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【ファミリーヒストリー】高嶋政宏 母・寿美花代と松平家、徳川家康。父・忠夫 

高島家

祖父・信夫

明治26年生まれ。高島哮水(こうすい)を名乗り、琵琶に熱中、
忠夫の著書によれば

何しろ食べるのに困らないものはありますから、一定の仕事に就く気になれない

祖父に店子(たなこ)さんから家賃をいただいてくるようにと言いつけられても

そのお金を持って競馬に遊びに行ってしまうような人だったのです

ちさ子の父・弘之は二男。

齋藤家

忠夫の母・はる。20歳で信夫と結婚

5代前・齋藤三平(はるの曾祖父)勘定奉行だったが陰謀により脱藩。その後幕府から人を受け北海道へ。1861年、北斗市茂辺地に骨をうずめる。
三平汁は北海道の郷土料理。
たら、しゃけ、にしん、じゃがいも、にんじん、だいこん、ねぎを塩味で。始末料理(材料を無駄なく食べる)共に働いた人たちにふるまったとされているが、歴史上つじつまが合わない。

齋藤實堯

高祖父。明治15年田原市へ。平成半ばまで続けられたセメント事業の土台を築く。實堯の孫がはる。

忠夫

昭和5年生まれ。旧制神戸一中では水泳部。神戸空襲の記憶については小松左京との対談で触れている
※我々はドレミファドンで育ったなぁと思いながら、同時間帯の中山秀征版を見ている

98年夏、68歳の時「寒い、冷房を切ってくれ、毛布をくれ」心療内科でいったんよくなり仕事復帰。フロリダへ行ってる間にうつ病に。仕事をすべて降板。母はるが危篤に。後追い自殺するから絶対に見せないでくれと医者に言われた。はるは100歳で亡くなる。以後忠夫の前で母・おふくろという言葉は禁止ワードに

長男道夫

昭和39年、誕生。生後5か月の時、17歳のお手伝いさんに殺される

寿美花代と松平家

松平莞而

政宏政伸の曾祖父。元士族。牧ノ原台地を開墾するが、明治4年に政府からの給金が一方的に打ち切られる。

山岡鉄舟の春風館において十傑の一人とされた。42歳で宮内庁に出仕。

安土桃山時代の先祖は勝俊。その母は伝通院。先祖は左右衛門勝秀。祖父は松平信濃守。