XときどきA、のち晴れ。

FtXでAセクシャルな30代ジャニヲタの自分語りと趣味の話。

年末のごあいさつ。

お久しぶりです。

だいぶ間が空いての更新になってしまいました。

 

というのも。

Aセクシャルを自認するまでを振り返っていこうと書いていたわけですが……

これが、なかなかに難儀でした。

わかりやすく書こうとすると、相手の方の身バレに繋がってしまうという事態に。

 

なので、一旦、保留にしておきます(笑)

 

さて、年末も年末、大晦日ですが。

先日、初めて「アセクシャル限定」のイベントに参加してきました。

少人数でお話する形式だったのもあって、2時間しゃべり倒す勢いでした。

 

だって、普段ではありえないタイミングでの「わかる!」「あるある!」という共感の嵐。

楽しくないはずがありません。

 

(見た目上)異性のアイドルを好きだというと「疑似恋愛対象として好き」だと思われるのが納得いかない。

恋人のことを「相方」って言って伝わってると思うのやめてほしい。

理解してほしいとか思ってないから、性愛者の常識を押し付けないでほしい。

 

などなど。

 

なにせ、20人弱?ぐらいの集まっている人々が、すべてアセクシャルなんだと思うと、それだけで感慨深い光景でした。

 

そして、今年、という枠で改めて振り返ってみると。

そういえば、XジェンダーもAセクシャルも、自認したのが半年前ぐらい。

感覚としては、まだそれしか経っていないのか、という感じです。

まあ、自認という形で呼び名がついただけで、私の中での感覚が変わったわけじゃないですしね。

 

本当にちょっとずつですがセクマイのコミュニティに顔を出させていただくようになって。

改めて思ったのは、自分がいかに恵まれていたのかということ。

 

世間はともかく。

家では「女の子だから」と何かを要求されたことはないし、

結婚や出産を促されるようなこともなかった。

恋愛でマウントをとってくるような友人より、それ以外を尊重してくれる友人が多かった。

 

けど、世の中のセクマイ皆がそんな環境で生きられるわけではなくて。

悩んで、もがいて生きている。

 

私は至って、のほほんと生きているけれど。

おこがましいのを承知で、もっとこんな風に気楽に生きられるLGBTQが増えればいいのにな、と思います。

本人の問題じゃなくて、環境の問題なんだもの。

環境によっては、恋愛しなくたって、性別が無くたって、のほほんと生きていけるのに。

 

もっと生きやすい世界になることを祈っています。

 

 

……なんとも、まとまりのない文章になってしまいました。

 

まあでも、このぐらいのスタンスで書いていったほうが続きそうですよね!

 

今年、出逢ってくれた皆さま、ありがとうございました。

来年、出逢うであろう皆さま、よろしくお願いします。

 

どうか、皆さま、良いお年を。

 

ちばほたる

Aセクシャルを自認するまで①

さて、今回はAセクシャルについて。

私の場合、正確には「アロマンティック・アセクシャル」です。

恋愛的に誰かを好きにならず、性的欲求が誰かに向かいません。

(恋愛的には誰かを好きになり、性的欲求が誰かに向かわない人は「ロマンティック・アセクシャル」で、日本では「ノンセクシャル」と呼ばれます)

 

…とか言いながら、本当はデミセクシャル(強い心理的繋がりを感じる相手にだけ性的欲求を感じる)なんじゃないかと思うときもあります。

まあでも、ひとまずは「アセクシャル」だと自認しているということで。

 

自認に至るまでの、いくつかの経験のお話をします。

生々しい話も出てくると思うので、性嫌悪のある人は注意してください。

 

《恋愛について》 

ヘテロセクシャル異性愛者の女性だと思っていた頃

とはいえ、今まで生きてきて恋愛的な意味での「お付き合い」はしたことがあります。

中学生の頃はイジメに遭っていたので、それどころではなく。

高校生の頃は部活に燃えていたので、恋人がいないことを特に気にしていませんでした。

しかも、最初は周りの「好きな人がいるのが普通」みたいな雰囲気に呑まれて、親しい男性の中で「じゃあ、この人」と決めただけでした。

今から考えれば、失礼な話です。

 

でも、それが何故かうまくいってしまい、お付き合いすることになりました。

けど、そりゃあ長続きするはずがありません。

「俺のこと好きじゃないの?」「俺と〇〇とどっちが大事なの?」

なんて聞かれるのです。

恋愛に付きものだと言われる“独占欲”や“嫉妬”を持たない私には、彼がなんでそんなことを聞くのかが理解できませんでした。

 

彼は8歳年上で、私よりは大人でもあり、優しい人でした。

そのおかげか、私が自分に恋をしていないことがわかったんでしょう。

身体的な接触に至る前に、お別れすることになりました。

18歳、大学に入ったばかりの頃の話です。

 

次に「お付き合い」をしたのは、20歳のとき。

今度は「私のことを好き」な男性でした。

恋愛的なアプローチをされたのも、告白されたのも初めてで、私はそのことに浮かれてしまいました。

正直に言ってしまえば、世間の皆がしている「恋愛」ってやつを、してみたかったのです。

 

前提として、彼に好感は持っていました。

基本的に「変わってる」と言われがちな私の話を、否定せず面白がってくれる人だったので、一緒にいてラクだったのです。

でも多分、それだけ、だった。

 

初めてのキスは、あまり気持ちよくはなくて。

それから急に身体的な接触や、性的な話をされるようになって、ドン引きしました。

でも、それは自分に性的な経験が無いからなのかな?と思ってみたり。

会うたびに性的な接触を求められ、応じてはいましたが、この彼とも最後の一線を越えないまま、お別れすることになります。

 

理由は「俺のことをどう思っているのか、わからない」でした。

恋愛的な意味で私を好きで、触れ合いたい彼と、私の気持ちは確かにバランスが取れていなかった。

結果的にフラれたわけですが、それで泣いたりもしなかったし、つらくもなかったので、自分のことをヒドいヤツだなと思いました。

 

ここまでの経験で「恋に恋して、経験を求めて誰かと付き合うのはやめよう」と思うようになりました。

こうして振り返ってみると、無理やりにでも性行為に及ばれる可能性もあったし、そういう意味では見る目はあったんだと自画自賛(笑)

 

まだまだ序盤なのに、だいぶ長くなってきたので、続きます~。

 

現在の私・X編

ジェンダーです、ということを書きましたが、じゃあ実際はどんな感じなの?

というのを、もうちょっと具体的に書いていこうかと思います。

 

まず、身体は女性で、特にホルモン投与などもせず、そのままです。

身体的に違和感があるわけではない、というのが主な理由。

『違和が無いなら何故Xだと思うの?』

と思われるかもしれません。

 

これに関しては説明が難しいのですが……。

違和感は無い、けど、所属感もない、のです。

バイト先で与えられた制服のように、与えられたから着ている、ような。

あるXの方は「着ぐるみ感」と表現していて、なるほど、と思いました。

 

Xの中でも「無性」だなと思うのは、その着ぐるみが「男性」に変わっても、特に変わらないだろうな、と思うからです。

使い方に慣れれば、そのまま生きていけると思います。

 

服装や言葉遣いなど、いわゆる「性表現」も、女性です。

これに関しては、私が少し完璧主義、理想主義なのが関係していると思います。

パス度の低い状態……パッと見で男性に見えない状態なら、男性装をしたくない。

 

男っぽい言葉遣いや、男性っぽい服装にしてみたこともあります。

けど、身長160cm弱で線が細い体型にも、女性的な声にも、そぐわなかった。

 

そして、完璧主義な割に面倒くさがりなので(笑)、

そこを頑張ってパス度を上げよう!とはならず、ラクに表現できる女性装に落ち着いたのです。

 

さて、つまり。

 

身体が生まれたときから変わらず、女性。

服装や振る舞いも、女性的。

 

じゃあ、女性じゃん!

って言われても仕方ないと思います。

だからこそ、Xジェンダーって理解されづらいんだと思う。

「気のせい」とか「言いたいだけ」とか。

 

いやいや、中2ならともかく、こちとら3●歳ですよ?

年齢がすべてじゃないけど、今さらわざわざ「特別な私」みたいなの気取ったりしませんって(笑)

 

女性として生きることに、不便はない。

性別欄は「戸籍上・生物学上を聞かれてる」と割り切って女性に〇をつける。

「男女」で語られることが嫌なのは、ジェンダーロール(役割)に敏感なだけ。

 

けど、ずっとずっと、モヤモヤを抱えていたのです。

 

「私は女性です」

と言い切れないことに。

そう思えないことに。

 

「ま、いっか」で済ませて生きてきたけれど。

「Xジェンダー」という概念を知ったときの、スッキリ感。

 

性自認って、やっぱりアイデンティティーに深く関わってることなんだなあと、改めて思いました。

 

ジェンダーだけで長くなってきたので、Aセクシャルの話は、また改めて。

 

 

 

 

 

Breaktime①

そういえば、私がXジェンダーを自認したのは、つい先日のことでした。

確信したその日のうちに、友人の1人にはLINEで、母親には直接カミングアウトしました。

その話の詳細は、また別に書くと思いますが。

 

そもそも差別や偏見ということを殆どしない母。

私のカミングアウトを聞いても「ふぅん」ぐらいの反応でした。

まあ、私が私であることに、自分のスタンスは変わらないということだろう、とそのときは解釈しました。

 

でも、それからしばらくして、母が「NHKでやってた番組を録画して見た」と言うのです。

それは、LGBTを巡る戦後史、のような番組で。

www.nhk.or.jp

録画してくれていたので私も見ましたが、内容は正直「多様性」を謳う割にはほぼゲイの話で残念なところもありました。

 

けれど、私はびっくりしたのです。

カミングアウトを聞いても「ふぅん」ぐらいのリアクションだったのに。

「え、これは私の話を聞いて見ようと思ったの?」と聞いたら「うん」と。

 

ただ受け容れてくれるだけでも有難いのに、母なりに理解しようとしてくれているんだなあと、温かい気持ちになりました。

無性、という感覚。

私は、Xジェンダー(FtX:無性)を自認しています。

F→生まれた性別が女性:Femaleで、自認がX→中でも無性タイプ。

 

さて、まずはそもそも「Xジェンダー」って何?という話。

 

これは「性自認」を表現する言葉です。

「自分は男です」

「自分は女です」

「自分はXです」

と並べられるカテゴリーなんですね。

自認ですから、身体的な性別ではなく「自分がどう思うか」の話。

 

Wikipediaではこんな感じ↓

Xジェンダー - Wikipedia

 

Xにも「中性(男女の真ん中)」「両性(男女どっちでもある)」「不定性(時によって違う)」と様々ですが、私の場合は「無性」。

そもそも「性別」の物差しがありません。

自分の感覚のどの部分を答えるべきなのかがわかりません。

 

もし『あなたは人間ですか?』と聞かれたら私は迷わず「人間です」と答えると思います。

自分を人間だと思っているし、疑問も無い。

それが「自認している」ということであれば、やはり性別への自認は「無い」のです。

 

Xの人は「どちらかの性別で扱われることに違和感がある」という人が多いようですが、私の場合、そもそもどこに違和感を覚えればいいのかがわかりません。

なので子どもの頃は、

・親や周囲から「あなたは女の子だ」と扱われること

・身体的特徴が、男である兄と違うこと

によって「自分は女の子なんだ」と「判断」していました。

 

ですが、思春期に入ると、客観的事実だけで「自分」が判断できなくなります。

学校で「女子」に区分されようが、生理が来ようが、自分を「女」だと思うようにならない。

なんで周りの女子が、自信をもって何の疑問も持たずに「女子」として振る舞えるのかが、わからない。

 

仲の良い子たちには「なんで自分を女子だと思えるの?」と聞いたりもしました。

ですが返ってくるのは「なんでって言われても、そうだし」という言葉。

正直「理由を聞いてるのに、答えになってないだろ!」と思っていました(笑)

 

 ただ、多くのセクシャルマイノリティの方々と大きく違うのは、それが「悩み」にならなかったこと。

少なくとも性別に関しては「人と違う」ことが、私の悩みの種にはならなかったのです。

 

その理由については、また改めて!

 

はじめまして。

ちばほたる、と申します。

ジェンダー(FtX:無性)で、Aセクシャル(アロマンティック&アセクシャル)です。

 

上に並んだ単語の意味、わかりますか?

わかる方は、同士か、もしくはLGBTへの関心が高い人ですね。

ようこそ、おいでくださいました。

 

わからない方は、どんなキッカケでここにいらしたんでしょうか?

もし全部知らないという方も、これから詳しくお話していこうと思うので「世の中にはそんな人もいるんだ」と知るキッカケにしてもらえればと思います。

 

私がこのブログを始めようと思ったのは、自分がXを自認するまでの経緯にあります。

色々な方のブログなどを読んで「あるある!」「わかる!」「え、これってそうなの?」と、気づきのキッカケを頂きました。

同じようにセクシュアリティがわからなかったり、迷っている人がこのブログを読んで、自分を知るヒントの1つにしてもらえればな、と思います。

 

あくまでも個人的な視点で書きますので、もちろんそれが全てではありません。

ジェンダーの1人、Aセクシャルの1人、の話です。

悪しからず、ごゆるりと、ご覧くださいませ。