もう耐えられないと思った日
「気にしすぎ」「誰もあなたの顔をそこまで気にしてない」
たぶん、醜形恐怖症の人に対して、そういう病とは無縁の人はそう思う。
思うに、醜形恐怖症の人は、みんなそんなことわかってる。
私がそうだし、むしろ醜い美しいに囚われ過ぎる自分の精神面にも嫌気がさす。
人の視線を怖がらずに、みんなと同じように人間関係を作れないのは、
もしかして自分が相手を自分を見る時と同じように美醜の価値感で測ったりしているからなのだろうか、とか、落ち込んでしまうときがある。
私は心まで不細工なのか・・・なんて思う。
何度か、気にしないようにできた時、日、期間はあった。
でも人間関係を築き始めると、”すぐにうまくいきそうな予感”は崩れてった。
人と関わりはじめると、欲が生まれるからだ。
この人に良く見られたい、この人と仲良くなりたい、と思うほど、
自分がうまく笑いかけてあげられないことに歯がゆくなり悲しくなった。
こんな感じのことを10年以上繰り返しているけどいい加減卒業したいので、
現実的な解決方法を考えることにした!
ここでは、治療していこうという気持ちをもとに、自分も日々考えたことや、感じたこと記録していこうと思っているのと、
同じような気持ちで日々悲しんだり、自分を奮い立たせたりしている人と一緒に頑張っていきたいなと思う。
同じように悩む子のつらさや悲しさが報われる日がきますように。