ココログ2017

5年後に「夢を買う」ために、人生の棚卸し実践中。今は第Ⅰ期の仕上げの段階。身の丈に合った生活を取り戻す!

ホ・オポノポノに救われる

先に今日クローズアップする本を紹介しておきます!

前回のロルフィングに続けて、今日はホ・オポノポノ!

 

 

ハワイに伝わる魔法の言葉。4つの言葉を唱えるだけで、ココロが整って

弱っていた気持ちに一本芯が通る。

繰り返しているといろんな意味で強くなれる。

私はそんなふうに捉えて、出会ってからおおよそ三年、この言葉を励みに過ごしている。

 

で本題に。

2015年のお正月は、身体を蝕んでいく蕁麻疹との闘いだった。

 

以前から、何か納得いかないことや気に入らないことがあると

身体がむず痒くなって、虫のいる季節でもないのに虫さされのような跡ができて

そこを掻いているとどんどん飛び火して蕁麻疹のような状態になっていくということがあった。

今回もきっかけは同じで、それが尋常でない速さと規模で急激に身体を蝕んでいった

スペシャルバージョンだった、ということかもしれない。

 

病院に行っても原因が分からず、しかも最初に行った病院でもらった薬は全然効かず、

ただ途方に暮れることしかできなかった。

 

でも思い当たるフシはあった。

 

随分前から、身体の奥の方ではイヤだと思っているのに実際の行動ではそれをあらわせず我慢しなければならないという時に、気づくと発疹ができているということはあった。

 

やはりその頃、私の中にはなんらかの納得のいかないこと、身体の内部からの要求と司令塔である頭脳の方との齟齬は、あった。

それは簡単に言えば、教師として学生や高校生とつきあっていく上での、対人関係上のストレスだった。

若い子たちの前では「大人」としてグッと堪えなければならないけど、本当は「いいかげんにしろよ」って本音をぶちまけたい。でもそれができない。「いい人」でいたいという気持ちが強くて。

きっとその苦しみが症状にあらわれたんだと思う。

 

でもそんな我慢はずっとしてきたことだし、なんでこの期に及んで??

 

今思えば、それがロルフィングの「好転反応」だったのではないかと考えている。

ずっと言いたいことを言えずに我慢を重ねて暮らしてきて、それが自分の身体を変えていた(両腕でココロを覆い隠すような身体の体型になっていた)。

それがロルフィングの施術によって正された。

結果として隠しておけない身体に変わった。

隠す器のなくなった私の「本音」が、行き場を失って身体を彷徨いはじめた。

 

これが私の現実だった。

その意味では、ここで「悪いもの」をすべて出し切ればその後は楽になる。

だって「好転反応」だから。その後の人生を好転させるための一つのプロセスのはず。

確かにそう思えれば少しは我慢できたかもしれないけど、その時はそんなふうには決して考えられなかった。

 

鏡に自分の身体を映して鳥肌が立つ思いをしながら、

何で私だけこんな目に遭うのだろう、と誰にもぶつけられない怒りを抱えているだけだった。

 

その間ほとんど仕事には行けず、ひたすら本を読みまくった。

主に精神世界の本だった。

スピリチュアル体質に磨きがかかり、精神レベルが1ランクぐらい上がったんじゃないかって思えるくらいにいろんな世界と出会うことができた。

「実践」もいろいろやった。

でも鍼灸治療をしたけどたいした効果は上がらず、ヨガをやったり食事制限をしてみたり、民間療法的なものを手当り次第に試してみたけど、ほぼ効果はなかった。

その過程の中で出会った先生たちには救われて、精神の安定につながったけど。

 

そんな悪あがきの果ての、3ヶ月後の私。

蕁麻疹はとりあえず回復した。

そしてこれにはおまけがついてきた。

…私、まるで人が変わったようだった。

見た目じゃなくて、内側の方。

長らく私のところにとどまって大変な暴風雨を巻き起こした台風が去って

まさに台風一過という感じだった。

 

今でもよくわからない。

いったいあの3ヶ月はなんだったんだろう。

でもこれだけは言える。

本当に「あれは好転反応だったのかも」と思えるような、生き方が180度変わったような、そんな人生の再スタートがそこには待っていた。

 

もっとも本当の再スタートにはもう一つの波乱があるんだけど…

 

それじゃ、この台風のさなかにあって、手当り次第にいろいろな世界をめぐって

私を一番救ってくれたのってなんだったのだろう。

 

それが表題のホ・オポノポノというハワイのおまじないだった。

 

自分の中でものも言わず、じっと我慢して自分を支えてくれているインナーチャイルドのような存在に毎日温かな気持ちで言葉かけをする。

 

ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛してます。

 

最初は「えっこれだけ? ってか、なんで許してください、なの? 愛してますって自分に??」みたいな疑問だけが湧いていたけど、からくりを効いて納得。

私たちはふだん、そういう私の身体を支えてくれている存在をないがしろにして、頭でコントロールされた世界でしたり顔して生きている。感謝の気持ちが足りない。それって傲慢だよね。もの言わぬ存在に気づいてもっと謙虚に生きなきゃ。そんな気づきを毎日確かめて、自分の中の大切な自分を忘れないように、祈る言葉が「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。」

 

実際この言葉を手がかりにして自分の奥の方へ入っていくと、その世界は本当にぐちゃぐちゃしてるから、時々苦しくなる。いろんな過去が浮かんでは消えていく。そのたびに「ごめんなさい」を強く叫んだり、「ありがとう」の言葉をかみしめたりする。

だから最初はかなりハード。症状を治したくて始めたのに、かえって悪化した部分もあるかもしれない。

でもそれは自分が本当に回復するために必要な過程。

インナーチャイルドに率直な思いをぶつけて、許してもらうこと。そうやっていったん記憶をクリーニングして、リセットして、再生すること。

 

この考えで行くと、私の蕁麻疹ってまさにこのインナーチャイルドの暴走だったんじゃないか。私の傲慢さに対するアンチテーゼ。謙虚さを忘れた自分へのレッドカード。

この現実を突きつけられて、反省をして、初めて見えてくる新たな生。

それを強制的に経験させてくれたのが、この蕁麻疹体験だったのかもしれない。

 

おかげで私はこの経験を経て、かなり謙虚になれた。

その後も結果的に続いている、傲慢戒められ体験の数々を考えたら、私はまだまだ完全ではないようだけど…

 

そう考えるともう3年近くも前になるこの苦しみ体験は、経験を重ねるなかで知らずに自信過剰で傲慢になっていった自分自身を戒め、己を虚しくして生き直すための一つのきっかけだったとも言える。

ロルフィングで身体をリセットして、その好転反応としての蕁麻疹で結果的にココロもいったんはリセットされた。

 

とりあえず今でも思い出したようにこの4語はつぶやきつづけている。

自分の周囲で同じような苦しみにされされている人には、そんな言葉を密かに送りつづけている。

 

もっともこの時期は、まだまだだった。

まだ「好転反応」したりなかったらしく、この後ももうひと試練待っていた。

 

骨折体験…

頭でわかることと、身体ごと納得することって違うんだって、身を以て体験した。

 

というわけで、私の生き直しの旅は、もう少し続きます。

 

 

 

はじまりはロルフィング

ことの始まりは、3年前にロルフィングの施術を受けたことだったかもしれない。

 

ロルフィングとは私の理解では、身体の構造に働きかけたバランス調整。

自分の長年の習慣から知らずに歪んでいった身体を見直し、筋膜にアプローチする施術の方法で、身体を生まれたときの状態にまで調整してもらうことで、

ココロも身体も歪みのない、すっきりとした状態を取り戻す。

 

詳しくは、公式サイトを!

日本ロルフィング協会 公式サイト

 

最初に興味を持ったのは、よしもとばななさんのエッセイだったと思う。

 

Q健康って? (幻冬舎文庫)

Q健康って? (幻冬舎文庫)

 

ロルファーであるばななさんのご主人の話が載っていて、ばななさんの体験話がものすごくおもしろかった。それで俄然興味を持った。

今となっては詳しい内容は思い出せないけど、この施術で人生観が変わるんじゃないかと確信した記憶がある。それですぐに近所のロルファーさんを探して、そのまま施術を受けてみることにしたのだった。

 

…思い立ったらすぐに試してみたいと思うのが私の習性。

身体の負担が大きいから急がないでねと先生に諭されたにも関わらず

普通は半年はかかると言われた12回の施術を3ヶ月でやり終えてしまう。

 

最初に自分の身体を見てもらったときに、なぜそうやって身体を丸めて胸の部分を隠すように立つのかと言われたことが今でも思い出す一番の衝撃だった。

なぜと言われたって、気づけばそうやって立っていたから…

 

よくよく聞いてみると、どうも私は自分のココロを人に見せることに恐怖心があるから、無意識のうちに心臓部分を覆い隠すような体型になっていったのではないかということ。思い当たるフシがあるだけに恐くなった。

身体は隠せないんだなって。

 

それでまず初期の段階で腕の位置を本来ある場所に戻してもらった(身体を覆い隠すように前の方に腕があったのを身体に沿った本来の場所に戻してもらった)。

何だか「もう隠しごとはできないわ」って感じだった。

無防備に自分をさらけ出している感覚というか。

ものすごくココロが軽くなったのを覚えている。

 

その後、口の中の筋膜に働きかけてもらって顔の表情が俄然豊かになったり(歯を食いしばって生活していた自分に気づかされる)、本来の歩き方を教えてもらったり(時間に追われる生活をしていたから前のめりになって歩くクセがついていたみたい)、

12回の施術が終わったときには、まるで違う自分になったようだった。

何より、心持ちが変わっていた。

 

帰りの車の中で、すっきりした身体とともに、

言いたいことを我慢して、人に合わせて生きていく人生はもう終わりにしようっていう考えが、そのとき自然と芽生えてきた記憶がある。

 

というわけで、ロルフィング

私にとってもまた生き方を変えてくれる体験になったのだった、それは間違いない。

 

ところが私の場合は、それが苦しみの始まりでもあった。

 

いわゆる好転反応

本当にその人がもとの状態に戻る前に、悪かったものがすべて身体の外に出てしまったために起こる悪化現象。

そんなものがロルフィングにもあるんだよということはどこかで聞いていた。

 

昔自然派化粧品を使い始めた時に、最初に肌がぼろぼろになったことを思い出すけど、

そんな反応が、ここでも出てしまったのかもしれなかった。

私の身体、そして生きる環境そのものに。

 

でも今つくづく思う。

私にとってそれは本当にスペシャルな好転反応だった。

 

それだけ私の中にはいろいろたまっていたのかもしれないし、今となってはあれはあれでよかったんだなって間違いなく思うけど、その時はわけもわからず自分の身体に起こりつづける恐ろしい光景に、なすすべもなく立ちすくんだ。 

人生の中で一度も経験したことのなかった「死」という言葉すら、頭を掠めた。

「自分自身にジワジワと、精神的に殺されていく…」みたいな。

 

忘れもしない。それは、2015年を迎えるお正月前後に始まった。

 

 

いわゆる大殺界ド真ん中の現場から

私は今まさに大殺界の運気にあるらしい。

年運もドン底。そして9月は月運もドン底。

確かにここ1、2年ほど、霧がかかったような感じで冴えない毎日が続いている気もする。

とにかく「パッとしないのよ」っていう感じの。

 

思えば、12年で一番よいと聞いた2015年はサイアクだった。

お正月早々蕁麻疹が全身を巡り、続けて治療した歯が予告なしに(当たり前か)抜けてしまうという事態にも見舞われた。

極めつけは足の骨折! 3週間の入院と1ヶ月超の通院を強いられた。。。

 

こんな波瀾万丈な年はそうそうないわ。でもこれ、見方を変えれば

もう厄落としは済ませたってことなのかな。

今時期は確かにパッとはしないけど、確かに大きな何かに守られているような気もするし。

 

改まって自分の過去を振り返るなんてこれまであんまりしたことはなかったけど、大殺界の渦中にあってそこから過去を見つめ直してみるっていうのはちょっとおもしろそう!

 

積立貯金にもいろいろあるのね

昨日のつづき。

とにかくまずはわが家の純資産をプラスにしなければならない。

そのためにできることはただ一つ。

 

よけいなお金を遣わない!

 

やっぱそうだよねー そんなのわかってるし。

でもわかっていてもあると使っちゃうのがね・・私なのです。

 

少しお腹すいたらコンビニ寄ってお菓子買ったり、

今日はがんばったなーと思ったら帰りにビール買ったり・・

 

そんなふうにしてきっと私は大事なお金を自分の欲望を満たすために使ってきたのね。

お金を遣って自分の価値を下げてきたのね、私。。

 

考えれば考えるほど、これまでの自分を後悔することこの上ない。

 

昔流行った「清貧」って言葉を思い出した!

・・・いっぱいのかけそば!!

 

つつましい暮らし。貧しくもココロ豊かな生活。

そうだよね。よしっ私もやるぞー💪

 

【そして実践 その1!】

最初にしたのが、口座開設。

これも『正しい家計管理』に学んだこと。

通帳を入金口座と支払い口座に分けて、お金の流れを可視化する。

お金が入ってくる喜びと出て行く悲しみを、家計を擬人化して共に体感する・・

そんなイメージが湧いてきて、妙に腑に落ちた。

 

お給料日。わーい。がんばったご褒美〜(入金口座に入れていったん実感する)

1ヶ月の支出を「口座振替」金(支払い口座へ)、「お財布管理」金、そして小遣いと分けて振り分ける。

そして1ヶ月の生活が始まる。買いすぎると現金が減るから悲しい。その痛みから、自然と遣うお金も減るはず。

 

なるほどー。これならやれそう。

私のお給料日はまだ先なので、とりあえずお試しとして先週から15日計画で始めてみたけど、今のところは順調!

コンビニもビールも遠くなったぞ♪

 

【実践 その2!】

そして積立貯金。最初からなかったことにして貯めれば知らない間に私も小金持ち!

先のバイブルによれば、これ私のような者にピッタリの方法らしい。

もうこうなったらすぐにお金を預けないと… 私、使っちゃうし、、!!

 

というわけでさっそく。流行る気持ち丸出しで銀行に申込に行くと…

萎えた・・・

いきなり特別席に案内されて難しいレクチャーが始まる。

私の嫌いなお金の話!

投資信託」を利用した積み立ての方法だった。

 

実際あんまりよくわからなかったけど、ここは悩むところなんだなってことだけはわかった。

確かにそのまま積み立てしても金利0.1%の世界。だったら夢見るのもいいかも。

いやダメダメ!元本保証がない以上危険すぎるでしょー

 

とりあえずその日は何も預けず、すごすごと家に引き下がった。

以来、二人の自分が頭の中でせめぎあいつづけてる。

やっぱりお金は嫌いだー。頭痛い〜・・

 

というわけでこの結末はまた後日!

 

 

 

 

まずはお金の管理!

1、48にして、健全な金銭感覚を身につける! 

 

そもそものきっかけはこの本からだった。

林總『正しい家計管理』(WAVE出版)。

正しい家計管理

正しい家計管理

 

家計管理の目的は

自分と家族が、現在も未来も幸せに暮らすこと。

節約よりもまず「支出」に注力し、「価値あるお金の使い方」をよく考えること。

 

私が足りないところが凝縮されている。

未来に照準を合わせた視点。

そしてお金を「価値づけ」する視点。

 

お金を使うって、「未来を買う」ことに等しいのかなと改めて思う。

その未来にどんな価値を見出して投資するかっていうこと。

 

子どもを塾に通わせるということは、見方を変えればそのお金を使って、我が子の将来の可能性を買うということなのかもしれない。

気に入った洋服を買うということは、たとえばその服を身に着けて、少し若々しくなった自分に先行投資するということでもあるのかもしれない。

 

私はこれまで、お金をそんなふうに自分の未来と引き換えにして、そこにどんな価値を見出そうかなんて真剣に考えたこと、あっただろうか。

欲望に任せてほしいものを買うだけ買って、その購買欲に突き動かされて買うことができたらそれで満足して、時が来ればその存在すら忘れてしまう。。

そんなことを繰り返しては来なかっただろうか。

 

第一章を読んで、自分の愚かさにただひたすら赤面すると同時に、

本気でもう一度「家計管理」をしてみようと思えた。

 

今日稼いだお金に、どんな価値づけをしようか。

そして家族の未来のために、自分自身の未来のために、

どこにどんなふうに投資しようか。

 

2、というわけで、さっそく始めてみた

 

そんなことを考えて著者の勧めにもしたがって、最初に私がしたこと。それはまず、

 

我が家の資産を総ざらえすることだった。

 

家中の通帳を引っぱり出して足し算し、

知らずに貯めている預貯金はないかをもう一度確認し(結局どこにもなかった)

持ち家の評価額を割り出し、

その上で住宅ローンなどの借金を引き算してみる。

 

ここで足し引きして出てきた数字がその家庭の「純資産」ということで

この純資産をどれだけ増やすことができるかを考えることが、

家計管理の第一歩だという。

 

なるほど! でさっそく私もやってみた。

 

そして愕然…

我が家の純資産は、マイナスだった。しかもン百万単位!!

 

ずっと収入はそこそこあった。

だからこそ気づかなかったのかもしれない。

何とかなると思って、今家にいくらお金があるか、とか

今持っている家をもし売ったら住宅ローンとどのくらいの差が出るか、とか

ほとんど考えたことがなかった。

 

収入がたとえあったとしても、毎月手元に残らずに右から左へ出て行ってしまったら

それは収入とは言えないんだな。そんな単純なことに、今更ながら気づかされた。

 

(明日に続く)

48という数字に思うこと

今年の誕生日を迎える直前に、占いを勉強中という知人に言われたことがこの半年ずっとどこかに引っかかっていた。48歳が私の転機、らしい。つまり今年。まさに今がその転機の真っ最中なのだ。

 

半年経った今、確かにそうかもなーって思う。

いろいろやりたかったことがようやくひとつにまとまってきた。

 

仕事とプライベートの興味関心をつなげる方向性が見えてきた。

 

夢を叶えるためにはできるだけ明確にそれを思い描くことが大切らしいから、ここであえて宣言しておく。

 

5年後、週末だけ開店するカフェを経営する!

 

【カフェ計画!】

そこはちょっと変わったカフェ。メニューはふわふわのシフォンケーキかパンケーキしかない(ふわふわというのが一つのポイント!)。

予約が入ったら、私はその人のことを思いながらお菓子を焼く。温かい気持ちでその人を待つ。そしてお菓子を楽しんでもらいながら私はゆっくりと、お客さんの人生相談を受ける。

 

そうそう、これ大事。5年後の私は心理&教育カウンセラーとして独自の路線を歩んでいる(はず!)。時には学校教育畑で培った専門知識を生かした方法、場合によっては西洋占星術を生かしたスピリチュアルな方法でその人の話を聞き、いずれにしてもその人のよいところを伸ばし、足りないところを自分で気づけるような働きかけをする、バランス調整役のような役割を果たせるカウンセラー。

 

一応つぶやいておくと、そのための勉強もいろいろとこっそりやってる。

本当はすぐにでも始めたい勢い。

 

でも私には先立つものが・・・

そして今の仕事に加えて週末まで働くための自己管理能力が・・・

 

「48歳の転機」、最初はこの夢を具体的に思い描いたことが転機なのかなって思っていたけど、最近ちょと違う気がしてきた。

 

というわけで、以下が本題。

 

【今の目標は自己管理能力を磨くこと!】

本当に自宅にカフェを開くとしたら、当然引っ越しが必要。そのためにはお金を貯めないと。でも私、超どんぶり勘定人間。そもそも人生これまで貯金したことない…

 

まずは生活を見直そう。お金の管理、モノの管理、時間の管理。

 

夢に向かってがんばってるのは確かだけど、あまりに無謀だよね。

仕事も忙しいのにカウンセラーの資格も司書の資格も趣味のダンスもって…

今やりたいことももう少し整理しないと身体が持たないし。現にがんばるとすぐに身体が悲鳴を上げてる。

 

優先順位を考えよう。人生焦らない。第一優先は自分の身体が喜ぶことをする!

 

10年前、20年前の自分が知ったらさぞかし驚くだろうな。見せてあげたいわー。

 

思うに、48歳の転機は、こんな堅実な志向が自分の中に芽生えたことで、そういう自分を維持できたら、本当にこの先の人生が変わるんじゃないか。まず私がすべきことは、夢の実現に向けて邁進することじゃなくて、そんな意識改革なんじゃないか、と。

 

そこでこの決意を形に残すためにも、この「48歳の転機」の顛末記をここに記してみようと思う。今は仕事が落ち着いている時期だし順調に堅実だけど、これが忙しくなるとまたすごいことになるかもしれない。その時はもしかしたら錯乱状態の私がさらされることになるかも・・・??

でもそれもまた一つの記録。そんな恥ずかしい記録が、同じようにこの第二の人生の節目を迎えている人へのメッセージにもなるかもしれない。ずぼらでなんでも長続きしなくて、無計画で失敗続きの人生を送ってきた人間が本当に変われるのか、あるいは結局もとの木阿弥になるのか…

 

まあとにかく、毎日少しでも書くことを目標に、始めてみることにしまーす(^^;9