自由気ままに言葉を綴る

ただ自由に、思いつくままのブログです。

30分

金曜日の夜は、みんな、気持ちが軽くなっている。

 

ましてや3連休の前日の金曜日なんかは、

 

心が天国に飛んでいる。

 

嫁さんもしかり。

 

「洗い物はしなくていいから、そのままにしていて」と言い、娘と寝室へ行く。

 

普段は、食器を洗ってから寝るが、金曜日はそのままのことが多い。

 

「ああ。わかった。オレも疲れたから寝る」

 

と言いつつ、洗い物をするかどうか迷っている。

 

洗い物はおよそ30分。

 

その時間だけ少し頑張れば、明日の嫁さんは喜ぶのは目に見えている。

 

迷った。

 

その時間も30分。

 

 

入院1日目 意識戻り、微笑む

昨日、親父は意識が少しだけ戻った。

 

自分の名前も、グガグガしながら、言おうとしていた。

 

こちらの問いかけもわかったみたいで、

 

朦朧とした視線ながらも、申し訳なさそうな顔で微笑んだ。

 

いつもの親父だった。

 

あまり人に迷惑をかけたくない人だから「大丈夫だよ」と伝えたかったのかもしれない。

 

涙がこぼれそうだったが、親父に心配させたくないので、堪えた。

 

その動作に疲れたのか、親父は寝てしまった。

 

失語症になり、意識がない状態もありえたので、とりあえずはホッとした。

 

右半身麻痺の診断だったが、右腕も少しだけあがった。

 

さすがは親父だ。

 

絶対に負けないという強い意志を感じる。

 

こちらの言葉がわかるということは、これからはネガティヴな言動はやめよう。

 

笑いの作用は身体に大きな変化をもたらす。

 

元気がでたのは、親父だけではない。

 

私や家族みんなだ。

 

がんばれ。

 

 

顔が金色の僧侶

病院の待合室では、緊急で運ばれてきたご家族の方々が待機している。

 

私もその一画で横になる。

 

昨日はほとんど寝ていないので、いつの間にか寝ていた。

 

色々な夢をみた。

 

父が回復している夢。

 

そして、寺院の夢。

 

日本独特の仏教のお寺ではなく、中国の建造物のような石式の寺院で、

 

私は息子と娘を連れて、寺院の前に立っていた。この寺院にいるどなたかに会いにきたようだったが、誰かはわからない。けれども知り合いのような感覚。

 

すると寺院の扉が開いた。

 

そこからでてきたのは、

 

顔が金色の僧侶たちだった。僧侶は隊列をなし、数十人の群れで歩いていく。なぜかスーツを着ていて、全員、顔が金色に光っている。

 

その中の1人の僧侶が知り合いだったらしく、

 

私のほうをチラリと見て、少しだけ微笑んだ。

 

娘がその隊列に歩み寄ろうとしたが、私は娘を抱えて、それを制した。

 

僧侶は私と息子と娘を取り囲み、ジッと見ていた。

 

 

ここで、この夢は終わり、目を覚ました。

 

あまりにも不思議な夢だった。父の手術と関係があるのか。

 

僧侶やお寺の夢は、吉夢でもあり、凶夢でもあるという。

 

あの僧侶たちが父を守ってくれていると勝手に解釈している。

 

僧侶たちは金色に輝き、仏像のような顔をしていた。

 

きっと位が高い方々なのだ。

 

事態が良い方向に向かいますように。

父との想い出

おととい、父が倒れて、

 

昨日、手術をした。

 

手術は成功し、ひとまずの安心は得られたものの、父のこと、母のこと、これからのことを考えると気持ちが崩れそうになる。

 

ただ、手術を終えて、全身管だらけの父の眠り顔を見ると、少しだけホッとする。

 

母に入院の支度をしてもらおうと思い実家に帰す。今日は私が泊まると告げる。

 

前日はほとんど寝ていないし、待合室の椅子に横たわり、目をとじる。

 

幼きころから、ごく最近までの父が、ランダムに喜怒哀楽をまじえて動いている。

 

いつも、私たちのことや従業員さん、地域のために頑張っていた。

 

自分のことは後回し。

 

辛いことも、辛いといわず、笑顔で、人のためになることばかり、

 

せっせと、せっせと。

 

もう覚悟は決まったよ。

 

今度は私の番だ。

 

仕事があるから、ずっとはできないけど、父の介護は全力でやる。

 

いつもみんなのために頑張っていた父を、

 

世界一尊敬している。

 

早く良くなって、ハムでも、寿司でも、なんでも食べてくれ。

 

 

 

Too many people

 まだまだ世間的な逆風はあるのかもしれないか、私が長年、慣れ親しんでいたASKAのアルバムが最近、発売された。

  高校の時からチャゲアスのファンになった。ちょうど、TREEやGUYS、REDHILLなどがヒットしていた頃。オシャレで洗練された情緒豊かなメロディーに、思春期の私はちょっとした憧れを抱いたものだ。

  ASKAのソロアルバムには、秀逸なものが多く、とくにSCENEシリーズなどは、よくもこんなに女性の心理を描けるものだと歌詞カードの文字を追いかけながら、歌を口ずさんでいた。しかし、これらのアルバムの楽曲はあまりにも洗練されすぎていて、彼自身の等身大の魂の叫びみたいなものが薄かった気がする。

  後に、名盤、NEVER ENDを聴くことになるが、これぞ1人チャゲアスのようなバラエティー豊かな楽曲の宝庫。彼の言葉がリズミカルなメロディーに乗って、心と頭を包んでいくのがわかった。

 

 Too many peopleを聴いて、NEVER ENDを楽しんでいたあの頃の自分を思い出した。

 

1つ1つの楽曲が踊っている。

 

 時に楽しく、時に苦しく、時にASKAさんの心の葛藤を叫びながら。

 

 私にとって、青春時代はずっと前のことだと思っていたけど、アルバムを聴いて、俺だってまだまだこれからが青春だし、まだまだやってやるって思った。

 

 昔、憧れていたASKAさんは洗練されたポップなスターだけど、今回は1人の人間としての、ASKAさんの叫びを感じた。

 

 

 どんなことがあっても人間は前に進む。

 

 音楽のことはよくわからないけど、心に訴えかけるツールの1つに過ぎないとしても、私の心にはちゃんと届いている。

 

さぁ、息子の習い事の合間に、カーステレオを大音量にして、しゃぼんを唄うか。

 

 

 

 

 

 

 

憎しみ

それがいけないことは、

 

よくわかっている。

 

でも、憎しみに対抗する術は、

 

憎しみしかなく。

 

はなから分かろうとしない人たちの言葉に耐えてはいたけど、

 

あからさまに敵意をむき出しにしてきたら、

 

そりゃ、怒るだろう。

 

憎しみは何にも残らないね。

 

せめて、他人をわかる努力はしたいものだ。

 

そうすりゃ、せめて、

 

憎しみのほんの少しだけは、

 

なくなるかもしれない。

期待

昔は自分に期待していた。

 

夢はあるし、

 

必ず叶うと思っていた。

 

 

時はながれ、

 

子どもができ、

 

赤子がいつしか意志を持ち、

 

夢を持った。

 

いつしか、自分自身の期待は、

 

子に対する期待になり、

 

そっちのほうが大事になった。

 

でも、まだまだ、

 

自分にも期待します。

 

自分に期待しなくなったら、

 

人生つまらなくなるからね。