カポネ|アル・カポネはアルツハイマー、信用ならざる語り手と隠し子
カポネ Capone
ジョシュ・トランクが帰ってきた。
思春期×超能力アクション×ファウンド・フッテージという斬新な『クロニクル』(2012)で一躍、時の人になるも、次作『ファンタスティック・フォー』(2015)が興行的・批評的にも大撃沈。それにより決定していたスター・ウォーズ『ボバ・フェット』のスピンオフ企画もおじゃん。キャリアが潰れてしまった、と思われたあのジョシュ・トランクが、新作映画をこさえて帰ってきた。
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ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜 | 無限にも拡がる荒野という閉鎖空間 、「映画」として初めて紡がれる『嵐が丘』
ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜 Wuthering Heights
原作がある作品について話すとき「映画化」と「映像化」というように言葉を使いわけるようにしている。この二つは似て非なるものだ。
ヨークシャーで生まれ育ったブロンテ家の次女、エミリー・ブロンテが書き上げた『嵐が丘』は幾度となく映画化されてきた。自分は『嵐が丘』という作品の大ファンで、その映画化作品もいくつか見てきた。その中には良い作品もいくつかあった。だが、それらは『嵐が丘』の「映像化」でしかなく、「映画化」されたものとして満足いくものはなかったように思う。
しかしこのアンドレア・アーノルドが監督をした『ワザリング・ハイツ 〜嵐が丘〜』をもってして、初めて『嵐が丘』は映画化されたと言えるかもしれない。
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「本能寺の変」は「忠臣蔵」になりえるのか
『麒麟がくる』が最終話を迎え、一週間。
今まであまり語られてこなかった明智光秀側からの戦国は新鮮で、この光秀像がこれからのスタンダードになっていく予感をさせる良い大河だった。
そして1週間分の余韻も携えて、土曜昼にやっている再放送も見、またも「良かったなあ」という想いに耽りっていた。そこで、ふと、『麒麟がくる』が始まる前に期待していたことを思い出した。
それは「本能寺の変は、忠臣蔵になりえるんじゃないか」という期待だった。
忠臣蔵の特殊性
忠臣蔵の説明は省くが、自分も含めた平成生まれ世代には馴染みのない作品ではあるのでこのコンテンツの特殊性ついては軽く記しておく。
忠臣蔵というコンテンツの最大の特徴はマンネリを前提としているところにある。極論すれば、視聴者が一から百まで話の内容を知っている上で成り立つと言える。
視聴者は松の廊下で吉良上野介が斬りつけられることも知っているし、苦渋を舐めつつ耐え忍んでいる四十七士が討ち入りの末、仇討ちを成すのも知っている。物語は全て把握した上で、役者の演技、演出の違い、即ち解釈の違いを楽しむというコンテンツである。
「〇〇が演じる大石内蔵助がよかった」や「〇〇が吉良?ちょっと不安だな」という忠臣蔵の楽しさは、そのまま大河ドラマの楽しさと共通していたりもする。現に大河ドラマで忠臣蔵は『赤穂浪士』(1964年・第2作目)『元禄太平記』(1975年・第13作目)『峠の群像』(1982年・第20作目)『元禄繚乱』(1999年・第38作)と繰り返し扱われている題材である。
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DAGON ダゴン|クトゥルー"映像化"としてど真ん中にして生真面目
昨年末頃から定期的にお友達衆と集まって、ボードゲーム会を催している。初級者向けのものから少しずつレベルを上げていき、慣れてきはじめたところでTRPGにも触れさせてもらった。楽しかったのでこれからも色々とやっていきたい。
だが本格的にTRPGをやっていくとなると、基礎教養としてクトゥルー知識はやっぱり持っといた方がいい。英米文学を読み解く上でシェイクスピアは読んどいた方がいいように、和洋問わず現代の創作物を読み解く上でクトゥルーは外せなくなってきている。数十年後にはスター・ウォーズ、スター・トレック、指輪物語あたりと並べて大学で大真面目に教えている可能性もないとは言えない。
そんな経緯で最近、教養としてのクトゥルーを勉強中。
全集はちょっとばかし気が重いので、新潮から「クトゥルー神話傑作選」と銘打たれて発刊されているもので触れている。現段階で『インスマスの影』と『狂気の山脈にて』の二巻が刊行されているが、ゆくゆくはラヴクラフト以外のクトゥルー神話作品も集めて出してくれないかな〜、なんてことも素人目にも思っている。
(新潮版から入ったので表記は「クトゥルー」とさせてもらってます)
そういう状態なもんで、日頃よりクトゥルー・アンテナが過敏になっているところで、新文芸坐で一夜限り『DAGON』という映画を上映するという噂話を聞きつけた。ラヴクラフト的見地から言えば、こういう見聞に首を突っ込むとロクなことにはならないのだが、人間の未知に対する好奇心には歯止めが効かないのだ。
DAGON ダゴン
今やクトゥルーの影響下にあるものなんて世界中に溢れてしまっている。それは映画界にも例外なく、むしろ一番容易くクトゥルー的なるものを見つけられるメディアかもしれない。
ギレルモ・デル・トロの諸作品にはクトゥルー的なモチーフが頻出するし、リドリー・スコットの『プロメテウス』は『狂気の山脈より』を下敷きとして作ったと聞いた(それでデルトロが『狂気の山脈より』映画化企画を引っ込めたけど、また動き出してるらしい)
あと最近では配信スルーになってしまった『アンダーウォーター』って作品がすごくクトゥルーらしい。見なきゃな。
日本でも宮崎駿、特に『もののけ姫』はデザイン含めてかなりクトゥルーっぽいし、和製クトゥルーといえば『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズの白石晃士監督も忘れてはならない。
続きを読むヒッチャー ニューマスター版|象徴としての一本道、あるいはルトガー・ハウアーについて
なんとも映画館に行きずらい世相だ。
1月も2週目過ぎてやっとの映画館初めになってしまった。新宿にはあまり行かないので色々まとめて見ようと思い2本ハシゴ。本も無闇矢鱈と買い込んでしまった。探してた伊藤計劃のメタルギア ノベライズを中古で見つけてひと満足。
図らずも今年の一発目は旧作のリバイバルになってしまった。
ヒッチャー ニューマスター版
神が創りし究極の美、それがルトガー・ハウアー。そう聖書かなんかに書いてあったはず。意図的に作りでもしないとこんな完璧な見た目の人間は産まれ得ないと見る度思う。その究極の美の中でも究極なのはヴァーホーヴェン『女王陛下の戦士』の彼だと思うが。
てっきり70年代の映画だと思っていたが、86年の映画。よく考えればルトガー・ハウアーが渡米してきて以降だからそれもそうか。ロケーションも相まって全体には70年代アメリカン・ニューシネマの空気、でも演出は80年代スラッシャーホラーっぽさが感じ取れる。しかし内容から考えると意外なほどゴア描写は少なく、直接の描写は一つもない。
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