伸ばすか染めるか

ここ数年は、2ヶ月に1度の間隔で髪を染めていた。

白髪は遺伝だ、しかたがない。もちろん加齢もある。

わかっている。

 

昨年までは接客をしていたので、なんの迷いもなく染めていたが

今年のはじめから、体調を崩していたので

染めてみるのをやめた。実際、予約した朝にめまいで

美容室の洗髪台に身を委ねるどころではなかった。

 

そして今。白髪の存在感はすごい。化粧をしないとただの老婆だ。

家族が「染めたら?」とついに言い出した。

こちらとしては、せっかくそこそこ伸びてきて

白髪道まっしぐら、と突き進むつもりであった。

他人の目線が頭部に集まるのもなんとなくわかっている。

放置じゃないのよ、意思なのよ。

 

母が真っ白なので、きっとそうなって

真っ赤な口紅をつけ、鮮やかなマフラーでも巻いてみたかった。

いまここで、染めたら、そりゃそこそこ若返るのかもしれない。

しかしこの数ヶ月の「伸び」で、なんとなく輪郭がぼんやりと

グレイなのか茶なのか黒なのか白なのか

ミックスされたかんじが好きなのだ。

夏まで「体調わるいから」と染めるのをやめてみようか。

できるだけ明るい化粧をして、やわらかな笑顔をこころがけよう。

「ケチで染めないんだわ」なんて想像させぬよう。

ネットとわたし。

大げさなタイトル。

まだインターネットのwwwがない頃、ニフティの電子会議に入りたくて

なんか繋げてやりはじめたのが20数年前。

いまとなっては「自分の顔」「なう」を晒す人々が多く

当時は考えられないことだ。

「身バレ」がとても怖かった時代。

家族から「身バレしないように、みるだけ」「書きこみ禁止」と

強く言われたことが200年前のような気がしている。

ブログもamebaがスタートし、「ブログってなによ?」な空気感のなか

すぐにアカウントをとり5年くらいはせっせと身バレしないように適当な

マヤカシをいれつつ書いていた。

リアルな友人や親戚連中にばれると厄介だと思っていた。

いまも現実の仕事関連や友人関連にはバレたくない。

アリバイが面倒だからだ。

顔や名前や職場を堂々と晒しているひとは疲れないのだろうか。

わたし以上にちゃんとアリバイつくったり、マヤカシを挿入したり

創意工夫をしているのだろうか。

そういうのって疲れるよね。

架空なら架空の生活をちゃんとつくりあげればいい。

そういう天才はいないだろうと思っていたら

バカリズムがいた。架空OL日記。

食べる順番を間違えた

Gのチョコをもらった。

イースターエッグ仕様の、卵形のプラスチックにはいった

チョコ。

ピンクの包み紙のチョコを食べた。甘かった。

調子にのって紫色の包み紙のチョコも食べた。

苦いやつだ。

ちょっとがっかり。

でも、この苦さでようやく食欲がとまった。

舌のうえの、ほろ苦さ。

ああ、もう4月も始まってしまっている。

テレビで言うわりには桜は咲いていません。

 

ゆめならいいのに。

てるみくらぶのニュースを動画でみたり、検索したり、まとめを読んだり。

自分のとこにきていたDMの最後の日付けは3月20日だった。

トラベルコちゃんであれこれ旅を検索するのが、いつかはてるみくらぶも使おうと思ってた。大阪支社が入っている建物もチェックをしたことがある。

ただ、ぜんぶひらがなの会社名は不安があった。根拠はないが。

海外は、ツアーよりも自分でカスタマイズするほうがいいな。

 

そのあとBBCをぼんやりみていたら那須表層雪崩の報道。

ゆめであってほしい。

 

海外ドラマを録画したものを全消去し、いくつかの映画をダビング。

きっとちゃんと観ない、こともわかってる。

でも、移せば得られる安心感。

餃子を12個。明日は休み。

レシピまみれ

クックパッドをちらちらとみて「お気に入り」的なものに入れる。ふふん、次、献立に困ったらコレを作ろう。とクリックする。

 

しかし。いざ買い物にでかけると忘れる。クックパッドのことも、お役立ち節約レシピのことも。

 

クックパッドから異様に愛される「鶏むね肉」

安売りコーナーでソレをみても、レシピのことを思い出さない。作らない「お気に入り」があふれている。そのうち、「なんちゃってレシピ」ブームは終わると思っている。「王道レシピ」にシフトせぇよ。

 

そして気付く。なぜに「なんちゃってレシピ」をみてしまうのか。休憩時間に他人の噂話の輪に入りたくないという理由で、適当にスマホを触る。他人がのぞきこんでもヤバくないのがクックパッドあたりで、アタリサワリのない人間としてみられたい自分の深層なのだな、と朝食前のキヅキ。

 

 

泣けないアレコレ

ララランド。期待しすぎてがっかり感がハンパない。

カルテット。検索すると「泣いた」「あの台詞がよかった」とあるが、自分にはさっぱり響かない。

泣けないアレコレ。

 

ララランドは、MGMミュージカルが好きな自分にとって期待しすぎていた。冒頭の渋滞の群舞。たしかに「巧いな」とは思ったしワクワクした。このときは「好きになりそうな作品だ」と思った。が、それ以降がっかりばかりだった。ほんとうにがっかりした。オーディションの歌も、まわりは鼻水をすすっていたがあの歌が怖くてしかたがなかった。なぜに自分はコレがダメなんだろうか。と歌の最中に考えだしてしまった。

なぜだかは言葉にできない。過去のミュージカル映画をモチーフに、と前評判があふれすぎた。モチーフにしたわりにはほんのコンマ数秒で、しかも映画紹介につかわれているので新鮮さがない。自分が見過ぎていたのか。プールサイドのあたりから「(他の)生のミュージカル舞台がみたい」と思うようになっていた。生舞台が良いのだ。そして、映画ってこんなにつまらなかったっけ?とまで思うにいたり、帰宅してから「巴里のアメリカ人」を見直したのだ。

 

感じる気持ちが枯れてしまっているのか。

カルテットも同様。6話の夫婦のすれ違いを描く設定には感服したが、9話にはそれ以上のものを感じ取れなかった。

 

これからバカリズムを読む。単純にただただ巧い。