ぶろーちぶろぐ

横になっている画像をそのままにして使うくらいのんびりした更新です。

「家族がいてくれれば幸せ」

こんなにマイナスな意味でこの言葉を聞いたことがなかったな。


家族のために、みんなと過ごす時間も何かしてあげたいことも一緒にしたいこともない状態での「家族がいてくれればそれだけで幸せ」。


自分はひとり自分の好きなことをしていられれば幸せ。


つまりはそういうそういうことなんだな。

夫が消えました

知人の結婚式参列後、夫が消えました。

昼過ぎに終わるので電車で帰宅するとのことだったんですが、帰って来ないまま夕食時になりました。携帯は繋がりません。

 

ずうっと以前にも、飲み会後に迎えに来てくれと深夜連絡が来るも途中で連絡が途絶え、翌朝何故か東京にいるとの電話がかかって来たことがありました。そのときは酔って新幹線に乗り、降車駅を乗り過ごしたようです。怪我して帰って来たことも、御財布や携帯ごとバッグを失くしたこともありました。 お酒には何度も痛い目に遭わされてるのに人と会うと呑まずにはいられない、今回は何も起こらないといいんですが。

 

そう考えていたところに知らない番号から電話がかかって来ました。普段なら出ませんがこういうときは迷わず通話ボタンを押します。電話は偶然結婚式で再会したという古い共通の知人からでした。夫が二次会後、酔って動かないので帰れない、しかもスマホを失くしたので今代わりに探している。迎えに来れるか、という内容でした。

 

子どもたちはこれから送迎付きの習い事、その間に行ってくれば何とかなりそうです。夕ご飯の盛り付けをして、パパを迎えに行くから食べて習い事へ行って来てね、戸締り頼むね、習い事から帰って来て、もしまだママがいなかったら鍵あけて入って、寝る仕度して寝て待っててねと伝え、車で1時間ほどの駅へ向かいました。

 

しばらく行ったところでスマホを失くしたはずの夫から電話がかかって来ました。電話を見つけた、これから電車で帰るとのことです。心配なので迎えに行くと行っても聞く耳持たず、入れ違いになりそうなので引き返して家で待つことにしました。それが夕方6時半のことです。

 

ただ今夜10時すぎ、まだ帰って来ません。




という4年以上前の下書きを今見つけました。その後どうなったのか、しばらく考えてみたけど思い出せません。私の記憶はこんなふうにときどきなくなります。知人の名前までは思い出せましたが、その後のことは抜け落ちています。嫌な記憶はなくなっていた方が便利なのですが、書き留めておいたせいで呼び起こされてしまいました。困りましたね。

 

夫が吠えました

飲んで帰ってきた夫が、こちらを見て怖い顔で私の顔の方に手を伸ばしながらうなり声をあげました。娘もまだ起きていたので「今年一番驚いた」と言っていました。当然です。ただいまも言わないうちのでき事でした。

翌朝になれば、忘れた覚えていないと言われるだけなので話し合うだけムダなのはもう分かっています。

久しぶりに書こうと思いました。相変わらず会話はありません。だけどもう何だか大丈夫です。


前回書いた数日後、だからもう一年前のことです。夫が泥酔して夜遅く帰ってきた日がありました。流石に午前二時過ぎ、もう横になっていたんですが、玄関から直行で寝室にきて私のふとんを引き剥がしました。そのまま冷たい手がお腹から胸に伸びてきました。(大丈夫です。ことに至る描写はありません。)


冬の夜半過ぎにに突然寒さと冷たさで起こされた私は驚きで体を逃がしましたが頭は冴えないまま、おかえりなさい、おやすみ、と声を掛けていました。夫はそれを聞かず洗っていない手を下に伸ばしてきます。私は抵抗しました。もうずっと、会話と言える会話も普段のフィジカルな接触もどちらもない状態が続いていたので急なこの展開には耐えられませんでした。気まずくなるかもしれないと考えたけれど、もう遅いから、と伝え体をずらしました。もちろん聞いていません。夫が今度は腕に力を込めて捕まえにきたので私は全力でそれを解かなければいけないほどでした。本当に力の限りでやっとふりほどくことができましたが、夫はもういい、と言って部屋から出て行きました。


それっきりです。


けんかにはなりませんでしたが、会話は消えました。あっと言う間に一年経ちました。

私の感情はないものと思おう

私に感情の表出を求めていないのは知っていましたが、夫が自分の感情はいつも正しいと思って出してくることにはどう反応したらいいか分からなくなってきました。


いつか、これをボランティア婚だと思おう、と考えたことがありました。ボランティアに生きる意味を見出せたらまたものごとがうまくまわり始めるかも知れません。神の愛に近づくことはできなくとも、うまくいかない関係をボランティアだと考えられたら相互利益の関係に転換できるかも知れません。彼は私から妻がいることで享受できるサポートや妻子がいるという社会的地位を得、私は夫を支えるという妻という名目のもと子どもを得て家庭的、地域的役割を果たす。夫に対してはボランティアまたは秘書的役割を果たす。愛が介在しないだけで、昨日のありすちゃんの言葉を考えたらこれって普通の家庭です。


愛を乞う私の感情は無きものと思えば。

高所平気症だったかもしれない

雑談です。


 世の中にはいろんな名前があるもので、私が子どもの頃感じていた不思議な気分にも、高所平気症という名前が付けられていました。とは言っても正式な症状名、診断名じゃないそうですが。

 

  高い場所と自分の死とが結びつかなかった小学校高学年の頃、学校の体育館の屋根や屋上のヘリに登って楽しんでいました。自宅の屋根に登るのも好きだったし、屋根まで積もった雪山に登るのも冬の楽しみでした。上手い諺もありますがそれは置いておいて。

 

 見つかってひどく叱られたけれど、死のうとはサラサラ思ってないので叱り方が的外れだな〜なんて考えてしまって全然反省もしていなかったあのときの自分。今じゃ考えられないほど後先考えてないあの時の気持ち。今じゃ高所平気症なんて名前を付けられて、高層階に住むことが原因だとか外遊びをしなくなったのが怖がらなくなった理由の一つだとか言われているけれど、私の場合は、田舎生まれなのでそれには当てはまりません。


3階建ての屋上のヘリに上がって周りを見ると、上には空だけで下にはいろんな暮らしが広がってて、自分はここにいるんだなあと生きてる実感がそこでは感じられたんです。当時は気持ちいいとしか表現できなかったので後付けの理由みたいですが。


今となっては恐くてできそうにありません。オバケや幽霊に対する恐怖が薄れていくのと引き換えに覚えていった高さや死に対する恐怖。期間限定の愉しみだったのでしょうか。

過換気で15分ほどぐったりしました

年の瀬押し迫る師走も晦日。

 

子どもの発表会に大会、葬儀に親族対応、暮れのご挨拶にお手紙類、大掃除にクリパにボウネンカイ、その準備と後付け…、何で師走にいろいろ詰め込むんだろう。

 

さてそんな折も折、食洗機の中のピーラーに引っ掛けて指先を切ってしまい、ぽたと落ちる血が見えると頭から血の気が引いていきました。大したことなくてもやっぱり出血苦手だわ、なんて笑っているうちに次第に呼吸が浅くなり苦しくなってきてまずい感じになってきたのですが、指先が痺れ始めたところで我に返り、呼吸をゆっくりするように気をつけているうちに楽になりました。15分ほどの軽い過換気です。血が苦手なのが原因なのか師走のストレスが原因なのかはよく分かりませんが、これが夫の目の前で起きました。

 

まぁ、いつものことですが彼はまるで気にかけていないように見えます。何ならテレビを観ている邪魔をされた、くらいの表情です。こんな風にして今年も暮れていきます。体を壊さない一年にしたいものです。