내일쯤
仕事で理不尽なことが起きた。
ただただ悔しくて。30歳という微妙で貴重な時間を注いだのに全てが崩れ落ちた。
3月で辞めることにした。
本当は明日にでも辞めたい。
自分よりもっと理不尽で不甲斐ない思いをした人なんていくらでもいるかもしれない。
でも不幸比べなんてしてられない。
私は私。私はいま耐えられないほど苦しい。
お試し期間の彼氏に慰めてもらおうとしたけど、期待した反応は得られなかった。
そもそもお試し期間なんていう男あてにできなかった。
それどころか連絡が来なくなった。最低だ。
全部行き詰まって、心がボロボロになった。
結局、頼れるのは友達。
必要な時に欲している言葉をかけてくれる人はかけがえのない存在だ。
友達が私にじょんひょんの내일쯤の歌詞を送ってくれた。
내일쯤 힘내면 돼
明日ぐらいに頑張ればいい
아니 너 모래쯤이라도 돼
いや、明後日でもいい
한 달쯤 너 우울 우울해도
1ヶ月くらい君が落ち込んでいても
난 여기 서있을 거야
僕はここに立っているから
우리가 살면서
僕たちが生きていく中で
매일 신날 수는 없잖아
毎日楽しいわけないでしょ?
우리가 평생을 눈물 흘릴 것도 아니잖아
僕たちが一生涙を流すこともないよね?
괜찮아 괜찮아
大丈夫 大丈夫하루쯤 모두 제쳐 두고 쉬어도 돼
一日くらい全部後回しにして休んでいい
じょんひょんの言葉に救われる。
最後にI'm hereって囁いてくれる。
しんどくて未来は不安いっぱいだけど、近くで見守ってくれてると信じてもいいよね?
予想もつかない未来にワクワクする!
なんてまだしばらく言えそうにないけど、
いつか言えるようになりたい。
それくらい強い気持ちを持てるようになりたい。
のるうぇいのもり
かの有名なむらかみはるきさんの『のるうぇいのもり』のなかで、名言といわれ、私の好きな言葉。
どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。
悲劇が繰り返されると、どうして防げなかったのか、なぜあの時学ばなかったのかという声が上がる。
何かしていれば、そのような結果には至らなかったかもしれない。
でもそういう結果ありきで、こうしていたら、ああしていればというのも、結局のところその前に何もしていない人と同じなんだろうなと思う。
似たような事象が繰り返されると、たいていの場合、人は慣れていくはずだ。
けれども愛するものを亡くした悲しみにはどうやっても慣れない。それは死という事象としては同じかもしれないけど、ひとつひとつが全く別物だからだろう。
人はだれひとりとして同じ人なんていないんだから、そもそもこれは繰り返しではない。慣れるはずもないし、慣れたくもない。
せめて私にできることは、悲しみに暮れている人を自分の言葉でさらに傷つけないこと。
そっとしておくこと。
何も言わないことがかえって良いときもある。
18日
12回目の18日がやってきた。
12回目だから1年経ったみたいだけれど、それはひとつの節目でしかなくて、これからも毎月必ず18日はやってくる。
私は生まれたのが18日だ。
物心ついた時から18日を意識して生きてきた。
あと1ヶ月でX歳になるとか、アイドルの誕生日が18日だと月が違ってもなにかよくわからない親近感をもって喜んだりしていた。
これまで私は18日がどちらかといえば好きだった。
でも18日が胸がキュッてしまるというか、これまでとは違った意味を持つようになってから好きなのかわからなくなった。
勝手ながらに『どんな内容だっていいから毎月18日に記事を一つ公開する』と自分に課してみた。
好きなこと、ポジティブなこと、しょうもないこと、身の回りのこと、そのときに考えたこと、なんでもいいから書くことにした。
この1年を振り返ってみると、いろいろな18日を生きたようだ。
絶対に忘れられないし、忘れたくないし、記憶を薄めたいわけではない。
けれども幸せな気持ちで迎えられる18日を増やしていきたい。これからもかわらず18日を意識して生きていきたい。
ぼいす
ついにおにゅさんがソロアルバムを発表した。もっと前に出してもよさそうだったのに、なかなか出さなくて。(喉のこととかほかにも色々とあったもんね。)ついにやっっっと兵役というタイミングでソロデビューとなった。
私はおにゅさんの声ペンなので、もうそれはそれはソロデビューする日が楽しみで、もう何年も待っていた。
2018年12月5日についにその日がやってきた。
早速音源をダウンロードした。
これから通勤のお供になることは間違いなくて、聴き込んで聴き込んで、歌詞も読み込んで、ぜーんぶ好きとなることは未来決定事項。
だからあえていまの、数回しかまだ聴いてない聴き込む前の新鮮な気持ちの感想をちょろちょろっと残しておこうと思う。本当にちょろちょろっと。
Blue
声量おばけ。声が面で迫ってくる。オペラの時みたいな発声で、喉全開で勇ましくて男の声って感じ。
Your Scent
ドラマのOSTみたい。
Under The Starlight
サビが地声と裏声いったりきたりする。優しい声。
Sign
StarryNightみたいなぶりっ子してる声。おにゅさんの得意なやつ。かわいい声。ミュージカルっぽい演出の中で歌ってる画が浮かんでくる。間奏がWinnie The Poohみたい。
Illusion
前奏のピアノ伴奏が合唱コンクールみたい。わりと音域が低音重視の曲なのかな。
Shine On You
수면제のように大げさにはやってないけど、敢えて声の艶を消して、ささくれだったウィスパーボイス。語るように歌ってる。
Timepiece
ゆったりした音程で一音一音をしっかり発音してる歌い方。
まだ数回しか聴いてないのに、熱量にムラがあるのが一目瞭然だ。これが聴き込むことで、どう変化していくかが楽しみだ。
全体を通していえることは、かぶせとかコーラスとかなくて、本当に声を聴くアルバム。
おにゅさんの声を堪能するアルバム。
しわす
12月が来るのが怖い。
どうあがいても時の流れには逆らえないし、もうすぐそこまできている。
あのときの気持ちに、真っ黒な闇に、襲われそうで怖い。
けれども、楽しみなこともいくつかあって、待ち望んでいる自分もいるし、来ないでって思っている自分もいる。
感情が浮き沈みが忙しくなりそうな師走。
駆け抜けなくては。
後ろのポケット
全然ファッションに詳しくないしオシャレでもないこの私が、最近プチプラでテーパードパンツを買う時に欠かさず確認することがある。
それは後ろのポケットがついているかどうかだ。
加齢に伴い、時の流れを早く感じるようになったせいか、1年前か2年前か、はたまた3年前なのかははっきり思い出せないのだけども、ややハイウエストで腰にリボンを巻いていたあの辺りから、後ろのポケットはいなくなった。もう今では腰にリボンを巻いていないのに、後ろのポケットはいなくなったままだ。
男性のようにカバンを持たず、後ろのポケットにお財布やスマホを入れたりするわけでもないから、カバンを持ち歩く女性にとっての後ろのポケットの存在意義は低いかもしれない。実際のところ、後ろのポケットがあるかを確認している私でさえも、そこに何かを入れているわけではない。
ではなぜ、テーパードパンツの後ろのポケットがついているかどうかを確認するのか。
それはポケットがないとのっぺらぼうな感じがするからだ。見栄えの問題。
ざっくりとした感覚的な問題なのだけど、あると思って30年近く生きてきたからか、ないことに慣れない。決してジロジロみてるわけじゃないんだけど、エスカレーターに乗ると目の前に人のお尻がある。ポケットがあると自然なことだから何とも思わないけれど、ポケットがないと『ないんだなぁ〜〜』と思ってみてしまう。
存在意義が低く、コスパ命のプチプラな洋服だからこそポケットが真っ先に削られていくのかもしれない。でも安くてもポケットがあるものはある。袋はついていなくて線だけで、ポケットと呼べないかもしれないけど一応ポケットが付いているものある。
そのうち、ないことが当たり前になるのだろうか。ないことに慣れるのだろうか。
なくなりかけてはじめて、後ろのポケットがあるほうが私は好きなんだと気付いたのでした。
ついにこの日がやってきた
きちんと何度も自分の言葉でお別れを言ってくれてたから、覚悟はしていた。
それに行かなくてはならない期限が迫っていたのも、十分頭で理解していた。
私の準備なんて特にすることもないのだけれど、心構えはしっかりしていたつもりだった。
でも、いざ明確な日にちが決まると寂しくてたまらない。
少し前までは行かなきゃならないのなら、ちゃっちゃっと済ませてしまえ〜〜なんて思っていたのに、今は行かずに済むなら行かないでって思ってしまう。なんとも自分勝手。
他に代わりがきかない唯一無二の歌声がしばらくお預けなんだなんてね。
どうか無事に怪我なく帰ってきてね!
前にもいったけど、また言うよ。
私待ちます。