読読日記

経営、経済、金融を中心とした読書日記

『ギャンブル依存国家・日本 パチンコからはじまる精神疾患』帚木蓬生 光文社新書

東京等の大都市では、駅前一等地に必ずと言って良いほど××××がある。どれだけ周囲が再開発されようとも、そこに××××はある。地方、郊外に行くと大きな立派な建物がある。その建物は役所、病院、ラブホテル、もしくは××××である。

 

××××とは、パチンコ屋のことだ。

 

◇全国津々浦々、セブンイレブンには負けるけどローソン並み

パチンコ店は全国に1万2千店

 

そう、まるで社会インフラかの様に日本全国至る所に「それ」はある。成田空港から都内で向かう途中、成田市とおぼしき地方都市でも、「それ」は目立っている。羽田空港から都内で出てきて、品川駅を渡ろうとすると、横断歩道の先に「それ」は鎮座している。有楽町駅前の再開発が行われた時も、複合ビルの1Fテナントは、旧来からの地権者なんだろうか「それ」が入っている。

 

「それ」とはパチンコ屋のことだ。

 

トヨタには負けるけど、ホンダ、日産、NTTには勝っているよ

中央競馬が2兆4千億円、地方競馬が3,500億円、競艇が9,000億円、競輪が6,000億円、オートレースが700億円。宝くじが9,500億円、スポーツ振興くじが1,000億円。パチンコ店の年商が20兆円

 

全国1万2千店に上るパチンコ屋の年商が20兆円だそうだ。トヨタは流石の27兆円。でもホンダが12兆円強、日産が13兆円強、NTTが11兆円。こんな比較感を見せつけられるだけで、如何に巨大な産業なのか、どの程度の社会的な影響力が大きいかが推察される。

 

業界全体での就業者数とかはデータを確認できていないけど、1万2千店も店舗があるので、一店舗20人でも24万人。どれだけの従業員で店舗運営しているのか土地勘が無さ過ぎてよく分からないけど、相当な数の就業者数なんだろうということは容易に想像がつく。

 

◇刺激と反応。本能を刺激する仕組み

ギャンブル依存の有病率が4.8%、男女別でいえば男性8.7%、女性1.8%。我が国には536万人のギャンブル依存者がいる

 

嗜好性、好き嫌いのレイヤーの話ではない様で。明らかに危険性の高い刺激であると感じるのはボクだけではないはず。所謂依存症となって、社会的な生活を送る上で支障が出ている人が数百万人単位で存在していて、それが全国津々浦々だとすると、これって国として対処しないといけない次元の話なんだろう。

 

そんな状況で、カジノを設置するとか、自分は関係ないからお好きにどうぞ~って言って良い問題ではないはず。

 

天下りの問題とかあるのかも知れないし、利権が色々あって複雑なのは百も承知で。だけどそういった状況を放置する国って。1億総活躍とか言っている場合ではないと思うんだけど。

 

★★★☆☆

自分が知っていた以上に問題が大き過ぎて戸惑っています

 

『歓声から遠く離れて 悲運のアスリートたち』中村 計 新潮文庫

新卒採用において、体育会系の人材は多くの会社で重宝される。先輩後輩といった人間関係に慣れていること。何かに打ち込んだことがある経験を有していること。何らかの目標達成といった成功体験や挫折体験を有していること。そんな理由から重宝される傾向にある。

 

◇努力できることは才能

努力とは、いつか訪れるだろう幸福を受け止めるための器づくり

 

いつか訪れるかも知れないし、訪れないかも知れない。そんな不合理さ、理不尽さを受け止めてか、知らずにか努力をすること。今どきでは無いし、一昔前の日本的だと言われるかも知れない。でも、そんな理不尽さの中に何らかの意味を見出すことができれば、その人の人生は非常に有意義になると思うし、そんな経験を若い時にすることは、人生を過ごす上で大きな糧になるんじゃないかと、最近思う様になってきた。

 

そんな努力をできると言うことは、馬鹿にされそうだけど、やはり一つの偉大な才能だと、歳を取るにつれ思う。

 

◇理不尽さの中に、意味を見出すこと

何かを受け入れる為には自分という容器の中を一度空っぽにする必要があった

 

容器を空っぽにするって簡単に言うけれど、結構理不尽なことが多いはずで、今までの成功体験を捨てることが求められる。そんな理不尽さを受け入れようとすれば、無心になって何かを信じないといけないし、信じるものが無いとそこまでは普通頑張れない。信じるものがコーチや監督といった指導者の場合もあるけど、何よりも自分自身を信じられるかどうかが、結局は最後まで努力できるか、踏ん張れるかといった点で必要な要素。

 

信じる為には、今までに信じていたものを一度忘れる必要がある。何かの連続性、延長線上に信じるものを見つけられる時もあるけど、非連続な先に見つかることの方が、最後の最後に拠り所になる。それが不合理や理不尽の中に見つかるものなんだ。

 

理不尽なことを敢えて経験しなくても良い。だけど、世の中には山ほど理不尽なことなんてある。そうだとすると、そんな理不尽さに出会った時に、その中に意味を見出せると良いんじゃないか。

 

◇成仏の仕方

一度栄光をつかんだ人間は、もう一度って思うもんなんだ。まだ自分にできるんじゃないかって。だから、それをやってしまわないことには、いつまでもそうやって思い続けることになるんだ。

 

どこまでやれば自分が納得できるか。引退の仕方、タイミングは難しい。人によって千差万別。ビジネスにおいてもプレイヤーがマネージャーになるにはこの切り替えが必要。マインドセットの切り替え。

 

成功体験という麻薬。アドレナリンが出る経験の魅力からどの様に距離を置いていくか。未練を残さず成仏をするか。

 

ゴーウィズフロー。自然の流れに乗りなさい

 

★★★☆☆

自分を諦めた時、成長は止まる。自分を信じて前に進みたい。

『「昔はよかった」病』パオロ・マッツァリーノ 新潮新書

昔は良かった。空が高く、空気が澄んでいた。家族が一緒に住み、隣近所の人とも家族の様だった。人情が溢れ、平和だった。色々な文脈で様々なノスタルジーが語られる。

 

◆日常と非日常

日々の日常に置き換えた時、それらの言葉は、どこまで真実足りうるだろうか。物事には良い面もあれば悪い面もある。それらの言葉は、ことさらに良い面を誇張していないだろうか。不便さ一つをとっても、一時の経験であれば貴重な楽しい経験となる。だけど、それが毎日続く日常の出来事となると、苦痛以外の何物でもないだろう。

 

古き良き、というのは、趣味の範囲でのみ成立するファンタジー

 

古き良きとは、多くの場合、そのことが日常ではなく非日常だからこそ言える言葉なんだろう。

 

◆相対比較での言い回し

「むかしはよかった」、「むかしは大変だった」。過去を賛美する表現は多い。起点を現在におき、過去に目を向ける。一見するともっともに聞こえることもある。でもそれって単なる後解釈じゃないだろうか。自分を、自分たちを相対比較で持ち上げようとする議論じゃないだろうか。しかも、その相対比較の目盛りは歪んでいて、過去の目盛りが大きくなっている。

 

「古き良き」と対になる常套句が、「むかしはよかった」。2500年前の孔子も口癖だった

 

◆絶対比較での言い回し

昭和30年代に未成年者が起こした犯罪は、殺人が現在の6.3倍、強盗が2.5倍。放火が5.7倍、暴行・傷害が3.7倍。強姦に至っては28倍。

 

反論することが目的ではない。とは言え、こんな数字は知らなかったし、結構衝撃的な数値だと思う。こんな数値を見て、昔は平和だったと言えるのだろうか。無知であることが、無責任な言葉を生む。

 

先達の功績や苦労は尊重したいけど、今を必死に生きていきたい。過去を振り返ってノスタルジーに浸るのではなく、今の生活に悩みたい。そしてできれば少しでも今日よりも明日が良い日になる様に、自分にできることをやっていきたい。更に欲を言えば、そんなことを肩肘張らず、当たり前の日常として日々を送りたい。

 

★★☆☆☆

いつか過去を振り返った時に、今が一番良いと言いたい。そんなことを言い続けられる様に生活したい。

 

 

『決断力』羽生善治 角川oneテーマ21

仕事をする上で、攻める思考の時と守る思考の時とがある。前者は案件を仕込みに行く時で、後者は撤退する時だ。いずれの時も関係者が誰で意思決定の仕組みがどの様になっているのか。どの様な時間軸で意思決定が為されるのかを慎重に考えて取り組んでいる。

 

◆攻める思考

意思決定において相手の関心事は何か。関心事が明確に言語化できているか。関心事が明確になっている場合、採点方法は加点方式なのか、減点方式なのかという点も事前に確認をしておきたい。採点方法を対外的に明確化しているケースは少ないものの、特に競合企業との差が付きにくい場合には、加点方式では差が開かないことが多いので、減点方式で不利にならない様な工夫が必要となる。

 

一方で、関心事、意思決定の軸を顧客側が明確化できていないケースも実は多い。顧客自身が自覚している場合もあるが、その自覚がないケースも結構あり、この辺りの見極めが重要だ。意思決定の軸が明確になっていない場合には、初期段階で、刷り込みを行っていく必要がある。こういったケースでは~とか、他社だと~とか。直接こちらが話題の中で言及することもあれば、意思決定に影響を及ぼす様な人にさり気なく刷り込むこともある。

 

◆守る思考

案件を辞退する、撤退することが稀にだがある。顧客や紹介者との関係性を維持しつつ、当該案件から如何に身をひくか。実はコンフリクトが発生した為、そのコンフリクトの内容を悟られない様に速やかに撤退しなければならないこともある。更に稀ではあるものの、社内コンプライアンス上、当該案件への関与ができなくなることもある。

 

いずれにしても、本当の理由を顧客に開示できないこともあり、案件獲得時以上に気を遣う。神経をすり減らす。

 

この守る発想は、攻める思考以上に難しく、意思決定におけるジャンプが求められることがある。正に決断力が求められる。この辺りは、経験を積む以外に方法は無いのだが、やはり人によって得手不得手があり、腹を括れるかどうかが問われる。胆力なるものが問われる。

 

守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる

 

守る思考の時、実は気持ちは前に出て行かないと良い決断ができない。色々な表現はあるが、後ろ向きであったり、逃げたりすると、悪い方向に物事が進む。ボク自身が心掛けているのは、困難に対して正面を向いて対峙しつつ、相手が前に出てきた時に、手で相手を払うイメージ。

 

ボク自身は、合気道や空手等、武術をする人ではないけど、いつも困難を前にした時にイメージするの、上記の様な絵だ。

 

★★☆☆☆

将棋や囲碁、武術から示唆を得ることが多い

『不本意な敗戦 エルピーダの戦い』坂本 幸雄 日本経済新聞出版社

◆敗戦と撤退戦

不本意でない敗戦というものがどの程度あるのだろう。「この敗戦は仕方ない」ともし経営トップが思っているとしたら、それは責任を放棄していないだろうか。本音で思っているとしても、少なくとも部下の立場からは、最後まで諦めて欲しくないと言うのは、日本的過ぎなのだろうか。

 

一方で、株主の立場から同じことを議論すると、敗戦の弁を述べるくらいなら、早々に撤退を決断してくれた方が傷口が浅くて済むと考える。諦めが早いのは困る。だけど、変に粘られて撤退タイミングを逸してしまうのはもっと困る。経営者を信じて投資するものの、投資家の立場からすると、自身の逃げ場を提供してくれるかどうかは重要は要素だ。不本意な敗戦を語られるのは避けたい。それならば、撤退戦の話の方がはるかにましだ。

 

いずれにしても、経営者として決断を下したかどうか、そこに主体的な意思があるかどうかを見極めたい。環境のせいにする様な弁は聞きたくない。仮にその勝負が負けだとしても、最後の幕引きの仕方を、経営者の力量として見ている。

 

◆銀行との関係構築

設備投資が成長を左右する業態の場合、銀行とどの様な関係を構築するかは、時として企業の命運を分ける。

 

メインバンクをつくる、色々な貸し借り

 

銀行との付き合い方は、お金に対するスタンスをどう取るかが明確に表れる。信用の積み重ねなので、長期的なスタンスで付き合うべきというのが理想的な付き合い方だと言われる。産業を育成する、企業を育成するといった大所高所の議論ができる気骨ある銀行員も探せばいる。

 

一方で、預金との両建てを求められたり、期末の追い貸しに付き合わされることもある。グループ会社のクレジットカードへの加入、投資信託の購入等、様々な依頼、要求をしてくる下衆な押し込みも多い。そんな付き合いは不毛だ。だけど、そんな目先のノルマを押し付けてくる銀行員は多い。

 

◆それでもメインバンクをつくる

色々と銀行への不満は多い。最近は、優越的地位の濫用と取れる話が増えている。グループの証券会社を紹介します。ワンストップで全て面倒見ます。不満を持っている経営者は山ほどいる。それでも、メインバンクは持った方が良い。

 

なぜならそれは、経営者が最悪を想定した時の最後のセーフティーネット、ラストリゾートにかかわる話だから。本当にしんどい時に、傘を貸してくれるかどうかは分からないし、あてにしない方が良い。

 

それでも、不本意な敗戦ではなく、意味ある撤退戦をする、持久戦に持ち込む等、自身で経営者が選択肢を持つ可能性を少しでも高める為に、割り切らないといけない、社会の不合理の一つだと最近は思っている。

 

★☆☆☆☆

必要悪として、銀行との付き合いを位置付ける

 

『その人脈づくりをやめなさい』千田 琢哉

立食パーティー等でやたらと名刺交換をしてくる人がいる。その場でパーティートークを行うことになる。でも、今まであまり盛り上がった試しが無い。偶然の出会いはあるのかも知れないけど、そういった形でビジネスに繋がったことは無い。

 

◆目的をもって人に会うこと

基本的に、真剣に会いたいと思う人がいれば、まず会える。驕っているのではなく、自分は何をしたいのか、その結果誰に会いたいのかをしっかりと考えて準備をすれば、紹介者を見つけることができる。目的が明確であれば、必ずしも会うべき相手は企業トップではなく、事業部長等の時もある。適切な相手に適切な紹介者を経れば、まず会うことは難しくない。

 

◆会うまでは助走期間、会ってからが勝負

それとは逆に、紹介されて人に会うことがある。新しいこと、自分が知らないことは好きなので、紹介を受ければ時間の許す限りその人には会う様にしている。自分自身の好奇心が半分、紹介者への義理や恩が半分。そんな気持ちで会う。だけど、せっかく会っても次に繋がらないことも多い。寧ろほとんどが繋がらない。

 

圧倒的な準備をしたうえで敢えて利口ぶらない

 

準備をしてきていない人が多い。HPに公開されている情報を見ていない人もいる。新聞や雑誌、インターネットを調べればすぐに分かることを聴いてくる人も多い。会いたいといって人の紹介を受けてまで来るのであれば、もっと調べてくればこの時間を双方にとって有意義なものにできるのに…と話を聞きながら思うことがある。

 

利口ぶる、知ったかぶりをする人もいる。紹介を受けて人に会うと、やってくる人は結構な確率で背伸びをして、利口ぶることが多い。自分を大きく見せたい、重要人物、役立つと思って欲しいといった気持ちが根っこにあるのかも知れない。だけど、そんなことは会って話をしていればだいたい分かるし、その場で気づかなくても、案件を一緒にする様になればそんなことはすぐに分かる。

 

◆案件をする上で大切にしたいこと

顧客であっても、パートナー企業であっても、チームメンバーであっても大切にしている価値基準がある。

 

いざとなったら逃げる人間か逃げない人間か

 

精神論ですべてを片付けるつもりはない。プロフェッショナルとして、案件にコミットメントをする人間として、大切にしたいと思っている。

 

★★☆☆☆

人脈っていう言葉、そろそろやめませんか…

 

 

『趣味力』秋元 康 NHK出版

先日、仕事で秋葉原に行った。街の異様な雰囲気に威圧される。早く立ち去りたいという本能的な欲求。一方で、少し雰囲気を感じたいと思う気持ちも。不思議な街だ。

 

駅前にはガンダムカフェがあった。その横にはAKBカフェ。テレビを殆ど見ないこともあり、今いまのAKBがどの程度人気があるのかは知らない。だけど、「未だに」AKBカフェが駅前にあるという事実。ガンダムカフェの横にあるということ。コンテンツとしての強さを推測させるには十分だ。

 

秋元康という人

AKBで再び、もしくは何度目かの注目を集めた。でも、ボクが一番この人を凄いと思っているのは美空ひばりに曲を提供したこと。しかも、その曲が「川の流れの様に」であるということだ。

 

ボクは流行りの歌手や音楽を最近まず聴かない。なぜか「川の流れの様に」がボクのi-tunesには入っている。まさか電車でそんな曲を聴いているなんてだれも思っていないだろう。

 

◆仕事と趣味、仕事が趣味、仕事も趣味

両者の関係をどの様に位置付けるかが、多くの働いている人にとっての悩みんんじゃないだろうか。その関係は並列なのか、主従なのか。どの様に時間を使うか。お金を稼ぐか、お金を使うか。

 

いずれにしても最近感じていることは、人生の重要な一部であること。時と場合によって自分自身との関係性は変わるもの。如何に主導権を持ち、コントロールできるかが重要なんじゃないか。その様に感じている。目的にもなるし、手段にもなる。自分でコントロールできないことは山ほどあるけど、可能な限りの主導権を持つこと。将来に向けての選択肢を持つことが、自分にとって価値ある事の様に感じている。

 

◆自分の可能性、人生における可能性

 

趣味とは自分探しである。自分ができることの可能性を探ることである。

 

ボク自身は、趣味に限らず、人生においてできることを増やすこと。可能性を追求すること。そのことが何となく人生の目標だと思っている。だからそれは趣味に限った話ではない。決して死ぬ間際、ヨボヨボの年齢でもそうありたいとは思わないけど、可能性を信じられるからこそ、夢がある様に思う。人と比較してどうだという話ではなく、自己満足の範囲の話かもしれない。でも、可能性があると思うことは、「救い」なんだと思っている。

 

幾つになっても可能性はまだあると信じていたい

 

このことに尽きる。

 

★★☆☆☆

趣味と仕事の境目なく、主体的に物事を楽しみ、自分の可能性を信じたい