FXを始めて5年目になる

2019年4月からFXを開始してからすでに5年目になる。

開始当初に決めたことは「勝つまでやる」という一つだけだった。具体的に勝つという定義は、その時の安全性の高い債券で毎年1000万円程度の利息が受け取れる金額にすること。どれだけ時間がかかってもそれさえクリアすれば良いと思って開始した。ただし、その間、家族を作って、ということは禁止。メディアでたまに「家族がいるけど、FXやってます」みたいな、結局は成功できてよかったけど、当時は苦しかったと思います的な人がいるけど、ちょっと考えられない。家族がいたらリスクをとったことができなくなる。だからプライベートを充実させるのは完全に勝ってからにしようと決意した。何度もキツ過ぎて辞めたほうがいいのかとか思ったこともあったけど、勝つまではやる、と思って続けてきた。

しかし、マジで限界に近い。どの手法でも結局はうまくいかない構造を孕んでいる。世界の中心じゃないところでまだ勝てないことを嘆く。そんな土曜日。

誰にでもプランはある。顔面にパンチを食らうまでは。ーマイク・タイソン

戦略を持たずに問題に取り組んだり、目標達成に向けて努力したりするのは怠慢と言える。

「戦略」は他のこれぞという言葉で表すことのできないプロセスをとらえた言葉だ。

 

何かを調べてから、さらに自分の考えを載せて文章を書くっていうのは、確かにクオリティは上がっていくだろうし、知識も増えるだろうけど、確実に続かないことに気付いた。だから、その時に考えたこと、キーボードで打ちたいこと、をそのまま書くスタイルが一番続けやすいんだろうなぁと思うのでそうしよう。

今夜、FOMCがあるし、明日はECBの政策金利、明後日は日銀の政策決定会合と、今週は動きの激しくなるイベントが目白押し。最も信頼のおけるランクづけが今日決まった。

 

K-popが世界を狙って作って当てたことについて、日本は今のやり方じゃ世界に通用しない的なことを言っているショート動画を見かけた。それに対して確実に感じたのは、J-popはそのままで良いと思った。自分たちが良いと思うものを、そのまま作って面白がるだけでいい。言語の壁と、文化レベルの壁から、他国、異文化からは気付きづらいだろうが、多分、それが交差するタイミングが来て、またそれがすれ違う時が来る。でもそっちに合わせても、本筋がないと出会うこともない。東南アジア圏で80's、90'sのシティポップに食いつくタイミングが来ていて、このあときっとミスチルの曲に食いつくタイミングが来て、さらにその先につながるタイミングが来る。ミャンマーの路上に寝転ぶ子供が最新のスマホでネットフリックスを見ているように、一気に面白いと思う日本に辿り着く世界はとっくに来てる。わざわざ合わせに行って、核をなくす必要はない。

久しぶりに文章を書く

ブログタイトルを「思ったことをそのまま書くだけ」にして、幅を大きく取ることで続けやすくなると思ったんだけど、タイトルには’誰が’’何を目的とした記事’を書いているブログなのかという情報は、読者が最初に判断するための

 

書いていて思うけど、母国語の日本語だからといって、文法を無視して感覚で書き続けても、後から読み直したときに、修飾語の位置を変えた方が、読みやすくなったりすることに気付くことがある。

作家の京極夏彦さんの文章は、難解な用語がバンバン出てくるし、レンガ本であるにも関わらず、するする読めるということは、文章が上手いからだと思う。言語を使って相手に何かを伝える際のルールをきちんと理解し、効果的に駆使しているのだろう。

母国語だからといってテキトーに考えていた文法や文章について、改めて学ぶ必要があるのではないだろうか。今後、年をとっていくにつれて、思ったことや気づいたことをより効果的に文章に残せるというのは、自分にとって価値のあるスキルだと思う。

言語は人にとって切り離せない面白い特技だから、それは強化するべきだ。数学とともに、言語について知ろうというテンションになっている。あと何時間持続するんだろう。