ノエラ日記

アニメやラノベについて語り尽くしたい

『さよならの朝に約束の花をかざろう』の感想をネタバレ全開で語りたい件

というわけで、今回は映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』をネタバレ全開で語り尽くしたい。

 

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最初に言おう。

この映画、めちゃくちゃ泣ける。

僕なんて、公衆の面前で泣いた記憶がなさ過ぎて最後に泣いたのは小学校低学年のはずなのに、そんなオタクが映画館でボロボロ号泣してしまった。まあ、人前で泣かないのは、コミュ障は人間関係で泣くほど他人と深く関わらないし、何か必死にやり遂げた経験もないからなんだけど・・・(現に独りで家にいる時はアニメで泣いたりする)

 

とまあ、僕の涙腺事情は置いておくとして、今回はこの映画のどこが良かったかを僕なりに語っていきたい。

ここからはタイトル通りにネタバレ全開なので、ネタバレを見てもいい人だけがスクロールして欲しい。まだ見ていない人は・・・・・・今すぐに映画館に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

単刀直入に本作品を言えば、人間とは違った伝説的な生物で長命な、そして自らの母親がいないイオルフの少女・マキアが、ヒトの子・エリアルを育てていくうちに『母とは何たるか?』を実感していく作品である。

 

しかし、これだけではないからこそ、この映画はスゴイ。

 

ファンタジー溢れる世界観の中で、育てられるエリアルが赤ちゃんの状態から家庭を持つようになり、そして逝去するのを描くことで『人の一生とは何たるか』までも表現し、それを母たるマキアが見届けるからこそ泣けるのである。マキアがたっぷりの愛情で育てたエリアルがディタと子供を授かり、そしてその子供がまた誰かを愛していく。ラストでエリアルの孫がマキアにお花を渡すシーン。それは、「人の一生は、誰かを愛し愛され、それが世代を超えて受け継がれていき決して独りで終わることがない」という象徴である。

 

そして、マキアとエリアルの物語だけではなく、同じイオルフのレイリアとクリムの悲運な人生や国家間の争乱という人間の醜さも容赦なく描いたからこそとんでもなく面白かった。

 

レイリアは自ら産んだメドメルの存在の大きさを語り、血の繋がっていないマキアーエリアルとは対比的な母子関係の強さを表した。離別が子のためになると思って「お互いに忘れましょう」と伝えたのはマキアとは違った母の愛の表れだと思うし、苦しみの人生の果てに自らお腹を痛めて産んだ子供を一目見ただけで「痛くて苦しかったけど・・・この世界は美しい」と評したのは尊い。母にとって、自分の人生よりも子供が大切であることをこれ以上ないほどに伝えていた。

 

この一方で、クリムはレイリアへの愛情で一国家の転覆までも企み、最終的にレイリアがまともに会ったことのない、無理に作らされたはずの子供を大事にするのを聞いて彼女と心中しようとするのも醜い狂った人間性の象徴で良かった。

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このように、人よりも長命で伝説的なイオルフというファンタジーの存在と、どこまでもリアルな人間模様の双方が互いの領分で最大限の面白さを発揮し、ラストのマキアとエリアルの離別でファンタジーとリアルさの双方が融合したからこそ、とてつもない感動を生んだのだと僕は思う。

 

また、随所の表現も丁寧で上手かった。

例えば、ミドがマキアに母とは何かを教える時に自らの腹を叩き、その後、マキアと6歳のエリアルが新天地に移って喧嘩をしエリアルが家を飛び出したのをマキアが雨の中で追って「ママはもう泣かないもん」と言う時に彼女も自ら腹を叩いたのとか。

あとは、マキアがディダの出産に立ち会うシーンではエリアルの死があふれた戦場を同時に描き、生と死の目まぐるしい場面転換をして最終的にエリアルの子の命の誕生を際立たせたのも良かった。

 

さて、これ以上本作品の面白さをいくら語ろうとしても、正直、僕の語彙力・表現力では限界があるし、何よりも言葉で代替できるものでもない。

なので、ここではマキアがいかに「母親」となったかを物語に忠実に再現していき、なぜ僕が泣けたのかを語りたい。

 

 

 

『母とは何たるか?』―マキアのストーリー

 

マキアこそ大号泣を生み出した張本人であり、本作品は、長命たるマキアが自分よりも確実に先に亡くなるヒトの子・エリアルを育て、子供が母にとってどれほど尊い存在意義になるのかを丁寧に、本当に丁寧に描いたからこそ泣けるのである。

 

では、どのようにマキアが母として成長したかを振り返りたい。

 

まずは里から離れて独りぼっちだった時に同じく独りぼっちの赤ちゃんを発見したところから始まる。ここで注目したいのは、マキアが赤ちゃんを見つけるシーンである。マキアは赤ちゃんを発見する前にフラフラと断崖絶壁から飛び降りようとするように見えて(冒頭にイオルフの里でレイリアが高い所から飛び降りてマキアに飛ぶのを誘うもマキアは飛べないシーンがあるが、そこのレイリアの「マキアも飛びなよ」という声を回想しつつ崖っぷちに立っていた)、そこで赤ん坊の声を聞いて思い止まるような感じであった。僕が思うに、マキアは孤独の絶望の中で赤ちゃんを見つけたのであり、だからこそ、赤ちゃんがマキアの生きる希望そのものになったのではないだろうか。

 

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ただ、15歳のマキアが赤ちゃんを独りで育てられるはずもなく、女手一つで2人の子供・ラング&デオルを育てるミドと出会い、彼女の力を借りて仕事をして育児に励む。ここで赤ちゃんをエリアルと名付け、彼が6歳になるまでミドの農場で生活をするのである。

この農場生活では、マキアが母となる上で1つ大きな出来事があった。

それはミド達が育てていた犬の死である。

マキア&エリアルが揃って生物の死という現実に直面し、幼いエリアルは死を把握できないのに対し、マキアは違った。彼女は改めて「自分よりもエリアルが先に死んでしまう事実」を痛感し、あまりの事実の残酷さにエリアルの前から泣きながら逃げ出してしまうのである。そして、ここで逃げ出したマキアにラングはママが何たるかを教える。「泣くなよ・・・ママは泣かないものだろう」と。

このセリフはマキアのママ像を形成するものであった。

 

さて農場で暮らしていたマキア達だが、6年ほど過ごすと見た目がずっと幼いままのマキアは周りから奇異の目で見られて嫌悪され、最終的に移住を余儀なくされる。そして移った先では仕事をまともに見つけられず、ある日、エリアルと大喧嘩をしてしまう。

仕事探しに失敗して疲れ切って帰宅したマキアを待っていたのはエリアルがマキアの大事な織機を勝手に持ち出していたところ。マキアはエリアルが自分の邪魔ばかりをしていると感じ、思わずキレて怒鳴ってしまう。そしてエリアルは雨の降る中、マキアから家の外に逃げ出してしまう。

この時、マキアは自分がこれまでミドに支えられただけで母の自覚なんてないと嘆く。

だが、マキアが残された織機からエリアルの織った布を触ると、気持ちは変わる。ここでイオルフの「織った布で感情を表現し、理解する能力」が活かされ、彼女はエリアルの布から『母さん』という言葉を読み取る。子たるエリアルにとって自分がどれほど大切な存在なのかを痛感して飛び出したエリアルを追う。

母としての自覚の芽生えである。

 

 

そして、雨の中でどこまでも素直に自分を守ろうとするエリアルと会い、「ママはもう泣かないもん。だから、エリアルは守ってね」という世にも尊い約束をする。

この約束こそが大号泣の幕開けである。

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ここから月日は流れてエリアルは思春期を迎え、次第にマキアに反抗してしまう。それは、マキアの見た目が少女のままで全く変わらないことやいつまでも子供扱いされることへの苛立ちに起因する。

最終的には、マキアに「アンタを母親だとは思ってない」とまで言ってしまう。

この言葉を聞いたマキアは泣き崩れてしまう。

これまでどこまでも必死に、そして何よりもエリアルの幸せを願って母親であろうと生きてきたマキアの人生を否定する言葉であったから・・・。

 

しかしながら、これはエリアルの本心ではなかった。

それはラングにメザーテの兵士になる口添えを頼むシーンで明らかになる。

はっきりとは述べないが、エリアルは自分のことを何よりも大事にするマキアに対して恋慕のような情を覚えてしまい、彼自身が自分の気持ちに苦しんでいたのである。そして、彼は「今の俺じゃ(マキアを)守れない。それどころか、傷つける」と嘆き、強くなるためにもマキアから離れてメザーテの兵士となって自立することを決意する。

 

エリアルは少年期の「ママを守る」約束を覚えていたのだ。

 

この時、マキアも偶然エリアルの本心を聞き、その後、彼女はエリアルと離れる哀しさに泣きそうになるものの決してエリアルの前では泣かずに「いってらっしゃい」と送り出す・・・

 

なぜなら、彼女も「ママは泣かない」というエリアルとの約束を守りたいから。

 

そして、彼女はエリアルが去った部屋で独りで泣きながら、「エリアルの嘘つき。守ってくれるって言ってくれたじゃない」と嘆く。

これだけでも泣ける。

 

だが、ここで終わらないのが本作品である。マキアはエリアルが去った日からクリムに攫われてメザーテの敵国バイエラに幽閉される。ただ、幽閉される間にもマキアはエリアルを忘れず、彼が少年期に織った布を大事に、ずっと大事にする。

 

そして、この幽閉から数年後、メザーテとバイエラを含む周辺諸国の間で戦争が起きる。ここで何とも数奇な運命なことに、マキアはエリアルとディダの子供のお産に立ち会う。そこで、マキアはディダの出産を見て自ら苦しんで子を産むことの重大さを思い知る。それはマキアにはない経験であった。

この影響はその後にエリアルと出会うところで表れる。

 

彼女はいかにエリアルの母が実の息子であるエリアルを守ろうとしていたかをエリアルに語り、言うのだ

ーー「私は母さんにはなれなかった」と。

 

そして、ここからのセリフが本当に泣ける。彼女は母親にはなれなかったと語りながらも、クリムに幽閉されてエリアルに会えない間にいかにエリアルが自分にとって生きがいであったかを実感し、その想いを彼に伝えるのだ・・・

 

エリアルはただ居てくれるだけでアタシを守ってくれた。ずっと約束を守ってくれてたんだよ」と。

 

そして、続けて言う。

 

あなたがいるだけであたしになる。だから、母さんじゃなくてもいい・・・たとえどんな名前で呼ぼうと、あなたの呼ぶ名前があたしになる」と。

 

例え血が繋がっていなくても、そして母さんと呼ばれなくても、エリアルの存在こそがマキアの全てであり、マキアの存在意義だったのだ。エリアルがどう思おうと、エリアルが存在する限りはそれが彼女の生きる意味なのだと自覚する。それはエリアルを苦しんで生んだわけではなくても・・・。

 

もう本当に泣ける。なぜなら、マキアのエリアルとの楽しい思い出、辛い思い出、その全てを振り返る回想があって、彼女がどれほどエリアルを大切に想い、そして彼女にとってエリアルが存在意義そのものであったのがよく分かるから・・・。

 

そして、エリアルの返事も最高だった。

あなたから優しさ、強さ、必死さ、そして人を愛する気持ちを知った」と返し、いかにエリアルにとってもマキアが大切な存在だったかを伝え、最後に目の前を去ろうとするマキアにこう呼びかけるのだ。

 

行かないでくれ・・・母さん」と。

 

マキアが真に母親であることをエリアルから認められた最高の瞬間である。

 

ここから月日がたち、マキアとエリアルのクライマックスになる。

それはエリアルの寿命が訪れたとき。

やはり長命であるイオルフのマキアよりも人間のエリアルが先に逝ってしまう。そして、最期の立ち合いが本当にまた泣ける。

マキアはベッドに横たわるエリアルに会うと、「ただいま」と言う。でも、エリアルはもう意識すらもあやふやで返事ができない。そして、マキアはエリアルの苦労が滲み出たしわしわの手を握り、「いっぱい一生懸命だったんだね・・・」と涙を堪えながら言う。

すると、奇跡は起こる。

 

いつ亡くなってもおかしくないエリアルが息も絶え絶えにマキアに言うのだ・・・「おかえり」と。

これにマキアも「ただいま」と返す・・・・・・。

 

母たるマキアにとって、””居場所””はやはり子供であるエリアルなのであろう。そして、最期を見届けた後にマキアは心の中で「いってらしゃい」とエリアルを送り出し、楽しい思い出をたくさん振り返る。そこで思わず彼女は泣いてしまうのだが、この時の彼女のセリフがイイ・・・

 

(泣いちゃって)ごめんね・・・お母さん、約束破っちゃう・・・

 

最後まで彼女はエリアルが少年の頃に交わしたずっとずっと前の尊い約束を覚えているのである。

そして、この後にマキアは「エリアルを愛して、良かった」と語る。

 

長命のイオルフにとって人間との愛は必然の別れ。だからこそ、冒頭でイオルフの長老は「外の世界で出会いに触れたなら、誰も愛してはいけない。愛すれば本当の独りになってしまう」とマキアに伝えた。

だが、マキアはエリアルとの出会いを通じて別れが悪いことではなく、出会い、そして愛することは良いことだと思うようになったのだ。最後は、出会うために別れると伝えてストーリーは幕を閉じる。

 

以上が、泣けるマキアのストーリーである。

 

本作品では、マキアが母となる上でエリアルとの””繋がり””を大切にしたのを限界まで丁寧に描いたからこそ泣けた。まずは「エリアルがマキアを守り、その代わりにマキアはママだから泣かない」という約束が””号泣を誘う爆弾””であった。これはエリアルが6歳ぐらいの約束だが、マキアはずっと、それこそエリアルが亡くなったであろう80歳ごろまでずっと覚えていたのである。だからこそ、エリアルの死に対する慟哭での「お母さん、約束破っちゃう」が泣けた。

そして、マキアがエリアルを想う気持ちの象徴はこの約束だけではない。それはエリアルが織った布や落書きをした石をずっと大事にしたこともそうだし、エリアルが亡くなるときにかけた少し汚れた布。アレは、青年期のエリアルとマキアが喧嘩したときにランプが倒れ、その火をエリアルが消した布だと思われる。マキアは自分とエリアルの絆の証は全て大事にしていたのだ。なぜなら、エリアルとの関わりの全てが、自分が生きる意味なのだから・・・。

 

本作品のマキアを見ると、『母とは何たるか』は単純に血縁関係ではないことがよく分かる。

 

では、何が母たらしめるのか。

 

それは子供の幸せを自分の幸せと同義に考えられるほどの無償の愛なのだと思う。

これはマキアでも見られたし、レイリアでも見られた。

子供の幸せのために自分が必要ならば、自分の何もかもを犠牲にし、どんな仕事をしてでも一緒にいることを望んだ、少年期や思春期のエリアルに対するマキア。

子供の幸せを自分が邪魔しかねないと思えば、目の前から消える選択肢を取ったレイリア。

そして、これはエリアルが子供を授かり新たに家庭を築いた時に彼の前から姿を消したマキアも同様であった。

 

2人とも子供の幸せ第一で、だからこそ彼女らは母親であったのだ。

 

 

 

 

最後に少し自分語りをさせて欲しい。

 

僕はたぶん他の人よりもこの作品が泣けて、それはたぶん僕と母親の関係に起因する。

先に言うと、母親がいないとか、血縁のない母親に育てられたとかではない。ただ母子家庭で育ち、作中のマキアとエリアルの母子関係にいくらか感情移入しやすかった。そして、僕はいろいろあって母との価値観のズレに長らく苦しみ、エリアルが思春期に見せたような母への酷い拒絶反応というのもあった・・・というか、今も続いている。

そんな中で今回の映画を見たら、本当に泣けた。

というのも、客観的にこれまでの自分の人生を振り返ると、母が母子家庭で働き仕事でどんなに疲れても少しでも僕のためにおいしい料理を作ろうとしてくれたのとか、作中でマキアが見せた母の愛というものを自分の母からも感じるし、マキアが母としてエリアルの幸せを願って葛藤し苦労したところに自分の母も同じ苦労をしたのであろうと考えると何だかフィクションとは思えなかった。

ただ、僕はどうしようもないガキで、22歳なのにいつまでもエリアルの思春期のような状態だし、愚かにも、先ほど語った母が僕のためにしてくれたことを当たり前のように思って無下に扱い、それがどれほど幸せなことだったかを面と向かって感謝することもなかった。

感謝するどころが、とあることに関する母から受けた仕打ちを今でもずっと憎んでいるのだ。一応言うと、虐待とかではないし、周りからしたら大したことには思えない仕打ちかもしれない。でも、その仕打ちは僕の人生に酷い悪影響を及ぼしており、僕が自分の人生を幸福とは到底思えないのはこの仕打ちが原因だと思っている。

 

思春期のエリアルがマキアに言った、「アンタを母親だとは思ってない」。

僕は、先ほど述べた仕打ちを憎むがあまりにこれと似たようなことを実の母親に言ったことがある。

母が母子家庭で僕と暮らすためにいろいろと働いて苦しかったであろうに、僕はそのことを全く考えず、作中のエリアルのように母の愛を踏みにじったのだ。僕はその自分の愚かさをこの映画を見て痛感してしまい、マキアの苦労が他人事とは思えずに泣けてしまう。

 

そして、ここからは後味が悪いのだが、僕は未だに醜いガキで、この映画で号泣はしても、改心はできない。僕は、母が自分にしてくれたことを考えれば許し感謝すべきなのに、やっぱりどうしても感情的に母から受けたとある仕打ちを許せないのだ・・・それどころか、どうしようもないほどに直せない母との価値観の相違に自ら歩み寄ることができない・・・・・・。

 

でも、僕はこの映画を見ていつか許せるようになったら良いなと想う。きっと、その時に初めて僕は大人になれるのではないかと思っている。

そして、そのためにも、これから少し頑張らなきゃいけないことに真剣に取り組もうかなという次第である。

 

 

というわけで、最後は何だか醜い自分語りになってしまったが、言いたいことはただの1つ。

 

それはーー「さよならの朝に約束の花をかざろう』は最高に泣ける!!!

 

では、ここら辺で今回の記事を終わりにしたい。最後まで読んでもらえたのなら、それは心から嬉しい。本当に、本当にありがとう!!

では、また今度!!!

 

ダーリン・イン・ザ・フランキス 7話から考察したい件

というわけで、今回はダーリン・イン・ザ・フランキス7話より、僕が妄想全開で考察を語る記事である。

6話で完全にヒロとゼロツーが結ばれ覚醒し比翼の鳥となった流れからの7話。

アツすぎた前話のクールダウンで、キャッキャウフフな水着サービスと激萌えのイチゴちゃんを提供しただけのように思える7話。

 

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でも、その陰で世界の謎にこれまで以上に迫ったように感じ今回の記事を書くに至る。

最初に言ったようにこれは妄想全開だから、内容が合っているかもしれないし、外れているかもしれない。なので、気楽に読んでもらえたら良いなと思う。

本作品がオリジナルアニメである以上、答え合わせは視聴するまでのお楽しみである。

 

そして、これからは7話までの内容を踏まえたネタバレ全開である。ネタバレを見ても構わない人だけがスクロールして欲しい。もし視聴していない人がいたら・・・今すぐ視聴しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

もう単刀直入に結論を述べたい。

それは―――

 

ヒロ達はクローンの実験体ではないか

ということ。

 

より踏み込むと、「ヒロ達はエイプ(作中で時折出てくる猿のようなお面をした人達を代表とした機関)の指示で作られた叫竜に対抗するための兵器である人造人間の実験体ではないか」ということである。

 

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これまで他の人のクローン説の考察を見ていたけど、今回の7話でかなり世界観の核心に迫っていて確信した次第である。

理由としては、①徹底的に管理された環境 ②彼ら彼女らの無知に分けて語りたい。

 

 

①徹底的に管理された環境

まずはいきなり彼らが人間ではないことを示すよりも、彼ら13部隊の置かれている環境が異常であることを指摘したい。

はっきり言えば、彼らはパパ達によって管理され過ぎている。

 

例えば5話でヒロがゼロツーに男子寮を案内するシーン。ここで彼は衣食住の全てを管理されていることを述べたし、彼らは戦闘中に様々な体内データを分析されていた。

 

記憶が新しい今回の7話ではイクノがいつの間にかBBQが用意されていたことを指摘するシーンがあった。食の徹底的な管理が分かる瞬間である。

そして、7話でもう一つ印象的なのは廃墟の探索シーンでイクノが廃墟について「これをモデルに私たちの環境が作られたみたい」と述べたこと。彼らの環境がとんでもなく人工的であることをほのめかしている。

 

 

彼らは人工的な環境で衣食住が管理され体内データを分析される・・・まるで実験体のモルモットのようである。

 

 

では、こうした徹底的に管理された環境の中で彼らはどういう風な教育を施されているのか?

これを次に述べたい。

 

②彼ら彼女らの無知

まず言いたいのは徹底的に管理されて育てられたヒロ達の第13部隊があまりにも無知であり、彼らの知識が意図的に制限されていることである。

具体的に掘り下げていきたい。

 

では、彼ら彼女らは何を知らなかったのか?

 

1番印象的なのはキスを知らなかったことである。7話で男子組が騒いでいたのが記憶に新しいし、1話でヒロがゼロツーからキスという単語を初めて聞いた時からこの無知は始まっていた。

 

これだけではない。ここで5話ラストでのイチゴとゴローの苦悶を思い出して欲しい。

 

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彼らは自らがどういう感情なのか表現する言葉を知らなかった。

 

そして、これと似たことは7話でも起きていた。それはヒロ達が廃墟に向かおうと森を歩くシーン。

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ここでゴローはヒロに問いかける。

「パートナー以上の何かってあるのかな?」と。

彼は、ヒロとゼロツーがキスをしたり、ゼロツーが『好き』と言ったりすることが何なのかを聞くのである。

彼らは恋愛感情などといったものをまるで知らないのである。

 

何だか、きな臭くなってくる。

 

そして、今回の7話で印象的だったのは廃墟をみんなで探索した時にココロが『はじめての出産~産まれてくる赤ちゃんのために~』と書かれた母子手帳を拾ったシーン。

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彼女は「赤ちゃん・・・?」という反応をし、何が書かれているのかはっきりと認識できない素振りを見せる。

このシーンはかなり異質な雰囲気で、視聴者の注意を引くように棚がココロに倒れるという演出がなされていた。こういう細かい演出こそ本作品の面白さの源泉である。

 

話は少しズレたが、ここで言いたいのは、彼女らは人間なら知っているはずの赤ちゃんの状態の知識がないということである。

 

以上をまとめて言いたいのは、13部隊は閉鎖的な環境下で育てられ、感情についてや赤ちゃんの状態など人間であれば教えられるべきことを教育されずに生きてきたということである。

 

これだけでは彼らが人造人間である証明には及ばないが、真実は今後のお楽しみである・・・

 

 

そしてここからが僕の妄想全開の考察である。

 

まず、最初に述べたように、第13部隊とは、パートナーとのメンタルの相性が大切なフランクスに乗れる人造人間をたくさん作るための実験体なのだと思う。人造人間であれば、人々は自分達の手を汚さずに危険な戦いをやらせることができるのである。

 これが狙いであり、そしてメンタルの相性を最大限に高めるために人造人間に感情を植え付けようとし、彼らには自らが人間ではないことを教えずに育て上げたのではないかと僕は考える。

 

そして、この人造人間説を唱える上で2つ気になることがある。

 

ゾロメが言う「オトナになりたい」のオトナ

ゾロメは何度もオトナになりたい願望を語っていて印象的だが、5話でゾロメが他の26部隊のリーダーに「そっちの部隊でオトナになれたコドモっているんですか?」と聞くシーンがある。

 

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この時の相手の反応が変なのである。

リーダーは要領を得ない反応をし、隣にいた人から何やら耳打ちされ「あ~そういうことか。少なくともウチにはいないよ」と返す。

その後もゾロメの「噂とかでも聞いたことは?」に対し、「すまない」と返す。

 

どうもゾロメのこだわっている『オトナ』という概念が異質なのである。

 

僕が思うに、オトナとは人間であり、コドモとは人造人間のことではないだろうか。そして、ゾロメ達にはその真実を教えずにただ「オトナ」と「コドモ」という言葉を教えているのだと思う。

 

だとすると、彼がオトナになれる時が来るときはあるのだろうか・・・

 

酷く残酷な話である・・・・・・。

 

パパ達の存在と・・・

気になるのは、第13部隊にはママの存在がいないことである。

これは、第13部隊の面々はママがいなくても生まれる人造人間だからではないだろうか?

彼らは人間の生まれ方を教えられず、だからこそ、7話でココロは母子手帳を見てもピンとこなかったのである。

 

さらに邪推をすれば、パパとコドモという関係は、人造人間であるコドモ達がエイプを含めた管理側に歯向かわないようにする暗示がかけられているのではないのだろうか。親子という概念により彼らを縛り付ける狙いがあるように思われる。

 

特にゾロメのパパへの崇拝ぶりは過剰ともいえるし、7話のBBQ後にも印象的な会話があった。

 

会話の発端は廃墟が何だったのかとゾロメが疑問を呈し、最終的にゼロツーが「かつて人間が地上で生活し、そして捨てた。世界中にはいっぱいあるよ、こんなところ」と答えたことであった。

ここから、ヒロはBBQ後にキャンプファイヤーを囲みながら「何で人間は綺麗な地上を捨てたのか」を問いかけ、その後、人間が住めなくなった推測が出た後にヒロは「もし人間がマグマ燃料を掘り起こさなかったら、叫竜達も現れなかったのかな」とまた問いかけをする。

 

そして、この後のミツルの返答である。

 

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パパ達を疑うんですか?人間を叫竜から守るため、今のプランテーションに移り住むことを選んだ。素晴らしいことじゃないですか

 

パパ崇拝が滲み出た発言である。

 

また、この一連の会話は作中のセリフのままなのだが、ミツルのパパ崇拝が滲み出た以外に何となく違和感を覚える。

 

というのは、どこかヒロ達は『人間』という言葉を第三者的に使っており、自分たちの存在と、人間という存在を切り離して会話しているように思える。

 

もしヒロ達自身が自らを人間として認識しているならば、わざわざ「何で人間は綺麗な地上を捨てたのか」ではなく「何で僕たちの先祖は~」といった表現をするはずである。

ミツルの「パパ達を疑うんですか?人間を叫竜から守るため今のプランテーションに移り住むことを選んだ」も、「パパ達を疑うんですか?みんな(あるいは僕たちの仲間)を叫竜から~」などと言っていいはずである。

 

つまり、もし彼らが真に人間であり自らを人間として認識しているならば自分達を人間という枠組みの中で話すのが自然なのに、彼らはそうは話さなかった。

僕が思うに、彼らは『人間』という言葉を自らの存在と結びつけて上手く認識できていないのだと思う。

なぜなら、パパ達によって真実を伏せられ、ある種の洗脳に近い教育を受けてきたから・・・。

 

この会話に対する解釈はこじつけに近いが、彼らが人造人間であるならば全て納得がいく

 

 

最後に、そろそろこの記事を締める上で1つ疑問を考えたい。

 

それは「誰が人造人間であり、誰がそうじゃないのか」。

 

まず13部隊と26部隊は共に人造人間であり、そして、13部隊が特別なのではないかと思う。26部隊は恐らく自らが人造人間であることを自覚しているのに対して、13部隊は自覚していない。だからこそ、さきほど書いたゾロメの「そっちの部隊でオトナになれたコドモっているんですか?」に対して26部隊のリーダーは返答に窮したのだろう。

26部隊がいつ人造人間の自覚を覚えたのかは定かではないが、13都市のコドモはみんな人造人間の自覚を与えられずに育てられ、その中で特に相性の良い子を選別されて結成されたのが第13部隊である。

 

そして、問題はゼロツーの存在である。僕は、彼女はやはり人間であるのだと思う。だからヒロ達とは違い、エイプ直属の特殊親衛隊という特別扱いをされている。ただ、これまた僕の妄想だが、彼女は人間の子供に叫竜の血を混ぜるような実験で生まれたのではないだろうか。その末に周りからバケモノ扱いされるような力を手に入れ、自分の存在意義を叫竜を倒すことにしか見いだせなくなった・・・そこへ、彼女をバケモノ扱いしないヒロが登場し、恋する女の子になる・・・・・・。

 

この詳細は不明だが、最後にゼロツーが第13部隊の面々に対し気になる呼び方をするのを取り上げたい。

彼女はよく13部隊に対して『君たち』と呼ぶのである。

 

まず1話のヒロとの出会いのシーンでは「キスしよっか」にヒロが茫然とすると「そっか。君たちは知らないんだっけ」と言った。

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そして、最も印象的なのは5話でのイチゴとの言い合いである。

 

ここではイチゴが、ゼロツーがヒロの命を利用としていることに対して「人でなし!アンタはやっぱり人間じゃない!!」と叫ぶのだが、ゼロツーはこう返した。

人間だって・・・じゃあさ、聞くけど・・・君たちの言う人間って何さ

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この『君たち』呼びの不自然な点は、どちらも相対しているのは1人なの必ず複数系な点である。純然たる人間であるゼロツーにしてみれば、13部隊の面々はみんな自分とは異なる人造人間として一括りで認識しているからなのではないだろうか。ヒロだけはダーリンとして特別であるが、現に他の面々とは大きな距離を取っているように思う。それは6話の大勝利後もそうだし、7話でのBBQ後も独りで海を泳いだことにも表れた。

ゼロツーの13部隊に対する価値観が今後どう変わっていくのか、気になるところである。

 

 

さて、今回はここら辺で終わりにしたいと思う。

いつも以上に長い記事になってしまったが、もし最後まで読んでもらえたのならば嬉しいことこの上ない。

いろいろと述べたが、声を大にして言いたいことはただの1つである。

 

それはーーー

 

ダーリン・イン・ザ・フランキスは最ッッッ高に面白い!!!

 

というわけで、今回の記事はここまで!

では、また今度!!

 

ダーリン・イン・ザ・フランキスの5話が最高すぎた件

久々のブログだけど、今回はダーリン・イン・ザ・フランキス5話を語り尽くす記事である。1話の時点からTwitterだけでは語り尽くせないぐらいに面白かったんだけど、5話を視聴して満を持してのブログの活用。1話だけの””一発屋””だけで終わるかと思いきや、5話連続で優勝したから語り尽くしたくなっちゃった。

 

 

というわけで、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

 

 

 

まずは簡単に1~4話の振り返りをしたい。

 

1話:謎の巨大生物「叫竜」に男女2人組で乗るロボットで立ち向かう世界観の説明。1話は、ロボットに乗れず空を飛べない主人公・ヒロと、叫竜の血を引く訳ありヒロイン・ゼロツーの最初のボーイ・ミーツ・ガールで、ラストに2人が特別機・ストレチアに乗って叫竜を倒す壮大なアクションが見どころだった。主人公が所属する部隊について幼馴染のイチゴや親友のゴローとかキャラ紹介もしっかりしていて、これ以上ない完璧なスタート

 

2話:ゼロツーメインの1話に対抗する幼馴染イチゴのターン・・・と思いきや、主人公の不感症により一緒にロボットに乗れず、幼馴染の大敗北回。1話のアクション的な面白さを継承しつつ、恋愛要素が強くなってきて面白さが多次元的に広がった感じ。同じ部隊で主人公をライバル視するゾロメやミツルなど、キャラ紹介も深まってくる。

 

3話:1話以来の叫竜との大ピンチ戦闘で、今回は主人公がゼロツーをミツルに奪われるNTR・・・かと思いきや、戦闘後にはミツルがボロボロの疲労困憊状態。ここで、ゼロツーとストレチアに乗った男は命を削られるという、ダークな真実が強まる。ミツルのヒロへのコンプレックスとか、どんどん青春要素が拡がってきて加速度的に面白くなってくる

 

4話:とうとうやってきたヒロとゼロツーの圧倒的王道の恋愛劇。叫竜の血を引きバケモノ扱いされるゼロツーとお別れ・・・と思いきや、主人公・ヒロは別れを意識した瞬間にゼロツーと一緒に乗りたいという自分の感情を自覚し、愛の告白。これがずっとバケモノ扱いされてきたゼロツーを女の子にし、ラストは2人で叫竜を撃破――最高である

 

こんな感じだろうか。各話ともこれだけでは語り足りないけど、共通している面白さは圧倒的なロボ戦闘と、セリフだけでなく細かい表情や仕草まで丁寧に描かれる青春模様。アニメ会社的に言えば、前者に定評のあるTRIGGERと後者が十八番のA-1Picturesが合作するだけあって『鬼に金棒』な面白アニメになってる。

あと、何がスゴいかというと、各話で面白要素が変わること。例えば、1話はラストのロボ戦闘、2話は幼馴染が敗北する恋愛模様、3話はミツルとか多人数を巻き込んだ青春模様、4話は主人公とメインヒロインの圧勝恋愛といった具合に、いろんな面白要素があって各話でその中の1つの要素を最大出力にしている感じ。だから一切ダレることがなく、毎回が優勝なのである。

 

とまぁ、4話までについてはここら辺で終わりにし、本題の5話に入りたい。

 

5話は簡単に言えば、命を削って生きがいを求めるヒロに対する幼馴染イチゴと親友ゴローの心配が、ヒロとゼロツーの歪な絆の前に敗北する淡い青春群像劇である。その過程がどこまでも丁寧に描かれたことが過去最大の優勝を生んだのだと僕は思う。

 

ここでは、主に「①幼馴染イチゴとゴロー ②ゼロツー」についての2本立てで語りたい。

 

イチゴとゴロー 二者二様の心配と芽生える感情

まず、5話はヒロが命を削ってまで空を飛んで生きがいを求めることへの、幼馴染イチゴとゴローの心配劇だが、ヒロが飛ぶことへの是非という点で両者は本質的に異なる。イチゴは飛ぶことを認めるのに対し、ゴローは飛ぶことに反対するのである。

 

「では、なぜ2人は異なるのか?」

 

それは2人から見るヒロが大きく異なるからである。

 

まず5話のヒロは4話の2度目のストレチア操縦でカラダがボロボロであった。しかしながら、ボロボロの容態がバレたらストレチアに乗って空を飛ぶという生きがいを奪われかねない。だから、ヒロはみんなの前では気丈に振る舞い続ける。

そんな表面的には明るいヒロを見て、イチゴを含めたみんなはヒロが飛ぶことに肯定的になるのである・・・ただ1人、同室のゴローを除いて。誰よりもヒロの危険な容態を間近で見るゴローだけは違う。

 

つまり、イチゴが見るヒロは「ストレチアに乗れるようになりチームに馴染もうとする明るいヒロ」なのに対し、ゴローが見るヒロは「ボロボロになりながらも生きがいのために命を削り、誰にも頼らないヒロ」。

両者の見るヒロが異なるからこそ、イチゴは飛ぶことを認め、ゴローは反対するのである。

 

そして、5話でスゴかったのはこのゴローの葛藤である。彼はヒロの苦痛を誰かに訴えて助けたいが、本人から覚悟の決まった表情で他言無用を頼まれ誰にも言えない。

 

 

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誰かに助けを求めてヒロの肉体を守るか、ずっと黙って彼の生きがいを優先して精神を守るか。

苦渋の選択である。

優しすぎるゴローは後者を選ぶも、彼の心配はヒロに届かず苦しむのである・・・このゴローの苦しみを何度も表情で表したのがこの作品の真骨頂であった。

 

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こう言うと、ゴローばかりが心配してイチゴが能天気に思える。

 

だが、それは違う。

 

彼女もその優しすぎる心でヒロを想うのである。

彼女の心に不安が生まれたのは、他部隊とのミーティングでゼロツーの危険性を聞いた時。

他部隊のメンバーが2年前にゼロツーの独断専行でパートナーを失った話をした時、イチゴが服の裾をギュッと握る一コマがある。本当に何気ない1シーンだけど、この丁寧な仕草の描写こそが本作品の凄さである。イチゴの不安の発端をきっちりと演出している。

 

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そして、ここからイチゴの心配は加速し、それがラストのゼロツーへのヒロの安全懇願に繋がる。

その結果はーーー言うまでもない。

 

ゼロツーから「ヒロが乗りたいと言ってきた」ことや2話で一緒に乗れなかった事実を指摘され、挙句の果てにゼロツーの命に対する非人間的な軽薄さに打ちのめされてしまうのである。

 

ゴローはヒロ自身に心配を否定され、イチゴはゼロツーに否定される。最初はヒロの飛翔の是非で異なっていた両者も、最後にはヒロに心配が届かない点で同じ立場になる。

 

ただ、圧巻はここからである。

 

ゼロツーに打ちひしがれたイチゴはゴローと出会い、これまでに味わったことのない感情の奔流を味わう。ヒロに何もしてあげられない無念さ、ゼロツーがヒロを利用しようとする嫌悪感、ヒロが自分ではなくゼロツーを必要とする嫉妬、もう頭がぐちゃぐちゃになり泣いてしまう。

そして、ゴローはそんなイチゴを慰めようと手を伸ばした時に、謎の感情が芽生える・・・。

 

 

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推測だけど、この瞬間のゴローはイチゴに対して恋慕に近い感情を抱いたのではないかと思う。目の前で泣いている女の子を可哀想に想い、そっと手を差し伸べて恋をする。パートナー的にもイチゴとゴローが結ばれたらお似合いである・・・まあ、女の子との交際経験がない僕に恋心かどうかなんて分かるはずがないんだけど・・・・・・。

 

閑話休題

 

ゼロツー バケモノじみた少女

4話では女の子らしさ全開のゼロツーであったが、今回は非人間性が顕著であった。

それはイチゴとの対話シーン。ヒロの命がなくなる可能性についてはっきりと「死んだらそれまで」とまるで道具を扱うように言ってしまい、イチゴに人でなし扱いされてしまう。実際に叫竜の血を受け継いでいるし、バケモノに思えてくる・・・。

 

「だが、果たして、ゼロツーは本当にバケモノなのだろうか?」

 

僕はーーー否と応えたい。

 

まずはゼロツーの死生観について、3話のヒロと絶景を眺めた時の会話を思い出したい。

この時、ヒロはゼロツーに名前を付けることを提案するのだが、「どうせ死んじゃったら、なんて呼ばれてたのかとか関係ないじゃん」と断り、そこから命を失うことを厭わないような空中アクロバティックを見せるのである。

 

 

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ここで分かるのは、ゼロツーはヒロや他の人間だけでなく、自分自身の命に対しても無慈悲なこと。おそらく、これまでに数多の死を目の前で見てきて、そして周りから散々バケモノ扱いされてきた中で無感情に考えないと心が壊れてしまうのであろう。これは、1話の戦闘で、パートナー無しで死ぬのが分かっていても突撃しようとしたことからも読み取れる。

 

 

でも、だからこそ、彼女は自分をただの女の子として接するヒロに執着するのである。

やはり1話の出会いシーンは決定的であった。

このとき、ヒロはゼロツーが池で溺れていると思って助けようとしたりしてイケメンポイントを稼いでいたが、何よりも印象的なのはゼロツーがヒロに「ボクのツノを見ても怖がらなかったね」と言ったことである。

ここからゼロツーのヒロへのある種の依存は始まり、1話ラストではヒロのパートナーにより命を救われ、逆にヒロは空を飛べないコンプレックスを乗り越える。その後の4話ではヒロから告白し、今回の5話のラストでは・・・歪な共依存の完成である。

 

ゼロツーがいくらバケモノに見えても、彼女の中身は、自分を人間扱いしてくれる男の子に恋し依存する1人の女の子なのである・・・まあ、風俗でしか女の子を知らない僕からしたら、女の子がどんなものなのかは永遠の謎なんだけど・・・・・・。

 

 

 

 

というわけで、以上が今回の記事である。

この記事を通して言いたいのは、この作品は本当に細かい表情や仕草までも徹底的に演出されていて、だからこそ、壮大な世界観の中で少年少女の青春が限りなくリアルに描かれ、それが最高傑作の面白さを生んでいることである。

 

他にも語りたいことはあるけど(ヒロがゼロツーを案内したシーンでの「衣食住が全て管理されている」発言や他部隊の登場で徐々に世界観が明らかになってきたこととか)、語り始めたら止まらないし、今日はここまで。

 

いつものことだけど、もし最後まで読んでくれた人がいたらありがとう~!

ダーリン・イン・ザ・フランキスの感想はこれからも書いていこうと思っているから、もし良かったらまた読んでもらえたら嬉しい。

では、また今度!!

 

Just Becauseは""永遠""な件

あけおめ~~~~!!!!!!!

 

って言う相手がリアルでは家族以外にいなかった引きこもりオタクである・・・。

 

何はともあれ、今回はJust Becauseについて語り尽くす。

新年早々に去年のアニメを話すのは気が引けるけど、引きこもりオタクに年越しなんて関係ないし、遠慮なく語っていく。

 

最初に言うと、この記事はJust Becauseのアニメと小説の両方を踏まえてその違いに注目しながら語っていくから、小説を読んでない人にはネタバレになるかもしれない。

 

ここからは小説のネタバレを見ても構わないっていう人だけがスクロールして欲しい

(本音を言えば、Just Becauseという作品を120%味わうためにもぜひ小説を読んで欲しい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、オタク語りの始まり、始まり~。

 

 

まず、アニメと小説の両方に共通する、「Just Because」がなぜとんでもなく魅力的な作品なのか、僕なりに2つほど理由を語りたい。三角関係の面白さとかいろいろあるけど、個人的には「高校生のリアルな青春」を描いていて、「キャラがどこまでも利他的」だからだと思う。

 

高校生のリアルな青春

受験期という設定が特に上手かったし、LINE描写とか「等身大の高校生」を描くのが最高だった。あと、何気ない会話がとにかく上手い。

 

例えば、アニメ10話で夏目が泉のスマホの待ち受けが小宮であるのを見て思わず逃げ出してしまった後の「あたし、完璧本気じゃん」。

たった1つのセリフで夏目が泉への好意を自覚したのを、恋愛経験0の僕みたいな童貞でも理解できる。

 

他にも、4話のラストの初詣帰りで、夏目が受験を言い訳に陽斗を諦めようとしていることを泉が咎め、夏目に部外者扱いされた時の「・・・関係ないはないだろ・・・」。

夏目への気持ちを隠し続けていたけど、あまりの辛さに漏れ出た本音が最高すぎた。

 

これはほんの一例で、受験期の微妙な雰囲気の会話とかもめちゃくちゃ上手いし、彼ら彼女らの高校生活がリアルなのである。

だからこそ、彼ら彼女らの恋愛にテレビの前にいる僕みたいなオタクも感情移入できるし、失われた青春を取り戻せる。もう、最高のアニメである・・・まあ、僕は男子高だったから、青春は最初から存在しなかったんだけど・・・。

 

キャラの利他的精神

どういうことかと言うと、どのキャラも自分の損よりも他人のために行動できて、その不器用だけど誠実な人間性が見ていて心地良いのである。

試しに考えて欲しい。

 

Just Becauseで好きなキャラを聞かれたら、誰が思いつく?

 

僕は第一に小宮で、次に夏目を挙げる。でも、やっぱり主人公の泉だって好きだし、親友の陽斗も良い。

みんなはどうであろうか?

今言った主要キャラ以外を挙げる人もいるだろうし、必ず1人は思い浮かぶはずである。

 

では、今度は逆に聞きたい。

 

1番嫌いなキャラはいた?

 

僕は正直に言って、いない。本当にいない。泉たちがなかなか告白しないもどかしさはあったけど、嫌いにはならなかった。

みんなも同じだと思う。

このアニメは自分の得のために他人を傷つけるキャラがいないのである。

それどころが、自分の損よりも他人のためを優先するキャラばかりなのである。

1人ずつ解説していきたい。

 

まず、泉。

1番大きいのは夏目のセンターを助けたこと。夏目に対しては中学時代の生徒会の仕事も手伝っていた。

そして、小宮の写真許可の一件。小宮が知らないオッサンに写真撮影を咎められ警察沙汰になった時の話である。この時は「警察沙汰に関わる」「写真コンクールで大勢の前に自分を晒される」っていう自分の損よりも小宮のためを優先したのである。

これだけではない。親友の恋愛相談に乗ったのもそうだし、とにかく泉は他人のために動ける主人公なのである。

 

他のキャラも簡単に言うと、夏目は卒業式で式辞を読んだように高校では生徒会長の役目を果たしたし、中学の頃は生徒会で周りがやらない仕事を1人でやり、泉に「夏目って損な性格してるよな」と言われたほどである。

実際、泉の夏目が好きな理由は、こういう「不器用なところ」である(小宮に聞かれた時のセリフ)。

 

小宮は言うまでもない。泉のためにお守りを集め回ったり、卒業アルバムを作ってあげた。

 

サブヒロインの森川は、夏の野球大会の応援で精一杯野球部のためにトランペットを演奏したわけで、陽斗はそういうところに惚れた。

その陽斗は森川のために苦手な犬を克服しようとしたし、森川のためなら自分の損を顧みない一面があった。

他のキャラだって、夏目の友達は夏目の受験を陰ながら応援していたし、写真部の鉄オタだって小宮のために真剣に部活をやってその結果として写真コンクールで金賞をもらったのだと思う。

 

このようなそれぞれの利他性がこの作品の魅力だったと僕は思っているし、泉たちのその不器用さが異性を惹きつけたのであろう。僕もぜひ見習っていきたい・・・まあ、僕が見習おうとしても、実践できる相手は風俗だけなんだけど・・・・・・。

 

以上が、Just Becauseの魅力の解説である。ここからは、アニメと小説の違いについて語っていきたい。

 

まず、小説は1巻分で、これは平均的なラノベアニメなら3話分といったところ。それがJust Becauseでは12話もかけているのだから、アニメの方が内容が濃いのは当然で、アニメにはあって小説にはない要素の方が多くなる。小説は泉と夏目の恋愛が濃度99.9%で、それ以外の小宮や陽斗たちが一滴レベルと言っても過言じゃない。

 

ということで、まずはアニメにあって小説にない点を語っていきたい。簡単に言うと、小宮と、陽斗のそれぞれの描写はアニメの方が圧倒的に多い。詳しく語っていきたい。

 

小宮が可愛すぎる!!!

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はい、もうこれがこのアニメ最大の面白さだった。小宮が可愛くて応援したくなればなるほど、夏目に負けた最終回での慟哭が最高に感動できて泣ける。どれぐらい感動できるかって、恋愛経験のない童貞があたかも自分が失恋したかのような気分になるぐらい・・・酷い例えだが、それぐらいスゴいのである。

 

ところが、小説だと小宮の描写は驚くほど少ない。小説の小宮は、ランニング中の泉とコンビニで会わないし、バレンタインにチョコもお守りもあげない。そして、卒業式後の泉にフラれる所では涙を我慢して無理やり笑うところで終わり、アニメのような慟哭はない・・・明らかにアニメの方が最高である。

 

地味な所で行くと、アニメでは写真部の鉄オタ二人組の描写が多くて、小宮にとって写真部がちゃんとした居場所であることがよく分かり、小宮の写真部存続へのこだわりの強さがより自然に感じられる。これはかなり重要なことで、だからこそ、泉が小宮に写真の使用許可を出して写真部存続を助けた時は彼女にとって「泉=救世主」となり、好意の対象となるのである。

 

あとは、小説では小宮が泉のスマホの待ち受けを変えるシーンがない。必然的に、夏目の「あたし、完璧本気じゃん」も使われる場面が違う。アニメでは夏目が泉のスマホの待ち受けが小宮であるのを見た後にこのセリフがあった。ただ、小説ではどうなのか・・・これは、後述の小説の方が良かった点で詳しく語りたい。

 

陽斗と森川って、何だかんだ言ってお似合いだよね

アニメは泉×夏目×小宮のサイドで、陽斗の恋愛も多くて面白かったけど、小説では陽斗と森川の直接的な絡みは尽くカットされている。

 

小説では陽斗が初詣にフラれたシーンはないし、森川が野球場で陽斗に真剣に再返事するシーンもない。全部、後から伝聞で教えられるだけである。

要するに、アニメの陽斗は優遇されているんだけど、じっくり描写されているからこそアニメを見ている僕らも陽斗に感情移入できて彼を理解しやすいし、その結果として、泉と陽斗の間における「陽斗を理解する泉」っていう親友の絆も身にしみる。

 

以上の、小宮と、陽斗の描写がアニメが小説よりも濃い点である。

 

ただ、小説の方が良い点もある。

それは、夏目と泉のそれぞれの心理描写。文字による情報量が多い小説の方が濃くて当然であるが、やはりここに関しては映像作品であるアニメは敵わない。

 

夏目の心理描写

1番大きいのは、「夏目の陽斗への““淡い初恋””が、どうやって泉への好意へと変化したのか」の心理である。

アニメだと、センター試験で助けてもらったのがきっかけであることは察するけど、気持ちの変化の瞬間というのは曖昧であった。

小説では、ここがはっきりしている。

 

結論から言うと、やはりセンター試験で助けてもらったのが最大のきっかけであった。ただその後の過程は小説の方が丁寧である。

 

まず、アニメにもあるが、センター試験帰りの電車で夏目が男女2人組を見るシーンがある。この時、夏目はその男の子が女の子の荷物を持つのを見て、中学時代の生徒会活動で泉に手伝ってもらったのを思い出す。

 

ここから、小説では、「今日のセンターも、中学の時も、泉はいつも自分のために損してきたって気がつく泉が手伝うのはなぜなのか自分への好意を察する」っていう流れがある。

ここが丁寧で、少し長い本文を引用すると

 

~夏目の心理~

「・・・(ずっと泉に助けられた事実を再認識した後)・・・あの頃(中学の頃)からそうだ。そんなことに今さらのように気づく。そこにどんな意味があるのかだって、もう分からない年齢じゃない。体がぽかぽかと熱を帯びていく。顔なんて熱いくらい。画面の消えたスマホには見たことのない表情をした自分が映っていた。うれしいような、恥ずかしいような、くすぐったいような、ちょっと楽しそうな顔。浮かれているような、戸惑っているような感じ。でも、基本、嬉しい。」

 

(『Just Because』p215~216より)

 

本当にため息が漏れる綺麗な文である。

この後はアニメと同じで、小宮から泉をデートに誘う宣戦布告をされ、思わず本能的に「ダメ」って言ってしまう。

 

そして、小説はここからアニメと異なる。小説では、泉と小宮がデートをする日に、夏目は途中でモノレールから降りて1人っきりになり、泉が自分以外の他の女の子の誘いを受けたことに対して泣きそうになるのである。

ただ、泣きそうになりながらも思わず頬が緩み、「あたし、完璧本気じゃん」と言って泣き笑いになる・・・なぜなら、泉への気持ちに気づけたことが、たまらなく嬉しかったから・・・・・・。

 

アニメでも場面は違えど、このセリフでは下の画像のような泣き笑いなのだが、なぜ笑ったのかがはっきりと分かるのだ。

 

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以上が小説にあって、アニメにはない夏目の心理描写であった。

とにかく、丁寧すぎる。丁寧すぎて、童貞の僕でも女心が手に取るように分かる・・・。

 

 

 

泉の心理描写

泉は主人公だからアニメでも多いけど、1つ小説で印象的だったのは野球対決にかける想いである。

まず野球対決を振り返ると、

 

1回目:「ピッチャー泉、バッター陽斗。陽斗の森川の告白への願掛け」→陽斗のホームラン

 

2回目:「ピッチャー泉、バッター陽斗。陽斗が森川にフラれた後にLINEをもらうが、なかなか返事ができなかったことへの後押し」→陽斗のホームラン

 

3回目:「ピッチャー陽斗、バッター泉。泉が夏目に告白をする勇気付け」→泉のホームラン

 

ここで、小説では2回目の野球対決で泉は勝とうとしていたことがはっきりと明かされる。

 

アニメでもあるが、対決前に、陽斗がホームランを打って勝ったら森川との関係を何とかするが、「泉が勝ったらどうするのか?」って聞き、泉は「俺もはっきりさせる」って返す。

この「はっきりさせる」が何のことかは明言されないが、夏目への告白であると思う。

 

そして、小説では、泉は陽斗に勝つためにランニングやピッチングフォームの確認をやっていたことが明かされる。アニメでは説明されなかったと思うし、夜にランニングしていた理由が分かるのである。

 

これは個人的にめちゃくちゃエモかった。だって、この説明によって3回目の泉のホームランはとっても大きなものとなる。彼はただ告白の勇気を得ただけでなく、「それまで負け続けた陽斗への勝利」という成長ができたのだ。

僕はこういう成長エピソードが好きだから、たまらなかった・・・まあ、僕自身はいつまでもコミュ障のまま成長がないダメ人間なのだけど・・・・・・。

 

あと、アニメだと何でランニングしているのかがよく分からなくて、「こいつ、いきなり受験勉強を再開して頭がおかしくなったのか・・・走る暇あるなら勉強しろよ・・・」って思っていたから、ちゃんとランニングの意義があったのは良かった。

 

この野球対決以外ではラストの夏目との再会シーンも小説の方がエモいが、詳しく語るのはもはや無粋である。

 

以上が、小説の方が内容が濃かった点である。

 

 

 

こうやって、アニメと小説の共通点・相違点を語ってきたが、やっぱりアニメと小説の両方があって始めてJust Becauseという作品が完成するのだと思う。

もちろんアニメの方が内容は多く小説は補完的な内容だけど、読んで本当に良かった。

 

そして、最後に声を大にして言いたい。

 

Just Becauseは最高!!!!!!!

 

 

 

以上がオタク語りであった。アニメの良さはまだ語り足りない(小宮の可愛さや失恋の切なさとか)が、今回はこれで終わりにしたい。

 

恒例だけど、最後まで読んでくれた人がいたら、本当に、本当にありがとう~!!

これからもいろいろ書いていきたいから、次も読んでもらえたらめちゃくちゃ嬉しい。

では、また今度!!!

 

 

Doki Doki Literature Clubの感想をネタバレ全開で語りたい件

というわけで、今回は前回の記事で紹介した下の「Doki Doki Literature Club」について、ネタバレ全開でめちゃくちゃ語り尽くす回。

 

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もし、やっていない人がいたら・・・今すぐ下のリンクから無料でダウンロードするしかない(アツいダイレクトマーケティング)。このゲームはネタバレを知らないことこそが最大の幸せなのだから・・・。

 

store.steampowered.com

 

ここから先は、本当にネタバレを見ても構わない人だけがスクロールして見て欲しい。

あと、先に言っておくとめちゃくちゃ長文である。

引き返すなら、今のうち・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、オタク語りの始まり、始まり~。

 

まずは、ストーリーの振り返りを起承転結でやっていきたい。

 

起:幼馴染・サヨリの自殺

→文芸部に入部し、4人のヒロインとキャッキャウフフな学園生活が始まった・・・と思いきや、メンヘラ幼馴染が主人公との恋愛か友情かの二択の関係に悩み自殺。いきなりプレイヤーにアッパーカットを食らわせる展開。

 

承:ヤンデレ・ユリによるホラータイム

サヨリがいなくなった世界が始まり、この世界ではヤンデレ・ユリのターン。最終的にユリは自殺。ずっとバグのような演出があって、プレイヤーにジャブを放つかのように苦しめる。

 

転:モニカによる真相の暴露

→ユリの自殺の後、モニカと2人だけの世界に移り、驚愕の真相が明かされる。それは「モニカのみが確固たる自由意志を持つ存在で、他のヒロインはみんな、主人公を好きになるただのプログラムに過ぎなかった。そして、モニカは、他のヒロインをゲーム内におけるプログラムデータから葬り去った」というもの。ここから、「ギャルゲーの主人公を操るプレイヤーたる僕らゲーム上のヒロイン」から「プレイヤーたる僕らモニカ」というメタな世界に変わっていく。

 

結:世界の終焉

→モニカと本当に2人っきりの世界が始まるが、この世界は、プレイヤーたる僕らが、現実のゲームデータ内にあるモニカのキャラデータを消すことで終わらせられる。そして、新たにゲームを始めると、モニカのいない、サヨリ・ユリ・ナツキとの世界が始まり、ようやくキャッキャウフフの学園生活が戻る・・・と思いきや、サヨリからモニカを消したお礼を言われ、また不穏な展開が始まり、もうどうしようもない・・・と思いきや、救世主・モニカの復活。プレイヤーたる僕らへの感謝と文芸部への愛を最期の言葉とし、自分自身諸共ゲームデータを全て消去して世界が終わる。

 

こんな感じだろうか。強引に起承転結に分けたけど、ちゃんと二転三転する展開をめちゃくちゃ上手くまとめていて、無料配信のクオリティとは思えない。

 

ただこれではあらすじを言っただけだし、内容について「①やっぱ怖すぎるでしょ・・・」「just Monika」「③世界の本当の裏側へ・・・」の3本立てで語りたい。全部は読まなくても、ぜひ「just monika の〇現実のプレイヤーへの関与」の内容だけは絶対に読んで欲しい。ここは僕が本作品で最大級に怖かったシーンについての話で、これを語りたくて今回の記事を書いたまである。

 

やっぱ怖すぎるでしょ・・・

まず、僕が怖かったのはサヨリが死んだ後のヤンデレ・ユリの世界なんだけど、ずっと下のバグみたいな演出があってとにかく怖かった。BGMも壊れた感じで本当に怖い。

 

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これだけだと、ただ怖さに怯えているだけだし、そんなことが許されるのは可愛い女の子だけ。僕みたいなコミュ障オタクは許されない・・・

 

というわけで、何で怖かったかをオタクらしく説明したい。

 

ズバリ、「ありうる範囲の話の筋で、ほんの少し予想を外れてきた」から。

ちなみに、実はこれは作中でモニカがホラー作品に怖さを抱く説明で似た内容を話している。

 

簡単に言うと、ユリのヤンデレって、僕がありえる話として受け入れられるものなんだけど、そうやってゲームをちゃんと認識対象としていた中で、バグの演出は予想外だった。

 

まず、サヨリの自殺って、想像しうる限りの最悪の展開だったけど理解はできる。このご時世、リアルのニュースとかで自殺の話なんてよく聞くし、恋に悩んだメンヘラの自殺なんて「いかにも」である。プレイヤーにキャッキャウフフさせるギャルゲーにおいては見ないっていうだけで、内容自体は受け入れられる。

 

これってこのゲームのかなり上手いところ。

はっきり言って、サヨリの自殺を受け入れた時点で負けだと思う。

 

最初にヒロインの自殺なんていう超ド級に最悪の展開を受け入れちゃったら、その後のユリのヤンデレなんて不快感はあっても十分にありうる。

そして、目の前のストーリーをちゃんと認識できている時に、バグの演出っていう得体の知れないものを見るからめちゃくちゃ怖い・・・

 

以上がオタクによる「怖すぎ~!!!」の解説。

まあ、はっきり言って、風俗に行っているコミュ障童貞がPCの前でギャルゲーの怖さに震えているのが1番のホラーである。

 

just Monika

このゲームは結局のところ、モニカのモニカによるモニカのためのストーリーだった。

あらすじでも言ったけど、この「Doki Doki Literature Club」というゲームの世界においてモニカは唯一自由意志で動くヒロインで、これって、つまりは僕らプレイヤーと同格の人物だということになる・・・。

こういう意味不明なことを言って許されるのは可愛い女の子だけで、僕みたいなコミュ障オタクは許されない・・・。

 

というわけで、またオタクらしく説明したい。

 

まず、「ギャルゲーのヒロインはあくまでストーリーの中でだけ動くのが“常識”である」。

そんな中で、モニカはそういう常識を破壊し、ただのゲームヒロインから逸脱した行動が大きく2つあった。その2つの行動により、僕らプレイヤーとの2人だけの世界を構築できたのである。

 

ゲームのプログラムデータへの関与という物理的行動

これは他のヒロインのデータを消したことが1番のポイントになる。

先ほどの常識でストーリーの定義を「プレイヤーがスクリプトで見る内容」とすると、この行動はストーリーの中だけで動くヒロインから逸脱するのである。

 

まあ、ストーリーの定義を「プレイヤーがゲームのプレイにより見聞きしたもの」とすると、結局のところどんなに頑張ってもヒロインは2次元から超えられないんだけど、細かいことを気にしてはイケない。こういう細かいことが気になる人は絶対に女の子にモテない・・・・・・僕がなぜ童貞なのかよく分かる瞬間である。

 

閑話休題

 

現実のプレイヤーへの関与

ここで、モニカがゲームのヒロインから逸脱した大きな瞬間があって、それは2人っきりの世界になってプレイヤーの名前を呼ぶシーン。正直言って、怖さで言えば1番鳥肌が立った瞬間である。

 

まず、このゲームって、最初に主人公の名前を設定するけど、みんな、何かしらこだわりのある名前にしたと思う。ちなみに、僕はまさしく自分の下の名前の短縮形でやって、例を言うと「hiroaki→hiro」みたいにした。

 

 

それで、この2人っきりの世界に入った時、モニカがプレイヤーに対して名前を呼ぶシーンがあるんだけど、その時に「ねえ、hiro(プレイヤー名)・・・いや、hiroakiくん(本名)」っていう風に話しかけてきた。

 

これは、本当に肝が冷えた。

 

だって、それまで僕はゲームに対して「hiro」という名前を設定しただけで「hiroaki」という本名の情報は一切明かしていなかったのだから・・・

 

しかも、本当の下の名前をそのまま呼ばれたものだからもう恐怖しかなかった。さっきの何でホラーが怖いかの話に当てはめると、モニカが世界観の説明をして僕が「この話はありえる」と認識し始めた時、そこでいきなり予想外の演出をしてきたのである。怖すぎる・・・。

 

 

この仕組みについては下の掲示板で談義されていて、上手く伝わるかは分からないけど、「プレイしているPC自体のユーザー名(僕の場合は下の名前になっている)を呼ぶプログラムなのではないか」って言われている。

(Spoilers) Just Monika :: Doki Doki Literature Club General Discussions

 

どういうことかを僕の例で説明すると、

PCのユーザー名を本名の下の名前『hiroaki』に設定(このゲームをプレイする以前のPCの初期設定の話)

ゲームを始めて主人公の名前を下の名前の短縮形『hiro』に設定

ゲーム内のプログラムがPCのユーザー名を把握し、モニカは『hiro(プレイヤー名)』から『hiroaki(PCのユーザー名)』に呼び直す

 

いや怖すぎるじゃん・・・なんで、ユーザー名を把握できてんの・・・・・・(情弱なので本当に死ぬほど怖かった)

 

そして、この怖すぎる演出こそ、ヒロイン・モニカを2次元の存在から3次元にいる僕らと同格にした最大の要因だと思う。だからこそ、モニカは唯一無二なのであり、それはもはやゲームのヒロインとかいうちゃちなものではない。1人の女の子なのである・・・コミュ障オタクがこんな意味不明なことを言っても許してほしい・・・・・・。

 

世界の本当の裏側へ・・・

 

ここでは最後にYouTubeにある実況や考察動画を3本ほど紹介したい。

~1本目~

www.youtube.com

めっちゃ長い海外の実況動画なんだけど、特にモニカと2人っきりになった世界の後のお話(この人は全6本アップしていて、これはラスト)。この2人だけの世界はモニカのキャラデータを消すことで終わる。僕なんかはモニカと2人っきりになって5分ぐらいで終わらせたんだけど、驚くべきことにこの人は1時間近くモニカとの会話を見続けている。

そして、この動画の本当に驚くべきはラスト。

これはスペシャルエンドと言われるもので、1周目にちゃんとセーブ機能を駆使してヒロインのCGを全て集めると見られるらしい。

これこそが本作品におけるハッピーエンドとなり、何とモニカのピアノ演奏と歌を聞ける。作中で練習していたピアノ演奏がやっと聞けるのだ・・・。

そして、ラストでは製作者からの感謝の手紙が画面に映し出される。

何とも憎い感動展開である・・・プレイヤーと製作者が1つになった素晴らしい動画。

余談だが、先ほどのユーザー名を呼ぶめっちゃ怖いシーンではこの外国人もマジで驚いている。

 

あと、途中のモニカとの会話ではメタな発言が多くて面白い。例えば、サヨリの首吊りシーンではサヨリの手が血まみれなのを指摘していて、これはサヨリが死ぬ間際に生きようと縄をほどこうとしていたんじゃないかって言っている。

他にもユリのことや一般論についていろいろなことを言っているけど、その中でもサヨリの話に絡んだ「周りに鬱病っぽい人がいたときの対処法」は興味深い。

モニカ曰く、それは「親友のように一緒に時間を過ごすようにし、何でもいいからその人に予定を作って常に楽しみな気分にしてあげること」らしい・・・僕はこのゲームが怖すぎて鬱病になりそうだったけど、僕を気にかけてくれる人はいなかったな・・・(鬱病の加速)。

 

閑話休題

 

~2本目~

www.youtube.com

短いけど、BGMのピアノ演奏についての考察。まず作中ではモニカがピアノの練習で部活に遅れたシーンがあったように、モニカとピアノは関係がある。

ここから、この動画主は「劇中にピアノの音があるとき、それはモニカがプレイヤーと同じように画面内の出来事を監視しているか、実際にイベントに絡んでいる」という考察を言っている。

この考察はモニカの特異性を強調していて面白かった。さっきの②just monikaでいかにモニカがゲームのヒロインを逸脱しているかを述べたけど、これはそれを補強するものとなる。

 

実際、この考察で、2週目でユリがヤンデレになった時にナツキと詩を見せ合うシーンの怖さが変わる。

この時に、ナツキは詩を見せるふりをして「ユリを何とかして!ただ、私のこの頼みをモニカには内緒にしてね!!」って言うんだけど、これもモニカにお見通しだったら・・・怖い。

 

~3本目~

www.youtube.com

いろいろな小ネタをまとめているもの。やっぱ怖いわ、このゲーム・・・・・・。

 

 

 

というわけで、以上がネタバレ全開のオタク語りであった。

 

自分でもびっくりするぐらい長くなったけど、十分に語りつくしたし、それだけこのゲームは凄かった。いろいろ言われるように、「君と彼女と彼女の恋。」っていう日本のエロゲに近いのかもしれない。僕はやっていないから比較はできないけど、それでも声を大にして言いたい。

 

 

Doki Doki Literature Club』はヤバい!面白かった!!

 

 

 

最後に定例だけど、ここまで読んでくれた人がいたら本当にありがとう~!!!

僕がオススメしたゲームをやってくれて読んでもらえたのであればめちゃくちゃ嬉しいし、少しでも面白く感じてくれたら書いた甲斐があった。

 

では、また今度!!!!

海外のギャルゲーをやってみたら、心臓に悪すぎた件

というわけで、今回は、以下の海外の無料ギャルゲー「Doki Doki Literature Club」をやってみたら、冗談抜きで怖すぎて、みんなにも同じ経験を味わって欲しいっていうお話。

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まず、先に言うと、このゲームは無料。何と無料!!(大事なことは2回言う定番ネタである)

やり方もめちゃくちゃ簡単で、Steamっていう海外のゲームサイトに無料でアカウントを作るだけ。そうしたら、無料でダウンロードできる。

 

そして、この作品、もうめちゃくちゃ口コミの評価が高い。上記のsteamにはゲームのレビューも載っているんだけど、4万近いレビューが集まって97%が「好評」と評価しているのである。

あと、プレイ時間も5時間ぐらいで終わる。

 

無料で手軽にできて、高評価。

もうやるしかない

 

 

 

これだけでやる気になった人は、もうこれ以降の文章を読まずに、今すぐ下のURLからゲームを始めてほしい。このゲームに関しては、情報量が少ない状態であればあるほど、プレイした時に極上のホラーを味わえる。

 

store.steampowered.com

 

 

 

ただ、やっぱり、上記だけではまだやる気にならない人も多いと思う。

そういう人のために、これから僕が作品紹介をしてやる気になってもらうのである。

 

ということで、ここからは僕がネタバレのギリギリのラインを攻めつつ作品の面白さを紹介していく。予防線になるけど、ネタバレを知っても楽しめるゲームなので、ネタバレに敏感にならないで欲しい。

 

ネタバレを気にしない人だけ、スクロールして欲しい。引き返すなら、今だけ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではでは、オタクのゲーム紹介の始まり、始まり~。

 

まずはこのゲームを始めようとすると、びっくりの注意がある。

 

お子様や精神的に不安定な方には向いていません

 

これを聞いて、「またまた~w 予防線を張っているんでしょww」と思うかもしれない。

ただこの作品は・・・ガチである。

むしろ、こんなのは甘い注意で、「プレイすれば必ず精神を乱されますが、開発者は一切の責任を負いません」ぐらい言ってもいい。

 

 

では、どんなゲームなのか。簡単に言うと、帰宅部のオタク高校生が文学部に入り、下の画像の女の子たちとイチャイチャする話。ヒロインも左から、幼馴染で元気少女のサヨリ文学少女で落ち着いたユリ・クラスのリーダー少女モニカツンデレ少女のナツキ。テンプレのようなヒロイン達である。

 

 

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あれ?何も怖い要素がないし、ただのギャルゲーじゃん!!!

 

 

そう思ったかもしれない。実際、最初の1時間ぐらいは何の変哲もないギャルゲーである。

 

 ただ、そう思ったオタクを恐怖のどん底に陥れるのである。

 

 

ここで、この記事を読んでいる人に聞いてみたいけど、「2次元で好きなキャラは誰??何人ぐらい思いつく???」。

 

たぶん、最低でも2人は思いつかないだろうか。

 

僕なら、きんモザの小路綾ちゃんやこの美術部の宇佐美みずきちゃんを即答するし、もっと出てくる。例えば、アニメに限っても、「前のクールで好きな子がいたけど、今期では別の子が好き~w」なんて日常茶飯事である。僕なんて、前期ではアホガールの隅野さやかちゃんが好きだったが、今期はjust because の小宮ちゃんしゅきしゅきオタクとなっている。

 

つまりは、2次元でただ1人のヒロインだけを好きになる人は少ないはずである。

 

でも、ここでよく考えてほしい。

3次元である僕らは何人も好きなヒロインを選べる。

ただ、2次元のヒロインの方はどうであろうか??

 

ギャルゲーの場合、ヒロインが好きになるのは目の前にいる僕ら、つまりはプレイヤーのただ1人である。

 

プレイヤーは複数のヒロインから1人のヒロインを選べるのに、ヒロインに選ぶ権利はない。実際、僕らプレイヤーは「なんか、この子可愛いなw」っていう理由で選んだり、「なんか、この子ウザいな・・・」っていう理由で選ぶのをやめる。

 

ここまで聞いて、あなたは「いや、当然でしょ。だって、ただのゲームじゃんw

と思うかもしれない。

 

その通りである。

 

ただ、この「Doki Doki Literature Club」は、プレイヤーがヒロインを気軽に、そして、無責任に選ぶことに対して""鉄槌""を下して取り返しのつかない惨劇をお見舞いするのである。

 

そして、惨劇を目撃した時、プレイヤーはどうするであろうか・・・??

もちろんリセットして、もう一度ゲームをやり直そうとするであろう。

だって、ただのギャルゲーだもの。

 

ただ、ここから、本当のホラーが始まるのである。この時に先ほどの「取り返しのつかない惨劇」の本当の意味を理解するであろう。

そして、ゲームのヒロインを気軽に選んだプレイヤーに罰を与えるかのように、じわじわと恐怖のどん底に陥れるのだ・・・

 

どれほどのホラーなのか、これはぜひ、自分の目で確かめて欲しい。

そして、プレイする時に肝に銘じて欲しいことがある。

 

それは「ヒロインに本気になること。真剣にヒロインを選ぶこと

 

絶対に忘れないで欲しい。

 

あと、「プレイしたらスタッフロールが流れるまでやり遂げること

 

そうすれば、ホラーを味わった先に、あなたは世にも綺麗な世界を見ることができるであろう・・・

 

以上が、みんなにやって欲しい紹介である。

要約すれば「めっちゃ怖いけど絶対に面白いからやって!!!」という一言に終わる。

やっぱり、さっきも書いたけど、ホラーを超えた先には唯一無二の奥深さがあり、それが数多の高評価の要因だと思う。

ぜひ、やってみて欲しい。

 

最後に、ちょっと注意すると、これは海外のギャルゲーで英語のゲームである。

つまりは、英語が苦手だと正直キツイかもしれない。

ただ、やってみた自分から言うと、高校生レベルの英語ができれば問題はないと思う。

正直、自分もよく分からないシーンはあったが、作品の本質に迫るシーンの英語は易しいし、何より演出が神過ぎて問題はない。怖さはしっかり味わえる。

 

まあ、日本語版も製作中らしいのでそれを待つのも一手だが、もし、英語が少しでもできるのであれば本当にやって欲しい。極上の経験ができる。

 

 

では、オタクによるゲーム紹介の終わり。

最後まで読んでくれた人がいたら本当にありがとう~!!

では、また今度!!!

弱キャラ友崎くん 5巻が最高すぎた件について

 

Twitterでは書けないことを語りたいな~ということで始めてみた。

Twitterの140字で書ききれないラノベ感想やアニメ感想をやろうと思っているけど、気ままにいろんなことを書いていこうと思う。

 まあ、はっきり言うと弱キャラ友崎くんの5巻が最高すぎてそれを思う存分に語りたいがために始めた。

最初に言うと、自分が読んだ数多のラノベの中で史上最高傑作。

Twitterの長文ツイートでさえ収まらないものになるし感想は読んだ人向けになるけど、読んでもらえたらめっちゃ嬉しい。

 

 では、オタク語りの始まり~、始まり~。

 

 ということで、これから弱キャラ友崎くん 5巻について語るけど、ざっと4巻の内容をおさらいしたい。

4巻はまず日南からのリア充化課題『クラスの女王・紺野に球技大会でやる気を出させろ』をこなすのがメインで、そのサイドで純情乙女・優鈴×ボス猿・中村の恋愛応援をしていた。それで、なんやかんやありつつ友崎がいろんな人の助けを借りて解決・・・と思いきや、ボス猿に恋していた女王は負け犬と化し、その腹いせに大正義たまちゃんに嫌がらせを始める。たまちゃんはクラス内で孤立して、助けて友崎くん・・・

 

まあ、4巻はこんな感じで、5巻はいかにたまちゃんを救うかというお話。

 

まず、5巻の感想に入る前に、本シリーズが4巻で少し“趣”が変わったのを語りたい。

というのも、3巻までは「非リアオタク・友崎がいかにしてリア充になるか」というある種の成長譚だったのが、4巻のクライマックスでクラス内のドロドロストーリーに変わってしまったのである。たぶんだけど、友崎のコミュ力スキルがある程度まで上がってしまい、それまでの成長ストーリーには限界が出てきて話が変わったんだと思う。

 

そして、5巻は・・・ラノベに進化した。

 

語りたいことは山ほどあるけど、語りたいポイントは大きく3つ。

 

たまちゃんの成長

今巻のメインストーリー。

まずたまちゃんが成長を目指したのはクラスでの孤立によりみみみを悲しませたくないっていう、世にも崇高な願いによるものだった。たまちゃんのみみみへの想いはかなり重要になるので念を押したい。

 そして、孤立回避のためには「いかにみんなに親しまれるか」がポイントとなっていく。

 

話が進むと分かるけど、たまちゃんはポテンシャルが高く、表情や喋り方といったコミュ力スキルでは友崎をも上回る(ここでの友崎との比較ネタはギャグっぽくて良かった)。ただ、スキルはあっても、どうも活路が見出せない・・・特に、たまちゃんは自分の思ったことをそのまま言うタイプだが、同じタイプのアホの竹井は親しまれ、たまちゃんは親しまれない。

 

キャラの確立が課題になる中で明らかになったのが―

他人への興味の欠如』。

 

この後は、大天使・菊池さんを巻き込んだり、背が小っちゃいキャラを活かしたお笑いスキルと、他人への興味というメンタルの双方で解決に向かっていく。

 

振り返ると、この流れは単純だけど、中身は友崎のこれまでの成長を最大限に活かしきっていて最高だった。いろんな人を巻き込めたのは友崎が努力して築き上げた人脈のおかげだし、たまちゃんを説得した「他人に興味を持つ楽しさ」もこれまでの友崎の実体験だけあって納得しかない。読者である僕らこそが1番間近で友崎を見てきただけあって、この展開はアツい。そして、何よりも「みみみがいろんな人へ興味を持っているし、自分も頑張らなきゃ」が尊すぎる。たまちゃんには一生幸せになって欲しい。

 

こうして、活路を見出し一件落着・・・といかないのが、今回のスゴイところ。

上げたところでさらなるどん底に叩き落としたのは圧巻。

他人への親しまれ方は解決するも、男と一緒にいたのが原因で紺野の嫌がらせは一線を画してしまう。

みみみ達との思い出のストラップの破壊。

みみみとの絆が何よりも大事なたまちゃんにとっては悪魔の所業である。そもそも、たまちゃんがこれまで頑張ってきたのはみみみのためだったのに、その頑張りのせいでみみみを悲しませてしまう。この絶望は、僕みたいな女心とは無縁のオタクでも痛いほど分かる・・・。

 

そして、その後の魔王日南によって紺野が制裁された後の救済劇。

たまちゃんの芯である、「他人への思いやり」「自分の正義を実行する勇気」を活かしたのは感無量である。それも、ずっと学んでいたお笑いスキルによる解決だけあって感動しかない。キャラも確立し、クラスのみんなにも親しまれて全てが解決する。

 

こんな感じで、たまちゃんの、たまちゃんによる、たまちゃんのためのストーリーだった。総括すると、大団円でしっかりとした説得力があったのが大きかった。友崎視点が丁寧だからこそ誰もが納得のいく「終わり良ければ全て良し」になり、好印象で終わったのはポイントが高い。

あと、これまでは友崎自身が自分の課題を解決しようと躍起になるのがパターンだったけど、今回のいろんな人の助けを借りて他の人を助けるっていう展開は大きな成長を感じられて感慨深い。

 

 ②友崎から見た魔王・日南の悪意

教室での紺野への制裁シーンこそ、このラノベが最高傑作たる所以である。

ラノベ史上に残る伝説のシーン。

全てを掌握し、とてつもない伏線回収により読者の予想をも操った全能感はヤバいとしか言いようがない。

分かりやすい衝撃は伏線回収だけど、教室内での日南のセリフや態度、その全てが紺野への制裁として計算しつくされていたのは超人的であり、だからこそ友崎の魔王評がぴったりなのである。

 

まず、制裁に入る前に、たまちゃんが男といることがバレたことについて。

日南は優鈴と中村に学校外で会わないように言っていたけど、これがそのまんま友崎達の失態になるのである。正直、この伏線回収だけでも鳥肌モノ。ただ、こんなものは魔王の序の口であった。

 

制裁での伏線回収のメインは、女王への反逆者・秋山の利用と、優鈴&中村のラブカップルで紺野に恋の敗北を叩きつけるもの。

こんな1文では表しきれないが、何より自分がぶったまげたのは優鈴・お手製のティッシュカバー。この伏線回収は、自分がこれまでに味わったあらゆる作品の伏線回収の中で断トツの衝撃であった。

 

まとめると、「日南さん、マジ、魔人かよ・・・」になるが、今回は友崎視点が多かったのが面白さの隠れた要因かなって思う。教室でのシーンは、友崎がある種の解説役になっていたけど、ものすごく自然で臨場感がスゴい。心理描写は上手いし、これまでの成長から友崎が解説役なのも腑に落ちる。

ずっと素の日南を知る友崎だからこそ誰よりも日南の悪意を理解できるって自然と読者が受け入れられる。

 

そして、今回の話で秀逸だったのは、問題解決において、「たまちゃんを変えずに周りを変えたい・日南」と「たまちゃんに変わって成長して欲しい・友崎」っていう対立構造。

3巻でも菊池さんへの告白を巡って対立があったけど、今回は日南の内面に迫っていてエモい。

日南の過去に何かあったのではないかと予想させて最高。

実際、今回の友崎が日南との出会いを思い出し、日南自身が『最初は完璧ではなかった』って言っていたのを思い出すシーン。

実は日南も過去に自分の思ったことをそのまま言い過ぎてたまちゃんみたいな孤立に陥り、そこから今のスーパー・仮面少女が生まれたのではないかって思わせた。日南自身が自分を曲げて変わってしまったからこそたまちゃんには正義を貫いて欲しいと思い、それが今回の魔王降臨に至ってしまった・・・これは個人的な憶測だけど、今後、日南の過去に迫ることを期待したい。

 

誰ルートになるのか?

結論から言うと菊池さんルートの可能性が高いのかなって思う。今までの天使描写はネタキャラな感じがあったけど(某青春ラブコメの戸塚を彷彿させる)、ガチ恋で天使にしか見えなかったっていうのは後出しでも納得できる。

個人的に印象的だったのは、水沢の策略で菊池さんと二人っきりで下校したシーン。後から、「何を話したのか覚えていないけど、心が暖かったのは確か」って言っているのはもうガチ恋じゃん。まあ、僕は女の子と話して帰ったことすらないからよく分からないけど・・・というか、女の子と一緒に歩くって、風俗で見送られる時ぐらいしかないし・・・。

 

閑話休題。今回の友崎の恋愛面において水沢が超キーパーソンだった。菊池さんへの恋心に迫ったのも水沢だったし、何よりもラストシーン。友崎に日南への思いを聞くのは痺れた。

結局、あやふやに終わったけど、やっぱり友崎に日南への恋愛感情はないんじゃないかなって思う。だからこそ、僕は菊池さんルートを推すんだけど。

 

何となくだけど日南に対しては、恋愛感情とは別ベクトルのものに思える。

リア充を目指すためにいろいろ教わり、「この世界が捨てたもんじゃない」ってことを心から納得するために超えなければならない師匠的な存在が強い。だからこそ、今回のラストで「もっと深く理解したい」と言ったのだろうし、日南と結ばれるのは分不相応な感じがあって納得しにくい。日南の相手は水沢の方がお似合いだし、今回で水沢も成長してこれから日南の本性に近づけるといいなって思う。

 

 

 

今さらだけど、恋愛経験ゼロの僕がラブコメの展開について語るって滑稽すぎる・・・。

 

 

まぁ~、語りたいところはこんな感じ。最初に言ったことの繰り返しになるけど、とんでもなく面白い最高傑作だった。読めば読むほど、話の構成が緻密で最高すぎる。無駄なキャラや描写が一つもない。伏線回収が1番分かりやすいけど、友崎が関わった人や事の全てが彼の成長に繋がっていて、だからこそ、とてつもなく面白い。

 

実際、この感想記事の文字数は何と3000字である。大学の1000字のレポートでさえコピペをしまくる僕がこんだけ書けるって、面白かったことの何よりの証である。

 

正直、語り足りないところはまだあるけど(水沢の深堀りや、友崎の成長について)、とりあえず今回はここまで。

最後まで読んでくれた人がいたらありがとう!!!

今後も付き合ってもらえると嬉しい。