赤とんぼの1分間ショートストーリー

赤とんぼの1分間ショートストーリー

(1分で読めるくらい)短い物語

消えるシャーペン

 書けないのではない。書いた瞬間から消えているのだ。

 高校の帰り道に立ち寄った文房具屋で、ふと俺の目に入ったシャーペンの商品説明には大きくそう書かれてあった。消せるボールペンなら知っているが、これは「消えるシャーペン」。価格は20,000円。なぜこんなにも高いのかと商品説明をよく読んでみた。

 

〈消えるシャーペンについて〉

 この商品を軽い気持ちで手に取らないでください。この商品で書いたことが書いた人の記憶から消えます。例えば、「りんご」と書けばあなたの記憶からりんごに関する記憶が全て消えます。過去の出来事を書けば、その記憶が消えます。

〈使い方〉

 普通のシャープペンシル同様、ペンの上部を2〜3回ノックすると芯が出てきます。あなたの記憶から消したいことを書いてください。

 

 ずいぶんとあっさりした説明だ。本当に記憶が消えるのだろうか? でも、本当に20,000円で消したい記憶が消えるのなら......。

 ちょうど昨日がバイトの給料日ということもあって、結局ひと月分の給料をほぼ使って俺はこのシャーペンを買ってしまった。

 家に帰ると、早速そのシャーペンを袋から取り出し、机についた。見た目は普通のシャーペンと何ら変わりなく、シャーペンの上部をノックすると黒い芯も出た。ところが、ノートを開いて試しにくるくると線を書いても黒い線は見えない。線どころか書いた跡すら残っていない。記憶が消えるかどうかは半信半疑だったが、とりあえず自分の記憶から消えてもよさそうな単語を探した。

「よし、試しにこれでいくか」

 俺はノートに「ボビン」と書くことにした。今後ミシンを使うことはないだろうし、記憶から消えても問題ないと思ったからだ。

 ノートに「ボビン」と書いた瞬間、頭がふわっとして不思議な感覚になった。

 俺は一体何を書いたんだろう。何も書かれていない目の前のノートを見るが、何も思い出せない。確かに何かを書いたのだが......。書いたことが思い出せないということは、おそらく記憶が消えているのだろう。

「すごいぞ、このシャーペン。じゃあ次は......」

 俺はすぐにこのシャーペンにハマってしまった。昔犬のフンを踏んだこと、中学のときテストで100点満点中12点をとったこと、好きな人にフラれたこと......。俺は色々と嫌な記憶を書いていった。なんだか頭が軽くなってスッキリする。

「やっべ、明日テストだった。今日はこのくらいにするか」

 俺は「消えるシャーペン」を筆箱にしまい、1時間ほど勉強して寝た。

 

 翌日、テストの時間がやってきた。

「今からテスト始めるぞー」

 先生が問題用紙と解答用紙を配り始めた。

「名前の書いてない答案用紙を見るからなぁ。もう何度も言ってるが、名前は最初に書けよー。じゃないと0点だぞー」

 未だに名前書かないやつがいるのか。まあ俺は「下一(しもはじめ)」という1秒で書ける名前だからテストが開始した瞬間速攻で書けるけどな。

「はい、始め」

 テスト開始の合図と同時に俺は答案用紙の名前の欄に名前を書いた。いつものように速攻で名前を書いたが、あっ、と思った瞬間にはもう遅かった。書いたことが書かれていない。あれ、俺は何を書いたんだっけ。

 このテストで俺は人生初の0点を取った。

愛情メーター

 「親の子どもに対する愛情が大きければ大きいほど、頭脳明晰、高収入になり将来大金持ちになる」と、ある学者が発表した。この直後から日本中が「愛情フィーバー」に包まれ、アラサーの俺が働くガソリンスタンドにもたくさんのお客さんが来るようになった。

 俺の働くガソリンスタンドは少し特殊で、「レギュラー」、「ハイオク」、「軽油」の隣に「愛情」と書かれたメーターがあり、「愛情リキッド」を入れることができる。この液体を料理に使ったりお風呂に入れたりすると、子供が受け取る愛情が倍増するのだ。一ミリリットル十円のこの液体を、各々が持ってきた一リットルサイズの「愛情ボトル」に今日も注いでいく。

 よく来る軽自動車がやって来た。愛情フィーバーになる前から愛情リキッドを注文しているお客さんで、母親の運転する車の窓からよく小さな女の子が顔を覗かせて「まんたんのにいにだ!」と手を振ってくれる。ガソリンも愛情もいつも満タン入れるので「まんたんのにいに」と呼ばれるようになったのだが、今日はその女の子の声がしない。運転席の窓が開くと、黒い服に身を包んだ母親が「ガソリン、満タンで」と俯きながら言った。

「今日も愛情満タン入れますか?」

 俺が尋ねると、母親が突然泣き出した。

「もうね、必要ないの。今、お葬式があって……。あの子、3日前に交通事故で死んじゃったから」

「えっ、そうだったんですか……」

「3年前に病気で亡くなった父親の分まで娘には愛情を注ごうと思ってたのに、その娘まで失うなんて……。私にはもう、愛情を注ぐ相手がいないの」

「……わかりました」

 俺は目の前で泣く女性に何かしてあげたかった。

 数分後、ガソリンが入った。

「ガソリン満タン入りました。あと、サービスで愛情も入れておきました」

「え? 愛情ボトル渡してないのに。それに愛情メーターも“0”のままじゃない」

「えぇ、愛情リキッドではなく、本物の俺の愛情を、ガソリン入れる時に一緒に注いじゃいました。だって愛情は、子供だけに注ぐものじゃないですから。今悲しんでるあなたへ、俺からのとっておきの愛情をお送りします」

「ありがとう」

 

 これをきっかけに、二人は親密になり、交際し、そして2年後に結婚した。二人の愛の炎は、まるでガソリンのように、一度点いたら誰にも止められないくらい大きく燃え上がった。そして今では、二人の間にできた女の子と一緒に幸せな家庭を築いている。