別れ。
別れは、ある日突然訪れるね。
どんないい事があっても、一つの別れがどうしようもなく人を虚しくする。
別れを前向きに捉えられることは、少ない。
だけど、別れを否定してしまったら、出会いすらも否定してしまう事になんじゃないだろうか?
だって、人の命は必ず尽きるから。
出会いがあれば必ず別れがくる。
どんな形でも、必ず訪れる。
僕らは何かと出会う時、普段は気付かないけれど、必ず"お別れ"とも出会っている。
じゃあ全ては悲しいのだろうか?
出会う事に意味は無いのだろうか?
きっとそんな事を問いかけると、「あなたやあなた達と笑いあった日々」が浮かんでくるし、身の周りは「出会った全ての人から貰ったモノ」で満ちている。
出会ったものから別れを差し引いて残るモノがあるとすれば、それは"今の自分の全て"だ。
記憶でも過去でも物でも人でもあなたとの繋がりでも何でもよくて、良いも悪いも関係なくて、全て引っ括めて"今の自分"。
じゃあ、今自分は何も持っていないだろうか?誰も居なくて独りだろうか?笑ってくれる人はいないだろうか?温めてくれるものはないか?泣いてくれる人はいないか?本当に誰にも相談できないか?本当にどうやっても頼る先は無いのか?・・・
そんな事を考えてると、自分を温めてくれるお布団に気がつく。泣きじゃくった涙を吸い込んでくれるふわふわの枕がいる。
励ましてはくれないけど笑わせてくれるアイツや、建設的じゃないけど吐き出した言葉を拾ってくれるアイツ、一方的だけど独りの時に言葉をくれるアイツがそこにいる。
そしたら、下を向いてばっかりもいられない。
何一つ持っていない訳じゃないのならば、下や後ろを見続けることは、今、手の中にあるモノに対しても、お別れしたモノに対しても、きっと失礼だ。
どんなに不器用でも、どんなに涙でぐしゃぐしゃになって不細工でも、顔を上げなきゃ、歩き出さなきゃ、わたしはわたしを未来永劫幸せに出来ない。
生き方はきっと不器用だ。
ぐしゃぐしゃになった泣き顔はきっと不細工だ。
いいじゃないか、生きてるんだから。
生きることなんて醜いよ。
醜いから、美しいものは尊いよ。
泣きじゃくって、不細工になって、不器用に踏み出したその足は、けれど何よりも素晴らしくて輝かしくて素敵な一歩を進む。
前なんか見えなくって、景色はぼやけて、足元も覚束ないけれど、
顔を上げた姿は、その目は、何よりも美しい。
雨の後に虹が架かるように。
"人は人を幸せにできない"
"出会いの後には必ず別れがある"
"物事には全て終わりがくる"
それなら私は、せめてプラスでありたい。
あなたとの出会いに、別れを差し引いた時に残るほんの少しの"何か"を残したい。
不幸を生むのが人との繋がりならば、幸福を生むのも人との繋がりでありたい。
そんな事を思うのです。
徒然なり。
ブログを開設しました。
この度、ブログを開設しまして、理由は色々ありますが、開設のきっかけは「唐突に"やろう"と思ったから」です。
きっかけとは、そんなものです。
別に"暇だから"とか、"どうしても"という訳でもなく、しかし今も晩ご飯食べる間も惜しみこの文章を書いています。
メインはTwitterアカウントですが、思考した事を消化不良少なくできるだけ書き残せ、尚且つタイムラインを汚さなくてすむやり方の一つとして、ブログという形式を選択しました。
ただ徒然と物想いを綴るばかりですが、たまには寄ってって下さい。