僕がはてなブログを書く理由

こんにちは!

 

 

 

随分と間が空いてしまいましたね...

正直に言うと面倒くさくなってしまったんです

 

 

さて、この頃暖かい日が続いており花粉に苦しめられている方も多いのではないのでしょうか

 

 

しかしこの春の風の気持ちよさと言うのは規格外でして「この暖かさで一年過ごしたい!」と毎年思ってしまうほどです。

 

 

 

「さあて久々にブログ書くか」と思ったはいいものの「何書こう..」と書く内容が思いつかなかったので

 

 

今回は単純にブログを書く

                   理由について綴りたいと思います!

 

 

 

皆さんは何故「新しいこと」を始めますか?

 

 

 

スキルアップ

 

 

 

最近つまらないから?

 

 

 

特に理由はねえ?

 

 

 

 

 

 

この中に答えはありましたか?

 

 

僕は「最近つまらないなぁ」と思い何かを始めます

 

しかし次第にそれが自分のスキルアップにつながるものだということに気づきます

 

このはてなブログを始めた理由もそうです

 

「最近つまんねえなあ」

 

   App store

 

「お?ブログか」

 

「ブログで小遣い稼いでる人もいるんだなぁ」

 

「まあやってみるか」

 

という流れでこのブログを始めました

 

しかし文章を打ちながらあることに気づきました。

 

「これやってたら文章力つくんじゃね」と

 

 

 

 

 

 

実は僕は国語がとても苦手です。

 

 

 

 

現代文と言ういわゆる「日本語の文」の読解が下手くそなのです。

 

 

 

 

国語が苦手な方と特徴として、本を読まない

というものがあります。

 

 

 

本を読まないひとは読解が下手くそと言うのは

想像するに吝かでは無いと思います。

 

 

 

 

 

しかし僕は幼少の頃から本が大好きでした

 

 

 

 

小説はあまり好きではありませんでしたが

論述形式の本 や マンガ 図鑑本には

 

 

僕の子供時代が詰まってると言っても過言ではありません。

 

 

 

友達と遊ぶ時、みんながゲームしていても

僕は1人本を読んでいました

 

 

別にゲームを持っていなかったわけではありません。

 

ただ本が読みたかったのです

 

 

 

 

こんな子供時代を送った僕はもう高校生

 

 

親も僕も国語力で困る日が来るとは思いもしませんでした。

 

 

 

 

高校三年生になろうとしている今

 

 

僕は幼少期の読書法の

決定的な弱点に気づきました。

 

 

 

 

 

先程「小説は好きではない」と書きました

 

実際僕は幼少期に小説はほとんど読んだことがなかったのです

 

 

当時の僕は「作った空想の話を読んで面白くもなんともない!僕は事実を知りたい」と言う思考回路の子供でした。

 

 

 

わからないことは自分で調べる、考えて、実験したり、作ってみたり

 

 

 

そんな僕にとって事実を書いた「論説本」は宝でしたが

 

 

著者の空想を書いた小説は「紙切れ」でしかなかったのです。

 

 

 

 

つまり僕は文章上において、全く「考える」という行為をしていなかったのです。

 

 

 

「あなたは昔から物事の仕組みや理由が気になりよく聞く子だった」と僕の母は言います。

 

 

 

物事の本質を考えることはしましたがそれは全て自分の中で行うことであり

 

 

小説などの

 

 

 

「この人はどういう気持ちなのかな」

「この人はどういうふうに考えてこのような行  動をしたのかな」

「この人はつまり何を伝えたいのかな」

 

 

などの自分以外の人間の気持ちや考えに触れていなかったのです。

 

 

 

 

 

大学入試などの国語の問題では

 

筆者がつまり何を伝えたいのか

主人公はどのように思っているのか

 

ここに回答の全てがあります。

 

 

 

自分の中で思考し、本は辞書のようにしか使ったことの無い僕にとって、

この二つはかなり苦手なポイントなのです

 

 

つまり僕に今求められているのは人の考えを理解できるだけの読解力とそれを噛み砕いて周りに伝える表現力です。

 

 

 

 

つまり僕がブログを書いている理由は

 

 

 

 

 

外で読んだ記事を参考に自分で思考、整理し

 

なるべく周りにわかりやすく書き起こす訓練を

 

するためなのです。

 

 

 

 

読解はブログでは鍛えることは難しいですが、文章力作りと言う観点ではものすごく役に立ちます。

 

 

なのでこのブログを書くことの文章力に於ける効果はとてもあると思います。

 

 

 

 

しかしこのブログの効果はまだ現れていません

 

 

 

 

現れたらまた書きますね!

 

 

 

 

それではまた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出る杭

皆さまいかがお過ごしでしょうか

 

寒くなってきましたね…

 

人間は不思議なもので

 

夏の時は冬が来て欲しいと思うが

 

冬には夏が来いーって思いますよね

 

じゃああいだの春秋は?花粉症

 

初夏はジメジメ五月病

 

皆さんはどの季節がお好きですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、本日は「杭」のお話です。

 

 

皆さま杭と聞いたら

 

「ある言葉」が出てきませんか?

 

 

『出る杭は打たれる』

 

 

 

この言葉にはこのような意味が含まれていると僕は思います。

 

 

 

 

「周りからずれているのはおかしい!」

 

 

「そんなことできるわけない!」

 

 

「もっと周りを見ろ!」

 

 

 

 

皆さんは違った意見を持ちましたか?同じでしたか?

 

 

大多数の日本人は僕が言った意味のように捉えるでしょう

 

何故か?

 

「周りとずれている」ことに物凄い抵抗を覚えるのが日本人だからです。当たり前です。

 

 

 

この日本人的思考は物凄いメリットがあります。

 

 

違った意見が出にくいためとてもスムーズに物事を進められる。

 

これって物凄い大切ですよね?

 

 

日本人が話し合えば10分で終わるものが

 

反対の思考を持つアメリカ人は🇺🇸

 

3時間掛かってしまうとすると

 

物凄い効率が良いですよね?

 

 

 

 

しかし物凄いデメリットもあります。

 

 

 

 

議題がよく吟味されなかったり

 

天才的な案が出にくかったり

 

言いたいのに言えずにストレスを溜め込んだり

 

 

 

 

 

アメリカ人はとても自分の主張が厳しく、

 

自分の意見がベストだと思っています。

 

なので上のことをなんの躊躇もなく行います。

 

そして周りもそれを噛み砕きもっと良いものを提案します。

 

 

 

 

 

つまり自分が出るのが当たり前で、

 

周りも出る杭を暖かく迎えるわけです。

 

これって物凄い良いことだと思いませんか?

 

 

 

 

日本人は五人で話し合いをしても結局強い人の

 

1つの意見が通ってしまう文化があります。

 

そこに残りの四人の考えを加えたら

 

どんなに研ぎ澄まされた

 

意見に変わることでしょう

 

 

 

 

僕はもともとアメリカ人タイプの思考を持って

 

いるので日本人のこの性格は正直嫌いです。

 

日本人は百円の包丁はあっても

 

砥石がないんです。

 

アメリカ人は百円の包丁を研ぐための

 

砥石が豊富にあります。

 

 

 

どちらが物の開発、生産性は高いですか?

 

 

 

 

 

 

皆さんスイミーというお話を知っていますか?

 

 

赤い魚の集団の中で

 

 

1匹だけ黒い魚(スイミー)がいるお話です。

 

 

 

簡単に言うと

 

 

 

 

赤い魚の中でスイミーがいて仲良く生活をしていました

 

マグロに襲われちゃってスイミー以外は

 

死んでしまいました

 

スイミーは海を彷徨います

 

 

 

赤い魚の別の群れを見つけましたが

 

その群れはマグロを怖がっています。

 

そこでスイミーは言いました。

 

 「みんなで一緒に泳ごう!

               大きい魚のふりをしよう!」と

 

 

スイミーはその大きい赤い魚の

 

「目」となりマグロを追い払います。

 

 

このように周りとは違う存在というのは

 

必要なんです❗️

 

 

 

もしスイミーのような「杭」を

 

受け入れなかったら

 

その赤い魚たちは食べられていた

 

かもしれません。

 

 

 

 

 

出る杭は打たれるべきではなく

 

みんなで協力してその杭をさらに出す

 

これができればこれからの世界はより良いものになると思います。

 

 

 

 

皆さんはこの「杭」についてどう思いましたか?

 

 

 

 

それでは、また

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強の意味

皆さん学生時代

 

『なんで数学なんて…』とか

 

『英語とか日本いたらつかわんし』とか

 

言った覚えはありませんか?ありますよね?

 

今回は僕が思う勉強の『意味』について書きたいと思います。

 

 

1 数学

 

 

数学は最も重要な教科の一つであると考えます。  

頭の回転や、いわゆる「頭がキレる」というもののトレーニングになりうると思います

 

社会に出てから、期限内にレポートを仕上げるなどの場合に順序よくできる人は数学をやった人だと言われています。

 

 

2 英語

 

 

英語もとても重要な教科ですが、教育方法に問題があると思います。

僕のデンマークの友達がデンマークの英語教育について教えてくれました。

 

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デンマークはヨーロッパの国で公用語

デンマーク語で日本と同じように英語は

学校教育で学びます。

しかし、大多数の人々が英語を公用語のように話せるんですね

 

何が違うのでしょうか?

 

それは英語を学ぶ順序と時期にあると彼は言います。

 

日本では、単語、文法、長文、リスニング

の勉強が中心です

(最近はスピーキングも出始めてますが)

時期としては中学校1年生からはじめます。

 

デンマークでは、小学校3年生からなんと

スピーキングの学習から入ります❗️

 

「え?できんの?」と思いますよね?

 

個人差はあるようですができるそうです。

 

今日は He/She is 〜の文を使って友達とおはなししましょー!という授業内容みたいです。

 

そして中学校1年生くらいから文法の学習を始めるそうです。

 

そうすると話せて文法もわかるという状態になるそうです。

 

 

この教育法が日本に合うかはわかりませんが。

日本の文法だけを頭でっかちにして全く話せるようにならない教育法には疑問がありますよね

 

 

3 国語(現代文)

 

 

国語はコミュニケーション能力を高める上で必須の教科です。

 

仕事ができない人って話が下手くそで、

面白くない印象がありませんか?

 

日本で生活するなら日本語は必要不可欠

言葉でその人がどれだけ賢いかは想像できますよね

 

しかし一方で古文漢文には価値を感じません。

 

古文の話に価値があるなら現代語で話を教えればいいし、ましてや文法なんて全く使いませんよね?

 

「漢文をやるなら中国語おしえろよ!」って

僕も思います。

 

 

 

学校教育は価値あるものですが、やり方を誤ると意味がなくなってしまうものなんですね。

 

それではまた…

 

 

 

 

 

 

ブログですかぁ

なんとなくグーグルでブログについて調べて

はてなブログ』を見つけたわけだ

気が向いたら更新しようと思う。

 

内容としては 高校生である自分自身が思ったこと、物申したいことをツイッターのように書いていこうと思っている。

 

人のことを全く考えずに投稿するから見ていってくれ!