新あんこのログ

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脳出血(脳幹延髄小脳)障害2要介護2

嚥下障害のこと。同じ障害でも人それぞれ出かたは違うの

私の障害の一つに嚥下障害があるのですが、嚥下障害というものは、脳疾患(脳梗塞脳出血)直後は程度の差こそあれ、結構出る症状のようです。

私の場合、嚥下に影響が出る脳幹そのものをやられていますから、他の部分の脳疾患者より、強めに出ているほうかもしれません。

ただ発症直後、嚥下に影響が出た(今は完全に、あるいはほぼ、回復している場合が多い)、という人は割と多いので「分かる―」という感じで、ある程度理解してもらえて、基本的には症状の辛さや不便さは説明せずとも理解してもらえるので、普段は、その件についての説明はあまりいらず楽なのですが。

 

私が通っている半日型デイサービスにはお茶休憩があり、飲み物とおやつが出ます。

私は今はほぼなんでも飲食できるのですが、完全に回復した状態で飲食しているわけではありません。

また体中に失調があり、そのせいで手先が震えうまく使えず、飲み物は取っ手がしっかり握れるマグで、かつ8分め以上注ぐと震えてこぼすので、少なめに注いでもらいます。

 

夏の間はアイスコーヒーを飲んでいたのですが、先日大分寒かったので「ホットコーヒー、水でぬるくしてください」とお願いしました。温痛覚障害もあるので、熱いものは飲食できないのです(だからラーメンなども冷める=伸びるまで食べられない)

私の症状をよく知っているスタッフさんは、問題なく作ってくれるのですが、その日淹れてくれたスタッフは、私が熱いものを飲むときの注意点諸々を知らない人だったので、まず「ホットと言っているのに水でぬるく」の時点でイレギュラーに感じたと思いますし、それで出されたコーヒーはやはりまだ私には熱く、かつすでに水を足した分量が多く持ち上げられない感じでした。

「悪いけど、まだこれだと私には熱いからもう少し水足して。で、多いから少し捨てて……」と言っている間に忙しいスタッフは、なみなみに注いだコーヒーを出してきました。

「ほんと手がかかって悪いけど、これだと私持てないから、少し捨てて――」と言っているのに「大丈夫。受け皿下に敷くから。口付けて飲んで」と、マグカップの下に受け皿を置かれ。

 

 イラッ

 

でもスタッフも忙しいんだし、最初から全部説明する場面でもないし、なにより、まだ手をかけて、これ以上面倒な利用者と思われるのも嫌なので、非常に不本意ながらカップを置いたまま口をつけて飲みました(健常時は飲食の無作法は嫌いで、人よりは行儀よく飲食していたつもりです)

 

一緒におやつ休憩だった70代くらいの男性利用者さんが

男:ストロー使えば?

私:それが私、ストローも使えないんです。唇も障害あるからくわえる力弱いし、軟口蓋も下がってるので吸い込めないので。

男:そうなんだ。たいへんだね。私も最初は同じように嚥下できなかったけど今は平気だよ。

私:私も何度か脳出血していて毎回嚥下できなくなったんですけど、前はだんだん治ったんですけどね。今回は強く障害が出て。

男:リハビリしてる?

私:うーん……もうすでに4年めになりますし、ある程度まで改善してから、それ以上はいっこうに改善しないんですよね。

男:努力が足りないんじゃない?

私:いや、日に3度の食事におやつ食べてますから、それだけでもかなり嚥下訓練してるわけで。それでこうなので。。

 

まあおじさまの最後の一言に、寛容ではない私がイラッと来たのは言うまでもないですが、同じ程度の障害持ってない人にはわからないだろうなと。

私も他人様の障害の辛さ不便さはわかりませんから。

 

でも十把一絡げに言う偏見は、私自身好きではないので、なるべくそういう見方、考え方はしたくないんですが、これくらい以上の男性の方って「努力してるかしてないか」で判断しやすく、「若いもんは努力しない。他力本願で文句ばっかり言う」という感じの固定観念が強い人が多い気がします。

「努力が足りない」という、どちらかと言えば叱咤するような言い方が出るのはこれくらいの年以上の男性に多い気がします。

もちろん老若男女問わず、こうした発言をする人はいると思います。

 

後遺症は辛く不便なものです。

悲しみに打ちひしがれ、なにもやる気が出なく落ち込んでいる人でもなければ、努力しない人なんかいません。

デイサービスに来てリハビリしようとしている人は特に、少しでも良くしようと、今の状態を維持しよう(悪くならないように)と思っているわけで、利用者の100%が努力していると思います。

 

「努力が足りない」とか言うな、というのではなく、私が人様に向かって「努力足りないんじゃない?」とは絶対言わないようにしよう、と改めて思いました。

 まあ、言ったこともないですが。

 

 

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障害者をどう子どもに教えるのが正解なのか?

 これまでも何度か、ここ最近で二度ほど、障害者や車いすをほぼ理解していないと思われる子どもに出会いました。

 

 私はよく分かっていない子どもに興味深げに見られたり、大人なら投げかけてこないであろうことを言われてても、まったく傷つきませんし、むしろ、その子が大きくなって、もしこのことを覚えていたら、思いやりのある人間でありたいと思う人に成長したら、あの日(私を不思議そうに見て、思ったままを私に向かって言ったこと)を思い出すたび「子どもとはいえ、ひどいことをしてしまった」と思い出し、胸を痛めるんだろうな、とむしろ不憫に思います。

 

 最近、車いすでエレベーターを待っているときの出来事二つ。

 

 一度は、低学年生くらいの子が、私に気づくなり突進してきました。車いすが物珍しかったんだと思います。咄嗟に、一緒にいた若い母親は「こら○ちゃん!」と腕を引き、子どもをこちらに来ないように押さえつけ、でもその子は相変わらず私のほうを興味深く見ていて、お母さんは目を逸らしたまま何も言いませんでした。

 

 もう一度はショッピングセンターです。日差しが強くなってきたので、私はつば広の帽子を被っていました。やはり低学年くらいの子が突進してきて、帽子の中の私の顔を覗きに来ました。いっしょにいたおとうさんはやはり「●くんダメ!」と抑えました。

 

 どちらの親御さんもどう言葉で説明したらいいか分からなかったのだと思います。私から目をそらして、その間なんて言ったらいいのだろうと悩み、私が見えないところで、自分なりに答えを考え、子供に教えたのか、なんて教えたのか、私も知りたいです。

 そして私に子供の無礼を代わって謝るべきかどうかすら、悩んだのではないかと思います。

 結局しかとされましたがw

 

 でも私も、子供にどう教えたらいいか分かりません。

 身近に障害者がいれば、子供にどう理解させようかと普段から考えることもあったかもしれませんが、そういうことと縁遠ければ、私との出会いは突然であり、子どもは当然興味を持つし、親は対処がわからない。

 たいていの子を持つ親御さんはそうなのではないでしょうか。

 

 私は、ある程度理解しているべき年頃以上の子(中学生以上?)ではない小さな子のそういうことは気にしないし、たとえひどいことを言われてもたいして真に受けないですが、心が弱っている人や元々傷つきやすい人は、たとえ小さな子供相手でも、深く傷つく人もいると思います。

 だからやはり、障害者にあった時、見かけた時、どうあるべきかは、小さい子にもある程度、道徳? モラル? そういう教育は必要だと思うのですが、私自身、どう教えるべきか分かりません。

 

 私は子供はないままアラフィフとなり、障害者もそばにいない生活でしたから、そういうことを考えたことがなかったです。

 

「なんで車椅子のってるの?」と聞かれたりしたとき、障害者自らが、冷静に笑顔で、子どもの見知らぬ疑問に、答えてあげられることも必要だと思います。

 

 ただそうは言っても、上手な説明は私もまだ模索中なんですけどね。

「歩けない病気なんだ」でいいと思いますが、私の場合、喋ると構音障害などもあるので「なんでそんな変な喋り方なの?」とまた聞かれ「これも病気で、ちゃんと喋れないんだ」と言えばいいだけですかね。

 

 細かい病名や症状、どんな不都合があるかまで、通りすがるだけの子どもが持った小さな疑問に、簡潔には答えられないし、教えられない。

 せめて、こういう病気(本当は私の場合後遺症ですが、病気の人もいる)があると伝えればいいのかな。

 

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機能の数だけ障害も病気もある

以前、Twitterでこんな記事を見つけました。

 なんでも普通にできるのに、どこから見ても、何を取っても普通の子なのに、漢字が書けない障害があるんですって。

記事は漫画で読みやすいので是非ご覧ください。

 発達性ディスレクシア

 

私の体中に出ているいろいろな障害も、一見しただけでは障害があるように見えません。

デイサービスに行っても、ほかの利用者さんにはまず100%理解してもらえません。

各種療法士さんでも、ほとんど頭をひねります。

 

高次脳機能障害で左側が全て認識できなくなる障害や、数字が読めない、数えられない、数字の並びが分からない、などの障害も、私もこうなってから知った障害も様々にあります。

 

私は小脳がつかさどる機能の様々な障害で、いろいろ困っています。

小脳は主に普段は無意識に行っている機能をつかさどっているところです。

だからもともと無意識にしていた動きを意識的に行う(リハビリ)自体が困難で、小脳系の障害は改善が難しい、時間がかかると言われています。

このことについては、今回は省略しますが。

 

 

上記のような発達障害を、はたしてどれほどの人が知っているのでしょうか?

当事者の親御さんも、これまでもいろいろ試行錯誤してたのに、誰もその発達障害に気付かないというか知らなかったらしい。統計では40人クラスに3人はいるんですってよ、それでもです。

 

なにが言いたいかというと、脳って本当にすごいんです。

生きているのは脳が生きるように機能しているからで、健常なのは脳が健常だからなんです。

逆に言えば、人間が持つすべての機能、すべて脳で制御されているんですから、その部分に障害が起これば機能が悪くなる。機能しなくなる。

人間が持つ機能は脳が持つ機能で、その機能分、障害もまだまだいろいろな種類であるのだと思います。

その障害全てもすべての人が知ることは難しいと思うし、専門家ですら全部は困難だと思います。

 

動物病院のお医者さんが「人間にある病気は、アトピーでもがんでもうつ病でもなんでも、動物も全部ありますよ」と言っていましたが、同じ哺乳類で同じように脳が生命や活動をつかさどっているんですから、当然ですね。

 

見た目健常でも、障害者の人はいます。

私もまだまだ知らないことばかりです。

珍しい病気や障害を持っている人こそ、便利なネットで拡散してほしいと思いますが、それが出来ない障害の人もいるんですよね。

うーん。

 

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愚痴でも記録

ブログに書きたいことがあると、だいたい、福祉やリハビリに関する文句や愚痴ばっかりの意識はあるし、もっと前向きなことや楽しいことも書きたいのですが、リハビリ熱心にやってないし、家からデイサービス以外出ないので、書くような出来事もない。

でも、 愚痴や不満も尾記録として残しておきたいし、同じようなことを考えている人が読んで「自分だけじゃない」と気休めになってくれたらいいかなと、書かせていただいています。

 

ブログを始めた当時、まだリハビリ病院を退院して半年くらいの頃、介護保険もよく分かってなかったし(その時は理解したつもりでいた)、介護保険で頼れるサービスの限界を知らず(というか、こんなに規制が多いと思わなかった)、在宅で提供されるリハビリ(訪問リハや、リハビリ特化デイサービス通い)で、本気で良くなると思っていましたが、私の場合、どうやら、それは望めないらしい。

訪問リハのセラピストさんやデイサービスのスタッフからの指導やコンディショニングを、安易に期待していたんです。一年後には、二年後にはもっと良くなるって。

一年後には、せめて杖ででも、自力で外を歩けると思ってましたが、未だリハビリ病院退院時よりやや劣化した状態で、それ以上にならないし、ろくに動けないから基礎体力自体が落ちてきて疲れやすくなってるし。

デイサービスに週三回、特に指導もないところですが、それでも体は動かせるデイサービスなので通っていますが、それが私にとっては何とか、自力で体を動かすわずかな時間。

ちなみに自力で玄関を開けて出ることも出来ませんから、外歩きの練習は一人ではできません。そもそも危なすぎるので、なるべく一人で歩かないようにしています。

 

残念ながら、これまで信頼できると思えたセラピストさんは、急性期病院のリハビリ科の責任者で私の担当だったOTさん、講習会の先生クラス(臨時で見てもらった)、あと今自費で通っているOTさん(歩行、手の作業、嚥下全部ボバース見地から見てくれる)だけです。

 

もちろん、介護保険サービスで賄える範囲の訪問リハで、信頼出来て優秀なセラピストさんもたくさんいるでしょうし、そういうセラピストさんに担当してもらえている人もいると思いますが、私は残念ながら。

 

自力での自主練ももちろん必要です。

セラピストさんに診てもらえるわずかな時間のリハビリだけで、よくなるなんて思っていませんが、そのアドバイスもらう自主トレ自体も「これだ!」と思えるものはないし、一年、二年見てくれているセラピストさんも、一生懸命なほど、毎回いろいろ考えてきてくれて、試してくれますが、結局どれも合わずで良くなったと言えるほどのものはなく、この二年間、現状維持してただけだよね、みたいな。

そもそも毎回、新たな方法を試す時点で、私の症状にはこれだ、というのがないわけです、そのセラピストさんには。

 

趣味に相変わらず夢中で、自主トレも熱心にやっているわけではないので、私の努力も足りないのも分かっています。

とりあえず、趣味に区切りが付いたら、もう少し熱心に自主トレも始めたり、多方面からリハビリを見直したいと思っています。

 

 

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介護、育児、子育て等に100%はない

介護してもらっている立場で、だからこそ声を大にして言えないことですが。

 

介護も育児も子育ても、その介護者、育児者、保護者が精一杯できるだけのことをして100%これ以上出来ないところまで面倒を見る、としても、それで終わらないのが介護、育児、子育てなんだと思います、

 

子育てしたことがないので、あまり分かったようなことは言えませんが、例えば赤ちゃんの夜泣きに「夜中3,4回起されるのは何とか頑張って対応している、でもこれ以上は無理。私(親)が壊れる。これが私の100%の頑張り」というところまで頑張ったとしても、赤ちゃんは親の100%、親の限界など知りません。泣きたいだけ泣いて、3,4回どころか7,8回夜泣きすることだってあると思います。

そのとき親はどうするか。「もう無理」と放っておいたり、場合によっては苛立ちすぎて虐待に至る親御さんもいるでしょうが、たいていの親は自分の限界超えていても、ぼろぼろになりながらも対応するでしょう。

100%の精一杯超えて自分の限界超えていても、そして実際ぼろぼろになりながら、それでもあれこれ育児に、結果200%動いてる。

これは珍しいことではないと思います。

 

介護も同じ。

ただ、認知症ではない私みたいに身体だけが障害の場合、私が介護者に気を遣いますから、介護者の疲労を無視して「あーして、こーして」とは言えません。

10のうち、どうしてもできない、でもしないわけにはいかない3だけ(3度のご飯の用意とか、取れない着替えを取ってもらうとか、各種署名を頼むとか)を自分からお願いすることはあっても、残りの7(手作りの和食が食べたいとか、お湯に浸かりたいからお風呂洗ってお湯溜めてとか、布団が湿気てるから乾燥機かけて、とかとか)言えないんです。

 介護者(家族)は「言ってくれなきゃ、なにが困るのかコッチは分からないんだから言え」

 

分かります分かります。

 

でも仕事や家事全般もこなして、それだけでも相当いっぱいいっぱいなのに、私の介護がかなり負担になっていることが分かっているのに、言えないです。

私の介護は私からすると3しかしてもらってなくても、家族の精一杯100%の頑張りはすでに超えていて、とても残り7のお願いなんてできません。

 

それでもたまに、その7のほうの一部的なことを言うこともあるのですが、介護者は精一杯の精神が爆発して、不機嫌になることもあります。

だから余計に言えなくなるのです。

 

私は協調運動障害があり、両手で皿を持てないし運べません。

だから、旦那が仕事でいない朝昼は、朝ごはんはバナナ、昼ご飯はコンビニおにぎりなど、片手で持てるものだけの毎日です。

 

夜は最初のうちは、仕事から帰ってきて簡単なものを調理してくれました。

私が手に失調があるため、スプーンなどもちゃんと持てないし、普通の陶器の食器は落とすと危ないから、割れない食器(これえる、みたいの)を用意しました。

 

その簡単調理も徐々に疲れを見せ、辛そうにやっていたので、夜ご飯はお弁当を頼むことにしました。

お弁当の入っている容器はプラスチックで軽いからすごく動きやすいし(スプーンで食材を掬おうとすると容器を押してしまう)、そもそも滑りやすいから掬いにくい。

私がプラスチック容器をずるずる動かしてしまうのに気付いて、容器を押さえてはくれますが、本当は私は「あの割れない私用の食器に移し替えて」もらいたいのですが、それは7の部分で言えません。移す手間、洗う手間が増えるからです。

 

そしてお弁当もお互い飽きて(メニューに飽きてくる)、結局今は、仕事帰りに夕飯のお弁当を買ってきます。

「なにがいい?」と聞かれても、店に行くわけではないから、なにがあるか分からず任せるしかない、でもたまに「カレーがいい」とどこにでも絶対ありそうなものを言うと「カレーなかったから〇〇買ってきた」と言われますが、

 

(あのーーレトルトカレーと砂糖のご飯でも良かったんですけど、なんでそこに思いが至らない? スピード調理すら、お弁当を出せばいい手軽さに比べれば面倒? 汚す食器が洗うの面倒?)

 

と思いつつ、ぶっちゃけ食べたくなかった〇〇をけして不満な顔せず食べています。

 

介護者も家族であれば、被介護者(私)の手のかかりように腹の立つこともあるでしょう。

私も私なりに我慢していますが、旦那も相当我慢して(頑張って)いるのです。

 

ちなみに、私のように同居者はいるが仕事をしている。昼間だけ私一人だけ過ごす場合は、介護保険的には「昼間独居」と分類され、調理、掃除、買い物など家事全般はヘルパーさんに頼めません(自費なら可能ですが毎日は頼めるわけがない)

同居者がいる限り、同居者がフルタイムで働いていても、同居人ができるとみなされるし、調理や風呂掃除、洗濯などは「私(被介護者)のもののみ」という決まりがあるからです。

毎日は頼めないから三日分くらいの調理をしておいてもらおうと思っても、旦那は絶対食べちゃいけないし、旦那も使うお風呂を洗ってはくれません。

そういうルールです。

 

私は家族での介護を、心の中で「回避できない無意識不本意ネグレクト」と、心で呼んでいます。

 

 

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脚が、手がダメになったんじゃない。その障害は脳が原因です。

以前、テレビで「2か月で片麻痺が回復した」という内容をやっていたので、脳疾患後遺症を持っている人、特に片麻痺の方は観た方は結構いると思います。

 

再現ドキュメントはお芝居なので現実と違うなと疑問に思うことも多かったですし、片麻痺の程度もはっきり分からなかったので、あの番組を観て、安易に「真剣に一生懸命やれば戻るんだ」と思っていいとは思いません。特に再現映像の患者さんは片麻痺で手が動かないと言っていましたが、役者さんのせいか、実際そうだったのか(でもこれは実はすごく気になる点なのですが)麻痺側の手が動かないだけで、よくあるように握り締めた状態ではありませんでした。

私は片麻痺ではないので、やはりあまり語れる立場にはおりませんが、少なくとも私が知っている限り、片麻痺後遺症を持った大多数の人が「握り締めてしまって使いようがない手」に困っています。

 

実際、何人かのPTさんやOTさんに聞いた感じでは「歩行は筋力や力をつけて、歩行慣れしてくればある程度、実用レベルまで、早めに回復するが、手の握りや、指を使う回復は目に見えた回復が少なく、回復するとしても相当時間もかかる」と言っていました。

 

片麻痺に限らず、手や指先の疾患(脳が原因による)は、治りにくいのが、どうやら当然のようです。

以前OTさんに見せてもらった模型を探しました。

 

私たちの脳の中の小人――ペンフィールドのホムンクルスの話

 

見たことがない人も見た覚えがある人も、どうぞ今一度見てください。

 

このページの中ほどにある猿のようなへんてこな顔手足の3D模型を見てください。部位が大きいほど多くの脳神経を使って動いていることを示す立体模型です。

人間の唇、口周囲の機能、視力、そして手、指先がいかにたくさんの神経を使っているかが分かります。

 

正常に動くようにするためには歩行のリハビリのようにはいかないのは当然なのだ、と納得します。

 

だからと言って諦めるのではなく。

 

このテレビ放送で印象に残って頷いたのは、ご本人の友人が励ましに言ってくれたという

 

「手や足が悪くなったわけじゃないだろ。それを動かすに故障があったんだろ」

 

という言葉です。

 

これは後遺症者本人も、もしかしたら専門セラピストもうっかり忘れていることが多いんじゃないでしょうか?

手足がうまく動かなければ、無理な動きをしたり、違うところを代替に使うせいで、へんな痛みや凝り張りなどが手足、体に出ます。

患者が、例えば「肩が痛い、凝る」と言い、セラピストはそこの凝りをほぐそうとしたり、もっと可動域が増えるように施術したり、ということがとても多いと思います。

もちろん凝ったり張ったりしていれば余計に動きは悪くなりますから、こうしたコンディショニングは必要です。固く握ってしまっているてのひらを開くようにまんま、物理的に開く訓練もします。

しかしこれだけでは、本当の原因「それを正常に動かしていた脳やそこに繋がる神経」にアプロ―チしていません。

 

もちろん脳に故障があれば「治せません」から「治すのではなく」、ここで「脳の可塑性」に希望を持ち、脳を新たに使えるよう訓練する必要があります。

それを結構みなさんやっていないんじゃないでしょうか?(私もですが)

 

私が比較的ボバースアプローチが好きなのは、「ここが張る、痛い」とか素人レベルで感じる問題を訴えると、「張っているここはAだね。でも本来そんなに張るはずじゃないところだけど、Bを正しく使えてないからAで代償して無理がかかって張る。Bが正しく使えていないってことはBを動かすのはCなので、Cがちゃんと機能してないってこと。そのCを正常に動くようにつかさどってるのは脳のDの部分。あんこさんは、まさにDがやられてるからそうなる」と、原因から実際に体に現れている不調までを全部説明してくれた上で、Aをほぐしてくれて、Cがちゃんと動くように集中的に見てくれるからです。

 

自主リハビリ法にしても、「指先が使えない」→「ではおはじきをつまむ練習を繰り返してください」ではなく、「指先が使えない、つまめないということは、Aが正常に動いてないから。Aを正常に動かすためにはまずこれをやって~~」と本当にアプローチする部分を教えてくれるからです。

 

ただ前も少し書きましたが「脳に覚えさせる」という意味では、失敗しながらも、やろうとしていることを繰り返し練習することも大事だと思います。赤ちゃんは教えられても理解できません、教えずとも、周囲の動きを見て真似て、自分で何度も失敗したり危ういことを繰り返しながら寝返りが出来るようになり、立てるようになり、歩けるようになっていきます。

テレビでも、そのようなことは言っていました。

 

但し、健常な体を持った赤ちゃんが自力で失敗しながら修正しつつ正しく覚えていくのと、元は正常だったのに長い後遺症状態で、下手に自分で考える知恵を持った大人が勝手に自力で考え、自主練するのはわけが違うと思います。

自己流の自主練は、もしくは間違った自主練を教えられては、どれほど真面目に自主練しても、満足いく形に改善させていくのは難しいと思います。

 

これらを踏まえたうえで、それぞれの方の信じる方法をまじめにやることが改善につながると思いますが、つい忘れがちな「脚が、手がダメになったんじゃない。

 

「障害を負ったのは脳」であることを忘れないようにいることは、とても大事なことだと思いますし、だからこそ、諦めない気持ちが大事だと思います。

 

 

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医者は最悪を言うし、治ると断言しないもの

脳出血脳梗塞では、緊急の手術が必要な場合が多く、その前に医師の立場で「手術すれば救命(または回復)できます」とか、「今は意識ありませんがリハビリ次第では回復します」……などの予後について最善の見通し(だけを)言ってくれることはないです。

前向きな確定的な見通しを言えば、そうならなかったとき、すごく責めたり裁判沙汰にする遺族や家族もいるだろうし「最悪な状態になること」は実際あり得ることだから、それは必ず言っておいて、覚悟を決めさせるのは当然の成り行きだと思います。

ここからは医師の性格でしょうが「最悪だけ言う人」と「最悪になりそうだけど、かなり回復する人もいると両方言う人」もいるし、担当医次第なところもあります。

 

そもそも医師は後遺症を治療する人ではありません。脳疾患の元凶を治療し落ち着いたら、リハビリの専門家に橋渡しします。

中には予後の後遺症部分も熱心に勉強、研究している人もいるでしょうが、知る限り、私の知っている複数の脳外科医でリハビリを詳細に理解している医師はいませんでした。

 

だから、前向きな確定的なことは余計に言えないのだと思います。

 

ただ、世の中には情報が溢れていて「数年意識なかったのに突然意識が回復、その後リハビリに励んで今ここまで回復した」ような奇跡的な話もたくさんある。

 

ここからは実話なので少しフェイクを混ぜて書きます。

 

子供の頃からの長い付き合いの友人がいます。少し価値観が変わっているというか、少なくとも私とは価値観がまるで違う部分がよくあり、昔から気付いていましたが、お互い相手の価値観を尊重するというか、自分の価値観を押し付けないので、日常お付き合いする分には、気の合う友人です。

私が入院、手術した時にも、友人の中でもその人にだけは連絡しました。ただ、これまでの何度かの入院の時もそうでしたが、お見舞いは拒絶していました。

その人に限らず、私は自分の弱っている姿を知り合いに絶対見せたくないからです。

 その人のお母様が最近亡くなりました。

むしろ同年代の中では健康なくらいの方でその日も変わったところはなかったのですが、買い物中に突然脳卒中で倒れ、連絡があったそうです。

家族で病院に駆けつけ、手術を問われたそうですが断ったそうです。やはり上記の通り「一命はとりとめるかもしれないけど重度の後遺症が残る可能性が高い」と言われたそうです。

その後容態は悪化し、再度医師に「手術(救命のため)はしないか」と聞かれたそうですが断ったそうです。

 

「手術を断るのはものすごく辛いことだった。でも重い後遺症で母が苦しみ続けるのはかわいそうだし、実際家庭事情から言って、重度障害の母を介護できる状況じゃない」

 

と、友人は言い、正直私は一瞬何も言えないほど驚いてしまいました。

 

救命できたかもしれないのに、手術を断った。

それはつまり、同じことをされていたら、私も今頃はとっくに死んでいたということです。

リハビリ病院やデイサービスには、同じように「生きるか死ぬかの状態だった」という方はいっぱいいます。

重い後遺症で実際寝たきりになる方もいますが、片麻痺でも杖なしで歩けるまで回復する人もいます。

 

その友人もそういうことは世に溢れる情報で知っているでしょうし、私の経過も見てはいませんが知っています。それでも手術を断ったのです。

私は自分の意識不明になる前の容態がひどく悪い様子や術後のみじめな姿を見せたくなくて、術後初めてその友人に会ったのは、リハビリ病院を退院したあとでした。

経過は都度、細かく夫からその友人に話していましたし、とても心配してくれて何度もお見舞いを申し出てくれたり、見舞い品を送ってきてくれたりしていました。

 

もしその友人が、術前から手術直後、その後のリハビリ病院での様子など、私の変化を見ていれば、手術を断らなかったかもしれない、と感じました。

世に溢れる情報をどれだけ知っていようと、私の経過を細かく知っていようと、それらは目の当たりにしたことはないから、もしかしたら実感していなかったのかもしれません。

 

その友人の兄のお義父さんは認知症で、暴言、暴力、徘徊、弄便等をする、介護する側にとってはとても大変な状態で、友人はその話を頻繁に聞いているし、実際見てもいます。兄の家庭ではみんなぼろぼろに疲れ切っているそうです。

「一命をとりとめても重度の障害になるかもしれない」と説明されたとき、「介護=とてもたいへん」という身近でよく聞き、目にもするイメージが先行したのではないかと思います。

だから今は「残った父が認知症になったら」という心配が強く、「手術を断るのはすごく辛かったけど、ああ選択するしかなかった」と言います。

 

確かに、最悪の状態も考えられますし、脳疾患から認知症になったりする場合もあるようですし、高次脳機能障害でも特に手のかかる障害が残れば、やはり介護はたいへんだったと思います。

だけど、私やリハビリ病院、デイサービスで見る後遺症を持つ人たちは、たしかに障害者認定されていますし、介助を必要としていますが、友人兄のお義父さんのようなたいへんさまではありません。

介助する側はそれでさえたいへんなのも分かっていますし、私含め後遺症を持っている人は「自分で出来たら」「なにをするにも人の手を借りないと出来ない」とそれはそれで、辛く思っています。

 

「もしかしたら、かなり回復する最善の状態まで戻るかもしれない」と一縷の望みをかけて手術に踏み切れなかったのは、やはり身近で目にしているものが先行するのかな、と思いました。

 

「私もあなたのお母さんと同じ状態だったんだよ。脳卒中の人にはこういう人は多いよ。手術してここまで回復すれば、介護だってお兄さんの家で起こっているほど大変じゃなかったんだよ」と思いますが、手術を断ったことは相当辛かったと思いますし、今後も心残りはあるでしょうから、今後も言うつもりはないです。

 

しかし、もしご家族がそういう状態で手術をするかどうか決めなければいけないとき、どう決めるのもそれぞれの人の価値観ですし、重度の障害もありえるので「とにかく救命の手術して」とは言えませんが、こういうこともある(かなり回復)とご一考いただければと思います。

 

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療法士さんを信頼したから、寝返りがまた出来るようになった

訪問リハは私の場合PTOTSTすべて必要とするので、しかし制限がありますから、週に計120分まで、連続で60分まで(?)の制限があります。

足りるわけないのですが、制限以上やりたくても出来ない。自費にすればもっとできるんですが、40分を1割負担約700円(うち10分くらいはバイタルチェックで、実質30分)でやっていても、ほんとにあっという間で、それを自費で実質30分約7000円とか、正直すごく信頼しているセラピストさんなら考えなくもないですが、今まで見てもらった複数のセラピストさんは良くて「不満はあまりない」のが正直なところです。

 

そういうわけで、同じ自費ならと、保険がきかなくても信頼できる個人営業のセラピストさんのところに月1で通い始めたのですが。

 

あくまで現状の介護保険の制度や制限での訪問リハは、来てもらったときに状態を確認してもらったり、日常の自主トレを教えてもらったりや行動の工夫を教えていただく人として見るべきですし、週に40分の訪問リハで改善するとは思っていないことを前提で言っています。

一週間に一回、短い時間だけで、継続する改善を訪問リハのセラピストさんに求めるのも無理な話だと思いますし。

 

ピアノを習っていた時もそうなのですが、これは私の性格なのかもしれませんが「先生だから」「資格持つ専門家だから」という理由だけでは、まるで信頼しない面倒な生徒であり、利用者です。

仕事でも信頼できる上司の言うことは素直に従いましたが、そうではない上司の言うことは、不満に思いながら従っていました。

 

ピアノの先生は最初の面接でひとめぼれした(腕前がすごい、教え方がすごくうまい、真摯さが伝わってくるなどの面)先生に習うことにしました。

この先生は私の実力にはもったいないほどの経歴を持ち、ほかの生徒さんは音大受験準備やコンクール準備の将来有望な生徒さんが多く、新幹線や飛行機で通う生徒さんもいました。レッスン料は一回一万円と、私にはとても高い先生でしたが、レッスン時間の制限はなく短くて一時間半、(後ろに予約が入っていなければ)長い時は3時間近く見てくださることもあり、尋ねれば音楽に必要な座学的なことも細かく教えてくれました。結果的に月15000円くらいで1レッスン40分とかの教室より割安でした。

この先生に私は、今回体が不自由になるまで、途中入院&リハビリで半年くらいずつ2,3回休みましたが約5年間、月1~2回観てもらっていて、ピアノを分からない方にたとえで言うと、だいたい小三レベル学力から高一学力くらいのレベルまでにしてくださいました。

年齢的に覚えが悪くなっているはずで、社会人で練習時間も子供のようには取れない40過ぎてからの5年間で伸ばしてもらえました。もちろんよくある「バイエルレベルで弾ける名曲集(簡単バージョン)」ではありません。学生と同じように、本格的に教えてくれました。

レッスンに行くたび頭が飽和状態でぼーっと家に帰ったほど、たくさんのことを学び、覚えきれないので、ICレコーダーでレッスンを録音して、帰ってから聞き直して消化しなおしたり、楽譜に注意点を書き込みました。

仕事も忙しくて残業が多かったのですが、なんとか練習時間を取りたくて、習慣だった晩酌はきっぱりやめました。(飲むと練習できなくなるから)

またレベルが上がり難しくなるほど曲も長くなり練習時間も多く必要ですから、最終的には、仕事から帰ってきたらすぐご飯→風呂→すぐ寝るで、朝4時に起きて出社まで練習するのが日課でした。

 先生を信頼していたからレッスン中も真剣でしたし、復習もしたし、練習もたくさんしました(どれも、子供がいないからできたんですけど)

 

信頼するかしないかは、自分の感覚です。

この先生を私はとても信頼していましたが、良くないという方もいたかもしれません。 

でも信頼することによって、この方を信頼して従って行けば自分の今後はもっとよくなるはずと信じ、無理せずとも、勝手に一生懸命努力しました。手前味噌ですが約5年、いえ、その間通算一年半くらい休んでいるので、実質3年半ほどであれだけ伸びたのは、あの先生に付けたからだと思います。

 

前置きばかりすごく長くなってしまいましたが、以前のPTさんはとてもまじめで勉強家で、リハビリ時間中、無駄話はほとんどせず、きちんと説明してくれながらやってくれて、そういう意味ではとてもいいPTさんだったと思っています。ただ、途中からこのPTさんはどんどんある手法に傾倒して行って、リハビリもそれが中心になり、横になって行うトレーニングなどはしなくなりました。

このPTさんは、もっと勉強するためと、その手法をメインに行う職場に転職してしまいました。

 

そして今のPTさんに変わりました。私が行き始めた自費の先生の所にも週一で顔を出しているそうで、このPTさんの紹介でその自費の先生に見てもらうことになりました。

私がその自費のお店に行くときはそのPTさんは必ず出ていてくださり、どういうコンディショニングが必要か、などを一緒に見てくれます。なので、週一の訪問PTの際にも、それを基本にした施術やトレーニングをしてくれます。

 

このPTさんに変わったばかりの頃、床の上でごろごろ寝返りが出来なくなっていました。以前は出来たんです。でも前のPTさんが手法を変えてから、歩行を含め体の動きは、総合的にはかなり悪くなり、寝返りがまるでできなくなりました。

 

その寝返りが、今日は出来るようになっていました。以前、なんであんなに出来なかったのか不思議なほど、今日は出来ました。

それが自費の先生の教えと日々の自主トレのおかげとはまだ言い切れませんし、実際月1でまだ3度ほどしか通っていないので、今後またいうことは変わるかもしれませんが。

 

前も少し書きましたが0(のリハビリ)をいくらかけて0だし、もし―1とか、自分の状態にはマイナスの方法では、やればやるほど、マイナスになると思うのです。

訪問リハの担当者の方は一対一だし、なかなか、「合わないからチェーンジ」と言えない情がわきますし、悪気なく一生懸命やってくれているのは分かりますから、それを否定するようなことは言いづらいです。

でももし「この人のやり方、明らかにあわない気がする。良くなるどころか、少し後退してないか?」と思ったら、でも仕方ない、と同じ担当者を続けるのは状態を悪くするばかりだと思いますし、その担当者も「なんで良くならないんだ?」と焦りを感じたり、居心地の悪さを感じるでしょう。中には、ほかのセラピスト仲間や先生に相談していろいろ試してくれるセラピストさんもいますが、自分のやり方が通用しないことを不思議に思うばかりで、やり方を変えてくれない担当者さんもいます。

 

担当者を変える、訪問リハの会社を変える、自費も考えるなど、方法はいくつかあると思いますが、もし今マイナスのリハビリになっていると感じる方は、どうかリハビリを再検討することも考えてほしいと思います。

 

私の考え方がそうなだけかもしれませんが「信頼する」と結果的に(ピアノの例のように)自分も積極的に努力し、結果が返って来ると思うのです。

 

改善するかもしれない状態を諦めないでください。

 

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「脚むくみひどいね」『ひどくないよ』「ここ硬いね」『そうでもないよ』療法士によって見立てが違う

自費でも通い始めました(今のところ下半身、歩行の改善のため)

 

タイトル通り、同じ場所でもセラピストさんにより、まるで違うことを言われます。

 

自費で通い始めたセラピストさんにすぐ「脚のむくみ」を指摘され「まずはむくみを改善しましょう」と、その日むくみを取る施術をしてくださり、終了後、明らかに脚が軽く、細くなりましたから、やはりむくんでいたんだなあと思いました。軽くなったせいか足運びも良くなる。

セラピストさん曰く「むくみはまたむくむからと言って放っておいていいものではない。放置すると浮腫?が筋肉の間に入り込んでしまい、取れなくなる」のだそうです。私は子供の頃からむくみやすかったですから、もう取れなくなっているものもあるでしょうが、病気になってから脚は確かに重くなっているので、動かせなくなってから余計なんだと思います。

 

あと病気後「色が白いねえ(脚を見て)」と言われることが多くなりました。前は言われたことないのに。外にほぼ出ないので焼けないからだ、と思っていたのですが、むくみで水分が多く白く見えていたのかもしれません。なるほどです。

 

でもそれがずっと続くわけではなく、私は元々むくみやすかったので、朝、ゆるゆるだったブーツが仕事終わりにはチャックが上がらないほどむくんでいましたから、やはりむくみを取ってもらっても一日座りっぱなしを続ければまたむくみます。

家で自分で出来るむくみ取りの方法も教えてもらいますが、やはりプロの方にやってもらうようにはいかず、だんだんむくみが強くなっていきます。

 

その状態でデイサービスのPTさんに見てもらうと「いや、気にするほどはむくんでない」と言われて、むくみに対処してくれません。

 

 ほかのことでもそうですが、本当にセラピストさん個人個人で施術のしかたは全く異なりますし、行っているリハビリ概念も違うのでしょう。

デイサービスでは複数人のPTさんに、行くたび交代で見てもらいますが、やはり人によってやることや注目する点は違います。

ちなみにリハビリ病院のPTさんは、ほぼ誰でも同じことをしていました。私をどうコンディショニングしていくかの情報共有もあるのでしょうが、根底に共通したやり方があったんだと思います。

それを私は否定したから退院したんですけどね。

 

リハビリアプローチ法はほんとにいろいろあって、これなら万能というものもきっとないでしょうし、セラピストさんによって違うのは当然だともいますし、それでいいと思います。

が、受ける側としては、知識が少ない分、常に迷っちゃています。

 

私が自費で診てもらっているセラピストさんはボバーズの方です。でもデイサービスのPTさんは「ボバーズの講習は何度か受けたけどいいと思えない」「ああ、ボバーズ。自分はよく分かんないけど、そういうのもありますね」みたいな感じで、否定的です。

 

とりあえず、前から何度か言っていますが、私は今のところボバーズアプローチが一番自分に向いている気がしますし、説明がすごく納得できます。

 

なんか、落としどころも要点もない文章になってしまいましたが……

自費ですがしばらく月一くらいでは通おうと思っています。

 

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車いすで初めてのバス

先日、初めて車いすでバスに乗りました。

行きは、途中停車場からだし、どれくらい時間がかかるか分からなかったのでタクシーを使いました。だいたいタクシーで15分くらい、1800円くらいのところです。

帰りはバスの始発の停車場だったので、初めてバスに乗ってみました。

車いすを見つけて、こちらから頼むまでもなく車掌さんがおりてきて、すべてセッティングしてくれました。

あまり頻繁に来る路線ではなく、利用者も少ないので待っていた人も二、三人。そのあとも非常に混むというほどではなかったので、それほど周囲の皆さんに迷惑をかけている感じはなく、家の近所まで乗ることが出来ました。

障害者手帳を出さなくとも、車いすだということだけで、私も介助の夫も半額(110円だったか?)で乗れました。

 

というか、こんなに遠出したのは退院以来、初めてです。約二年。電車でも二、三駅のところですが、それさえ行くことが今まで憚られていました。

 

車いすだと、結局どこに行くにも躊躇してしまいます。公共の交通機関は電車やバスに乗るまで車いすでスムーズに移動できたとしても、誰かの手を借りなければ乗ることは出来ません。

 

乗る電車やバスが混んでいたら、電車の場合わざわざ駅員さんが乗せてくれますから乗るでしょうが(混んでるようなので、やっぱり乗りません、というのも申し訳ない)、乗った後は周囲の乗客の皆さんに申し訳なくなってしまい「もう乗るのやめよう」と気持ちが沈むと思います。バスが混んだ状態で来たら、車掌さんが手伝いに来る前に「やっぱりいいです」と言って、タクシーを拾うと思います。

自分が健常の時そうだったように、周囲の乗客のほとんどの人は、車いすの私を気遣ってくれるのは分かっていますが、そこはやはり気遣われる側と気遣う側では感じ方は違って、申し訳なさでいっぱいになってしまうのです。

 

なんとか公共交通機関を使っても、行った先でも周囲に気を遣い遣われ、「気を遣わせて申し訳ない」と思ってしまって疲れます。

 

健常な人は「そんな気を遣うことないんだよ、堂々としてていいんだよ」と言ってくれますし、私も健常な頃はそう思ってましたが、こうなってしまうと、とてもそんな気持ちにはなれません。性格もあるのでしょうが。

 

都内は、特に障害者や車いす利用者を考えた整備がされてきていますが、やはり思いがけなく車いすでは動きにくい、通れない場所が結構あるものです。

 

出来れば好きだったレストランやデパート、コンサートなどにも行きたいのですが、全部、今のところ諦めています。

嚥下も良くないし、口、唇の失調もあるし、手もろくに使えないので、人目のあるところで食事をするのは恥ずかしいですし、いつ失敗するか分からないので(手が暴れて食べ物を飛ばす、落とす、むせて咳が止まらなくなる、下手すれば吐く)状態では、とても外食する勇気は持てません。

 

一度だけ映画を観に行ったことがありますが、車いすは階段を使えないため、一番前に車いすスペースがあります。私は手術で首の後ろを切ったからか、仰け反った体勢で映画を観続けるのがすごく辛かったです。また、左目が光に弱くなっているので、映画の明るさ(特に白い画面、青空、爆発シーン)などは目を開けていられませんでした。

 

車いすで数時間外出すると同じ形で座りっぱなしになりますから、その後家に戻って立ち上がり定位置まで壁伝いに歩くのも、普段以上に足に痛みを感じますし、すごく下手になります。

 

そんなわけで、今後もまだ今のままでは、なかなか車いすで出かけることは出来ません(現在は、病院の定期検診や、歩いたら五分程度のショッピングセンターにたまに行く程度です)

 

もっと動きが改善して、もう少し自信が持てるようになったら、せめて手がもう少しまともに使えて嚥下も改善したら、いろいろなところに行ってみたいです。

 

でも、久しぶりにバスに乗れたことは、なんか少しうれしかったです。

 

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