。

 

 

 

 

 

 

 

 

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という訳で合宿に出発です。出発といってもどこかに遠征するわけではありません。合宿地はここ、虹ヶ咲学園です。合宿専用施設まで敷設されてるとかやべえな。そら廃校のはの字も出んわ。自分の学生時代にも合宿棟というものがありましたが当然ここまで大規模じゃなかったですしナイトプールなんて以ての外ですよ。どの部活も最初合宿棟の掃除から始めるような年季の入った社宅みたいな造りでしたねぇ。

そもそも10話で合宿回をするというのは何を隠そうアニメμ’s 1期のパロディでもあるんですね。μ’s真姫ちゃん(当然のように複数所有している)西木野家別荘を貸してくれてそこを合宿地としていましたが、合宿回でありながらやってることはニジガクオリジナル、というのが丁度良いですね。後に大部屋でみんなで並んで寝るシーンを観ると、どちらかといえばアニメμ’s 2期12話の方が雰囲気的には似てますね。あれも一応合宿申請してますし。

 

 

 

 

 

 

 

 

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まぁいつか絶対来るとは思ってたよ。

(鍋の取手にも吹き出した煮汁が付いてるの、地味に作画芸が細かい)

 

かすみちゃんのお勉強苦手キャラと同じく、せつ菜ちゃんお料理苦手キャラ。ぶっちゃけ、イジりやすい設定だとは思うんですよ。美少女アニメ的にはありがちで、そこまでキャラのイメージを著しく損うわけでもない、ドジで可愛らしい一面を描く上で筆頭みたいな設定だとは思います。それは認めます。で、ことアニメラブライブ!においてはキャラの弱点的部分を過剰に演出飛ばして他のキャラも巻き込んで、というように執拗にイジる多発事故みたいな傾向がかなりありがちだったんですよね。

 

しかし今回のアニメニジガクでは、先のかすみちゃんの件もそうですが弱点的一面をかなりソフトに仕上げてるというか、穏便に、無事故でサラッと流してる風にシーン作りがされてるのがとても穏やかに観れて良かったです。果林さんの方向音痴な一面なんかもコミカルに仕上げてましたよね。このシーンで言えば、せつ菜ちゃんの料理を味見する璃奈ちゃんは一度も「マズい」とは言ってないんですよ。いやどう見てもこの紫色の毒々しい煮汁はメシマズキャラのそれだろとツッコミ必至でしょうけど、はっきりと不味いとは言わない。当然トイレにも駆け込まない。意思表示も最低限に。璃奈ちゃんボード上でかなり焦ってはいたものの、前衛的な味と形容するのがいいとこでしょう。

で、いざ夕食シーンでは彼方ちゃんがこっそり味付けをマイルドに調味して無事故。流石に見た目は猟奇的のままでしたが、弱点も含めてキャラの描写を丁寧に、刺々しい演出無しで描くことに注力してるのが嬉しいんですよ。善子ちゃんの味覚神経がヤバくてルビィちゃんがタコ焼き食って顔真っ赤にして、みたいなのも様式美で良いとは思うんですけどね。でも敢えてそういうドタバタを選択しないのが、アニメニジガクらしさがあって良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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料理作画、ヨシ!

 

いやほら、アニメ業界で大皿料理はある意味鬼門だから・・・食器やカトラリーも質感あるし、作画班が日常回でも気合い入れてるの見ると涙出てきちゃう。どうかいっぱい寝てください。

 

お皿は紙皿っぽくて飲み物が2Lペットボトルのお茶っていうのが良い感じに庶民の催事感出てますよね。逆に料理だけがオシャレで浮いてるというあべこべな世界観がテーブルに繰り広げられています。メンバー各々が各々らしい料理を振る舞った結果エマちゃんインターナショナルクッキングがカラフルに、果林さんの意識高めのスティックサラダがオシャレに、彼方ちゃんの主に妹の遥ちゃんに振舞われる嫁スキルとしての強さたっぷりの手作りピザが豪華に、食卓を彩ります。

 

 

 

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これ何・・・?

 

自分、スイーツに詳しくないので全然見当もつかないですが、着色されたゼリーか何かかな?かなり色鮮やかな有色透明のものがグラスに入っています。かすみちゃん璃奈ちゃんの合作とのこと。皆が頬をほころばせながら口に運ぶ姿を見て「最近の女の子の流行りは分からんのぅ」とおっさんみたいな戯言をつぶやいてました。これアレですね、8話で1年生ズが挑戦してたレインボーパンケーキからヒントを得てるんですかね。

 

 

 

 

 

 

 

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このシーンだけ見ると授業参観の縮図。

 

せつ菜ちゃん担任教師、しずくちゃんかすみちゃんが生徒、彼方ちゃんが保護者ね。

それぞれのメンバーがどんなステージを披露したいかという話の流れでハイ、ハイ!と挙手してから発言する1年生ズかわいい。

まぁ今回、冒頭のしずくちゃんかすみちゃんのシーンも一応含め、またこの後の緊急肝試しイベントの方でも描かれますが1年生ズが単純に仲が良くてほっこりしますね。

それもそのはず、しずくちゃん「自分」を積極的に、溌溂と曝け出せているからに他なりません。どちらかといえばしずくちゃん本人がその場の空気関係なく明るく振る舞うことを敢えて意識的にやっている風に見えます。かすみちゃんをイジってみたり、挙手して発言してみたり。誰の何の目も気にしてあげない、利口でない自分を受け入れてくれる居場所と友人を見つけたという喜びをビシビシ感じられます。明るく積極的なのが本来のしずくちゃんなのかといわれれば否定も肯定もできないでしょう。それもまた彼女の一部でしかない、演じられた自分の一つです。それらの面相一つ一つがモザイクアートのように連なって、一つの桜坂しずくである。やがて一人を選ぶ物語。今は続きでいいんですよ。

 

 

 

 

 

 

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まず聞き込みからやろ。捜査の基本や。

 

 

まず始めにここのシーンの良さで伝えたいのは、うーんこれ何か伝わりづらいかもなんですけど、大部屋で同じグループの子が各々違う方向向いてそれぞれ好きなことしてまったり過ごしてるっての、何かすっごいリアル感ない?

ぶっちゃけ今週で一番グッときたシーンってここなんですよね。

こういう場面ってせっかくの非日常!せっかくの学校お泊まり!みんなで寄り集まって今宵は楽しもうぜー‼︎って、何となく暗黙の了解で全員で共通のレクリエーションやトランプに興じたりお喋りに花を咲かせたりするものじゃないですか。そうじゃなくて、必ずしも全員が顔を寄せる必要は無く、少人数同士寄り集まって各々が各々の好きなことに熱中するっていうのがいかにもアニメニジガクらしい。

果林さん、エマちゃん、愛さんお姉さん組3人はファッション雑誌に夢中、しずくちゃん璃奈ちゃん携帯のゲームに熱中、せつ菜ちゃんは・・・独りで何タブレット見つめてんの・・・?いや何か・・・ゴメンな・・・。生徒会長でもある手前、夜中にむやみに退室して出歩くのも憚られたんですかね。きっとそう。

コミュ障陰キャのデリケートな部分に触れそうなハブられ感はこの際無視して、この真の意味での自由行動を心のどこかで求めたんよ。夕食のシーンの侑ちゃん「やっぱりみんな、バラバラだね」という言葉をこういうさりげないシーンで深みを持たせる、巧い

 

 

 

 

 

で、歩夢ちゃんが即決でテレフォンしたシーンなんですが・・・いや何でまずその場の他の娘に聞かねえんだよ。携帯依存症、というよりは対象である侑ちゃん依存症になりかけてますが、それにしたってちょっと目を離した隙に居なくなっただけなのに執着がすごい。おトイレかなー?すらも言わないからね。脳内フローチャートの選択肢が無さすぎる。方向音痴ってわけでもないんだから・・・

 

うーん。ニコイチみたいな古い流行り言葉があるように、傍に常にいてくれてないと安心できないみたいな重苦しい愛を謳う女の子ならそれ相応に見ますけど、わざわざこのシーンを削らないで描写するまで歩夢ちゃん侑ちゃんへの思いをどっさり用意されると、もう2人の関係はそれだけで相思相愛の恋愛関係にしか見られなくさせられてるというのが何つーか、軽率で記号的だねって思いますよ。

いやね、別に百合カップリングを否定したいわけじゃないんです。くっつけ方・絡ませ方が露骨で単調なのは巧くないでしょって言いたいんですよ。このキャラとこのキャラを適当にベタベタさせとけばええやろー、この2人でキャッキャウフフさせとけば2次創作盛り上がって大成功やー、みたいな安直な考えでそのキャラたちの心情に深く寄り添わずにキャラとキャラ同士の接点や交流を消費させるやり方って、現実の女の子に即した考え方じゃないじゃないですか。

お色気シーン・サービスシーンに関しても言えることですが、キャラはオタクを満足させるだけの道具じゃないってところが自論です。自分から美少女アニメ見といてそれを言うのは時代の潮流に逆行しているというかかなり硬派だとは思いますが、アニメニジガクもその辺の百合カップリングに関しては歴代アニメラブライブ!シリーズよろしく脇が甘かったと感じました。平たく言えば、初見さんにも説得力があるようなじっくりとした関係の描き方をしてほしいってだけです。侑ちゃん・歩夢ちゃんにしろ、しずくちゃんかすみちゃんにしろ、初見さんにとっては彼女らが他媒体の展開でどれだけ交流があって懇意だったのかを知らないわけでね。幼馴染だろうとクラブメイトだろうと、どれだけバックグラウンドで積み重ねてきていようと初見さんからしてみればアニメの描写からしか彼女らの関係が如何程かを読み取ることはできないんです。

 

話が逸れました。人と仲良くなるのに慎重なオタク君は繊細だなぁ、程度に読み流してください。

 

 

 

 

 

 

 

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それはハロウィンやろ。

・・・ってツッコミ待ちだったであろう1年生ズの仮装大会肝試し。そうそう、しずくちゃんはそれくらい演じることに罪を感じないでいてほしい。璃奈ちゃん、シーツの上から璃奈ちゃんボード貼らなかったら誰か分からないから貼らなかったら(誰か分からずに)逆にマジモンのホラーじゃんって発想に気付かないのがかわいい。いや声でバレるか?まぁ彼女は電撃G'sマガジンでのインタビュー曰くオバケは信じない派らしいのでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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侑ちゃんは誰のどんなライブを観たいか、という愛さんの質問に対して思索に耽っていました。辿り着いた場所はやはり音楽室。侑ちゃん中川菜々=優木せつ菜と改めて出逢った場所であり、そんな彼女が奏でる曲は勿論「CHASE!」。

3話で素人同然の手つきで奏でていた彼女はどこへやら、この短期間で少しずつ練習を重ねていたらしく今となってはかなり立派な腕前。まだほんの少し躓く出来映えなのが可愛らしいですね。侑ちゃん、部屋に音楽機材無さそうだったし本当にいつ練習したんでしょうね。休み時間とかの合間を縫って少しずつ、とかでしょうか。それくらい、夜中にこっそり忍び込んで弾くくらい、めざましい速度で上達するくらい、侑ちゃんにとっては「CHASE!」大切な曲です。彼女があのステージで優木せつ菜の歌を目の当たりにした瞬間、どことなく消費してしまっていた退屈に日常が吹き飛んで、スクールアイドルという"音楽"が胸を焦がしました。きっと穂乃果ちゃん真姫ちゃんのピアノを観た時のように、千歌ちゃん梨子ちゃんのピアノを偶然聴いた時のように、スクールアイドルの物語が色濃く華開くとき、常に「ピアノの旋律」が関わってくるんだなと淡い期待は抱いていましたが、アニメニジガクでは侑ちゃんというスクールアイドルにならない存在の女の子が強い憧れを持って鍵盤に指を踊らせます。

そしてその憧れが、今目の前にいる。こんな短い時間の中で、優木せつ菜が生徒会長であること、見かけによらず臆病で頑固なところ、勢い任せで同好会を権力頼りに振り回してしまうところ、料理が個性的なところ・・・侑ちゃんの描くこの物語は優木せつ菜という女の子の色んな一面を引き出してくれました。こういう書き方だとギャルゲーの主人公みたいですが、一つ違うのはせつ菜ちゃんの方もまた侑ちゃんという一番近しいファン一号が自分をどう見てくれているか、自分のステージはどんなもので、どれほど強い、強すぎる思いに溢れているかも分かることです。ステージと、オーディエンス。それぞれ必ず並び立たない、目線の違う者同士が惹かれ合ったことでお互いの視点に良い影響が及び、「みんな、バラバラ」である同好会らしいスクールアイドルが少しずつ出来上がっていく。そんな喜びが、夜の音楽室に響き渡ります。

 

 

 

 

 

 

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ブコメ三角関係みたいなのやめろ。

 

さっき書いたのでもうチクチクしつこく書きませんけど、このシーン誰がどう見ても「侑ちゃんが私がいない間に他の女の子とイチャイチャしてる・・・」みたいにしか捉えられない描き方ですよね。そうなると侑ちゃんをアニメ制作側が必然的に天然ジゴロみたいに捉えているといっても過言ではないので、まーたこれ露骨な百合描写だよー。と言いたいところですが、逢瀬相手がせつ菜ちゃんだったというところがこれまたニクいですし、この10話の肝となる部分なんですよね。歩夢ちゃんがはっきりモノローグとして発露してるわけではないですが。

 

 

 

歩夢ちゃんが今ここにいる理由。歩夢ちゃんがスクールアイドルをやっているきっかけは、侑ちゃんと同じです。優木せつ菜ちゃんのステージを見て、自分が心中で大切に抱えていた「かわいいものが好き」という気持ちを正直に伝えたい、「かわいい自分」という夢の自分を相手に見てもらいたい思いが彼女を突き動かしています。ただしその見てもらいたい相手、応援してもらいたい人というのが侑ちゃんですいつも隣で歩いてて、自分に似合う「かわいい」を探してくれていた、大切な人。

真心を大事にする歩夢ちゃんだからこそ、誠意を持って精一杯、なんてダジャレではないですけど、自分が探す「かわいい自分」を見てもらう相手は他の誰でもない高咲侑ちゃんその人です。

 

自分はしずくちゃん回である8話で、「一番大切なのは、見てもらうこと」と書きました。ただこれは逆に言えば「見てもらわなければ、アイドルはアイドルになれない」んですよ。どれだけ自称アイドルを名乗っていても、誰か一人でも応援してくれる人がいなければただのイタい人です。とすると、誰か一人でも見てくれる人がいさえすれば、どれだけ平凡で普通の女の子でもアイドルたらしめる。誰しもが誰かにとってのシンデレラになれる。アイドルっていうのは、それ程すごいパワーがあるものだと自分は思います。

 

 

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歩夢ちゃんにとって、「見てくれる人」というのはただ一人、侑ちゃん。彼女だけでいいんです。そしてその侑ちゃんというのはファン一号でありながら、幼馴染でもあります。長年同じ時間を共に過ごしてきた、同じ思い出を共有してきた関係はまるで熟年夫婦。この皿洗いのシーン、最初は何となく距離感あったのに微笑み合うシーンでは近くなってるのは、歩夢ちゃん侑ちゃんの気持ちを再確認したからです。小学校の林間学校の皿洗いなんていうかなり些細な出来事で侑ちゃんとの友情を確認させるというのは結構酷なことかもしれませんが、まぁ女の子って些細な記憶とそこで感じた感情をかなり詳細に憶えてたりしますからね・・・やぁ恐ろしい。実体験ありますとも・・・言わないけど。

その時の出来事とそこで保存された感情を思い出すことが、自分を未来に突き動かし、証明する為のお化粧です。まぁでもこれは男女関係なく、ですよね。こと幼馴染という関係では、そういう思い出を脳内アルバムに保存して、「一緒に一歩ずつ成長しているんだな」と思うことで安心感を得ています。ただこの安心感が曲者で、みんな知らず知らずのうちにこの気持ちを足枷にしてしまう幼馴染だから常に一緒に仲良く、二人三脚でなければいけないと思いがちです。

 

そもそも皆さん勘違いしがちなのですが、幼馴染だから仲良しでいたいという気持ちを持ち合うのが幼馴染といわれれば微妙に違います。

寧ろ逆、仲良しでいられたから幼馴染なんですよ。

神に〜さまも言っていましたが、「幼馴染」という関係は前提で機能するのではなく、積み重なった思い出と共有した感情の記憶の上で初めて成り立つ「結果」の関係なんです。幼馴染だから自分と相手が同じ目線で常に一緒に歩いてくれる、とは限らない。多くの人がその甘い関係に安心してしまって、ついつい「幼馴染」を前提に置いてしまう。幼馴染だからいつも味方してくれるだろう、並走してくれるだろう、最後に必ず私を救ってくれるだろうという考えは、残念ながら甘えなんですよ。幼馴染である前に、性格も感性も少しずつ違うひとりの人間

ですからね。

 

 

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現に侑ちゃん歩夢ちゃんも同じせつ菜ちゃんのライブを観てから、居場所は同じでも全く別々の道を進み始めています。歩夢ちゃんスクールアイドル侑ちゃんスクールアイドルに一番近しいファン一号でありサポーター

1話で、歩夢ちゃんはそんな侑ちゃん「約束」を言い渡しました。彼女がステージという一歩高い目線に立つ代わりに、侑ちゃんはそれを観客席で必ず見届けるファン。スクールアイドルを始めよう!と一念発起した当初は歩夢ちゃんしかいなかったので事実上歩夢ちゃん専属ファンでしたが、2話のかすみちゃんとの出会いの時には専属サポーターかどうかは自分でもよく分かってない風の返答でした。そうです、1話からずっと侑ちゃんは、ステージに立つ全てのスクールアイドルのファン一号でありたいという願いと憧れを変えていません。この時点で既に侑ちゃん歩夢ちゃんは線で繋がっていた関係が、点と点に戻ったのです。お互いがお互いに信頼を置きながら、されど別個で自分の世界の裾野を広げ、成長していく。

しかしこれもまた侑ちゃんにとっては後退ではなく進展でした。それまでステージの上の偶像のような遠い存在であったスクールアイドルたちが、関わって出逢う中で実は自分と同じ目線の女の子たちであること、ステージでの表現やその対象、影響に色々な悩みを抱えた子たちであることを知りました。そしてそれは原初の憧れである優木せつ菜ちゃんにとってもそう。彼女が中川菜々でいなければいけない理由やちょっとかわいらしい一面なんかを知って、この短期間にグッと距離が縮まった。冗長になりましたが、せつ菜ちゃんとの逢瀬のシーンはそういう意味が込められていたのではと思います。

 

 

 

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一方、歩夢ちゃんはどうでしょう。

実は自分、1話の時点で少し気がかりではあったんですよね。彼女が偲ぶステージは、1話で完結してしまっているんです。

他の8人のメンバーは全員、ソロ回最後でライブを披露することが「これが"自分"を表現する第一歩」であることが共通しているんですよ。つまりまだ伸び代があるというか、後に続く物語性を感じられる終わり方として構成されているんです。誰か一人の為にステージを、という点ではエマちゃん歩夢ちゃんは共通しているようにも見えますが、エマちゃんは元々みんなと手を繋いで歌い踊るというスクールアイドルでの目標を胸に来日したんですよね。

 

ただこの歩夢ちゃんという女の子だけは、侑ちゃんが観てさえくれていれば彼女の物語はハッピーエンドなんです。

確かに彼女は「かわいいものが大好き」という、かすみちゃんに似通った動機がスクールアイドルを志すきっかけのひとつになってます。ですが元を辿ってみれば1話では、そこに「かわいいもの」を探してくれる、自分にあてがってくれる侑ちゃんのことを真に慕っている様子が伺えます。侑ちゃんさえ一緒にいてくれれば、侑ちゃんさえ一緒に歩いてくれていれば、それを実感することさえ出来れば上原歩夢はスクールアイドルである。彼女がこの10話の夕食のシーンでどんなステージをしたいかを各々明かした際、「ステージに立つだけで、胸がいっぱいになりそう!」と吐露していたのがその証左でもありますね。

なのにその侑ちゃんが、お皿洗いで同じ気持ちを確認した、変わらないはずだった大切な関係が、いつのまにかせつ菜ちゃんと懇意になるほど先んじてしまっている(ように見える)。

侑ちゃん探しを最初に始めたのが歩夢ちゃんからだったのにせつ菜ちゃんが先に侑ちゃんを見つけたこと、

歩夢ちゃんせつ菜のことをせつ菜さんと呼んで、スクールアイドルとしての敬意を込めていたのに侑ちゃんは最初からせつ菜ちゃんとファン目線で親しげに呼んでいたこと、

このシーンと後のスクフェス開催のシーンも含め、歩夢ちゃん侑ちゃんを見上げる形の構図になってしまっていること、

状況証拠は十分でしょう。実際の侑ちゃんは全然自覚が無い、と書くと正に無自覚天然ジゴロみたいになっちゃいますけど、自分がスクールアイドルみんなを大好きでいるうちに、今まで何にも靡かなかったのがどんどん自分に正直になっていくさまを精神的成長と捉えられるというのもまた、歩夢ちゃん視点で置いてけぼりと感じられる大きな要因となりました。こういう風に10話を解釈すると、どんどんこの10話の根幹がアニメサンシャイン‼︎1期第11話とも共通するオマージュとも捉えられますね。

そこで登場する千歌ちゃん曜ちゃんの関係は、少し幼馴染の捉え方が違います。主に曜ちゃんの方がなのですが、要領が良いと思われがちだった彼女はそれ故に一緒のことを一緒にこなせずいつも途中で辞めてしまっていた千歌ちゃんとすれ違っていることを思い悩んでいました。つまり、最初から自分が千歌ちゃんと違うステージや目線にいつもいることが分かっていたんですね。だからこそ共通して熱中できる大好きなスクールアイドルというもので彼女は彼女なりの幼馴染らしさを認めました。

 

歩夢ちゃんは・・・もう説明は要りませんよね。先ほど書いたように丸っきり逆です。自分と侑ちゃんは同じ放課後で同じ食べ歩きをし、同じショッピングを経て同じ価値観であることを共有してしまっている。侑ちゃんは性格やファッションこそ違うけど、自分の分身、双子の妹同然ってくらいまで気さくに親しげにしていた様子が1話から見て取れます。スクールアイドル同好会に入ってそれぞれ同じ立場ではいられなくなったけど、自分と侑ちゃんは同じスピードで成長してくれると、過去で重ねた慣れと慢心が理解を遅れさせてしまっている。人間は自分で成長したい!と思う時ほど成長できないものですが、実は他者から見れば知らず知らずのうちに精神的に成長していると見られてるものですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そしてそんな心にわだかまり始めた不安をよそに、侑ちゃんは一足飛びでどんどん自分の大好きな気持ちに拍車がかかります。自分の観たいステージは、全てのスクールアイドルがステージに立つこと。それだけじゃありません。スクールアイドルが好きな全ての人だって同じように心をときめかせる、夢の祭典が見たい。

 

 

 

「スクールアイドルフェスティバル‼︎」

 

 

 

 

いやぁ、「ここで来たか・・・‼︎」と思いましたよ。思わずガッツポーズ。いやね、これまた「またまたぁ、後出しでしょー?」って言われるかもしれませんが、実は自分、本編にアプリゲームであるスクフェス発のスクールアイドルがガッツリ介入してきた6話辺りからもしかしてもしかするのか?と思ってました。

その伏線に彼方ちゃんの妹の遥ちゃんがアプリゲームスクフェスでは東雲学園という他校のスクールアイドルであることを利用してうっすら「スクールアイドルフェスティバル」というキーワードがこのアニメに存在することを以前から示唆させていた、と考えられていたとするとこれまた巧い、ですよね。遥ちゃんが馴染んだところで、藤黄学園姫乃ちゃんも堂々友情出演してきてて「開き直ってきたなぁオイ」とは思ってましたが。だってね、彼方ちゃんの掘り下げとして遥ちゃんを出演させるのはある程度仕方ないとはいえ、他校のスクールアイドルの存在をここまで描写するのは不自然といえば不自然です。別にそこを説明しなくても彼方ちゃんは掘り下げられたし、果林さんも手に汗握れたと思うんですよ。

 

今までアニメファンの間では別の世界線だと公然の理解があった(公式でも明言ありましたが)アニメラブライブ!とアプリゲームスクフェスが、第3世代ニジガクを期に初めて合致した瞬間です。

これは、これは実は結構大きな革新なのでは?と思いました。自分の中でKiRa-KiRa Sensation!!ですよ。マジで、マジでこの日が来ようとは。ぶっちゃけ後3話で幼馴染の仲も再確認してまとめた上で開催出来るとは思ってませんし、メタ的な話だとアニメ2期を開催の足掛かりとなる目下の目標にして邁進することになるんでしょうか?いやぁ心踊ってきましたね。俺はこの日までずっと、スクールアイドルを愛する全ての人が平等に歌う"晴れの日の歌"がラブライブ!で一番好きな歌だと言い続けた、その「一つの普遍的な答え」の正しさが報われる日が来るのでしょうか。夢のステージを、期待していいのでしょうか。

 

今のアニメニジガクの出来映えが本当に素晴らしく概ね好評だというのを踏まえると、期待していいのかもしれません。μ’sが出してくれた一つの答えを、Aqoursの弱さへの強さを踏み越え、虹ヶ咲が叶えてくれる。そんなシンデレラストーリーへの可能性が高咲侑という女の子一人によって仄めかされたことだけで、アニメラブライブ!ファンが今まで頑張って生きてきたことへの救済になりました。なので間違ってもボランティア1000人を集める展開にはなりませんし、学園を裏から事実上支配してスクールアイドル部を新設、海外からの独裁者が同好会に横暴な嫌がらせをするなんていう同人ゲームみたいな安っぽく軽んじられたシナリオなぞ、起こり得るはずもないでしょう。

 

(栞子ちゃんに関してはif絵里ちゃんっぽくて結構気に入ってるんだけどね)

 

 

 

どうなっちゃうんでしょうねぇ。アニメニジガクがいざ本筋を展開すると、こうも鮮やかに、しかも丁寧に、されど飛躍的にシナリオを展開させるとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

 

 

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「オートスナイプモード⁉︎」

(そのうち雷の呼吸とか霹靂一閃とかしそう)

 

 

 

はてさて、書き尽くしたのでまとめです。

 

 

といったものの、今回は歩夢ちゃん侑ちゃんの関係性の"確認"にまだ決着らしい決着がついていないので、

敢えて今回はまとめらしいまとめは書きません。恐らく暴かれるであろう11話で改めて書きますね。

 

第10話そのものに関してはまとめます。今回はいよいよソロ回が終わり、虹ヶ咲学園として本格的に季節も時間も進み始めた最初の一歩としては、合宿という高校生の日常の中のちょっとした非日常をテーマにキャッキャワイワイしながら侑ちゃんというアニメラブライブ!で初となる10人目のキャラクターがスクールアイドルフェスティバルという重要なキーワードを飛ばす、というかなり印象に残る回でした。そもそもアニメ1期10話という話数で合宿を敢行すること(場所や活動内容こそ全然違う・・・いや活動内容はみんな大体遊んでばっかだよな)自体がアニメμ’sアニメAqoursのパロディとしてファンを静かに唸らせましたね。

μ’sは先輩後輩の垣根を取っ払うことで絆を深め、Aqours梨子ちゃんを筆頭に夢に向き合うことの優しさと強さ、大切さを描きました。そして虹ヶ咲。定番、だけどオチが革新というのは斬新で、これは侑ちゃん歩夢ちゃんを応援することを通過点としてスクールアイドルみんなのことを好きになった共通のファン一号として正しく機能した上での躍進に他なりません。いやこの通過点というのが歩夢ちゃんにとって大問題なんですけど・・・

 

個人的に、歩夢ちゃんの幼馴染の想いが強すぎるのを重いとか怖いとかは思いませんでしたね。過去の思い出を逐一振り返って仲を再確認するのはまぁ・・・女の子にありがちですし。ただ軽率に百合として引っ付けるのは頷けないので、そこは憚った上で次回11話を引き締めてもらいたいものです。

その辺は次回!

 


というわけで、最後は視聴者ウッキウキだったナイトプールでの水着姿を何点かご紹介して楽しく終わりたいと思います。

 

 

 

 

 

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うへへ。アニメニジガクはボディラインやおっぱいとかお尻とかを過度に強調させずラフな作画で頑張っているから楽しく観れますね。まぁ自分性欲がヘボいので果林さんが過激なポージングとかしても鼻息荒くなるくらいですけど・・・

せつ菜ちゃんのお腹の陰が絶妙にフェチズムをくすぐっているとTwitterで専らの評判でしたが、自分はこのシーンで「だ、大丈夫しずくちゃん球技苦手なのに周りに合わせて無理してない?」とオロオロしてました。ね?性欲弱いでしょ?

 

侑ちゃんの水着、セパレートタイプかと思いきや背中で繋がってるんですね。だからパンツがオムツレベルでデカく見えるのか・・・と納得しかけましたがこのタイプでもパンツサイズが普通なのはいくらでもあるわけで、それを可愛いと褒めちぎる歩夢ちゃんのセンスが謎すぎる。い、色合いとか・・・?

 

パレオ型がいなかったのが意外。エマちゃんとかに着て欲しかったんだけどなぁ。全体的に高校生らしいというか、アダルティックな水着は無いのがちょっと残念!果林さんにレオタード履いてもらってキャッツアイパロディしてほしい。

 

え?胸の格差?いやいや、下手に浮輪とかで隠すから内心コンプレックスに感じr

 

 

 

 

 

 

 

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じゃ、この辺で筆を置きます。

次回も展開に熱視線‼︎

第11話、Don't miss it!!(ぴったりなのがあった)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

         (15180文字)

 

 

                                 written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

 

前回、第9話の感想はこちらから↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/12/05/113154

アニメラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会 第9話「仲間でライバル」感想 〜青龍は絆されない。〜

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お前の信じる、お前を信じろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。

 

 

さて、例のごとく今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第9話の感想を書いていこうと思います。

今回はいよいよ同好会各メンバースポット回も佳境を迎える中での最後のピース、朝香 果林ちゃんのお話ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadがここぞとばかりに自分の解釈を余す所なく書き殴っただけの"私見会場"でございます。

記事中全ての駄文にはありふれた説得力や責任は一切含まれていないことをご理解の上、斜め読み程度にご覧くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回はアニメニジガク有能溢れるシナリオもいよいよ大詰めに差し掛かるための最後のメンバー担当回、果林ちゃんの回・・・と、なるのですが。

今までの果林ちゃんの動向を思い返してみると、彼女は担当回を飾る前から既に同好会の全体に漂う雰囲気やステージへの認識に対して斜めに構えていたり、どこか周りと違う独自の理解と一家言あるような威風堂々な出立ちを見せていました。

そもそも彼女が同好会に入ったモチベーション(この場合、本来の意味である「動機付け」の意)も親友の悲しむ顔を見たくないという、一見して彼女のクールビューティーな佇まいに似つかわしくない人情の厚さや義理深さが感じられて意外だったという人も、初見さんだといらっしゃるのでは?

率直で無骨な言い方にはなってしまいますが、果林ちゃん同好会に関わっていくシーン一つ一つをかいつまむたびに彼女がどういう認識でこの一つのコミュニティに参入しているかを汲み取っていけば彼女は他のメンバーと比べて少し異質です。しかしそれが、これまで描かれてきた「同好会」というある種何もかもがとっ散らかっていた集まりに足りていなかったものの最後のピースを埋め、引き締めてくれる存在になり得た。それが9話の本質ですね。

そしてその9話を語る上で、ゲストキャラとして登場してくれたのが・・・

 

 

 

 

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藤黄学園スクールアイドル部の綾小路 姫乃ちゃん。

 

(髪色変えたらまんま海未ちゃんみたいやな・・・清楚で上品な佇まいも相まって・・・)

 

見切れてますが東雲学園の近江遥ちゃんも再登場です。やった。藤黄学園東雲学園にオファーが来ていたお台場の音楽ライブ、「Diver Fes」の出場枠の一つに今ホットな人気急上昇中である虹ヶ咲学園を推薦したいという意向で推参したとのこと。

またとないチャンス!とばかりに同好会メンバー一同は目を輝かせますが、果林ちゃんだけはこのお誘いに動じず静観し、付け加えられた条件を提示する姫乃ちゃんの心中を探るように冷静に睨みます。その条件というのも実にシンプルで、出演時間を鑑みた結果の各校一曲ずつ、というもの。

オファーの来た2校のスクールアイドル部はグループ活動のため何の問題もありませんが、ソロで活動している虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会にとってはどう頑張っても誰かメンバー一人分のお披露目の時間しか捻出できない。

 

 

 

うん・・・じゃあ何で誘ったん?

 

 

 

 

 

 

放送直後は何となくイキってこういう風に豪語してしまいましたが、別にこういう風に思い込んで確信してるわけではないですよ。ただ各々のステージに対する表現意識をソロ回として描いてきてて、9人全体が関わって活動する上での苦境というのが今まではっきりと提示されてこなかったからその辺気がかりだっただけなんですよぉ。別に姫乃ちゃんのことを本心から性悪女みたいな風にヘイト向けてないですってば。

ま、実際の魂胆がどうであったにしろ、ニジガクがソロ活動が中心だと他校にも認知されてた上で条件付きの出場枠を薦めてくるというアクションについては色々勘繰ってしまいますよね。で、その姫乃ちゃんの魂胆を探る上で彼女が異様に熱視線を送っていたのが果林ちゃん

姫乃ちゃんがもし「自分の脅威となる"芽"は早い段階で潰しておきたい」と夥しい(であろう)スクールアイドルのいちメンバーとして睨みを利かせて画策するのであれば、学内で既にかなり人気となっているせつ菜ちゃんの噂を聞き逃すはずもありません。では何故果林さんに・・・?というところが、姫乃ちゃん完全な悪役に仕立て上げなかった事由が後にチラと見えてオタクに優しい仕上がりになってるんだなと感じましたね。その辺は後で。

 

 

 

 

 

 

絶好の恩恵を授かったにもかかわらず大きな壁にぶち当たり、ニジガク一同は顔を曇らせつつも1枠しかない出場メンバーを決めようとしますが、何となくみんな中途半端に手を挙げたまま、遠慮笑い。それもその筈、同好会は以前自己主張でぶつかり合いバラバラになってしまった過去があるからです。

璃奈ちゃん愛ちゃんなんかはその辺りの経緯を直接見知っていた訳ではない、というか描写が一致していないのですが、4話でエマちゃん愛ちゃんにチラと同好会のこれまでの運びを語っていたところからお二人も何となく察知していた・・・のかな?

 

 

 

 

 

そんな様子を見かねて果林ちゃんは遂に溜め息を吐きます。衝突を避けて選んだ末が運頼み。

ピシャリと短い文で指摘する分、果林ちゃんの視点は常に俯瞰的です。歩夢ちゃんが妥協案として提案したくじ引きなんかをイベントの都度履行して、納得して自分の気持ちを誤魔化す。

果たして同好会は妥協を正解として前に進むべきなのか?と鋭く指摘しているわけです。

 

しかし考えてみれば、果林ちゃんエマちゃんから幾度となく同好会の話を聞いていたにしろ、なし崩し的に親友に協力したいという一心で以前から同好会に首を突っ込んでいたにしろ、彼女が正式に同好会に入ったのは一番最後なわけで、ぶっちゃけかすみちゃんせつ菜ちゃん辺りは「アンタ同好会のことロクに知らないくせに、黙ってろよ!」とも言えるわけです。だけどそれが言えないということは、果林ちゃんが指摘してる疑問は各々が内心自覚しているから強く反論できないわけでね。

ということは、いずれこの問題にぶち当たるんだというどこか将来的な不安を彼女以外のメンバー、かすみちゃんせつ菜ちゃんの衝突を知っているメンバーは特に感じながら、それを表面には出さず自分の理想のステージに熱中するフリをしていたんでしょう。いやフリじゃないな。かといって勿論全員が自分の理想のステージを逃げ道にしたかったわけではなく、いずれぶち当たる問題に真剣に向き合うために、まずは自分の土俵を固めておく準備期間を作っていた、というのが正確なところでしょう。

 

本当はみんな感じていたこと。考えていた問題。ニジガクにとっての命題3年生の上級生であり一番最後に加入した果林ちゃんが俯瞰的に指摘できる適任であるということは、周りが反論できないことで証明されてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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では更に視点を変えて、周りに過度に取り入らず、馴れ合いも控えめで、かといって自分のスタンスは崩さない。ニジガクを冷静に俯瞰する果林ちゃんって何者?という点の問いが、今回の9話なんですね。

 

スクスタや2次創作ではすっかりお馴染みになっていた果林ちゃんの方向ド音痴な一面、かわいいですねぇ。いつもは上品でクールビューティーな佇まい、読者モデルの撮影では大人顔負けのアダルティな色気と肉体美を恣にする彼女が、いざ撮影スタジオを出るとスマホ片手に困り顔。ギャップ萌えの王道やないですか。好き。

で、その様子を偶然歩夢ちゃん、侑ちゃん、せつ菜ちゃん目撃されてしまう果林ちゃん。いやまぁ別にいいんやけどどういう経緯でこの三人がオフ日に落ち合うことになったのか興味ありますね。十中八九せつ菜ちゃんの何かしらの情熱なお誘いイベントをお二人が断れなかったんやろなぁ・・・

 

 

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ダンススクールの場所がGoogle Map君をどれだけ責めても分からなかった挙句、恥を忍んで3人におずおずと協力を求める果林ちゃん。で、実際にどこにあったのかは・・・まぁこれを見たらお分かりでしょう。彼女の名誉の為に全ては言いませんよ。

 

 

 

「恥を忍んで」とは書きましたが、果林ちゃんは3人に実は方向音痴であることを指摘された時に、言い訳して誤魔化したりせずに恥じらいつつも素直に認めたんですよね。

それが何?と思うかもしれませんが、例えば果林ちゃん先の指摘のシーンを経たらプライドやプロ意識の高い思想の女の子だと思われるかもしれませんよね。誰しもに当てはまることですが、プライドの高い人ほど自分の恥ずかしい部分を見られると言い訳して隠したり、違う理由をつけてごまかしたりするものです。それを彼女はしなかった。自分が今まで他人に見せてこなかった恥ずかしい部分や弱い部分を、それも自分の一部だと自認した上で素直に打ち明けた。この「そうよ。悪い?」というのは開き直りみたいな返答。多くを語らず短くシンプルな自己評価こそが彼女の本質です。

この率直な自己評価があるから、3人に見つかる前に通行人に尋ねようとしなかったのも自分だけの力で一生懸命問題に向き合おうとする果林ちゃん本来のストイックで人一倍努力家であること裏付けてくれるんですよ。別に周りの人を信用していない訳じゃない。でもとにかく自分はこんな風に至らない部分があるから、常に一生懸命努力しなきゃいけない。そうでないと、自分で自分を信じられなくなるから。

 

実は個人的にこれかなりグッときたシーンで、彼女の人となりを論考していく際に重要な手がかりとなりました。本当にアニメ制作者各位はキャラ一人一人の機微や掘り下げにセリフ一つ取っても細心の注意を払ってるんだなぁと嬉しくなりますね。

 

 

 

 

 

 

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ダンススクールに通ってることが3人に知られたタイミングで、果林ちゃん同好会に対して思っていることを打ち明けます。この間の代表メンバー決めの時は言い過ぎてしまったこと。みんな思い思いのステージを思い描くのを見ていると、「負けていられないと思ってしまう」こと。

ここのゲーマーズのシーンのくだりでスクールアイドルグッズが並んでいるのを見て果林さんせつ菜ちゃんのグッズは無いのかと尋ねますが、少なくとも果林ちゃんにとってせつ菜ちゃんは今の同好会内でもトップに躍り出る実力があると睨んだ好敵手なんですよね。せつ菜ちゃんに限った話ではなく、他のメンバーも多かれ少なかれ果林ちゃんはライバル意識を持っているんです。だからといってツンケンするような、〇〇憎しの徹底したギスギスを好むわけではなく、ステージは誰しもにとって平等であることを常に意識した上で、自分を律し努力に打ち込む必要があると自説するわけです。

 

そう、ステージはそこに立つ者全てに常に平等なのです。読者モデルとしてスポットライトを独り占めしている果林ちゃんにとって、それは痛いほど、寂しいほどに伝わってきていたもの。ひとたび舞台への階段を上ればそこから先はワンマンプレー。それ故にステージに入れ替わり立ち替わりする誰しもに引けを取らない、観る者全ての記憶に残る圧倒的な「支配の爪痕」を遺す必要がある。その為に、必要なものは全て自分で準備しなければならない。努力を欠いてはならない。そういう風に、他のメンバーが知らないところで"ソロ活動"していたのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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果林ちゃんは、別に他のメンバーと馴れ合うのが本当に嫌いなわけではないと思うんですよ。まぁ5話「騒がしいのは嫌いなの」と言っていたように確かに一人で行動するのが好きな部分も少しはあるとは思いますが、かすみちゃんとの冒頭のやり取りを見れば、そこまで人付き合いやコミュニケーションに難がある人とは思えません。しずくちゃんのように人と関わることで人との差異に自分が傷つくことを恐れているわけでもありません。

 

 

 

 

 

 

 

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彼女は「手を抜けないと思ってしまう」と言いました。でも果林ちゃんはステージに立つ者は皆平等だと思っています。いざステージ本番当日、出演控えの時間で姫乃ちゃんと対峙した際も同好会知名度や学園のスクールアイドル人気なんかの比較材料での優劣を持ち出さずに正々堂々と戦う意志で一歩も退きません。

 

今回のステージの問題で一番真摯に受け止めて考えてくれていたから、と果林ちゃんニジガク代表として出演者に選出されます。そう、彼女は常に真剣なんですよ。手を抜けない。同好会メンバーそれぞれが思い描くステージの素晴らしさを知っているからこそ、そしてそれを素晴らしいと認める自分が常にいるからこそ、自分が彼女らに匹敵、いや凌駕できる自分になる為に人一倍努力しなきゃいけない。自信を持てる自分になりたいと常に強く願って行動しているのが果林ちゃんなのです。

 

 

 

 

 

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彼女は常に現実を見ている。これまでのメンバーの担当回は主に自分の思い描くステージを幻想郷として表現している向きがありましたが、これは現実で用意された、自分が求めて用意したステージでなく他者たちによって設けられたステージです。

現実のステージ、現実の自分。自分はこのステージに臨む為にどれだけ準備しただろう。努力を積んだだろう。思い出して、反芻して、確認して、着飾る衣装に思いを詰め込んで。そんなルーティンを舞台裏でどれだけ繰り返しても、人は緊張するものです。ステージがいくら平等であっても、見てくれる観客が常に平等とは限らない。

今まで体験したことのない大勢の歓声、込められる期待、様々な目線。カメラの前でシャッターを切られるだけだった果林ちゃんには、常に絶やさない現実的な視点も相まって、その全てが未体験の連続です。ましてや今回の彼女は、観客の全員がスクールアイドルというものを知っているわけではないという状況のうえで、学園の名をただ一人で背負って立つ大一番。彼女がプレッシャーを感じずにはいられないことの状況証拠には十分すぎるでしょう。たちまち先程までの自信は虚勢になり、武者震いは冷や汗に変わる。これは果林ちゃんに限った話ではなく、現実のアイドルだってみんな同じ、一度は通る道です。

 

そして何より恐ろしいのは、一度自信に暗雲が泳ぐと人は無力にもみるみる青ざめてしまうということ。

 

 

 

 

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自分が今まで堂々と誇ってきた自信が、無駄になるかもしれない。

その自信を信じてくれて推してくれた人たちの期待を、裏切ってしまうかもしれない。

 

もしかしたら、自分はまだ「足りない」のしれない。

 

先の見えない努力ほど掴み所の無いものはありません。だけど人はそれまでの自分の努力を強く証明する為に、自信という矛で虚飾します。それが俗に言うプライドというものであり、そして時にそれはその人の生き様を自分で縛りつける自責にもなり得る。

 

だから本当はみんな、弱いままなんです。嘘っぱちを着飾って、その時が来るまでしょうもないプライドで本当の自分に仮初の証明書を貼り付ける。でもいざその時を迎えると、その証明書に何の論拠も無いことが浮き彫りになる。誰も救ってくれないことが分かる。

 

 

 

 

「ビビってるだけよ。」

最高にカッコいい開き直りですよね。方向音痴のせいで迷子になったのを懸念して探しに来た同好会メンバーに対して、「いやあれだけ自信満々やったやん」とツッコまれるのを覚悟したうえで、やはり果林ちゃんは自分の弱点を素直に自認する。自分のプライドが虚勢と虚飾で溢れていたことを自嘲するその表情があまりに愛おしい。どれだけ抜群のプロポーションを持っていても、どれだけ人知れずダンススクールに通ってダンスに磨きをかけていたとしても、ステージは平等に、そこに立つ者を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ。」

 

 

 

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エマちゃんは言います。5話でそう言って抱きしめてくれた時のように。

 

 

 

 

 

 

 

「そんなことないですよ!」

 

 

 

 

 

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中川菜々、否、優木せつ菜ちゃんは言います。

一人きりのステージがどれだけ重く冷たく辛いものかを、彼女は知っているから。

 

 

 

メンバー全員、果林ちゃんを責めたりなんかしません。それは果林ちゃんに努力を常に怠らない、失敗を恐れる弱い部分があるという一面を既に知っているからというのも勿論ありますが、果林ちゃんが背負っているステージは、同時に虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会メンバー全員も背負うべきステージであるから

そりゃあ勿論、みんな本当はそこにステージがあるなら自分こそがステージに出たいと思っている筈です。だけど同好会メンバーは、既に朝香果林という女の子の「努力の蒔いた種」をみんな感じている。果林ちゃんが本当は人一倍たゆまぬ努力の末に大人びた誇りの上で辛うじて立っていることを知っているのです。そんな彼女を見て、同好会メンバーが思うことは一つでしょう。

 

ライバルだけど、応援もしたい。でも背中を押したままじゃなく、対等に並び立ちたい。もう、お分かりですよね。

 

 

 

 

 

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今回のこのお話は、ソロライブMVが現実のステージという点も含めて、璃奈ちゃんのお話とも少し共通していますね。自分の弱点を理解し、周りに知ってもらった上で、自分の叶えたいステージに真摯に向き合う。

なので少なくとも璃奈ちゃんだけは絶対に果林ちゃんを責められないんですよ。自分の足りないものを、現実で人と関わることで日々痛感してしまう。璃奈ちゃん果林ちゃん、学年もパーソナリティこそ大きく違っていますが本質はやはりお二人とも至って普通の、10代の多感な女の子なんです。大事な時こそ璃奈ちゃんボードを付けずにface-to-faceできちんと目を見て意思疎通しようとする璃奈ちゃんは、果林ちゃんが弱点を言い訳せずに自認するのとほぼ同じ動機だと思いますよ。

 

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それと同様に、エマちゃんだって。エマちゃんは出逢ったその時からずっと「人気読者モデルの朝香果林」ではなく「ニジガク3年生で部屋が散らかり気味の朝香果林」として見続けています。本当の彼女が彼女らしくいられるのを願って、エマちゃんは彼女だけの為のステージを表現しました。自分で自分の「キャラ」を追い求め、他者に本当に求められてるのかどうかも分からない仮初のキャラ果林ちゃんが自分を縛って、偽って明後日の方向に目を逸らし続けるのが悲しかったんだと・・・5話を観直してみると改めて二人の関係と深い信頼がより色濃く分かりますね。

 

努力は裏切らない、という言葉が真実か否かで論争がしばしば起こりますが、こと虹ヶ咲に至っては、それは華道として迎えられます。

大丈夫だよ、果林ちゃんステージの景色の中で、説き伏せる者も、押し倒す物も何も無い。一人なんだ。だけど独りじゃない。

前回のしずくちゃんのお話は独りの自分の中の二つの正しさを自分自身で証明するという向きの掘り下げだった為に、この果林ちゃんのお話は「ステージ」「独り」というテーマを虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会というソロ活動のスクールアイドルたちにシフトして解き進められているのが本当に鮮やかですよね。そしてそれが出来る女の子はもう彼女しかいないわけで。

 

 

 

 

 

 

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かすみちゃん「パワーを分けてあげる」とハイタッチを提案しました。

メンバー各々、その人その人の掌の温もりを感じると同時に、見えないバトンを全て受け取って、その人にしか持ち得ない特色や長所を吸収して、しかしそれをプレッシャーとして背負わずに、果林ちゃんはステージに進みます。

 

 

歩夢ちゃんの大切な人の為に一歩ずつ進む献身と、

 

かすみちゃんの自分の全てを自分で受け入れ、肯定してもらう欲深さ、

 

せつ菜ちゃんの周りを圧倒させてしまう程の強烈な「大好き」の火力、

 

愛ちゃんのステージも観客もボーダーレスにして一つの時間を全力で楽しむ無邪気な好奇心、

 

エマちゃんの誰か大切な人にとっての安寧な居場所となれるような包容力、

 

璃奈ちゃんの自分の弱点を特長に変えて観客に訴えかける訴求力、

 

しずくちゃんの裏表問わず自分の全てをひけらかして演じることでステージを我が物とする支配力。

 

それら全てをきちんと受け止められたかどうかは分かりません。ですが、朝香果林は立ち止まらない。ステージの魔法に絆されないように、支えてくれた人に礼儀正しく、折り目正しく。返す方法はただ一つ、及び腰の無いパフォーマンス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ソロ回大トリの最後を飾る果林ちゃんの曲は、激しめのダンスミュージックでありながらどこかポップなメロディも併せ持つ強烈な一曲「VIVID WORLD」

 

いやぁ、眩しい。青系統のスポットライトが強烈に飛び交うステージに、全く引けを取らない蠱惑的なステップとボディラインを最大限まで意識した優美なダンス。自分の長所である抜群の肉体美だけでなく、レーザービームが入り乱れるイメージ映像ではまだ未熟な女の子であるかのような少しあどけない表情も見え隠れするのが抜群に良い。

すげえ、BiBi Guilty Kissとはまた違った色使いもできるのか・・・ラブライブ!女の色気の使い方を熟知してやがる。

 

強烈なスポットライトやレーザービームの陰は対照的に黒や真っ暗で統一されているのは、彼女が自分なりの光をしっかりと認識した上で、暗くて自信の欠けた部分もまた傍づいている、というようにも思えます。

 

 

 

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果林ちゃんは読者モデル経験者で、彼女自身それに関しては自信を持ってやっているようにも思えます。ファッション誌だらけの部屋で寝てたり、インタビューに積極的に答えたりね。

 

ということは、彼女にとってはスクールアイドルという大勢の観客の衆目に一度にさらされるということは、どちらかと言えば不慣れな部類かもしれません。とするとステージ脇で震え上がるのも仕方ないといえば仕方ない。生きてる世界が違うんですからね。

 

そう、世界が違うんです。住んでる界隈が違うところに、常に真正面から飛び込んでいるから、不安にもなるし、時に周りに言い過ぎたかなと後悔もしてしまう。

 

だけど彼女が虹ヶ咲学園で新たに飛び込んだ世界は、どんな彼女であっても否定しない居場所だった。方向音痴でも、豪語する割にプレッシャーに打ち負ける女でも。

みんな誰しも、弱点の一つや二つ持っているものです。無くて七癖、なんて言うようにね。そこにつけ込んで、徹底的に落とし合う世界にもし今まで果林ちゃんが浸かっていたとするのなら・・・お互いの弱いぶぶんを理解し合い、否定せずして補おうとするスクールアイドル同好会は、彼女の目にどう映ったでしょう。どう思ったでしょう。セカイを、どう認識し直したでしょう。

 

 

ううん、既にそれは語られています。この9話の一番最初に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そういう付け加え方はズルい。

 

姫乃ちゃんの本懐が「ステージに臨むプレッシャーで激推し果林さんを焚き付けて、更に飛躍的に向上していく様を見てみたい」というものなら許せる・・・とはあまり思いたくないなぁ。同好会潰しが目的でも、果林ちゃんへの煽りが目的でも、どちらにしても割と結構魔性の女だと思うんですよね。

恐らくそういう腹黒い部分への自覚こそ無くて、「憧れの果林様のスクールアイドルとしての一面も見てみたいけど、やはりお台場代表のスクールアイドルとしてケジメは付けとかなきゃ> <」みたいな姫乃ちゃんなりの好きなものに対しての礼儀正しさが溢れ出た結果での二重人格だと思います。思いたい。まぁもしそうだとしたなら藤黄学園のステージは少なくとも映像化してほしかったですなぁ。プレッシャーを与える側に説得力が無いと、このフェス代表に果林ちゃんが選ばれた理由がかなりメタな予定調和感が増してしまう。

要は、煽るんなら煽れる程のパフォーマンスを見せてくれよなって話です。んーでもそこはあくまで彼女らはゲストキャラであって、Saint Snowのように共闘するような流れを作るのがアニメニジガクのメインストリームでは無いと、これまでのアニメのストーリーラインを見ると分かるのでまぁ不問としますよ。

ま、スクフェスで登場していたこれまでに他媒体に日の目を全く見なかった転入生がテレビの画面で観られたのは大きな一歩ですからね。何なら今回、東雲学園スクールアイドル部全員描かれる立ち絵用意されてますしね。あんまりラブライブ!らしいスクールアイドルの伝統や観念を揺るがす程のお話にしない限りは今回のゲスト闖入は不問とします。

え?いや別に・・・20とか章とか誰も言ってないじゃないですか。何の話してるんです?

 

 

 

 

ま、それはともかく。総評ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回第9話、総評としては、

 

 

100点です。

 

 

 

 

今回のストーリーは、果林ちゃんが読者モデルとスクールアイドルの二足の草鞋を履いて活動する上で、果林ちゃんの掘り下げと共にスクールアイドル同好会のメンバー間同士の関係性という突っ込んだところまで読み進めていました。果林ちゃんだけが現実のステージとして真摯に向き合った時に生じる最初で最後の課題点、一人でステージに臨まなければならないというニジガクの脆弱性にただ一人きっちり真正面から問いかけた上で、そういう自分もまたステージの一人でのプレッシャーに耐えられるわけではないという至って普通の女の子として自覚して、自嘲して、臆していた部分を恥じらうことなく描いていました。

 

だけど同好会メンバーはそんな果林ちゃんを否定せず、誰しもが感じている不安だと理解し、自信の足りない部分を補うかのように果林ちゃんに分け与えました。ステージに一人で立つけど、今までずっと独りだったわけじゃない。支えてくれて否定せず、だけどやっぱり奪い合おうとするのは、お互いに信頼を置く絆が生まれたからこそできた場所。「仲間でライバル」その仲間意識の両立をミクロ(果林ちゃん)からマクロ(同好会)に鮮やかに変換することができたのは、トリを飾った果林ちゃんでなければできなかった話だったと思います。

 

 

過去の果林ちゃんが実は〇〇で、だから今彼女はこういう動機でこうしていて、という掘り下げは名作回に必ずしも絶対必要というわけではありません。そんなことをせずとも、果林ちゃんは1話目からニジガクに関わっていますから、既にそれなりに人物像は見えています。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の最初で最後の課題点に必要なピースを、果林ちゃんを通してしっかり証明してくれた。

本当の朝香果林と共に、本当のニジガクの朝が来たる回として、9話は文句つけようがない100点です。いやぁ、まさかここまで向かう所敵なしってくらいにまで神回を叩き出してくるともう何の懸念材料も無いですねぇ。μ’sAqoursに去来する、スポ根要素によってキャラの行動が捻じ曲げられていくという心配もなく、あくまで一人の女の子の一つのドラマとして一話完結型ベースに繙かれるのは安定して感情移入できて、心を鷲掴みにされます。

ソロPVもどれぐらい前から準備してたんだってくらいクオリティ高いですもんね。

 

 

 

 

 

 

 

これはまぁ・・・比べられても仕方ないよね。

何とは言わないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さぁ、役者は揃った。極彩色の光に彩られ、ときめきは銀河を邁進す。

 

誰にも邪魔されず、しかし誰かの励みになる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

    

 

 

 

 

        (11700文字)

 

 

 

                                      written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

 

前回、第8話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/11/28/113423

 

 

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話「しずく、モノクローム」感想 〜デビル メイ クライ〜

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Amethyst de Ressentiment .

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後、お見知りおきを。

 

 

 

さて、そんなこんなで今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話の感想をこちゃこちゃ書いていきます。今回は「しずく、モノクロームのサブタイ通り、しずくちゃんに焦点が当てられる回ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadが個人の感想と見解を思うがままにぶちまけただけのアニメラブライブ!私見会場となっております。

この記事の全文に一切の説得力も、見当違いによる責任能力も有しませんことをご理解の上、斜め読み程度にご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

何とこのブログ、アクセス数が増えてるんです。自分はTwitterもやっていて(@Elysia_Sunny)、毎回ブログを投稿する際にURLを貼ったツイートをして何度か宣伝もしたりしてるのですが、いかんせん自分はフォローもフォロワーも厳選してマイナーなコミュニティを維持してる人気ユーザーとは程遠いアカウントなので「一体どっから嗅ぎつけてくるんだ」といささか疑問です。感謝よりも先に疑問が優ってしまう、「?→Heartbeat」とはこのこと。いやはや、とにかくご覧いただきましてありがとうございます。マジで励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

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さて、兎にも角にも今回は1年生の桜坂しずくちゃんがメイン回です。前回に引き続き、この記事もシーンを順に追いながらツッコミや論考するのではなく、ちらほらとシーンをかいつまみながらしずくちゃんにフォーカスを当てて人物像を考えていきます。

 

 

 

 

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そもそも彼女はエマちゃん・彼方ちゃんと同様にスクフェスからの移籍組のメンバーですね。キャラ設定はそのままに、見事虹ヶ咲メンバーに選ばれCVで命を吹き込まれ、スクフェス初期の少し古臭いギャルゲのヒロインみたいなイラスト時代の頃から彼女を知っている身としては涙ちょちょ切れまっせ・・・といった親心。

それもあってか、今回も藤黄学園というスクフェス発のキャラが友情出演していましたね。お嬢様口調でお上品な佇まいの綾小路姫乃ちゃんと、クールでボーイッシュな印象を受ける紫藤美咲ちゃん制服のデザインや髪型、喋り方なんかも一緒で、何か下積みアイドルが一気に日の目見た気分になって万感の思いです。いや実際ほぼそういうことなんやけど。

演劇の方もさることながら、どうやら虹ヶ咲スクールアイドル同好会という未知の部に強い興味と余裕な態度を示している辺り、ライバルポジションの見方が強いですが・・・ニジガクちゃんは彼女らともしのぎを削るのか、それとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回しずくちゃんという人物を知っていくにあたって、自分はこれまでのお話で彼女の人となりが敢えてあまり明るみに出ていないことが逆に担当回で繙かれることで非常に効果的になるのでは、と思っていました。

アニメではしずくちゃん同好会を一時廃部に追いやられるも、せつ菜ちゃんとの説得のやり取りはそれほど前に出て積極的に意見交換もしていませんでしたし、新生同好会になった後でもかすみちゃんの良き相談相手としてはいたものの、スクールアイドルとしての個性を敢えて剥き出しにしていないのではないかと疑ってしまうほど、彼女はどの空気にもそれ相応に馴染んでいた。それなりに深夜アニメオタクをやっているせいか人気者やムードメーカーより周りの空気に上手いこと溶け込んでいる人ほど注目してしまう逆張りみたいな癖があり、逆にしずくちゃんの言動一つ一つが気になってしまうのが今回彼女を思う時に功を奏したと思います。

 

具体的には、しずくちゃんが4話で新生同好会の活動方針の拭いきれない不安を吐露した際の「ステージでは一人」という言葉なんですね。

そもそも彼女は演劇部と掛け持ちをしててスクールアイドルに自分を割く時間も人より少ないにも関わらず、今まで特に積極的に発言をしてこなかった彼女が何故あの時だけはそう言ったんだろう、と何となく引っかかりを感じていました。しかし4話ではその不安こそが愛ちゃんアイデンティティを考える重要なキーワードとなり、そのまま愛ちゃんの持つパワーで何となく有耶無耶になっていました。

このアニメの世界では「スクールアイドルは多人数グループでなければいけない」というルールや概念があるのか謎ですが、真面目で努力に熱心な彼女ならそもそもアイドルはソロでやっている人も沢山いることくらい知ってるでしょう。なれば彼女の心配は杞憂であり、単にシナリオ上のト書きとして愛ちゃんの愛デンティティに携わる為だけに用意されたおためごかしのようなものとして受け取ってしまうことになります。自分はそんなメタな言葉として受け取りたくないから、しずくちゃん人一倍ステージに一人で上がることに不安を感じてしまっているのかと踏んでいました。

 

 

いやでもそれだとおかしいんですよ。演劇部を掛け持ちするくらい舞台に上がること、舞台で表現することに慣れてしまっている女の子が、何故スクールアイドルのステージに上がる心配をするのか。

「好きでやっていることだから」しずくちゃんは掛け持ちのことを尋ねられる際答えます。ああなるほど、たとえ好きでやっていることでも割り切れない、拭いきれない緊張感は舞台にはきっとあるのかもしれないんだと、お舞台劇にまるで素人の自分は半分勝手に納得していたんですよね。

 

がしかし。

 

 

 

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冒頭からしてやられました。ほらやっぱり。

しずくちゃんの中にはもう一人の、自意識を批判する自分絶えずせめぎ合っていたんですね。これが今回のお話のキモとなるのですが・・・いやあ改めて見ても今回、この掘り下げ方はあまりにも意外で斬新だった。もちろん良い意味で。

先んじて書きますがこの8話、ぶっちゃけアニメラブライブ!の枠からはかなり飛び出したお話に思えます。しかしそれでいて誰しもが一度はぶち当たる、10代特有の自意識に対する悩みという枠組みからははみ出さない見事な構成に仕上がっており、アニメラブライブ!の青春の青臭さとほろ苦さを残した旨味が、もう、凄まじい。素晴らしい。かなり挑戦的な試みでありながら30分で綺麗に仕上げた、良い余韻を残した快作回です。

 

 

 

 

 

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しずくちゃんは演劇部の部長から、次の舞台の主役の降板を言い渡されます。この演劇部の部長、1話で並々ならぬエリート感を醸し出していて界隈では湧いていたのですが、同様に1話での演劇部の練習風景を見ても、しっかりしずくちゃんの演技を見て判断しているという部長職のリーダーシップらしさも読み取れますね。

 

部長曰く、「今回の役は自分を曝け出す感じで演じてほしい」とのこと。ということは、(少なくとも部長の観点では)しずくちゃんの演技は自分を曝け出す感じの演技ではなかったということになります。部長さんが彼女の演技から何をどれほど読み取れているのか、そしてその目利きが正しいものなのかはここでは重要ではありません。その降板理由を聞いたしずくちゃんが、思い当たる節があるように納得した上でチャンスを乞う、これが重要です。つまり、しずくちゃん敢えて自分を曝け出す演技をしてこなかった(自覚があった)、その理由が今回自身をストーリーテラーとして語るのです。

 

 

 

 

 

 

 

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しずくちゃん本人曰く、彼女は昔からレトロな映画や演劇が好きだったらしい

スクフェスでそんなこと言ってたっけ・・・?

まぁきっかけはともかく、彼女はその好きなものが周りと少し違うことで変に思われる、奇異な目で見られることに常に不安で怯えていました。そしてその結果、彼女は数多の役柄を「演じる」ことで偽の自分をいつも上塗りしている。

他人と違うこと、それが原因で「うわ、何だこいつ」と思われること。なのに自分は好きな自分を自分で否定したくないこと。

すごく分かります。オタクには十二分に共感されますし、オタクじゃない自分でも人一倍理解できます。というか誰にでも当てはまる、誰しも一度はぶち当たる悩みですよこれ。

大人になって時間が経って、感性が変化して周りに気を取られてる場合じゃないほど自分の人生に忙しくなった今でも思い悩む人は思い悩み続けてます。それにほら、

 

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思い悩んだ結果自分なりの打開策を見つけた女の子だってすぐ傍にいるんですよ。

璃奈ちゃんボードしずくver.、良いですねこれ!自分の表情の乏しさをコンプレックスとして捉えずある種開き直ることでこうしてネタ活用っぽくすることも出来る。これはもう克服と言ってもいいですよね。こういうのをさりげなく差し込んでくる辺り、アニメニジガクのキャラ掘り下げの丁寧さと愛が伝わってきます。

同好会としては後発組の璃奈ちゃんがこうしてしずくちゃんにくだけて接してるのも、知らない間に打ち解けあった1年生同士の友情が芽生えてて微笑ましい。

 

で、その璃奈ちゃんしずくちゃん同様自分の何かが人と違うことで、真っ直ぐな自分で人と向き合う、自分の内面を表すことが難しくなってしまったんですよ。

 

 

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璃奈ちゃん本心を表情に表せない。

しずくちゃん本心を出すことに怯えて「演者」としての表現しかしない。

 

「出来ない」と「しない」では大きく違いますし彼女らのコンプレックスは一見似て非なる、対照的なようにも見えますが、実は本質は同じです。自意識の自己嫌悪。考えれば考えるほど答えは出せなくなり、答えが出せないから躍起になって考える悪循環。そうして悩むうちに、自分そのもののことが分からなくなり、分からないものをひけらかすことに自信が無くなる、意味も価値も分からなくなってくる。本心と本心のぶつけ合いが怖くなって、避けてしまって、やり過ごして、楽な方法をつい選んでしまう。璃奈ちゃん人付き合いを避け、しずくちゃん張り付いた笑顔を浮かべることでその場をやり過ごす。

 

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今回の展開的にかすみちゃんが察知→励ましの実行までの立役者として賞賛されがちですが、自分はどちらかと言えば璃奈ちゃんMVP賞をあげたいですね。しずくちゃん本心への共感に一番深く、優しく寄り添っていたのは誰でもない璃奈ちゃんであり、そしてそれが出来るのが彼女である理由もきちんと前の6話で説明されている。

しずくちゃん本人には真正面から向き合わないというのも奥ゆかしさを感じて良かったです。自分の本分を弁えてる・・・というと何だか謙遜みたいですが、心を掴む為の適任がいるときちんと判断出来ているんじゃないかな。かすみちゃんに自分の似たような境遇を話してしずくちゃんが入った本心という名の段ボール箱に掌を差し伸べることが出来る人物を示唆するというのは、1年生3人組の思いやりと心の暖かさを感じずにはいられません。だってそのやり取り、璃奈ちゃんボード付けなくても伝わってたんだもの。

 

 

 

 

 

 

 

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じゃあそのかすみちゃんはさぞかししずくちゃんの心を救ってくれるヒーローじゃなかった、理想のヒロインになれたのかと言われれば、そんなことはないんですよ。

このシーン、アニメラブライブ!屈指の名作回であるアニメμ’s一期8話の絵里ちゃん勧誘シーン(ひいては、元ネタである「僕らのLIVE 君とのLIFE」PVのワンカットでもある)のオマージュでファンはもう大歓喜だったのではないでしょうか。自分もすぐに気付いてまーた8話繋がりでニクい演出を・・・とニコニコしながら思っていました。というかもう少し言えば「何だ、アニメラブライブ!シリーズの踏襲もきっちりちゃっかりやるんじゃん」とも思いました。アニメニジガクは何もかもがオリジナリティ溢れる要素やストーリーラインで一貫していたのでね。本心を見せてほしいと願う女の子が窓際一番後ろの席で燻っている女の子の手を引く、このシーンはアニメラブライブ!の十字架として一生語り継いでいきたいですなぁ。

話逸れちゃった。それでは逸れたついでに、先にしずくちゃんの内面について書きましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「自意識」って何でしょう。

「自分」って、そもそも何なんでしょう。生まれた時から自分は自分で、物心ついた時から備わっている。環境や出会う人によって変容はしても、死ぬまで必ず手放すことはない。

最も難しくて、だけど最も面白くて、実は簡単な所に答えは落ちてるもの。それが「自分」です。人間みんな誰しも「自分」を考えるたびに、手を変え品を変え、遂には答えを出せず、いつしか考えるのを諦めてしまうような、パラドックスの階段をぐるぐる歩くような感覚に陥ります。

そこまで考えると何だか「自分」探しの旅は哲学みたいですが、その哲学書さえも哲学者その人の「自分」の自分なりの考え・解釈であり、自分晒しの一端であり、正解ではありません。

では、哲学者たちはどんな理由で「自分」を探したのでしょうか。誰かに「自分」を探せと求められたからでしょうか。違うはずです。自分で「自分」に興味があったからです。

 

 

 

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しずくちゃんは自意識と、自意識の下に隠れた本心の自分を引き出すことにずっと怯えたままでいました。そして今回のお話で演劇部部長にそのことを指摘され明るみに出るのですが・・・よく聞いてみると演劇部部長さんは「自分を曝け出す感じで演じてほしい」とは言ったものの、「自分を曝け出してほしい」とは言ってないんです。これはよく似ていますがれっきとして違います。そう、あくまで演劇部部長さんは「演劇」をしてほしかった。

にも関わらずしずくちゃん「演劇をしている自分が「曝け出している自分」なんです」とは言わずに、「もう一度チャンスをください」と言いました。何故言えなかったのか。思い当たる節があって引け目を感じているのなら、何故それでもなお演劇にこだわるのか。ステージの上で表現する方法を、スクールアイドルさえも諦めないのか。

 

 

答えは簡単です。彼女は演劇が好きで、スクールアイドルが好きだからです。本心を見せなくて済むから両者を好きになったわけではなく、好きになった両者がたまたま本心を隠したまま表現できる"隠れ場所"だっただけ。順序が逆なんですね。

彼女は周りから変に思われることにずっと囚われていました。しかし演劇という舞台の上では、「役柄」が隠れ蓑になる。演じれば、周りはそれが彼女のやりたいことだと認識してくれる。転じて、「桜坂しずく」という"当たり障りのない役"を演じれば、誰しもが奇異な目で見ない利口な女の子になれる。

 

だけど彼女は今回「本心を曝け出す役を演じろ」と命じられました。命じられたわけじゃないね、役柄を求められました。本心を隠す為に演じることを選んでいた彼女にとって、それはクリティカルヒットパラドックスです。でも、演劇そのものは好きで自分のやりたいことだから、役を降りるわけにはいかない。となれば自分と向き合って、自分を曝さなきゃいけない。真面目で練習熱心なしずくちゃんは、今まで怯えて目を背けてきた本心の自分、本来の自分と向き合おうとします。

 

でも、できない。幼い頃からずっとそうやってきたから。いざ向き合おうとすると、恥と外聞が耳に入る先の見えない不安が、どうしようもなく付きまとう。変に思われる。利口な女の子だと慕われなくなる。今まで張り付いた笑顔の仮面を付けて生きてきたから、それに甘んじて過ごしてきたからーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「何甘っちょろいこと言ってんだぁー!」

 

かすみちゃんの励まし方、不器用で何一つ寄り添えず効果的でなくて大好きです。このシーン4回リピートしちゃったよ。自分は安易に人と人とを番にしたがる恋愛脳ではないのでこの辺のやり取りは百合などではなく友情や絆として受け取っていますが、それにしたってこのかすみちゃんこの容赦のない自分語り。もう最高。いやお前・・・人励ます気あんのかよって。慰める気あんのかよって。しずくちゃんからしたら「あんたのことは知らんがな」ですよ。

でもそれでいいんです。それが良いんです。

 

 

 

 

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かすみちゃんは2話で書いた・・・かどうかは忘れましたが、誰が何と言おうと、自分で自分のことは「かわいい」と思う女の子です。強い。たとえ世界が滅んだってかすみちゃんがかすみちゃんをかわいいといえばかわいいんです。自分に自信がある、というのもそうですが、自信のある自分を声を大にして言える、本心を怯えて隠し続けるしずくちゃんとはまるっきり対照的な女の子なんですよね。

でも彼女がここで言うように、「かすみんのことをかわいいと言ってくれない人もいる!」と、否定する人たちを認識している。認識した上でも、かすみんはかわいいをやめない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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大体

 

しずくちゃんは多分、一つ勘違いをしてるんですよ。恐らく、本心を曝け出すことが、演劇で一番大切なことだと、ラスボスのようなものだと思い込んでいる節がある。

違います。違うんですよ。これは演劇に限ったことじゃないんですけど、

 

 

一番大切なのは、「見てもらうこと」です。

 

 

しずくちゃんが気にしていること、不安に思っていることってとどのつまり、見た後の話なんですよ。変に思われる、避けられる。そんなものはやった後にまた考えればいいんです。

 

本心を曝け出すことが、演劇で最も大切なこととは限らない。スクールアイドルに最も大切なこととは限らないんです。

 

勿論それが一番手っ取り早いです。だけどその分、リスクが伴います。それがかすみちゃんの言ってたことです。かわいいと言ってもらえないかもしれない。変に思われちゃうかもしれない。でもだからって、演劇は辞めちゃう?スクールアイドル同好会は退部する?友達付き合いも全部断る?違いますよね、しずくちゃん

 

人間そんな極端に行動出来るほど上手くできていないんです。何なら大人になるにつれ、そんな外聞にいちいち構ってられるほど心の余裕も無くなってきちゃいますよ。

 

 

 

 

 

 

 

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かすみちゃんは別に、しずくちゃんに本心を曝してほしいから励ましたわけじゃないんですよ。いやまぁそれも何割かはあるんでしょうけど、少なくとも本懐ではないでしょうね。

かすみちゃんがこの甘ったれと言ったのは、体のいい言い訳をして自分の好きでやりたいことの大事な局面からも逃げようとしてることにデコピンをかましたんです。

「しず子とかすみんの仲でしょ!」と言ったのは、かすみちゃんしずくちゃんのことを「ステージの上では一人」という、同じ境遇を感じながらもステージに立つ同好の士だと思っていたはずだからです。

なのにそんな、ステージに立つ前にステージに立った後のことでウジウジ悩んでる姿は、同志として情けない。

 

 

 

その心中を探る証拠として、かすみちゃん「そんなことないよ」という類の意味の言葉を一言もかけてあげてないんですよ。そんな慰めの仕方あるかって話ですけど。しずくちゃんに対して「そんなことないよ、しず子は今まで通りステージに利口な女の子でいればいいよ」という言葉をかけてあげて、寄り添ってあげてない。ということはつまり、「本心を曝せば変に思われるかもしれない」という不安は、かすみちゃんも当然のようにステージで感じてるんです。

 

だけど、やる。最早それさえも、自分の不安さえも本心の一部として取り込んで、吐き出す。

それが出来てようやくかすみんはかわいいんですよ。軽々しくかわいいかわいい言ってるわけじゃないんです。

侑ちゃん聞いてる?そういうことやぞ。

 

 

 

 

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しずくちゃんだって、かすみちゃん「かすみんはかわいいの!」って強引に詰め寄られた時に、半分言わされたように「(かすみさんは)かわいいんじゃ、ないかな」って目を逸らしながら苦笑いで言いました。

んーおかしいな、いくら詰め寄られて困惑したとはいえかすみさんにとっての「理想のヒロイン」を演じているのであれば「はい!かすみさんはいつだって世界一かわいいです‼︎」と言えた、"演じられた"はずですね。でもそれができていないということは、これは本心です(直球)。かすみちゃん、分析してごめん。

しずくちゃんのこの反応が本心であるなら何故この場面で"演じられなかった"のか。演じるよりも先に、譲れないものがあったんですね。ということはつまり、それがスクールアイドルとしての矜持です。素直に認めたくない。負けたくない。だって私も同じ、「表現者」のはずだから。表現を愛するスクールアイドルのはずだから。

ここに仲間でライバルという同好会の関係のテーマをきっちり描いてるの、本当に良かったですね。ただ単にしずくちゃんが面と向かってかわいいと言うのが恥ずかしいとかではなく、かすみちゃんことを素直に認めたくはないけど、同じ境遇(ステージ)に立つ者"同士"として本心で認識してるわけです。

 

 

そしてかすみちゃんも満足げ。素直じゃなくて頑固者だと思っていたしず子が、ようやく張り付いた笑顔じゃない本当の表情を見せてくれました。反応自体は不本意だけどね。だけどしず子の本意です。言葉遊びみたいだね。

かすみちゃんは恐らくしずくちゃんの本心という暗闇を完全に照らし上げて、理解できたわけではないんですよ。彼女はあくまでスクールアイドルを通してでしか、或いはかわいいもの越しでしかかすみちゃんは寄り添えない。

璃奈ちゃんの6話の時にもかすみちゃん「ダメな所を武器にするのもアイドルの第一歩だよ」と言っていました。今思えば軽い伏線だったのか・・・と思うと、実はああ見えてかすみちゃんニジガクにとって大切なキーワードをその都度きちんと残してくれる、第2話で早くも担当を飾るにふさわしい名ピッチャーなのではと思ったりもしますね。

 

 

 

 

 

 

これを言っちゃうと鋭すぎるというか元も子もないんですが・・・まぁこれはある程度大人になって回顧した時に出来る解釈の一つですので悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

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さっき上で書いたように、人という生き物は「自分」にあまりにも大きい好奇を抱いた生き物です。人を好きになることでさえ、「人を好きになる自分」のことを愛しているからできる、というくらい「自分」に強いこだわりを大切に抱えています。

 

それだけ強い好奇心と依存心があるのなら、自分が嫌いになることなんて、あるのでしょうか。答えはNOです。自分のことが嫌いだと思う自分が好きなのです。何だかトートロジーみたいですね。「自分」という、周りとは違うこだわりとその概念全てを常に探求することで人は生き続けています。

 

 

 

本心の自分、周りから思われる自分。

どちらが大切なのでしょうか。

そこに答えはあるのでしょうか。

答えを出してくれる人はいるのでしょうか。

 

かすみちゃんが下手っぴな励まし方しか出来なかったのは、かすみちゃんにもそういう葛藤があるから。いいえ、かすみちゃんだけではありません。世の中の人間の大半はみーんな思ってることです。誰しもみんな、本心を何のためらいもなく出せる人間ではない。だから人はどうしようもなく弱くて、弱いから群れる。

自分の殻に閉じこもって、二分した自分の像は大して客観視もしないまま、白も黒も混ぜこぜにして、グレーのままで有耶無耶にして生きてるものです。そこまで大して考えてない。

 

 

 

 

 

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けどしずくちゃんは、しっかりと自分を2色で考え、分けられる。自分を客観視して、鑑みられる。

彼女はこれをネガティヴに、現実的に「こんな自分が嫌い」と短所として捉えていましたがこの客観視、あるいは自己分析は演劇やスクールアイドル、ステージが好きな者だからこそ持ち得る能力です。

 

 

 

本心であるがままの自分と、それに対して不安を武器に自分を窘め、批判する自分。

ひけらかしたい自分。守りたい自分。陰と陽、二人いる自分を正しく認識した上で、どちらも両立させる。忘れないで、考えるのをやめないで、本心すらも演じてみせる。なぜならそれが、両方の自分が同じく執着していた「ステージ」だから。彼女の中のコンプレックスはもう既にありません。

 

心の向きが違っても、二人共に「演じたい」欲求は決して消えなかったからーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桜坂しずくちゃんのソロ曲、「Solitude Rain」。

 

彼女の名を冠するにふさわしい雨の降る演出が曇った湿っぽい雰囲気を思わせますが、少し切なく、しかしそれ以上に力強く追い求めるように歌うしずくちゃんの儚げな表情が印象的な名曲です。

 

最後、PV中で長く降り続いた雨が止み晴れ晴れとした空をスッキリとした笑顔で迎えるしずくちゃんは、雨の雫だけでなく止んだ後の晴天までもが彼女の一つの物語として彩られます。

このハッピーエンドのような展開のPVに、「ああ彼女はもう吹っ切れて、誰しもに利口な女の子を演じなくてもよくなったんだ」と解釈した方もいらっしゃったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

自分は違うと思います。彼女は演技をやめません。本心を曝け出すのが怖いと怯えていた女の子の逃げ道がたまたま"演じる"ことだっただけです。でもその"演じている"ことを知っても、受け入れて笑ってくれる人はいた。拍手を送ってくれる人がいたのです。

 

 

少なくともかすみちゃんは、「本心をあの教室で曝け出しても受け入れてくれた人」であり、それはつまり「本心のしずくちゃんを好きでいてくれた」人がいた、というわけですね。誰か一人にでも理解してくれれば、それだけでどうしようもなく救われてしまうのです。いや、この場合、雫が掬われたというべきですかね。

とすれば、もうしずくちゃんは自分のことを嫌いになる必要も、責任も無いんです。演じることそのもの全てすら、「本心の桜坂しずく」として、自身の強さとして受け入れられたのですから。

 

 

「Solitude」という英語は「孤独な」という意味が主流ですが、「(抑圧からの)解放」という意味もあるそうです。

彼女の上っ面の笑顔という仮面の下で静かに降り注いでいた孤独な雨が、その一粒一粒が自分で自分を祝福する解放と息吹の雨となりますように。

 

そしてまた、しずくちゃんはこれからも演じ続けます。お題目は、「本当の私」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

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いやぁ疲れた。もう書けん。

さっさとまとめるぞー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の第8話、総評としては

 

100点です。

 

 

 

 

 

 

 

うーん、正直今回のお話、よくここまでスムーズに落とし込んだなとしずくちゃんの演劇がとても大好きな気持ちや真面目で努力熱心な性格はそのままに、キチンとキャラブレはしないままで10代特有の自意識への悩みや葛藤をよくもまあこれだけアニメラブライブ!らしく描けたものだ本当に感銘を受けました。文句なしの100点です。

ただ元々あったパーソナリティを掘り下げるんじゃなくて、しずくちゃんかすみちゃんに素直にかわいいと言わない頑固者な所とか、本心や演劇部での事情を打ち明けずに同級生にもなかなか本心を暴かなかった意地っ張りな部分みたいな、今まで敢えて描いてなかった彼女の意外な一面もきっちり盛り込まれていました。

 

 

何よりこのしずくちゃんのコンプレックスへの理解と共感を、友情極まる1年生組で完結させていたことが、しずくちゃんの恐怖と葛藤が同好会のみんなを巻き込まず1年生同士で理解し合えるスケールの苦悩という収まりであまり重たい話になりすぎずこれまたオタク心のツボを程良く押さえる仕上がりになっていた。それでいて璃奈ちゃんは自分の手の届く範囲で最大限しずくちゃんに寄り添い、かすみちゃんは自分が理解できる限りしずくちゃんを叱咤激励した。この1年生の適材適所らしさがコンビネーションとして活躍していたのもすごくスムーズで良かった。

 

まーぶっちゃけこの手の自意識の問題って結構ややこしいんですよ。そもそも明確に答えは出ないまま、周りとの劣等感やら何やらで画面がどんどん重たくなること必至なんです。自分にとっては長い間引きずっていた悩みも、周りの人にしてみれば些細なことだったーという収束は、このニジガクのアニメのストーリーラインにしっかり沿っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解釈違いとか同人誌かよ。

 

いや、あのゲームが二次創作の同人ゲームと考えると20章に溜飲が下がるのでは・・・?非公式の妄想だとするならあるいは・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その名に雨が降ってもいいんだ。

いつも心に太陽を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

  

 

 

         (13000文字)

      

 

 

                                     written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

前回、第7話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/11/21/120550

 

 

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第7話「ハルカカナタ」感想 〜しょうけいす〜

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Recette de Opéra.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんなわけでアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第7話の感想を書いていこうと思います。今回は近江 彼方ちゃんがスポットライトに照らされる回ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadが個人的見解のみを全力で抽出した"私見会場"であり、自分語りもふんだんに織り込まれた無法地帯です。全文において全ての責任および説得力はありませんことをご了承ください。

 

 

 

何と、このブログに閲覧者様がいらっしゃるそうですよ。宇宙の神秘ですね。何かの誤アクセスかと思いきや、毎記事はてなスターを押して去るとかいう物好きどころではないとんでもない変わり者まで・・・いやいやたとえ斜め読みでも読んでくださってるのは万感の思いなんですけどね。ほんと。ありがとうございます。

追い込まれないとやらないやれない性格故記事を書く日はいつも徹夜という漫画家みたいな生活破綻をきたしてまで書いてる甲斐があるってもんです。そのうち吐血しながら投稿し始めると確信している息の短いブログですが、どうぞよしなに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さて、今回のアニメニジガク同好会随一の眠り姫、近江彼方ちゃん回です。と同時に、今回のお話は彼女の妹、遥ちゃんとの姉妹の絆をとても美しく彩った名作回ですね。

一応最初に断っておきますが、苗字の読みは「このえ」です。「おうみ」の方が漢字変換しやすいのが何か悔しい。何か高級和牛っぽくない・・・?と思って制作スタッフ各位が「このえ」読みにしたんかな?本来の読み方は滋賀県琵琶湖の古称から「おうみ」が正解らしいですけどね。「このえ」は熟字訓です。はい、どうでもいいね。

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回の記事もエマちゃん(第5話)の時と同様、内容の粗筋を辿ってツッコミ入れていく形式ではなく彼方ちゃんにフォーカスを当てつつ繙いていきたいなと思います。最近またちょっと色々あってブログ書く時間と気力が追いついてないので、ササっとまとめるつもりで書いていきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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タイトル通り、今回彼方ちゃんという女の子を照らすにあたって不可欠な存在、近江 遥ちゃんが遂に登場。恐らく今までのアニメラブライブ!ツインテールの女の子史上最もハイスペックな女の子(胸元も見つつ)になるかと思いますね。礼儀正しく健気で溌剌としており、姉譲りの癖っ毛をツインテでまとめた出で立ちはやはり少し下級生らしさやあどけなさを残す風貌で大変可愛らしい。そりゃスクールアイドル期待のホープと言われるだけあるわ。

初登場にして準レギュラー級にキャラが立っていて、しかも何とCVは今大人気の若手声優、本渡楓さん。いやあ麗しいねぇ。・・・ん?この声・・・遥ちゃん、もしかして佐賀でもアイドルやってない?気のせいかな・・・どやんす・・・

 

近江彼方ちゃんエマちゃんしずくちゃんと同じくスクフェスの元転入生でいたところに虹ヶ咲に転入してきた、所謂「転入組」の正式加入メンバー。300億を稼がんとする映画のヒロイン役も務める大人気声優、鬼頭明里さんに声で命を吹き込まれ、のんびりマイペース、いつも眠たげで妹の遥ちゃんを愛の籠った料理で溺愛する女の子。

妹の遥ちゃんは姉とは真反対に、しっかり者でハキハキと行動し、姉のダラけ癖を少し嗜めつつもお姉ちゃんのことが大好きな女の子で、(変な意味じゃなく)相思相愛な良好関係の築かれた姉妹であることが既に公となっています。

 

そして両者共に、スクールアイドルに焦がれる女の子であることも。

 

 

 

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自分もスクフェスやってるので当然姉妹両方知ってましたが、何となく遥ちゃんの方はスクールアイドルをやってるイメージがどうしても結びつかずいて、今回アニメで改めてアイドル衣装を着ている遥ちゃんの姿を見てようやく「ああ、スクールアイドル大好き姉妹なんだな」と再認識しました。

で、そのスクフェス組のファンは涙、涙の大歓喜東雲学園の存在と、その生徒であるスクフェス転入生組の友情出演。いやあ、6話の次回予告の段階で、遥ちゃん東雲学園の制服で飛び入り参加しているの見てファンの盛り上がる様はいかにもオタクっぽくて良かったですよね。

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日の目を浴びたどころかCVまでいきなり用意された大躍進を果たした支倉かさねちゃんとクリスティーちゃん。クリスティーナちゃんは一応イタリアからの留学生らしいですがめちゃくちゃ日本語流暢でしたねぇ。君眉毛たくあんとかじゃない?アニメ作中では東雲学園はかなりのスクールアイドル強豪校として名を馳せており、負けず嫌いの果林さんも認める知名度を誇っているらしいです。すごい。それに臆せず・・・あ、いやかすみちゃんだけはタジタジぐぬぬという感じでしたが「私たちも頑張りましょう‼︎」という意識をしっかり持つ・・・だけじゃなく、成り行きではありますが東雲学園のライブ開催予定地のステージの時間を分けてもらうという地味にかなり大それたアポを生徒会長のせつ菜ちゃんは取り付けており、スクールアイドル以外のスペックがオーバーフローしておる様も見所です。

向こうも快諾しているから良いですよね、派閥抗争なんてクソ馬鹿げた潮流はスクールアイドル界にとっては全く無く唾棄されるべきものかが分かる、「地味にグッときたシーン」賞なんですよねここ。え?何ですか?僕はSUNNY DAY SONGのことを読み解いてるだけですよ。誰も20とか章とか一言も言ってないじゃないですか。やだなぁもう。あっはははは。はぁ・・・

 

 

 

 

 

 

話が逸れました。

 

 

 

 

 

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アニメ版の彼方ちゃんはそのマイペースでいつもトロンとした目つきと柔らかい物腰の印象を与えつつも、朝早くから愛すべき妹の為にご飯を手作りし、夜は遅くまで勉強に勤しむ、どこをどう見ても頑張り屋の女の子でした。何とスーパーのアルバイトも週5で入っているそう。すごい。発注業務やポップ作りまでこなしてそう。

自分が彼方ちゃんで一番好きな部分はその自分の頑張りや努力をおくびにも出さない姿勢が本当に見習うべき素晴らしいところだなと思うんです。

 

 

 

やっぱり人間、自身の努力って認められたいじゃないですか。いずれ、どんな形であれ、どこの誰でもいい、自分が身を削ってまで時間を費やして絞り出した血と汗と涙の結晶の味をほんの少しでも共感したり、同情したりしてほしい。報われたい。それが誇りに変わる瞬間を見出す為に。弱者がどうしたって救われる、最後に残った欲求です。

そのことを俗に「見返り」と言うんですが、こと彼方ちゃんに至ってはケロっと、平気な顔でいつもの柔らかい佇まいを崩しません。稀有な人種、といえば何かアレな言い方ですが、ごくまれに「努力を全く厭わない人」というのも実在するもので。自分が頑張るのは当然のことで、人に尽くして施すことに何の見返りも求めない人という、正に聖人みたいな人もいるんですよね。

ただその行動理念そのものは割とよくあって、「自分が好きでやってることだから」とみんな付け加えるんです。そう、彼方ちゃんにとってもそれは例外ではありません。妹の遥ちゃんのことを心の底から大切に思っているから、ご飯を作ったりバイトを頑張って家計を支えたりと自分の身を削って頑張るのも全然苦ではない、だからやらせてほしい、と彼女の振る舞いはその年長者ぶりを感じさせます。

 

 

 

 

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そして彼方ちゃんにとってのそれはスクールアイドルに対しても同じ。本気で、本心で、無我夢中で、全力でやりたいと心から願っていることだから、睡眠時間を削ろうとも頑張れる大切な大切なそのものなんですね。誰が何を案じようと諦めたくないという強い意志を感じるのは、やはり彼方ちゃん自分の頑張っている姿を押し付けがましく他人に見せつけないスタンスがあるからこそ余計に伝わってくるものなんじゃないかと思います。

スクフェスからのファンは「いつも眠たそうなぐうたらゆるふわスクールアイドル」と思ってらっしゃる方も多かったかもしれませんが、冒頭の時点で近江彼方は誰よりも頑張り屋であり、陰の頑張りを誇示しない姿勢や掘り下げがセンセーショナルだったのでは?

 

 

 

 

 

 

 

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最近の姉の一層熱心な様子に思うところがあったのか、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会に直接赴き姉の実態を確かめようとする遥ちゃん。自分の大好きな妹が、自分が大切にしている時間であるスクールアイドル同好会を見学しに来てくれる!とばかりに猛烈に張り切って練習に粉骨砕身する彼方ちゃん。柔軟、璃奈ちゃんがすっかり成長してるにも関わらずなかなか成長の一途が見えてないのが悲しいとこだけど正直そんな短期間でペターンいくのもかなり尋常じゃないと思うぞ。1ヶ月くらい毎日お風呂上がりとかにやってようやく少しずつ実感できて嬉しい、ってくらいのペースなんやで普通は・・・

 

 

 

 

 

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まぁ上でああは書きましたが、ぶっちゃけかすみちゃんくらいは「他校のスクールアイドルが偵察⁉︎御用だ御用だ‼︎」って反抗してほしかったのでこの辺はGoodですね。というかかすみちゃんのそれがただの小物感のある逆恨みだったので結果イジられたわけで、決して敵対だ妨害だとメンバー間の仲間意識さえも否定してるわけではない。しずくちゃん「敵ではないのでは?」というセリフが何故か全く分からないけど痛快な皮肉に感じますね。

 

しかしちょっと分析してみると、かすみちゃんだけが抱く「かわいい」クライシスはともかく学校の名を背負うスクールアイドル間のライバル意識というのは今後の展開にも関わるので気になるところです。とどのつまりラブライブ大会のことですが、結局3話以降あれからというもの全くその辺りの話題は出てないんですよね。まぁ自分の思い描くステージ作りというのがあくまでニジガクの主題となってはいるのでこの第3世代においては寧ろそっち方面は飾りというか、サブストーリーになるだろうというストーリーラインは既に多くの視聴者が読み取っているので別段不安ではないんですが。

アニメラブライブ!シリーズは各々の形でライバルスクールアイドルと互いに研鑽してたのがお話の"視野"を広げる意味でも大切な役割を担ってきていたので、その辺りは視聴時の関心事として念頭に置いておきたいところです。もう1クールの半分も過ぎてるわけだしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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遥ちゃんの歓迎会、暖かい雰囲気でとても良いんですがかすみちゃんが相変わらずチョロいの何のって。コッペパン、美味しい!」って言えば一回くらいヤらせてくr何でもないです。

何だか同好会、激しい練習をあまりしてないようにも感じますがそれが逆に各々の個性に合った練習を目線を合わせながら共同で行っているという推察も出来るので自分はそこまで違和感覚えないですね。従来のアニメラブライブ!の足枷にもなり得た「スポ根」を重視する息を切らしながら汗を散らして練習する熱心なさまとはかなり違った空気感を漂わせてるのでそれもまたオリジナリティと捉えられますし。

 

 

 

突然意識が無くなって眠りに落ちる彼方ちゃん

 

いや怖いわ。

 

えっ、何?ナルコレプシーか何か?理樹?理樹なの?

談笑してて急に電池切れして突然倒れるように眠るって普通に考えて遥ちゃんのめちゃくちゃ不安になるのが真っ当と思うんだけど同好会メンバーヘラヘラしてて微妙に会話噛み合ってねえし・・・せめて寝息確認してからヘラヘラしろよ

前回、発声練習の最中に寝落ちするシーンがあってそれも割とナルコレプシー感あって「唇の振動が心地よくなって眠く・・・?」とか無理やり解釈しつつ、いやそれでも危険だなぁと思いつつ何も言わなかったんですが少なくともマネージャー的ポジションにいる侑ちゃんみんなと同じように微笑ましく見守ってていい立場ちゃうやろ。同じ同好会というハウスで時間を過ごしている以上、メンバーの健康管理もスクールアイドルの応援の範疇だぜ。そこんとこ頼むよ。

 

 

 

 

 

しかしそれもそのはず、朝早くから妹の為に朝ごはんを作り、昼も夜も睡眠時間を削って一生懸命勉強し、加えて週5のアルバイト、合間にスクールアイドル同好会という超過密スケジュールを毎日こなしてたらそらぶっ倒れるわってわけで。学生時代に部活とバイトを毎日入れてる成績上位者を見かけたことはありますが流石にバイトも週2とかでしたねえ。そんな様子を見てかなり困惑した遥ちゃんは、焦りに焦って学校での彼方ちゃんの様子をメンバーに尋ねます。

家庭での奮闘を何も知らないメンバーは、彼方ちゃん寝るのが大好きな女の子なんだとごく自然に個性として捉えてしまっている故平然と答えていますが、遥ちゃんだけは彼女の寝落ちは忙しさの跳ねっ返りで電池切れを起こしてしまっているんだと明確に理由を知っているわけですね。

 

 

 

 

 

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恐らく、遥ちゃん虹ヶ咲学園に来たのも半分確信めいて足を運んだんだと思います。きっとお姉ちゃんは自分のお世話の反動で学校では相当疲れてるんだと。彼方お姉ちゃんは妹の遥に弱みを見せない。これが今回の二人にまつわるお話の最大の溝です。「私の知ってるお姉ちゃんは、いつも早起き遅寝で頑張って、理想の姉でい続けてくれている」と、味噌汁をすするたびに心をチクリと刺すんです。暖かいはずなのに、どこか冷たい距離を感じる。

確かに、尊敬できる姉を持つのは素晴らしいことです。いつまでも背中を追いかけたいと思える人物が、一番近しい家族にいる。そんな暖かい気持ちでいられることが幸せなはずなのに、その人物像に全く脆さを感じないと、逆に人間らしさを感じなくなって不安になる。自分がどれだけ追いかけても追いかけても、何年か先に生まれただけで、こんなにも違うのか。何故この距離を埋められないのか。何故自分は寄り添ってあげられないのか。

 

色々な思いが心の中で巡りつつ、しかし日常の中でそのパーソナルな部分に踏み入ることというのを何となく遠慮しつつ今まで燻ってしまっていた気持ちは、小生分かります。自分がアニメラブライブ!で問題が起きた時に「ちゃんと正直な気持ちで話し合おう‼︎」とあまり指摘しないのはその辺に共感できるからなんですよ。そらまぁどストレートに心のスキマに忍び込んで拳で殴り合うのは熱くて手っ取り早い方法とは思いますよ。でもどれだけ言葉を尽くして自分の誠意を見せても、伝わらない、視野が広がらないことってどうしてもあるんですよ。上手く切り出せないし、切り出したら今まで変哲もなく過ごしていた日常と相互の認識にヒビが入るのが怖い。親しき仲にも礼儀ありという言葉が何故大事かって、なかなかいつもそう上手く出来ないからです。

 

 

「私、スクールアイドル辞める。」

「だってお姉ちゃんが体壊しちゃうから…」

 

二言目でちょっと怖気づくのが細かくて良いですね。妹が初めて口答えするという行為の後ろめたさを感じさせる演技と演出、見事。遥ちゃんは強い決心の下でスクールアイドルの人気も期待も捨てて彼方ちゃん、姉を労る意志を示します。

うーん・・・上手く立ち行かないとスクールアイドル辞めるクセ、何とかならん?アニメラブライブ!さんさぁ。いや遥ちゃんがこういう決断を下すのは大いに納得できるんですよ。自分の為に時間を割いて尽くしてくれて、その結果スキマ時間に倒れるように寝ちゃうのが心配だから、姉のバイトと家事の時間を(スクールアイドルを辞めることで)分担するという目的なので何ら不自然ではない。不自然ではないんですけど、0か100かみたいな極端な判断するのをアニメの演出の山場に持ってくるのは正直見飽きたというのは感じるところでね。はいはいそれね・・・とは思っちゃいました。何ならせつ菜ちゃん同好会そのものを巻き込んで廃部と波乱を遂げていましたからね。

ただこの0か100かというムーヴメントを敢えて狙って彼方ちゃんの突然のスリープモードシーンを作ったのかと考えると面白い皮肉というか、似た者同士の姉妹なんだなという考察の旨味はありますね。電池が切れるまで100%の出力で動き続ける、電池が切れたら徹底的に稼働停止するみたいな、人間離れしてロボットじみた姉妹なのでは・・・なんて妄想も止まりません。まぁ流石にそうは思いたくないけど。

 

 

 

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妹の遥ちゃんからしてみれば、「自分は甘やかされている」受け取ってしまうんですね。毎日美味しいご飯を作ってくれるのもその理由ではあるんですが、同じスクールアイドルが大好きで各々の高校でやっている共通点があることが、殊更に自分と姉を比較してしまうという複雑な心境もあるのではないでしょうか。彼方お姉ちゃんの大好きなスクールアイドル同好会を、メンバーにお願いして脱退か、あるいはしばらく休部させてもらうことをあの場でしなかったのはそれです。お姉ちゃんが自分だけじゃなくスクールアイドルも大好きなことは知っているから、それだけは尊重して続けていてほしい。その分、今度は自分が犠牲を払う番だ・・・思い立つわけです。

 

 

 

 

 

 

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でもね遥ちゃん、実は案外本人はそんな風に思ってないんですよ。もっと別の、とんでもなく穿った、そしてある種驕った視点かもしれません。

彼方ちゃん、突然の眠りから覚めて寝起きでぼんやりしつつもまず一言目に遥ちゃんに恥ずかしいところ見られた〜」って言ったんですよね。自分、ここでピンときちゃって。ああなるほどねって。

 

本来、ただ単に遥ちゃんを甘やかすだけの彼方ちゃんであれば、大好きな同好会の活動の時間内に自分が何をしようが、寝てようが覚めてようが別に構わないわけですよ。例えば本当に寝るのが好きで、それを同好会内の活動の上での個性や矜持なのであれば、全く恥じることはありません。

けど彼方ちゃんは何よりも先に自分の寝姿が姉としての威厳を台無しにすると思ったわけです。つまり、彼方ちゃんの中で「姉はこうあるべき論」が無意識に、24時間稼働し続けている。あるべき論、はちょっと大げさかもしれませんけど、「自分は遥ちゃんの姉なのだから、こういう姉であり続けないといけない」というビジョンに忠実に沿って動いてるわけなんですよ。それは遥ちゃんのことを本当に大切に想っているからこそ、自分を律することを何ら厭わないという自己犠牲の意識すら超えた何かです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近観た作品で、「僕をお兄ちゃんにしてくれて、ありがとう。」という言葉がありましたね。そんな何気ない一言がその作品の中で一番泣いた瞬間になるとは思わなくて。不意に、一気に涙が零れ落ちて自分でもびっくりしました。何の作品かは、このセリフがネタバレになるので言いません。

 

 

やっぱり、どこぞの治郎くんのような逞しい年長者になれる兄・姉ってなかなかいないものなんですよ。「お兄ちゃん・お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけない」なんて、そうそう納得できる理屈じゃないのが自然です。ちょっと先に生まれたからくらいで、何でそんな理不尽背負ってやりたいこと我慢しなきゃいけないんだ。なんて、共感できる人多いのでは?

それまでお母さんは自分のことを可愛がってくれたのに、下の子が生まれるとその子にベッタリで何か気に入らない、ついつい下の子に八つ当たりしちゃう。とかね。それでもやっぱり、自分の後ろをヨチヨチついて来てくれるのが、どうしようもなく嬉しかったり。

兄・姉という年長者の唯一の特権は、そういうもどかしい気持ちを人生経験に出来ることです。そんなの嬉しくねえや!とも思うかもしれませんが、そこに才能や性格の優劣がいかほどにあろうとも、そんな甘酸っぱい気持ちは年少者はどれだけ理解は出来ても共感はできない。

それが出来るから兄は、姉は、弟や妹が大好きなんです。どうしようもなく骨折の痛みを堪えられるんです。どれだけ眠くても頑張れるんです。追いかけられる背中が大きいかどうかは結果に過ぎません。勿論・・・自分の頑張りが結実して追いかけてもらえるのはこの上なく嬉しいんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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アニメラブライブ!はこれまで様々な姉妹像を描いてきました。穂乃果・雪穂姉妹、絵里・亜里沙姉妹、にこ・こころ・ここあ・こたろうきょうだい、ダイヤ・ルビィ姉妹、聖良・理亞姉妹。世代間でそれぞれ違う価値観視点を、時に美しくドラマティックに、時に普通の日常に沿って彩られ、それぞれ年の差もあったりして全然違う十人十色な姉妹像に毎度毎度新鮮な発見を感じていました。

 

 

 

近江彼方・遥姉妹は、お互いがお互いの大好きなものを尊重し合うことの出来る、だからこそ最大限に自己犠牲が出来る姉妹であることは、公言こそしないものの一目瞭然ですね。彼方ちゃんスクールアイドル遥ちゃんどちらも大切に大切に抱えながら掲げながら日々を頑張るお姉ちゃんであることに生きがいを感じているんですね。

今回のお話が他メンバーと少し違うのはスクールアイドルになって何を表現するかではなく、何を大切にしたいからスクールアイドルになるかなんです。順序が逆なんです。分かりにくいですけど。

スクールアイドルになれたから"自分らしさ"が発現できたんじゃなく、「自分らしさ」を大切にすることの終着点(ゴール)がスクールアイドルだった、ということなんです。

 

 

 

だから今回、自分はTwitterで「物足りない」と書きましたが、それはこの近江姉妹の描き方に問題や不満があるからそうつぶやいたのではなく、「このお話によって近江彼方という女の子の物語だけはエンディングを迎えてしまった」からです。璃奈ちゃん回が大いに余白や余地を残す素晴らしい出来栄えだった分、この7話はこれだけで近江彼方のキャラの全てを上手く掘り尽くしていて、合理的に完結してしまっている。そんな風に感じてしまったんですよ。何と言うか、上手く言えないけど。「ここから先、この娘の引き出しが思い浮かばない」というと分かりやすいですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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彼方ちゃんが妹とのすれ違いに凹んでいるのを打ち明けるお弁当タイムの際、せつ菜ちゃん「一人で解決しようとしている」と言って何かシュールな笑いが視聴者みんな、出ましたね。ま、自分の過ちを自覚して反省して気をつける意識が出来ているのは良いことだと思いますよ。自分はそこまで人の痛いところをワザとチクチク刺すようなことはしたくないです。自分が人一倍されたくないからね。まぁそれはいいとして。

 

 

 

 

普通は一人で解決するしかないんですよ。さっきも似たようなこと書きましたが、妹(姉)が姉(妹)の気持ちを100%慮ることなんて不可能だからです。今回、遥ちゃんが思い至れなかったのはそこなんですよ。彼方ちゃんが心の底から「好きでやってるんだよ、だから想ってくれなくていいんだよ、ごめんね心配かけて」どれだけ言葉を尽くしたところで、いや尽くしたら尚更に、「ほらやっぱり、私がいるからお姉ちゃんはもっともっと頑張っちゃう」とすれ違ってしまうわけです。自分の存在が姉の足枷になっている。だから今度は自分が姉の苦労を肩代わりする番だ、なんてね。私Sunny Roadも弟の身分ですから、その辺りの機微は環境は違いこそすれそれなりに分かります。

 

 

じゃあ近江姉妹が普通の姉妹かといえば、そうではないんですね。ちゃんと彼女らだけにしかない、唯一の共通点があるではないですか。お互いがお互いの全力で「対話」が出来る、誰よりも何よりも大好きで譲れない、夢そのもののステージがーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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彼方ちゃんのソロ曲は、大人しめながらもダンス調のEDMなのが特徴的なディスコチューン、「Butter-fly」。

いやぁ、めちゃくちゃ良いなこれ・・・‼︎

ウィスパーボイスの合いの手や、ゴールドのアクセサリーとパステルカラーが上品さを匂わせる、それでいて女性らしいボディラインにふんわり切り取られたドレスが見事に色気を引き出しています。CVの鬼頭さんこんな繊細で色っぽい演技も出来るんだな・・・と生唾飲みながらマジのマジで見惚れてしまう、何だか女の子特有の良い匂いが画面を超えてこっちまで伝わってきそうなヴィヴィッドな歌唱力とレイジーレディーな色気の「暴力」っすよこれ。

 

 

 

 

 

同じく彼女の曲、「My Own Fairy-Tale」でも歌っていましたが、彼方ちゃん決してぐうたら寝坊助ではないんですね。自分の叶えたい願いを好きなだけ頑張って好きなだけ叶えるだけの、世界一優しいわがまま放題なお姫様なんです。それが本人、妹の遥ちゃんが何を言ってこようがそこだけは譲れません。好きなだけ尽くして、好きなだけ施す。近江彼方だけに持ち得るSister's Prideです。

 

ただ、ただね。これは黒澤姉妹を論考する時にも書いたんですが、妹が自分とは違う意思をちゃんと持って、独り立ちしようと頑張っているのを感じるのも、姉として嬉しいことなんです。自分が思い描いたように、自分の足跡に沿ってついてきてくれるのも勿論嬉しいですけどね。

 

だから、少しずつ別々の道に分かれていく姉妹にとっての唯一の妥協点、「対等」な共通点でいてくれるスクールアイドルという夢に、彼女らだけの何よりの価値が生まれる。

 

 

 

 

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お互いがお互いを大切に想って、尊重し合っているからこそ、そこにどうしても見えない段差や壁は生じるものです。能力、環境、経験の差・・・色んな要因が絡み合ってそれは生じるのですが、無理に引っぺがしたり、押し倒したり、説き伏せたりすることが必ずしも正解とは限りません。

 

「これからは支え合っていこうね」遥ちゃんより先に彼方ちゃんの口からその言葉が出たのも、やはり姉としてかけてあげる言葉というのを実感していたのでしょうか。遥ちゃんが望んでいるものを一番に察知できるのは、他ならぬ姉のみですからね。そこはやはり彼方ちゃんにアドバンテージがあるのかもしれません。

ただ、「スクールアイドルになる時間が、お互いを対等に見ていられる」ということ、妹の気持ちを汲み、慮り、頼ることを気づかせてくれたのは遥ちゃんであり、姉としてまた一つ成長させてくれた妹というのは・・・それ即ち、お互いの足りない部分を補い合う、何よりも素晴らしい「調和」だとは思いませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

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今回の彼方ちゃん回は遥ちゃんという妹を交え、「家庭的な部分」という彼方ちゃんの料理スキルを最大限に活かすことの出来る描写方法がとても巧いと思いました。まーたこいつ巧い言ってんぞ。

まぁでもそれでいて実際に登場することの無かった近江母平等な愛情が手紙越しに伝わるというのは正直意表を突いたファインプレーでしたね。彼方ちゃんのお料理やお住まいを鑑みても庶民的な暮らしをしているのは事実ですし、ニジガクの親はせつ菜ちゃんの家庭よろしく厳格で格式高いなのばかりかと思わせない、暖かみのある置き手紙でした。別にせつ菜ちゃんが親に愛されてない、とかそういう話じゃないからね。

 

その辺も踏まえて総括。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の第7話、総括としては

 

91点です。

 

 

 

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ほぼほぼ何も言うことなしですね。近江姉妹という二人一組の描き方ではなく、彼方ちゃんが主軸、主観であり彼女の寝坊助が大好きな妹とスクールアイドルを全力で頑張る故の反動であるという掘り下げはとても丁寧でした。

かといって遥ちゃんが姉のペースに乗せられっぱなしというわけではなく、同じくスクールアイドルを夢見る者同士として、一度は姉を尊重するが故に決断を下すものの姉の努力の動機や立場、何事にも直向きな姿勢に気づき、自分が思い及ばなかった部分にそっと寄り添った上で姉への想いが移ろってゆく、というのはアニメラブライブ!の姉妹描写では唯一無二であり、30分で近江姉妹の起承転結がきれいにまとめられていました。

その間同好会は待ちぼうけという訳ではなく、大切なメンバーである彼方ちゃんの寝落ち癖が実はそういう事情が、という発見と、その彼方ちゃん自身が持ちかけた相談や遥ちゃんの決断に親身になって向き合ってくれたシーンもきっちり用意してあり、これまた今週も文句のつけようがない神回でした。

 

勿論ソロ曲のPVも彼方ちゃんらしい、独特にファンシーでだけど今まで通りじゃない、アニメ近江彼方としての掘り下げに準拠した、従来の夢の国調のファンタジーミュージックではなく新しい魅力と色気のある雰囲気が醸し出たEDMディスコを見事に演出してて思わずうっとり。当然のように毎回ソロ曲PV享受してるけどマジで感謝しております@制作スタッフ各位。

 

 

 

 

 

まぁ強いて言うなら、上述したように今回で近江彼方の全てが完結してしまっているように見えるのが、ね。

キレイにまとまりすぎてて、余白や延長線が見えない。これに似た感情をアニメ2期のことりちゃんに感じた記憶があります。これからずっと同じ材料で作り続けられるお菓子、みたいな存在に捉えられてしまいました。

あ、ちなみに今回のブログの記事のサブタイトルの「opéra」は歌劇のほうじゃなく、お菓子の方のオペラです。興味ある方は調べてみてください。きちんと今回のテーマに沿うように銘打ってます。

 

 

引き出しがもう全く無いわけじゃないと思うけど、もしアニメ2期があったらどうすんだろうねー、みたいなのをぼんやりと、ね。その辺がまぁ9点マイナスかなくらいです。明確に難癖をつけたいわけじゃないので悪しからず。この回だけに視野を収めると間違いなく100点ですので。

 

 

いやー今週も良いもん見せてもらった。地味にアニメラブライブ!では世代間で必ず姉妹像というのを描写されるのが面白い様式美なんですけど、同好会の中できょうだい持ちエマちゃん彼方ちゃんくらいですからね。そのエマちゃんのきょうだいスイスにいますから、実質彼方ちゃん遥ちゃんしか残ってないんですよね。自分はそれなりに仲の良い姉がいるからか近しくて遠い存在であるきょうだいの関係や確執を紐解くのが結構好きなので、今回もその絶妙な距離感を感じさせつつ、近江彼方の輪郭も色濃く描くという濡れ手に粟な快作回でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界で一番、「頑張る無防備」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

   

 

        (12500文字)

 

 

                              written by Sunny Road

 

 

 

前回、第6話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/11/14/113511