リヴィン・オン・プレイヤー
http://m.youtube.com/watch?v=lDK9QqIzhwk
昨日、タナボタ的に手に入れた旅行券を金券ショップに売り払おうと出かけたのですが、その際にFMからボンジョビがかかってめちゃくちゃテンションが上がりました。いままで別にボンジョビとか好きではなかったのですが、そのときの感情にびちっとジャスト・フィットしたんですね。06年のサマソニでフォールアウトボーイがボンジョビのカバーやったとき、隣にいた頭にバンダナを巻いたランニング姿のおっちゃんがエアギターを掻き鳴らして盛り上がっていたのを思い出して、ぼくはそのおっちゃんを憑依させ、車内でヒトカラを楽しみました。
私を誰だと思ってるの
ミリオン・マイルズ・アウェイ
携帯から更新。さて、いまは九州に向かう新幹線に乗っています。いまのぼくの心模様を映しているのでしょうか。窓から見える田園風景はどことなくうす汚れていて、ほの暗い灰色に染まっているようにみえます。と、思ったら単に窓がシミだらけで、今日の天気が曇りなだけでした。
愛しさと心の壁
12/4
ぼくはスクワットをするときは外でやります。この日もいつもの公園に向かっていたのですが、気分を変えようと違うルートを走っていたところ興味深い建物を発見しました。よくよくみると看板には「醸造所」とかかれており、どうやら地ビールの製造・販売を行っている場所のようです。こんなへんぴなところでよく営業してるなあと思いましたが、よくよくしらべてみると、障がい者自立支援系のNPO法人が地元の酒造メーカーの協力のもと運営しているようです。
本日、ビール日和。-真備竹林麦酒醸造所-
http://www.beerbiyori.jp/brewery_japan/2011/08/post-33.html
上のサイトから、立ち上げた方の理念を引用します。
地元の方々と、互いに「ありがとうございます」の言い合えるような物づくり、商いができたらいいな・・・私たちの夢は、人という悲しい生き物の心の壁を失くしていくこと、人といういとおしい生き物がつながりあえる地域をつくること、そしてまず、私たちが幸せになること・・・そんな想いをのせて、新たな船出をします
さまざまなバックボーンをもった人たちが地域社会で共生してくための手段として、さまざま人の協力のもと、この醸造所はつくられたようです。利益追及のみに縛られないNPO法人という形をとっているからこそ、初期衝動的な理念にむけてまっすぐにつきすすむことができるのでしょう。山のふもとの人通りの少ないへんぴな場所ですが、それ自体が「知る人ぞ知る」というおもむきを醸し出して(酒だけに!)いて、ぜひ一回飲んでみたくなります。酒は付加価値の商売といっても過言じゃないですしね。運営は大変でしょうが、これからも続けていってほしいです。
12/5
いよいよテストが近づいてきたので、今日は調整です。オーバーワークにならない程度に軽くダンベル体操だけで練習を終わらせて、明後日に備えます。
ちょっと髪がうっとうしくなってきたので、まあ面接もありますし、散髪にいきました。ぼくはツーブロックが好きなので、伊勢谷雄介よろしくサイドを刈り上げてもらうのですが、金をけちって千円カットにしてしまったせいか、完全にタラちゃんになりました。なんでしょう、あの理容師は長谷川町子プロダクションの手の者でしょうか?これは人類サザエさん化計画の一環にちがいないデスー。
ミスエデュケーション
なるべくきちんとブログは更新していこうとおもいます。とはいえネタには困りますね。
最近気づいたこと。
ぼくは高校時代ハンマー投げをやっていたのですが、3年生になって部活を卒業する際、後輩たちから寄せ書きをいただいたんですね。そのなかには顧問の先生からのメッセージも書かれていまして、それが、
「円転自在」
という言葉でした。先生はハンマー投げを専門種目としていました。あ、ハンマー投げっていうのは室伏広治がやってる、くるくる回って鉄球を遠くに飛ばすアレです。「円転自在」という言葉は辞書によると「言動がなめらかになめらかに行われること・さま」だそうです。ですが、先生の当時の説明によると、「今後、あなたたちがどんな困難な場面に直面しても、臨機応変に、自由自在に、物事に対処していきなさいというメッセージです」とおっしゃっていました。当時のぼくは「ふーんそうかそうか」くらいにしか思っていなかったのですが、これ、もうお気づきの方はいらっしゃるでしょうが、先生は「円転自在」という言葉の響きと、雨の日も風の日も鉄球を持って回りに回ってきた自身のハンマー投げ人生とをシンクロさせて、生徒たちに熱すぎるメッセージを送っていたんです。
「円転自在」の本来の意味とはちょいと違うようですし、それだったら、臨機応変か自由自在でいいのではないかという野暮なつっこみはおいといて、なるほどこれは考えたなと。「なにぼーっとしてんだ!ハンマー投げに人生をささげた漢だからこそできる表現ですね、って言って差し上げろ!」と当時のぼくに耳打ちしてあげたい気分です。
ところでみなさん、先生のルックスを誰で想像したでしょうか。参考画像おいときます。大学時代にホーク、ホークっていわれてたみたいです。
ホーク・ウォーリアー(ロード・ウォーリアーズ)
ザ・ルーツ
会社やめてから、いまは実家がある岡山県にいるのですが、帰省するといつも驚くことがあります。それは道行く小学生が挨拶をしてくれることです。トレーニングでジョギングをする際、ぼくは灰色の運動着でニット帽をかぶりイヤホンで立川談志を聞きながら黙々と走るのですが、それって不審者にみられてもおかしくないたたずまいだと思うんですよ。でも、学校帰りとかの男の子とか、犬の散歩中の女の子とか、「こんにちはー」ってはずかしそうに挨拶してくるんですよ。そんなときぼくはびっくりして大人のくせにはずかしそうに挨拶しかえしちゃうんすよね。まあ、なんていうかたまんないくらいほっこりしてしまいますよね^^
実家があるところはすごく田舎なんで、そういう無防備なのどかさがのこってるんですよね。で、思い返せばぼくも昔はそうだったなと。挨拶するの当たり前っておもってて、それが気恥ずかしくて、帰り道に大人となるべく会いたくねえなとおもったりしてた記憶があります。
そういえば、昨日走ってた時、公立図書館のだだっぴろい駐車場でいっぱい小中学生が遊んでたんですが、そのなかでセーラー服の女子中学生二人が駐車場のアスファルトにあおむけに寝転んで空を見ながらなぜか爆笑してたんですよ。おそらく「空がめっちゃ近く見えるwwウケるw」「ちょww虫きたwww」みたいなこといってたんですが、のどかすぎて驚愕しました。
ぼくが小学校のときに、テレビでは通り魔とか少年Aの事件とかたくさん報道されてましたから、学校では知らない人に声をかけられたら逃げましょうとか防犯ブザー持ちましょうとか、そういうことを5年生くらいのときくらいからさかんに先生から言われだした記憶があります。地域の人には挨拶しましょうって言ってた先生が、急にそんなん言い出したんで覚えてるんです。が、まだまだ残存してます。
昔、家の近くに、「まっちゃん」っていうホームレスのひとがいたんですが(プレハブ小屋に住んでいたので正確にはホームレスではないのですが)、そのひとにも挨拶してましたからねえ。というかいまふと、なんでまっちゃんはあそこに住まなければならなかったのかとか、昔いっぱいあそんでもらった近所のおばあちゃん家が、いまは妖しげな猫屋敷になってたりとか、のぞかないほうがよさそうな深淵に興味をもちそうになってきたので、今日はこのへんで。
亡國覚醒カタルシス
11/30
この日は関西で働いている前職の同期に送別会をひらいてもらいました。みんな呑兵衛なので結局4軒いって3時過ぎまでのんでました。同期全員からのメッセージカードもいただいて、とってもありがたかったです。
正直、最初は同期たちにになじむのに苦労したんですよ。自分はひねくれシャイボーイですし、趣味もちょっと人と変わってますし、ほれたはれた系あるいは飲み会ウェーイ系の人生経験も劣ってましたしね。同年代間のコミュニケーションマナーも把握しきれておらず、距離感がつかめなかったんですね。「おまえ嫌い」っていわれたこともありますw
ぼくは最初の配属で名古屋に行ったのですが、半年後くらいにまた同期全員で集まる機会があったんですね。そのころにはみんなそれぞれオフィスの「洗礼」をうけてて闇をかかえておりましてw、ひさびさに気をつかわないメンバーで騒ぐってことで、みんなばーっと今まで以上に打ち解けていきました。僕自身はそこでみんなの輪にはじめてはいっていけた気がします。年末に名古屋のおっぱぶで青森からでてきたおぼこい嬢にときめきつつ、華麗にぼられた話がすっげーウケましたw(いや、まあ、ぼられたというか一緒に行った先輩が爆睡してて、起きてたふたりで3人分支払ったのでたかくつきました。それにもう一人の先輩が同じ嬢を指名しまくって揉みまくって飲みまくってたのでそれも原因なんです!)
同期でひとり超絶にソリがあわなかった女の子がいたんです。なんかのとき僕が日常会話でカタルシスという言葉を使ったら、そーゆうのイラッとするって直接言われたくらいにはソリが合ってませんでした。が、しかしそれ以降はその子とも腹を割れるようになりましたし。今回メッセージカードをとりまとめてくれたのも彼女でした。「kento のおもしろさみんなに伝わるといいなあ」と研修時代から気にかけてくれてた3個上の同期もおっぱぶ話に嬉しそうに笑ってくれてました。結果、ぼくはやめることになりましたが、今後も同期会とかよんでほしいです。