加害者の会

思考整理用

ノスタルジーと希死念慮 ①

 

ノスタルジー、暖かみのある希死念慮

 

 

夕暮れ。

幼い自分が布団の中で、閉じたカーテンを眺める。

複雑な模様があしらわれた赤茶のそれは夕焼けの紫を吸収する。

そして、暗く、寂しく、しかし暖かく寝室を色付ける。落ちて時間のたった落ち葉を空気に溶かしたような色だ。

 

「寂しさ」と「暖かさ」は共存し得る感情なのだろうか。矛盾を孕んでいるように思えるが、本当にそうなのだろうか。一人でいるから寂しい、布団に入っているから暖かいというような一対一で事象と対応されて感情が生まれるのではない。

カーテンから漏れ出す光の色味、カーテンにあしらわれた模様、夕暮れ時、布団、空気、幼さ

それぞれが複雑に絡み合い、「寂しさ」と「暖かさ」が生まれたのだ。

愚者

何度も頭を書き直しては恥ずかしがり、また書き直す。恥ずかしくはあるがこれが脳壁の最も直接的な写し、再現なのであるからしょうがない。脳壁にはスプレーでの大量の落書きや、訳の分からない般若心経もどきの乱雑な文字が描かれて(記されてはない)いる。

散々恥ずかしがったがもうどうしようもないので腹を括って頭を書いていく。

 

この文章を読みに来た貴方は被害者だ。

先に述べた脳壁の落書きに侵され、眠りにつけない平々凡々な大学生の儀式に付き合わされているのである。

この平々凡々な大学生は非常に愚かで自分の睡眠すらコントロールすることができない。頭の中が落書きで一杯になってしまいそれどころではないのである。取り敢えずその落書き供を整理整頓して落ち着かせようとする寸法だ。それならば一人でツラツラと文章を書き一人で読んでれば良いのではないかと言う人がいると思うが、この平々凡々な大学生は人に読まれる緊張感といった一種のフィルターが無ければ整理整頓ができない阿呆なのである。

 

この阿呆は人の目を非常に気にする。例えば、このブログを開設する前にまず「ブログ おすすめ」と検索した。その理由は”使いやすいブログを探す”など至って真っ当な理由ではなく、”ある程度のカッコ良さを誇示できるブログを探す"というこのブログを開設する主旨から全く外れた理由である。本当に本質的でない。あとはこれらの文章を改行する時、頭にスペースを入れないと馬鹿にされそうだと思ったりとか。だけど全角スペースを打つのが面倒くさいからそのままでいいかなどと。

こんな無駄な思考に時間を費やしてしまうのだからやはり阿呆なのだ。

 

では何故この阿呆は人の目を気にしてしまうのかを考えてみよう。まあ問いかける様な文章を書いたのだが、その理由はこの阿呆本人が一番分かっている。

ではその理由とは。

それは高校生まで優等生を演じ続けてきたからである。また、優等生を演じ続けてきた理由は褒められるのが気持ち良いことであるから。そして、親に叱られるのが怖かったから。

小さい頃から母親に叱られるのが嫌いだった。今でも大嫌いだ。叱られるたびに屈辱や怒りなどいろんな感情が湧き上がってくる。別に母親を責めているわけでは一切ない。確かにそこらへんの人を基準とすれば厳しいほうであるとは思うが、だからと言ってその叱りは過剰では無いと思うし正当だと思う。

だが、この阿呆にはその叱りが少し効き過ぎた。別に叱りを受け入れ襟を正しまともな人間として生きていると言う気はさらさらない。しかし、母親、他人関係なく叱られるのがやはり嫌なのであろう。

よくよく考えてみたらもう少し理由があった。阿呆は小中学生の時にちょっとイジメられていた。あの程度をイジメと言うのかは分からないが、暴言を吐かれたり物を隠されたりしていた。アイツらは芯は弱いので殴りかかってきたりはしなかった。阿呆の方がフィジカルが強かったのである。

まあそんな事はどうでも良い。イジメられていた過去に対する腹いせのためか、この阿呆は基本的に他人を蔑んでいる。勿論、基本的とはいえ全員を蔑んでいるわけではない。目に見えている人間の60%くらいである。だからその自分より劣っている人間にはアホだと思われないようにと周りの目を気にし、自分の行動を制限してしまう。あとは単純に馬鹿にされるのが嫌いだから。というかイジメられていた記憶があるので怖い。だからそのゴミ供に馬鹿にされない様にと真面目な行動をしてしまう。

 

まあここまで読んで、

お前は真面目では無いだろう

真面目な奴は留年しないだろ

と言いたくなるだろうが全くその通りである。恐らく大学2年生あたりから少しずつたかが外れてきた。毎日の様に呑んだくれ、バンドに生活を注ぎ込み、大学には中指を立てていた。

とはいえ完全に外れきっているわけではないし、だからこのブログを開設したのである。やはり芯は悪い意味で真面目、ビビりなのだ。大学は留年しているクセに無駄に周りからの目を気にしたり、大概はビビって大きく行動に移せないでいる。

 

非常に中途半端なところなのだがそろそろ文字を打つのに飽きてきた。

というのもこの阿呆は阿呆である上に無精者であるため、カバンを西千葉に置きキャッシュカードと学生証と保険証とPASMOだけを持ち実家に帰ってきた。それでパソコンが無いからこのiPhone7で文字を打っているのである。

この無精者はよくここまで文章を書いた。自分で自分を褒める。無精者なのによくここまで飽きなかった。

とはいえ芯は真面目なので最後まで書こうと思っていたことを書かないと非常に気持ちが悪い。けど基本的には自分の中での重要度として、気持ちの悪さよりもめんどくささの方が優っているためもう書くのをやめる。もうそろそろ2000字だしキリはそこそこ良いだろう。

 

再び頭の中がカオスになり収集が付かなそうであれば書きに来るかもしれない。色々まだ文章にしていない落書きも沢山あり未練が残ってるし。ここまで読んで下さった被害者の方々はありがとうございました。この三日坊主には次のブログを期待しないでください。それでは。