休みには中古屋のはしごⅢ

基本音楽鑑賞のつもり。ほかに映画・本・日記的なもの・ペットなど。

「怖い絵 3」 中野京子 (下)

つづきです。

20240407(了)

「怖い絵 3」 中野京子 2/2

 

 作品18 アミゴーニ『ファリネッリと友人たち』 1750~52年
 作品19 アンソール『仮面にかこまれた自画像』 1899年
 作品20 フュースリ『夢魔』          1781年
   あとがき
   参考文献
  2009年6月/絵画エッセイ/朝日出版社/単行本/中古
  <★★★☆>

 

(18)アミゴーニ これは名画でもなんでもないと書く著者。ファリネッリ
いうのは子供のうちにタマの方を切り取られたカストラート歌手。怖いという
よりおぞましい歴史のカストラートの、数少ない成功者。ワタシ、その歴史を
恥ずかしながらよく知りませんでした。『カストラート』という映画も観てま
せんしね。バロックやそれ以前などほとんど聴かないということもあるでしょ
う。おぞましいという歴史の中身は書きますまい。ところで、中野先生、オペ

ラの本を複数書いておられるが、ひょっとするとほんとうはオペラがあまりお

好きではないのではないか・・・ まさかね。

 
  ところで、バロック音楽などにおけるカストラートは去勢した歌手だが、
  性行為ができなかったわけではない・・・睾丸がないだけ。売れたカスト
  ラートのもてぶりは凄まじかったそうな。そうなんだ、知りませんでした。
  堂々たる男性的肉体、髭のないすべすべ肌、天使のごとき?高音の美声。
  女性がどんどんベッドにもぐりこんできた。結婚と生殖は無理だったが、
  官能の塊だったとさ。凡人の同情は余計なお世話。
  ま、ほんの一握りのカストラートについてだけの話だし、隆盛は1600年代
  から1800年台までの2世紀足らずのことだった。しかもカストラートの生
  みの親というのが、ボーイソプラノだけの聖歌隊を抱えなければならなか
  った「教会」だったという。カトリックの総本山でのあの醜聞を考えると、
  中身的にはしっかり地続きで、人間の性癖がなくなるはずもないってこと。

 

(19)仮面ばかり描いていたというアンソールのことはまったく知りません。
すべて気色の悪い仮面ばかりで、上のほうに多くある骸骨も含めて、すべて仮
面に見えるものの、実はずばり人そのもののよう。自分の性格からろくに人と
付き合えない自閉症のごとき画家だったそうな。まん中の自画像はなんとルー
ベンスに似せてあるとのこと。晩年になってからその斬新さを認められたとい

うが、果たして本人は喜んだかどうか。怖さというよりは、裏の顔(内面)は

みんなこんななんだという表現がいやらしい。現代受けがする、きっと。

 

              (フュースリ再び)

(20)最後の絵、表紙の写真です。確かにタイトルとピッタリ。英語だとさら
にピッタリで、Nightmare。エロティックに頭を下に横たわる女性の腹の上に、
異形のもの、ゴブリンふう、ただし相当気味悪い。左には化け物っぽい馬。性
的なものを連想させはする・・・ スイス人フュースリは、始め牧師、次は詩
人。ごたごたがあって英国に帰化。イタリア留学の後画家に。後年ロイヤル・
アカデミーの教授から院長にまで出世。理屈にも秀でていたらしい。あくまで

頭脳先行の絵。遍歴や出世の話も合わせてみると、どこか変わっている。まあ

そんなところですが、それより・・・

彼はフェミニズムの先駆者メアリ・ウルストンクラフトに恋される。メアリに

フランス革命視察に誘われるが断る。ここからは恋多きメアリの話で、パリで
革命の擁護論文を書き、恋をして子供を作ったあと英国に帰り自殺未遂。アナ
ーキストのゴドウィンと結婚、また出産して、今度はほんとうに落命。娘の名

は同じメアリ。

この娘メアリ、母を殺したのは自分だというトラウマに苦しんだり、母同様、

恋の遍歴を経た後、妻ある男に夢中になる。この相手が誰あろう詩人シェリー。
すったもんだの末、シェリーの妻に収まる。17歳前後! 詩人シェリーのこと

はさておいて、つまり、彼女こそは『フランケンシュタイン』の生みの親「メ

アリ・シェリー」なのね。なかなかに波乱万丈。

それがですね、なんと、ちょうど『メアリーの総て』というメアリ・シェリ

を描いたDVDを今週、借りたのです、偶然。ハハハ。どんな鑑賞記を書くこと

になるやら。

 
長くなっちゃった、、、 そんなことで、最後は映画つながりの読了になってし
まいました。
このシリーズ、絵そのものは早々に怖くなくなってしまいましたが、絵を楽し
むためには知識はあったほうがいいと主張する先生の話が面白く、ダレること
なく読み続けることができました。

 

シリーズ完結編とある。かなり売れたようで、怖くはなくてもいろんな切り口
でもって、興味深いエピソードとともに絵を論じるスタイルは、ご本家の朝日
出版のみならず他の出版社が思いつかないわけもなく、「柳の下」が続々と出
されたことは、ご存知の方も多いでしょう。中野先生、相当忙しかったに違い
ない。括り方を少し変えたりして、まだ多分続いているんじゃないかしらん。
気が向いたらまた読みますよ。一篇一篇は短いので、寝る前に読むのにちょう
どよかった。

ドン・エリス/ティアーズ・オブ・ジョイ

20240411(了)

DON ELLIS / TEARS OF JOY

   2005年/CD/ジャズ(ビッグバンド)/2枚組/Wounded Bird Records
   /Sony BMG Entertainment/originally released 1971 Sony BMG 
   Music/輸入/中古
   <★★★★>

 

「ドン・エリス・ビッグバンド」とでもいうのが正しいんでしょうね。

来たのはPケースに入っていない状態のCD2枚。時折ありますね、こういう
の。そんなこと書いてあったかなぁ・・・ 人気のありそうなアルバムを選
んでみました。一応二つ折りのライナーというか解説ふうなものが入ってま
すが、アルファベットの字があまりに小さく、メンバーなど読む気起きず。
ライブかどうかはわからんが、パラパラ拍手。ならば、ライブってことか。

余っていたPケースになんとかおさまりました。

 

Disc1
①ひょうきんなアレンジ。これがアルバムタイトルなの?
②荒ぶるビッグバンド。イメージ通り。トランペット・ソロはご本人やね。
ブルガリアンなんとかと読める通り、東欧の民族舞曲の感じ。オモロイ!
④数人のストリングズが入るも、調子のよい変拍子ふうなビッグバンドへ。
⑤ストリングズ入りの都会の憂愁。まともなトランペットソロ。

⑥「月光ソナタ」の出だしからブルースへ。ストリングスのあと、トランペ

ット。

⑦ヴァイオリン・ソロがむしろ邪魔っけだけど、マカロニウエスタンのよう
に歌い上げる。
 
⑤以降がスローテンポでストリングス(いたって少なく薄っぺらい)も入る
ので、①②③はすごいのに、全体にはちょっとおとなしい印象になる。アレ
ンジ~オーケストレーションはしっかりできているようではある。
聴き慣れてくると、後半(④以降)も、都会的な情緒の表現としてアリだと
思えてくる。始めの違和感が薄れ、「ポパイ刑事」もこの中に置いてみるこ
とができる気がしてきた、なーんてね。結局『フレンチコネクション』をず
っと引きずっているワタクシメ・・・

Disc2
①細かいスコアがあるのに、野蛮なまでに暴れまくるフルバンドと弦数名。
ほんに不思議な・・・ ん?6拍子?変拍子? オモロイ!
②前の曲のように始まるも、一転カッコいい都会の刑事ものとかハードボイ
ルド。いいノリ。タイトルはサンバだけど、こりゃサンバじゃないでしょう
・・・ トランペットのふざけた妙技。ドラムスのすごいソロ。
③チェロのソロから始まるが一体どうなるのか。17分台の大作。木管アンサ
ンブルになって、それもいいのに、大都会のハードボイルドふうへ。でも暴
れない。色んな組み合わせのアンサンブルの連続。音楽のシーンがコロコロ
変わる。これが実に特徴的で魅力。長いコーダがついているも、あまり煽情
的ではない。でも最後は大爆発。
④中間部は抑えて少々不気味なサスペンスを思わせるが、両脇は大暴れ。

We shall overcome・・・なんてメロディも入れつつ、ま、たった4分半の

「小曲」?

いやなかなか盛沢山。
 
ライブのせいでバンドは大暴れするくせに、何度も書くがスコアはやはりち

ゃんと書かれているらしかった。曲想がものすごく多い。どんどん出てくる。

散漫にならずちゃんと密度を感じる。

ヤケクソとか粗削りとかの言葉も当たっているように思うけれど、そんへん
も計算に入っている感じもある。
何度聴いても、印象が違ってしまうので、捉えにくいですが、評価が高いの
はわかる気がする。元気なうちは、聴ける、聴いてもいい音楽だと思います。
あくまで元気なうちは、ですけど。
特にCD2が全曲お薦め。
 
アルバムタイトルはCD1の①。「うれし涙」ぐらいの意味? 違うか・・・

「怖い絵 3」 中野京子 (上)

前巻同様、解説が面白いので読んでしまいます

20240407(了)

「怖い絵 3」 中野京子 (1/2)

作品1   ボッティチェリヴィーナスの誕生』 1485年頃
作品2   レーピン『皇女ソフィア』 1879年
作品3   伝レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』 1599年?
作品4   ヨルダーンス『豆の王様』 1640-45年
作品5   ルーベンス『メドゥーサの首』 1617年
作品6   シーレ『死と乙女』 1915年
作品7   伝ブリューゲルイカロスの墜落』 16世紀後半
作品8   ベラスケス『フェリペ・プロスペロ王子』 1659年
作品9   ミケランジェロ『聖家族』 1503~04年頃
作品10 ドラクロワ『怒れるメディア』 1838年
作品11 ゴヤマドリッド、1808年5月3日』
作品12 レッドグレイヴ『かわいそうな先生』 1844年
作品13 レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』 1510年頃
作品14 フーケ『ムーランの聖母子』  1420~80頃
作品15 ベックリンケンタウロスの闘い』 1873年
作品16 ホガース『ジン横丁』  1751年
作品17 ゲインズバラ『アンドリューズ夫妻』 1749年

 

  2009年6月/絵画エッセイ/朝日出版社/単行本/中古
  <★★★☆>

「さらに怖い、待望の第3弾」 とあります。今回も、解説に面白いものはあ
りましたが、選ばれている絵自体にゾワゾワするものはありませんでした。
 
(1)ボッティチェリヴィーナスの誕生がなんで怖いねん! 
いろいろ美しいと言いながら、先生、徐々に難癖をつけ始める。 ヴィーナスの
体形を皮切りに。モデルが肺結核だったからかも、とか、瑕があるからこそ名
作だあ・・・などなど。そのあとは、ヴィーナスの生まれたわけの解説へ。確
かにおぞましい神々のお話。これは、絵より神話とはいえ、意外や裏話が怖い。
(2)レーピン『皇女ソフィア』ピョートル大帝とソフィアのドロドロ話は、
この皇女ソフィアの強烈な絵同様怖い。かの「プの字」がピョートルに憧れて
いた、みたいな話って、あったんじゃない?

     (こんな絵、誰が依頼するんだろう 写真的な意味合いかもね

                      仁王立ちではなく、何かにもたれているので、それでも少し

      は柔らかいか)

 

(5)ルーベンス『メドゥーサの首』は人工的な怖さで、同じく人口美である
オペラが好きな人には受けるんじゃないか、だって。なるほど。もっとも、毛
髪に当たるヘビどもは、どう見ても毛髪には見えない。
文中にカラヴァッジョのメドゥーサが載っていて、ワタシはこれのほうがおぞ
ましい。(カラヴァッジョは好きな画家です!) でも怖さという点ではこの
「メドゥーサ」ほどじゃないかもしれないけれど、日本人には最後に載せてあ
北斎の「生首図」が直截的で断然抜きんでいる。ギリシャ神話に馴染んでき
たヨーロッパの人たちにとっては、この3つのどれが怖いだろう。

     (参考として載っていました。さすが北斎、日本人にとっては、

      生理的にかなり来ますな)

  ・・・「恐怖」というエンターテインメントを見せられている気がする。
  貶しているわけではない。そこが好き嫌いの分かれる点だと思われるの
  だ。人口美の極致という点でいえば、オペラとよく似ている。「こんに
  ちは、さようなら」まで朗々と歌いあげる非リアリズムの世界に酔える
  者には、ルーベンスの芝居がかった世界もすばらしく魅力的と映る。
ここでいうオペラはロマン派のものを指すのだろうが、まあ、なるほどです。
中野先生のオペラに関する記述にはちょっぴり棘がありますな。
そのあと、ルーベンスが描かなかったもの、まったく関心を寄せなかったも
のがあって、それは「庶民の日常」だって。

 

(6)シーレのすごさは少しはわかるけれど、好きではないです。シューベルト
の「死と乙女」(1824)から説き起こしていながら、話は、死=死神 ではなく、
シーレと彼女と奥さんに若くして訪れる運命的な死の話のほうに移行して行きま
す。画力と俗物シーレ。絵はかなり薄気味悪くて、死神っぽく見え、まぁコワイ
とも言える。ところが、お話によれば、女と抱き合っている男は見栄えは死神の
ようにおぞましい感じだが、実はシーレに相当するような卑俗な人間なんだそう
な。(そうなの? せっかくここまで怖いのに・・・) 

例えばミレーの『死ときこり』(1859)のようなゾォーッとするような死(死神)

の話に進めば興味深かった(死の「ちょっかい」というふうで怖すぎ! まぁワタ

シにはそうです)のですが・・・

         (これ、かなり前から記憶に残っているミレー)

   (「死と乙女」つながりで本編に挙げてあるH・バルドゥング

    の「死と乙女」〈1517〉で、これは現代人から見てさす

    がにヘンテコリン)

 

(8)ベラスケスの見事な絵。例の近親相姦のことは素通りするも、赤ん坊や幼
児の扱いに関する習俗(swaddling、ぐるぐる巻きにするヤツ)については詳し
く書かれていて、それも20世紀まで続いていたというので、ちょっとびっく
り。幼児までは男児に女の子のかっこうをさせる習俗があったこともしかり。

その辺を知れば、確かにこのニ三歳の王子の薄幸がしのばれよう、というもの。

怖さではなく、見事な絵にタメ息・・・

 

(9)ミケランジェロ 聖家族のうちのヨセフ(聖ヨセフ)の扱われ方に言及して

いて、怖いというより、妙な年寄り扱いが可哀想だというのに笑ってしまう。

 

(10)ドラクロワ 王女メディアのおかれた立場と怒りを、こうもうまく書かれる

と、納得せざるを得ない。紀元前5世紀のエウリピデスの「メディア」の一瞬が

ものの見事に切り取られている・・・ 話を知らなきゃ、100%誤解するだろう

けど。

 

(13)ダ・ヴィンチ 聖アンナと聖マリアの坐り方が異常。ヘン。フロイトの説

を長々解説してくれているが、これがさらにヘン。

 

(14)フーケ 聖母のモデルがシャルル7世の寵姫アニエス・ソレル。人前で乳

房を晒したり、常に政治参加したり、なにかと物議を醸した。毒殺されたとも言
われたが、色遣いが奇天烈で気色悪い絵。肌の色が不健康に白く、美白のため水
銀を常用したのが死を招いたのかも、とも言われる。

 

(15)神話的な世界を想像力豊かに、かつリアルに描いたベックリン

好みじゃないけれど、つい目を奪われるのも確か。象徴主義? ケンタウロスの話
が面白い。ただ、この絵の写真の色が良くない感じ。

 

(16)ホガース 100年以上あとの「ジャック・ザ・リッパー」につながってで

もいるかのような英国の黒歴史。でも、この銅版画は情報の多いリアルな風刺漫
画の世界というだけで、とても魅力的とは思えない。怖さもない。

 

ここいらで休憩。

残り3つが長くなったので分けることにします。

 

 

映画『イマジン』

ほとんどが視覚障害者ばかりの映画 初めてです

20240402(了)

映画『イマジン』

 アンジェイ・ヤキモフスキ監督/エドワード・ホッグ/アレクサンドラ

               ・マリア・ララ

 2012年製作/105分/ポーランド・ポルトガル・仏・英合作/原題:Imagine/
 劇場公開日:2015年/DVDレンタル
   <★★★△>

ジョン・レノンの曲とは全く関係なし。視覚障害者の映画でした。
場所はポルトガルリスボンなんだが、地元の人以外はほぼ英語のセリフばか
り。しかも監督はポーランド人だそうな。
 
ここに、寄付で運営しているこじんまりとした盲人の(多くが子供ばかりの)
盲学校があって、そこに、ある男性教師イアン(彼も盲人)が、穴埋めなんだ
ろうか、赴任してくる。施設の運営者とは知り合いらしい。
彼が雇われたのは、他に見につからなかったからやむなく、という感じ。やむ
なくの理由は想像だが、彼の生き方(行き方)や教え方が危険だから。
 
教師といっても、専門教科があってというものじゃなく、盲人としてどう行動
するか、といったことばかりが出てくる。
イアンは例の白い杖を使わず、「反響定位」という音の反響で周囲を理解する
特殊技能的なテクニックが使える。それを生徒たちにも教え、尻込みせず外の
世界に出てすばらしい生を享受すべきたと説く。
かなり過激と言ってもいい内容でしょ、これ。驚きました。
 
果たして彼はそんなことを本当に教えてやれるのか、運営者とぶつかるんじゃ
ないか、といったことだけでも関心が尽きないのに、何故か一人妙齢の美人エ
ヴァ(美人かどうかは、まぁわからないはずなんですが、美人だと言われるシ
ーンがあるのです)がいて、彼女を外の世界へ誘い出す。
どこかロマンスっぽいムードすら漂う。そのロマンスには、ちょっとミステリ
アスな部分がいくつかあって、おしまいには明かされる。その明かされ方だと
か、男の子と街へ港へと外出し、埠頭の先まで行った時のサスペンスや上記テ

クニックの披露の部分とか、割合淡々としたお話の進み具合の中にも、十分盛

り上がりが用意されていました。

また、幕切れなんて、オシャレで、、、ちょっとやりすぎというか、危なっか

しすぎやせんかというか、そんな気がしました。

 
主要キャラクターのほとんどが盲人なんて映画、初めてじゃないですかねぇ。
多分イアン役とエヴァ役は、盲目は演技なんだろうとは思います。イアンの義
眼はかなり動いてました。またエヴァの視線がズレたり合ったりしていたよう
に見えました。彼女が時々見せた「ロン・パリ」、つまり、目の焦点がズレて
いる状態を、ワタシも意図的に作れます。だから、それができる演技者も当然

いるだろうと。もっとも、失礼な言い方かもしれませんが、逆(つまりもとも

と「ロン・パリ」の人が折に触れ、正常な視線に戻すの)は難しいでしょうね。

(以上、アラ探しっぽくなってしまいました)

話はそれて・・・
スマホは目に良くない、、、きっと。メガネの悪さも追い打ちをかける、と

いう興味深い知見を数日前知りました。主にレンズを繋ぎとめている筋肉に

かかる負担のことです。

話は飛んで、生まれつきや小さい子ども時代での失明は、諦めて適応してゆ
くもののよう(あくまで想像)なんだけれど、中高年での失明、特に高齢で
の失明ってのは、、、死にたくなるに違いないと思うんだが、どうなんだろ

う。失明が先か、命が尽きるのが先か、という状態のオフクロのことも思い

ました。

 
さらに話がそれて、、、
映画作家のことはさほど意識しません、そりゃいくらかは知ってますけどね、
覚えてられんのですよ。興味の持ちように関わるんでしょうけど、好みに合
いそうってだけで選んでいるわけでもない。だものだから、訳知りの反応は
(音楽だとできるくせに)できないです。それにしても、ここんとこ、自分
としては「外れ」が多いなぁ。エエカゲンな表現ですが「芯を喰わない」傾

向にまた戻ってきているなぁという感じです。といっても、当然ながらあま

り気にしちゃいませんけど。

やまとんちゅのZ世代

やまとんちゅのZ世代に関する2篇・・・プラスアルファ

 

せんだって、米国や沖縄のZ世代を述べた記事をアップしました。
その時すでに見つけていた、(本土のというのもヘンなのですが)Z世代に関

する3つの論説のうちの二つを貼り付けてみたい。聞き書きのオピニオンです。

 

始めのこれはライターさんだそうな。Z世代では一番上に当たるかたのもの。

ヘェーそうなんだ、と思うばかり。最後はずばりで、付け加えることがないど

ころか、耳が痛い。自分がいかにモノを知らないか、わかります。

 

次は学者さんで、ワタシの子どもの世代に近い。

分析は面白いのですが、切実感はあまり感じられないというようなまとめ方で

あるように思えました。「年齢に伴う成熟を前提視・・・」ムムム。

「自分たちとは異なる社会・・・」 ウーン。

 

ついでだから、最後にちょっと長いもの。Z世代のことではありませんが、世
代間のズレともかかわりのある「言葉のズレ」の感覚と言っていいもの。
読んでいて、ワタシの感覚には合って、わかりやすいと思えました。

 

     

 

新聞たって、こうしたオピニオン欄ばかり読んでいるわけじゃない。
長らく決まった新聞を取っているものだから、記事の見方も順番もだいたい決
まっていましてね、ちゃんと見ない場所も同じようにだいたい決まっている。
読んでインパクトのあったものは、記事だろうが広告だろうが、切り取ったり

しますが、読まずに後で読もうと思って切り取っておくのもある。こうした読

物が中心。実はこれが問題。

そういうのはパート仕事の時間の空いた時に読もうなんて考えてバッグに入れ
ておくのですが、そういうのがバッグの中にどんどん溜まって、ものすごい数
になっています。その結果、結構重い。しまいにゃ捨てることになります、き

っと。我ながらなんだか哀しい癖です。Z世代は(間違っても)こんなことは

しないのですな。

ハンス・ロット 管弦楽作品

音楽史に残るべき若い才能

20240331(了)

Hans Rott(1858-1884)

         Orchesterwerke

(1)交響曲 第1番 (1878-1880) 55:54
    ①9:21 ②11:12 ③12:14 ④22:27
     <★★★★☆>
(2)管弦楽のための前奏曲(1876)
    ⑤3:28
     <★★★☆>
(3)「ジュリアス・シーザー」への前奏曲(1877)
    ⑥7:44
     <★★★★>
 
  ゼバスティアン・ヴァイグレ指揮/ミュンヘン放送管弦楽団
  録音:2003年12月、2004年1月、バイエルン放送局 第1スタジオ
  ((2)&(3) 世界初録音)
  CD/2004年/管弦楽/BMGファンハウス/ARTE NOVA/邦盤/中古

 

「たまひの蝸牛」さんのブログ記事を読んで、聴いてみる気になりました。

妙にじみな絵の(ジャケット)写真
 オーストリアの作曲家。生前は恩師アントン・ブルックナーや学友グスタフ・
 マーラーから高く賞賛されており、ブルックナーはいつしかロットが大収穫
 をもたらすことを信じていた。
 マーラーは《交響曲第1番》において、ロットの交響曲から引用を行なった。
 ロットは、作曲家としては習作的な管弦楽曲を残したに過ぎないとされ、長
 らく無名の存在であったが、没後100年を機に研究者により作品が発掘されて
 徐々に世に知られるようになり、2000年代以降 しばしば演奏の機会を得るよ
 うになっている。-Wikipedia
 
ジャケット裏にもブルックナーマーラーのコメント、とかいうのがあったの
で載せてみます・・・

 

(1)交響曲 第1番;
所謂ドイツロマン派とはちょっと違ったサウンド、息の長いモヤーッとしたフ
レーズが多く、たとえて言うなら・・・幻想の濃い靄の中を進んでいく感じ、
あるいは馥郁たる柔和な世界の広がり、かなぁ。時間の感覚が淡くなっていく
ようなところもある。
少しは古くさい(?)ロマン派のようなところも当然残ってはいるんだけれど
、、、でも総じて、きわめて独特な雰囲気であって新鮮。
ウィーン音楽院での作曲コンクールに第一楽章を出したところ、嘲笑されたり
したらしい。時代に先んじていた部分はあったのかもしれない。恩師ブルック
ナーも同世代の仲間と言っていいマーラーも認めてくれていたにもかかわらず、
本人は精神を病んで行った。ブラームスが酷評したなんてあるが、影響はあっ
たんだろうか。これだけのものをたった20-22歳で書いたなんてすごいし、

26歳の手前で亡くなるなんて、なんとまあもったいない。

(おい、ブラームス!)

 
第1楽章。出だしでいきなり引き込まれる。盛り上がったあとのゆったりとし
たメロディ(やコード進行のようなもの)はワーグナーっぽい? 立派なフーガ
が挟まったり、ブルックナーブラームスっぽさが来たり。 いや、すごい!
当時のウィーン音楽院なんて、よっぽど旧弊(アホ)だったんだね。
第2楽章の息の長い堂々たる構えはどうだろう・・・なんて、宇野公芳みたい
だけど。かっこいいアダージョ
第3楽章のスケルツォは過去のロマン派っぽいが、遊び心なんかを交えている
し、あれ?このフレーズ、あのフレーズ、、、マーラーっぽくない?  なんて
言いだすときりがない。さらに途中でがらっと曲調が変わって、ゆったりした
調子になるんだが、、、あれっ?これって・・・ マーラーのほうがどこぞを
使ったと書いてありましたね、確か。『巨人』に使った。うんうん、納得です。
最後はブルックナースケルツォ楽章の終わりみたい。
長大な第4楽章。おっとり刀でブルックナーふうに始まる長大な楽章。途中か
ら明らかにブラームスの第1交響曲ぽくなるのが、(酷評を知ったあとでは)
悲しい。(ブラームスさん、才能ないなんてホンマにゆーたんやろか)
そのあとはフーガ系の曲調、ブルックナーマーラーのエンディングなど様々
に変化しつつ堂々の盛り上がりを見せる。ちょっと冗長かもな・・・
 
こんな作曲家のこんな曲があるもんなんですねぇ。習作なんかじゃない。
ワタシ、初めて聴きましたが、ビックリポン!(古いか) 知らない方はぜひ
ご一聴されんことを。(録音もいろいろ出ているようです。 「たまひの蝸牛」
さんありがとうございました。当盤よりネーメ・ヤルヴィ盤をお薦めでした。)
 
(2)管弦楽のための前奏曲
楚々とした、でもとてもロマンティックな作品。まあこれなら習作と言われて
も仕方がないかもしれないものの、でも10代の作品だなんてにわかには信じ
られない。
 
(3)「ジュリアス・シーザー」への前奏曲
ウォルトンシェイクスピア劇の映画音楽を思い出しました。イギリスのネタ
ながら違和感は感じませんでした。いや、なかなかいい曲じゃないでしょうか。
ワーグナー臭かった。これだって10代の作品。

 

  ワーグナー  1813-83
  ブルックナー 1824-96

  ブラームス  1833-97

  ロット    1858-84

  マーラー   1860-1911

 

作品数が少ないから、大作曲家に数えられることはまずないだろうけれど、
音楽史にはちゃんと載っていてほしい気がします。

志ん朝/「明烏」「船徳」

20240324(了)

古今亭志ん朝(1938-2001)

 (1)明烏(あけがらす)

     録音;1981年4月15日、三百人劇場

     <★★★☆>

 (2)船徳(ふなとく)

     録音;1979年7月5日、 三百人劇場
     <★★★△>
  CD/落語/Ⓟ1981・1982 Ⓒ1993 Sony Music /中古

 40過ぎの元気いっぱいの志ん朝さんです。

どちらも有名な古典のようで、ライナーにはそれぞれの歴史がしっかり書かれ
ている。そこまで追いかける気はありません。志ん朝さんのアレンジ部分につ
いてもそう。
 

(1)あけがらす;

面白かったです。商家の本ばかり読んでいる堅物のボンボンが父親の策略に引

っかかり、知り合いの札付き二人(って、悪い奴じゃあないんだが)に頼んで、
吉原に連れて行ってもらう。荒療治だね。
観音様に行くと偽って連れて行ったもんだから、はじめはその齟齬がおかしく、
バレてからはどうなだめすかすかがおかしい。
 
この出し物は、上手くできた艶笑譚(というか場所が遊郭の噺)なので、客の
盛り上がりようも大変なもの。人気も高いだしもののようです。ちらっと読ん
だら、志ん朝さんのアレンジ部分も利いている。笑いました。
恥ずかしながら一つだけ。ある短い言葉がわからなかった。2回出てくる。簡
単そうなんだけど、多分ワタシ知らない言葉なんだろうな。これさえわかれば
★4つだったのに。気になるんだなぁ、こういうの、残念。
 

(2)ふなとく;

まくらでは、船の上でションベンをさせてもらえるようになるまでに千両はか

かるなんて紹介されている。
①この主役もどこぞのボンボンで、贅沢な舟遊びができる身分。彼は舟遊びを
するうちに、女性受けのこともあって船頭になりたいと思うようになってしま
い、強引に、なっちゃう。若旦那でなく「徳」(とく)と呼ばせることに。
②船宿のボスが使用人たちを集めて、「その」お披露目をするに際して、使用
人たちのすったもんだ。ギャグはおかしいが、本筋とは離れているせいか、不
自然。
③船頭の修業をしていないままのある日、船頭が出払って自分しかいない時に
客が来てしまう。事情を知るカミサン、一旦は断るんだが、客に押し切られて

徳に船頭をさせることにするが、当然とはいえ、それがとんでもないことにな

ってしまう・・・

こんな感じでした。口調が早くて、こっちでも、何べん聴いてもよくわからな
いところがありました。まあそれはともかく、なんとなく話の構成が(②のと
ころのありようが)ちょっとヘンだったというか、②と③のつながりがない、
プッツンと切れてしまっているところが、ちょっと引っかかりました。