コミュニケーション
たまにふと思うのが、「どうして自分はそうまでして場違いだなと思う場所に行くのか」ということ。結局心折れる事が多いにもかかわらず。
DJイベント(最近は行かなくなったけれど)、ロックバー、ライヴ会場、いまだに場違いだなと感じる。
何年経っても大人になっても根本的には暗く、1人でいたい性格は変わりません。
最近は、嘘だろ、そういう風に見えないと言われることが増えましたが、武装しているだけです。化粧で変身しているグラムロッカーと同じです。
人と関わりたくないって言ったって、関わらなきゃ生きていけないんだから割り切るしか無いんです。
しんでぇーーと思いつつ、体調崩しつつ、何でそうまでしてそういう場に行くんだよって自分で突っ込みたくなる。
でもこないだ分かった。
とあるバーでロイ・ウッドの話をした瞬間、それまで感情を見せなかったマスターがとびきりの笑顔を見せてくれたこと。
それと同時に思い出したのが、ロイのライヴに行ったときに出会った人。
目をキラキラ輝かせながらわたしにグラムロックの事を熱く語ってくれたこと。
音楽を心から愛している人が見せる嬉しそうな姿が見たいから、わたしは人と関わろうとするのを止めないんだな、と思った。
それを忘れないようにしよう。
トキワ荘の青春
神保町シアターで「トキワ荘の青春」を観てきた。
トキワ荘での出来事が、本木雅弘演じるテラさん(寺田ヒロオ)目線で、ゆったりと静かに表現されていたのが印象的。その証拠に、終盤でイビキがちらほら聞こえてきた…(笑)。つまらないから寝てしまうわけではなく、観ていてとてもリラックスできる映画なんだと思う。一方でテラさんの、彼が描きたい漫画と変わっていく漫画の世界や世間とのニーズに悩む感情も相まってか、どことなく寂しい気持ちにもなる。石ノ森章太郎が漫画で描いたトキワ荘像に似ている。もうこの世界は無くなってしまったんだ、という現実を突きつけられたような虚無感。でも寂しくなり過ぎず、ゆるやかな空気で時折笑える場面も交えながら観られるので心地よい。
いいな、と思ったのが、トキワ荘に住む漫画家達がテラさんの部屋に集まって酒盛りするシーン。藤子不二雄Aの「まんが道」にもよく出てきたので個人的に馴染み深いシーンだった。みんな静かに、でも自らの軸を持ち漫画について語り合う。そこにはお互い嫉妬し合い喧嘩するなどということはない。その証拠に藤子不二雄Aもこう語っている。
他の人が先に売れても嫉妬を感じるどころか、こっちも頑張ろうと思ったり。本当の同志の集まりでした。
一つ、気が付いたことがある。テラさんと酒盛りしていた漫画家達は、「無駄なエネルギーは使わない人」だったのではないかと。人を妬んで喧嘩するくらいならそのエネルギーを漫画にぶつけよう、ということだ。実際のところはそりゃ人間だもの、嫉妬を全く感じなかったかと言われたら嘘になると思うがそれをきちんとコントロールして向かうべきところへのエネルギーに変換させることができていたのだろう。この映画には自分が今何をすべきで何にエネルギーを使うべきなのか、それを見失わないヒントが隠されている。
Out Of Print
アメリカのアパレルブランド「Out Of Print」がとても良いです。ファンになりました。「文学を着る」をコンセプトにしているそうで、小説の表紙をモチーフにしたさまざまなグッズが販売されています。
私はこのアリスのトートバッグと、ジョージ・オーウェルの1984のポーチを購入しました。ほかに、時計仕掛けのオレンジのiPhoneケース、オズの魔法使いのトートバッグも気になりました。誰もが知っているであろう文学作品を取り上げているのに、ありそうでなさそうなデザインがたまらないです。私が買ったアリスのデザインも、甘々じゃなくむしろちょっとダークさがあるところに惹かれました。素敵♡
こんどはアクセサリーも買いたいなぁ。
石ノ森章太郎が描くDavid Bowie
今日はDavid Bowieのお誕生日ですね。ボウイが私にもたらしてくれた影響などを記したいところですが、皆様にとって本当にどうでもいい話だと思うのでやめておきます。そこで今日は最近見つけた石ノ森章太郎の作品、「David Bowie」を紹介させて下さい。そうです、あの仮面ライダーやサイボーグ009でお馴染みの石ノ森先生がDavid Bowieを題材に描いた漫画です。私が何気無く、「なんかさぁ、石ノ森章太郎って、デヴィッド・ボウイっぽくない?臨機応変に作風を変えられるところとか…。」と話していた時に「石ノ森章太郎 デヴィッド・ボウイ」でネットを検索したところ検索結果に出てきた漫画がこちらです。
さて、「David Bowie」についてです。こちらは1977年第3号(1月24日-2月6日)に掲載された14頁の作品です。ボウイは宇宙人的だと言われているが、実はそれは本人自身ではなく、宇宙人が乗り移っているからだ、という解釈。宇宙人が様々に人間を選ぶが、結局乗り移ったのは優れた人間ではなく、痩せっぽちの弱々しい臆病なデヴィッド・ジョーンズ(ボウイの本名)という少年だった…という話。時期的なものや、作中のボウイの髪型から、Station To Stationという作品で演じていたシン・ホワイト・デュークというペルソナや、映画「地球に落ちてきた男」をイメージして描かれた作品だと推測します。私は、ボウイをリアルタイムで聴いていた女性に、「初めてデヴィッド・ボウイをテレビで見たとき、この世のものとは思えなかった。ほんとうに宇宙人かと思った。」と真顔で言われたことがあります。その人はボウイが宇宙人的だとかそういう前情報は全く無しでそのような印象を持ったのですから、(そうか、ボウイって当時ほんとにそんな印象を持たれてたのか…!)と驚いたものです。でも、ペルソナを演じてステージに上がる人は、得てして実は引っ込み思案だったり恥ずかしがり屋だったりします。石ノ森章太郎はこの作品で、「David Bowieは宇宙人だ」ということよりかはむしろ、「David Bowieだって人間なんだよ」、ということを描きたかったのではないかなぁと思いました。本当の姿は、泣き虫で、弱くて、いつも喧嘩に負けている、デヴィッド・ジョーンズなのだと。そういう目線でボウイを見れば、また印象も変わるかもしれませんね。漫画もロックも好きな自分としては、こんな作品に出会うことができて本当に幸せだしラッキーだなぁと思いました。
かぐや姫の物語(少しネタバレ有)
昨日、ジブリ最新作の「かぐや姫の物語」を観に行きました。
余韻でまだ泣けてくるほどに衝撃的な作品だったので感想を記します。
私はもう冒頭から、姫を可愛がる翁の姿を見るだけでウルウルしました。
あたたかさと言えば、絵のタッチも素晴らしかったです。
リアルな絵よりもああいう粗さを出した絵のほうが「人間の手で作品を作り出している」ということが分かるので良いと思います。
私が一番衝撃的だったのは、姫が月へ還るシーン。
穏やかなのに、ものすごく暴力的。
特に強烈だったのが、月からのお迎えの方々が奏でる音楽。
一言で言うと、「ラリってる」………。
あの曲が、別れのシーンには合わないという意見が多いのも頷けるけれど、私はどうしてあのような陽気でちょっとイッちゃってるような曲調なのか、ものすごく納得しました。
「月には不幸がない」と姫は言っていました。
私はその「不幸がない、常にハッピーな状態」を音で表現したかったのかなぁと解釈しました。
泣き叫ぶ翁と媼を残して行ってしまう姫。
そこには何の猶予も余韻もない。
月からの迎えが来たら強制終了。
悲し過ぎて嗚咽を上げて泣いてしまいました…。
ハッピーな音楽を背景に描かれる残酷さに、ただただ打ちのめされました。
改めて、私がこの映画に持った印象は、「優しいのに残酷」。
決して好きな映画ではないけれど、ジブリ作品の中でいちばん記憶に残る映画となりました。
仙台
1月3日(金)
突然連絡したにも関わらず、運良く高校時代からの友人とのごはんの約束が出来たので(ありがとう♡)、仙台へ向かう。
待ち合わせまでの間に、帰省中行こうと思っていた「rock cafe PETER PAN」へ。3度目の訪問。
やっぱりすごく落ち着くな〜。
リクエストしてLou ReedのNew Yorkをかけてもらいました。
珈琲とケーキを食しながら好きな音楽を聴く幸せを噛み締めながら過ごしました。
「ロック喫茶」…早い時間から開いていて、若い人やお酒が飲めない人でも入りやすい。こういうお店はなかなか無いと思います。
また行こう。
夜は友人とごはん。
久しぶりに色々話が出来て楽しかった〜。今年は旅行に行きたいねなんて話も出て、夢だけは膨らんだ(笑)。
出会って10年目ってことに驚いたけど、これからも末長くよろしくお願いします…としみじみ思いました。