誕生日をお祝いする文化について

みなさんの会社には誕生日をお祝いし合う文化とかありますか?

自分はついこの前誕生日だったんですけど、弊社で恒例となりかけていた誕生日のお祝いがなくなったんですよ!!

でもこれはいいことなんじゃないかなって思ってるんです!(めちゃめちゃ強がりに聞こえるけど・・)

というのも、前職でもそうだったんですが、メンバー同士が仲良かったり距離が近かったりする会社だとどうしても誕生日お祝いしよーよ!となりがちじゃないですか。

一回目は新鮮な感じでいいんですよね!

ただ問題は二回目以降で、やってもらったから返さないととか、恒例行事で急にやめたら可哀想だしなとかでいつの間にかやめられなくなっちゃうんですよ。

こうなってしまうと、自発的じゃないんで、やってもらう側もなんだか微妙な感じになってしまいますよね。
裏で準備してくれてるだろうメンバーを横目に、できるだけ気づかないふりをするみたいな誕生日は嫌じゃないですか。

なので、今回会社としてお祝いしなくなるのはよかったなぁと思っているんです!

しかし!

弊社には素でお祝いしたいと思っているメンバーがいるんです!
全然予期せぬ出来事だったんですが、そんなメンバーからもらった予期せぬプレゼントがこちら!

エントリー No.1 『夕焼けのやま』というタイトルのビールグラス

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普段からホスピタリティ高く接してくれるメンバー二人が選んでくれました!
何がすごいって最近家でビール飲むようになったんですよって言ってたらしく、そんな発言から、ただのビールグラスを選ぶだけじゃなくて、デザインのコンセプトまで完全に自分好みだったのでマジですげーなと思っちゃいました。
この感じでプレゼントをあげられる人物に自分はこれまで出会ったことがありません。

エントリー No.2 Google Play 5,000円分(FGOのガチャ用)

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開発を主導してくれてるエンジニアが選んでくれました!
突然コンビニに行ったと思ったら買ってきてくれました笑
このメンバーは素で思ったことしかやらないタイプなので、こんなことしてもらったらそら嬉しいですよね!
とりあえずFGOというソーシャルゲームのガチャにすべて投下しました。

その結果がこちら、

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最後のうっすら見えてる強そうなやつがお気に入りです☆

結局何が言いたいかというと、素でもらえるプレゼントってめちゃめちゃ嬉しいよねってことです。
せっかくプレゼントあげるなら恒例だからとかじゃなくて、ふと「プレゼントあげたいな」って思ったときにあげるようにするのがいいんじゃないかなと思いました。
そんなことを思いたったら、自分もコソッとあげるようにしたいなと思います。

我慢してやろうぜは仕事をクソつまんなくする

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最近というかしばらくですが、自分が苦手なことにはあまり手をつけないようにしようっていうのがあります。

こんなこと言ってると、苦手なことから逃げてるだけだろとか、やりたくないこともやるのが仕事じゃいとか言う人もいると思います。
実際はやりたいくないことをやることも結構あるんですが、あくまでそういう姿を目指しているという意味です。

なんでこんなことを目指しているかというと、我慢してやろうぜ教が仕事をクソつまんなくしてるんじゃないかと思っているからです。

どういうことかというと、

やりたくないことを我慢してやってると、周りの人がそれをやってないときに無性に腹が立ったりしますよね。
なんでオレだけこんな頑張ってんのにお前ら頑張らないんだと。

そうなると基本的にみんないい人なので、

  1. やりたくないことでも我慢してやる
  2. 周りで我慢していない人を見ると腹が立つ
  3. お前もやれとなる
  4. 言われた方も雰囲気を悪くしたくないからよく分からんけど、我慢してやる
  5. 周りで我慢していない人を見ると腹が立つ
  6. お前もやれとなる

というような負のループが回り始めます。

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結果として、仕事はつらいものだ教にほとんどの人が加入することになります。

自分はあんまりワクワクしてない人たちに囲まれるとパフォーマンスが出せなくなっちゃうタイプなので、この負のループをとめて、

  1. やりたいこと・得意なことをやる
  2. 満足度が高くなる
  3. 他の人のいいところも尊重できる
  4. 他の人もやりたいこと・得意なことに挑戦できる
  5. 満足度が高くなる

みたいなループを作っていきたいんです。

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ただ、負のループなうって感じだとなかなかそんなこと考える暇もありませんよね。
そもそもループって怖くて一度その勢力が拡大しはじめると、もう自分ひとりがいくら頑張っても焼け石に水感がすごくて、抵抗する気すら失せますよね。
抵抗以前に、そんなんで会社がうまく回るんだったら誰も苦労しないよって思ってる人が大半な気もしますよね。

でもそんな偉そうなこと言ってる人達もほとんどこの問題に挑戦してみたことすらないと思います。

なので、BECでは「みんなの持ち味が発揮できる世の中」っていうのをガチで目指してみたいなと思ってるんです。
ポジティブなループが回り始めることで、今度はループの恐ろしい力を使って、その得意なことに一気に集中できる環境が作れれば最高だなと思います。

ベンチャーだとそうもいかないでしょ。やることめちゃめちゃ多いでしょ。とかおっしゃる通りですね。
でもだからこそ、役割を定義してお互いの役割を尊重し任せるというのをやっていくというのが大切だと思います。

じゃあ具体的にどうしていくんだ?作戦はなんなのだ!っていうのはまた次回以降で書いていこうと思います。


しばらくブログも書いていなかったのですが、考えてることが抽象的なので、せめて文章にして発信していくというのを自分の中でルール化してやっていこうということでございます。
こんなブログですが、応援・ご意見いただけたら嬉しいです!

ツイッターもあまり有効活用できてませんでしたが、徐々に発信していこうと思います!

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愚かな個性を大事にしたい

人の夢や個性は時に愚かに見えることがあります。
むしろみんなそれぞれ育ってきた環境が異なるんだから、お互いの個性は変わって見えてしかるべきなのかもしれません。
ただそんな夢や個性が愚かに見えてしまうのは、ほとんどの人が他人の目や評価を気にして、本来持っている夢や個性がブレたり隠れていたりする中で、それを表に出すことが特異(非常識)なことになってしまっているからだと思います。
今の世の中では単一的な評価軸で人を判断することが一般的です。
効率的に物事を進める上でそうすることが役立つため見過ごされがちですが、単一的な評価で判断することは、その人が個性を発揮するのを妨げます。 そのような状態は本当に世の中に価値を生み出すことに繋がるでしょうか。
私は個人で考えた場合はもちろん、チームで考えた場合は特に、それぞれの個性が発揮されることで、メンバーですら想像がつかないような新しい調和が生まれると思っています。
そこから生み出されるサービスやプロダクトは、その人、そのメンバーにしかできないことであり、それにこそその人達でやる意味があると思います。
そのために一般的には負の側面で捉えられがちな特徴すらも認め合える。そんなチームでありたいと日々思っています。
そのようなメンバーであれば、お互いの個性をぶつけながら、誰も想像のつかない未来が描けるはずです。

ビジョンは必要か

会社にとってビジョンは必要でしょうか。
実際は会社ごとの考え方によるもので答えはないと思っています。
ただ「ビジョンとか言ってないでまず利益を出せ」という人も多い中で、
弊社はビジョンについて少し固執するぐらいこだわっている部分があるので、なぜそこまでこだわるかについて書こうと思います。

ビジョンを大切にする理由

弊社(BEC)ではメンバーが入ってくる度にビジョンについて議論する場を設けて、新たに始動するそのメンバーで同じ方向性が描けるビジョンを再考しています。
もちろん前提として現在のビジョンに合いそうな人を誘っています。
新しいメンバーが加わることで、その人ならではの意見も反映されてビジョン自体が精査されていくように感じていますし、ビジョンを再考することで、新しいメンバーも一丸となって達成したいと思える目標に向かうことができます。
ビジョンについて話し合う行為は時には数日要することもあります。
そこまでしてBECがビジョンを大切にするのには大きく4つの理由があります。

  • 自分がやっている事に納得感がもてる
  • 自走できる
  • 仕事がただのお金稼ぎではなくなる
  • 他のメンバーと相互に影響を与えあうことでモチベーションを高く保てる

自分がやっている事に納得感がもてる

ベンチャーでも大きい会社でも辛い時期や苦しい時期は必ずやってきます。その時に見据えられる目標として共感できるビジョンは非常に有効だと考えています。
共感できるビジョンがなく、やっていることに納得感を持てていない場合、自浄作用が働きづらいので、会社が気づいて対処することが求められます。

自走できる

弊社では一人一人の従業員にはなるべく自立して働いてもらいたいと考えています。
自分のことは自分が一番よく分かっているはずなので、働き方のコントロールを独自で行ってもらっています。
このために必要なのが、会社が決めた単一な評価で管理するのではなく、みんなが達成したいビジョン(未来像)に向けて動くことだと考えています。
ビジョンへの共感がないと、会社が決めた評価軸でその人を評価する必要がでてきて、結果として上司の顔を伺いながら働くという働き方になり、そのメンバーが自立して働くという事を阻害してしまいます。

仕事がただのお金稼ぎではなくなる

お金稼ぎが悪いことだとは思いませんし、むしろ「金稼ぎ=悪」という考え方自体はとても嫌いです。
ただお金を稼ぐためだけに人生の大部分を過ごし、それによりやりたくもないことをやるという事には反対です。
まず人生ありきで考え、それを満足するものにするためにやりたいことをやり、そのために必要であればお金を稼ぐというのが本来あるべき形なのではないでしょうか。
お金稼ぎ自体には全く反対しませんし、目標を持ったお金稼ぎはむしろ素晴らしいことだと思います。

他のメンバーと相互に影響を与えあうことでモチベーションを高く保てる

ビジョンに共感できているメンバーが集まっていると、お互いにワクワクする未来について話すことが増えます。それにより日々の業務が辛いものだとしてもモチベーションを高く保つことができます。
一方ビジョンに共感できていないと、一つ一つの決定事項に対しての納得感が薄れます。納得感ができないメンバーがいるとどうしてもその人のことが気になってしまい、気持ちよく納得感を持ったメンバーでドライブしていくことができません。

大学時代の経験

なぜ自分自身が納得感をもって一丸となっているチームが好きなのか思い返してみると、大学時代のアメフト部時代の経験によるものが大きいのかなと思います。
当時の部の目標は上のリーグへの昇格だったのですが、日々の練習がきつくて辞めてしまうメンバーもたくさんいました。
日々の練習に追われて当時は何も考えられずにいましたが、今となっては個性豊かなメンバーの長所を最大限いかせなかったことをとても反省しています。
当然学生なので、見返りとして賃金が支払われるわけでもなく、勝利のみが唯一の見返りとなります。勝利がしばらく遠のくとチームとしての仲間意識でかろうじてつながっているような状態になります。
一方で、絶対に負けられない試合ということで意識が統一できた時は、各選手が目標に向けて必死に頑張ってくれたので同じチームとは思えないようなパワーが発揮されていたように感じます。
納得感とはちょっと違うかもしれませんが、全員が何が何でも達成したい同じ目標を持つとチームは思いがけない力を発揮するんだなと感じる経験となりました。

達成したいビジョン

BECにはやりたいことに挑戦できる世の中にしようという創業当時からの想いがあります。そのために労働のあり方を変えていくという目標を見据えています。
それは雇用を前提とした労働ではなく、まずそれぞれの人生があり、その中で一人ではできないような成功体験を得るために同じビジョン(やりたいこと)を持ったメンバーと協力することで会社としても個人としても成功体験を得られるような未来像です。
メンバー一人一人が自分の能力を最大限発揮できる状態を作ることは突き詰めて考えると高い壁を乗り越えなければいけませんが、このビジョンを見据えてチーム一丸となれればこの壁も乗り越えられると信じています。