移住しても‥‥‥
実際、移住してみないと分からない!!
はじめは、子どもがいないし移住してもいいかなぁって思っていたけど、
子どもができて、生活してみたら大変だったよ。
子どもがいなくても、一緒だったと思う。
移住するまでは、ウエルカム!!って感じだけど、
知り合いは居ないし、気軽におしゃべりもできない。
こちらから打ち解けようと、頑張ってみても、所詮、そと者はそと者扱い。
仕事があるわけでもない。仕事したくても赤ちゃんを預けるところがない。
預かっていただける方がいても、1か月7万ほど払わないといけない(*_*)
ビックリ!!!
主人も仕事がないので、そのまま移住する前の街に事務所を借りて、
通勤して仕事をしていた。
なので、子どもを抱えて私も一緒に隣り街へ通勤していた。
これがなかったら、育児ノイローゼになっていたなぁと思う。
でも、子どもが幼稚園、小学生と成長していくと、
隣り街での仕事量は減らしていった。
その頃になるとママ友もできたり、田舎町でアルバイトしたりと。
少しずつ田舎町での生活にも慣れて、楽しむようにしていた。
だけど、地元生まれの地元育ちで外に出たことがない人たちは、
いつまで経っても移住者を見る目は変わらない。
(やっぱり、田舎は閉鎖的だなぁ。何ごとも。)
子どもが小学校を卒業目前に、山の中学校へは行かない。
隣り街の中学校に行きたい。っと言い出した。
(この時は本当にびっくりしたけど、内心、ホッとしていた‥‥‥)
(幼少時は、確かに山の中での生活(育てる)環境は良いけど、教育の面では‥正直ちょっと不安はあった)
家族会議。子どもの考えてることをじっくり聞いて、希望通りにしてあげようと。
学校側にもちゃんと話をして、納得していただき、転校。
でも、教育委員会は冷たかったなぁ。やっぱりよそ者やなぁ‥‥って感じ。
(もう、どう思われようが構わないけどね (^^) )
田舎へ移住を‥‥‥
まぁ、子どももいないし(欲しくてもできないんだよね(´;ω;`)ウゥゥ)
田舎へ移住もいいかもね。と
ダンナは、言い出したら引かないのはわかってたし。
が、家を建てる話が進み出した途端、義父が体調を崩し、
半年ほど、家族で看病したけど、他界。(T_T)
中断していた建築話は進み、基礎工事へ。
棟上げ頃にまたまた、びっくり(*_*) 妊娠発覚!
前述したように、子どもは欲しくてもなかなかできなかった。
何回も流産(原因はわかっていたけど、医学的にもどうしようもないと言われていた)を繰り返し、もう年齢も年齢だし、あきらめていた。
お医者さんもあきらめムードだった。だけど
「気休めかもしれないけど、やるだけのことはやってみよう!がんばろう」
と、2か月ほぼ毎日病院へ通い、遂に安定期へ。
義母やダンナはホッとしていた。私もうれしかったけど‥‥‥
実は、死産も経験しているで、産むまではずっと不安だった。
33週目から入院にはなったが、お医者さんや看護師さんたちのおかげで
37週目で無事出産(^-^) 結婚16年にして父親、母親に、とお祖母ちゃんに。
子どもが生後6か月頃から、義母(お祖母ちゃん)が入退院を繰り返すようになり、
生後8か月半に他界した。慌ただしい3年間だったなぁ💦
移住は、家が完成して2年目にやっと実現した。
でもね~、今は田舎へ移住を!と何か流行ごとになっているけど‥‥‥、
当時(数十年前)は、よそ者扱いで、大変。今も変わらないけど。
楽しく生活している人もいるかもしれないけど、それ以上に馴染めなくって
都会や他田舎へ移っていってる人がいるのが現実。
そんなに甘くないよ!
古里に帰って、仕事は‥‥‥どうにもなりません。
私はパートに行くことに。それはそれで良かったんですが。
24時間、主人と一緒と考えただけでも💦💦
でも、母親のツテとかあって、少しずつ仕事は増えていった。
0(ゼロ)からのスタートだったから、がんばってたよね~。
農作業も、頻繁に通って、「移住してこない?」と声をかけてもらえるまでに。
でも、すぐにはね、Uターンしたばかりなのに‥‥‥。と聞き流してた。
そうこうしているうちに、田舎の人たちと仲良くなり、7・8年ほど経った時、
田舎(山の中)に家建てるようにすすめるわ!っと、主人が言い出した。
両親と私「えっ!!!(*_*)」
なぜ?生活拠点が2か所になったか?
話し始めると長~くなるのだが‥‥少しずつ書いていこう。。。。
始まりは数十年前、主人が「農作業を経験してみたい」から始まった💦
それから移動距離が半端ないので、実家へUターンしよう!と
仕事はサラリーマンを辞めて、ひとりでやっていたので、
古里に戻っても何とかなるかなぁと思ったんだろうけど‥‥‥。
当時は、子どももいなかったからね。
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初めてブログ作成に挑戦。
文章を書いたりするのは苦手だが‥‥‥やってみよう!!