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童話「3匹の子豚」から見えてくる、ル・コルビジェの建築のすごいところ

7月17日、フランスで活躍したル・コルビジェの建築物17作品が世界遺産登録されました。日本では、東京・上野にある国立西洋美術館がそれにあたります

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大学時代、彼についてレポートを作成したこともあり、知見があったのですが、周りの友人たちはル・コルビジェって誰?」という反応。

そこで今回は、童話「3匹の子豚」を用いて、ル・コルビジェの建築について説明したいと思います。

 

■「3匹の子豚」をおさらいしつつ、オトナの目線で読んでみる
昔むかし、あるところに3匹の子豚が住んでいました。
そして3匹は成人になると家から独立して私有財産を元に、それぞれ家を建てました。
わらの家、木の家、レンガの家。

しかし、引っ越し祝いを終えて間もない頃、一匹の金融業者・オオカミが現れます。
どうやら、わらの家の主・末弟が友人の借金の保証人となっており、30万の借金(金利月20%)14ヶ月転がし済の385万の肩代わりをしなければならないというのです。

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「エスポワールに乗るか、このわらの家を売れ」
末弟は涙を飲んで、わらの家を売り渡しましたが、満額には届きません。


そのため、木の家の主・次男に助けを求めに行きました。
次男は抵抗しますが、オオカミの冷たい一言が突き刺さります。
「おまえ、はめられたんだよ・・・」

そんなこんなで次男も泣く泣く新築の木の家を引き払いましたが、まだ完済には至らず。
最後、次男・末弟共に、レンガの家の主・長男の元に急ぎました。

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拳を握りしめる末弟をよそに、長男は涼しい顔。
不敵に笑うオオカミに、分厚い封筒を渡します。中には400枚の万札。
ざわ・・・ざわ・・・
オオカミは、末弟・次男から受け取った金額を置き、長男から受け取った封筒をスーツのポケットに入れて、舌打ちをして去っていきましたとさ。
次男・末弟「感謝っ・・・圧倒的な感謝っ・・・!!!」

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はい、余談が過ぎました。本編に戻ります。

 

■「3匹の子豚」の難点は建物の耐久性よりも、出入りが不自由な構造にある
実際の童話の中では、わらの家と木の家は「構造上脆弱」なため、オオカミの息で吹き飛ばされます。強固なレンガの家は損壊を免れましたが、諦めないオオカミは煙突から侵入。
すると煙突の出口の暖炉には煮え湯が置かれており、うっかり浸かってしまったオオカミは絶命。子豚たちがオオカミを喰らうという、窮鼠ネコを噛む的なハッピーエンド?を迎えます。

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しかし、もしオオカミがその鋭い爪で、扉を突き破っていたらどうでしょうか?
子豚たちは三匹ともミンチ決定のバッドエンドです。

 

では、オオカミが乱入する前提に話を進めましょう。
わらの家、木の家、レンガの家、3つは材料の強弱で違いはありますが、実は建築工程は一緒です。つまり、素材を積み重ねていく建て方です。

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ひとつひとつ素材を積み重ねて、4面の壁を作り、屋根を支え、家をつくっています。
※木の家は、原作の童話では「木の枝を積み上げた家」とされています。
これは壁構造といい、下の写真を見るとわかりますが、積み上げる素材が細かくて崩れやすいため、間口を広くとれないことが特徴です。

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参考:煉瓦造りのセントメアリー・マグダラ教会 12世紀 英国 ケンブリッジ


言い換えれば、現代の家屋のように壁一面の窓や、扉を自由に作れません。そのため、オオカミが入り口から侵入してきたら、逃げ出せるような退路がありません。袋小路です。

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■3匹の子豚のエンディングを変えるコルビジェ建築
では、ここでル・コルビジェが提案した家を登場させてみましょう。

彼が造ったのは、鉄筋コンクリートを使用した「ドミノシステム」による建築(の基礎)です。柱で天井を支え、階段で上下階を行き来できるもの。

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これのどこが画期的か。

それは壁が天井を支える必要がないため、「どこにどのような大きさの扉や窓を作っても、家自体の強度には関係ない」という点です。

システムの実現には、板状でも簡単に崩れないコンクリートが生まれた要因が大きいようです。
またこれによって、「近代建築の5原則(新しい建築の5つの要点)」が実現可能になります。

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写真:左上)国立西洋美術館外観 右)国立西洋美術館内部 左下)サヴォワ


1. ピロティ :柱で支えることで地上階に屋外のスペースを設けられる。
2. 屋上庭園 :耐久性のあるコンクリート屋根は、平らにでき、屋上を設けられる。
3. 自由な平面 :柱で屋根や2階の床を支えるため、内部の部屋をどう区切ってもOK。
4. 水平連続窓 :上記参照。
5. 自由な立面 :写真のように、一見無茶な天井を作ることができる。

 

では三匹の子豚に話を戻してみると、どのようなことが起こるのか。

オオカミが入り口から入っても、子豚たちは家の中を逃げ放題。
壁のそこら中にある窓からも、勝手口からも逃げられます。

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なんなら、オオカミだって長男子豚のサイコパス具合を察知して、生きて逃げることができるため、誰も死なないトルゥーエンドに導くことができます。


子豚にもオオカミにも優しい家、それこそコルビジェが提唱した近代建築といえます。

 

コルビジェの凄いところは、システムを応用する発想
しかし、コルビジェの凄さはシステムの提唱ではありません。
そもそも、柱で梁を支える構造=マグサ構造は古代ギリシャから存在していました。

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参考:ギリシャアテナイパルテノン神殿

コルビジェは、その構造を2D(タテ・ヨコ)から3D(奥行を捉える)に発展させることで、建物の外・中を自由にデザインできるように変えたのです。

そして私たちは建物の外と中を自由に行き来できるようになり、内部での行動範囲や種類がぐっと広がったといえます。

 

もしコルビジェが子豚の家を建てていたら、オオカミは生き延びることができたでしょう。
そしてオオカミが黒服で再来するなど、カイジではなく「3匹の子豚リターンズ」が福本さんの手によって描かれていたかもしれませんね・・・

 

裸だから叫べるんだ ライアン・マッギンレーの写真展で見えた現代のヌード

■セクシーさを感じる裸体画なんて、もう古い


ヌード写真の展示会がある
そう聞くと、1年前に話題になった春画展で感じた、得も言われぬドキドキを思い出してしまう。

 

しかし実際に訪れてみると、明るい会場内でヌードは実にあっけらかんとしていた。

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ライアン・マッギンレー<Jessica & Anne Marie>2012


ライアン・マッギンレーの写真にセクシーな表現はない。
反対に、そのような邪な考えを抱いて訪れた自分自身を見透くような視線に、少しばかり心が痛む。

 

大声で叫ぶ写真家 ライアン・マッギンレー

アメリカの「最も重要な写真家」と称されるライアン・マッギンレー(1977年~)。今後その名を覚えていても損はないだろう。
彼の日本での初大規模個展「ライアン・マッギンレー BODY LOUD!」が、初台の東京オラシティアートギャラリーで開催された。

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本展では、マッギンレー自身が選んだ作品、約50点が並ぶ。
作品では、牧歌的な風景のなか全裸で走り回る姿や、極寒の地で同じく裸体でポーズを取る姿には目を奪われるだろう。

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ライアン・マッギンレー<Mellow Meadow> 2012

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ライアン・マッギンレー<Plotter Kill Storm>2015


ニューヨークにある、アンディ・ウォーホルなどの近現代芸術を所蔵する、ホイットニー美術館。そこの館史上最年少で個展を開いたマッギンレーだが、作品に登場する人物の多くがヌードである。
特に、壁を埋め尽くすインスタントレーション作品「イヤーブック」内の素人モデルたちは印象的だ

 

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ライアン・マッギンレー<イヤーブック>2014


そもそもイヤーブック(YEAR BOOK)とは何か。これは学校生活一年間を振り返る冊子で、年度末に配られる、欧米の学校でよくある慣習だ。

日本の卒業アルバムが近いが、決定的な違いはその冊子が取り上げる年数である。卒業アルバムは最短でも3年間を一冊に凝縮し、イヤーブックはその名の通り1年のみだ。

 

仕上げない、格好つけない、だから美しい
マッギンレーの「イヤーブック」では、モデルたちが自由にポーズを取っている。古典的な裸婦画の作画風景にありそうな光景だが、そこに性を感じるものはない。

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大抵ヌードといえば、身体の女性・男性らしさが描かれ(時には強調され)、見る側はそこに人間の姿形の美しさを感じるものだ。

ティッツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」を見るとそれが分かる。
女性の挑発的な目線や官能的なポージングによって、その当時の「美しい女性像」が露骨に描かれている。

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ティッツィアーノ・ヴェチェッリオ<ウルビーノのヴィーナス>1538年、ウフィツィ美術館


しかしマッギンレーは、被写体を美しいモデルに仕上げず、あるべき姿のまま、個人のままを写している。

「僕が必要としてるのは、(省略)ありのままの姿でカメラの前にいられる人。
たとえば、ベッドで眠っているボーイフレンドや、部屋で椅子に腰掛けている母親を眺めるだけで幸せな気分になるだろう?
TIME OUT TOKYOのインタビューより引用

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作品に必要なのは「人間」ではなく、「○○さん」と呼べる人

他の作品のタイトルに、被写体の名前が記載されているのは、彼らの個性が作品の一部だからだろう。

 

人の表情やボディランゲージは、その人が生活する環境や習慣から少しずつ影響を受けて作り上げられる。そこで人の独自性が生まれる。

それらが集まれば、その時代に住む人々の息遣いを感じることができる。この作品のタイトルに、一年を振り返るイヤーブックとつけた理由は、そこにあるのだ。
これは現代のアメリカを構成する人々の「イヤーブック」といえる。

 

人とフラットに接すれば、心は開かれる
ふざけた笑顔やしかめ面のモデルたち。写真からはヌードのエロティックさを払拭されていて、モデルは自然体だ。
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裸になることで人の精神を解放させていると、多くの作品紹介文に記載されている。しかし、それでは説明が足りないのではないか。

服は、スカートやパンツなど性を固定する場合もあり、また体の特徴を隠してしまう場合もある。胸があるのもないのも、単なる身体つきの違い。
しかし一つ一つの身体からは大きな主張が生まれる、この展示会のタイトル「BODY LOUD!」のように。

 

「イヤーブック」はLGBTや国籍など、人のフラット化が提唱される現代で生まれた、極自然なヌード・アートなのだ。その時代の文脈を読み取り、写真に捉えるライアン・マッギンレーは確かに「最も重要な写真家」といえるのかもしれない。 

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ライアン・マッギンレー BODY LOUD !|東京オペラシティアートギャラリー
~7月10日まで)

※ちなみに、今回個人的には展示会のカタログよりも、IMAのマッギンレー責任編集号のほうが見応えがありました。会場でも買えますので是非。

imaonline.jp

※ライアン・マッギンレーのWEBでも写真を見ることができます。

RYAN McGINLEY