ShiNGo’s diary

適応障害の私が今まさに感じていることを書き連ね、変化が起こる事を期待しているブログです。

【気怠い出勤】ルーチンワークが崩壊した

崩壊したは言い過ぎですが、私は昨年8月に転職してから、毎朝起きなければならない時間の20分前に起きる事にしています。
どんなに前日疲れていても、20分前に1回・10分前に1回・本当に起きなければならない時間に1回、と計3回目覚ましをセットしています。

別に何をするわけでもないのですが、ではなぜ起きるようにしているのかというと、ただ寝ている妻の顔を見たいから、ただそれだけです。
その時間が私にとって大切で幸せな時間だからです。

『ほら可愛い』と思いながら、『この笑顔を守るんだ』『自分はこの人の為に生きているんだ』『二人で一緒に幸せになるんだ』『頑張ろう・頑張らなければならない』とモチベーションを高く強くする為に、気持ちを切り替えるために行って来ました。
私の中で「○○(妻の名前)補充タイム」をしていました。

そして今朝。

3回目の目覚ましで起きてしまいました。
ずっと1回目で起きていたのに、1回目と2回目の目覚ましには全く気が付きませんでした。
「ん?」と目覚ましに気づくと、もう起きなければならない時間。
『妻補充タイムが…』と思いながらいつものようにベランダでタバコを吸いながら思っていました。

『なぜ今日は起きられなかったんだろう…』
と落ち込みながらゆっくりとタバコを吸っている時に、今朝起きられなかった理由の一つを思いつきました。

『もしかして、もしかしてだけど、今の仕事の環境が合っていてストレスが軽減されている?』と。
ただ、メーカーの営業なので家に帰るのが22時位になってしまうこと、それによって平日は夫婦の時間が殆ど取れていないこと、これはストレスだな…とは思っていたのですが、もしかしたら心までは影響しない事案なのか?と考えました。

でも毎日夕方には急に寂しい・早く帰りたいという思いが溢れ、帰りは1分1秒でも早く帰って妻に会いたいという思いから最速の電車を選択しています。

なので勘違いかもしれない、ただ可能性の1つではある。
今朝のルーチンワーク崩壊でモヤモヤしながらの出勤です。

良い傾向?素直になれよ(いやいや、なれない)

今日。5/16。
約1年前に辞めた業界にメーカーという立場で戻って丁度1ヶ月が経った。

問屋だった立場がメーカーの立場と変わり、ある得意先様の本部で今日、バイヤーと商談を行なった。

今の会社は問屋を通しておらず、直で取引を行っている。

いくら業界経験者でこの得意先様と面識があるとはいえ、上司が「この本部はまかせる」と言った時は、私なんかに勤まるのかという思いがあった。不安だった。

問屋の当時は切れ者の上司が本部担当をしており、私はあくまで店舗担当だったので、バイヤーの方々を知っているとはいえ 不安と乗り越えたら何かが変わるかもしれないという期待でわけがわからない感情になっていた。
不安:期待=99:1くらいだった。

上司同行のもと、上司はただ横におり、商談は私が行った。

…そして、本部発注をいただくことになった。
新商品も各店舗の取りまとめの上、受注に至ることになった。

バイヤーが最後に「ShiNGoさんが業界に戻ってきた、そのプレゼントです」と言ってくれた。

今回の商談結果は勿論個人的な感情によるものではなく、決定した通常品が他の販売店で実績がかなりあったためであり、私はその商品力を伝えることに注力したまでであった。
あくまで商品力によるものだった。

上司は得意先を出た後「通常品の取りまとめは今までなかった。良くやってくれた。」と言ってくれた。

そんなプレゼントという個人的な思いを仕事にするはすはないわけで、社交辞令とわかりきったことではあるが、それでも「プレゼントです」とこじつけ、私を迎え入れてくれたこのバイヤーの「おかえり」という気持ちが素直に嬉しかった。感謝しかなかった。

危なかった。
嬉しすぎて泣きそうになった。
頑張ろう、と思えた。
明日以降の未経験の得意先へ飛び込む勇気をもらった気がした。

まだ不安はあるけれど。

 

今リラクゼーションの音楽をかけ、それが外から聞こえてくる自動車の走る音と混ざり、妻の寝顔を見ながら書いている。

 

至福のひととき。

【適応障害を足掻く】心穏やかになりたい

約一年前までいた営業のやり方がわからなくなっていて、なんであの頃は軽くやってこれていたのだろう、どうやっていたのだろうという混乱とこの先への不安と焦りが波のように襲ってきています。

そんな中今まさに出勤中の電車の中で思っていること。窓越しに映る自分の姿があまりにも酷かったので、今日は「そういえばこんな表情だったかも」と過去の自分を振り返りながら出勤することにしました。

『穏やかな心』に繋がると思ったから。
意図的に、しかし無感情に作られた笑顔ではなく、優しさを根底に持つような表情を作り込んでいくことにする。

具体的にどう行動するかというと、クラシック(曲名なんて知らない)を聴きながら、目の開き具合を90%ほどにし、若干目を凝らすように目元の筋肉に力を入れる。ほんの5%ほど力を入れる感じ。すると口角が少し上がるので、もう気持ち上げて出来上がり。

ちょうど無表情と笑顔の中間くらいを目指す。

そして宇宙から自分を見るように客観的に自分を見るよう努める。
そんな視点を持ちながら、心では「大丈夫大丈夫、死なないから」と極論を軽い気持ちで動物をあやすように自分に言い聞かせる。
すると更に客観的に見れるようになる。

と思う。

ちょっといい感じ。
今日はこれで行きます。

【HSPとは】今まで生きづらいと感じていた190513

私はHSPです。
HSPとは「Highly Sensitive Person」の略語で、1996年にエレイン・N・アーロン博士が考案したもので、ある特徴を持った人を表す言葉です。
また、HSPの子どもは「Highly Sensitive Child」HSCと略され、最近では書籍などでも取りあげられることが多くなってきているようです。
実際に調べてみると、何やら難しそうな説明がたくさん見受けられますが、シンプルに一言で説明すると
【繊細・敏感・感受性豊か】
そんな気質を持った人の事を示します。
まずはじめに、HSPは病気や発達障がいの類いではありません。
発達障がいの子どもは人の気持ちを酌むのが苦手なことが多いのに対し、HSPは逆に人の気持ちに気づきすぎるといわれています。
あくまで【繊細・敏感・感受性豊か】な気質を持った人の事を示したもので、5人に1人はHSPだと言われています。結構な数ですよね。
どのHSPにも共通するのは、
1.心の”境界線”がもろい
2.疲れやすい
3.刺激に敏感
4.人の影響を受けやすい
5.自己否定が強い
6.直観力がある
ということ。

病気ではないため、治るということもありません。
ということは、もううまく付き合っていくしかないのです。
最近出逢った一冊の本が私を良い方向に導いてくれそうです。
発想の転換です。
多分健常者?の方は一気にこのプロセスに飛べるのでしょう。羨ましい限りです。
こういうブログで掲載していいものなんですかね?
是非紹介したいのですが…


ネットを見ると、どのホームページにも所謂チェックリストがあり、下記の内容となっています。
1.自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気づくほうだ
2.他人の気分に左右される
3.痛みにとても敏感である
4.忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋など、プライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所にひきこもりたくなる
5.カフェインに敏感に反応する
6.明るい光や強い匂い、ざらざらした布地、サイレンなどの音に圧倒されやすい
7.豊かな想像力を持ち、空想に耽(ふけ)りやすい
8.騒音に悩まされやすい
9.美術や音楽に深く心動かされる
10.とても良心的である
11.すぐにびっくりする(仰天する)
12.短時間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
13.人が何かで不快な思いをしているとき、どうすれば快適になるかすぐに気づく(たとえば電灯の明るさを調節したり、席を替えるなど)
14.一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
15.ミスをしたり、物を忘れないようにいつも気をつける
16.暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
17.あまりにもたくさんのことが自分のまわりで起こっていると、不快になり、神経が高ぶる
18.空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる
19.生活に変化があると混乱する
20.デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
21.動揺するような状況を避けることを、普段の生活で最優先している
22.仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できない
23.子供のころ、親や教師は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた。

12個「はい」に該当するとおそらくHSPに該当するそうです。ちなみに私は20/23という結果となりました。
5番と6番と23番以外は該当しました。
それぞれのリストへの私の場合は、

1.自分を取り巻く環境の微妙な変化によく気づくほうだ
➡︎女性の髪型や化粧の仕方の変化に見た瞬間気付く。
あれ?指輪してる?とか、しなくなった?とか。
この人今日は何か様子がおかしいな(機嫌が悪いな)、そっとしておいた方がいいかな。etc

2.他人の気分に左右される
➡︎『そういう考え方もある。否定はできない』となり、自分の考えがブレる。

3.痛みにとても敏感である
➡︎おかげで完治まで長い時間を要する。

4.忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋など、プライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所にひきこもりたくなる。
➡︎余裕で一生ニートでいられるほど閉じ込められた環境が性に合っている。

5.カフェインに敏感に反応する
➡︎❌特にそう感じたことはない。依存はしている。

6.明るい光や強い匂い、ざらざらした布地、サイレンなどの音に圧倒されやすい❌
➡︎特にそう感じたことはない。綺麗であれば布地に拘りは全くない。

7.豊かな想像力を持ち、空想に耽(ふけ)りやすい
➡︎1人の時間はもっぱら妄想してしまう。もしも宝クジが当たったら…という誰しもが思うことも、具体的にどう使うか文章にしてある。

8.騒音に悩まされやすい
➡︎無用な音に「なぜこんな音を出すのだ」と思ってしまう。

9.美術や音楽に深く心動かされる
➡︎感動で涙が出てくる。その才能が羨ましく、それに引き返え自分ときたら…と落ち込む。

10.とても良心的である
➡︎人は元来良い人である、という性善説に近い思想をもっており、裏切られることが多々ある。自分がされて嫌なことは絶対にしないという『自分ルール』があり、この自分ルールを頑なに守ろうとするのも適応障がいの特徴らしい。

11.すぐにびっくりする(仰天する)
➡︎このまんま。予想をしている場合は驚かないが、その範疇を超えると本当にびっくりする。

12.短時間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
➡︎完全に1人の時は順序立てて効率良く作業ができるが、周りに人がいると焦ってしまい、結果遅くなる。執拗に確認をしてしまう。

13.人が何かで不快な思いをしているとき、どうすれば快適になるかすぐに気づく(たとえば電灯の明るさを調節したり、席を替えるなど)
➡︎この人は今どういう気持ちでこういう態度や言動をしてしまっているのかわかる。
わかりすぎて気持ち悪がられたり「いいよ、大丈夫だよ」とよく言われてしまう。結果何をすべきなのかわからなくなってしまう。

14.一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
➡︎12番同様。

15.ミスをしたり、物を忘れないようにいつも気をつける
➡︎「財布・携帯・タバコ・ライター・鍵・定期・指輪・時計・名刺」と毎朝呟いて確認している。
呪文のようにこの言葉が染み付いている。

16.暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
➡︎見ているこっちが本当に痛くなる。ゾワゾワして見ていられない。

17.あまりにもたくさんのことが自分のまわりで起こっていると、不快になり、神経が高ぶる
➡︎12番、14番に近い、

18.空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる
➡︎空腹時は特に症状はなく、私の場合過食になってしまい体重が一気に増加してしまった。集中できない時は文字通り頭が真っ白になったりしてしまう。

19.生活に変化があると混乱する
➡︎安定をとにかく好む

20.デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
➡︎昔から香水が好きで、その匂いで当時の思い出が蘇ってくる。音・音楽も同様で、一度好きになるととことん聴きまくる。

21.動揺するような状況を避けることを、普段の生活で最優先している
➡︎19番と同じ。

22.仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できない
➡︎外出先の携帯への電話は取れるし、出れなかった場合必ず折り返すが、社内でのオフィス電話では周りの人に聞かれていると思うとなかなか電話を取れない。

23.子供のころ、親や教師は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた。❌
➡︎自分で言うのもあれだが、優等生でスポーツも万能だった。今となって思うに、そうなるように演じてきたのかもしれない。

今まで漠然と生きづらいと感じていた私ですが、HSP気質による適応障がいと心療内科で診断されてから「私はこういう人間なのだ」とある意味私の居場所を教えてくれたようで、救われた思いがしました。
障害を障がいと記載するあたり、私自身まだ障害という言葉に偏見を持っており、まだ要らぬプライドを持っているのかもしれません。
そんな器が小さい私を人は優しいと言います。
そんなことないのに。ただ臆病なだけなのに。

私という人間は一体なんなのだろう。
他に同様の人がいるのならば、その方達はどうやってうまく付き合っていっているのだろう。
社会的にどういう立ち位置にいるのだろう。
その場所を見つけることで安心したい。
という思いで勉強しています。

私に合う仕事があるなら、他者の役に立てるのなら、そういう仕事に就きたい。
この年で、そんな仕事があるのかもわからず、ただただ現状の自分に幻滅しています。

まだまだ本当に学習しだしたばかりなので、解決はしていませんが、HSPというフォルダの中に【私の心を置く平穏な場所】があるようだという目的が生まれたため、ささやかながら気持ちが落ち着きはじめてはいます。
根本的な解決法はあるのかないのかまだわかりません。
適応障がいが治るのかもわかりません。
ただ私は妻を守るため、夫婦の未来のため、自分の居場所を見つけたいだけなのです。

【上司に病気の事を伝えた】翌朝、出勤時の状態記録190510

妻がが「小さくてふわふわ揺れてて、あたしみたい。名前なんだろうね?」と言っていたナガミヒナゲシ
花言葉は「心の平静」「なぐさめ」「癒し」。
微笑みながら話した君の何気ない一言で私の世界が一変する。
途端にナガミヒナゲシが愛おしく見える様になった。
普段何気なく見て通り過ぎていた花が、愛おしく見える様になった。

朝の通勤電車に乗り、立ち寝をするふりをするようにゆっくり目を閉じて、心の場所を安定させる。
朝起きたばかりの時は、「昨日の晩飲みの席で遂に首を覚悟で病気の事を話した。話してしまった。『面接の時に話してくれなかったのはまずかったけど、だからといって今どうこうすることはないよ』と言ってはくれたものの、話してスッキリすると思ったのにこの後悔・心が不安定なのはなんだろう。本当はどう感じたんだろう。厄介なのを入社させてしまったと思われただろうか」とまずい状態になっていた。

ナガミヒナゲシを見て、少し落ち着いた。
ほんの少しだけど、それでも心を安定させるきっかけには十分だった。

週末前の気分の低下のあれと同じだよ。
他の人と変わらない。
なんて変な予想を自分に言い聞かせるくらいの余裕が生まれた。

 

今週ラスト、程々に頑張ろう。

【適応障害】これまでの経緯190509

これまでの経緯を自分なりにまとめます。

そうする事で自分を見つめ直し、心の整理ができればと考えています。
長文ですので読みづらかったらすみません。

何か書き方や文章の構成でこうした方がいいとあれば遠慮なく仰ってください。

勉強になるので是非お願いします。


そもそもはじめたてなので読まれることはないと気楽に思って、とりあえず形式に拘らず書いていこうと思います。

 

 

…私は小さい頃から心の片隅で『他人とは違う』と感じていました。

それは『他の人より優れている』という考えではなく、『他の人より劣っている』という考えでした。

• 何をするにも深く考え過ぎてしまう。
• ふとした些細な仕草や発言が敏感に伝わってしまう。
• その仕草や発言の意図を模索してしまう。

そして様々な対応策が生まれてしまい、すぐ最善の対応策が選択できれば良いものの、本当にそれでいいのか、そもそも正しい事とはなんだと原点回帰してしまうことまでありました。

結果何も言えない・行動できなくなってしまうことが多々起こってきました。
「考え過ぎだよ」とよく言われてきました。

この経緯は幼少の頃からの厳しい家庭環境や、いじめを受けていた中高校生の頃の影響かなと思っています。

私の両親は教育に熱心でした。
父母とも地方から高卒で東京に出てきて働いてきたので自分の子供には教育を受けさせたかったのだかもしれません。とにかく厳しい家庭でした。

何か私がミスをすると母親は布団叩きで私を殴打してききました。
未だにフラッシュバックするのですが、畳の部屋で布団叩きを手に持つ母親を前に、後ずさりをしながらペタンとお尻をつける自分。
後ろに後ずさり押入れに背中が当たると『もう逃げられない』と幼いながらに覚悟を決める、そんな思い出があります。

虐待といえば虐待かもしれませんが、当時の本人としては「私が悪いんだ。ごめんなさい。ごめんなさい。お母さんの理想の子供じゃなくてごめんなさい。」と思っていました。
そして両親の顔色を常に伺う様になっていったのです。
どうしたら母親の機嫌を良くすることができるだろう、どうしたら褒めてもらえるだろう、という考えから承認欲求が強くなってしまいました。

そして嘘つきになりました。
その場しのぎの事を言うようになってしまいました。

中高になると私は『嘘は言ってはならない』と強く思うようになりました。
自分が許せなかったのだと思います。
そしてそれを忠実に守り抜くことにしました。

嘘は言わない。
でも本当の事も言わない(なんでしゃべったと言われない為)。

周りからは口が固い人間だという認識に至ったのだと思います。
そして中高生にはその場しのぎの事を言っているということが伝わったのでしょう。
たちまちいじめの対象になりました。
私立でありがちな、陰湿ないじめでした。

私は何より両親を不安にさせたくなかったので助けを求めることが出来ませんでした。

地獄だった。
死のうと何度も思った。
でも臆病者なのでできませんでした。

…大学生になりアルバイトを始めてから、周りの人間関係が一新し虐められることはなくなりました。

大学は良くも悪くもなかったのですが、アルバイト先は本当に居心地が良かったのを覚えています。

色々考えてしまうことは相変わらずでしたが、決断し発言をするようにしました。
正解かはわかりませんが。

そして商社で勤めはじめ、アルバイト時代から10年程付き合っていた現妻と結婚をし、順風満帆とはいきませんでしたが慎ましく暮らしていました。

私はその商社への不満がありました。
端的に言うと給料です。
年収400万に満たない生活で、業界の景気と周りの人を見る限りこの先昇給も見込めませんでした。

私は何よりも妻を優先していました。
妻の笑顔を見たくて常日頃から努めてきました。

そして昨年の5月から本腰を入れて転職活動をし、昨年8月に退社、OA業界に入りました。
ところが、残念ながら転職は失敗しました。

転職支援会社の方の話しと全く異なっており、その入社した会社で半分精神を病んでしまいました。
1〜3年放置していた既存のお客様の深耕と聞いていたのですが、あまりにも評判が悪く、お客様のはずなのにお伺いする度に怒号を受けました。
そしてある日、急に過呼吸を起こしてしまい仕事ができなくなりました。

妻の父親は経緯は違くとも仕事のストレスから精神の病にかかり床に伏せ、胃癌を患い、辛い気持ちを言葉にしないまま突然8年前、自宅で朝方亡くなってしまいました。
堪え難い苦痛であっただろうに、言葉に出さずに自宅で亡くなりました。
癌だった事は亡くなってから知りました。

この忘れてはならない過去を忘れてしまう程、私はおかしくなってしまっていました。

妻の為に、子供が欲しいと言わなくなってしまった妻の為に、言わない状況にさせてしまった現状を脱却するために転職したにも関わらず、自分でもおかしくなっている事に気づけず、ある日突然この歳でふと妻を抱き締めた際に涙をこぼしてしまいました。

自分もお義父さんの様に心の病気になるかもしれませんでした。
実は妻はそれをとても恐れていました。
なのに、ただただ抱き締め返してくれていました。

何と言えばいいのかわからなかったそうです。
妻も苦しんでいました。
私は自分が妻にしたかったことのまるで逆をしてしまっていました。

妻は父親が亡くなった時も涙を流さなかったのに、初めて涙を流しました。

「お義父さんと同じ思いはさせない」と誓い、
妻は「それだけはお願いします」と懇願しました。

最終的に嫁からの「しばらくはなんとかなるから、明日にでも辞めていい」の言葉から辞めました。

転職エージェントの方も「そんな会社だとは把握しておらず、大変申し訳ございませんでした。ShiNGo様の職歴が汚れてしまった事は全力で次の就職先へ説明し、フォローさせていただきます」と言っていただけたものの、中々信用が出来ず仕舞いでした。

そうして1ヶ月ほど療養し、いつまでも休んでいられないので本腰を入れ始めました。
手始めに商社の頃の仕入先だったメーカーの方々に恥を忍んであてはないかメールでお伺いを立てました。
ところが厳しい業界のためと、私の年齢もあって全滅でした。

そんな時です。
昔の友で現在取締役をしている人が、建設業者の空調業界で所謂職人の仕事をしないかと声を掛けてくれました。
私は藁をも掴む思いだったのと、やはり運命はあるのだなと思い、喜んで受けてしまいました。

ですがこれも言っていた事が違っていました。
毎朝4時起きで定休は(日)(祝)と聞いていましたが出勤することが多々起こりはじめ、代休もなく20連勤は当たり前になりました。

単純に人が足りておらず、そこに丁度私を見つけ、捕まえた様です。
そう白状されました。

こちらは単純に体力の問題であり、精神的にはそんなにやられていませんでした。
ただ、日曜の義母の介護が出来なくなるとなると話が違います。
夫婦の時間もほぼ皆無となってしまいました。

そしてある日、妻が倒れました。
実は片耳が聞こえ辛くなっており、そこからメニエール病を併発したようで、平衡感覚を失ったような気持ち悪くなる症状が起こってしまいました。

また。
また我慢させてしまっていました。
もう片耳は治らないそうです。
生死に関わる程ではないものの、私からしたらその状況は地獄であり、ドン底にいる状態でした。

そんな時に連絡をしていた商社の頃からのメーカーさんから「うちじゃないんだけど、人が欲しいと言っているメーカーがあるんだけど、話だけでもどうかな。」という連絡を頂きました。

空調業界で働きながら同時進行でそのメーカーと会い、話をしました。
トントン拍子に決まりました。

ある日その空調業界で仕事中に骨折をしてしまいました。なのに出勤しろと言われました。
いや、手を骨折してて出勤って無理だろと思っていました。案の定役には立たず、あっという間に落ちていきました。

骨折を理由に会社を休み、人生初の心療内科に行ってきました。
軽度のパニック障害HSPによる適応障害と診断されました。(HSPに関しては後日別でお話しします)

数ヶ月に一度、決まって朝の通勤の電車の中で急に息苦しくなり脂汗が出て意識が遠のいていき立っていられなくなることがあったのはパニック状態だったからだとようやく判明しました。

診断で、「本当に何でもないですよ」という言葉を期待していました。
そうすれば「なんだ、ただ落ち込んでるだけだ。健康なんだ」とわかったはずなので。

ところが実際に適応障害と診断されるともうダメでした。
熱っぽいからと熱を測った結果本当に熱があった時に途端に体調が悪くなる、あの身体の感覚の心バージョンでした。

適応障害と診断されるまではこのHSPという言葉は知りませんでしたが、この性格(気質)とはうまく性格と付き合ってきたと思います。
『確かに考え過ぎかもしれない、けれど人の気持ちを考えない方が私には考えられない。そんな人間にはなりたくない』という考えが私の根底にあったからです。

そして先月16日から上記の元の業界のメーカーに勤め始めました。
既存の知っているお客様には会ってお話しして全く問題ないのですが、今まで知らなかった方、行ったことのない店舗へ取引先とはいえ飛び込みのような形式でお伺いするのは本当に辛いものです。

過去に知っているメーカーさんに同行してみるのがいいかなと思っていますが、まだ実行できていません。

まだ周辺設備が整っておらず(PC配給がまだ)、本格的に仕事は始動はしていません。

今後どうなるのか不安な5/9現在です。

商社を辞めてから怒涛の8ヶ月で正直いっぱいいっぱいです。


今日飲みに行こうと言われました。
上司2名とです。

2人ともとても良い方です。

なので期待に応えたい。

ところが私はこの2人と会社に適応障害のことを伝えていません。

OA業界の時に半分病んでしまったとは面接の際に伝えましたが、軽度パニック障害及び適応障害のことは伝えていないのです。

面接の時に「はっきりとした病名はあるのですか?」と言われたら答えようかと思っていたのですが、聞かれなかったため伝えていません。

言えば不採用になってしまうという恐怖から言えませんでした。

ずるい男です。

 

ですが今日、首覚悟で言おうと思います。

「そんな事なら違う人を入れた」と言われたらそれまでです。

怖いです。
物凄く怖いです。

でも、このままだとまずいとも思うので伝えます。

どうなるかはわかりません。

帰れば妻がいる。
今から6時間後には妻に会える。
ただその救いのために、頑張ってきます。

 

読み返すととてつもなく酷い文章ですね…。

後半は文章が単調になった上に支離滅裂。

我ながら「まとまってないじゃん」と思います。

今日の帰りにでも読み返し、修正できる時にしていきます。