隣の家はよく柿食う人だ
「最近、やたらコバエが多いな・・・」
それに気付いたのは新居に引っ越してきて1ヶ月ほど経った、つい先日のことだ。
原因を探ってみるとどうやら、我が家の敷地内に落ちている「柿」にコバエがたかっているようだった。
柿は、隣の家の敷地内に生えた木から落ちてきているものだ。
・・・さて、どう解決しようか。
たかるコバエと柿の木を眺めながら、私のアタマの中では「コースの定理」が浮かび始めていた。
「コースの定理」とは何か、ざっくりと説明しよう。
それは、アメリカの経済学者ロナルド・コースが提唱した「権利が明確に規定されていて、その権利の再設定のための仲介費用がゼロであるならば、誰に権利を配分しても社会的な豊かさは最大化される。」というものだ。
なんだか小難しい感じの内容だが、「問題が起こったら当事者同士の交渉で解決できるんじゃね?」っていう感じのことが言いたいらしい。
つまり、この定理を使えば、きっと問題は解決できるはず。
私はそう確信し、アタマの中で前提条件を並べ、解決策を探りはじめたのだった・・・。
前提条件
私の家の敷地とAさんの敷地は隣接している。
Aさんの敷地には柿の木がなっている。
柿の木は、Aさんには「実を売ってお金にする」という利益をもたらすが、私にはコバエの不快感という不利益をもたらしている。
この問題をコースの定理で解決しようとすると、以下の方法が考えられる。
解決策1
Aさんが柿の実を売って得た利益のうち、私がこうむっている不利益に対してお金を支払う。
なるべく少なく支払いたいAさんと、なるべく多くもらいたい私は交渉し、両者にとって妥当な金額を決めるだろう。
解決策2
私がAさんに対してお金を支払い、柿の木を切ってもらう。
なるべく多く貰いたいAさんと、なるべく少なく支払いたい私は交渉し、両者にとって妥当な金額を決めるだろう。
上記以外にも解決策はあるかもしれないが、コースによればこれらの方法により問題を解決すれば、「社会的な豊かさ」は最大化するということだ。
・・・しかし、現実はそううまくいくとは思えない。
解決策1は、Aさんからすれば「引っ越してきた隣の人がイチャモンつけてカネをせびってきている」ように思える。
そのような状態でまともな交渉ができるのだろうか。
また、解決策2に関しては、柿の木が「無くなる」ことになる。
つまり、Aさんが柿を食べたり売ることによって得られるであろう将来的な利益に相当する額を、交渉で決めなければならない。
そんなことが容易にできるのであろか。
さらに、なぜ“コバエに困っている側である私”がカネを払わなければならないのか。
このように、両者にとって感情面の問題が表出するため一筋縄ではいかないだろう。
「経済学というものは万能ではないのか・・・」
私は、なかばあきらめの境地で、呆然と柿の木を眺めていた。
するとそこに、Aさんがやってきて「柿が好きなのかね?じゃあ、何個かあげるからもっていきな」と数個の柿をくれた。
そうか、こういう解決策もあるのか・・・。
私はこのとき、たかるコバエも少し許せる気になったかもしれない。
「ありがとうございます、いただきます」と言い、私は家に戻った。
しかし私はその時言えなかった。
柿が大嫌いであることを。
そして、逆隣の家の人に柿をあげ、そっと「社会的な豊かさ」というやつを最大化しておいたのだった。
一杯のざるそば ~そばにかけた男たちの記録~
温かいモノと冷たいモノお分けしますか?
やぁ、今日も遠いところからよく来てくれたね。
ん? そこに置いてあるのは何かって?
3月というのに、まだとても寒いから、缶コーヒーと、おやつのチョコドーナツを用意しておいたんだよ。あとで一緒に食べようじゃないか。
そうそう、そういえば今日、こんな事を思ったんだけど・・・
まぁ、他愛も無い話だけど、コーヒーでも飲みながら聞いておくれよ。
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