乳がんについて

今日は、乳がんについて少し書きたいと思います。

今やコマーシャルでもご存じのように、2人に1人がかかるといわれています。

あー2人に1人とはいえこんなに早くかかりたくなかった・・・

 

私の場合、お恥ずかしながら看護師のくせに会社の検診は受けていましたが、乳がん検診や子宮がん検診など全く受けていませんでした。

友人もかかって亡くしてまでいるのに、やっぱりどこかで自分は大丈夫とか、まだ若いし・・・かかっりこないなんて思っていたのだと思います。

遅いですが本当に反省です。

 

なので、検診で分かったのではなく、2週間くらい前からだったと思います。

右胸にピリピリとした痛みが始まりました。

今思えば、他にもビールが1回まずく感じた時がありました。

その時、何だ・・この味・・と思ったのを今でも覚えています。

その痛みは数分で治まり、1日に数回やってくる感じでした。

なので、常勤になったばかりで忙しいし、片方だけなのでヘルペス帯状疱疹)かな・・・とここでも看護師の勝手な判断・・・

でも痛みは続き、夜、布団に入るとまた痛みがありました。

痛むところを触ってみると、しこりのようなものを感じました。

ここでようやく、やばい!と思い、翌朝、同僚の看護師みんなに触ってもらいました。

しこりがわかる方もいれば、分からない方もいらっしゃいました。

何か直感のようなものを感じ、すぐにマンモグラフィーをしてくれる病院を検索。

ちょうど近医の病院がやっており、早退させていただき受診しました。金曜日でした。

 

マンモグラフィーの結果、やはり何かがあるといわれ、月曜日に乳腺専門の先生が来るから診てもらって下さいとのことでした。

ここで私は間違いなく乳がんだというのを感じました。

月曜日に乳腺の先生にかかると、エコーをされすぐに生検(組織をとって詳しい検査に出します)

その後、先生からのお話。

生検の結果がマイナス(ガンではない)でかえってきても、画像上は悪性を示しています。なので、検査結果がよくても、それだと生検の結果と画像診断が異なることになるので、さらに検査はしないといけません。というお話でした。

結局、生検の結果もがんとの診断で、手術のできる病院を勧められ、大学病院に紹介状を書いていただくことになりました。

 

そこからは毎日毎日パソコンとのにらめっこ。

こんな時パソコンで検索するのは良し悪しと分かっていても、何でも知りたくてたまりません。

じっとしてられないのです。

本当につらい毎日だったのを覚えています。

看護師ですぐに死ぬわけでないとわかっていても、明日にでも死んでしまうのではないか・・まだ子供が小学生と高校生だったのでこの子たちはどうしたらいいのか・・葬式のことまで考えました。

 

そして、大学病院へ。

はじめはパソコンで検索して、やはり教授がよいと希望。

初診ですぐに受診だったため、違う先生が担当。

パッと一目見て、やっぱりこの先生がいいと思ったのが懐かしいです。

 

                     つづく・・・

 

 

初めまして。乳がんから復帰の看護師のひだままです。

初めまして。

看護師のひだままです。

総合病院で10年ほど勤めた後、結婚、出産を機に一時、専業主婦に....

子育てに息詰まることもあり、自分の息抜きのためにも、保育所のある病院でパート勤務。

同じ看護師である友人の死をきっかけに、自分らしい最期を迎えるお手伝いがしたく、訪問看護に興味を持ち、訪問看護師をはじめてやっと10年。

 

3年前には、やっと子育ても落ち着いてきて自分の時間も取れるようになり、パート勤務から正社員になって1年を迎えたころ、友人から命を奪った乳がんに自身も罹患。

手術、抗がん剤放射線療法を無事終え、1年ほどの休職を経て、パートに戻り職場復帰。

日々、再発におびえながらも、自身の経験が訪問看護を続けていくうえで、本当にスキルアップに繋がりよかったと思いたいが、まだ毛もなかなか生えてこず、なかなか素直になれないひだままです....笑

 

在宅へ在宅へとの国の方針からか、今は大きな手術をしても、病院からはすぐに追い出されてしまい、困った人を何人も見てきて、何人もの最期を看取らせていただきました。

ご縁を頂いたからには、この人に出会えてよかったと思われるような看護師になりたいと日々奮闘しています。

 

病気の事、仕事のこと、在宅で介護されている人のためになるような事などつづっていけたらと思っています。

 

どうぞよろしくお願いいたします。