雨の日について。

雨の日じゃない晴れの日に、雨の日を思ってみる。

 

雨の日って、心の中のさりげない気持ちが、目に見えやすくなる気がするなぁ。

傘を見てみて。

すれ違う時、くいっと傾けてみたり。

お店に入る時、ぶるんぶるん回してみたり。

傘だけ見てても、その人がどんなことを思ってるのか、分かっちゃったりする。

表情とか言葉とか、なくてもね。

そういう意味で、雨の日の傘の存在は、すごく偉大。

 

こんなこともある。

帰りの電車。

前に座ってる、どうしようもなく眠そうなサラリーマンの手から傘が離れてく。とっさに手を伸ばす。ナイスキャッチ。気づいたその人は、はっと起きて頭を下げるから、ちょっと嬉しくなる。その後、自分が映る窓をぼんやり見ながら、頭の中では誇らしげにスロー再生。

よくやった、私。

なんてね。

 

雨が降ってると、素敵な思い出をもらえることもある。

一つの傘に身を寄せてみると、いつもよりももっと、この人と近くにいるんじゃないかって感じたり。自分たちの会話が、いつもよりももっと、その時その場所にとって印象的なものののように思ったり。

 

雨の日、いいことあるじゃん。

私は、こう思うのです。

 

そうだ。

私の気分は、お天気と深い関わりを持ってる。そんな感じがする。

といっても、晴れ渡った空とルンルン気分はノットイコール。

ノットオールウェイズ。

きれいに青く澄んだ天気だからこそ、なんだか恥ずかしくて、

コソコソ気分になったりする。

 

一日の気持ちはお天気によって色々変わるんだなって、つまり、

そのお天気って私の生きてる毎日を語る上でけっこう大切かも。

 

ちなみに今日は雨の降らない晴れの日でした。

でもね、晴れの日に雨の日のことを考えたから、これからは、

晴れの日も、心には雨の日が重なっていくかもしれない。

あるものとないものを同時に感じながら過ごしたら、面白いのかも。

 

以上、雨じゃない晴れの日に、思うこと。

 

こんどは、晴れじゃない雨の日に、晴れの日を思ってみるね。

ばいばい。 

 

 

 

雨。雨。ふれふれ。もっと、ふれ。

 

12月まであと一時間。

僕は一冊の本を読んでいた。

すこし、喉が渇いたので本を片手にキッチンに。

片手間で開いた冷蔵庫の中の氷がきれている事に気づいた。

靴を履いて、ドアを開けると

雨が降る夜空は僕が家をでるのを少しためらわせた。

でも、ドアの閉まった音に背中を押されて憂鬱に傘を開いてコンビニに。

 

コンビニから戻って、買ったばかりの氷を開けて
コップに入れて、ジンジャエールを飲み
机の上に置かれた読みかけの本を開いた。


本を読みながら、2014年最後の一ヶ月が始まった。

12月を一緒に迎えたその本のタイトルは、

 

「デザインの輪郭」

 

おっ!え〜!!!そんな馬鹿な!!!....。

 

なんていう驚きがあるような、面白みがあるような本ではないのだけれど、

毎回読む本、すべてが面白いわけではない。

どちらかと言えば、失敗したな。という本のほうが圧倒的に多いように感じる。

ただ、本の面白いところは、

読む日によって受ける印象が変わるところだ。

 

この本を読むのは、何度目だろうか。

多分、4回目くらい。

 しっかり読んだのは、買った日と昨日だけ。

短編集で書かれているこの本はスラスラとよめるし

日本を代表する工業デザイナー深澤直人の世界観を本を通して覗いている気分にさえなれる。

 

雨が降る12月になったばかりの夜。

ある章を、僕は読み始めた。

 

第四章-考えない(Without thought)

雨の降るある日、
僕は出先から自宅のあるマンションに向かい、
濡れた傘をバサバサとしてからたたむ。

「傘立てがなくて、
たまたま床にタイルが敷かれていて、
その幅7mm程のタイルの目地に傘の先をあてて壁に立てかける。」

きっと、ほとんどの人が無意識にする行為だと思う。

デザインというものがなくても、

人間は既に、環境にあるものすべてのものをその状況に応じて価値に変換している。

 壁は空間を仕切るものであるが、
体をよりかけるという価値も提供している。

「壁とは何ですか」と訊いて、
「誰かと喋りながらからだを寄りかけるものです。」
と答える人はいないように、

思考の概念と、からだがものと関わっている事実とは異なるものなのである。


最初に読んだときは気に留めなかったのに、昨日の僕には大切な一章だった。

 

「確かに。」


僕は、ものに意味を求めすぎているかも。

何をやるにしても、
それをやる意味を見出したり、やらない理由を探している。

そこに傘立てがなくても人は無意識に既にある環境の中で対処することと同じように、
今自分がいる場所をすこし、立ち止まって見渡せば、
思いもよらない所に自分の悩みを解決するヒントが有るかもしれない。

新しい出会いに溢れる今だからこそ、持ちすぎてるかも。
今の自分にあった、背伸びをすればきっと心地よいはず。

環境を変えるのではなくて、環境の見方を変えよう。

自宅の玄関の壁にかけられたままのまだ濡れた傘を見て、そう思った。

 

気になる。きになる。キニナル。

「気になるあの人」。

まだたったの五ヶ月だけど、

早速、色々な「色」の時間を一緒に過ごしてみた人です。

 

公園でブランコに揺れたり

一日かけて汗を流して山を越えたり

深夜と早朝 まったく異なる姿の海を前にしたり。

歩いて、座って、寝っ転がって、また歩いて

こうしたいと思ったその時の気持ちのままに、一緒に時間を過ごす。

色えんぴつで塗るとしたらって考えると、毎回まったく違う色をしている。

 

話をしてるのも、話をとめて耳を澄ましてるのも、じーっと目を見てるのも、

ワクワクが止まらなくて、ちょっとドキドキして、居心地がいい。

そう、この言葉。

居心地がいい。

本当に、この言葉がぴったりなのね。

 

でもまだほとんど知らない。

五ヶ月なんてこれまで生きてきた約二十年間のうちのほんのちょっとで、

私が知ってるのは、さらにその五ヶ月の中のほんのわずかな時間だけ。

 

私、このことをよく考える。

ある人を前にして、その人の存在が自分にとって大切だと思えば思うほど。

今これを読んでくれている2人はいつもそう。

この人はどんな人なんだろう。

自分はこの人の前でどんな人なんだろう。って。

そう考えていると、そもそも自分ってどんな人?って疑問にたどり着く。

むずかしい。

 

ちょっと戻って、そう、「気になる」理由はいくつかある。

そのうちの一つが「ことば」。

一緒にいると、ことばの一つひとつにじっくり向き合ってるんだなあと知る。

そしてそれはいいことだなあと身をもって感じさせてくれる人。

だいぶ前まで振り返ってことばを置き換えてみたくなったり、

ことばを探してうーんとうなって止まったり。

真っ直ぐなんだけど、だからこそ、くねくねしてる。

そんな不思議な「ことば」のつながりが私はとても好きで、

それをもっと知りたくて、ぐんぐん引き込まれていく。

 

「ことば」は心を映す鏡っていうよね。

「ことば」に耳を傾けるのはとても面白い。

 

そんなこんなで、私自身も以前より自分の「ことば」を意識するようになった。

そもそもあんまりしてなかった段階で意識をするようになった。

最近の私は、ことばをもっと口に出してみたくなったりする。

例えば、何かを強く感じる一瞬ってよくあって、その一瞬を表せるものがぱっと頭に浮かぶ。だけど私は、それを口に出さないことが多かった。なんとなく笑って済ませたり、顔をそむけたりして。

だけど最近は、しまっちゃえと思ったその一言を口に出してみるのもいいかなと考える。

 

これ、今気づいたのだけど、2人に共通して感じる。

私、2人といると「今の言葉、その気持ちがぎゅっとぎゅっとなってる」って思うことがよくあるんだよ。

うーん、伝わったかな?ことばにするのは難しいね。

 

まとめると、この人とは、これからもなが〜く一緒にいる気がします。

気になるでしょ?

 

私、古き友にも新しい出会いにも恵まれました。

気になるあの人、大切な人、まだまだたくさんいます。

感謝の気持ちをいつも胸に。

 

さて。

私のせいで、こびとブログ、やっとこさ一周できました。

パチパチくん。

ここから先が楽しみです。

 

次のテーマは

『こびとたちのハチガツ』

 

では。

気になる悲しくも笑顔なあの人

いろんな人のストーリーを読んだけれど、一人だけ僕の胸に引っかかるものがありました。

 

その人は幼いころに両親を亡くしていて、今はお父さんと同じ弁護士になって、事務所を立て直すことが夢のある人。

 

僕がその人に出会ったのは1ヶ月前、印象はとても明るく、とても元気で、いつも笑っているようなそんな子でした。

 

だけど、彼女の過去を知った時、そんな笑顔は全部強がりに見えちゃって、嘘の笑顔にしか見えなくなってしまいました。

その子のストーリーを読んだ時、ある一節に目が止まって、それは、
「その時の私は孤独で、その孤独から誰か助けてほしいと心の中で叫んでいた」

僕はその時何を思っていたかは覚えてはいないけど、

「この一節だけ、自分の言葉だね」と。

 

あとから聞いたら、その一節以外はほとんど他の人にアドバイスを貰って書いてもらってたみたい。

 

そんな言葉を発したら、彼女は

「いまもそう思ってますよ」
笑顔でそうつぶやいて、その一言は決して文字では表現できない感情の共有だったと思う。

僕は彼女が昨日何をして、今日何時に起きて、今どんなことを思っているかはわからないけど、その時の感情はなんとなくわかった気がする。

そんな彼女のことは少し気になる人です。

トップバッターいただき☆

8月。

テストから解放されてやっと久しぶりに小説を読めた。

小説を読むと内容に関わらず少し切なくなるのはどうしてだろう。

でも苦しいのではなくて息をゆっくり吸いたくなるような感じ。

小説の中の彼らはすごく詳細に、たくみに表現されていて、そんな非日常的な方法で日常を描きだすものだから、私はちょっとばかり動揺してしまいます。

でも影響を受けやすい私は、

小説を読んだ後はふとした瞬間の、例えば今夜みたいに雨に降られたときの雨の夜の土の香りをどう感じているのか言葉にしてみたりします。

そうすると気付かなかった自分の気持ちなんかに気付いて新鮮で嬉しくなったりし

 て、そんな夏休みの幕開けです。

 

 

さて、今回のテーマ、気になるあの人。

 

私の気になるあの人は言葉で表せばよくありがちな、近そうで遠い存在です。

ある一点では確かに繋がっているんだけれど、

私にはきっと、ずっと理解できない人。

誰かといるときには考えることなんてほとんどないのだけれど

ひとり帰り道にふと考えに耽たりします。

と思ったら、

私は私の道を歩くのだ、と急に興味を失ってみたり。

 

 

その人は、私が悲しいときにも笑っていたりして、

時々本当に不思議でたまらない。

でもきっと、そこがいいところだってみんないうんじゃないかな。

たぶんそう。

私もそう思う。

だから笑うんだ。

やっぱり私とその人は繋がっているんだと思う瞬間。

 

でもたまに、友達とその人の話題になったりして、

私が全く知らなかった一面を聞かされて一喜一憂もする。

私が知らなかった一面を知れるのは嬉しい。

でもそれが悪いことだったら一日中考え込んでしまう。

やっぱり私はその人のこと、まだまだ理解できてないんだと思う瞬間。

 

 

私の気になるあの人、

もう一人の私。

人から見た私、私からは見えない私、でも私。

 

人からの評価に翻弄されたくはない。

そうではなくて自分だからこそ見えない自分の性格とか考えの傾向とか、

そういうものを知りたい。

この二つを明確に区別するものがあるわけではないのだけれど。

 

一番記憶にあるのは、小学校のときの成績表のコメント欄。

「私はリーダーシップがありますが、たまに言葉がきつくなります。」

って書いてあって、驚いた。

でもそれで、私はリーダーに立候補してみたりした、言葉に気を付けてみたりした。

結果、リーダーシップはなかったかな。。

 

人からの評価を気にしすぎると自分を見失ってしまうと思う。

でも社会に生きている以上、人との関わりがあって。

自分だけでは見えない面がきっとたくさんある。

そういうことを理解するのは単純に楽しいし、

今まで無意識だったことを意識できるようになる。

視野が広がる。

自分を成長させるうえで、例えば人生の選択をするうえで、

役に立つんじゃないかなって考えています。

 

だからね、

自分のことを丁寧に見てくれる友達はすごく有難いんだね。

ちょっとうぬぼれた考えとか、

大人になったら恥ずかしくなるような言葉でも

ちゃんと受け止めてくれる、

例えば2人のような友達がいるのは幸せだなぁ、嬉しいなぁ。

この考えがうぬぼれてる? 照

 

 

 

そういえばさっきの小説の中で、

人は誰かに頼らなきゃ生きられない存在だけど、でも人はひとりきりなんだって知ったうえでもたれ合わなくちゃ意味がないんだ、

って感じのことが書いてあった。

最初、ひとりきりだって知るのはすごく寂しい気がしたんだ。

でもきっと、

ひとりきりだって知るからこそ大切に思いあえる人がすごくすごく大切なんだ、

ってわかるってことだといいな、と思って寝ることにしました。

おやすみ。