tsuresarare’s blog

妻が子を連れて出て行きました。日々のブログ。

連れ去られ夫、最近の日々と心境。

連れ去られて早3週間。段々と涙が出なくなって来る。毎日泣いているが回数は確実に減ってきた。以前はほとんどTVなんて見なかったのに、今ではとりあえずTVを付けている。家の中が無音なのが耐えられないからだ。

朝起きて犬の散歩から始まり、仕事に行き夕方帰ってきてまた犬の散歩。そして少しの間、犬と戯れて風呂入って寝る。毎日がこの繰り返し。


最近は仕事が忙しいのだが、業務に没入している際、ふと何のために生きているのか分からなくなる。ただ、腐っていてもしょうがない。人それぞれ考え方が違うのでなんとも言えないが、私の場合はもう色々と諦めた。何故なら連れ去りという事象は自分自身でコントロール出来ることではないからだ。無料相談だが弁護士にも相談した上で、連れ去り側が有利だということ、打つ手がほとんどないことも確認できた。


今私が出来ることは妻の口座にカネを支払うことだけ。そして連絡先が分からないので相手方弁護士に子への手紙を渡す事位しか出来ない。Twitter等にあるように刑事告訴を考えた事もある。でもやめた。色々と考え方はあるが、私は子の前で争う両親の姿を見せたくないのだ。彼女とこれ以上憎み合いたくない。弁護士立てる位ならそのカネを子の為に使いたい。


Don’t look back in anger 」


怒りで後ろを振り向くな。みたいな翻訳らしい。起こってしまった事は変えられない。前を向け。というニュアンスらしい。本当かどうかは分からないけど。



iPhoneを開くと突然、数年前の今日。みたいな感じで写真が出てくる。ありし日の子の姿を見て泣く事が日課となってしまった。

今頃何をしてるかな。深夜だから寝てるか。幼い頃はよく呼吸してるか確認したな。最近もとある日は吐息が静かすぎるので、脈取ったりお腹が動いているかとかスマホの明かりを頼りに暗闇の寝室で確認してたな。あんな事も幸せだったんだな。



パパは◯◯の事を毎日考えているよ。◯◯にとって恥ずかしくない、自慢出来る立派なパパでいたいから、毎日前を向いているよ。◯◯に会えるのはいつになるかな。会う時は◯◯の元気な姿を見せて!一緒に色々な事をして遊ぼうね。



こんな感じの手紙を号泣しながら書いてるけど、ボロボロ泣いたりして感情的になる「高葛藤」状態だと会えないんでしょ?連れ去られて初めて高葛藤なんて言葉知ったわ。色々とファックな事が続いてますが連れ去られ側、別居親の皆さんは全員幸せになって欲しい。もちろんおれも。

連れ去られた直後の別居親の心境

妻が子を連れ去った後、別居親(夫)の精神はどうなるのか書いていこうと思います。精神的な時系列は無視して思いつきで書いているのでご容赦ください。


・家の外で子供の声がすると、遂に帰ってきた!と心臓が期待と不安でバクバクします。まぁ当たり前ですが声の正体は多分通りがかった近所のお子さまです。


・子連れを見ると泣けてきます。羨ましい気持ちと自身の孤独感が同時に襲い掛かってきます。辛すぎて見てられません。


・別居親は誰しもがそうだと思いますが、仕事に行きたくないです。ただ仕事への集中、没入感によって寂しさが紛れる事もあります。


・家の中で過ごすのがツラくなります。リビングの椅子に座るとTVの前で踊る我が子の思い出が蘇り、寝室で寝ると子が居ない事による布団の広さに悲しくなります。2階は妻と子のモノが全て無くなっていたのを確認、それ以降その画を見たくないので階段を登らなくなりました。


・酒を飲めなくなりました。以前からあまり飲む方ではないのですが、万が一、飲んで酔っ払った勢いで自死をしたらどうしようという自分自身への不安があるからです。連れ去られた初日も、「自死って言ってもどうやるんだ?手首切って浴室?でもあれは長い時間かけないといけないみたいだし、途中で断念してその後に手首に傷が残るのは嫌だな。それなら首吊り?でもロープ無いし。あ、カーテンを切れば代用出来るか?後は吊る場所か」とか冷静に考えてました。


睡眠薬を飲むようになりました。連れ去られて最初の2日間は3〜4時間しか眠れず。そこから薬に頼りっぱなしです。以前の自分にはもう戻れないです。


・食欲が減少しました。私は肥満気味だったのでこれはよかったのかもしれません。2週間で3kg痩せました。痩せたい人には連れ去られダイエットをお勧めします()


・既婚者と独身者で物事の受け止め方が全く違う事に気が付きました。人間は同じような属性の人間で集まると何かで見ましたが実際にそうなのかもしれません。独身の友人に話しても、イマイチ危機感を理解してもらえてない気がしました。既婚者の場合、自身に子がいるので居なくなる喪失感が想像しやすいんでしょうね。


・連れ去られネタで色々と話すようになりました。ウチの母ですが、仕事の愚痴を話してきました。私は「それ位別にいいじゃん。子がいなくなって毎日泣いてるおれを見なよ。下には下がいるんだよ?」と言ったら大爆笑。そりゃそうだ笑 と言われました。孫と会えなくなって寂しいと母もつい先日は泣いていたのに。誰かれ構わずというわけにはいきませんが、人を選んで自虐ネタを話しています。大体皆笑います。




この辺で終わります。明日も何か書くつもりでいます。

妻と子が居なくなった日 3

2の続き

母に警察署での話をした。何も進展はしないという事が分かるとガッカリしたような様子だった。


というのも、話は少し逸れるが、連れ去られた前日、私は子と共に二人で実家に帰っていたのだ。妻は夕方用事があると言うので彼女に一人の時間を設けてあげようと考え、更には最近孫の顔を見せていなかったので、夕飯の時間や風呂、就寝と逆算すると時間的にも丁度良かったのだ。2時間程度、私の実家で子を中心に皆で鬼ごっこ、隠れんぼ、たわいもない雑談をしていた。あっという間に時間は夕方5時位になっていた。


「ママが待ってるよ。もう帰るよ!」

と言っても聞かない我が子。そこからまた鬼ごっこが始まり結局車のチャイルドシートに乗せたのは30分も経っていた。去り際に車の後部座席の窓を開け


「ババ、今度は◯◯のお家に遊びに来てね!」


と言いお婆ちゃん(私の母)とハイタッチ。私の母からすればそれが孫との現時点での最後の会話となった。



気が付けば朝の5時になっていた。私の事を母は心配してくれておりリビングでそのまま泊まってくれた。私はシャワーを浴びて寝室へ。

だがそこは前日まで親子川の字で寝ていた場所。全く寝付けない。常に自身の鼓動が聞こえ、外で物音がすると妻と子が帰ってきたのでは?と期待してしまう。常に神経が張り詰めた状態の覚醒状態で疲れているのに全く眠れない。

結局は、学生時代の授業中の居眠りのような半分起きているような睡眠を1時間半位取っただけだった。


再度シャワーを浴び気が付けば朝の8時。誰かと話していたい、また家から離れたい一心でほとんど寝ていない状態で外出した。もともと用事のあった銀行、カーディーラーに加えて、役所、美容室に行き、夕方からは会社、そして夜は友人に会いに行った。この妻による子の連れ去り(敢えて連れ去りと書く)以降、二日間で寝たのは3〜4時間程度。仕事もあったので病院の心療内科へ行き睡眠薬を処方される。



まだまだ書き足りない事もあるが、妻と子が居なくなった日の記事はこれで一旦終了する。







妻と子が居なくなった日 2

1の続き。所轄警察署に電話。事情を説明し、氏名と住所を伝える。すると警察官の対応が一変し、少々お待ちください。と言われ3分程度待っただろうか。そこから驚くべき事を伝えられた。


「あなたの奥様からDV相談を受けています。事件化は出来ません」


DV!?手を挙げた事は勿論一度も無い。口論した事はあるがあくまで夫婦間の喧嘩の範疇だと考えていた。詳しく聞くと「モラハラ」という事だった。そしてその詳細は言えないとの事だった。さっきまで優しい口調だった警察官はいつのまにか、モラハラ夫を叱るような厳しい口調になっていた。


「事件化出来ませんし警察署に来られても◯◯さんには何も教えませんよ。一晩休んで冷静になって警察の助けが必要なら明日以降ご連絡ください」


お恥ずかしい話だが、私はこの時、おそらく刑事告訴なるものの説明を求めていたのだが、それを上手く言語化出来なかった。というのもオロオロしながら震える手でスマホを使い色々検索していると、某国会議員がtwitterで「配偶者の同意なく、どちらかの親が子を連れ去った場合は事件化するよう警察長官からお達しが出た」といったようなツイートをしていたのを発見したからだ。


今回の事例はそれに当て嵌まるのではないか?いや、別に妻を捕まえて欲しいわけではないのだが。と冷静になれば端的に時系列を追って話せるのだが、あの日はとにかくパニック状態だった。とにかく予備知識が無かった。検索方法も「誘拐」やら「失踪」、「家出」みたいなワードだった気がする。連れ去りなんて言葉自体知らないのだから。


慌てた私は「家に居ると死ぬかもしれません。休めと言われても休めません。心臓は常にバクバクしているし眩暈のようなものもします。警察署でお話したいです」


と話すと向こうの対応が一転し、若い警察官からベテランへと担当が変わり、来れるようなら署に来るよう言われた。深夜なので渋滞もなく日中だと30分程度掛かる道も僅か10分程度で着いてしまった。


窓口に行くと、若い警察官とベテランの警察官。前者が交通課のニカイドウ(仮名)で後者は生活安全課のヤマダ(仮)と名乗った。さっきまで私と電話対応していた若いニカイドウの左手薬指には指輪がなく、ベテランのヤマダは結婚指輪をしていた。勝手な考えだが、こういった問題はやはり既婚者の方が当事者の事を分かってくれる気がする。ヤマダは親身になって話を聞いてくれた。というのも、ベテランのような風貌だったが私と歳はたった一つ違いで、下の名前が偶然にも同じだった。そして子の年齢も性別も同じで家族構成もほぼ同じだった。


私は時折涙しながら、ここ半年の経緯を話した。ヤマダは勿論、さっきまで犯罪者に接するような刺々しい対応だったニカイドウもいくらから優しい表情に変わっていた(ような気がする。)


ヤマダからは「自死を選んではいけない。それをしたら全てが終わる。警察官としてではなく一個人の同じ父親として言わせてもらうが、私もあなたと同じ立場なら自死を選ぶかもしれない。あなたのツラさはとても理解出来る。ただ死んだら全てが終わる。そしてあなたの子が一番不幸になる。子の為にも絶対に生きてください」


と言われ、90分程度話した後、家に帰る事になった。家に着いたら絶対に警察署に電話するよう念押しされた。電話が無かったら朝、あなたの自宅まで見に行きますとまで言われた。


結局家に帰ったのは午前3時頃。母は起きて待っていてくれた。


続く。

妻と子が居なくなった日 1

あれは2022年の8月某日。朝から長い仕事を終え21時頃帰ると家は真っ暗で妙に綺麗な玄関と廊下。リビングへの扉を開けると静まりかえった空気が流れていた。


妻と子は毎日21時頃就寝するので、今日は早く寝たんだな。と思い寝室の横のリビングを避けキッチンの間接照明を付けるとテーブルの上に何かモノがあるのが分かった。雰囲気的になんとなく嫌な予感がしたのでリビングの照明を付けそれに目をやった。


「これからのあなたの人生に私と子は必要ありません。連絡は以下に下さい。数日以内に郵便物が届きます」


置き手紙に書かれていたのはたったこれだけの文章と弁護士事務所の電話番号のみ。寝室を開けると寝具は勿論、昨日まであった子供のオモチャも無く、二階に上がると妻、子の荷物は全て無くなっていた。玩具のみならず服、写真、卒園アルバムやら七五三の写真やらとにかく彼等の住んでいた痕跡がほとんど残っていない状態だった。


私はここでようやく事の重大さに気が付き手が震え出した。鼓動が止まらずに浅い呼吸。大袈裟かもしれないが自身の「死」を意識し、咄嗟に母に電話した。今起きている出来事を説明するもあまり重大には捉えてくれなかった。

誰もがそうなのだが、説明しても最初は家出をしたと勘違いする。何故なら「連れ去り」なんて事象自体を大半の人間は知らないのだ。知っているのは当事者と一部の人間だけ。ここから毎日泣く日が来るとは夢にも思わなかった(ブログを書いている今も継続中)



電話口で号泣する私を心配し、夜にも関わらず母が来てくれる事になった。私はとりあえず落ち着く為にリビングテーブルの椅子に腰を下ろした。ところが、座ると目の前のTVでYouTubeを見ながら踊る幼い子の姿がフラッシュバックしまたパニック状態に。ここから家のどこにいても落ち着かなくなり、いつのまにかリビングの中を円を描くように歩き回る、徘徊するような状態になっていた。

もしかしたら、妻と子が帰ってくるかも。なんて今思えば訳の分からない期待を抱き、深夜にも関わらず廊下の電気を付け玄関のドアは全開にし、まるで大地震時発生時のようにすぐ外に非難出来るような体勢を取っていた。


そこから1時間位してようやく母が到着。家の中を見渡した後に

「こりゃ計画的だね」

と名探偵ぶったような声色で言われたときには凄く笑えた。誰が見ても分かるわ!と笑う余裕がまだあったと自分自身に驚いた。


母と色々と話すも、このまま家に居てもツラいので何かしないと。という妙な義務感を覚え住んでいる県警の24時間相談窓口へ電話。そこから案内された所轄の警察署へ電話したのだった。時間は23時頃だった。


続く