雑記4

 

今までも人生で何度かある「あ、たぶん今日のこと忘れないだろうな。私はきっとこれから先も今日の出来事に救われるときがあるんだろうな」って日。

 

詳細は忘れちゃっても、きっと頭の中で残り続けて、その記憶は私を救ってくれるんだと思う。

 

そんな風に思える人たちと、人間関係を築けて私は幸せものだなぁと感じたね。

本当に本当に、私は人に恵まれてる。

 

こんな日はさ、今までの自分のこと全部許せるかも。こんな日じゃなくてもさ自分のこと許せるようになれたらいいね。

 

 

ザ・スーパーマリオブラザーズ ムービーについて

観てきました、マリオの映画。

 

面白かった~~~☻

ストーリー自体はよくある話というか、全然先が読めるけどマリオのゲームやって育ってきた人間にはハマるよね!

このゲームのこの要素を映画ではこうやって展開させるのね!みたいな。

BGMもゲームの曲がふんだんに盛り込まれてて良い。

 

ルイージが徹底してマリオを信頼してるのも良い。

マリオも絶対的にルイージを守ろうとするのも良い。

ピーチがたった一人人間なのにきのこ王国に来た理由の詳細は描かれなかったけど、膨らまそうと思えば映画一本できそうだったな。笑

 

ただ謎にクッパに感情移入しちゃって最後の方居たたまれない気持ちになってしまったな。

クッパ、一貫してピーチ姫と一緒になりたいだけだからな。

シンプルに愛し方を知らないだけなんだよな。←

なのに、あんなボコボコにされてしまって少し切ないのでした。

 

あと、ルマリーの存在意義が気になって仕方ない。

大人が観たら大体の人がルマリー異質さに違和感を覚えると思うんだよな。笑

そもそも蛇足すぎて製作者がなんでルマリー盛り込んだのかもわからないから、一周してあの映画での思想的な部分を全部ルマリーに代弁させたんじゃないの?って思うくらい謎!!

イカれた世界では正気な方がクレイジーなのさ」って言うてたもん。

「唯一の救済は死による解放さ」って言うてたもん。

子供向けだろう映画でそんなこと言う理由もわからないし、そもそもマリオの映画内でも「死」という概念ですら排除されてるのに…??謎過ぎて頭から離れない。

次回作あるっぽいしそれの布石的なキャラなのか…?どちらにせよ今作にはマジでいらないキャラだったな。。

(ちなみに持論だけど、死はフラット(ゼロ)にするということだと捉えると今が楽しくて生きててよかったって思えてる人にとって、生きることはプラスになるので0になってしまう死はマイナスな現象で、生きるのが苦しくてしんどい人にとっては人生がマイナスなので死はプラスの救済になりえると思っているよ!だからルマリーの発言は理解できるよ!)

 

あとは、マリオサンシャイン要素あったら完ぺきだったな~~~

ヨッシーなんで出ないん?って思ったけど、終盤でめちゃめちゃ含みのあるヨッシーの使い方してきたからこれもうすでに次回作作ってるだろうな~って推測しております。観ます。

 

MX4Dで観たらより楽しいと思う!酔いそうだけど!笑

 

映画を通してマリオのゲームを観るという不思議な体験

続編楽しみ~~(あるとは言ってない)

プロミシングヤングウーマンについて

 

初めて映画館で観たのは2021年の夏。

そのときもまぁ衝撃的で、すごい映画だという記憶はあったんだけど詳細を忘れてしまっていたので、暇を持て余した私は再鑑賞したのだ。

(アマプラで公開が終わってしまうらしいのもあってね!)

 

いや~やっぱりね、見てるこちらとしては救いがないというか、でもきっと主人公のキャシーは救われたんだろうなとか。

ポップでキュートでヘビーなんですよね。

親友をレイプによる自殺(明言はされてないけど)で亡くした主人公が復讐に奔走する話と言ってしまえば簡単なんだけど、ねぇ。

アンナチュラルで中堂さんが「殺したやつは殺される覚悟をするべきだ」って言うけど、キャシーは殺される覚悟で殺しに行ってたよね。

それをニーナ(親友)が望むかどうかとかじゃなくて、もう復讐を遂行することは彼女の生きる希望でもあったんじゃないかと。

 

キャシーが通ってた大学にニーナがレイプされるに至った事件のことを理事長と思しき人にもう一度抗議?しにいくんだけど、理事長らしき人は覚えてなくて“そんな事件”は数え切れないくらいあると言うんだよね。そんな事件って軽く見られていいものでもなければ、日常化していいわけないことなのにね。

結局日本でも然り、性犯罪は軽視されがちでなんなら加害者の未来が大事だとか言われちゃう。被害者の女性がお酒飲んで酔っ払っていようものなら自業自得だとも言われかねない。

んなわけねーだろ、と何度だって思うよね。

 

結局誰も助けてくれなくて、キャシーは男を恨んで、世界を恨んで、人生を賭して復讐する訳だけどこの映画のやべーとこはいとも簡単にアッサリと過去にニーナをレイプした男に殺されちゃうとこなんだよね。

死んでもなお復讐は続いてはいるんだけど。

きっともうキャシーにとってはニーナのいない世界で生きていく意味はなかったんだろうなぁ。

ニーナの親に「前に進んで」と言われるシーンがあるけど、キャシーにとっての前はそれだっただけなんだろうな。

進むことが必ずしも大多数にとって望ましい結果になるわけじゃないというか。

 

でもきっと、私も大切な人が酷い目にあって居なくなってしまったらきっと世界を恨むだろうな。復讐出来るかはわからないけど、気持ちはわかると思う。

 

たぶんまた何年後かに観たくなる映画。

その時私は何を思うんだろう?

また違った感想があるのかな。

 

スッキリするようなしないような

後味が悪いようないいような

キャシーだけはせめて救われていて欲しいなと思いましたとさ。

 

 

 

雑記3

 

幸せの感度が下がりまくってる。

よくない。とてもよくない。

 

彼氏がいないことに対して「幸せになってほしい」と善意で言ってくれる人がいるけど、じゃあ彼氏のいない私は不幸だと認識されているの?私が感じる”幸せ”は世間一般の”幸せ”じゃないの?って思ったんだよ。

私の幸せは私が決めていいはずなのにね。こうやってすぐ他人のお気持ちに左右されてしまう。

 

刻一刻と時間が過ぎていく中で、立ち止まったままでいること、駒が何も進んでいないように感じることは孤独だ。

結局切羽詰まれば、私も世論や世間体に振り回されて自分を失うのだ。

自分の中の「こうあるべき」「こうでないとおかしい」に苦しんでるってわけ。

 

でもなんやかんや人生を長尺的に見たところで、生きられるのは今この瞬間しかないから疲弊するだけだなと思った。それで今目下に広がる幸せをみすみす逃して、嘆くのはなんて愚かなんだろう。

 

ご飯が美味しい、とか健康で毎日過ごせてる、とか

それだけで十分なはずなのに。強欲である。

美味しいご飯食べて「あ~~幸せ!」でいいはずなのに、幸せじゃない理由を引っ張りだして、私は誰と比べてこうだからああだからって不幸の動機付けをしてしまってるんだろうな。

 

マインドリセットするにはまだ時間がかかりそうだけど、少しづつでもいいから取り戻せたらいいよね~~。

そんでさ、楽しい~最高~~って笑えてたらそれ以外何もいらないな~~。

 

雑記2

 

生きづらさを感じることが年々多くなって、それは何が起因しているのか?っていうのを突き詰める必要があるのではないかと千思万考。。

 

人間が悩むときは必ず過去への後悔か将来への不安なんだって。

それは言い換えると「考えても仕方のないことだよね~」って話になる。

じゃあどうしたらいいか?ってなったら過去の行いがこれで良かったと思える行動をするしかなくて、それと同時に未来の自分が困らないように今できることをできる範囲でやることに尽きる。それが難しいんだけれども。

ネガティブなことは口にしないとか、ポジティブな言葉をかけるとか、もう何万回も聞いた話ではあるけど、結局何を見てもそれに帰結するからやっぱ正しいんだろうね。

じゃあどうしたらそのマインドにスイッチできるかというと、脳の切り替えが大事でそれをどう上手く身に着けるかというと、セロトニンを増やす行動をする、と。

脳科学的な、精神医学的な部分にたどり着いたってワケ。

 

ストレスや不安は脳にある扁桃体が興奮することによって、生まれるんだけどその扁桃体を抑制するにはセロトニンを増やす必要があって、それは日光浴だったり運動だったり良質な睡眠だったり所謂「健康な生活習慣」がポイントになってくるよっていう。

メンタルの健康もフィジカルの健康も表裏一体なのおもろ!!!!

 

でも結局のところこんな調べ物も、自己啓発も、救済措置も必要としない人間が一番健康なんだよね~。四面楚歌でどうしようもなくて知ろうとするフェーズにならないっていう時点で私はとても羨ましい。私はなれなかったから。

 

知識を深めることは苦しいことも辛いことも伴うけど、それでも知識を持つことは大事だって言うてましたね。本当かいな。

井の中の蛙は井の中にいた方が幸せだっていう持論があるんだけど?!

大海を知ってしまうことは自分の未熟さだったり無知さだったりを目の当たりにしてしまうから、いわばそれが「苦しいことも辛いことも伴う」ってことなんだろうね。

 

私は素晴らしい人たちに囲まれていて、ひとに恵まれている自覚があるし、みんなに幸せになってほしいのは本心だけど、それと同時に周りが素晴らしいことによって劣等感に苛まれるときもあるんだよな。

その捉え方は自他の境界が曖昧な故だと言われてしまうとまた違った問題に発展してしまうのだけど、自分を信じることが苦手でどうも他者評価に自分の価値を委ねてしまうから、自己評価が他人によってブレブレになるっていうね。

宜しくないことは重々承知です。

自分の軸があるように見せかけて実は全然ないのかもしれない。あったとしてもそれは他人に簡単に揺るがされてしまうくらい脆弱な軸。

それを強化していったり、失った自己肯定感をどう取り戻していくのかというと、レジリエンスを養った方がいいねってことになる?のか?

どんな自分でありたいかっていうセルフイメージを明確に持っていれば、ブレた自己肯定感を取り戻す最短ルートがわかるんだって~。

レジリエンス=弾性、心のしなやかさ。打たれ強いのではなくてストレスを上手に交わして昇華していけるか。

 

じゃあ私は私のことを嫌いなのか?っていうとそうでもなかったりする、肯定できなくても嫌いではないよ。

頑張って生きようとしてるし、人に誠実であろうとする姿はちゃんと自分の美徳に則れていると思うし、そういうときの自分は何なら好きだよ。

 

 

まあなんかさ、私の好きな人たちの孤独感とか焦燥感とか劣等感とか一手に引き受けるから、先に人生上がらせてくれないかな??などと思うのでした。

 

 

MIU404について

 

土日を通して今回は『MIU404』を観終えた。

アンナチュラルと同じ脚本家ということもあって、興味はあったけど中々観られずにいたけど刺繡をしながら何か観ると丁度いいので、ついに。

 

因果応報なんて言葉ではあまりにも軽い。

そんな終わり方でした。

”仲間”だと思っていた人間たちは最終的に自分が作った薬物でラリってて、誰も気にかけてくれないっていう。それを見た久住の絶望の表情たるや。

クズを見捨てる久住は、最終的に見捨てられたクズになるという、、なんて皮肉。

 

各話に一貫したテーマがあってそれに沿って話が進むのすごい(語彙力)

私は2話、4話で大泣きしてしまった。

両話とも泣くタイミングがエンディングが流れたときなんだけど、アンナチュラルでも同じで米津玄師の解釈一致曲もさることながら、挿入のタイミングがもう…ベスト。

 

2話では松下洸平の演技が光りすぎてて、もう号泣。

被虐待児だった加々見は、父親からの謝罪を受けることなく父親が他界してしまったことで、もう行き場がなくなってしまったんだろうな。

どんな過去であれ、人を殺してはいけないに帰結する無情さがまた、やるせなかった。

ほんとに最後の3分くらいで大泣きしてしまったな。。

「謝りたかった」田辺夫妻と「謝られたかった」加々見の心情が交差して、あの安堵とも取れる表情が刺さりすぎた。

 

4話は、青池が最期に見た光景があまりにも良すぎてそこで大泣き。実際あのルビーがどうなったかは置いておいても青池は救われたのではないだろうかと思わせる演出でした。

ただ冒頭のタイガーマスクのランドセルのプレゼントが有難迷惑っていう下りを見てるとなんとも言えない気持ちになるね。

与えることで両者が救われるとも限らないってことなのかな、なんて。

 

8話も泣ける回として名高いようで、確かにヘビーな話であったけど、私も最愛の人が目の前で殺されたら誰がなんて言おうと許しません殺します、って感じで加害者側に感情移入したな。

 

全話通して、ハッピーだったり誰かが救われたりする話ではないから、重めな気持ちにはなるんだけど、それでもやっぱ観て良かったな。

 

でもやっぱりどちらかと言われたらアンナチュラルが好き!!

何故なのかうまく言語化できないけど!!!

あれはほぼ全話号泣で私の琴線に触れまくり。

ミコトと同じTスマイルのネックレス欲しい!って思うくらいには。。

アンナチュラルは特に8話がやばいです。(語彙力)

 

感想文って難しいな~~。

まとまりのない文章だけど、終わり~~!!

 

 

 

 

雑記1

 

4/26からのスタバのビバレッジは「ピーチ パンナコッタ&アール グレイ ティー フラペチーノ」ですって。気になる~~。

この間タンブラー買った時にもらったドリンク券使って飲みたいな~。

 

今日はゾゾで買ったお洋服が届いているし、夜はディナー。

今年の春夏は少しイメージ変えたくて、今までと違うニュアンスのお洋服を買ってみた、4年くらい短かった髪も伸ばしてる最中だよん。(いつまで我慢できるかわからないけど)

そうやってひとつひとつ小さい楽しみを積み重ねて、楽しかったと思える一日が続いていけば長尺的に見て人生は楽しくて幸せだと総括されるのかしら。どうかしら。

 

入社する時に、お守りジュエリー的な意味合いで買ったagateのピンキーリングもそろそろ世代交代させたくて物色中。。

左手の小指に付ける指輪には「絆を深めて信頼関係を結ぶ」って意味があるらしい。良くないご縁ももちろんあったけど、素敵な出会いもたくさんあったからきっとちゃんとお守りとして役目を果たしてくれてたと思う。

 

なのに、今まで獲得してきた人間関係や愛や価値観をなんで取るに足らないものだと断定して矮小化してしまうんだろう、なんで脅かされてしまうんだろう。

本当に悪い癖だなぁと何故か他人事のように捉えてしまってる。実際にそれに苦しんでるのに。

強い女になりたいって思って生きてるけど、まだまだ先は遠いね。

 

自分を愛するってことは、自分の価値判断を大事にできることらしいよ。

私の価値判断を私の周りの人は誰も咎めないし、なんなら応援してくれるのに私だけが信じられてない(大事にできていない)ことが大問題!!

 

自分を好きになりたいから、自信を持ちたいから、知識をつけることに貪欲でありたいですね、ハイィ…

クォーターライフクライシス真っ盛りって感じ。

 

消えたくて消えたくて消えたくて仕方ない夜が今までもこれからもたっくさんあるけど、どうにかこうにかまず【生きる】にシフトチェンジして考えないとろくなことにならなさそうだなというのは、30年近く生きていてわかります。

 

まずは小さな楽しみや幸せから。

視座を変えて、視野を広くして柔軟に。