またまた夢の話

最近が夢の調子がすこぶる良い

ここまで夢が好きだが夢日記はつけていないのでもう忘れてしまっているけれど、それがまた良い。内容よりもその時の感情が目覚めに残っていれば満足だ。


単純に幸福感が蔓延しているときもあれば

また、哀しさ切なさ(ノスタルジー的な、幼少期にいだくような)が8割を占める夢も良い夢だ

単純に幸福感が残る体験よりも、こっちの方が体験としての満足感は高い

夢は体験だと思っている。


おもしろい夢は浅い眠りの時にみやすいらしい。

そう、二度寝。。。

現実での時間を潰せば潰すほど夢世界は充実するといったシステムらしい。

つまり、夢の調子がかつてないほど好調な私は、現実世界がかつてないほど濁っている。という風に置き換えられるし、事実そうみたい。


現実の私に喝をいれます。


夢好きの話

夢をよくみるし、よく覚えている

そんな私が最近気づいたこと。


夢ではよく非現実的な事が起こるけれど、それを体験している夢の中の自分の反応、言動はすごく現実的なことについて


まさに、妄想と現実


多分この出来事が現実で起こったとしても、この反応をするんだろうなーって思うと

夢は、自分だけのもう一つの経験の場だと思う。


たとえば、夢の中での自分が現実の自分とかけ離れた性質だったらその夢はただの不思議な物語だ。


だけど、夢の中の自分の性質が変わらないのならそれはひとつの経験になる。


よく、愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ というようなことをきく


私はいくら過去の第三者の失敗談を聞いたところで、結局は自分の失敗からでしか学べない奴だから


もし、夢で失敗や過ちを経験済みにできれば、、、などと思ったりもする。


だけどそうなると、失敗する夢ばかりをみるので睡眠が憂鬱になるという問題点がでてくるのだけれど、どうしよう。。。



現実で活かせることができる日がくれば素晴らしい!




ツッコミドコロ

今住んでいるシェアルームは門限もなく決まり事も少ない方で

ゴミ出し当番日替わり制、と洗濯機有利以外にはとても満足している

寝る為だけの便利な家だ。


毎日ヘトヘトで終電に乗り、帰って寝る


昨日は新しく買った漫画が面白くて4:00に寝た結果、9:30に目が覚めた

まだ少し時間に余裕がある


取り敢えず水を飲みに冷蔵庫へ



しまった。

ゴミ出し当番今日だった。


冷蔵庫には当番表が貼ってある。

8:00までには出せ、とのこと

さらにゴミ出しを忘れた者は罰金¥1000


時計見ると10:00


当番表をよく見ると、どうしても行けない人の為の管理人によるゴミ出し代行というものが¥2000であった


え、おかしくない?

出し損なう、またはサボる方が罪深いにもかかわらず

事前に出せないことが分かった上で代行をお願いするよりも¥1000安い


だったら事前に出せないと分かっている人も敢えてサボった方がお得になってしまう。


完全に管理人のさじ加減だ。




おかしくなってる事って日常に沢山あると思う


ちなみにゴミ出しは何とかなった。





東京のアパレル業界は鮮やかだ、

確実に日本で一番に鮮やかだ

東京でできて大阪ではできないこと

芸能、映像関係、衣装関係の仕事の豊富さ

発信地の量(ラフォーレ、新宿伊勢丹、パルコ、ヒカリエetc)

関係者の数



大阪でできて東京ではできないことはなんだろう

一つは産地との関わり

関西にはニット、織り、染め等

様々な産地、技術が密集している

1からのモノづくりの現場が身近にある


日本のファッションのスペースって本当小さいんだと思う

youtubeの東コレランウェイと

自称ユーチューバーのおふざけ動画

一目瞭然の再生回数の差

そんな小さい小さいスペースの中にあるファッションにもっともっと広いスペースを与えて走り回らせたい。


それには今、東京も大阪も関係ないんじゃないか。


一緒にやりたい人やりたい場所が何処にあるかなのでは。


専門学校でも体感した環境は大事

ということは重々承知で。





もわァとする事について


最近の、もわァとする話をすると


長期的に家をあけるとき

だいたい旅立って2.3日目には母から連絡が来る。

以前はメール、私が設定してあげてからはLINEで。


設定してあげたけれど正直、母がLINEを活用するんだ

ということを認知したくなかった。


私の母はイメージでいうなら

「ママ」ではなく「おかあさん」という感じ。


小学校低学年の頃、同級生達がお母さんのことを「ママ」と呼んでいることに気が付いて

なんか、「オシャレやなー、うちもカタカナで呼びたい。。。」

と思い

ちょっと緊張気味に「ママ!」

と呼んでみた。


無視された。




「おかあさん!」

「なにー?」


母は完全にママにはならないつもりだった。


私がその頃、一瞬憧れていた

何でも相談し合える、友達のような関係性は断固拒否で

娘の何段か上という立場を崩さなかった。


私もすぐ、友達のような会話とか絶対にいやだし

まず立場が違うということを理解した。


それ以来、「好きな人は〜」なんて話はもってのほかとして

最近学校で起こった話もしなくなった。


かといって仲が悪い訳では全くなく

いつもホカホカした気持ちで家族と過ごしていた。



そういったことから母とアプリで繋がるだとか

友達っぽいことや、今っぽい事を母とするのが億劫に思ってしまう。



今回も2日目にLINEがきた。

\住んでる場所はどんなかんじですか?/

\ご飯はきちんとたべてる?/など

大体、心配事から始まる。

ありがたい。


実際便利だし、母がLINEを使うということにはもう慣れた


が、これが3日目以降になると


\スーパーフライのライブへ行ってきた!/


\私も何処かへ出掛けたいなー/

等々


友達とのLINEでもわざわざやり取りしないような事を送信しだすのだ。


もうこういった連絡手段に慣れてなさすぎて独り言か日記のような事を送信しだすのだ。



憂鬱だ。

これは私のなかでいわゆる「ママ」のイメージだから。


無理やり

\鳥肉って、買ってから何日以降に冷凍に切り替えた方がいいの?/

などの「ザ.親子」な会話に軌道修正をするが


\やっぱりライブ最高!/

などという更に鬱な文章を送信してくる


そこからは二人の攻防戦がはじまる

ヤツがキャピキャピしだせば料理の味付けや、保存方法の質問でねじ伏せる

といった具合で。


あとは22:00になり寝るのを待つだけだ。


やるつもりは全くないだろうけれど

その他SNS参入は絶対にやめてほしい。

やるなら絶対にバレないようにしてほしいなー。



またよくわからない話をしてしまいました。


3/7

出し惜しみはよそう


昨日からインターンで東京に来ている。


着いて初日で花粉にやられました。


絶対に大阪より東京の方が散乱している!


お昼に行ったマクドでも、明らかに花粉症で死にかけている人が沢山いて

お互い暗黙に労わりあいました。


もともと風邪でも何でも薬は最終手段として用意していて

花粉も毎年自然療法というか、ひたすら耐えるのみでした

酷い時は耳鼻科へ通っていました。


普通に生きられればまだ何十年もある人生です。

ココぞ!という日に体調を崩してしまい、薬を飲んで一発で回復したいって時が絶対にに来ると思うのです。

薬免疫をつくりたくないということです!



インターンが終わり、

夜道ドラックストアが光っていました。

花粉を吸いすぎた朦朧とした頭で、アレグラ14日分、花粉防御クリーム的なやつ、鼻セレブ

以上3点を速攻でレジに持っていき

薬剤師の話も流し、家に帰って速攻でアレグラ飲みました。


気づきました。毎日がココぞ!という事に。




損得感情が全てではないけれど。

今、公共交通機関は生活の中でで切っても切れない関係であり、私の場合は電車だ。

バイトへ行くときも通学にも利用するのでほぼ毎日電車を利用している。



お金の話しをすると

毎日電車を利用するようになってもうすぐ3年目になる。

電車賃がだいたい往復¥300

一年の内、350日電車を3年間利用すると10万5千円。

×3は31万5千円!

30万あったら何ができるだろう

海外旅行

買い物...

.......。


あれ?海外旅行と言っても贅沢するには少ないなあ。(物価にもよるけれど)

買い物も、車なんかは厳しい。

せいぜい家電を買い替えたり、洋服を数着買える程度だ。


しかし、30万を稼ぐには時給¥1000の仕事を300時間こなさなければいけなくて、5時間のバイトだとするなら出勤日数60日だ。

「その気になれば2ヶ月ほどで得られるのか」と思うかもしれないけれど

学生の身で2ヶ月休みなしでバイトを入れるということは相当の覚悟だ。



電車の話にもどる

移動時間の短縮と、小回りが効くという点が今までの私が電車を利用する理由と電車賃を支払う価値であった。

今回、お金の計算をして思ったことが、お金=時間。Time is moneyとみんなが軽く口にする言葉だ。


異動距離と共に自由時間も設けてもらっていることに対してもお金を払う価値があると思った。

電車に乗るということは自分の労力ではない。

当然誰かの時間を使って操縦しているわけで、その時間は自分の自由な時間だ。

自由といってもダンスを踊ったり、大声で歌ったり勿論そういうことではなく、読書や出来事を頭の中で整理したりできる自由時間が移動距離をのばしながら得られるという自由だ。

このある程度自由な時間の濃度を濃くすると電車賃の事は気にならなくなるだろう。

例: 【電車のなかでパッと思い浮かんだ企画が会社で採用される】

となればプラス

【ただ何も考えずボーッとしながら移動しただけ】

ならばマイナス(本当はプラマイ0だが)


想像力を働かせて、日常生活を営みたい。


12/29

久しぶりに映画、観に行こうかな と、上映中の映画を調べる 
【恋人たち】
"それでも人は生きてゆく"
というサブタイトルの それでも、
という言葉から 「何か、ただ事ではない絶望があるのだろう。」と想像した。 
この物語の中の人は一体、どんな絶望を背負って生きていかなければならないのかを観てやろう という少し意地悪な気持ちもあって 【恋人たち】を観ることにした。 

番宣が始まった頃に映画館に到着したので、そろそろと自分の席に向かったのだけれど、半分程埋まっている席に平日お昼の上映ということもあり若者が見当たらない

 きっとこの映画館の年間パス的なものを駆使して頻繁に観にきているのであろう年配者が過半数で、いつもと違う空気の現場に新鮮な気持ちで席についた。

 この映画、出だしから主演1人の語りが突然に始まる。
 この手撮り感のある映像の中で彼が話す言葉から、以前いたであろう恋人が今はもういないということがわかる。
 彼含め主演は3人いるのだけれど 恋人たちと言いつつこの物語は 
【いわゆる恋人たち】とは違った 角度からの物語だ。 
期待していた絶望感は映像全体の雰囲気として存在していたけれど、
そんなやりきれない生活のなかでも面白い要素が存在したのが収穫だった。
 それが、詐欺でも、暴力であっても 可笑しくて笑える出来事っていうのは、彼らが求める求めていない関係なく降りかかる。 
子供の頃、叱られた後に拗ねながら観てしまった漫才番組に笑いたいけどなんとか堪えている、あの感じがした。
今回良かった所は、館内の客が醸し出す玄人感が恋人たちを観るにあたってとても心地よかった所だ。 
この類の映画で、老若男女が入り混じった館内で観るアクション物のように、リアクションをとる場面、例えば笑うポイント、泣くポイント、を強制するかのような、謎の全体の一体感を出されると凄く観づらいからだ。 
 "周りの客の丁度良い存在感"これが映画館へ足を運んだ時 「あ、今日は当たりだ」「あ、お金ね返してほしい」の別れ道である。