うつや不安から抜け出す
Yuki(ユウキ)です。
以前、うつや不安を乗り越えるための記事を書きましたが、
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
今回は、うつや不安を抜け出すための別の方法について書いてみます。
人それぞれ考え方も違うし、自分に合ったやり方があるかと思いますが、参考になれば幸いです。
肩の力を抜いて、 もっと気楽に生きよう。
うつや不安は誰にでもなる可能性はありますが、比較的陥りやすいのが敏感で真面目な人かと思います。
やや完璧主義なところはありませんか?
例えば9の上手くいった出来事と、1の上手くいかなかった出来事があったしましょう。
この時、1の上手くいかなかった出来事ばかりを気にして、まるで9の上手くいった出来事がまるで無かったかのように、思考が傾いていませんか?
1の上手くいかなかった出来事について改善させるために考えることも大切かと思いますが、9の上手くいった出来事についてもしっかりと思い起こしてより自信をつけてあげる必要があると思います。
自分を責め過ぎないであげて下さい。
人間関係においても、全ての人と仲良くなる必要なんてどこにもありません。
そりゃできるならそれに越したことはないでしょうが、交友関係が狭かったとしてもその中で楽しく生きれば良いのです。
合わない人との関係を気にして生きるより、他人は他人、自分は自分と割り切って生きた方が絶対的に気楽です。
一度きりの人生です。どう生きるかを何よりも大切にすべきだと思います。
胡散臭い?引き寄せの法則
このブログの記事にスターを付けてくれる人の中に時折、引き寄せの法則の記事を書いている人がいます。
正直、宗教っぽくて胡散臭いと思っていましたし、敬遠していました。
でも最近、あながち間違ってないかも、、、というかめちゃくちゃ大事なことかもしれない、、、と考えるようになりました。
僕の人生において、しばしば人間関係が上手くいかないのには僕自身に原因はあると思います。
おそらく僕の醸し出す雰囲気や言動が、他人を心地悪くさせているところは事実でしょう。
そしてこの時醸し出している雰囲気や言動は、ネガティブな思考に由来していると考えられます。
マイナス思考はマイナス効果を生む。
きっとこの人は自分のことを嫌っていると考えたり、あるいは相手に対する強い苦手意識があると、それはなんとなく相手にも伝わったりしますし、余計に人間関係がギクシャクしてきてしまいます。
なので、やっぱりネガティブな思考に歯止めをかけてあげる必要があります。
楽しく生き生きと働いてる自分をイメージしたりして、ポジティブな思考を自分に植え付ける作業をしてみるといいかもしれません。
頭からネガティブなイメージを追い出して、ポジティブなイメージに置き換える感じです。
そうすると、雰囲気や言動にも変化があるのではないでしょうか。
これって引き寄せの法則みたいですよね。
ということはやっぱりあながち可笑しなことではないと思います。
人間関係を割り切る。
苦手な人なんて誰にでもいるものですし、そこを意識し過ぎると他の人との人間関係にも影響が出てしまいます。
先ほども言いましたが、マイナス思考はマイナス効果を生んでしまうところがあると思います。
僕がまさにそういう状態に嵌っていました。
苦手な人がいたとしても、人は人、自分は自分と割り切って、しっかりと自分を保って働くことができれば何の問題もないはずです。
大切なのは自分を閉じ込めてしまわないことです。
以上、うつや不安から抜け出すためのいくつかの方法の提案でした。
結局は、人の気分や言動は思考に支配されるのでそこへのアプローチになっちゃいますね。
少しでもこの記事がお役にたってもらえば嬉しいです。
Yukiでした。
悪口を感謝することで人生が変わる?×人間関係で悩むのは時間の無駄?
だいぶ遅くなってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。
Yuki(ユウキ)です、今年もよろしくお願いします。
2020年はオリンピックイヤーですね。
僕はスポーツが好きなのですごく楽しみ(^^)
個人的にもターニングポイントの年です!
去年はあんまり良い年とは言えなかったので、今年は良い年にしたいです。
今回は、お正月とは全く関係の無いテーマですが、年末にふと心に刺さってきたワードについて考えてみたので、そのことについて書きます。
目次
悪口を感謝することで人生が変わる?
ところで、他人の悪口は好きですか?嫌いですか?
どちらが正しいとかではなく、好きか嫌いかです。
単なる好みの話です。
僕は後者です。
全く言わないわけではないですよ。
でも、なるべく言わないようにしてます。
直接的な危害を加えられた場合(精神的なのも含めて)なんかはそりゃ言うでしょう。
自分が言われたら嫌なので、言わないようにしてるというところもあります。
(自分がやられて嫌なことは他人にはしないという主義もある。)
そう。それは、自分が他人から悪く言われることを恐れているという裏返しでもあるのかもしれません。
年末に録画しておいたアメトーク毎年恒例の「年末反省会」を見ました。
この企画は好きで、毎年見てるんですけど、(品川庄司)品川さんの放った言葉が刺さりました。
かつて(今も?笑)嫌われ者だった品川さんが、現在誰からも嫌われているという(我が家)杉山さんに対して、
「他人に悪口言われて、嫌だなって思うか、(いじってくれてありがとうと)感謝するかで今後の人生変わんぞ。」と言いました。
なんか、ドキッとしました。
理不尽な悪口は言わせといたらいいや、と割り切れるかと思います。
それとは違う自分が言われて嫌な悪口とは、ズバリ自分のコンプレックスに関わる悪口でしょう。
とどのつまりそれは自己受容できていないということの裏返しになる。
それを逆に感謝までできるということは、自己受容できていることの証明になるなんじゃないか、、、
そんな深くまで考えさせられた。
そんなひと時を過ごしました。
人間関係で悩むのは時間の無駄?
また、ふとネットで目にした堀江貴文さん(ホリエモン)の記事も心に刺さってきました。
うろ覚えなので、詳細は違うかもしれませんが、バッサリと「人生最大の無駄は悩むことだと。」言っていました。
悩む暇があるならば、やりたいことをやってみればいい。
他人の為に悩む時間があるのならば、自分にとってプラスになることに時間を割いた方がよっぽど有意義だ。
みたいなカッコいいことを書いていました。
こう言われてしまうと、うつや不安から抜け出そうと悩んでいる人を全否定することになってしまいますが、
でも、堀江さんの言ってることも一理あるなと思いました。
というのも、
うつや不安で自分と向き合っている人の時間は決して無駄ではないと思います。
でも、そんな過程をすっ飛ばして、他人のことで悩んだりする時間なんて馬鹿馬鹿しい。と考えることができて、自分にプラスになることに時間を割くことができたとすれば、絶対そっちの方が良いですよね。
悩んでいる人が悩んだ末に行き着くべき境地がそこになるんじゃないかなという気がします。
他人の評価を過度に気にして、他人のために時間を多く割く人生。
そんな暇があったら、現在の自分を受け入れて自分のために人生を歩んだ方が良い。
確かに時間がもったいない。
まぁ、分かっていても気になってしまうんですけどね。
思考の癖というのはそれだけ手強い。
でも、そこに行き着きましょう。
時間がかかったとしても、そうなれば無駄じゃなくなります。
Yukiでした。
うつや不安を乗り越える
Yuki(ユウキ)です。
久しぶりの投稿です。
12月はなんやかんやと忙しくて、記事を書くのはまとまった時間が必要なのでそれが中々取れなかったのと、空いた時間は認知行動療法(自己学習)に充てていました。
ほんとに少しずつですが、、、
前を向いて歩んでいます。
うん、それでいい。
そのおかげか、最近は比較的安定しています。
今回は僕なりに考えた、うつや不安との付き合い方、乗り越え方について書こうかと思います。
目次
不安の正体
不安というのは誰しもが感じるものですが、なぜそんなものが必要なのでしょう?
不安というのは防衛反応です。
ストレスのかかる場面を回避するために、自分の無意識が作り出す感情です。
あえてマイナスな感情や記憶を引き出してきて、「逃げた方が良いよ」と自分の無意識がシグナルを出しているのです。
逃げた方が良いこともありますが、不安と対話してみて、「このくらいなら大丈夫」とストレスのかかる場面を乗り切ることができたら、次から発生する不安は軽くなります。
自信がつくんですね。
マイナスマイナスへと考えてしまう思考の癖をなんとしよう
僕が不安障害と診断されたのは今年の夏、その半年くらい前から頭の中に異変が起こっていたと思います。
それは「マイナス思考」が酷くなっていったことです。
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
上の過去記事で書きましたが、職場に苦手な人が増えたこと、ローンを背負うプレッシャー等が重なって、病的では無かった「マイナス思考」に拍車がかかってしまいました。
自分のことを、社会不適合者・欠陥人間・なにか発達障害があるんじゃないか?など、とにかく自分がまるで価値のない人間の様に感じ、
対人的には、大半の人間が自分のことを嫌っていて悪口を言っている。周囲は敵だらけで、味方は誰もいないかの様に感じていました。
この状態、
客観的にみると完全に病的ですよね?
ここで認知行動療法の本で学んだ視点を採り入れてみます。
こういう状態に陥っている人の大半は自分を過少評価していて、反対に不安(自分を脅かす何か)は過大評価しているそうです。
不安が頭上に膨らむのを想像してみて下さい。
不安が大きくなり過ぎていることに加えて、自分も小さくなり過ぎてるので、頭上の不安をとても支えきれません。
これが、うつ病や不安障害に陥っている人の状態です。
ある程度は事実であるにしても、行き過ぎた考えを修正してあげる必要があります。
認知行動療法
僕が購入して自己学習に取り組んでいる本は、
上の「こころが晴れるノート」です。
レイさんのブログ記事で見かけたのと、AMAZONでも高評価だったので購入しました。
自己学習形式で、実際に自分の頭の中を書きだしていくことで、自分の考えが本当に正しいのか検証し、よりバランスのとれた考え方を見出すことができます。
まだ自己学習の途中ですが、お勧めできます。
僕が不安障害になってからの後遺症として、まだマイナスに考えようとする思考のクセが残っています。
何か自分に結びつくようなネガティブなワードが聞こえてきたら、自分のことだと決めつけようとするし、その後にやっぱり自分のことではないんじゃないかというワードが聞こえてきても、それも無理やり自分と結び付けようとしている思考さんがおります。
クセが強い!(ノブ風)
そんな時に、思いとどまって自分と対話しましょう。
それって、自分のことじゃない可能性もあるよね?
自分のことじゃないと考えられる要素についても考えてみよう。
例え、自分のことであっても別に良くないか?
何か悪いことをしたのか?
Yukiでした。
僕が心を病んだことには意味がある?
Yuki(ユウキ)です。
レイさんお勧めの、「ツレがうつになりまして」の映画を見ました。
僕はあんな几帳面ではないけれど、真面目なところが似ているし、嫁役もうちの奥さんと雰囲気が似ていたので、自分と重なって心に染みてきました。
そしてこの映画にでてきたフレーズ、「うつになった意味」について考えてみました。
目次
自分の内面と向き合ってみる
職場で自分の悪口を言われていると感じて、心を病んだ僕。
あちこちで悪口を言われている気になりました。
自己嫌悪に陥って、まるで自分に価値が無いかのように感じました。
自殺未遂を起こしたことはありませんが、悪夢で目覚めて、泣きながら、苦しい、、苦しい、、死にたい、、と嫁さんに吐き出した夜もありました。
きっと心を病む前の、元気そうに見えた時でも、心のどこかで自分を受け入れられていなかった自分がそこにいました。
「悪口なんて言わせておいたいい」と自分に言い聞かせて、強がっていたけど、本当は誰よりも他人から嫌われることを恐れていた自分がいました。
もう他人の目を気にして過ごす生き方からは卒業したい。
他人からの評価に左右されることなく、自分で自分には価値があると感じていたい。
これまでの生きづらさから解放されたい。
場所を選ぶことなく咲ける花になりたい。
そして、心の晴れた日々を過ごしたい。
そうなるために歩み出そう。
少しずつでも。
僕が心を病んだ意味
とりあえず、このマイナス思考を何とかしていこうかと。
この思考の癖こそが、諸悪の根源であり、自己受容を邪魔する存在。
自分でできる認知行動療法を試してみたいと思います。
自分と向き合って、本当の意味で自分を受け入れることができたなら、
僕が心を病んだことに意味はあったということになります。
僕もいつか、この心を病んだ体験を「あんなこともあったね。」と笑って話せる日がきたらいいな。
Yukiでした。
子どもの虐待が起こる背景について考えてみた
Yuki(ユウキ)です。
今週のねほりんぱほりん「わが子を虐待した人」の放送に刺激を受けて、こどもへの虐待についての記事を書きます。
僕自身4歳の息子と2歳の娘の子育てをしています。
ねほりんぱほりんの紹介記事はこちら↓
yuki-changetheworld.hatenablog.jp
目次
虐待はとても身近な問題
時々目にする、子供への虐待のニュース。
この手のニュースは心がギューッと締め付けられるような感覚を覚えます。
平成30年度の児童相談所への相談対応件数は約16万件。
週に一人、日本のどこかで子供の命が虐待によって奪われているようです。
虐待の無い県なんて存在しません。虐待はどこにでもある身近な問題です。
なんでそんな酷いことを?、、、
どうして誰か救ってあげられなかったの?
と思うのと同時に、自分の育児を振り返って、あれは虐待だったんじゃないかなと思い当たるところもあります。
具体的に言うと、子供が言うことを聞かない時に頭を引っ叩いたことがあります。懺悔
暴力で言うことを聞かせるというのは、とても短絡的な行動だし、幼稚なことです。
暴力で相手をねじ伏せるという行為を、子供に身を持って教え込んでいるようなものです。
言葉で叱りつけるという行為も賛否両論あるかと思います。
本当は叱りつけること自体良くないことだと思います(僕の個人的な見解です)。
時間をかけて真剣に向き合えばちゃんと伝わることだって沢山あります。
ただ、時間に余裕が無い時などはどうしても、良くないと感じる行為について怒ってしまうことがしばしばあります。
それに子どもが危ないことをした時に、危険を教える場面などでは、大きい声で真剣に言った方が子どもにもより伝わるでしょう。
それでも僕が気をつけてるのは、子どもの人格を傷つけるような言葉かけをしないようにすることです。
その子の人間性を否定するようなことを言えば、心の傷として残ってしまうからです。
その心の傷は、その後の人格の形成へ大きく影響し、大人になっても尾を引いたりします。
そしてこういうのは精神的(心理的)虐待にあたります。
そう考えると、虐待って表面化してる16万件ですら氷山の一角で、もっともっともっと多いものなのでしょうね。
誰しもが虐待の加害者になりうる?
子育ては、とても大変なことです。
虐待まではいかないにしても、育児ノイローゼや鬱になる人も沢山います。
僕は、自分は絶対に虐待するような親にはならないと思っている人がいたとしても、絶対なんてありえない。と思います。
ねほりんぱほりんに出演していた方もそうでしたが、多くの加害者には加害者としての自覚はないそうです。
子どもをしつけるための手段として、手を挙げたり罵ったりしているのです。
ニュースに取り上げられるような虐待はゾッとするようなものが多いですが、虐待としつけは紙一重のようにも感じますね。
「自分は違う」と言い切る人ほど危ないのかもしれませんね。
虐待をする人を責めるだけで終わっていい問題じゃない。
虐待の加害者には、自分も虐待を受けた過去があったり何かしら抱えているものがあります。
もちろん虐待はいけないことですが、虐待する親も強いストレスに晒されているケースが多いのです。
仕事が忙しく、父親のサポートが得られない。
祖父母もまだ仕事をしていてサポートを得られない。
共働きで時間に追われている。
こんな家庭はざらにあることでしょう。
うちも祖父母が近くに住んでいないので、大変な思いをしています。
精神的な余裕の無さが虐待に繋がるというのは大いに有り得ることだと思います。
もっと育児に専念できる環境が必要だと思うし、それを周囲がサポート(疲弊した時には休んだり)できる環境も必要です。
それができない現代社会にも大きな問題があると思います。
僕は子供に自分みたいに育って欲しくない、という思いもあって、子供たちに精一杯の愛情を注いで、自己肯定感が育まれるように心がけています。
しょっちゅう、「大好きだよ」ってギュッと抱きしめています。☚そのうちウザいと思われる可能性大 笑
ただ、以前はそこに力が入り過ぎてパンクしそうになって、逆に子どもを怒ってしまうことも多かったような気がします。
なので今では少し肩の力を抜いて、頑張り過ぎないように子供たちと関わっています。
肩の力を抜くくらいが、子どもにとっても、親側にとってもちょうど良いのかもしれません。
Yukiでした。
衝撃のブログに出会って、ブログをやめようかと思ったけど、やっぱり続けようと思った話。
Yuki(ユウキ)です。
目次
衝撃のブログに出会う
ブログを始めて2か月が経ちました。
まだまだ分からないことだらけ。
今日、プライバシーポリシーなるものを半日がかりでようやく設置した。☜ポンコツか
最近、ブロググループというものの使い方がようやく分かって、同じように心の悩みを抱えた人たちとのブログを見させてもらっている。
そこで、とあるブログを見て衝撃を受ける。
「さ、さ、さ、才能が違う。」汗
なんと、分かりやすく、読みやすく、面白い、、、
なんというか、、、読む人を引きつける力が凄い、、、
そのブログの名は「うつ夫とパニ子の人生いろいろ」という。
これは20代でうつ病になった夫とパニック障害になった妻の物語。
らしい。
イラストも自分で書いてるっぽいけど、漫画家並みに上手い。
というか、漫画家なのかもしれない。
そのうち出版社から話がきて、書籍化されるんじゃないかなぁ、、、
思わず読者登録したら、読者登録し返してくれた。
良い人だ。
ありがとうutsupaniさん。
この記事のカスタムURLは「utsupani-shock」とさせてもらいました。
ブログをやめようかと思う
utsupaniさんのブログは開設して半年、週2回ほどの更新で、凄まじい読者の数。
僕のブログは、ようやく登録読者数8人(うち知り合い2名)、、、
なんだか虚しくなってしまった、、、
けれども、「うつ夫とパニ子の人生いろいろ」はそれも納得のクオリティ。
圧倒的な才能の差に、自分のやってるブログがとてもとてもちっぽけなものに感じて、、、
「もうブログ、やめようかな、、、」と思う。
いや、ちょっと待って?
僕は競争のためにブログを書いているのかい?
読者数を増やすためにブログを書いているのかい?
そもそもutsupaniさんのブログと僕のブログは路線もだいぶ違うよね?
一人でも心に響く記事を書いて、役に立てればそれでいいんでないかい?
自分と向き合って、自己理解・自己受容に繋がればそれでいいんでないかい?
やっぱり続けようと思う
うん、その通りだね。
他人は他人、自分は自分。
こんな風に他人と自分を比べてしまうから、心を病んでしまうんだよ。
いや、比べても良いけど、自分を卑下する必要なんかないんだよ。
自分をしっかりと持って、太く生きなくっちゃ。
going my way!!
1年はブログを続けてみるぞ!
そう心に誓った日でした。
なんかしょうもない記事でしたね。笑
utsupaniさん、勝手に色々書いてごめんなさい。笑
Yukiでした。
マイナス思考の連鎖(不安障害)から僕を救ってくれたもの
Yuki(ユウキ)です。
僕は今でも時折マイナス思考が働いて、自分が価値の無い人間の様にに感じることがあり、メイラックスも何日かに一回飲んでいるし、不安障害から完全に脱していません。
やはり、他人から悪く言われている、思われているという他人からの評価が僕の心につきまとっています。
僕のことを褒めてくる人がいても、これは僕のいない所で「あの人は褒めて機嫌をとらないと話してくれないから」とか言われてるんだろうとか考えたりします。 ☜ネガティブ過ぎてやばいですか 笑
それでも、胸部症状も無くなり、不眠から抜け出し、感情の波も比較的安定し、不安障害の一番酷かった時から言うと、だいぶ良くなったと思います。
今回は、僕の「不安障害」が改善した要因についてお話します。
目次
このブログは僕の心の内を赤裸々に書いているので、匿名で書いていて、知り合いでは本当に極限られた人にしか教えていません。
因みに男友達には教えていません。そもそも男って共感能力が低くて相談相手に向かないし、精神的な病に対して差別意識も強い気がするからです。
僕の不安障害が改善した要因
家族の存在
- 2人の子供達
2歳の娘と4歳の息子、可愛い二人の天使たち。
僕の生きがいそのもの。
遊び相手になれないほど弱っていた時もあったし、イライラしてあたってしまったこともあったと思います。
そんなことがあった後でも、少し時間が経つと、ケロッとして笑顔で話しかけてくれたりします。
これこそ「無償の愛」だと思います。僕たちの心のなんと狭いことでしょう。
子供たちは海のような広い心を持っているというのに。
と思ったら、お菓子のことですぐ喧嘩したりしています。笑
何なの?君たち 笑
- 妻
僕が不安障害になったことを、しっかりと受け止めてくれました。
ここに受け入れてもらえなかったら完全にアウトだったと思います。
おそらく、精神状態のさらなる悪化を起こして仕事も続けられなかったんじゃないでしょうか。
僕がこんなことになってしまったので、私がもっとしっかりしなくちゃならない。
と思ったかは分かりませんが、以前よりも逞しく思えます。
僕のブログも見守ってくれています。
感謝、感謝、感謝です。ありがとう。
- 妻の母
妻の母には、精神的に病んだ過去もあるので、よく電話で相談に乗ってもらっています。
僕の気持ちをよく理解してくれましたし、陰に沈み込んだ僕の心を引き上げる言葉をかけてくれました。
一番辛い時期を支えてくれた人なので、感謝してもしきれません。
今でも、心配してよく連絡をくれるし、ブログも見守ってくれています。
お義母さん、ありがとうございます!
職場のEさん
職場のEさんも、過去に心を病んだ経験があったので、休憩室で一緒になった時に相談に乗ってもらいました。
やっぱりこういうのは、経験者でないと相談しにくいですよね。
共感してもらえなかったり、差別的な眼で見られたりといったことが考えられますし、ポロッと他の人に言われてしまうのも怖いです。
今でも、僕のことを心配して時々声をかけてくれます。
Eさん、ありがとうございます。泣
このブログを始めたこと。
逆転の発想です。
このネガティブな体験を活かして人の役に立つことができるんじゃないだろうか!?
とある動画をみて思い付きました。
そうすると、この「不安障害」という病気体験もポジティブな体験のように思えてきました。
他にも最近になってブログ読者になってくれた人たちや、相談に乗ってくれた上司、かかりつけの医師等感謝している人は沢山いるんです!が、今回は抜粋で書かせてもらいました。
こんな有り難い心の支えがあって、僕の不安障害は改善しました。
人が苦手だけど人が嫌いな訳ではない
僕は普段あまり、悩みなどの心の内を人に明かさないんですが、この時ばかりは上に記したように吐き出しまくりました。
このままではやばいと感じたからです。
おかしくなってしまう(悪化してしまう)と感じたからです。
それまでの僕は、自分の中で葛藤して、本で人間の心理を学んだりして、壁を乗り越えてきました。
それで乗り越えてこられたのだから、それはそれで良かったと思います。
ただ今回痛感したのは、乗り越えられない壁にぶち当たった時に「一人で抱え込むのはよくない 」ということです。
助けが必要になった時は、勇気を出して助けを求めましょう。
手を差し伸べてくれる人はきっといるはずです。
このブログにはグループというものがあり、そこには同じような悩みを抱えた人達も沢山います。
そこに心の内を吐き出してもいいと思います。
同じような境遇で頑張っている人がいると分かっただけでも、励まされます。
不安障害になって良かったこともあります。
上に書いたような人たちとの、絆がより深まったことです。
この恩は一生忘れないようにしなければなりません。
僕は人付き合いが苦手だし、社交の場を避けることもあります。
しかし、それと同時に人を求めている自分もいます。
それは人が生きていくうえで感じる幸せも、人と関わることで生まれてくるものだからなのかな。
Yukiでした。