なんでこんなこと考えちゃんだろう

世の中に対する疑問と自分なりの回答を発信していきます

真実の愛ってどこにあるの?

学生時代はただ純粋に好きという気持ちだけで動けていたのに。

社会人や結婚間近な人がこうつぶやいた。

 

 

確かに、大人になればなるほど様々な要素で人を判断するようになる。

年収

会社名

両親との関係

住んでる場所

将来性

女関係のだらしなさ

子育てに向いてるかどうか

 

 

様々な要素が判断材料になる

これは恋愛関係だけでなく、誰と付き合うべきかという人間関係においても損得勘定がより出やすくなってしまう。

 

 

悲しいことだが、致し方ない部分もある。

誰を信じて、誰を疑えばいいのか、見当がつかなくなる。

 

 

心から信じあえる人、自分のありのままの感情を伝えられる人なんて意外と数人だったりする。

 

 

 

お金目当てで結婚した女は結局結婚生活うまくいかないまま離婚していく。

顔で選んでしまった男はわがまま具合に悩まされて金と子供を取られて逃げられる。

 

 

そんくらいひどいことが当たり前に起こるこの世の中ではふと真実の愛ってなんだ?と考えるようになる。

 

 

家族が真実の愛だと思っていても、世の中には恵まれていない家庭で生まれる人だってたくさんいる。

家族を愛していたのに駆け落ちをして家族を裏切る人間だっている。

仕事ばかりで家庭を顧みない人間だっている。

 

 

そうなると家族だから、血が繋がっているからといったことが真実の愛を証明する理由にもならなくなってしまっている。

 

 

 

真実の愛ってなんだろうか。

本当の意味で人を愛するってなんだろうか。

利害関係関係なく自分を大切にしてくれる人はどれだけいるのだろうか。

 

 

 

永遠のテーマといってもおかしくないほど、この問題は難しい。

しかし、まずは自分自身が他人に無償の愛を注げないといつまでたっても探し求めている答えは手に入らない。

それだけはわかる。

 

 

人を信じ、裏切られる。その繰り返しの中で本当に信じられる人に巡り合う。

そういうことでしか、むしろそういう人には出会えないんじゃないかとさへ思う。

 

 

もしかしたら人生とは真実の愛を探す旅なのかもしれない、そんなことを思うくらい真実の愛は探すのが難しい、宝石箱のようなものだ。

 

なんで人は恋に落ちてしまうんだろうか?

男子校出身だった自分は、高校時代に女子校に通う女の子に恋をした。

急に胸のあたりがズキズキと痛くなっていく。

 

 

彼女はただ自分に微笑みかけただけなのに。

こんな威力のある攻撃があるのかと自分でも疑うくらい、胸が痛くなった。

結局その子と付き合った。

こんな楽しい時間を人間は送ることができるのか、毎日が幸せな気分になる。

これが恋なんだと学んだことを鮮明に覚えている。

 

 

 

大学ではたくさんの女の子と関わるきっかけが増えた。

だんだん、胸のドキドキにもなれ、すぐには胸がドキドキすることはなくなった。

不意に可愛い子だなって思う女の子にどきっとさせられることは多々あったが。

 

 

 

なぜ人は恋をするのだろうか。

なぜ人を好きになることはこれほど楽しく、また切ないのか。

 

 

多くの人が恋で幸せを感じ、恋で不幸になる。

そのくらい恋愛というものは大きな力を秘めている。

 

 

それなのに学校では何一つとして教えてもらえない。

男から口説かなくてはいけないという風潮があるのに父親から女の子の口説き方を教えてもらうわけでもない。

 

 

獲物の取り方がわからないライオンの赤ちゃんは親のライオンに獲物の狩りの仕方を学ぶ。

なのに、人間は女の狩りの仕方を学ばない。

 

 

そんなことを考えている間に歳を重ねて、気づけば日本では少子高齢化が叫ばれるようになった。

自分からすれば当たり前の話だなって思った。

 

 

草食系男子という言葉が流行ったが、狩りの仕方がわからないただの男の子というだけの話だ。

誰かが狩りの仕方を教えれば済むことを誰も教えない。

 

 

運よく、狩りの仕方を知っている人間を友達にできれば狩りを実行することができる。

そんくらい恋愛は運要素が強い。

特に男はそうだ。

 

 

ま、そんな現実社会の現状はここまでにしておいて、なんで人は人を好きになるのか。

それは子孫繁栄の本能にあった。

 

 

恋愛状態はただの脳のバグである。

こんなにも多くの人口がいる人間がいちいち自分に本当にあった異性を見つけるには時間がかかりすぎる。そのため、恋愛という脳のバグを起こさせ、この人しかいないという信号を送ることでそこで恋愛感情が芽生え、愛を育み、子孫繁栄をしていく。

 

 

面白いくらい、恋愛の本質はシンプルなものだ。

男は美人でスタイルのいい女を見ては興奮する。

それは男は視覚で子孫繁栄に有利な女を見抜くからだ。

 

 

一方女性はより慎重に判断をする。

子供を授かるため、優秀な遺伝子の持ち主かどうかチェックする必要があるからだ。

そのため、女は細部まで男を観察する。

 

 

見た目はもちろんだが、総合点でこの男の遺伝子をもらうのにふさわしいかを判断する。

そのため、男は後天的努力でモテるようになれる。

 

 

これが恋愛の全てだ。

こんな簡単なことを授業で一切教わらない。

おかしな話だ。

 

 

そして、このシンプルなゲームをリタイアしていく人が増えているため少子化はどんどん加速してしまうのだ。

 

 

一部の男と女だけが幸せな思いをし、それ以外は僻んで死んでいく。

なんとも残酷で悲しい現実だろうか。

 

 

しかし、これが生態系の本質でもある。

そうならないためにも自分を磨き、遺伝子として優秀であることを男も女も証明し続けなければいけない。

 

 

恋愛ゲームを攻略し、新しいステージへ駆けめぐれるように優秀な遺伝子を持つ男になり、多くの美女がから求められる男へ成長していく。

一つの男のロマンが恋愛には詰まっている。

 

 

ただ、それは序の口だ。

モテたからって幸せになるわけではない。

モテることでたくさんの異性を幸せにし、その異性から幸せにしてもらうことで初めて本当の幸せが手に入る。

 

 

その次元に早く行けるように日々精進が大事だなと思う。

 

 

ちなみに、優秀な遺伝子の特徴は3つある。

それが

安定性

多産性

正確性

 

安定性は免疫力があるかどうか、つまり健康な体を維持できる遺伝子を持っているかどうかである。

そのためにも肌を綺麗にし、適度に運動をして体を鍛え、健康を本能にアピールする必要がある。

ただ、やりすぎはかえって逆効果であるため、程よい筋肉をつけるためのトレーニングがおすすめだろう。

 

 

多産性についいてはシンプルにモテる奴がモテる。

モテる遺伝子が優秀であることはいうまでもないだろう。

そのため、モテたければモテないとダメなのである。

果敢にきになる異性にアタックし続ける男が結果的にモテるのはこの原理に基づくからである。

アタックし続ければその分、付き合ってもらえる確率は格段に増えるからだ。

行動しなければ絶対にモテるようにはならん、イケメンは除くがな。

 

 

そして正確性。

これはイケメンや美女がモテる理由がここにある。

左右対称な顔つきはイケメンや美人には多く見られる。

そしてその左右対称性が遺伝子のコピー能力に比例し、正確な遺伝子を持っていることのアピールになるのだ。

 

 

だからイケメンや美人を見た瞬間に発情してしまうのだ。

現実世界で起こっていることも生物学を通じて紐解いていけば論理的に説明できる。

 

 

それが学問を学ぶ面白さなのかもしれない。

この本質を学び、恋愛をマスターできればより幸せな人生に近づくのではないかという淡い期待が学習意欲をそそるのだ。

 

優秀な遺伝子を持つ男を目指して今日も自分を成長させる。

人生の軸を持てって?

自分の登る山を決めろ!

ソフトバンク社長孫正義氏はこう語る。

 

 

コネクティングドッツ

人生は目の前のことを一生懸命やっていく中で最後に点と点が繋がるんだ

ステーブジョブズ堀江貴文氏はこう語る。

 

 

どっちが正解とかではなく、どっちも正解なのだろう。

現に上記の人らは成功者としてこの上ない実績を残しておられるから。

 

 

しかし、我々凡人にはどうも響きにくい。

自分の登る山なんて何もわからない人間が決めれるのか?

目の前にあることが将来何かの役に立つとは到底思えないのではないか?

 

 

すぐに否定から入る癖をやめようと心に誓っておきながら、どうしても否定せざるを得ない成功者の数々の言葉たち。

 

 

いつからこんなひねくれてしまったのだろうか。

これがいわゆる大人になったということなのだろうか。

 

 

 

こんなにも人生を全うすることは難しいとは思いもしなかった。

しかし、それでも幸せで後悔しない人生を歩むことを諦めてはいけないのだ。

 

 

今や、大企業につけば安泰だという時代でもない、

ベンチャーで力をつけようという謳い文句で入ったベンチャーで過酷な労働を強いられている人も数多くいる。

フリーランスの時代だとテレビに煽られ、実力もなく儚く散っていく人間もいる。

 

 

成功者なんてごく一部だ。

その通りである。

でも諦めず取り組んだからこそ成功者になれたというのも事実であろう。

 

 

 

そして何よりも、世間でいう成功者になることが本当の自分の望みなんだろうか?

様々な問いを自分に投げかけては違う、その繰り返しをしてきた。

 

 

気づけば大学も終わりに近づき、就職しなければいけない状態まで追いやられてた。

人生について必死に考えてきたつもりなのに、何も進んでいない。

考え始めた頃と何も変わっちゃいない。

 

 

時間を浪費した感が半端じゃないが、考えずにはいられなかった。

 

 

 

どうしたら良いのだろうか。

人生の先輩に聞く。

本や実際の社会人に会って話を聞いてみる。

 

 

しかし、どこにも自分が望む答えなんてのはない。

人生について考えている間に死ぬのか。

ふと悲しくなる。

 

 

考えすぎな自分をすごくすごく恨む。

一人で殻に閉じこもっている自分がすごく醜い。

 

 

 

そんな中、ふと友達に誘われて行った飲み会は楽しかった。

あれ、考え事してた時に飲み会行ってればこんな楽しい時間を過ごせたんかな。

そんな単純なことに気づかされた。

 

 

要は難しく考えても正解なんてのは出てこないんだから、もっと気楽にどうしたら楽しい時間が増えるのかを考えることに時間を費やした方がいいってことを友達が教えてくれたんだ。

 

 

人生の軸?

登る山?

 

 

そんなのはわかりっこないけど、楽しいな、幸せだなって思える瞬間を増やすことを意識して生きること。

それが立派な生きる軸でいいんだなって思えたんだ。

 

 

 

どうして大人は夢をもたくなるのか?

子供の頃、多くの人は夢を持っていた。

サッカー選手になりたい

パティシエになりたい

野球選手になりたい

 

 

様々な夢を持っていた。

それなのに、大人になると現実を見たせいか夢を持たなくなってしまう。

 

 

この疑問を持ち始めたのは就職活動を意識し始めた時のことである。

あなたは何になりたいの?

どんな仕事に就きたいの?

 

 

こういう母親の言葉から将来を数ある職業の中から選ばなくてはいけないのだと悟った。

小学生の時は堂々とサッカー選手になりたいとぼやいていた自分が気づけばサッカー選手になれるのは一握りの人間だけだと薄々気づくようになり、だんだんとサッカー選手が夢だと声を大にしていうことに恥ずかしさを覚えていた。

 

 

周りの人間も皆そう。気づけば、

大企業で働いて家族を持ちたい

専業主婦になりたい

お金持ちと結婚したい

独身でいいからそこらへんのアルバイトを転々としてたい

 

 

様々な将来を語るがどれもキラキラした夢とは程遠い夢ばかりだった

いや、もはや夢でも何でもない。

ただ、周りがやってるから、親がそういうからといった理由で人生の大事な選択をしてしまっているのだった。

 

 

かくいう自分もその中の一人だった。

夢もなく、でも本やテレビではすかさず

夢を持て夢を持て!

生き生きした人生を送れ!

 

 

などといった成功者の言葉に揺れ動かされる日々だった。

自分はどうしたいのか

自分の人生を後悔しないためには何をすべきなのか

 

 

 

世の中のことも知らず、現実世界をただ受け入れるしかない大学生の自分には究極の選択を迫られる恐怖でしかない。

それが就職活動だった。

 

 

働く人はキラキラしてるかと思えば、仕事の楽しみは休日と口を揃えていう。

何のために働くかと聞けば、当たり前かのようにお金のためと答える。

 

 

自分が描いていたキラキラした人生とは程遠い世界がこちらの現実にはあった。

馬鹿らしく昔のように生き生きと夢を語る同級生もいたが親に止められ、周りにも馬鹿にされ、結局皆と同じような選択を取ってしまう。

 

 

ただ、こんな現実をいやだいやだと嘆きつつも、自分には新しい一歩を踏み出す勇気がない。

起業を試みた友人は悪徳商法に引っかかり、人生を台無しにしてしまった。

成功者ばかりが目立つこの世の中であるが、その陰にはたくさんの失敗者がいることを忘れてはならなかった。

 

 

結局どっちの道に進んでもメリット、デメリットがある。

そんな誰でもわかるような、当たり障りのない結論が自分を皆と同じいわゆる「普通」の世界へと導くのであった。

 

 

夢って何だろう。

キラキラした人生って何だろう。

後悔しない人生って何だろう。

 

 

考えたってわからないし、考えている時間も今の大学生活しかなくなるだろう。

気づけば歳をとって、結婚をして、子供を授かって死んでいく。

子供を育てるために自分は生まれてきたのかなってふと疑問を持ってしまうときがある。

 

 

何のために生まれてきたのか、そんな問いには答えはないはずなのに。

なぜか無性にこの問いに対する答えを欲してしまう。

 

 

自分はどんな人生を歩むのだろうか。

気づけば死んでいくのだろうか。

あぁ。なんと人生というものは難しいのだろうか。

 

 

凡人の自分に生まれてきたことを何よりも悔しく思う。

こうやって多くの人は自己肯定感を低く持つのだろう。

 

 

自己肯定感が低い人間はとことん幸福度が低くなる。

こんな自分が、と人生で起こる悪い部分ばかりに目をやってしまう。

この自己肯定感の低さの要因はこの世界にあるのではないだろうか。

この社会にあるだろうか。

 

 

環境のせいにしてしまいたくなるほど

この世の中は人間を苦しめているように思える。

世間体、他人の目。

気にすればするほど自分が辛くなっていくのを多くの人が経験しているだろう。

 

 

みんな一緒の考え方、そんな世の中を嘆きながらも何もできない自分に嫌気がさし、刻々とまた自己肯定感が低くなる。

 

 

ただ幸せに生きたいだけなのに。

こんな人生なら終わりにしてしまいたい。

そういう思考回路で命を絶っていく人もいる。

 

 

物事の考え方ひとつでここまで変わるのだ。

世間体的には成功者と言われる人間だって自殺する世の中だ。

 

あぁ。こんな世の中がもっといい方向に進んでくれればいいのに。

手を合わせて七夕にお願いをすることしかできない自分をどうか許してくださいませ。