あぁ長良川、長良川。

30代始まりと共に経験、技術無しサラリーマンの現状を垂れ流します。

極楽征夷大将軍 足利尊氏

どうもこんにちは僕です。

 

今回の本はこちら

 

 

室町幕府創設者の足利尊氏さんです。

 

この物語では、尊氏さんの弟である直義と足利家執事の高師直視点での話です。

 

とにかくこの兄弟、相思相愛でふたりはプリキュア状態なのとんでもなく尊い

 

足利家の庶子として生まれた兄弟は幼少期から大人達に相手にされずに期待されずに育った為、いつも兄弟で遊んでいた。

 

兄である尊氏は、ぼんやりのほほんとした我が無いに等しい性格。

弟は清廉潔白の様な、情に熱い性格だった。

 

そんな2人がひょんな事から足利宗家を継ぐことになり、後醍醐天皇の呼びかけに応じて鎌倉幕府の実質的支配者である北条得宗家を滅ぼす。

 

この時代は綺羅星の如く武将が出てくるのも物語として面白い所である。

 

この物語では、老将赤松円心が尊氏の友達として活躍。

また後の南朝として活躍する楠木正成新田義貞北畠顕家この3人はまた別でそれぞれ物語があり激烈におもろい。

既に読書感想文を書いている話もあるが改めて載せておこう。

 

 

時代小説で、北方謙三先生の作品はどれもかっこいい。戦闘シーンもさながら男心をくすぐられる格好良さがあるからぜひ見ていただきたい。

話はもどすが、この南朝の武将達も元を正せば後醍醐天皇の呼びかけで尊氏達と一緒に鎌倉幕府を滅ぼした。

 

その後の後醍醐天皇(朝廷)によって日本を治る形となったが、長い間幕府によって治られていた為、いきなり朝廷のみで対応することが出来ず次第に武士達から不満の声が噴出。対応出来なくなる。

 

やはり朝廷には任せられないと思い立った直義と師直が朝廷の代わりに幕府が日本を治るべきとして、朝廷対足利で対立。

 

その過程で不本意ながら敵と味方に分かれなければならず、、、といった感じだ。

言うなれば後醍醐天皇に振り回されたといえる。

 

幾度とない朝廷軍との戦いの中で、弟直義が討死しそうな時に、兄尊氏が駆けつけて言い放った言葉が熱男!

 

尊氏

「幼き頃から共に育った弟をたかが幕府再興の為にみすみす打ち捨てよとでも申すか!!」

 

物語後半で尊氏は、師直と直義2人が居なくなったら1人で何でもこなすようになっていった。

 

直義が病気で余命幾許かの時に、師直も自分も居なくても兄尊氏は1人で出来るんだってわかった瞬間、なんだか2人の気苦労が何だったんだ?って思うぐらいおかしくて、でも寂しいような感情になった。

 

やれば出来るもんってまさにこの物語の尊氏で、

その尊氏中心にして必死に支えて、幕府を築き上げてきた師直と直義が最後派閥争いで殺し合いをして2人とも居なくなるって、権力ってもんはどこまでも愚かで、でも魅力があるもんなんだろうなという。

 

尊氏は尊い2人を失ってまで、幕府を作りたかったわけじゃないだろうに。

 

でも、そんな2人が居なくなったからこそ尊氏の真の力が発揮されるのもまた皮肉ではあるが。

 

その後、室町幕府が250年続くのも不思議なものだ。

 

 

 

 

 

お城探訪【小峰城】白河の関、棚倉城、赤館城

そうだお城へ行こう。

 

今回は再びの福島県

 

小峰城へとお伺い致しました。

 

東京から行けば新幹線で丁度良い1時間で新白河へ到着。

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こんにちは新白河

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こんにちは白河の関
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こんにちは芭蕉さん。

着いたらまず昼飯を食う。

 

白河と言えば、白河ラーメンだということで駅前にあるラーメン屋へ向かう。

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(手打中華せきた)の醤油ワンタン麺 ¥950

名前はうろ覚えだがワンタン麺である。

 

店内は昭和感があり、競馬中継のテレビ、地元の方々が多く、ちょっとドキッとしたがどっしり構えてカウンター席へ。

 

優しいお味でちぢれ麺が美味しかった。チャーシューもしっかり2枚あり。

 

お腹も膨れたので、目的地へと向かう。

 

今回の旅の行程は一泊2日である。

1日目はレンタカーを借りて白河の関棚倉城、赤館城巡り。

2日目は小峰白河城

 

 

早速駅前のトヨタレンタカーへ、相棒のvituです。

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彼に乗り込み白河の関へ。

 

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これが関所なのか、、と思われるような山間の谷間にぽっかり小山のような丘が白河関のようだ。

 

昔はこの丘の両サイドに柵が設けられておりしっかりとした関所のようなものになっていたのだろうか。

 

今は両サイドがガラ空きの為、本当に大丈夫なのかと思ってしまう。

 

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謎は深まるばかりであるが、江戸時代この白河関がどこなのかわかっていなかった様で、寛政12年(1800年)時の藩主松平定信が絵画や記録・伝承から考証を行い、この場所に違いなし!と断定して今の位置に石碑を建てた。

 

だから間違いない。

あの松平定信なのである。

間違えない。

 

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白河神社があり、荘厳な雰囲気がある。
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外から見ると丘に見えるが、中に入るとしっかりと土塁、堀がある。
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めちゃくちゃデカい木がいくつもあった。

 

※ちな、このめちゃデカい写真の木は「従二位の杉」と言われており鎌倉時代初期の歌人で「新古今和歌集」の撰者の1人である藤原家隆が手植えして奉納したと伝えられる杉の巨木で樹齢は約800年と推定。

※ちな、この他にも「幌掛の楓」「旗立の桜」「矢立の松」など逸話のある木があったりする。

白河関跡案内より

 

古の関所を後にして、次に向かったのは棚倉城

棚倉城と言えば、一時期かの有名な立花宗茂が城主だった城。

地図アプリで地形を見たが、主郭の周りにガッツリと水堀がありこれはっ!と思い行きたかった城の一つだった。

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見て回った感想を言わせて欲しい。

 

マジで何もないっ。

水堀は幅5メートルくらいあって高さもあり、見応えはある。

しかしながら、主郭の中は一切何もない。

ここも大木があり福島は木を大切にしているなという感想。

 

敷地には小学生達が、ブランコに乗ったり追いかけっこしていた。

長閑だ。

 

30分程で城を後にする。しかし、街は城下町だったこともあり、少し寂れた商店街の風景もちらほら。

その中に和菓子屋さんが。

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ついつい3種類も買ってしまう。

やっぱり地方で城下町に昔からある和菓子屋の甘味最高である。

 

その後、棚倉城が築城される前までこの地を治めていた赤館城跡へ

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街を見下ろす山の上に、赤館城跡はあった。

今は公園になっており、その遺構は殆ど感じられなかったが、眺めは良い。

 

今日はここまでだ。

今回の宿、トー横イン新白河

晩御飯は、帰りの途中にあったスーパーで割引されたかつ丼、寿司があったので購入した。

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1人でこんなに食べられるのもひとり旅ならでわの喜び。

 

ドカ食い気絶部

 

お腹いっぱいにして寝た。

 

 

2日目はいよいよ今回の旅の目的地である小峰城へ行く。

 

新白河駅から一駅先の白河駅に城はある。

だが、田舎あるあるである電車の本数少なすぎな点で丁度良い電車がなかった為、歩いた。

30分程で到着。

 

まず何も言わずに見て欲しい。

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平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が、木造で復元された。

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天気も良くて最高な城巡り日だった。とにかく主郭の石垣がずーと続いている光景は圧巻。

丹羽長重公は間違えなく築城名人だと圧倒される迫力だった。

丁度、桜がチラホラ咲いていて、本殿跡から遠く那須岳雄大に聳える光景見れる。さらには場内の茶屋でソフトクリームも販売されており、櫓を見ながら食べるソフトクリームは絶品でご満悦になった。

 

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また、城内に歴史館もあり小峰城ジオラマや歴代城主経歴、戊辰戦争時の白河関連性を示した映像もあり、しっかりと白河を学べた。

 

前回の二本松城同様に東北の玄関口になる白河は戊辰戦争に新政府軍と旧幕府軍で壮絶な奪い合いが行われた場所で至る所に両軍の戦死者のお墓があった。

 

城に程近い場所にも薩摩藩の戦死者のお墓があり手を合わせる。

 

小峰城は、南北朝時代結城親朝によって築かれその後300年に渡り白河を治る。江戸時代の初代藩主丹羽長重によって石垣を多用した近世城郭に改修された。幕末慶応4年の戊辰戦争によって本丸などが焼失し落城。

歴史館案内より

 

かくして、今回のお城探訪は終了。

また新白河駅まで歩いて戻るが、谷津田川せせらぎ通りを進む。春の陽気と川のささらが聞こえてきて散歩にはとても良い道。

 

新幹線まだ1時間あったから、駅中のラーメン屋と駅前の喫茶店でお茶をした。

 

昨年と2度福島へ行ったが、かなり良い。

これは東北の魅力にどっちりハマりそうだ。

一人旅の東北は30代の男子にはロマンだと思う。

 

東北にはまだまだ城下町が多数あるから、楽しみだ。

 

シドニアの騎士 あいつむぐほし

どうもこんにちは僕です。

 

映画を観まして、久々におおおおお!!となったので記事を書くことにする。

 

 

シドニアの騎士とは、あのSF漫画の第一線を走り続けている二瓶勉先生が描いた漫画である。

 

シドニアの騎士の前は、【ブラム】、【アバラ】など絵柄がかなりSF感キワキワな感じだったが、このシドニアの騎士から物凄くポップな絵柄に変わったなと連載当時感じた。

 

実はシドニアの騎士の漫画は最後まで読んでいなかったのでどういう展開になってるのか分からなかったが、この映画で見事にその後半部分を映画化されており、今日ようやくシドニアの騎士読了となった。

 

人型戦闘兵器・衛士のエースパイロットの谷風長道と人とガウナから生み出された白羽衣つむぎとのラブロマンスとガウナとシドニアの最終決戦を描いた映画となっている。


今回この映画で、うおおおおおおお!!となった所は、二零式継衛【却衛】でつむぎを助けに出る時発艦シーンである。

 

このシドニアの騎士の映画の為に作られたであろう下記楽曲が凄く良かった。

シドニア

シドニア

 

やっぱり味方がピンチの時に、主人公がカッコよくて颯爽と現れる時にこの曲がかかると、男の子なら興奮せざるを得ない味が強い。

 

ロボット系のアニメではこの手の登場がやはりグッとくるもんだ。

 

めちゃくちゃガンダムに似ていたが、シドニアシドニアでとっても戦闘シーンもしっかりしていて見応えありだった。

 

早速iTunesで曲購入してリピート聴きします。

 

 

お城探訪【近江八幡城】

そうだお城へ行こう。

 

今回訪れたお城はこちら

滋賀県近江八幡市にある続日本100名城の内の一つ

 

近江八幡城

 

今回、お城のマップ的なものは入手できなかった。(あるのかわからない)

その為、市営小幡観光駐車場に駐車した時に係員から入手した近江八幡市内散策マップを載せることにする。

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兎にも角にも、お城へ行こう。

お城へは八幡山ロープウェーがあり、サクッと頂上付近へと行ける。お手軽感が良い。

 

ロープウェイを降りると早速石垣がお出迎えしてくれる。

 

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城跡には現在村雲御所瑞龍寺が建っている。

このお寺は八幡山(271.9m)山頂にある八幡城本丸跡の寺院。日蓮宗。安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しました。そのため俗に、村雲御所と呼ばれています。のち、昭和36年(1961)に現在地に移されました。

滋賀県観光情報サイトより
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猫ちゃんもいた。保護猫がこの辺りには何匹かいるらしい。
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八幡山からは西に安土城跡や観音寺城跡がある。

次はその2つの城へと足を運びたい。

しかし、どちらも規模が大きくてかなり大変らしい。
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近江八幡は、どちらかと言うと街並みの方が有名だろうと思う。

重要文化財でもある近江商人屋敷や市立資料館などが建ち並ぶ。近江商人の質素倹約、質実剛健な暮らしぶりを感じられる。

 

街のあちこちに、飛び出し注意坊やが散見された。

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そんな街並みを通り抜けると八幡堀がある。

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この堀は、城の防御機能としての役割もあっただろうがどちらかと言うと街の人々の暮らしに浸透している印象だった。

防御の荒々しい逞しい感じでは無いと言うのだろうか。

 

それは、この城の城主であった豊臣秀次が去った後に城が破却され、商人の街へと姿を変えた影響だろうか。

 

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八幡山からは琵琶湖や安土城観音寺城の山々が見られ、八幡山城主の秀次同様に戦国時代の夢の如く散っていった城主と城跡が集中しているこの辺りはなんだか儚さを感じる。

豊臣秀次の母の想いと、城亡き後の近江商人の息遣いを感じられる城跡だった。

 

こう言うのもまた良いもんだ。

お城探訪【杉山城】

そうだお城へ行こう。

 

今回は埼玉県比企郡嵐山町ある杉山城へ行きました。

 

先ずは最寄駅の武蔵嵐山駅

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武蔵嵐山東口へ降り立ちそのまま、住宅街と農道へと入っていく。およそ30〜40分程で到着。

 

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道中小さな看板が城へと誘ってくれる。

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天気が良くて鉄塔が映える。
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お芋が掘れる。
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橋を渡る。
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あのこんもりお山が杉山城。
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案内ご苦労様。

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ようやく。

 

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杉山城とは、、、

鎌倉街道を見下ろす丘陵の尾根上におよそ10の郭を配置した縄張りとなっており、各郭は横堀や帯郭が囲み、塁線には折が連続する。

木橋や土橋を用いた様々な形態の虎口には侵入方向に対し真横から矢を射掛けて防御する横矢掛りが施されている。こうした高度な築城技術により、知名度が高く【築城の教科書】【戦国期城郭の最高傑作のひとつ】という評価がされている。

 

当時の嵐山町山内上杉家扇谷上杉家の中間にあり、両家の抗争が繰り広げられていた。

山内上杉家扇谷上杉家に対抗して築城したと考えられる。

※パンフレットより

 

 

縄張り図を見てみましょう。

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①大手門から

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②土橋とか土塁とか堀とか、ともかくしっかりと整備されてる。

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③南ニの郭、南三の郭

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④井戸跡

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⑤本郭

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⑥東三の郭、東ニの郭

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⑦北三の郭、搦手口

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北三の郭辺りに猫ちゃんがおりまして、なんと人懐っこくて触らせてくれました。

ひっさしぶりに猫ちゃんに触れてとても嬉しく来て良かったなと更に思えました。

キンタマあったので男の子で、やっぱり猫可愛いねぇ〜。

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と、いう事で杉山城跡は保存会の方々がしっかりと手入れをされていて、土塁、堀等しっかりと整備されたお城だった。

1番下から本郭を見下ろすとかなり高低差があり、現状は土塁と堀だけだが、建物があったとすると郭の数も多くかなり防御に意識を向けられた城だったのではとも思う。

 

大手口側に小学校もあって、生徒さんも保存に参加しているらしい。

 

帰りは田園風景を眺めながらサンドイッチ食べて帰った。

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日本各地にはこのような建物は無い為、埋もれた城跡がまだまだ沢山あるだろうし、そういう忘れ去られてしまっている渋い城をもっと見に行きたい。

 

それぞれの城が役目を背負って築城されているだろうから、地理的視点と当時の情勢を知りながら見られるとより面白いだろう。

 

 

 

お城歩き用スタイルの件

どうもこんにちは僕です。

 

今年はお城へ積極的に行こう、最低でも5城行きたいって新年の目標とした。

 

会社の人へもお城好きと公表しておりましたが、行ったお城は少ない為、

 

ニワカ!

偽モン!

どうせ行かない!

 

と煽られた。悔しい。確かに好きだと言う割には全然行っていない。

 

だから、まず形から入ろうと思う。

お城というのは、平城であれば普通の服装で問題ないが戦国期の城というのは往々にして山にある山城が多い。

そんな山へ普通の服装で行こうものなら、動きづらくてすぐ疲れてしまう。

実際今まで平城へ行った時、基本公共交通機関を利用して行くのだが、城までかなり距離がある場所を歩いていかなければならなかったり、行ったり来たりしているだけですごい汗だくになる。

 

背中も尻も股も汗べちょで不快感がすごいのだ。

 

そこで、どんな格好で行くべきか私は思案した。

結果、低山へ登る時と同じ服装であれば良いとの結論に行き着いた。

 

参考になるのは登山をしているYouTuber達である。

・登山Wear×Gearさん

・こうたろうチャンネルさん

・Campたかにぃさん

 

言うても、金が無いしいきなり登山専門のmont-bellやpatagoniaなどの服は買えない。

そつだ、やっぱりワークマンだってことで。

登山Wear×Gearさんで、ワークマンの服を使って登山してみたと言う企画があり、ここで使っていた服装を参考に今回購入してきた。

 

今回購入した仲間達を紹介しよう。

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アウター


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ミドルレイヤー


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おずぼん


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インナー

 

どれもストレッチ効いて、動きやすいから長時間歩く時に良さそうであり、インナーのメリノウールで汗ビチョ軽減出来るか試してみたいと思う。

 

全部で10,000円弱。

それと、今回とは別に靴もワークマンで購入。

全身黒コーデになってちょっと恥ずかしいが、靴も入れて12,000円程。

 

真冬ではかなり寒そうだが、暖冬の今年であれば問題ないかと言うことでこれで何度かお城探訪していこうと思う。

 

いざ!行かん!お城!!

 

津軽の髭殿 津軽為信 岩井三四ニ

どうもこんにちは僕です。

 

本日の本はこちら

 

 

青森の二台巨頭の一角、津軽為信

初めは南部家だったが、謀反を起こして津軽地方を平定、以後明治維新まで子孫代々藩主として君臨。

 

今回のこの本では、結構楽天家で迷いや困ったことは家臣に相談、投げる、知恵を出させるという現代のビジネスマンで必須スキル持ちのような人物になっている。

それでいて、反乱分子や疑いのある者は容赦せずに成敗する辺りもゼロからスタートしたからこそ、なりふり構わない権謀術数を駆使する感じが良い。

 

三家老の兼平、森岡、小笠原も謀反を起こした時から津軽平定まで支えていた家臣だったが、何だかんだ森岡、小笠原も処断されている徹底ぶり。

 

ここまでやらないと、収められない津軽の荒男達なんだろう。【じょっぱり】と言うらしい。

 

津軽家も江戸時代の転封乱発時代を免れた数少ない大名家。